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番号 書名または
記事名
筆者 発行所 発売時期と価格 書評日 書 評
14 Japanese Aircraft Equipment

ISBN:
0-7643-2097-1
Mikesh A Schiffer
Millitary
History
Book
2004

11,609
税込み
2005.03.27 日本でも高名なミケッシュ氏が書いた日本の航空機の装備品の本。
機銃の解説は私の友人であるテッド・ブラットストリート氏が担当している。機銃の解説はホ3-20mm、ホ5-20mm、ホ401-57mmなど日本で初めて公表された写真が多く、いい解説になっている。計器類の写真も鮮明な写真が数多く収録されている。
   
13 日英兵器産業史

ISBN:
4−8188−1751−1
奈倉
文二

横井
勝彦

小野塚
知二
日本経済評論社 2005.02.25

5800税抜
2005.03.27 兵器生産に於ける海軍の雄「呉海軍工廠」と民間の雄日本製鋼所とイギリスの関わり合い、つまり創設の歴史を知るのに絶好の好著である。
12 文林堂
スピットファイヤ
山田智 文林堂 2003.11.5 2003.11.30 21ページに搭載機銃の解説があり「それまでのビッカース7.69mm機銃を高初速のブローニング社がライセンス生産するコルト社7.7mm(厳密には7.62mm)機銃に変更」と有る。
 まず機銃は通常ブローニング機銃と呼ばれており、強いて解説するならブローニング兄弟が設計したコルト社の7.7mm機銃となるが、コルト・ブローニング機銃と呼ばれる事は有っても、コルト機銃と呼ばれることは先ず無いので注意が必要である。
 次ぎに口径については、イギリスで用いられたビッカース機銃もブローニング機銃も機銃の口径は0.303インチで7.7ミリが正しい。基本的に両銃は、ブリティッシュ303として有名な同一弾薬を使用しており、両機銃の口径が違う様な表現は、基本的におかしい。
初速が違うので使用する弾薬が違うように感じられるが、ビッカース機銃が主に用いられたWW1時代とブローニング機銃が用いられたWW2時代ではブリティシュ303に用いられた火薬の種類と量が多少違うだけで、弾丸は基本的に同一であった。多分解説者はアメリカのブローニングM1919を航空機用に改造したCal.30 M2が7.62ミリなので勘違いしたものと思われる。アメリカのブローニング機銃の口径は0.300=7.62ミリであり、イギリスのブローニング機銃とは口径が違う。
更にブローニング機銃は高初速と書いてあり、発表されている諸元は確かにブローニング機銃の初速が速いのだが、ビッカース機銃に新しい弾薬を使えば、ビッカース機銃もブローニング機銃と同じ初速が出たはずで、高初速にしたブローニング機銃という解説もあまり正確では無い。(British Aircraft Armament / R Wallace Clarke参照)高初速は高発射速度の書き間違いと思う。
11 学研
帝国海軍
一式陸攻
国本康文 学研 2003.08.10 2003.07.05 まず自分の記事であるが、尾部や胴体側面の二十粍旋回機銃の制式名称は「九九式二十粍一号旋回機銃一一型」が正しいが、155ページで「一号」が抜けてしまった。三ケ所ほど抜けている。誠に申し訳無い。
この本には157ページに九九式二十粍一号旋回機銃四型の鮮明な写真が掲載されている。解説は編集部が書いたので何も触れられていないが、この銃の写真は初公開であり、動力銃座用の旋回機銃の写真としては初めて公開された、凄く珍しい写真なのである。
近距離から写した動力銃座用機銃の写真が無かったため、29ページカラーグラビアを書いた人は相当悩まれたのであろう。(池田さん?)機銃の外径は一号旋回機銃一一型をサンプルにして書いた様だが、実は動力銃座用の一号銃も二号銃も固定機銃と同じ形をしている。カラー図の銃身にはカバーが付いているが、実際にはカバーは付いていないのである。
それと銃身に照準用の照星がついているが、銃身の上には弾倉が付いていたはずで機銃の後ろには蜘蛛の巣型の照準具を付けられないから、銃身の照星は付いていないのが正しいのでは無いだろうか?一号銃の場合は銃の右側(動力銃座の中心)の風防内に照準装置が付いているから、二号銃の場合も同じと推定される。

この様に二号銃搭載型の動力銃座の外形や機銃の外形は図面、スケッチの類はまだ公開されていない。また胴体側面の二十粍機銃の機銃架も写真は数枚あるものの胴体への取り付け部の形状を示す図面、スケッチの類はやはり公開されていない。お持ちの方は是非お知らせ願いたい。

今回の学研の記事の中で片渕氏は一式陸攻の図面もしくはそれに類する資料をかなり多数見つけられたようだが、この2点は発見されなかったのだろうか?
また前面風防に取り付けられた13粍機銃についてもその銃架の外形は不明であり、今後の片渕氏の調査が待たれる処である。
 
