サンノゼ飛行日誌
2001年9月以前の飛行日誌ログです。
- 2001年 9月30日 13:00−
N737TX 1.3h/97.5h 63th
今日は趣向を変えて一回り大型(四人乗り)のセスナ 172 に乗ってみることにする。法律上は同じクラス/カテゴリの飛行機なので何の手続きもなくソロで乗れるのだが、レンタルで借りる以上会社が規定している教習を受けなければならない。152 と 172 は操縦席のレイアウトも似ており、離着陸パラメータも大体同じということで地上教習なしでいきなり機上の人となる。
久々のデュアル(教官同乗)で離陸、VR は 55Kts。上昇姿勢を取ると操縦桿が重く、トリムで Vy の 70kts に合わせる。計器板は高いがカウリングは低くて前方視界が良く、152 と同じつもりで姿勢を決めるとついついノーズハイになりやすい。ダウンウインドで南へ出つつ 3500ft へ上昇、油温計が若干高い以外は異常なし。ただエンジンパワーが大きいぶんトルクも強く、右ラダーを踏み込まないとボールが「飛んで」しまう。
アンダーソン湖の上空でスローフライト、ストール、スティープターンといったマニューバーを練習。152 より舵は重いが「座り」が良く、バタバタしない感じなので扱い易い印象を受ける。サウスカウンティの北 5NM 4000ft でエンジンフェールをシミュレート、追い風のまま滑走路 14 へ入ってゆくが少々浮きすぎた。思い切りフォワードスリップすれば落とせない事はなかったが、タッチダウンはせずにゴーアラウンド、そのまま RHV に帰る。
RHV では 31R に入るよう指示されるが、横からスピードの速い「エクストラ」が入ってきたので高度を維持したまま「オーバーヘッド」でダウンウインドに入り直す。152 と同様パワー 1500rpm、フラップを段階的に入れつつ高度を落とす。しかしタッチダウンかなり手前でパワーアイドルにし、ノーズをゆっくり起こしながらフレアーをかける手順は 152 と勝手が違う。かなり奥まで流されて着地、ランウェイエンドからタキシーバックし再離陸・再着陸。フレアー時の操縦桿の重さに気を取られ、左前方からの風に当て舵を取らなかったので着地が「ブレて」しまったがこんなものか。
172 をソロで飛ばすには、あと2〜3回の教習が要る由。本日のログタイム 1.3 時間。
- 2001年 9月23日 14:00−
N68475 1.9h/96.2h 62th
「あの事件」以来の初飛行。少し緊張しているので、プリフライトチェックもチェックリスト片手に念入りに行う。31R から離陸した直後、左下を流れてゆく 31L の滑走路がくっきり見えた。「あれ?」と思う。いつも離陸直後は姿勢と速度を安定させるのに必死で外が見えていなかった気がする。今日は調子が良さそうだとパターンを五周回ったが、先日のデコボコフライトにくらべずっと安定した着陸ができた。調子が良いので Downwind Departure で南に出てみる。VFR 訓練解禁直後の日曜日ということもあり、South County の CTAF は殺気立った様相を示しているので、その南の Holister まで飛んでみる。滑走路 31 と 24 の二本があるが、主に 24 を使っている模様。滑走路直上 2300ft で風向きを確認したあと 24 に対し左 45 に入るが、また近く入りすぎてすぐダウンウインドになった。どうも苦手なんだよなぁ。
左ベースに入ってふと見るとグライダーがショートアプローチで入ってゆく。こういう場合優先権はグライダーにあるから仕方ない、着陸を Abort して上昇し再びパターンを回る。飛行機は2時間しか予約していなかったので、結局二回のタッチ&ゴーで Right Crosswind に飛び出し RHV に戻る。最後の着陸は左からの横風をエルロンで受けることには成功したが、逆踏みラダーで滑りを止められずガクリと揺れてしまった。本日のログタイム 1.9 時間。
飛行終了後、荒木さんにモギ氏を紹介される。こちらのレジデントでコマーシャルライセンスを取得中だとのこと。離陸直後のキャブレター氷結でヒヤリとさせられた話、シャンデルやレイジー・エイト機動の難しさ、IFR アプローチ中に後からサイテーション(セスナ社のビジネスジェット機)が来てせかされた話などを興味深く拝聴する。今年はミラマー(サンディエゴの海軍基地)のエアショーで特別席が取れる予定だったのが、あの事件のせいで多分キャンセルされるだろう、と嘆いておられた。
