フォーミダブル撃破さる

−切り札の喪失−

25日〜27日

今や状況を打開できる見込みがあると思われたのは空母だけだった。艦載機で周囲のドイツ軍航空基地を撃破して突破口を作り、次いでドイツ軍増強の生命線であるマレメの飛行場を攻撃するのである。

懸命の努力により、フォーミダブルに集められた艦載機はフルマー12機(第803、第806飛行隊)とアルバコア10機(第826、第829飛行隊)にまで増強されたが、この22機が圧倒的なドイツ空軍に対抗するフォーミダブルの、ひいては地中海艦隊の航空戦力の全てであった。

25日、フォーミダブルを含むA部隊※1はプリダム・ウィペル中将の指揮の下、戦艦クイーン・エリザベスとバーラム、空母フォーミダブル、駆逐艦9隻(ジャーヴィス、ジェィナス、カンダハル、ヌビアン、ヘイスティー、ヘリワード、ヴォイジャー、ヴェンデッタ及び艦名不詳1)の陣容でアレクサンドリアを出撃した。※2

A部隊は26日早朝にエーゲ海東部のカルパソス島(伊名スカルパント島)航空基地を攻撃するため接近した。この島には21日にエイジャックスを損傷させた第2急降下爆撃航空団第3飛行隊(III/StG2)の選抜隊、ジュノーを撃沈したイタリア空軍機以下の航空機が既に展開していたが、英軍の抵抗が未だ根強いへラクリオン地区を含むクレタ東部に有効な支援を与えるため、ギリシャのモラオイに展開していた前記III/StG2の残り全機と、同第1飛行隊(I/StG2)の大兵力が新たに集結しつつあった。アレクサンドリアとクレタの間を扼するこの島への兵力集中は、言うまでも無く英海軍にとって地中海東部の海上輸送を行う上での重大な障害となった。

26日未明、フォーミダブルからフルマー4機とアルバコア4機が発艦してカルパソス島の航空基地を攻撃したが、嫌がらせ攻撃ならともかく、この8機の攻撃による僅かな被害でまともな航空基地を機能停止に追い込むなど到底不可能なことだった。

姿を現した英空母に対するドイツ軍機の反撃は必至だった。攻撃後、A部隊は一撃離脱宜しく南方へ高速で離脱を開始したが、彼等が忘れていることがひとつだけあった、この海は「地中海」であり、周囲に敵の航空基地がある限り、絶対安全な逃げ場など何処にも無いという事実である。

フォーミダブルとその護衛艦は「忌々しい奴ら」の攻撃に備えて全神経を北の空に集中した。これは途中までは正しい対応のように思われたし、午前中一杯フォーミダブルを発艦したフルマーは来襲する敵機を必至になって撃退し続けた。しかしその後彼らは思わぬ方角からの攻撃を受けて愕然とする。「奴ら」はなんと南、アフリカからもやってきたのだ!

第2急降下爆撃航空団第II飛行隊長ヴァルター・エネッツェルス少佐は今年の1月に空母イラストリアスを痛撃したシュトゥーカ編隊の指揮官だった。その後彼と彼の部隊は航空団本隊とは別に、シュテファン・フレーリッヒ少将のアフリカ方面航空部隊隷下に編入され、実質的に同方面航空部隊唯一の攻撃戦力として砂漠の上空を駆け巡っていた。「マリタ」、「メルクール」作戦に当たっても同飛行隊は召喚されることなく、従ってこれらの作戦には関係なくロンメルの逆襲により包囲したトブルクに対する爆撃と、味方前線から隔絶された同地に燃料弾薬人員を海上から補給する英海軍の沿岸作戦艦艇に対する阻止攻撃を続けていた。

この日、エネッツェルス少佐が少佐以下20機の列機と共に洋上へ飛び立ったのもこの為であった。そして、沖の捜索から洋上に出て編隊がカソス海峡の真南、約250キロの海上までやってきたとき(時刻は正午過ぎ)、視界の端に駆逐艦数隻の姿を発見した。これが南方に向けて急速に退避してくるA部隊の、主力艦群を守る外周防御陣を形成していた駆逐艦だったのだ。

既に行動半径の限界に近かったが、尋常でない気配を察したエネッツェルス少佐は直ちにそのとき率いていた3個中隊の全機で駆逐艦を追い、その奥に空母の姿を認めると直ちに攻撃を開始した。「まさか」の南方からの攻撃に英艦艇乗員は遅れをとり、慌しく対空砲火が火蓋を切ってフルマーが事態を察した頃にはフォーミダブルの飛行甲板に2発の命中弾が叩きつけられ、オレンジ色の炸裂炎とそれを包み隠すような至近弾の水柱が立ち上っていた。

エネッツェルス少佐は4ヶ月間に2隻の同型空母を撃破するという快挙を成し遂げたのだが、偶然はそれだけではなかった。というのも、彼がイラストリアスを撃破したときの艦長デニス・ボード大佐が今度は少将に進級してこのフォーミダブルに乗艦していたからだ。地中海艦隊の空母群指揮官となっていた彼も、よもやまた自身の乗艦を撃破したシュトゥーカのパイロット達が、4ヶ月前にシチリア沖で自分の艦を散々に打ちのめしたパイロットと同じだとは思いもしなかったことだろう。

