02.11.23
量に対する考察
アームストロング社は明治23年に戦艦ビクトリアを竣工させるが、以来4年間は大型艦の建造を本家のイギリス海軍から受注することが出来なかった。しかし、明治27年5月に日本の戦艦八島をやっと受注すると、以来明治34年までに日本海軍の主力艦を7隻も連続して受注し、明治35年頃にやっとイギリスの主力艦の受注に成功している。
アームストロング社は、日本の主力艦の連続建造を通じて主力艦を建造出来る船台を3台に増やし、オイギンスと浅間と常磐を同時建造し、次に初瀬、出雲、磐手を同時に建造してい。日本では天下の三菱重工(戦艦武蔵建造)も川崎重工(空母大鳳建造)も戦艦を建造出来るような大型船台は当初1台だった。アームストロング社単独で主力艦建造用大型船台が3台というのは、凄い数である。
小野塚氏によれば、「アームストロング社のエルズィック造船所には船台が9つあり、そのうち2つ(8番船台と9番船台)が大型の装甲艦用のもので、装甲板など重い資材を運び込むために船台の脇まで引き込み線が伸びていたそうである。これ以外に6番船台も大きさからいえば500ft程度までの船なら建造できたようだ。
それはそうとして、日本とチリの主力艦の建造によって、アームストロング社は主力艦を建造出来る船台を、3台保有し、それまでのポーツマスやチャタムの海軍工廠を抜いて、1892年から1917年にかけてイギリス最大の建造量を誇った。この建造可能量の拡大は日本の主力艦群の受注無しにはあり得なかった事になる。
一例として、イギリスは第一次世界大戦が始まってから21隻の大型艦を新造して艦隊に加えたが、その内5隻はアームストロング社製であった。次はポーツマス工廠とビッカース・バローの2隻であるのを見ればいかにアームストロング社の建造能力が際立っていたかが判る。
何故かと言われると困るがイギリスの官営工廠の建造量はほぼ横這いなのに対して、民間の建造量は7倍になっているのである。イギリスの造船史を学びたくなってきた。
民間建造所の建造量比較
海軍工廠の建造量比較
海軍工廠 |
1871-1892 |
1892-1917 |
合計 |
ポ−ツマス工廠 |
390,500 |
28,260 |
418,760 |
チャタム工廠 |
186,635 |
327,580 |
514,215 |
ペンブローク工廠 |
127,100 |
81,436 |
208,536 |
デヴォンポート工廠 |
0 |
67,970 |
67,970 |
計 |
704,235 |
505,246 |
1,209,481 |
民間建造所 |
1871-1892 |
1892-1917 |
合計 |
テムズ鉄工所 |
126,460 |
21,070 |
147,530 |
アームストロング社 |
10,470 |
451,421 |
461,891 |
J&Wダッジョーン |
9,130 |
0 |
9,130 |
ビッカース |
0 |
273,416 |
273,416 |
J ブラウン社 |
0 |
199,155 |
199,155 |
フェアフィールド社 |
0 |
187,825 |
187,825 |
ベアードモアー社 |
0 |
113,670 |
113,670 |
その他 |
71,020 |
301,360 |
372,380 |
計 |
217,080 |
1,547,917 |
1,764,997 |
イギリス主力艦の建造量の推移