Page 58 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼擲弾筒の評価 山家 02/6/9(日) 21:04 ┣Re:擲弾筒の評価 SUDO 02/6/9(日) 21:42 ┃ ┗Re:擲弾筒の評価 山家 02/6/11(火) 20:27 ┃ ┗旧日本軍の迫撃砲に対する位置付け 伊号 02/6/11(火) 22:52 ┃ ┗迫撃砲と歩兵砲 酒匂135 02/6/11(火) 23:42 ┃ ┣92式歩兵砲vs97式曲射歩兵砲? ブラック・タロン 02/6/12(水) 21:19 ┃ ┃ ┗Re:92式歩兵砲vs97式曲射歩兵砲? 第一総軍 02/6/13(木) 0:56 ┃ ┃ ┗御教示頂けないでしょうか 伊号 02/6/13(木) 21:44 ┃ ┃ ┗Re:御教示頂けないでしょうか 第一総軍 02/6/14(金) 0:43 ┃ ┣Re:迫撃砲と歩兵砲 山家 02/6/12(水) 21:22 ┃ ┃ ┗軽迫撃砲班 あるめ 02/6/12(水) 22:47 ┃ ┃ ┗Re:軽迫撃砲班 あるめ 02/6/12(水) 22:52 ┃ ┗やってしまいました 伊号 02/6/13(木) 0:18 ┃ ┗恐縮です 酒匂135 02/6/14(金) 23:56 ┣Re:擲弾筒の評価 あるめ 02/6/10(月) 12:18 ┣Re:擲弾筒の評価 伊号 02/6/10(月) 22:05 ┃ ┗そのとおり あるめ 02/6/11(火) 10:39 ┣要するに まなかじ 02/6/13(木) 0:41 ┃ ┗素人考えでした 山家 02/6/13(木) 21:54 ┃ ┗すいませんでした 山家 02/6/13(木) 22:00 ┗小銃を使わない小銃擲弾 ブラック・タロン 02/6/13(木) 23:22 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 擲弾筒の評価 ■名前 : 山家 ■日付 : 02/6/9(日) 21:04 -------------------------------------------------------------------------
Ans.Q等を読んで、改めて思ったのですが、日本陸軍の採用した擲弾筒は、WWII当時の兵器として評価した場合、有効な装備だったのでしょうか。擲弾筒と似たような兵器はありますが、WWII当時では、ほぼ日本独自の兵器のように思われます。友人と話し合ったこともあるのですが、ある友人は、WWII後、22口径の自動小銃が採用されたと言っても、WWII当時を考えれば、小銃の口径は30口径が必要不可欠で、これは日本陸軍が38式歩兵銃を見限り、99式小銃を採用した経緯から考えても、私が考える38式歩兵銃が採用していた25口径で自動小銃を開発するというのは妄想に過ぎない。それと同様に、WWII後、擲弾筒を参考に幾つか兵器が開発されたからと言って、WWII当時では、擲弾筒は外国が開発しなかったことから考えると、有効な兵器ではないと言われてしまいました。逆に別の友人は、Ans.Qの一つに書かれていたように、日本独自の兵器として高く評価していました。本当のところ、どのように評価すべきなのでしょうか。 |
日本陸軍の歩兵部隊装備は欧州のそれと多少異なり、例えば各国で充実している軽機関銃が質量共に見劣りし(代わりに重機関銃は結構良い) 中隊レベルで欧州では5cm級迫撃砲が既にあるのに対して、歩兵砲の質・量で日本陸軍は見劣りします(もっと上のレベルでも劣るけど) こうした特性上、中隊以下レベルでの火力を補完する存在として重擲弾筒は日本軍の場合は非常に大事に要素になると机上では考えられます。 反対にいうならば火力支援が充実しているなら、無くてもそう困らないでしょう。 大戦後の各国でグレネードランチャーや多用途ロケット砲が装備されたのは、戦闘単位の細分化によって(機動速度や展開範囲もある)従来の火力支援があまり多く期待できなくなったという側面もあると思います。(例えば大戦時には各国とも歩兵支援用の戦車を多数備えていましたが今は・・・) よって、往時の日本軍と戦後の各軍隊は結果として、歩兵に密接にくっついていく火力が不足するという状況が似ていたから、同じような解決策を講じたわけで、大戦時の各国は戦車や迫撃砲や飛行機や機関銃の支援で何とかできていたのだとも言えるでしょう。だから、無くても困らなかったのです。 勿論重擲弾筒は中々興味深いアイデアの兵器ですが、その立脚点を考えると、手放しでは誉められないというか、そんなん作るより機関銃と歩兵砲の数増やした方が、第二次大戦レベルでは総合的に使い出があったでしょうし、それが出来なかったあたりに哀しさを感じますね。 |
