Page 99 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼レイテ沖海戦について 対馬 拓海 02/10/10(木) 23:43 ┣Re:レイテ沖海戦について zono 02/10/11(金) 10:47 ┃ ┗Re:レイテ沖海戦について 対馬 拓海 02/10/11(金) 20:39 ┗西村隊 まなかじ 02/10/11(金) 11:31 ┗Re:西村隊 対馬 拓海 02/10/11(金) 20:45 ┗Re:西村隊 SUDO 02/10/11(金) 21:11 ┗Re:西村隊 対馬 拓海 02/10/11(金) 21:41 ┣Re:西村隊 SUDO 02/10/11(金) 22:12 ┃ ┗で、まあ、気分ではなくて、編成と作戦の組みたてを考えると・・・。 SUDO 02/10/12(土) 6:38 ┃ ┣Re:で、まあ、気分ではなくて、編成と作戦の組みたてを考えると・・・。 対馬 拓海 02/10/12(土) 14:31 ┃ ┃ ┗レイテ突入ルートの検討 対馬 拓海 02/10/13(日) 21:10 ┃ ┗重箱の隅 tackow 02/10/12(土) 23:05 ┗現実的には tackow 02/10/12(土) 22:44 ┗補足 捨て猫 02/10/12(土) 23:16 ┗Re:補足 対馬 拓海 02/10/13(日) 21:14 ┗Re:補足 捨て猫 02/10/14(月) 11:11 ┗Re:補足 対馬 拓海 02/10/15(火) 20:30 ─────────────────────────────────────── ■題名 : レイテ沖海戦について ■名前 : 対馬 拓海 <and-low@pop02.odn.ne.jp> ■日付 : 02/10/10(木) 23:43 -------------------------------------------------------------------------
どうも、はじめまして。 レイテ沖海戦のさいに、よく「栗田艦隊がレイテに突入していれば、敵護衛船団は壊滅していた」などと言われますが、商船構造の船体をした護衛空母に対して、戦艦・巡洋艦の徹甲弾はほとんど効果を発揮していませんでした。 仮にレイテに突入できたとして(米戦艦部隊、護衛空母を排除する……う〜ん)、栗田艦隊は何で商船を撃つつもりだったのでしょうか。通常弾なら、撃沈できたのですかね。どなたかご存じであれば、教えてください。 また、作戦ミスについて、前述した「突入しなかった」や「小澤艦隊の囮が成功していたことに気付かなかった」などがよく言われますが、私としては、「なぜ西村艦隊を分離したか」について、以前より疑問に思っております。 日本側はただでも戦力が少ないのに、西村艦隊を分離したことで護衛戦力を減らし、潜水艦による重巡喪失や、武蔵の喪失を招いたのではないかと思うわけです。 もちろん、西村部隊の戦力が加わっても、ある程度の損害は出たでしょうが、艦隊を三つに分けるのではなく、二つの輪形陣として、大和と武蔵をそれぞれの旗艦として中心に置いていれば、少なくとも武蔵の喪失は避けられたかと思います。また、西村艦隊が担当していた遊撃隊が必要なら、機動力の高い志摩艦隊が適役だと思いますし。 |
