南へ南へと走り続けるフィジーと2隻の駆逐艦に対するドイツ軍機(主にシュトゥーカ)の攻撃は執拗に続けられ、3隻はグロスターが落伍してから最後のその時まで続く4時間に20回以上の敵機の攻撃を撃退した。
高角砲弾を撃ち尽くしたフィジーは最早ドイツ軍機にとって燃え上がる標的艦と化したが、それでもなおアレクサンドリア目指して航行を続けていた。この騎行が遂に止まったのは18時45分のことである。この時フィジーはクレタ島の南岸からおよそ40キロの海上にあった。
雲間から1機のBf109爆装機が飛び出すや緩降下して、フィジーの舷側スレスレに搭載していた500ポンド爆弾を投下した。この機体がヘルベルト・イーレフェルト大尉※1の第2教導航空団第1飛行隊[戦闘爆撃機隊]I(J)/LG2所属機であったか、それとも前にウォースパイトを撃破した第77戦闘航空団第3飛行隊(III/JG77)所属機のどちらであったかは断言できない。
確かなことは、この至近弾の海中爆発により右舷水線下に破口を生じ、同時にダメージがA缶室にまで及んだフィジーは、それまでの全速力から一挙に17ノットにまで減速したことである。※2また艦の傾斜が始まった。
フィジーの乗員は驚嘆するべき努力でなお30分間この艦を走らせたが、19時15分、更に1機のドイツ機がフィジーを発見し、もはや空に対しては無抵抗のほかないこの艦に3発の爆弾を叩き付けてきた。※3
この被弾が長時間勇戦敢闘したフィジーに対する止めとなった、傾斜は急速に増してゆき、一時間後の20時15分、完全に転覆して沈没した。筏とボートを下して先に離脱していたカンダハルとキングストンが日没後になって現場にとって返し、艦から投げ出された乗員523名を救い上げた。フィジーの戦死者は士官16名と下士官兵228名であった。
今日一日の対空戦闘で自らも銃撃と爆弾の至近弾を無数に浴びたキングストンは少なからず傷つきながら、共に悲劇を目撃した僚艦カンダハルと共に、甲板を救助者で一杯にして日没後ようやくアレクサンドリアへと辿り着いたのであった。