どうも、いろいろとご意見をいただき、ありがとうございます。 皆様の意見を読んで、あらためて思ったのですが。何故、日本陸軍は中隊レベルでの軽迫撃砲の開発・装備に消極的だったのでしょうか。歩兵中隊に配属された軽迫撃砲小隊があれば、擲弾筒は、不必要なものではないでしょうか。日本陸軍が、最初から島嶼戦を重視し、その際の機動性の観点等から、擲弾筒を開発したと言うならば、まだ理解しやすいのですが、日本陸軍は、ソ連を主敵と考えており、大陸での戦闘を考えていたと思います。擲弾筒の性能では、軽迫撃砲より質の観点から見る限り劣るものだと思います。ソ連軍に対抗するため、軽迫撃砲を開発するという方向に、何故進まなかったのでしょうか。軽機関銃の質量が、質量ともに見劣りすると言うのは、弾薬消費量のせいでは、とも思えて、誤解かもしれませんが、まだ納得できるのですが、軽迫撃砲については、私には理解しかねるのです。 私としては、擲弾筒自体は(現在、単身赴任中で、手持ちの資料の殆どを実家に置いており、記憶だけでほぼ書き込んでいます)、日本陸軍のみの特性からは有効といえるが、当時の欧米陸軍には、不必要なものだったのでは、と思っています。 |
私の主観なのですが旧日本軍にとって迫撃砲は立派な「大砲」と考えていたのではないでしょうか? 迫撃砲に携わる人員等は射手、段列、観測員等で構成され、一門あたり駄馬2頭を要し、迫撃砲大隊は歩兵連隊に対し迫撃砲中隊を歩兵連隊の指揮下に入れて戦闘を行う編成などを考えると歩兵の中の「砲兵」という感じを受け、歩兵の火器という感じを受けないですが如何でしょうか? 擲弾筒だと射手自身が擲弾筒を持ち運び、段列も専門的に編成する必要が無いのでお手軽に歩兵の火力を向上出来ます。 更には前回書き込みでも触れましたが運搬の事を考えると欧米の軍隊は輸送能力を有しているのに対し旧日本軍は輸送能力が貧弱な為迫撃砲を多数有したとしてもその運搬能力も勘定せねばならず、当時の台所事情を考えると厳しいと思います。 トラックはもちろんの事アメリカにはミュール、イギリスにはガンキャリアー、ドイツにはケッテンクラート(名称があっているか不安です・・・)等の運搬機材が有りますが旧日本軍に関しては寡聞にして存じません。 前回書き込みの擲弾筒と手榴弾の関係と併せて旧日本軍の迫撃砲に関する一つのヒントだと思います。 ちなみに御存知でしたら御容赦願いたいのですが旧日本軍には94式軽迫撃砲が有ります。 |
> 迫撃砲に携わる人員等は射手、段列、観測員等で構成され、一門あたり駄馬2頭を要し、迫撃砲大隊は歩兵連隊に対し迫撃砲中隊を歩兵連隊の指揮下に入れて戦闘を行う編成などを考えると歩兵の中の「砲兵」という感じを受け、歩兵の火器という感じを受けないですが如何でしょうか? 迫撃砲――砲兵、歩兵砲――歩兵の運用と思っていましたが、違いましたっけ? 日本の迫撃砲は大口径の砲が多く(防御拠点攻撃用?)、その一方、歩兵は自前の火力として歩兵砲を持っていたのでは無かったかな…九二式歩兵砲は直射・曲射が可能(「普通」の迫撃砲より重いですが)、そのため新規の軽量迫撃砲の開発が遅れたのではないか、と思います。迫撃砲という兵器の、使い方に他国との違いがあったのではないでしょうか。 あと、「迫撃砲」以外に「曲射歩兵砲」なるものがあります。九七式曲射歩兵砲は口径81mm、射程2800m、アメリカのM1迫撃砲と似た感じの「歩兵砲」です。生産数等は今わからないですが。 > ちなみに御存知でしたら御容赦願いたいのですが旧日本軍には94式軽迫撃砲が有ります。 九四式軽迫撃砲は、「軽」ながら駐退器付きの怪物では無かったでしょうか。 このあたりの事情、光文社文庫の『世界の重火器』に触れられていたと思いますが、この本は以前ブラック・タロン氏に差し上げてしまったので今わかりません(汗 以上、素人が勢いで書いてしまいました。認識の錯誤もあると思います、申し訳ありません。 |