- 2001年 9月09日 12:00−
N25932 1.3h/94.3h 61th
海辺の空港 Half Moon Bay に行くつもりでフライトプランを立てていたが、いざプランをファイルしようとした所で気象官から「太平洋岸は 1000〜2000ft Broken-Overcast だからやめといたほうがいいよ」と警告される。まだ死にたくはないので素直に警告を受け入れ、先日やり損ねた場周旋回で着陸練習を行うことにする。若干横風ぎみでウィンドシアもあるが、何より自分の腕がヘッポコなことを改めて思い知る。ファイナルに入るたんびに毎回高度が違うんだもんなぁ(;_;)。特に右パターンだと何故か低めに入ってしまい、「パワーで吊って」タッチダウンを伸ばす破目になってしまう。結局右5回、左5回の計10回で終わりとした。本日のログタイム 1.3 時間。
- 2001年 8月25日 15:00−
N24373 0.5h/93.0h 60th
今日はダレ気味な ATC と着陸パターンに喝を入れるべく、RHV のトラフィック周回に徹するつもりだった。先行する機体がモタついてタキシーウェイに出るまで随分待たされたが、ランナップは手早く済ませて 31R から離陸。ところが、離陸直後からラジオの受信状態が急に悪くなった。また誰かがデッドマイク(*1)しているのかと思ったが、ダウンウインドに入ってスロットルを絞る頃にはクリアになった。しかし先行する機体がモタついていてこちらにクリアランスが出ない、やっと前の機体が着陸したと思ったらサンノゼエアスペースから長々と交信してくる奴がいる。諦めてゴーアラウンド、フルスロットルに入れた途端またラジオの調子がおかしくなった。「ひょっとして…エンジンノイズが混入してるの?」。
えらいこっちゃ、とりあえずスケルチ(*2)を最少に絞り、不明瞭な交信をなんとか聞き分けようとする。ところが管制塔から「Cessna 373, Extend downwind and will call for base」と言ってきた。飛行機は南向きにどんどん飛んでゆき、受信状態はますます悪くなる。ボリュームを最大にしてノイズの中に埋もれる音声を必死に聞き分けつつ、交信不能になったらどうしようかと考える。えーと、ラジオフェール手順ってどうするんだっけ、ライトシグナル(*3)覚えてたっけ?!くそ、こんな時ハンディ(*4)があればなぁ…。
しかし交信不能になる前に着陸クリアランスが聞き取れたので、ノイズが少なくなるスロットル位置を模索しつつ着陸、そのまま Terminate を告げてタキシーバック。本日のログタイム 0.5 時間。ラジオフェール手順・ライトシグナルの復習と、ハンディの購入を決意した一日でありました…。
* 脚註
- デッドマイク…無線機の送信ボタンを押しっ放しにすること。
- スケルチ…雑音抑制つまみ。
- ライトシグナル…無線機故障時に発行信号で管制塔の指示を受ける手順。
- ハンディ…携帯型のトランシーバー。
- 2001年 8月13日 14:00−
N6321M 1.1h/92.5h 59th
公私いろいろ忙しく飛べない日が続き、やっと飛行場に顔を出したら予約リストが一杯に埋まっていた。噂に聞く盆休みラッシュである。とりあえず1時間すこし空いている機体を借りマニューバーや離着陸の練習をやってみる。スローフライトは悪くないが、ストールからの回復手順はスムースではない。サウスカウンティ近くのスクラップ置き場から猛然と煙が上がっており、火事だか何だか知らないがお陰で北風だとわかり 32 滑走路に降りることにする。タッチ&ゴーを計3回、いまいち納得できないがもう時間になってしまった。いつものように UTC 経由で 31L に着陸、本日のログタイム 1.1 時間。
- 2001年 7月20日 13:00−
N5090Q 1.7h/91.4h 58th
