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零戦のない世界 にも。 20/5/10(日) 18:55
┣ 局地戦闘機という迷路Re:零戦のない世界 にも。 20/5/10(日) 21:41
┃┣ (かくありたかった)日本海軍主力戦闘機開発工程Re:零戦のない世界 にも。 20/5/10(日) 22:00
┃┗ リソースの調達先は? 冷泉 20/5/16(土) 8:27
┃┗ 中島十二試艦上戦闘機(通称栄戦) にも。 20/5/16(土) 23:20
┃┗ Re:中島十二試艦上戦闘機(通称栄戦) 冷泉 20/5/17(日) 21:46
┣ Re:零戦のない世界 金星ファン 20/5/16(土) 19:31
┗ 三菱でも中島でも同じ 20/5/24(日) 14:25

零戦のない世界
 にも。  - 20/5/10(日) 18:55 -
  
Ans.Q航空機関係
http://www.warbirds.jp/ansqn/ansq01.cgi
の1468番の質問に
>十二試艦戦の競争試作について中島飛行機が辞退したとの事実は零戦を扱った書物にはよく見られますが。逆に中島側の機体を扱った書物には見られません。
>また過去ログを拝見させていただきますとA6N1が実物大模型製作後、辞退に至った旨の記載があります。
>この時の辞退に至った中島側の事情や経緯についてご存じでしたらご教示下さい。
>ザネリ
>中島十二試艦戦の機体主任は井上真六技師だったろうと推定してるのですが、井上技師は中島での十二試艦戦中止の後、十二試二座水偵を受け持っています。
>つまり、海軍の試製能力標準で定められた中島社の同時試製能力からすると、同時に小型機2機種の試製は行い得なかったので、二座水偵に人手を回さざるを得なかったわけです。
>片
とあります。簡単に検索した範囲では中島十二試艦戦A6N1についての過去ログは
http://www.warbirds.jp/ansq/1/A2000949.html
があり、また海軍の側に栄か瑞星を十二試艦戦の主機としたい意向が強く
三菱十二試艦戦A6M1の主機を金星とする案は
当初から十分に検討される事が無かったと
http://www.warbirds.jp/ansq/12/A2003126.html
http://www.warbirds.jp/ansqn/logs-prev/A001/A0004078.html
にあります。
史実の、
「瑞星のち栄を主機とする三菱十二試艦戦A6M1」
では無く、
1.「最初から金星を主機として設計された三菱十二試艦戦A6M1
(以下「金星戦」と呼称)」を単独指名
2.「栄を主機とする中島十二試艦戦A6N1(以下「栄戦」と呼称)」を単独指名
3.十二試艦戦は中島の栄戦と三菱の金星戦とで競争試作
の何れかを選んでいれば、
(史実通りに昭和十六年十二月〇八日に起こされると仮定する)
大東亜戦争の、特に序盤中盤に於いて
海軍航空隊は必要な性能の戦闘機をより確実に入手出来、
より良く戦えるのではと、考えます。
引用なし
パスワード
<Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Geck...@ntokym087146.okym.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp>

局地戦闘機という迷路Re:零戦のない世界
 にも。  - 20/5/10(日) 21:41 -
  
栄を主機とする三菱A6M1、即ち史実の零戦に代わって
1.栄を主機とする中島A6N1、即ち「栄戦」
2.最初から金星を主機として設計された三菱A6M1、即ち「金星戦」
3,栄戦と金星戦の両方とも採用
の何れかが
(史実通りに起こされるなら)大東亜戦争序盤の
日本海軍航空隊の主力戦闘機に成る訳ですが、
史実の大東亜戦争で中盤以降問題となったのは
日本海軍の艦上戦闘機が零戦の1ラインしかなく
零戦が陳腐化しても
零戦を主力戦闘機として使い続けざるを得なかったことです。

九六式艦上戦闘機は当初
空母からの運用を要求されない九試単戦として試作されました。
にもかかわらずその後継機を選ぶに際し、
主機の空冷星形エンジンの直径を厳しく制限するなど、
実際には害だった厳しい制約を課し
それと並行して
「局地戦闘機」「乙戦」と云った
「空母に載せない」という触れ込みの戦闘機を作らせる。
局戦乙戦に投じられるリソースを、艦上戦闘機(主力戦闘機)の
世代を半歩進ませた2ライン目以上に適切に回せていれば
陳腐化した零戦しか戦闘機がないという事態をより避け得た筈です。
雷電で検討され紫電改で実際に行われた様に
局地戦闘機を空母で運用するのなら、
艦上戦闘機(主力戦闘機)の2ライン目以上を
きちんと育成するべきだったのです。