確か西村艦隊が分離されたのは速力の問題だったかと。 (なお、スリガオ海峡経由のコースの方がレイテ湾に近いコースであることはごぞんじですよね?) 栗田艦隊の編成では最低速艦が「長門」、これとて公称25kt。 西村艦隊は最低速艦は山城級2隻で公称23kt。 実際には多少変動しますが、この場合2ktの差は大きいのかも。 航空機との戦いを含む機動戦では、数ktの差が爆弾・魚雷を交わせるかどうかの境なのです。 それと、一種の挟撃を狙った可能性も考慮に入れて良いかと。 シブヤン海の空襲で栗田艦隊はいったん反転しましたが、それがなければもしかするとレイテ湾での戦いは理想的な挟撃になったかも。 (確か西村艦隊は栗田艦隊反転の情報を掴んでいなかったと思う。そうでないと、「なぜあのタイミングで海峡に突入したか」の説明がつかない。志摩艦隊との共同作戦すら失敗しているし…) 志摩艦隊は遊撃隊としては適任かもしれませんが、レイテ湾にいると推定される敵艦隊の排除には弱体過ぎると考えます。 あくまで戦艦主体の西村艦隊だからこそ、その辺が期待されたのかと。 ですから栗田+(西村&志摩)の挟撃で丁度良い?と私は思います。 しかし戦艦7隻を含む大輪形陣を組んで進撃する日本艦隊も見てみたい…。 |
> 確か西村艦隊が分離されたのは速力の問題だったかと。 > (なお、スリガオ海峡経由のコースの方がレイテ湾に近いコースであることはごぞんじですよね?) それは存じ上げておりますよ。 分離された理由は航続力の問題だと記憶しています。もっとも、扶桑型戦艦 は日本戦艦中最大の航続力を持っているのですが……。 駆逐艦の航続力が問題なのだというのはわかるのですが、栗田艦隊も帰路で、 戦艦から駆逐艦に補給していますし、決定的な理由にはならないと思うです。 > 栗田艦隊の編成では最低速艦が「長門」、これとて公称25kt。 > 西村艦隊は最低速艦は山城級2隻で公称23kt。 > 実際には多少変動しますが、この場合2ktの差は大きいのかも。 > 航空機との戦いを含む機動戦では、数ktの差が爆弾・魚雷を交わせるかどうかの境なのです。 長門が25.1ノットで、扶桑が24.7ノットですよ。栗田艦隊には、 マリアナで損傷して26ノットしかでない榛名もいましたし、あまり 速力は理由ではないのではないかと思っております。 > それと、一種の挟撃を狙った可能性も考慮に入れて良いかと。 > シブヤン海の空襲で栗田艦隊はいったん反転しましたが、それがなければもしかするとレイテ湾での戦いは理想的な挟撃になったかも。 > (確か西村艦隊は栗田艦隊反転の情報を掴んでいなかったと思う。そうでないと、「なぜあのタイミングで海峡に突入したか」の説明がつかない。志摩艦隊との共同作戦すら失敗しているし…) 挟撃を狙った部隊だというのもわかりますが、日本海軍はミッドウェーなども 含めて、実行不可能なほど精緻な作戦を実行するきらいがあると思っています。 志摩艦隊は、確か台湾沖航空戦での(幻の)大戦果により、急遽残敵掃討のために 呼ばれた部隊で、西村艦隊との共同作戦は最初から考慮していなかったようですよ。 単に、侵攻ルートが同じだ、というだけみたいです。 ちなみに、いったん反転しなかったなら、ハルゼー機動部隊の第6次攻撃が行われ、 手ひどい被害を受けていたのではないかと思います(栗田艦隊がいったん反転したこと を、退却だと判断していたようなので)。 > 志摩艦隊は遊撃隊としては適任かもしれませんが、レイテ湾にいると推定される敵艦隊の排除には弱体過ぎると考えます。 > あくまで戦艦主体の西村艦隊だからこそ、その辺が期待されたのかと。 > ですから栗田+(西村&志摩)の挟撃で丁度良い?と私は思います。 架空戦記になってしまいますが、イフとして、栗田+西村艦隊の陣容なら、 武蔵を失わず、戦艦5〜6隻、重巡7〜10隻程度残った状態でサマール沖 海戦が行われると思うのです。 オルテンドルフ提督の米戦艦部隊は、西村艦隊を迎撃していない状態 ですから、弾薬不足もなく、展開にもよりますが、(架空)栗田艦隊の 迎撃に出てくるかと思うのです。 ハルゼーは小澤艦隊を発見していたなら、「そっちは自分でなんとか しろ」となったでしょうし。 で、大和、武蔵、長門を含む日本艦隊相手であれば、レーダー射撃を もってしても、かなりの激戦となるのではないかと。 被害を受けた米艦隊が栗田艦隊迎撃に戦力を集中させる隙に、ガラ空き となったスリガオ海峡を突破した志摩艦隊がレイテ突入!なんてイフ (というか妄想だ)を考えておりました(笑) > しかし戦艦7隻を含む大輪形陣を組んで進撃する日本艦隊も見てみたい…。 それが見たいのです(笑) |