海辺の空港 Half Moon Bay にまで出かけようと思い立ったが、生憎海辺の天気は良くない様子。飛行機も空いておらず、とりあえず2時間のレンタルで飛びたちサウスカウンティでタッチ&ゴー。天気の悪い日の常で風は南から吹き、左手パターンで回って滑走路 14 を使うことになる。うーん、今一つ着陸パスが安定しないなぁ…。タッチ&ゴーを3度繰り返したあと南へ向かってストレート・アウトで離陸、山向こうのワトソンビルの ASOS(*1) を聞くと Sky Clear と言っている。その辺だけ丁度雲が切れているようだ、南寄りの断雲を避けつつダウンタウンの上を飛び、45 度から滑走路 20 のパターンに入る。ここの滑走路は 4500ft と長い、何せエアショーの時は B-17 が離発着するのだ。パターンの大きさを見誤ってウロウロしている内に、後に付いてた「ハスキー」が先にベースに入ってしまった。仕方なくダウンウインドをエクステンドし、ここらで良かろうと旋回して滑走路に降りてゆく。毎年五月のワトソンビル・エアショーには毎年のように来ているが、平時のワトソンビルは始めてである。空港見物してゆこうかと思ったが、飛行機のレンタル時間が限られていたのでそのままタキシーバックして離陸。離陸後にトランスポンダやミクスチャ設定が地上モードのまま(*2)だった事に慌てる。うーん、良くないなぁ…本日のログタイム 1.7 時間。
* 脚註
- ASOS…Automatic Serface Obervation System:無人気象観測所(による気象報告)。
- 地上ではトランスポンダを「STBY」に、ミクスチャを「1in lean」に設定するが、離陸直前に「ALT」「Full rich」にしなければならない。
- 2001年 7月01日 11:00−
N6321M 2.2h/89.7h 57th
今日はナパまで昼飯を食べに行く。勿論一人でナパ飯を食いに行くほど酔狂ではなく、同乗者が居るのである。既にプライベートを持ち IFR の訓練を開始している荒木さん、コードネームは「ナースかなこ」。ふふふ、つまり女性と二人きりで雲上のデートと洒落込むのだ。これで彼女が既婚者でなければ完璧なのだが(笑)。
彼女は IFR 訓練でセスナ 172 ばかり乗っており、152 は自信がないと言うので私が PIC(*1) を引き受ける事になる。雲もなく視界も良く風もない絶好の飛行日和。一応フライトプランは作ってきたが、ナパまで約 60 NM なのでファイルせずに飛ぶことにする。飛行機は気紛れな 21M、前の使用者がいい加減だったのか温度計は取れてるしコントロールロックは行方不明。飛行には差し障りないのでチェックし給油してテイクオフ。152 の二人乗りは久しぶりで、少々上昇力が悪い。真方位 000 でリバモア上空を通過、VOR を捕まえてナパに向かう。無線機や VOR は荒木さんが操作してくれるので助かる。二人で飛ぶのも悪くないものだ。
10 マイル南で管制塔を呼び出し 18L へのアプローチを貰うが、飛行場が何処なのかよく見えない。ナパ空港は塩田と牧草地の広がるだだっ広い中に三角形に滑走路が敷かれているだけで、目標物が少なく昼間は位置がわかりにくいのだ。夜ならビーコンが点滅しているからかえって識別が楽なのだが。多分あの辺だろうと見当を付けてアプローチしてゆくと、管制塔からトラフィックの注意がある。右側を低翼の機体が追い抜いて行く、どうやら同じ滑走路に降りるらしい。
立ち並ぶハンガーが見えて空港の位置はわかったが、二本並んでいるうち短い方の 18L 滑走路の場所がよくわからない。愚図愚図しているうちに 45 の位置(*2)を通り越してダウンウインドに入ってしまう。やっと滑走路の位置と方向を確認、慌てて機首をダウンウインドに向け着陸準備。風が弱くて少々奥に流されたが着陸はまぁまぁ、一番奥のタキシーウェイから出てトランジェント・エリア(*3)に駐機する。
Jousey's では二人とも昼間っからビフテキを注文。1/2 サイズを頼むがそれでも結構大きく満腹になった。帰りは同じ 18L からの離陸、左 45 度に機首を向け目標の橋で方位を南に向ける。…ん?何か妙に山ばかりだな、こんな風景だっけ…。「ささきさん、このまま山超えて行くんですか?」「へ?」荒木さんに言われてようやく気がつく、橋を一本間違えて西寄りに出てしまった。このまま真っ直ぐ飛んだらオークランドのクラスB(*4)に入ってしまう。東へコースを修正、やっと VOR も指針に乗る。
