マレメ飛行場突入

−ドイツ軍飛行場確保−

21日午後〜22日

この時、クレタ陸上の戦場に決定的な転回点が訪れていた。ラムケ大佐の部隊によりマレメ飛行場の滑走路一帯を確保できたことを知ったシュトゥデントは、リンゲル中将の第5山岳猟兵師団主力をここに投入してきた。山岳猟兵には落下傘降下の装備を持たないから、輸送機ごとこの飛行場に着陸させて地上に送り込むのである。

16時、増援の山岳猟兵大隊の一部を搭載したJu52の編隊が、飛行場周囲の英軍から放たれる激烈な砲撃と機銃掃射を冒して穴だらけの滑走路に着陸を開始した。この最初の編隊の数機は被弾して破壊され、その後も銃砲撃で撃破されたり、砲弾孔に足を取られて降着装置を折られる輸送機が続出したが、輸送されてきた第100山岳猟兵連隊の兵士により状況は劇的に急転し、17時にマレメの町は制圧され、ようやく輸送機は安全に飛行場に着陸できるようになった。

日没の前には第100山岳猟兵連隊(ウッツ大佐)の全部がマレメ飛行場に送り込まれて飛行場周辺の掃討を開始した。その翌日の22日、新たに西部集団の指揮権はリンゲル中将に移され、彼の第5山岳猟兵師団の残る3個大隊がマレメ飛行場に続々と到着してきた。

リンゲルはこの時のことを「マレメの状況は地獄の入り口のようだった」と後に報告している。着陸するJu52は3機に1機の割合で銃砲撃に破壊され、その数はここだけで80機にも達した。濃緑のオリーブ林の間に血のような赤土の滑走路が広がるマレメ飛行場には、脚を折り、あるいは黒焦になって骨組みだけを残すJu52の残骸が点々とする光景が広がっていた。

滑走路はこの1本しかないため、破壊された機体は鹵獲された英軍の戦車一輌を使って、着陸してくる次の輸送機の邪魔にならないように滑走炉の脇に押し出された。滑走路の両脇のありさまは「まるで飛行機の巨大な墓場のようだった」と戦史作家カーユス・ベッカーに書かれている。

フレイバーグは輸送機の強行着陸が開始される前、カニア付近に2個大隊を予備兵力として温存していた。これが21日の午後までにマレメ飛行場に投入されていれば、恐らくラムケ大佐は飛行場を持ち堪えることは出来ず、従ってクレタを巡る戦いの趨勢を大きく異なったものに出来ていたかも知れないし。

しかし、ここでもフレイバーグの足を引っ張ったのは海上侵攻の脅威という幻想だった。海路からの侵攻が逼迫していると考えたフレイバーグは※1、海岸沿いに約20マイル東のゲオルギオポリスからオーストラリア軍の援軍が到着するまでは、こちらの2個大隊は海岸警備のために動かすまいと決心してしまったのである。援軍の移動が終了したときにはもう手遅れだった。

皮肉にも、フレイバーグの意思を終始拘束したこの海路からの攻撃は、この21日の夜から22日にかけて英海軍の警戒部隊により撃退された。北の海上で繰り広げられる海戦の砲火の光は、遅れ馳せながらも夜襲によってマレメ飛行場を奪回しようとしていたマオリ族の部隊にも夜更けに目撃された。

このニュージーランド軍部隊は22日の未明にマレメ飛行場に迫ったが、防備を固めた新手の山岳猟兵によって撃退された。これが結果的に英軍のマレメ飛行場に対する最後の奪回のチャンスとなってしまったのである。以後ドイツ軍がマレメ飛行場を確保できることは確実となった。

では、マオリ族の兵士が目撃した海戦の光とはなんであったのか。

※1
フレイバーグの懸念は決して見当外れなものではない。それどころか21日中にカニア/スダ湾地区に海路上陸を試みるというのはドイツ軍の当初の侵攻予定計画ずばりそのものであった。
◇烈:
クレタ地上戦における山場といえる部分だね。
◆飛:
詳しくない部分だから、なおざりに済ましていません?
◇烈:
たはは、やっぱり判るか(笑。このあたりは日本にもご堪能な人がいらっしゃるから、任せるのも手かな、と。
◆飛:
とりあえず、全体の因果律を崩さない程度に書いておく、という感じだね。
◇烈:
そうだね、次回とその次の海上の山場を語る上で、この陸上戦の山場は無関係ではないし。
◆飛:
陸上戦と海上戦が交互にリンクしていくのがクレタ戦の特徴ですねー
◇烈:
と同時に、それは地中海戦争そのものの大きな特徴とも言えるね。
◆飛:
ご覧になられている皆様にはこれからも見難くわかりにくい展開でご苦労をおかけしますが
◇烈:
どうか気長に付き合っていただけると幸いです(ぺこり