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ファイル番号 内  容 写 真
アイコン HD-SCANER-syorei-198 松岡隊宇品出港時の記念撮影(17.3.20)、
「瘴癘の地ルソン」より 拡大写真
アイコン HD-SCANER-syorei-199 松岡隊出陣軍装検査時の撮影 S17.3 
戦車第2連隊(東部第九部隊)神社前にて、
「瘴癘の地ルソン」より 拡大写真
アイコン HD-SCANER-97R-120 パターンに出撃した臨時松岡中隊の637号車、車体に7の字が見える、この車両が鉄嶺に移動した時の写真が最後の写真である。 拡大写真
アイコン HD-SCANER-97R-121 M3への射撃試験に向かう、3台の97式中戦車改
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アイコン HD-SCANER-97R-122 射場で47mm砲弾を運搬する兵士
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アイコン HD-SCANER-97R-123 射撃されたM3           
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アイコン HD-SCANER-97R-127 47mm戦車砲に打ち抜かれたM3軽戦車、当時松岡中隊はこの戦車をM2A4と認識していた。チョークで書かれた800とか1000の数字は射距離である。 拡大写真   
アイコン HD-SCANER-97R-128 宇野少尉は最初に実戦参加した、47ミリ砲搭載97式中戦車部隊、戦車7連隊臨時松岡中隊の小隊長として、M3戦車への実射試験やパターン半島攻略に大活躍する。大発生し、猛威をふるったマラリアのため昏倒し、惜しくもコレヒドール島攻略戦には参加できなかったが、緒戦の功労者である。
宇野少尉は歴史の部隊にもう1度登場する。陸軍輸送潜行艇○ゆである。
昇進した宇野中尉は日本製鋼所の1号艇(海田1号艇から8号艇、ゆ1001と名称が変わった。)を指揮して伊豆半島に派遣され、下田市周辺から八丈島への輸送に従事したのである。
ゆ1001は艇長の宇野大尉が上陸中にグラマンに襲われ、撃沈されたのは終戦の数日前であった。
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アイコン HD-SCANER-syore-0195 臨時松岡中隊の中隊史「瘴癘の地ルソン」表紙
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アイコン HD-SCANER-syorei-0201 カロカン宿営時の隊員写真、指揮班の631号車、人物は白井俊伍長(操縦手)「瘴癘の地ルソン」より
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アイコン HD-SCANER-syorei-6 カロカン宿営時の隊員写真、「瘴癘の地ルソン」より
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アイコン HD-SCANER-syorei-7 カロカン宿営時の隊員写真、「瘴癘の地ルソン」より
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アイコン HD-SCANER-syorei-8 カロカン宿営時の隊員写真、634号車と高野伍長
「瘴癘の地ルソン」より
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アイコン HD-SCANER-syorei-9 カロカン宿営時の隊員写真、638号車と伊藤伍長
「瘴癘の地ルソン」より  
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アイコン HD-SCANER-syorei-10 カロカン宿営時の隊員写真、写るは栗田さん、車両は635号車か? 「瘴癘の地ルソン」より
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アイコン HD-SCANER-97-0250 カロカン宿舎拡大写真
アイコン HD-SCANER-syorei-200 .戦車第七連隊臨時松岡中隊の戦闘詳報
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アイコン HD-SCANER-97-0249-2 満州の鉄嶺駐屯地にて、637号車
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これらの写真は塾長が宇野寛さんから直接許可を受けて掲載している写真であり、無断利用および複写は禁じます。
        97式中戦車改の初出撃  2002.06.23

97式中戦車改の最初の実験参加は、パターン半島に派遣された臨時松岡中隊の10両である。松岡中隊はパターン半島を突破、コレヒドール島戦に戦車部隊として参加するなどの偉功を立てた。
小隊長以上の幹部として唯一の生存者の宇野寛(当時少尉)から各種情報(取材)と写真を頂いたので掲示する。これらの写真から嗚呼!赤い戦車が作られた。