リバモアを飛び越してキャラベラス湖上でコンタクト。日曜日の午後、RHV のトラフィックは帰ってくる飛行機で殺気立っている。キャラベラスからも2〜3機がコールをかけており、トラフィックの視認で忙しい。双発の「セネカ」が追い抜いてダウンウインドに入ったので「ナンバー2」を貰うが、すぐ「ナンバー3」に訂正される。セネカは矢鱈に大きなトラフィックパターンを回っており、仕方ないのでこちらも大回りにエクステンドする。ナンバー2のセスナをようやく視認、相手がファイナルに回ったところでこちらもベースに機首を向ける。延々と長いストレートアプローチ、ふと見ると 31L にダンゴになって降りてゆく二機がある。危ないなぁと思っていたら、右の機体がスッとコースを変更して 31R に乗ってきた。オイオイそんなの有りかよ、何時の間にクリアランス貰ったんだよ。奴は着地してノンビリ誘導路へ向きを変えているが、こちらは 50kts を切るほどまで速度を落としタッチダウンの寸前である。間に合わないのでパワーを入れてゴーアラウンド。荒木さんも「あんなのって無いよねー」とプンプン怒っている。
二周目は先ほどの喧騒が嘘のように静かになり、ナンバー2で無事に着陸。若干左前方からの風を読みそこないドスンと落ちる着陸になったが、荒木さんは「上手いもんですよ」と拍手してくれる。ううぅ、社交辞令だなぁ(Т▽Т)。エプロンに飛行機を止めてログアウト、着陸後チェックで行方不明だった温度計とコントロールロックを発見。昼飯代と飛行機代はワリカンとなりました。本日のログタイム 2.2 時間。
* 脚註
- PIC…Pilot In Command すなわち機長。
- 45…滑走路に対し 45 度の角度で接近し場周旋回パターンに入ること。
- トランジェント・エリア…来訪者用駐機場。
- クラスB…巨大空港の周囲に設定された管制飛行空域。
- 2001年 6月16日 14:00−
N5151B 1.4h/87.5h 56th
前回の失敗に懲りて今回は 2:30PM にグライダーを予約する。しかし諸般の事情で飛行場到着は 2:00PM、しかも予約していた N5151B は燃料が殆どカラッポの有様。とても時間までに Holister には着けないと判断、電話を入れて予約を 4:30PM に延長してもらう。
出発は余裕を見て 3:00PM、31R から Right Downwind Departure で針路 120 へ。雲と視界不良に悩まされた前回と異なり、今回は 10 マイルも向こうから Holister が視認できる。トラフィックを聞きつつ CTAF を入れ、念のため上空で WindSock を確認したあと滑走路 28 へ Left-Pattern で降りる。
FBO の方へタキシーアウトしてゆくと、Guest Parking Follow the Green Line と書いてあってわかりやすい。駐機場には Holister 名物の P-51 マスタングが停めてあり、スカイダイバーの一行がピックアップを待っている。しかしグライダーの気配は何処にもない。
FBO の建物の周りを回ってみるが、やっぱりそれらしい場所がない。ハンガーに居合わせた人に聞いてみると、滑走路を渡った反対側だと言う。なるほどよく見れば掘建て小屋みたいなプレハブの周りにグライダーが停めてある。「飛行機に轢かれないよう気をつけなよ」との事、歩いて滑走路を横断するなんて初体験だ。
グライダーはタンデム複座の機体で、後ろに座るのはパイロットのスティーブ氏。グライダーは動力機にくらべ重量に敏感なので、体重を聞かれて補正分のバラストを機首に積み込む。グライダーを誘導路に押し出しシートベルトやキャノピー、エアブレーキの操作方法を教わる。風防の前に毛糸を付けた針金が立ててあり、これを使って横滑りを調べラダーで補正するとのこと。「動力機にくらべてラダー操作が敏感」だという。