若し十二試で栄戦が艦戦として採用されたなら
十三試〜十四試で火星、乃至熱田を搭載した
2ライン目の主力戦闘機(艦上戦闘機)を。
機体の開発元は、
栄戦、そして十五試〜十六試での誉戦を担当する中島が、外れ
十二試艦戦で金星戦が並行採用されているなら三菱も、外れる。

若し十二試で金星戦が艦戦として採用されたなら
十三試〜十四試は火星戦乃至熱田戦(但し三菱以外が開発する)に加え
中島のハ5戦(艦上鍾馗、乃至局地鍾馗)が参加し得ます。
尤も、
十五試〜十六試艦上戦闘機(主力戦闘機)に誉戦で参加すべき中島は
十三試〜十四試艦上戦闘機(主力戦闘機)は出来れば見送るべきでしょう。
栄を積む栄戦より金星を積んだ金星戦の方が性能向上の伸び代がより大きく
その分十三試〜十四試主力戦闘機の必要性がより減じてる事も、あります。
引用なし
パスワード
<Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Geck...@ntokym087146.okym.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp>

(かくありたかった)日本海軍主力戦闘機開発工程...
 にも。  - 20/5/10(日) 22:00 -
  
十二試艦上戦闘機:栄戦、金星戦
十三試〜十四試艦上戦闘機(主力戦闘機):火星戦、熱田戦、ハ5戦(艦上鍾馗)
十五試〜十六試艦上戦闘機(主力戦闘機):誉戦、ハ42戦
引用なし
パスワード
<Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Geck...@ntokym087146.okym.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp>

リソースの調達先は?
 冷泉  - 20/5/16(土) 8:27 -
  
にも。様
議論に参加させていただきたいと思います。

にも。様の主張は、史実より艦上戦闘機開発を重視すべし、というものでよろしいでしょうか。
しかし史実を追えばすぐわかる通り、日本は陸海軍共に航空機設計陣のマンパワーが不足しております。何かを史実より優先するのであれば、史実で実施された何かを諦めなければなりません。
ついては、以下の点についてご意見をお聞かせいただきたいと思います。

1.艦上戦闘機開発のために、犠牲になる機体は何でしょうか。
2.史実では実行された他機種の開発が、艦上戦闘機に振り替える論理は何でしょうか。

特に2.なのですが、史実が史実のように進んだことには、それなりの合理性があるはずです。にも。様の想定する世界に進むためには、誰かが「史実通りじゃ駄目だ」と気づく必要があります。その気づきは誰によるもので、何から得たものなのか、非常に興味があります。
以上のことを考慮せず、「後知恵を使ってもいいから最適解を得たい」というのが議論の趣旨であれば、それでも結構です(そういった議論も好きです)。
引用なし
パスワード
<Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Trident/7.0; rv:11.0) like Gecko@h014-014-178-169.gd.netyou.jp>

Re:零戦のない世界
 金星ファン  - 20/5/16(土) 19:31 -
  
仰るような二ライン目の艦戦は零戦に金星装備で容易に得られるので、別々の機体を開発する意義はないと思います。
金星装備機と瑞星/栄装備機で寸度が大きく変わるというような堀越技師の言説こそまず疑うべきもの。
十二試艦戦の設計は瑞星で始めるしかなくても、その後の換装された栄は金星四六型と同時期の登場ですから、時期的にも常に栄と金星の二本立ては零戦で可能でした。

栄と金星の重量差はほとんどありません。
栄一二型と金星四六型は30kgしか違わない。栄二一型と金星五一型ならば70kg、
栄三一型はなんと金星六二型と同じ。
出力で同級の金星五〇型より当然重く、さらに水も必要なので燃費の利点も打ち消し、トータルで重量が嵩む。しかも金星五〇型より遥かに劣後する出力しか、実際には出なかった。
栄三一型を搭載した事実を差し置いて、特に金星五〇型の燃費や重量を問題視することの無理がわかるでしょう。
海軍の本音はそこではないのです。