 78ページと155ページに出ている96式陸攻の胴体下面に搭載された二十粍旋回機銃特一型である。これもまた大変珍しい写真で初公表と思われる。二十粍一号旋回機銃一一型との違いは装填が前者は空気装填であり、後者は手動装填である。この2っの旋回機銃は弾倉が下に付けられているため、照準装置が機銃の上側に付けられる。という事であった。

この本、機種が一式陸攻というマイナーな機種だから、これまでの雷電や烈風より売れないかもしれないが、私の機銃の記事以外の記事の内容はこれまでの学研の太平洋戦史シリーズのレベルをまた少し高めた凄い本である。片渕氏の頑張りには頭が下がる思いである。またそれを支援したと思われる古峰氏の頑張りにも敬意を表したい。お二人の頑張りで世界の傑作機を越えるレベルになったと評したら、少し言い過ぎだろうか?
10 兵器鉄鋼会社の日英関係史 奈倉文二 日本経済評論社 1998.02.28 2002.11.30 この本は正統派の学術論文である。番号9の論文はこの本の書評に対する回答として書かれている。
日本製鋼所が日本の歴史の中でいかなる位置を占め、会社としていかなる経営形態で運営されたかを知るための唯一無二の資料とも言える。
大学の博士論文とはこういう書き方をするものだという典型的な書き方であり、いつか私の論文もこの様な形で完結させたいものだ。
内容は経済論文として一流の格式の高いもので、それだけに少し読みにくい。
一般的な兵器愛好家にはお勧めするのが難しい本である。おもしろさから言えば番号9の論文の方が面白いのでお勧めしたい。
この本に関連して今後調べてみたくなった事、
1.19ページに関連して 日本の艦艇群のイギリスへの注文はイギリス産業に対してどのような影響を与えたか?
2.22ページに関連して 鹿島、香取の砲はどこで製造されたか?
3.日露戦争に使われた8インチ砲は30門有るはずなのに何故27門の記録しか無いのか?
4.32ページに関連して中村製鉄長官とは?
5.当時の八幡製鉄の経営体制
6.148ページに関連して水雷艇製造技術とは何か?水雷製造技術では無いのか?等々私の調査欲を刺激する好著である。
9 第一次大戦前後の日本製鋼所と日英関係 奈倉文二 茨城大学政経学会雑誌 
第72号
2002.03 2002.11.20 この論文も正統派の学術論文である。奈倉氏は「兵器鉄鋼会社の日英関係史」に第一次世界大戦前後の日本製鋼所と日英関係に関すして詳述した。その後この本の書評に答えたのがこの論文である。
大学の研究論文がこの分野にも及んだことに喜びを感じている。著作は2作とも、大学の研究論文らしく、当時の一次資料を丹念に当たった好著である。
氏はこの論文の注37で日本製鋼所広島製作所は小規模ながら様々な兵器類を製造したので、室蘭工場同様「海軍兵器工場」としての性格を有する。と解説しているが、確かに広島工場は室蘭工場よりは規模は小さかったものの、重巡洋艦用の20糎砲や20糎砲塔、高角砲や魚雷の気室、装薬を入れる火薬缶、魚雷発射管等を製造し、民間工場としては屈指の海軍兵器工場だった。この点勘違いしやすい表現になっていないだろうか?
8 イギリス民間造船企業にとっての日本海軍 小野塚
知二
横浜市立大学 1995.3.31
H7.3.31
2002.11.01 この論文は正統派の学術論文である。
大学の研究陣の研究が産業史とは言えこの分野に及ぶことは喜ばしい事である。
この時代の造船史に興味ある方は、一度は読んで頂きたい論文である。
内容は戦艦金剛等の建造がイギリスの民間造船企業にどのような影響を与えたか?である。従来説の「巨額の実験開発費を日本に負担させるとともに、同型艦の大量生産により自国戦艦の建造費を大幅に低減させることに成功した。」これが正しいか否かをデーターを基に論じている。       私の勝手な推論
7 機甲入門 佐山二郎 光人社 2002.11.18 2002.10.31
2002.11.01
一部改訂
この本は機甲入門というのはミスマッチである。機甲大全とでも言うべきであろう。凄い本である。
佐山氏は私の第2の師匠であり、陸軍関係の調査について随分教えられた。国立公文書館や国会図書館の資料の調査方法を教えてくれたのも佐山氏であった。
佐山氏は「日本の大砲」や「大砲入門」で有名な日本陸軍の砲研究の第一人者であるが、この本が出るまで戦車にも興味が有るとはしらなかった。お見それしました。という感じである。
さて本の内容と言えば、5式中戦車の原図が遂に発表された。雑誌パンツァーから5式中戦車の現代風に書き直した図面が出ていた事から、何処かに存在するのだろうと思っていたがやっぱり原図が存在していた。