♪誰かに呼ばれた気がして、少し振り返ってみたけれど〜(by陣内大蔵) ・・・って冗談はさておいて。 > 迫撃砲――砲兵、歩兵砲――歩兵の運用と思っていましたが、違いましたっけ? > 日本の迫撃砲は大口径の砲が多く(防御拠点攻撃用?)、その一方、歩兵は自前の火力として歩兵砲を持っていたのでは無かったかな…九二式歩兵砲は直射・曲射が可能(「普通」の迫撃砲より重いですが)、そのため新規の軽量迫撃砲の開発が遅れたのではないか、と思います。迫撃砲という兵器の、使い方に他国との違いがあったのではないでしょうか。 > あと、「迫撃砲」以外に「曲射歩兵砲」なるものがあります。九七式曲射歩兵砲は口径81mm、射程2800m、アメリカのM1迫撃砲と似た感じの「歩兵砲」です。生産数等は今わからないですが。 > > > ちなみに御存知でしたら御容赦願いたいのですが旧日本軍には94式軽迫撃砲が有ります。 > > 九四式軽迫撃砲は、「軽」ながら駐退器付きの怪物では無かったでしょうか。 大体の方はご存じと思いますが、旧日本陸軍の迫撃砲は編制の違いによって命名が異なっていました。独立砲兵大隊の火砲として運用されるものが『迫撃砲』であり、歩兵大隊の直接支援用重火器として運用されるものが『曲射歩兵砲』でした。それぞれの具体的な編制は手元に資料がないので不明ですが・・・ 陸軍が最初に導入した曲射歩兵砲(迫撃砲)は、大正11年に採用された11年式曲射歩兵砲(70mm)でした。この砲は迫撃砲の原型たるストークス・ブラント砲の墜発式ではなく、ライフリング付き砲身を持ち、砲口から砲弾を落とし込んで引き金で発射する形式でした。ちなみに、11年式曲射歩兵砲の砲弾や砲身の構造は後の89式重擲弾筒とよく似ており、重擲は11年式曲射歩兵砲を擲弾筒の形式に簡略化したものと見られているようです。 その後、陸軍もストークス・ブラント砲形式の迫撃砲に本格的な関心を示し、フランスから同形式の迫撃砲を購入して研究を行い、昭和9年に94式軽迫撃砲(90.5mm)を完成させます。この砲は当初化学弾(毒ガス弾)の発射をメインに考えられたが、その後通常榴弾も精密発射できるよう要求が増やされた結果、迫撃砲でありながら駐退器付きという代物になったと手元の資料にあります。 一方、曲射歩兵砲としては昭和13年に97式曲射歩兵砲(81mm)が開発されました。この砲は94式軽迫とは異なり完全なストークス・ブラント式迫撃砲のコピーでした。11年式から97式までの間にかなりのブランクがありますが、これには先に酒匂氏が書かれたように、先に平射・曲射兼用の92式歩兵砲(70mm)が"大隊砲"として広く配備されていたことが大きいようです。 しかし、97式曲射歩兵砲はシステム重量、砲弾の威力、射程距離等で92式歩兵砲を上回っていたにも関わらず、更新は完全には進まなかったようです。その理由として、簡易照準により弾幕を張る面的制圧兵器である曲射歩兵砲(迫撃砲)が、弾貧乏の陸軍にあまり受け入れられていなかったという事情があったと言われています。 なお、陸軍が最後に開発した迫撃砲は2式12糎迫撃砲(120mm)でした。 > このあたりの事情、光文社文庫の『世界の重火器』に触れられていたと思いますが、この本は以前ブラック・タロン氏に差し上げてしまったので今わかりません(汗 その節は御本の提供誠にありがとうございました(御礼) |