燃費はどうか?
燃費の悪化を考えても例えば一号零戦に金星四六型装備でも燃料タンクを増量しなくても十二試艦戦の計画要求書の水準は満たせます。
栄三一型と金星五〇型では、水を搭載する必要の有無から、同じ全備重量ならば航続距離が大きく変わりようもない。
史実では零戦は燃料と水合わせて機内720L(零戦六四型の燃料650Lと水70L)まで増やせたわけですが、金星五〇型ならば全部燃料でいい。
発動機と姿格好の似た彗星三三型とと同じく巡航200ノット、燃費135L毎時ならばほぼ零戦二二型に劣らない距離になります。
十四試局戦を一休みして二号零戦を本格的に設計してれば、この程度はできたでしょう。
ただ、行動半径を500浬欲しければ、金星零戦向けには、増槽は450Lくらいのものを新規開発する必要があります。

直径が増えることはどうか?
外翼部に7.7ミリを移設する必要はありますが、零戦六四型での実例を見るまでもなく換装自体は全然難しくない。その程度の差です。

逆にその程度の手間をかけることすら嫌われるほど、海軍は艦上戦闘機という機種を軽視していたのでした。
基地航空隊に比べて軽んじられていた。
また、基地航空隊の主力もどんなに早くても昭和18年末までは零戦しか有り得ない、という当たり前の判断力を奪うほど、艦上機というのは陸上機より劣るという観念は強かった。
これは第二次上海事変の戦訓として残された<敵の陸戦が我が陸攻を撃墜してるのに我が艦戦が敵の爆撃機に苦戦したから艦戦は遅い、陸上戦闘機が必要>という古い話が、お偉い軍令部の出したペーパーであったせいか零戦の登場後も終戦まで(そして海軍贔屓のミリオタにも)生き残ったものでしょう。
役所の中央でしか通用しない過去の文書の文言が現実より重視される日本にありがちな現象です。
ともあれ海軍戦闘機隊の苦戦の原因は全てそこにあります。
金星装備をしないということは、栄の生産数の分しか戦闘機の数が揃わないということですから、数で容易に圧倒されてしまったのでした。

実際に金星装備の艦戦が現れず、栄との二本立てにならなかった理由は大きく二つ

まずは陸攻主義。陸攻主体で航空撃滅戦や艦隊決戦ができるという幻想でした。
十二試艦戦の瑞星からの換装は、金星の配当を九六陸攻二二型や九六陸攻二三型に振り向ける観点から議論もされなかったのでしょう。
二つめは十四試局戦への期待。十四試局戦の開発が始まると、三菱の設計能力や生産力を艦戦に回すのが嫌われた。

所謂金星が爆撃機向けというのも、発動機の機械的特性が爆撃機向けというより海軍が陸攻を可愛がって金星を回したがったというのが実態でしょう。
後の世に語られる屁理屈的な技術的要因でなく、全てお役所的なミームなのです。

支那事変以来の戦訓を無視した陸攻優先の生産計画と、艦上戦闘機という陸上戦闘機に対して弱そうな名前から観念的にもはや初飛行の時点から望みの薄い十四試局戦を追い求めた海軍のメンタル的な問題が全てでした。
合理的な事実からの演繹よりも部内の過去の文書の文言が一人歩きするのは役所ではよくあることです。海軍の航空行政は実際に亡国を招いた極端な例として歴史に残りました。
彼らは終戦間際になってようやく戦闘機第一主義に移行するべきだったと悔やんだ。
ともあれ、未だに陸攻主義から抜け出せない後世のマニアが彼らを批判できた筋合いでもありません。
いかにも、金星六二型以前の金星では換装の意味がないなどという、栄と金星の二者択一を前提としたマニアの捻くれた見解は、海軍の亡霊、陸攻主義が乗り移ってなければ出てきません。栄に加えて金星で零戦の数を用意しても良いのではないかという航空戦の実相に基づいた議論が、半世紀以上経った後知恵なのにできてないのですから。
引用なし
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中島十二試艦上戦闘機(通称栄戦)
 にも。  - 20/5/16(土) 23:20 -
  
大前提として、このような議論をする事自体が後知恵の産物です。
そして当時、当事者が史実の判断をした内的理由をきちんと理解できないのなら、
後知恵としても浅はかなだけの、意味の無いテキストにしか成り得ません。
後知恵は後知恵なりに、史実に対し誠実で在りたいものです。


