まったくもって22日の戦闘はイギリス海軍にとって厄日というほかないものであった。この一日だけで 駆逐艦グレイハウンド、 巡洋艦グロスター、 フィジーが撃沈され、それに前日のジュノーの沈没を加えれば4隻になる。
損傷にいたってはそれこそ無数と言って良く、栄光ある地中海艦隊旗艦ウォースパイトは舷側をざっくり切り裂かれ、もう片方のヴァリアントにほとんど被害がなかったのがせめてもの救いと言えた。しかし巡洋艦のほうは ナイアドとカーライルがこれ以上作戦不能、オライオン やエイジャックスといった艦も作戦続行には差し支えないものの、連日の爆撃の影響やルポとの交戦によってどれも少なからず傷ついているのが現実であった。
そしてこの22日は、もう一隻の巡洋艦についてもイギリス海軍は悲痛な決定を下さざるを得なくなった日でもあった。スダ湾の ヨークである。
地上戦開始から2日間、スダ湾の東西地区で降下部隊対守備隊の死闘が続いたが、英連邦軍を始めとする守備隊はドイツ軍に大打撃を与えながらも、空路増強される敵に次第に圧倒され始めた。目の前の海上では友軍のイギリス海軍艦艇がドイツ空軍機に次々と撃破され、今や誰の目からみても、この激戦のど真ん中でヨークを修理することはおろか、離礁させることも不可能なのは明らかだった。
22日、ヨークの全ての救助作業は断念され、最終的な艦の放棄が決定された。※1ドイツ軍により捕獲され、敵の手で使用されることを避けるために、船体の主要部は二度と使用できないよう、このヨークの乗組員自らの手で爆薬により破壊された。
何れにせよ巡洋艦以上の大型艦を、白昼エーゲ海に遊弋させることが無謀であることは如実に示された今、空母フォーミダブルの戦闘準備完了までドイツ軍機の攻撃圏内に踏み入ることは論外とされた。
しかし、クレタ地上戦の戦況は山岳猟兵の投入以降ドイツ軍が優位を握り始め、マレメを中心とする西部地域において地歩を確実に固めつつあった。英軍がこの事態を放置すれば大規模な増援を送り込む事ができるようになるまでにクレタの勝敗が決してしまう。特にドイツ軍の給油口たるマレメ飛行場の破壊と、一旦は撃退したが依然その可能性がある海路からの重装備輸送の阻止は、断固として行われなければならないと考えられたのであった。
今やその任務は、ルイス・マウントバッテン卿の第5駆逐隊に課せられる様になった。戦艦や巡洋艦の活動が危険な敵制空権下であっても、小回りが利く駆逐艦であればそれを掻い潜って任務を遂行できる。それは第2次世界大戦で何処の国の海軍でも一度は同じ考えに立ち至り、そして莫大な損害を払って誤りであったと気付かされる陥りがちな錯覚の一つであった。
22日午後遅く、マルタ島からやってきたケリー、カシミール、キップリング、ケルヴィン、ジャッカルの第5駆逐隊は、クレタ南方海上の空襲可能圏外に踏みとどまっていたローリングスのA1部隊と合同した。他にも沈没したり、負傷者を救助して先行離脱した駆逐艦の穴を埋めるためにアレクサンドリアから、オーストラリア海軍のヘクター・ウォーラー大佐率いる第10駆逐隊の駆逐艦スチュアート、ヴォイジャー、ヴェンデッタがA1部隊に追いついて合流し、クレタ島南岸沖に集合した兵力は再び見かけの上ではかなり強力なものとなった。
しかしこの艦隊の実情は大半が対空砲弾を撃ち尽くした艦の寄せ集めであり、敵の空襲に対してとても前日前々日のような抵抗力を発揮できるはずもなかった。いきおい以後の行動は新着の部隊に任されることになり、同日日没後、マウントバッテン大佐は自隊から乗艦ケリーとカシミール、キップリングを率いて魔のエーゲ海に踏み込むべく北方に向かった。