割り込み失礼致します。 手元資料を確認した所、九七式曲射歩兵砲を装備している師団として以下のものが確認できました。 第九師団、第十一師団=1個歩兵連隊当り12門 つまり師団で36門 第百、第百二、第百三、第百五師団=1個独立歩兵大隊当り4門 つまり師団で32門 第十四師団(海洋師団改編後)=海上反撃連隊に54門 要地確保連隊は九二式歩兵砲 第三十六師団(海洋師団)=海上反撃連隊に18門、他に形式不明の迫撃砲36門 要地確保連隊は九二式歩兵砲 この例から見ると、帝国陸軍は九七式曲射歩兵砲を九二式歩兵砲の更新用としてではなく、特定の任務を期待した部隊に配備しているように思えます。 百番台のフィリピン警備師団は別として、第九、第十一は駄馬編制、第十四、第三十六師団は海上反撃用連隊にのみ配備していることなどから素人考えですが機動力を必要としている部隊に優先配備しているのではないでしょうか? そういえば本土の決戦用二百番台師団の歩兵連隊にも例の二式十二糎迫撃砲を歩兵砲の代わりに配備しています。 私信 伊号様、その節はお世話になりました。またいずれ。 |
> 割り込み失礼致します。 > 手元資料を確認した所、九七式曲射歩兵砲を装備している師団として以下のものが確認できました。 > > 第九師団、第十一師団=1個歩兵連隊当り12門 つまり師団で36門 > 第百、第百二、第百三、第百五師団=1個独立歩兵大隊当り4門 つまり師団で32門 > 第十四師団(海洋師団改編後)=海上反撃連隊に54門 要地確保連隊は九二式歩兵砲 > 第三十六師団(海洋師団)=海上反撃連隊に18門、他に形式不明の迫撃砲36門 > 要地確保連隊は九二式歩兵砲 > > この例から見ると、帝国陸軍は九七式曲射歩兵砲を九二式歩兵砲の更新用としてではなく、特定の任務を期待した部隊に配備しているように思えます。 > 百番台のフィリピン警備師団は別として、第九、第十一は駄馬編制、第十四、第三十六師団は海上反撃用連隊にのみ配備していることなどから素人考えですが機動力を必要としている部隊に優先配備しているのではないでしょうか? > そういえば本土の決戦用二百番台師団の歩兵連隊にも例の二式十二糎迫撃砲を歩兵砲の代わりに配備しています。 旧日本軍の戦争後期、又は末期の装備状況を調べたいのですが具体的な装備状況を知る機会が有りません。 大変興味ある内容なので上記の資料と戦争末期の装備状況が解る様な資料等を御存知ならばお教え頂けないでしょうか? (特に対戦車兵器や沿岸拘束師団の装備状況等、贅沢を言えば国民義勇隊も含む) 私信、第一総軍様がよく出入りされている某サイトを覗いてみましたが第一総軍様を発見出来ませんでした。 宜しければ何処にあるか具体的にお教え願いませんでしょうか? |
私の居場所ですが、最近某サイトの移転に伴い以下のアドレスに変更となりました。 「日本陸軍の戦闘能力II ここはお国の何百里」 http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/army/989154351/l50 及び、過去ログ倉庫入りしたその前スレ 他に常駐しているスレがあと1つあるのですが、荒らされやすい内容なのでそちらはご容赦を。 ご希望の資料についてはある程度協力できると思いますが、色々な資料からの寄せ集めで長くなりすぎここで説明するとスレ違いになってしまいそうです。 上記サイト又は共通の知人G氏を通じてコンタクトをとりたいと思います。 某サイトではたまに他のスレにも書き込むことが有りますが、登場頻度が少ない天然記念物のようなコテハンです。 皆様、私信失礼しました。撤退いたします。 |
酒匂135さまが書かれておりますが、日本軍の場合、迫撃砲ー砲兵、歩兵砲ー歩兵という区分で呼称していたらしく、更に混乱を招くことに伊号さまの書かれている94式軽迫撃砲は、口径が90mmもあるという欧州諸国から言えば、立派な中迫撃砲で、欧州諸国の基準から言えば、とても軽迫撃砲とは呼べない代物でした(記憶違いかもしれませんが、日本陸軍では諸外国に誤解させるため、わざと94式「軽」迫撃砲と命名したそうです)。私自身も書き込むうちに混乱しそうなので、以下、歩兵の火力支援に当たる大砲を迫撃砲とまとめて書き込みますが、ご宥恕下さい。 素人考えと笑われるでしょうが、歩兵中隊に口径が50mmから60mm程度の軽迫撃砲2門を装備した軽迫撃砲班を配備して、小隊、分隊クラスの戦闘の火力支援を行う方が、史実よりも有効な小隊、分隊に対する火力支援を行えたのではないでしょうか。これ位の小口径の軽迫撃砲なら、分解すれば数名の歩兵か1頭の馬の駄載による搬送が可能で、密林や山岳等の戦闘でも使用可能だと思うのですが、如何でしょうか。