突然、時ならぬレシプロエンジンの爆音が響き大きな双発機が飛び出してゆく。航空消火隊のグラマン TS-2A だ。続いてターボプロップの甲高い音とともに OV-10A ブロンコが出て行く。Holister が Warbirds マニアの巣窟だということは知っていたが、航空消火隊の基地でもあったとは知らなかった。土曜日に演習とはご苦労様と思っていたら、どうも様子がおかしい。どこか近所で山火事があったらしく本番なのだ。コクピットに収まってベルトを締め、グライダーの押し手も待機したまましばらく待たされる。
トラフィックの隙間を縫ってグライダーを押し出し、牽引機のロープが手早く結ばれる。キャノピーロックの合いが悪くてなかなか閉まらなかったが、外から押さえつけて貰ってロック完了。牽引機が走り出し、こちらもロープに引かれて動き出す。ゴロゴロというタイヤの音はすぐに消え、ふわッという感じで浮かび上がった。
今日は風が弱いわりに視界もよい絶好の飛行日和。遥か東の山脈の向こうからは野火の黒煙が上がっている。なるほど消火隊が忙しいわけだ。高度 4000ft まで上昇して牽引ロープを切り離す。後席のスティーブ氏が見本として旋回を見せてくれるが、牽引機もそれにくっついて旋回してくる。向こうの方が少し旋回率がよく、段々食い込まれて後ろに入ってくる所はまるで空中戦みたいだ。
直線飛行に入ったところで操縦交代。操縦桿を軽く動かしてみると、予想以上に敏感な反応が帰ってくる。思い切って旋回に入れると毛糸が流れ、機体は思いっきり横滑りを起こす。ついラダーでなく操縦桿で補正しようとしてしまい、バンク過剰となって空気の剥離する音が聞こえ操縦桿に震動を感じる。うーん、なんとデリケートな乗り物なんだ。でも面白い!機械のパワーで力任せではなく、本当に空気の中を滑っているみたい!飛行場南側にある Holister の町上空を飛び、何度か旋回して高度を落としたあとダウンウインド→ベース→ファイナルからタッチダウン寸前までコントロールを握っていたが、興奮していたので写真は一枚も撮れなかった。
まぁ、事故もなく終わって一安心。飛行機を停めたエプロンに戻り、まだ忙しそうな消火隊の合間を縫って飛び出す。クロスウインドに曲がったところでアプローチして来るトラフィックと交叉したが、互いに「Right Of Way」で右に回避して事無きを得た。2500ft で方位 300 へ飛び、いつものように UTC で高度 3000 に上げタワーにコンタクト、31R へ着陸する。グラウンドにコンタクトし Taxyway Zulu を通って NICE AIR に帰還、やれやれ…しかし最後の最後に大ポカをかます事になったのだが、まことに残念ながらここで紙面が尽きてしまった(えへへ)。本日のログタイム 1.4 時間。
- 2001年 5月27日 11:00−
N6321M 1.4h/86.1h 55th
今日は 20 マイル程南のホリスター(Holister)にグライダー試乗の予約を入れていた。しかし朝起きたら一面の曇天、気象情報を見たら 1:00PM 頃に晴れるという。12:00 のグライダーが飛べるかどうか微妙なところ、とりあえず 11:00 過ぎに RHV を飛び出す。シーリング 2500ft、しかも南に行くほど段々雲が低くなっている模様。雲下 500ft を飛ぶべく高度計と雲を交互に睨みながら高度を下げてゆくと、突然低い雲層に飛び込んでしまった。真っ白で何も見えない、慌てて 180 度旋回して雲から逃げ出す。これじゃとてもホリスターに近寄れない、サウスカウンティにでも降りてキャンセルの電話をかけようと引き返す。
サウスカウンティは 14 を使っていたが 32 から入ってトラフィックとヘッドオンするドジをかまし、慌てて 14 に入り直す。一度降りてタキシーバックしてみるが飛行機を停める場所がよくわからない。FBO の周りをウロウロしてたら胡散臭そうな目で見られるし、そうこうしている内に上空が晴れてきた。これならホリスターまで行けるかもと再び離陸、行きがけの駄賃に一度タッチ&ゴーをやって機首方位 120 度を目指す。
相変わらず雲が低く、2000ft を少し切る位の高度を這って行く。低高度の気流に揺さぶられながら飛ぶこと 10 分、霧の向こうにホリスターが見てきた。しかし雲が低くて TPA+1000ft に上がれない。UNICOM を呼び出して滑走路を聞いてみるが応答もない。こんな低高度で飛行場の周りをウロウロしてたら危なっかしくて仕方がない、もう少し距離を取ろうと南に機首を向けたら又もや雲に突っ込んだ。これじゃ危なくて着陸できないよ。あと 30 分か一時間もしたら晴れるんだろうけど…。