これはですね、航続力の問題も大きかったと思います 単に速力だけなら、栗田隊についていけないことはなかったと思うんです。 扶桑艦長だった人の回想にも、全速25ノットは出ると。 ただ、その調子でブイブイいわせて走ってると、すぐに燃料がなくなります。 これは、艦隊の他の艦を見てもそうなのです。 西村隊についていってる駆逐艦は、よく見ると白露型と朝潮型だけです。 同じコースを取る志摩隊の駆逐艦は、特型、白露型、初春型が主力で、甲型(陽炎型)は不知火1隻だけ。 足の長い陽炎型や夕雲型はみんな栗田隊に回っているんですね。 つまり、スリガオ海峡コースを通るべき艦隊は、遠回りをさせられない艦隊でもあったわけです。 ちなみに、あんまり関係ないですが、このときの小沢隊の駆逐艦は松型と秋月型だけです。 水上打撃力のある駆逐艦は全て殴り込み部隊に回されているわけですね。 |
> これはですね、航続力の問題も大きかったと思います > > 単に速力だけなら、栗田隊についていけないことはなかったと思うんです。 > 扶桑艦長だった人の回想にも、全速25ノットは出ると。 > ただ、その調子でブイブイいわせて走ってると、すぐに燃料がなくなります。 それも考えなくはありませんでしたが、栗田艦隊は5回も大空襲を受けている 間は、最大速力で走っていたと思うのですが、結局帰投しています。 イタリア戦艦じゃないわけで、戦艦の航続力は大丈夫だと思いますよ。 あと、駆逐艦には戦艦から補給すればいいと思いますが……。 > これは、艦隊の他の艦を見てもそうなのです。 > 西村隊についていってる駆逐艦は、よく見ると白露型と朝潮型だけです。 > 同じコースを取る志摩隊の駆逐艦は、特型、白露型、初春型が主力で、甲型(陽炎型)は不知火1隻だけ。 > 足の長い陽炎型や夕雲型はみんな栗田隊に回っているんですね。 > つまり、スリガオ海峡コースを通るべき艦隊は、遠回りをさせられない艦隊でもあったわけです。 > ちなみに、あんまり関係ないですが、このときの小沢隊の駆逐艦は松型と秋月型だけです。 > 水上打撃力のある駆逐艦は全て殴り込み部隊に回されているわけですね。 この視点は欠けていました。なるほど、そう言えばそうですね。勉強になりました。 どうもありがとうございます。 |
> それも考えなくはありませんでしたが、栗田艦隊は5回も大空襲を受けている > 間は、最大速力で走っていたと思うのですが、結局帰投しています。 > イタリア戦艦じゃないわけで、戦艦の航続力は大丈夫だと思いますよ。 > あと、駆逐艦には戦艦から補給すればいいと思いますが……。 ご存知でしょうが、栗田艦隊の残存駆逐艦は燃料切れで全部脱落しました。 雪風と磯風が最後に戦艦から貰ってますが、その間は艦隊はマトモな動きが取れなくなってます(言うまでも無いですが潜水艦でも出てきたら大変な事になったでしょう)また、栗田艦隊がいきなり愛宕以下を喰われた原因の一つが速度と之字運動の制限にあったのも事実で、それは燃料事情にありました。 またシブヤン海もサンベルナルジノ海峡も狭い海域でして、あの規模の艦隊を突っ込ませた事もかなりの冒険でした。よって西村艦隊も加えたとしたら身動きが取れなくなったでしょう(艦隊規模が大きくなると運動制限も拡大します) つまり、どっちにしてもブイン組は三群程度に分割せざるを得なかったのです。ならば低速・脚の短い連中を近道コース、速くて長い連中を遠距離コースで分進させたほうが運用面でずっとマシになったわけです。 |
