24日、カニンガムは本国からの参謀長会議からの要請に応える形で、ドイツ軍の空襲の規模がもはやクレタ島沖並びにエーゲ海水域におけるイギリス海軍の白昼行動を不可能なものにした、という状況判断の意見を述べた。
ドイツ軍の増援・補給海上輸送阻止の戦闘を継続することによる損害があまりにも大きく、地中海艦隊はこれ以上の損害をこうむる事に耐えられないと判断したためで、これは実質的にクレタ島海空戦における敗北を認めたものであった。
しかし、それに対する参謀長会議からの返事の内容は、艦隊及びイギリス空軍は、クレタにいるドイツ軍に援軍が到着するのを拒むために、いかなる損害をも甘受しなければならない、というものであった。言うまでも無くこれは地中海艦隊の置かれた現状からすれば無茶苦茶なもので、※1カニンガムの意見ではこれは、「事態の現実を捉えそこなった最も悲しむべきこと」であった。
ここで問題となったのは、この24日の時点におけるドイツ軍の増援・補給活動はJu52による空輸が全てであり、英地中海艦隊と空軍にはそれを効果的に阻止できる手段が無いことであった。
勿論空軍の部隊も、クレタ戦に関しては数において絶対的劣勢でありながらもありとあらゆる手段でドイツ軍を攻撃していた。エジプトから飛び立った空軍機が僅か数機という単位でも長躯マレメの飛行場を攻撃したし、特別の増加燃料タンクを搭載したハリケーンがヘラクリオンの戦場に飛んだ。しかし、このハリケーンMk1はクレタ上空まで到達したところでI(J)/LG2のBf109により3機を撃墜された。
イギリス空軍の努力もドイツ軍機の圧倒的な数による猛攻に較べれば与える影響はほんの微々たるものに過ぎず、大局の流れを捻じ曲げるにはあまりにも非力であった。海軍の、特にその水上部隊が目標としたのは独伊軍の海路からの輸送船団であったが、22日の夜戦でグレニーの部隊に一度撃退されただけで独伊軍の船団は姿を見せず、逆に警戒配置に付いた英艦艇が夜明けと共に空襲で叩かれるという事態が連続していた。
しかしドイツ空軍の空輸活動に対しては水上部隊に打つ手は無く、飛行場砲撃に有効なだけの火力を持つ巡洋艦の投入は、22日の経験を考えるに危険が大きすぎ、空輸主体のドイツ軍の増強にはお手上げという状態であった。※2
カニンガムの「損害をこうむることを恐れるのではなく、エーゲ海での軍事行動において決定的要因となるそれ相応の利益もなしに艦隊を無力にしてしまうような損害を避ける必要性があるのだ」という言葉は、地中海艦隊が抱えていたジレンマを明確に示している。
同時にこのやりとりは、ロンドンの海軍省が事態を客観的に眺める冷静さを失っていたことを明らかにした。何故なら、まさにこの日、ヨーロッパ大陸を挟んではるか北のアイスランド沖で、英国海軍の誇る巡洋戦艦フッド、メルセルケビルで仏艦隊を粉砕した殊勲艦が、まるでクレタ島攻略作戦と時をあわせるようにして出撃してきたドイツ戦艦ビスマルクとの交戦により撃沈―それも、劇的な爆沈という形で−されていたからである。クレタを巡る戦況がかように芳しくないこの状況下において、フッド轟沈の悲報は各地に強い衝撃をもたらした。
作戦行動中の艦艇においてもそれは例外ではなく、例えば先ほどのグレンロイでも、同艦の操舵手を務める一水兵ロフティ・アールはかつて自分が従兵として勤めていたフッド轟沈の衝撃に床に突っ伏して泣き叫んだほどだった。