無理は禁物だと諦めて機首を翻す。相変わらずの低空飛行、視界は 3 マイル程度の MVFR コンディション。飛行機はひっきりなしに揺さぶられ、段々気分が悪くなってくる。天候の悪い時に無理して飛ぶことがどういう事なのか思い知らされる。雲が切れて青空が見えたときは本当にホッとした。少し高度を上げて UTC 上空 2500ft で RHV Tower にコンタクト、ストレート・インで 31L に降りる。結局グライダーは次回のお楽しみ…やれやれ。本日のログタイム 1.4 時間。
- 2001年 5月12日 09:00−
N25932 3.5h/84.7h 54th
免許を取っての初飛行。いきなり片道 110 マイルを飛んでクラスC(*1)のフレズノ空港に行き B-25 の編隊飛行(ドゥーリットル隊の記念行事)を見に行くという計画である。今週ずっとピーカンが続いていたのに、土曜日になって海から湿った冷たい風が吹き込み沿岸部に雲が出てしまった。気象情報を前にしばらく悩むが、時間と共に雲は南へ流れそうなこと、また沿岸スレスレ以外の天候が良いことから行くことにする。
離陸は 11:13 PDT。高度 3500ft で南へ向かいアンダーソン湖上空で東に針路を変えるが、すぐ下にびっしりと雲が張り詰めている。クラスE空域 VFR(*2) では雲上 1000ft は確保しなければならないので、念のため 5500ft にまで高度を上げる。サンルイス湖を超えたあたりで雲層が切れ、スロットルを絞って 3500ft に高度を戻す。大体プラン通りに飛んでいるが、CLOVIS に合わせた VOR の針が右に振れているのが気にかかる。チャートを引っ張り出し現在位置と見比べてみるが、そんなに予定コースから逸れている気はしない。そもそも CDI が右に振れているのって、コースから右に逸れているんだっけ?それとも左?三割頭で考えるが何だかハッキリしない。とりあえず方向は間違っていない筈なので、VOR からズレたまま現針路を維持してみることにする。
12:15 PST、フレズノから約 20 マイルに接近。ATIS を三回繰り返して聞き必要な情報を全てメモったあとアプローチにコンタクト。トランスポンダコード 0475、高度 2500ft を指示される。アプローチ手順のドタバタを済ませふと顔を上げると、「…ここは何処?」。
ATC に忙殺されたほんの数分の間に機位をロストしてしまった。チャートと見比べようにも、右を向いても左を見ても畑と運河ばかりの単調な地形でビジブルリファレンスがない。VOR は…最初からズレた状態で飛んでたから当てにならない。EL NIDO VOR と CLOVIS VOR から FROM ラディアルを求める交差法を試みるが、焦っているのでうまくゆかない。と言ってる間にアプローチがまた高度・ヘディング変更を指示してきた。さぁパニックである。VOR による標定を諦め窓の外とチャートを首っ引きでリファレンスを探す。そこにある道はこれじゃないのか?向こうにモヤモヤと見えるのはフレズノ・ダウンタウンじゃないか?迷ってなんかないさ…このまま真っ直ぐ飛べばいい、と悪魔の囁きが聞こえる。危ない危ない、迷ったときはまず正直に「迷った」と自覚することが大切なのだ。ましてここはクラスCエアスペース、先ほどセットしたコード 0475 が管制官のレーダーに表示されている筈だ。遠慮せずに聞いたらいい。
「Fresno apploach, Cessna 25932, give me vector to the airport.」
「Cessna 25932, heading zero-five-zero.」
と言ってるうちにフレズノダウンタウン上空に達し、アプローチから管制塔に制御が渡される。ベクターは貰ったものの相変わらず機位は定かでなく、飛行場がどこに有るのかもよくわからない。右前方に見えてきた滑走路、あれがフレズノか?フレズノの西南にはフレズノ・チャンドラーというノンタワー空港があり、紛らわしいことに同じ向きの滑走路二本が同じように並んでいる。あの見えてる奴はどっちだろう?クラスCにしては小さいような気がするが確証がない。