どうもありがとうございます。大変勉強になりました。 > ご存知でしょうが、栗田艦隊の残存駆逐艦は燃料切れで全部脱落しました。 > 雪風と磯風が最後に戦艦から貰ってますが、その間は艦隊はマトモな動きが取れなくなってます(言うまでも無いですが潜水艦でも出てきたら大変な事になったでしょう)また、栗田艦隊がいきなり愛宕以下を喰われた原因の一つが速度と之字運動の制限にあったのも事実で、それは燃料事情にありました。 それは知っておりますが、レイテは「艦隊の全滅と引き替えに、敵輸送船団を壊滅 させる」作戦だったと承知しております。 日本海軍は真珠湾で「生還を前提とした」特殊潜航艇を投入していますが、それと 同様、レイテにたどり着かなくては成立しない作戦を行うのに、帰り道の燃料の 心配をして、速度と乙字運動の制限を行い、むざむざ愛宕以下を沈められたという のが、徹しきれていない印象を受けております。 建前として「燃料は帰路に戦艦よりもらう」とすれば、より大胆な行動がとれたの ではないかと思っているわけです。作戦が成功すれば、戦争が長引きかねませんし、 戦死者も増えたでしょうから、倫理的に考えればどうかとは思いますが、ほとんど 不可能なレイテ突入を行うのが軍事目的である以上、作戦面での検証からすれば、 徹底していないと考えてしまいます。 > またシブヤン海もサンベルナルジノ海峡も狭い海域でして、あの規模の艦隊を突っ込ませた事もかなりの冒険でした。よって西村艦隊も加えたとしたら身動きが取れなくなったでしょう(艦隊規模が大きくなると運動制限も拡大します) まず、サンベルナルジノ海峡については、栗田艦隊も確か単縦陣で突破したのでは なかったかと。これなら、艦艇数はあまり関係しないでしょう。 また、シブヤン海が狭いことは承知していますが、作戦の立案側に「船は沈むもの」 という視点がなかったのではないかと思っているのです。 三群に分け、一群を囮とするのは、巧妙な作戦ではありますが、現実には相互連絡の 困難により、西村艦隊の全滅にも気付かない状況となりました。また、損傷艦の護衛に ただでも少ない駆逐艦をさいたため、艦隊戦力の低下を招いたわけです。 「船は沈むもの」という考えがあれば、三群に分けたとしても、西村艦隊を同行させ、 損傷が出たら二群にすることが考えられたのではないかと。また、損傷艦に護衛として 駆逐艦を付けるなら(目的達成という意味では徹底していませんが、士気を考えると すべきでしょう)、航続力の低い西村艦隊の駆逐艦を付けるといった選択も取れたの ではないかと思っているのです。 前提としては「二群として護衛力を増したほうがいい」でしたので、その意味では、 SUDO様のご指摘は考えを変えるきっかけとなり、勉強となりましたが、お話を 聞いても、なお上記の理由で西村艦隊と合同で行動したほうがよかった気がします。 |
