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ロッキード P-38 ライトニング(Lightning:電光) 双発双胴の高速重戦闘機

P-38J(14.5K)P-38J
後期量産型の P-38J。H 型以前に対し過給器インタークーラーとオイルクーラーが一個所にまとめられ、スピナー下の「アゴ」部分が大型化したのが外見上の特徴(それ以前は主翼前縁内部に過給気経路があり冷却を兼ねていた)。ドイツパイロットから「尻尾の裂けた悪魔」と呼ばれ、日本パイロットから「目刺し」と呼ばれた独特の双発双胴形態がよくわかる角度。エンジンポッド後上面の凹部は排気タービン、その後方の張り出し部はラジエター。

写真提供:US Air Force Museum


 P-38 は米空軍初の双発戦闘機であり、この種の機体としては最も成功したものと言えます。1930 年代後半にはいわゆる「戦闘機不要論」が流行し、世界各国で双発複座で後方旋回銃を持った軽爆と戦闘機の中間的な機体が製作されていましたが、1937 年に設計が開始された Model 22-64-01…のちの P-38…は二基のエンジンパワーを最大限に利用することで「最高速度 400mph(644Km/h)を超える」ことを目標にしていることが他の双発戦闘機と大きく異なっていました。1938 年 12 月に完成した試作機 XP-38 は狙い違わず高度 20000ft(6096m) で 413mph(665Km/h) という高性能を発揮し軍関係者を狂喜させます。しかし独特の双胴形式がもたらす尾翼のバフェッテイング(振動)に悩まされましたが、1939 年には一通り問題解決のメドもつき、量産型 P-38 66 機が発注されています。P-38 は中央胴体先端に密集した 12.7mm 機銃四挺と 37mm 機関砲一門という重武装を誇りましたが、37mm 砲の装弾数 15 発は実用的でないとされ、のちの量産型では 20mm 機銃(150 発)に換装されています。

 重く大柄な P-38 は必ずしも運動性に優れた機体ではありませんでしたが、双発の余剰馬力を活かしたダッシュ力と優れた急降下性能を活かせばより俊敏な単発戦闘機とも互角以上に戦えました。P-38J の後期生産型からはジェット機なみの油圧エルロンが導入され、双発機にも関わらず米空軍中最もロールの速い戦闘機となっています。しかし一撃離脱に徹した機体は爆撃機を密着援護して守るのには向かず、また排気タービン付きの左右逆回転エンジンは整備上の難物でもありました。P-47P-51 など航続距離の長い新鋭単発戦闘機が登場すると P-38 は対戦闘機任務から下げられ、爆撃・艦船攻撃・偵察などの任務に回されています。高速で航続距離の長い P-38 は戦術偵察にもうってつけの機材であり、偵察専用型の F-4/F-5 も多数生産されています。また少数の P-38 は機首武装を取り外して爆撃照準機と爆撃手席を設けた複座の精密爆撃型「ドループ・スヌート(Droop Snoot:透けっ鼻)」に改造され、爆撃編隊を誘導する目標指示機パス・ファインダー任務に使用されました。

(文・ささき)

P-38M(18.2K)P-38M
P-38L を改造し複座にした P-38M 夜間戦闘機。機首下面ポッドに下げているのは AN/APS-6 レーダーで、主翼下面にもアンテナらしき物が見える。銃身が長く見えるのは銃口に閃光隠蔽器を装備しているため。この写真ではわかりにくいが、後席は人ひとりがやっと入れる空間しかなく非常に狭い。P-38M は日本降伏直前に実戦投入され、ごく短い期間作戦に従事しただけだった。

写真提供:US Air Force Museum



緒元(P-38L)
製作1937年
生産数10037(全タイプ合計)
乗員1
全幅52ft(15.85m)
全長37ft 10in(11.5m)
全高12ft 10in(3.9m)
主翼面積328ft2(30.5m2)
乾燥重量12800LBs(5806Kg)
全備重量17500LBs(7938Kg)
武装12.7mm 機銃×4+20mm 機銃×1(機首)
発動機アリソン V-1710-111 液冷12気筒+排気タービン 1475hp
最高速度414mph(666Km/h) 高度 25000ft(7620m)
実用上昇限度40000ft(12192m)
航続距離2260ml(3637Km) 増槽使用時

P-38 サブタイプ一覧
サブタイプ生産数特徴
XP-381試作型、プロペラ内回り
V-1710-11/15(1150hp)
YP-381量産先行型、これ以降プロペラ外回り
V-1710-27/29(1150hp)
P-3830初期量産型 エンジンは YP-38 と同一
37mm 砲装備
XP-38A1P-38 の一機を改造、与圧コクピット付き試作型
P-38D36P-38 の小改良型 防弾タンク装備
P-38E21037mm 砲を M1 20mm 機銃に換装
P-38F527E 型のエンジン強化
V-1710-49/53(1325hp)
P-38G708F 型のエンジンを更に強化
V-1710-51/55(1325hp)
P-38H601G 型のエンジンを強化
V-1710-89/91(1425hp)
20mm 機銃を M1 から M2 に変更
P-38J2770後部胴体・ラジエターの設計変更
P-38K1高々度向けエンジンの試験搭載、幅広プロペラ
V-1710-75/77(1425hp)
P-38L3923J 型のエンジン強化
V-1710-111/113(1475hp)
P-38M75P-38L を改造しレーダーを積んだ複座夜戦型
F-497P-38E の偵察型
F-5A180P-38G の偵察型
F-5B200P-38J の偵察型
F-5C123P-38J 改造の偵察型

★おまけコラム:サン・テグジュペリ最期の飛行
 「人間の土地」「星の王子さま」などで有名な作家のアントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ(Antoine De Saint-Exupery)は著名な飛行家でもあり、第二次大戦中は自由フランス軍の航空偵察員として従軍していました。「祖国が踏みにじられるのを黙って見ていられないが、人殺しはしたくない」というのが偵察員を選んだ理由だそうです。愛国心だけは誰にも負けないと自他ともに認めるサン・テグジュペリでしたが、独創や独断を嫌う軍隊のなかで、兵士としての評価はあまり高いものではなかったそうです。
 1944 年 7 月 31 日、故郷リヲンの偵察にロッキード F-5B を駆って飛び立った彼は二度と地上に還ることがありませんでした。長らく行方不明とされてきましたが、ドイツ側の交戦記録が発見され、交戦記録に基づいた海中捜索によって F-5 の残骸や彼の所持品と見られる遺品が発見されたことから、戦闘によって撃墜されたことは間違いないと考えられています。彼の代表作「星の王子さま」最後のシーンが彼自身の最期を予言しているように思うのは考えすぎでしょうか…誰よりも空と祖国を愛した男、サン・テグジュペリは享年 44 歳でした。


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