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カーチス P-40 ウォーホーク(Warhawk:戦争鷹) P-36の発展型 アリソン搭載

P-40K(6.8K)P-40K
P-40 もサブタイプが多く判断しにくい機体。写真の機体は曲線的な後部風防から N 型以前、機首銃がないので D 型以降、主翼銃が6挺なので E 型以降、機首上面にキャブレターインテイクがあるのでアリソン搭載タイプ、排気管前方にグリルがないので K 型と判断できる。


 P-40 は 1937 年に社内呼称ホーク 81 として開発された機体で、P-36 を改造しアリソン V-1710 液冷エンジンを搭載したものです。性能は初飛行時(1938 年 10 月)の基準からしても優れているとは言えませんでしたが、これといった欠陥もなく乗りやすい機体でもあり、アメリカ参戦時には数少ない実用戦闘機の一機種として苦しい時期を戦い抜きました。中国における義勇航空隊フライングタイガース、北アフリカ戦線における英軍の対戦車攻撃の活躍は(映画などでかなり誇大に脚色された印象が強いですが)特に有名です。
 なお P-40 はウォーホークのほかキティホーク(Kittyhawk:ライト兄弟初飛行の地名)やトマホーク(Tomahawk:戦闘斧)の愛称でも知られていますが、これらは英軍による呼称です。
(文・ささき)


緒元(P-40E)
製作1938年
生産数13939機(全タイプ合計)
乗員1
全幅37ft 4in(11.38m)
全長31ft 2in(9.50m)
全高12ft 4in(3.76m)
主翼面積236ft2(21.9m2)
乾燥重量6350LBs(2880Kg)
全備重量8280LBs(3756Kg)
武装12.7mm 機銃×6(主翼)
発動機アリソン V-1710-39 液冷14気筒 1150hp
最高速度362mph(583Km/h) 高度 15000ft(4572m)
実用上昇限度29000ft(8839m)
航続距離650ml(1046Km)

P-40 サブタイプ一覧
サブタイプ生産数特徴
P-40200初期量産型
12.7mm×2(機首)+7.62mm×2(主翼)
P-40B131P-40 の武装強化型、主翼に 7.62mm×2を増設
P-40C193P-40B の燃料タンク増設
P-40D22V-1710-39 エンジン(1150hp)搭載、アゴ型ラジエター
機首武装廃止、12.7mm×4(主翼)
英国供与名キティホーク I、社内呼称 Model87
P-40E2320P-40D の武装強化型、翼銃6挺
英国供与名キティホーク IA
P-40F1311パッカードマーリン V-1650-1 を搭載
機首上面のインテイクがない
英国供与名キティホーク II
P-40G44P-40 の主翼を 7.62mm×2に換装
P-40J0排気タービン付き、計画のみ
P-40K1300P-40E にアリソン V-1710-73(1325hp) を搭載
P-40L700P-40F の軽量型 一部は主翼銃を4挺に削減
P-40M600P-40K にアリソン V-1710-18(1200hp) を搭載
この型以降排気管前方に格子状の冷却グリルが付く
英国供与名キティホーク III
P-40N5220機体構造を一新、軽量化
アリソン V-1710-81(1200hp) を搭載
後部風防の形状が直線的に変更
XP-40Q2水滴風防、四翅プロペラ、胴体内埋め込みラジエター
登場の遅すぎた改良型、最高速度 422mph(679Km/h)
Model 81-A140フランス向け輸出型、のち英国に供与
英国供与名トマホーク I
Model 81-A1110P-40B 輸出型、英国供与名トマホーク IIA
Model 81-A2930P-40C 輸出型、英国供与名トマホーク IIB

★おまけコラム:XP-40Q の最期
XP-40Q(5.7K)XP-40Q
整形美人のような機体ラインを持つ XP-40Q。二段過吸器のため吸気経路が変わり機首上面のキャブレターインテイクがなくなった。小型化した機首下面インテイクはオイルクーラーで、ラジエターは胴体下部に埋め込まれ主翼付け根にインテイクを開口した(キャブインテイク兼用かもしれない)。滑走路に落ちるシルエットから主翼先端を切り落としたことがわかる。ドーサルフィン(垂直尾翼前の背ビレ)のように見えるのは滑走路端が斜めに切れて写っているもので、XP-40Q に背ビレはない。

これが 1940 年に生まれていたら P-51 の出番は無かったかも知れないが、1944 年では遅すぎた。


 1947 年 9 月、オハイオ州クリーブランド(Cleveland, Ohio)で行われたコース周回速度競技「トンプソン杯(Tompson Trophy)」は戦後エアレース史上最悪の事故多発レースになりましたが、XP-40Q もこの中で失われた一機でした。NX300B の民間コードを付けた XP-40Q はレースパイロットのジョー・ゼグラー(Joe Ziegler)の操縦で離陸しましたが 14 周目でエンジン故障を起こし、ゼグラーは脱出を決意します。火を吹く無人の機体は観客の頭上を飛び越し、片翼を線路の貨車に引っかけて回転し地面に叩き付けられ大爆発を起こしましたが、片足を骨折したゼグラーと投下したキャノピーで負傷した女性を除けば、奇跡的に死者ゼロで済みました。
 この時のレースでは Jack Hardwick の P-50C、Charles Walling の P-38J、Paul Penrose の P-51D、Woody Edmundson の P-51A, Ron Puckett の F2G-1 もエンジン故障で墜落ないし不時着していますがパイロットは生存しています。しかし Tony Jannazo の F2G-1 は 6 周目の旋回点で強大なプロペラトルクのため操縦不能となり、地面に激突して即死する惨事になりました。

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