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ベル XP-77 木製小型戦闘機

 第二次大戦初期、ヨーロッパではアンブロシアーニ SAI.207(イタリア) やコードロン C.714(フランス)、スコダ Sk.257(チェコ) など小型軽量の機体に低馬力のエンジンを搭載したいわゆる「ミゼット・インターセプター」がある程度の成功を見せていました。しかしながら、これら軽量戦闘機思想は機関砲や防弾甲板・防弾タンクなどの要求に応えられず、急速に消えて行ったのですが…。XP-77 はヨーロッパの親類が限界に達しつつある頃に開発され、すっかり忘れ去られた頃に実用化されたという悲運の軽量戦闘機でした。

 対日戦突入後間もない 1942 年はじめ、米国は二つの問題に頭を抱えていました。一つは兵器大量生産に伴い、軽合金など戦略物資の深刻な不足が予想されたこと。もう一つは太平洋戦線において、軽量で運動性の高い零戦・隼が重装備すぎて鈍重な米国戦闘機相手に一方的な勝利を挙げているという事実。
 ベル社の主任設計者ロバート・J・ウッズはこの二つの問題を一挙に解決するアイデアとして、"Tri-4" と呼ばれる軽量戦闘機の計画を陸軍に提案しました。Tri-4 とは「400 馬力、4000LBs(1814Kg)、400mph(644Km/h)」の三つの4を意味しています。本機は金属外板ながら骨格のほとんどは木製で、液冷倒立12気筒のレンジャー V-770 エンジンを搭載し、武装には機首に 12.7mm 機銃二挺とプロペラ軸を貫通して発射する 20mm モーターカノン一門を搭載する予定でした。
 計画には更に検討が加えられ、1942 年 5 月 16 日に米陸軍から XP-77 として 25 機の発注を受けます。エンジンは機械式過給器を備えた XV-770-9(500hp) にパワーアップされ、モーターカノンの搭載がキャンセルされた代わりに爆弾/爆雷の搭載能力が追加されました。この要求変更はおそらく、当時深刻な危機と考えられた日本軍の西海岸来襲に備えたものでしょう。

 しかしながら後からあれこれ要求追加された結果、当初の「低馬力軽量戦闘機」というコンセプトは薄れてしまい、設計段階で深刻な重量過大に直面する事になりました。ベルの技術者は乾燥重量を 3000LBs(1361Kg) 以下に削ぎ落とすべく機体構造の再設計を行いましたが、この作業には予想以上に長い時間を費やしてしまいました。しかも過給器付き V-770-9 エンジンの開発も遅れており、最初の試作二機は過給器のない V-770-7(520hp) を搭載することになったため、高空性能の悪化は避けられませんでした。

 こうして計画は遅れに遅れ、XP-77 の試作機がようやく初飛行を迎えたのは 1944 年 4 月のことでした。この時点では「軽合金資源の不足」も「零戦無敵神話」も既に過去のものとなっており、XP-77 計画は既にキャンセルされていたのです。XP-77 試作機の性能自体も大したことはなく、最高速度は高度 4000ft(1220m) において 330mph(531Km/h) と目標を大幅に下回るものでした。期待された運動性も馬力不足のためパッとせず(そもそも V-770 は悪名高い殺人機カーチス SO3C にも採用された欠陥エンジンでした)、1944 年 10 月 2 日には試作二号機がインメルマン機動の最中に失速して回復不能な背面スピンに入り失われました(パイロットは脱出し生還)。

 こうして米陸軍唯一の軽量戦闘機(計画だけなら P-48, P-57 もありましたが)は虚しく不採用の闇へと消えてゆきました。試作一号機は戦後もしばらく生き残っていたようで、偽の部隊マーク(胴体に三本の斜め帯)を付けエアショーに登場している写真が伝わっていますが、その末路は知られていません。
(文・ささき)

緒元(XP-77)
製作1944
生産数2 機
乗員1
全幅27ft 6in(8.38m)
全長22ft 10in(6.96m)
全高8ft 2in(2.49m)
主翼面積100ft2(9.29m2)
乾燥重量2855LBs(1295Kg)
全備重量3583LBs(1625Kg)
武装12.7mm 機銃×2(機首)
爆弾 300LBs(136Kg)
発動機レンジャー XV-770-7 液冷12気筒 520hp(公称)
最高速度330mph(531m/h) 高度 4000ft(1220m)
実用上昇限度30100ft(9174m)
航続距離550ml(885Km)


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