> それは知っておりますが、レイテは「艦隊の全滅と引き替えに、敵輸送船団を壊滅 > させる」作戦だったと承知しております。 たぶん、全然認識が間違ってると思います。 レイテ戦は、片道攻撃でも何でもない、一連の比島攻防戦の一局面でしかありません。小沢艦隊は全滅覚悟だった可能性が高いですが、栗田艦隊は片道攻撃は企図していません。 個人的な心情は別として、きちんと任務と目的をご理解しておくべきかと存じます。 また当然ですが、死を覚悟して突入したとしても、レイテ湾に輸送船団が居なかったら、見つけられなかったらどうするのですか? 当たり前ですが帰らなければなりませんね。 また戦艦から補給を受ければ良いというのは、その時間をどうやって作るのかという問題を解決してからでないと何も言えませんし、戦艦が全滅していたら、当然ですが補給できなくて駆逐艦は全滅しちゃう訳です。もし戦艦が全て健在で、損傷もなく燃料タンクに穴があいていなかったとして(ビスマルク戦のような事も決して無視できません)最大で同時に7隻にしか補給できません。果たして突入部隊の全駆逐艦は何隻でしょう?洋上給油を何セットもするだけの余裕があると確信できるのですか?出来ないのならば、それは補給計画の破綻であり、それこそとんでもない大ミスですよ。 小沢艦隊の松型駆逐艦が洋上給油に失敗して脱落してますが、このような危険が想像されるのですから、復路に損傷しているかも知れない戦闘艦艇から受けるなんて事を「予定」として組み込むのは、考える努力を放棄したのと同義です。 「突っ込んで死ぬんだから如何でもいい」とでも言うなら私は何も述べませんが、それなら、まともな戦闘計画への言及は要らないでしょう。 > まず、サンベルナルジノ海峡については、栗田艦隊も確か単縦陣で突破したのでは > なかったかと。これなら、艦艇数はあまり関係しないでしょう。 つまり単縦陣の長さが大きくなります。 ということは艦隊が抜けるのに時間がかかります。 後段は、つまり「どうせ死ぬんだから如何でも良いじゃん、突っ込めばいいのさ」と言いたいわけでしょうから、私としては何も述べるところはありません。 出来るなら、比島攻防戦の山場は何処であり、その攻防戦に海軍艦艇がどのように関わったかを考えてから述べてもらいたいところです。 一隻でも多くの戦闘艦に戻ってきて欲しいのです。そうしないと比島攻防の陸上兵力と補給を送り込めなくなります。 レイテ沖海戦とは、上陸部隊やその支援部隊への打撃を行う作戦でしたが、単に敵の体制が不十分な隙をついて後方擾乱を仕掛けるという、極常識的な戦闘です。 そして、それだけで比島戦は終わらないのです。敵を弱めるだけでは無く、増強された陸上兵力によって反撃して上陸した米軍を追い落とす事も要求要望されていたのです。その為に何が必要で何をしなければならないのか。簡単に「沈めばよい」なんて言えないのです。 作戦が成功しようがしまいが、艦艇と艦隊には仕事がまだ沢山残っており、帰ってきてくれる艦が一隻でも多くないと困るのです。レイテ沖海戦は艦隊決戦ではなかったのですから。 |
単純な陣容比較 第一遊撃部隊:栗田中将(第二艦隊司令長官) 第一部隊 第一戦隊:大和、武蔵、長門 第四戦隊:愛宕、高尾、鳥海、摩耶 第五戦隊:妙高、羽黒 第二水雷戦隊:能代、夕雲型x8、島風 戦艦3、重巡6、軽巡1、駆逐艦9 第二部隊:鈴木中将(第三戦隊司令官) 第三戦隊:金剛、榛名 第七戦隊:熊野、鈴谷、利根、筑摩 第十戦隊:矢矧、陽炎型x5、夕雲型x1 戦艦2、重巡4、軽巡1、駆逐艦6 第三部隊:西村中将(第二戦隊司令官) 第二戦隊:山城、扶桑、最上 第四駆逐隊:朝潮型x3 第二十七駆逐隊:白露型x1 戦艦2、重巡1、駆逐艦4 第二遊撃部隊:志摩中将(第五艦隊司令長官) 第二十一戦隊:那智、足柄 第一水雷戦隊:阿武隅、特型x2、陽炎型x1、朝潮型x1 別同部隊(第二遊撃部隊に合流予定) 第二十一駆逐隊:初春型x3 重巡2、軽巡1、駆逐艦4(+3) これらから見ると、第三部隊を栗田本体に組み込むのは利がありません。見てのように、第一部隊には大型戦闘艦が9隻あり、護衛が10隻ですから、もう手が足りません。規模も非常に大きく、手の掛かる大型艦が入るのは行動能力から見ても非常に厳しいのが判ると思います。 