史実の零戦に対する2つの対案のうち
「(最初から金星を主機として設計された)三菱十二試艦戦」については
「史実の零戦の金星への換装」という形で史実でもこのHPでも再三議論されており
故にこのスレではそれらを前提とし、
当スレでは上記の複数の開発ラインの流れの中の物として議論したいです。
具体的な機体としては
語られる事の殆ど無い「(栄を主機とする)中島十二試艦戦」をこそより議論すべし、とします。

Ans.Q航空機関係・1468番で片氏は中島十二試艦戦の機体主任は井上真六技師と推定し
井上技師が中島での十二試艦戦中止の後十二試二座水偵を受け持った事が
中島が中島十二試艦戦を辞退した理由ではと推測しています。
ヰキペヂアの記事に拠れば
中島十二試二座水偵E12Nの設計主務者は井上伸六で、
主翼の設計に内藤子生技師が開発した独自の構造解析法を用いたとの事。
中島十四試艦上攻撃機B6N、中島飛行機社内名称BKの設計主務者は松村健一。
実用機試製計画番号N-50改め中島十七試艦上偵察機C6Nの設計主務者は福田安雄。

中島飛行機が、十二試艦上戦闘機で栄戦、十五〜十六試艦上戦闘機で誉戦を担当する場合、
「犠牲になる」のは先ずやはり天山彩雲辺りになるのでしょう。
引用なし
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Re:中島十二試艦上戦闘機(通称栄戦)
 冷泉  - 20/5/17(日) 21:46 -
  
確かにこういった議論は、そもそもとして後知恵の産物ですね。それでもできるだけ史実に誠実でありたいという点は、私も一致するところです。


まずA6Nに絞って議論を進めさせてください。

史実では、A6N開発のリソースはE12Nへ転用されました。逆に言えば、A6はA6Mだけでなんとかなるという見通しがあったのでしょう。そしてA6Nが完成するためには、この認識が変わる必要があります。

「A6を三菱、中島両方に作らせたい」と海軍が思う理由として、私が思いつくのは十二試艦上戦闘機計画要求書案議事摘要に記されている、三菱、中島に対して事前に行われた計画質問に対する両社の回答です。それは
三菱:着速への要求を満たすのであれば、最高速度は250kn程度
中島:着速を無視すれば、最高速度300knも可
といったものでした。つまり三菱は艦上機としての性能を、中島は戦闘機としての性能を重視して回答したように読めます。
史実においては、この相反する性能を海軍が折衷し、1つの計画要求書として提示したわけですが、この折衷ができなかった場合、計画要求書が二つに分かれ、十二試艦戦が二本立てで進んだ可能性があったと思います。つまり、
A6M:史実の零戦と同じ、又はより主翼が大きい(=大航続力・低着速)の機体
A6N:300knの達成を求められた、主翼が小さい機体
といったものです。

A6Nが形になるとするならば、それは海軍が2通の計画要求書を作成し、三菱と中島にそれぞれ一社特命で発注した時ではないでしょうか。
そのA6Nは、キ44又はBf109のように主翼の小さい、史実のA6Mとは似ても似つかない機体になる、そのように考えます。
引用なし
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三菱でも中島でも同じ
   - 20/5/24(日) 14:25 -
  
ご認識がちょっと違うんじゃないかな、というところがあります。

三菱十二試艦戦の発動機は、「当初栄」「栄が難航して瑞星」「栄が完成したの栄」と変遷しています。これは海軍からの指示があってそうなっています。
仮に三菱ではなく中島が十二試艦戦を作ることになっていたとしても、同じ経緯をたどるはずです。

官側に金星の意思があれば、三菱であろうと中島であろうと金星装備になったでしょうし、実際にはその意思は貫かれていません。
「三菱だから金星が装備できる」というようなことが可能なら、十七試艦戦は最初から三菱が提案していたA20で進んだはずです。

私が先に書いた、
>つまり、海軍の試製能力標準で定められた中島社の同時試製能力からすると、同時に小型機2機種の試製は行い得なかったので、二座水偵に人手を回さざるを得なかったわけです。
というところを読んでいただければ、競争試作もこの時期にはすでにあり得なかったことがわかっていただけるはずと思います。
引用なし
パスワード
<Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko...@sp1-72-7-70.msc.spmode.ne.jp>

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