92式歩兵砲があるではないか、と言われそうですが、92式歩兵砲は「大隊砲」という呼称があるように、歩兵大隊に配備される迫撃砲です。それに、贅沢が過ぎるかもしれませんが、92式歩兵砲は平射・曲射両方ができるように開発されたためか、私の目からは、万能薬が結果的に効き目が薄くなるように、中途半端な性能を持ってしまったように見えてしょうがありません。 もちろん、そのような軽迫撃砲が開発・装備されなかったため、重擲弾筒が史実の日本陸軍の歩兵にとって、小隊、分隊クラスの戦闘に際し貴重な火力支援を与える存在となり、十二分な活躍をしたのは事実ですが、何となく上層部の失敗を現場で補ってしまい、上層部の失敗が結果的に隠蔽されてしまったような気が私にはしてしょうがありません。 |
>歩兵中隊に口径が50mmから60mm程度の軽迫撃砲2門を装備した軽迫撃砲班を配備して、小隊、分隊クラスの戦闘の火力支援を行う方が、史実よりも有効な小隊、分隊に対する火力支援を行えたのではないでしょうか。 それは、その通りですね。欲を言えば81mmがほしいところですが。これでも結構、分解膂力搬送ができます(獨軍の如く)。 けれども、旧軍の歩兵聯隊は、基本が小銃部隊で、それは安上がりに沢山の部隊が編成できたからで、従って実情を見ていると、重(?)歩兵火器も薄く広く配布が方針だったような気がします。当然、火力が厚ければ簡単に突破できるような戰闘でも、もたもたと小銃(輕機・重擲を欠く場合が多い)で弾幕を張り、最後は白兵突撃に持ち込むと云う日露戦争当時とたいして変わらない様相を保存しつづけていたのは、ポーランド騎兵と同じく、世界の驚異でもあります。重機や歩兵砲は、小銃中隊とは別の編成で、部隊長の直轄となっており、各小銃小隊に必要に応じて分属されてくるので、中隊レベルでの臨機の運用はできなかったようです。大隊長や聯隊長は貴重な重火器を大事にして、なかなか出さず、会戦や攻勢作戦行動の場合以外、普通は全く重機や曲射歩兵砲の援護のない小銃中隊の方が多かったのでないでしょうか。 |
上の文中、「各小銃小隊に必要に応じて分属」とあるうち、「小隊」は「中隊」の誤り。 |
御指摘有難うございます、編成上での違いや94式「軽」迫撃砲を一般的な軽迫撃砲と同一に論じてしまいました。 仰る通り94式は駐退器を有する中迫撃砲に分類すべき代物で確かに軽迫撃砲として論じるには不適当な例えでした。(御指摘を受けた後で自分の書き込みを見て思わず赤面しちゃいました) |
私も記憶頼みで、あとから見るとかなり無責任な書き込みになっています。 書いた内容は正しかったようで、ホッとしました。 皆様、フォローありがとうございました。 |
旧軍歩兵は小隊レベルでの火力が薄く、また機動力のある軽砲(歩兵砲・配属歩兵戦車レベル)の支援が臨機に受けられない(そういうのは貴重品なので、部隊長直轄となっていて、なかなか出てこない)ので、「携帯砲兵」として擲弾筒分隊を編成して用を足していたと私は考えます。大陸での火力の薄い小銃・機關銃主体の敵を相手の肉薄近接戰闘では、相当の効果があったはずです。 重擲への歩兵の信頼は篤く、特に間接射撃の必要な場面(敵塹壕や暴露銃座撲滅など)では大活躍でした。より大口径の曲射歩兵砲・歩兵戦車のない状態では、それが精一杯のところと思います。 |
個人的な意見としては信頼性はともかくとしても陸戦兵器の中では成功作と思います。 小隊レベルの火器の運搬という観点ではモータリゼーションの発達していない日本軍は駄載による搬送が重要視されていましたがこれにも限度があります。 又、第二次大戦では密林や山岳等の機械力を用いた火砲の搬送が困難な地形での戦闘を考えると個人携行できる擲弾筒の価値は高いと思います。 輸送力(海上ももちろんですが主に陸上での)の貧弱な日本軍にとって歩兵砲を増やす事に越したことは無いでしょうがそれらを前線まで持っていく為の輸送手段も考えなければならず、輸送力と火力の両立を考えると擲弾筒で補うのは自然な流れだと考えます。 もう一つは専用の擲弾の他に手榴弾を投擲できる点も注目すべき点だと思いますが皆様如何でしょうか。 |