つまり組み入れるとしたら、第二部隊に組み込むことになります。此方は総勢13隻ですから、西村隊の7隻を組み入れても、規模的には第一部隊と同等ですから問題は無いでしょう。ただし、その場合、金剛型のもつ機動力を殺す事になります(まあ榛名が損傷状態なのですが、それでも26ノット以上出ます) つまり、西村隊も含める2群編成は根本的に徹底的に見直しが必要なのです。 さて第二艦隊の旗艦は元々愛宕で、そして最大打撃戦力は第一戦隊です。つまり、この組み合わせは基本的には変更が出来ません。 となると、第三戦隊の足を引っ張らないようにするには、第五戦隊を第二部隊に移して、第二水雷戦隊と第十戦隊を入れ替えて、その上で西村隊を第一部隊に組み込みましょうか・・・えー二水戦を抜くのか・・・いいのかなぁ・・・・。 見れば判りますが、第一遊撃部隊の第一部隊は最強の連中で揃えた最精鋭です。ここに旧式で練度も不足している第三部隊の戦艦はあまりありがたくない訳です。 第二部隊の連中からしたら、最上は兎も角、戦艦2隻は足手まとい(彼らはサマールで榛名を置き去りにして突っ走ったんです。第二戦隊は「邪魔」と思うでしょう) 航行序列次第ではありますが、第二部隊に組み込んだら場合によっては交戦の時に位置取りが出来ないでしょう。 スリガオで突っ込んで、志摩隊が追いついたら合流するのが最も無難な西村隊の活用方法な訳です。 極論すると、日本海海戦の第三太平洋艦隊に相当するのが西村隊だったのです。居ればいたで役立つかも知れないけど、役立たないかも知れないという艦艇の集団だったのです。 そのような未知数の戦力を、燃料や運動性の不安を抱える形で持っていくのは正気とはいえません。それよりは別働として用いれば、実際にそうであったように囮として活用できます。 また米軍にしてみたら、西村隊がスリガオルートを取る事で、サンベルナルジノ海峡を結果的に空けてしまったわけですが、もしスリガオルートに弱体な志摩隊しか向かってなかったら、果たして彼等の戦艦はスリガオに居たでしょうか? サンベルナルジノ海峡で米軍の戦艦が待ち伏せして回避の余地の無い単縦陣を強要される狭い海峡で頭を押さえられるのです。それこそ全滅も十二分に考えられるでしょうね。 スリガオで米軍が待たなくて、サンベルナルジノに向かった場合、旧式とはいえ戦艦2隻の火力は米軍の上陸地点に凄まじい騒ぎを引き起こすでしょう。この場合栗田隊がサンベルナルジノで全滅しても輸送船団攻撃は成功になる訳ですから、戦果次第では許容できるでしょう。 西村隊を栗田隊に組み込むという事は、戦果獲得確率でも、また艦隊の行動力という意味でも、そして部隊編成の難しさから見ても、利点が無いのです。 |
なるほど。ここまでご丁寧なレス、どうもありがとうございます。 SUDO様の言われた要素を考えるに、栗田隊と西村隊の合流進撃は 難しそうですね。大変勉強になりました。 では、西村隊にこだわらずに検討してみたいのですが、日本艦隊の レイテ突入(というか、フィリピン防衛という戦略目的達成)を可能と する作戦はありえたのでしょうか。 様々なサイトなどで言われているようですが、栗田艦隊がレイテ突入 した場合をシミュレートすると、米駆逐艦の煙幕を使っての、旧式戦艦 部隊のレーダー射撃と、護衛空母の航空機活用で、阻止されてしまうの ではないか、というのが結論のようですが……。 もしお時間がございましたら、お付き合い頂けると幸いです。では。 |