フォーミダブルのとばっちりを喰らった不運な艦もいた。駆逐艦ヌビアンはフォーミダブルの影になるような位置にいたのだが、フォーミダブルを狙えなかったシュトゥーカに攻撃されてもろに被弾し、直撃を受けた艦首が吹き飛んでしまった。このトライバル級駆逐艦は大がかりな修理のために12ヶ月間もドック入りすることを余儀なくされたし、2発の直撃弾と数発の至近弾を浴びたフォーミダブルも、前述のイラストリアスほど酷い損傷ではなかったものの、それでもアレクサンドリアで修理するには被害は余りに大きく、最終的にアメリカへ回航されて半年以上の修理期間を必要とする事態になった。

そして重要なことは、先にイーグルを本国に帰し、イラストリアスを手離し、そしてまた今フォーミダブルを欠いた地中海艦隊に遂に空母不在の事態が訪れてしまった事である。これより1年間、空母不在の地中海艦隊は敵制空権下の地中海で悪戦苦闘を繰り広げてゆくことになる。

日没を迎えたA部隊は夜の闇に紛れて戦闘海域を離脱した。切り札とも言えるフォーミダブルを撃破された今、戦艦と駆逐艦だけでこれ以上踏み留まったところで、何の益もなく余計な損害を出すだけなことは目に見えていた。それを裏付けるように翌27日、後退中のA部隊を長躯追いかけてきた第1教導航空団(LG1)機が襲撃、Ju88の1機が戦艦バーラムの4番砲塔に爆弾を命中させ、周囲に破壊と火災を巻き起こした。

フォーミダブルの出撃と呼応してクレタに増援を送り込もうという意図も破砕された、23日に一旦反転した輸送艦グレンロイがフォーミダブルの牽制攻撃に合わせて突入を試みたものの、やはりこの26日、ドイツ軍の急降下爆撃による阻止攻撃を受け、損傷を蒙って火災を発生させたからである。当然輸送は中止され、グレンロイはやむなくアレクサンドリアへ反転した。

※1
25日のA部隊(プリダム・ウィッペル中将)は22日のA1部隊(ローリングス少将)のものと別であることに注意。混同を避ける為に22日のA部隊については「A1部隊」と表記されることが多い。なお25日出撃のA部隊の戦力については「H.M.S.Barham ASSOOCIATION」によるが、同中には駆逐艦の艦名が8隻までしか紹介されていない。最後の1隻というのがどれで、どういう理由により記されていないのかは非常に気になるところである。
これは私見ではあるが、22日午後にA1部隊に合流した第10駆逐隊3隻のオーストラリア駆逐艦のうち、ヴォイジャーとヴェンデッタの2隻のまでが今度のA部隊の出撃に加わっていることを考えると、不足している残り1隻というのは、前記2隻と主に行動していたもう1隻、即ち駆逐隊旗艦スチュアートなのではないかと考える。他の駆逐艦である可能性については否定する根拠を持たないが、この件についてご存知の方が居られたら連絡をお願いしたい。
※2
この出撃の際のプリダム・ウィッペル中将の乗艦が定かではない。大改装を終えた最新装備のクイーン・エリザベスに乗艦していたと考えるのは容易であるが、これまでに何度か紹介している『雷撃』の文中には、著者チャールス・ラムがギリシャ派遣の際、バーラムの艦上で艦長のC・C・クック大佐と会話しているときにプリダム・ウィッペル中将が同席しているシーンがある。
加えて、同年中の11月18日のバーラム沈没の際にもプリダム・ウィッペル中将はバーラムに乗艦しており(プリダム・ウィッペルは生還、しかし前記の艦長C・C・クックは戦死した)、この二つの出来事の間も一貫してプリダム・ウィッペルがバーラムに乗り続けていたと考えることはそれほど荒唐無稽な予想ではないと思う。
傍証としてあげるなら、41年頭からこの時期まで第1戦艦戦隊司令官の地位にあるローリングス少将は、クレタ戦に際してウォースパイトを与えられるまで、常にバーラムに乗艦しているという事実がある。マタパン沖海戦でもウォースパイトの他にヴァリアントに乗るという選択肢があったにも拘らず、ローリングスは敢えてバーラムに座乗してこの海戦に参加している。
バーラムが司令官に愛用されているという以上の事実から。この時プリダム・ウィッペル中将が乗艦していたのはクイーン・エリザベスよりむしろバーラムの可能性が高いと私は考える。
◆飛:
あのね
◇烈:
ん?
◆飛:
一昨日、とっても期待持たせてフォーミダブルの登場煽ってたの、気のせい?
◇烈:
んー、そうだっけなー(惚
◆飛:
しらばっくれてんじゃなーいっ!!何よこのミッドウェーみたいな展開はっ!?
◇烈:
(ドカバキゲシッ)
◆飛:
期待持たせたと思ったら1章で終わりって、どういうことよ一体?!
◇烈:
イテテ…一体も二体も、本当にその通りだから俺を怒っても仕方ないんだって…
◆飛:
というか、なんで逃げ腰なわけーっ?!
◇烈:
いやぁ、既に更新時間を過ぎちゃっててさ(笑。急いで次章に行こうかと(汗
◆飛:
手を抜くなーーっ(ドタバタバタ