スファキアで兵員を満載した撤収部隊に少しでも強力な対空火力を与えようと、アレクサンドリアに拘置されていた防空軽巡カルカッタとコヴェントリーに出動命令が下されていた。※1第1次大戦型の軽巡洋艦を対空戦用に特に意識して改造した防空巡洋艦は、その強力な対空砲火で来襲する敵機を撃退する切り札となるはずであった。22日の戦闘でカーライルが撃破されたことはその信念をぐらつかせたものの、今や陸兵を詰め込んで対空戦闘もままならない撤収部隊の艦艇に代って、その頭上に濃密な弾幕を展開し、追いすがるドイツ軍機の攻撃を阻止することがこの2隻には期待されていた。
一方流石に息切れの気配を感じさせないわけにはいかないドイツ空軍も、稼動機の全てで英海軍のあらゆる意図を破砕しようと目を光らせていた。この日の未明にエレウシスの飛行場から既にお馴染みの第1教導航空団、第2飛行隊(II/LG2)のザウアー少尉が2機編隊でJu88を離陸させたのもそのためで、彼らは他の幾つもの編隊と共同してクレタ〜アレクサンドリア間の海域で索敵攻撃を実施するように命じられていた。編隊はギリシャから遥か遠く離れたアレクサンドリア沖にその機首を向けた。
この両者が遭遇したのは偶然としか形容の言葉がない。カルカッタ艦長デニス・リース大佐の指揮の下でキングの撤収部隊と速やかに合同しようとしていたカルカッタとコヴェントリーを、アレクサンドリアの西北約100マイルの海上でザウアー少尉はその視界に捉えたのである。
ザウアー少尉の2機編隊は翼を翻すと直ちに攻撃態勢に入った。2機の双発爆撃機と2隻の防空軽巡との決闘は一瞬で終わった。対空戦闘に特化したはずの防空軽巡側の敗北という形でである。
カルカッタは2発の命中弾を蒙り、それは両方とも致命的な損傷だった。艦は急速に沈没を始め、被弾から僅か数分で船体は完全に沈没した。急速な沈没の割に生存者は多く、372名の乗組員のうち艦長デニス・リース大佐をはじめ255名が僚艦コヴェントリーの甲板に引き揚げられた。
カルカッタの沈没はクレタ海上戦の終結を何より劇的な形で締めくくることになった。カルカッタは長い長いクレタ戦の期間中で最後に沈没したイギリス軍艦となり、同時に半年あまりに渡って続けられたバルカン方面に対する英伊独ギリシャ全ての艦艇の戦闘行動とその損失の最後のものともなった。※2
カルカッタは大改装でレーダーを装備し、高角砲を多数装備したイギリス海軍期待の防空巡洋艦であったが、それをもってしても航空機の前には惨敗としか言いようがない結果に終ってしまった。カルカッタの沈没は艦艇が単体では航空機に抗し得ないことをこれ以上ない形で実証したのである。
イギリス側にとって慰めになることといえば、キング少将※3の撤収部隊が無傷なままアレクサンドリアに帰投してきたことだった。島には守備隊の残骸が未だ取り残されていたが、カニンガムはこれを最後の撤退として乗船できた以外のものは切り捨てる決定を下した。この6月1日、カニンガムはロンドンの海軍省本部に対して地中海艦隊の現状を次のように打電した。−沈没、損傷、ないし極端に速度の低下さぜる艦艇は戦艦2、駆逐艦5のみ−。地中海艦隊は戦力の全てをすり潰してクレタからの撤退任務を終了したのである。