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ノースアメリカン P-82 ツイン・マスタング(Twin Mustang;双子のマスタング) 異形の双発戦闘機

P-82(10K) P-82B
 たった 20 機しか生産されなかったマーリン・エンジン搭載のツインマスタング、P-82B。"Betty Jo" はハワイ〜ニューヨーク間の無着陸飛行を記録した機体で、現在はライトパターソン空軍博物館所有。写真映りが悪くて申し訳ない。


 P-51 マスタング の示した長距離航続性能は、単発単座機による長距離航法の困難やパイロットの疲労という新たな問題を提示しました。特に太平洋戦線においては長距離洋上飛行の困難が指摘されたため、これに対応すべく 1943 年に社内呼称 NA-120 としてスタートした機体が P-82 です。P-82 は一見すると P-51 二機の主翼を真ん中でぶった切って繋ぎあわせた機体に見えますが、延長された胴体や主翼の構造は新規に設計されたもので、着陸脚も P-51 とは全く異なっています。また、左右のエンジンはそれぞれ内回りに逆回転する仕様となっていました。

 P-82 は異形の機体ながら P-51 譲りの運動性と 776Km/h に達する高速を誇り、航続距離は 4000Km に達するなど究極のレシプロ戦闘機といえる性能を発揮しましたが、最初の量産型 P-82B は 20 機が完成したところで太平洋戦争が終結し実戦には参加せずじまいでした。しかし P-82B の一機 "Betty Jo" は 1947 年 2 月 28 日 に大型増槽を満載し、ハワイ−ニューヨーク間 4968ml(8000Km) 無着陸飛行 14 時間 31 分という記録を作っています。
 P-82 はその後 P-61 ブラックウィドウの後継機として夜戦への応用が検討され、実験的な P-82C/D を経て本格夜戦 P-82F/G が生まれます。これら後期型のツイン・マスタング達はマーリンではなくアリソン・エンジンを搭載している事が特徴で、250 機という少数ながら主要生産型となりました。長距離戦闘機型の P-82B/E は右側胴体に航法員と補助操縦装置を乗せていますが、夜戦型は右側がレーダー手席となり補助操縦装置は取り外されています。

 P-82 は 1948 年 6 月の呼称変更に伴い F-82 と改称され、1950 年 6 月からの朝鮮戦争では日本の基地から作戦可能な長距離戦闘機として大戦序盤に活躍しています。本業の夜間戦闘以外に爆弾やロケット弾を搭載しての対地攻撃も行い、前線任務をジェット機に譲った後半には長距離・長時間飛行性能を買われて気象偵察機に使われました。

(文・ささき)

緒元(P-82E)
製作1943年
生産数273 機(全タイプ合計)
乗員1
全幅51ft 3in(15.62m)
全長38ft 1in(11.61m)
全高13ft 10in(4.22m)
主翼面積408ft2(37.9m2)
乾燥重量14914LBs(6765Kg)
全備重量24864LBs(11278Kg)
武装12.7mm 機銃×6(中央翼)
爆弾1000ポンド(454Kg)×4
または 2000 ポンド(907Kg)×2
または HVAR 5in ロケット×25
発動機アリソン V-1710-143/145(1600hp)
最高速度465mph(748Km/h) 高度 21000ft(6400m)
実用上昇限度40000ft(12192m)
航続距離2708ml(4358Km) 増槽使用時

P-82 サブタイプ一覧
サブタイプ生産数特徴
XP-822試作型
パッカード・マーリン V-1650-23/25(1680hp)
XP-82A1エンジン換装試験型
アリソン V-1710-119(1500hp) 左右とも左回転
P-82B20長距離戦闘機型
終戦により 500 機発注のうち 480 機はキャンセル
パッカード・マーリン V-1650-23/25
P-82C1P-82B 改造 試作夜戦
SCR-720 レーダー搭載
P-82D1P-82B 改造 試作夜戦
APS-4 レーダー搭載(波長 3cm)
P-82E100長距離戦闘機型
アリソン V-1710-143/145(1600hp)
P-82F100P-82E ベースの夜戦型
APS-4 または APG-28 レーダー装備
P-82G50P-82E ベースの夜戦型
SCR-720C レーダー装備
P-82H5P-82F 改造の寒冷地仕様
アラスカの基地に専属配備

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