「Cessna 932, is airport insight?」
「I'm not sure...I'm confusing there is two airport. Please give me direction.」
「Cessna 932, change heading zero-one-zero. Also take caution a C-130 is taking off from runway 29R.」
「Airport insight, cessna 932.」
「Cessna 932, you are clear to land runway 29L.」
29L…と言われてもどっちからどう回るんだ?空港が広すぎ、滑走路がどう伸びているのかよくわからない。わからないまま近づいてゆくとまた管制塔から「どっちに飛んでるんだ、早くダウンウインドに回れ!」と指示を受ける。あううぅ…やっと空港の形がわかったので慌ててダウンウインドに回る。危なっかしい飛び方が気になったのか、「あんたは今 29L のダウンウインドに居る。左手の管制塔が見えるか?」とまで声をかけてくれる。うぅ、悪かったよぉ、免許取りたてのソロでクラスCなんかに飛んで来る奴が悪いんだよぉ。
冷や汗タラタラ、喉カラカラの状態で 29L に着陸。グランドに周波数を渡される。さすがクラスCは広くどの誘導路が何処に通じているのかよくわからない。しかも B-25 がランナップしているのかフォーメーション確認の通話がグラウンドで行われており、ちっぽけなセスナに一々構ってくれない。右と左を聞き間違えたりのドタバタのあとようやくトランジェントエリアに駐機する。ラジオオフ、エンジンカット、這い出すような気分で機外に出る。あぁやれやれ、何とか到着したな。…ん?!
「…フライトプラン閉じるの忘れた!」
公衆電話は何処だ?FBO(*3) は何処にあるんだ?嗚呼マーフィーの法則、FBO のビルは遥か 500m 先にある。よりによってトランジェントの一番端に停めてしまったのだ。こんな時携帯のエアバンド無線機か、せめて携帯電話でもあればと思う。やっと電話を見つけてまたトラブル、フライトプランを機内に置いてきたうえ機体番号が思い出せない。N23954…だっけ?N25932?!乗りなれた 6321M や 24373 ならともかく、今回は始めての機体だったのだ。シドロモドロで FSS に RHV-FAT のプランを告げ、クローズを確認してもらう。ふぅ、やれやれ…。滑走路 29R からは丁度 B-25 が離陸し始めたところだった。エアショーには丁度間に合ったようである。しかし、まだ帰りのフライトがあるのだ…。
離陸のときもグラウンドで一悶着あったが、16:05 に何とか離陸。「Below 2000ft」を指示されたので 1900ft まで上がったら「何処まで上がる気だ、2000ft 未満と言ったろう!」と叱られた。落ち着いて考えればわかる事だが、高度計にも誤差があるので「2000ft 未満」という事は 1500ft と理解するべきなのだ。こんなスカポンタンを繰り返しやっとクラスC脱出…したと思ったらまたロスポジである。一体ここは何処だ?!来たときよりは落ち着いて考えてみる。空港からこの角度で出て、左に見えてる川がこれで、VOR の角度がこれだから…ふと右下に滑走路が見える。どうやらマデラ空港らしい。
これで位置を特定できたと安心してコースに乗り、改めて計器をチェックし直すと…ん?!燃料針がいささか心許ない。左は半分強、右はフラフラ揺れながら半分を切る位の値を指している。何故?!セスナの燃料は約 23 ガロン、燃費約 5.1 ガロン/時で約 1 時間半の飛行だから、無給油で往復飛んでもまだ1時間以上燃料が残る計算だったのに?!燃料計算を頭っから信じてフレズノで給油して来なかったことが悔やまれる。しかし、またあのクラスCに戻って給油するのも憚られる。このまま飛んでも大丈夫じゃないか?ALOFT の情報によれば帰りは追い風の筈だし、ひょっとすると燃料計の調子が悪くて実際の残量より少な目を表示してるだけかも?!