史実のレイテ突入ルートを検討してみて思ったのですが……。 スリガオ海峡にせよ、サンベルにせよ、待ち伏せされたら 全滅的打撃を受けかねないわけです。 そして、米軍はその気になれば両海峡を封鎖するだけの戦力 を有しています。その意味で、距離は長いものの「ミンダナオ島 の南を迂回する」というルートは取れなかったものかと愚考します。 米機動部隊からも距離が取れるので、比較的攻撃を受けにくく なりますし、攻撃を受けたとしてもシブヤン海より海面が数段 広いので、回避行動も取りやすいかと思うのです。 史実のレイテ突入ルートは「時間的に間に合わない」ことから、 選択されたということもあり、難しいのかもしれませんが……。 あともう一つ。小澤艦隊の活用について。 史実では乏しい航空機で米機動部隊を攻撃していたわけですが、 この航空機で、レイテ湾の敵輸送船団の索敵及び攻撃を行った なら、ある程度の戦果を挙げられたのでは? これは、米機動 部隊を誘い出すためには、レイテを攻撃圏内に入れる距離に 近づけなかったということでしょうか。 |
最上は2Sじゃないですよね?3F付じゃなかったかと。 |
細かい話になりますが、2Sは扶桑と山城とで九月に編成されたばかりでしたね。 1Sは大和、武蔵に長門を加えて編成されていたのですけど、長門が1Sに入ったのは最近の事で。2Sが再編された時「長門を2Sに戻す」という話も出たようです。 しかしながら「せっかく三カ月も訓練して戦隊として戦力化出来ているのに、今更どうして2Sに」という反対論もあって1Sに留まった様です。 「低速」で「航続距離が短い」というのは確かに理由としてあるでしょうが、戦に向かう寸前に内地からやってきて、艦隊運動もロクに出来ないであろう2Sは「足手まとい」的な存在だったとも考えられますね。 これと同じシチュエーションと思えるのは第一次ソロモン海戦の18Sで、その時は戦隊の参謀が座り込みまでして「連れて行って貰った」訳ですが・・ |
そうですね。 その前は4航戦と一緒に行動しようとしていますし。 お気づきでしょうが、松型を擁する31戦隊も捷号作戦に参加する予定はありませんでした。 台湾沖の余波で5艦隊が南下してしまったので急遽決戦に引っ張り出された格好になり、準備も何もあったものではありません。 5艦隊は本来はレイテ突入路ではなく第三艦隊と共にあったはずの戦力です。 ですから「水上打撃力のある駆逐艦は全て殴り込み部隊に回されている」というくくり方は大雑把すぎるように思います。 |
tackow様、捨て猫様、教えて頂いてありがとうございます。 練度不足だったのですが……。よく「リンガでの百日訓練」とか 言われているので、訓練は充分なのかと思っておりました。 31戦隊って、大淀とかと共に、米輸送船団を攻撃した部隊 でしたっけ? |
扶桑、山城に関しては、9月23日に呉を発しています。 残念ですが時間がなく、部隊としてまとまった戦力を発揮させるにはやや難があったものと想像します。 31戦隊は小沢部隊にくっついていった松型駆逐艦が所属する部隊で、本来は対潜部隊です。空母と一緒に行動するように訓練を受けた部隊ではありませんでした。 |
レスありがとうございます。 > 扶桑、山城に関しては、9月23日に呉を発しています。 > 残念ですが時間がなく、部隊としてまとまった戦力を発揮させるにはやや難があったものと想像します。 教えて頂いてありがとうございます。練度に関しては、実績として、 米空母機の攻撃(確か50〜60機)を受けつつも、大きな被害を受けなかった こと。また、スリガオ海峡突入時に、魚雷艇の攻撃を受けつつも、副砲を 活用して、撃退していることを考えると、艦隊行動がとれないほどには、 低くなかったようにも思えます。正直、わかりませんね。 > 31戦隊は小沢部隊にくっついていった松型駆逐艦が所属する部隊で、本来は対潜部隊です。空母と一緒に行動するように訓練を受けた部隊ではありませんでした。 なるほど。そうでしたか。どうもありがとうございます。 |