1.概要
ホ5の後継を狙った20ミリ機関砲、
コルト方式(ブローニング方式)で、ホ5より弾丸重量のある(威力がある)ホ1の弾薬を当初500発毎分で後に、700発毎分で射撃可能な機関砲として開発に着手した。中央工業が試作を担当していたが、
終戦時テスト中で、まだ開発完了していなかった。終戦時、陸軍の指示により投棄されたが、昭和20年12月19日米軍によって回収調査された。
JAPANESE AIRCRAFT CANON (EXPERIMENTAL)によれば諸元は、重量36.6kg,初速780m/秒,発射速度毎分700発とされ、ホ5の諸元はそれぞれ37,750,750なので、弾薬重量の増加に狙いを絞っていたものと推定され、むしろ発射速度は落ちていたと推定される。
ORDNANCE TECHNICAL INTELLIGENCE REPORT NO.19によれば、88lb、初速2600ft、700発毎分、薬室圧力42650lb/in2、ベルト給弾、遊底式(bolt)、ブローニング式とある。
疾風の増加試作機の102号機右翼に搭載されていた機銃はこの機銃の可能性が高い。
2.使用状況
ORDNANCE TECHNICAL INTELLIGENCE REPORT NO.19によれば、「昭和18年にコルト方式で弾薬はホ1と同じ、発射速度500発/分として設計スタート、昭和20年には発射速度の増加も狙って、試作機の試験が進んでいましたが、終戦となった。」と有.る。
- 3.その他
- 4.参考文献
- JAPANESE AIRCRAFT CANON (EXPERIMENTAL)
- ORDNANCE TECHNICAL INTELLIGENCE REPORT NO.19
ORDNANCE TECHNICAL INTELLIGENCE REPORT NO.19に唯一残るホ12の写真、印刷された写真なので不鮮明であるが唯一の写真である。