いかんいかん、また悪魔の声に耳を貸しそうになる。とりあえずチャートを出して FBO のある空港(*4)を探してみるが、あいにく山を超えてサウスカウンティかホリスターまで行かねば給油できそうにない。先ほど飛び越したマデラが一番近いようだ。悩むことしばし、やはり給油してゆくべしと機首を翻してマデラに戻る。でも、これ本当にマデラなの?すっかり航法に自信をなくして疑心暗鬼。滑走路が二本V型に交わってるけど、他にこんな空港無いよなぁ…近づいてゆくと紛うことなく「MADERA」の文字が地面に描かれているのが見えた。やっと安心し CTAF をかけて 30 に降りる。
降りたのはいいが、空港はまるで人気がない。無人の給油島がポツリとあるだけである。ぐわぁ、セルフ給油なんてやったことないよー(ToT)!と嘆いても仕方ない、今回の初フライトは初体験ばかりである。飛行機をエッチラオッチラ引っ張って給油島に持ってゆき慎重にアース線を取る。そして給油器のホースを取り…何これ。80オクタン?!冗談じゃない、こんなもん入れたらエンジンが焼きついちまう!落ち着けばわかるのだが、給油島は黄色=ケロシン、赤=80、青=100と色分け区分されているのだ。また飛行機をエッチラ押して青のコーナーに持ってゆき、やっと念願の燃料を入れる。出発前確かに満タンにした筈なのに 10 ガロン強も入った。正味1時間強しか飛んでないのに 10 ガロンも食ったの?オーバーリッチ(*4)で飛んだ記憶もないけど…。
燃費に疑問を抱きつつ、燃料満タンでマデラを離陸。4500ft にレベルオフした所で今更ながらフライトプランオープン。今度は迷うこともなく、機位を保ちつつサンルイス湖まで戻ってくる。左手に見える Cathedral Peak の向こうは雲海に包まれているが、RHV までのコースは晴れているようだ。いつものように UTC 上空でコンタクト、31L に向かってアプローチするが 3 マイルレポート点で 31R に振り替えられる。免許取得まで 200 回以上降りた滑走路だけに余裕をもって着陸、今度は忘れずグラウンドにフライトプランクローズを依頼する。
…というわけで、免許取得後の初飛行はドタバタとスカポンタンの連続ながら無事に終了いたしました。肝心のエアショーの写真は整理でき次第「博物館紹介」のコーナーにアップします…。
* 脚註
- クラスC…商用エアラインの出入りする大型空港。
- クラスE空域 VFR…高度 18000ft 未満で無線の通じる空域は全てクラスE。この中では雲上 1000ft、雲下 500ft、水平距離 2000ft、視界 3 マイルが「VFR Weather Minimum」と規定されている。
- FBO…Fixed Base Operater。空港に常駐しているサービス業者。
- FBO のある空港…チャート上では滑走路マークの周囲に十字の突起を持つことで示される。
- オーバーリッチ…過給器のないエンジンでは高度上昇に伴い薄くなった空気に合わせ混合気も薄く(リーン)する必要がある。これを忘れると燃料の過剰供給(オーバーリッチ)となり、プラグが汚れたりしてエンジン不調の原因になる。
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