さらにカト車の陸軍制式図が公表された。この2点については初出だと思うが、間違いであったら是非お知らせ願いたい。
とにかく佐山氏の長年の研究成果が素晴らしいものである事を物語る好著である。
6 陸海軍拾遺集第27回零戦の尻尾
(ScaleAvietion)
陸海軍拾遺集調査部 大日本絵画 2002.11.01 2002.10.16 この拾遺集は一次資料を発掘して発表し続けるという意味で、得難いシリーズである。私がScaleAvietionを買い続けているのもこのシリーズがあるからであり、今後も長く続く事を期待したい。
ただ「陸海軍拾遺集調査部」という発表には賛成出来ない。ペンネームを使うならまだしも、文責が誰にあるのかは明らかにすべきであると思う。
内容が毎回、毎回素晴らしいものだけに惜しまれる。
5 再検証3式中戦車
(AmourModering)
佐賀見謙司 大日本絵画 2002.11.01 2002.10.16 一次資料をふんだんに使った考証は安心感さえ感じられ、良い記事に仕上がっている。続編が楽しみである。
三式中戦車が一式中戦車の半製品から作られ、一式中戦車は余り作られていなかいのでは無いかという疑問点がかねてから有り、よく戦車ファンの友達との議論になっていたものだった。この点を一次資料を駆使して解説してくれていて、なるほどと思わせる面がある。
また防弾鋼板の参考資料に私の戦車と砲戦車の記事が引用されたのも光栄である。
記事中に三式七糎半戦車砲U型の製造予定数がこの砲を搭載した三式中戦車の製造数を遙かに上回るという記載がある。この砲がナト車へ搭載する計画があった事と関連が無いだろうか?
4 検証・「烈風」伝説
(陸海軍試作戦闘機) 
古峰文三  学研  2001.04.25  2002.09.30  烈風の新資料をもとに、烈風の新しい考察を展開した好著、定説をひっくり返えすような展開も、問題提起とすればこれ以上の好著は無い。
烈風に対する認識が改まった。
これは私の疑問であるが、「昭和20−21年の生産計画の中に烈風が存在していないのが、期待されていなかった証拠である。」と書いてある。それならば、なぜ紫電改があるのに誉搭載の烈風を開発させたのだろう?出来上がっても量産の計画の目処さえ無いのであれば、中止するか、紫電改があるのだから、次の大馬力エンジン用戦闘機を烈風として開発させれば良かったではないか?古峰氏の次ぎの記事で展開して欲しい疑問である。 
3 陸海軍戦闘機の開発構想
(陸海軍試作戦闘機)  
古峰文三   学研   2001.04.25   2002.09.30 
2002.10.16
陸海軍の太平洋戦争直前からの戦闘機開発史を、詳細に解説したもの、当時の一次資料を研究方針についてはほぼ完全に揃え、大局的に論じており、雑誌の記事にはもったいない程の大作になっている。研究方針だけを体系的に論じた記事でこの記事を越えるものは今後も出ないかもしれない。
ただ気になる処もある。「妥協した補助戦闘機が軽戦闘機である。」としたのは、「陸軍戦闘機は伝統的に軽戦闘機主義といった表現は正確でない。」と言う表現と共通の流れであるが、少し極端ではないか?
パイロットを中心とした陸軍運用サイドは、絶対的な軽戦闘機主義であったが、陸軍の計画、開発サイドは冷静さを失っていず、重戦闘機主義であった。という辺りが適切な表現ではないだろうか?  
2 英戦艦ネルソン型に関する一考察

詳細
福井静夫  世界の艦船  1962.03-
1963.05 
2002.08.25 この書は福井氏の最も長い論文と思われる。ネルソン型の出現の背景を論評した書としては秀逸なものである。
ジュトランド海戦が各国海軍の戦艦設計に及ぼした影響等の解説の詳細さは他に見ることは出来ない。
この海戦の戦史としての著作は数多く入手可能であろうが、技術史への影響を論評した著作としては質・量ともに現時点で最高のものであろう。 
1 最後の艦上戦闘機
/烈風 
詳細
松岡久光 三樹書房 2002.08.05 2002.08.24 よくこれだけ全体的に調べて纏めたものだ。烈風を設計した曽根氏のノートと出張報告/関田氏をもとに纏められた好著、今後も烈風を三菱側から見た歴史はこれを越える物は出まいと思う。
本を読んでの感想 
03.11.29
このコーナーは、元書評コーナーでしたが、私が書評を書くのもおくがましい様な高名な先生もいます。それでもいい本の事は書いておきたいとの願望もあり、感想コーナーに変えました。