休む間も無くアレクサンドリアでは次の撤収便が用意されていた。第3次撤収部隊はスファキアへの第1次撤収に参加した同じ駆逐艦4隻である。ネイピア、ナイザム、カンダハル、ケルヴィンの乗組員たちは準備に追われ、それこそとんぼ返りのように9時15分、朝の海に出港していった。
駆逐艦はアレクサンドリアの港を出たばかりだというのに早くもドイツ機に発見されてしまう。第3次撤収部隊は帰投してくる第2次撤収部隊と入れ違いになるため、折悪しくパースを襲った空襲に巻き込まれてしまったのだ。
同じ第1教導航空団機によって12時30分、ケルヴィンが至近弾1発を見舞われて、至近弾によるものとしてはかなり大きい損傷を蒙り、他には、連日の酷使に遂に機械が悲鳴をあげたものか、カンダハルの機関が故障を起こしてしまった。以後の随行が不可能になったこの2隻はアレクサンドリアに引き返すことになった。
健在なたった2隻のオーストラリア駆逐艦ナイザムとネイピアは全速でクレタを目指し、スファキアにたどり着くなり将兵は乗船を開始した。なにしろ予定の半数の駆逐艦であるから文字通りの寿司詰めである。深夜2時30分にナイザムが698名の兵士を乗せて抜錨、それから30分遅れてネイピアが705名の兵士と共にスファキアを離れた。彼等がたった2隻となりながらも懸命にクレタへ向かった理由は、上の数の殆どがオーストラリア人将兵であるというこの一言で十分であろう。
スファキアを離れた2隻は2日前と同じように南東を目指したが、帰路に敵の空襲を受ける余計なところまで同じだった。朝9時、12機のJu88が将兵ごとネイピアを沈めようと断固攻撃してきたのだ。8発の爆弾が左舷側と舷側を掠めてネイピアの艦尾を叉挟するように落下した。至近弾の衝撃は物凄く、ネイピアは主機械と缶に被害が及んだ結果として20ノットに速力が低下した。
艦長アーリス大佐の号令で、お返しとばかりにネイピアからの対空砲火は1機を海に叩き落し、3機に損傷を与えて撃退した。この際どい道のりにもかかわらず、乗り込んだ将兵は1兵も失われることなく、1511名(1403名)全員がアレクサンドリアの土を踏むことが出来た。※1