同感です。戦記など読んでいると、歩兵小隊長レベルでは、大隊砲や聯隊砲、いわんや野砲・歩兵戦車・直協爆撃機など、まるで期待しておらず、大陸の戰闘においては、そういう「重火力」が当初から計算外だったと思います。軽機があるだけで、士気旺盛となったくらいなので、まあ、いつも胡瓜と御飯だけ食べているのが、100円コロッケ半分あれば元気百倍というのと似ています。 |
弾薬補給さえ豊富にできたなら、あの性能で、あの編成でまったく問題なかったと考えます。 むしろ、日本軍に携帯可能な無線通話機がない以上、クローズサポートという小口径迫撃砲本来の任務を果たすには、あの編成法はベストとさえ言えるかもしれません。 中隊の重火器小隊に集中しては、却って柔軟性を欠くような気がします。 また、少々造りが華奢ではありますが、性能的には面制圧兵器としての応用もそのまま可能なポテンシャルを持っています。 ただ、小銃小隊とどこまでも一緒についていけるという特性は、日本軍においては補給不十分と並立せざるを得なかったという点にこそ、重擲の戦術運用上の限界があったと考えます。 擲弾筒1門宛の弾薬定数(1基数)は擲弾筒手4発、弾薬手2名のそれぞれ8発の合計20発でしかなく、景気よく撃ってしまってはあっという間に弾切れとなってしまいます。 |
私としては、軽迫撃砲(欧州諸国で採用されていた口径50mm〜60mm級の迫撃砲のことです。94式軽迫撃砲ではありません)の方が、擲弾筒より射程等が遥かに優るので、38式歩兵銃の構造等の問題から、新規に擲弾筒を開発・配備する位なら、軽迫撃砲の開発・配備を進めた方が良かったのでは、と思っていました。しかし、まなかじさまの書込みを読み、あらためてネット検索を行ってみたりしたところ、自分の考えが非常に浅かったことに赤面しています。 独軍の軽迫撃砲の最大射程は520m程で、擲弾筒の最大射程400m程を遥かに優越するとは言えません。他の英軍等の軽迫撃砲の射程も、そう大きく変わるとは思えません。そして、敵の大口径火砲等による支援が行われている状況で、接近攻撃することを考えると、擲弾筒の方が優れているようにも思えます。 そして、日本陸軍の通信機能の貧弱さです。分隊クラスにも無線通話機を配備できるような国とは違う状況からすれば、軽迫撃砲班を歩兵中隊に配備し、という考えは、結果的に通信機能の不足から、各小隊・分隊に火力支援が必要になった際の火力支援が史実よりも不足するという事態を招きかねません。 最大の難点は、弾薬補給です。擲弾筒なら、一部の手榴弾を使用することもできますが、軽迫撃砲ではそのようなことはできません。史実の擲弾筒でさえ、弾薬不足に悩んでいたことから考えると、擲弾筒の代わりに、軽迫撃砲を配備すると言うのは、史実より更なる弾薬不足を招き、史実と逆に日本の実情にあった擲弾筒の開発・配備を行うべきだったと非難を受けるのは確実に思えます。 きちんとシステム全体を考えているつもりだったのですが、大穴だらけでした。もっと勉強しないといけませんね。しばらく反省します。 > 弾薬補給さえ豊富にできたなら、あの性能で、あの編成でまったく問題なかったと考えます。 > むしろ、日本軍に携帯可能な無線通話機がない以上、クローズサポートという小口径迫撃砲本来の任務を果たすには、あの編成法はベストとさえ言えるかもしれません。 > 中隊の重火器小隊に集中しては、却って柔軟性を欠くような気がします。 > また、少々造りが華奢ではありますが、性能的には面制圧兵器としての応用もそのまま可能なポテンシャルを持っています。 > > ただ、小銃小隊とどこまでも一緒についていけるという特性は、日本軍においては補給不十分と並立せざるを得なかったという点にこそ、重擲の戦術運用上の限界があったと考えます。 > 擲弾筒1門宛の弾薬定数(1基数)は擲弾筒手4発、弾薬手2名のそれぞれ8発の合計20発でしかなく、景気よく撃ってしまってはあっという間に弾切れとなってしまいます。 |
引用なしをチェックしていたつもりでしたが、落としていたみたいです。まなかじさまの書込みを結果的に全文引用してしまいました。本当にすいません。 |
擲弾筒は、元々"小銃を使わない小銃擲弾(ライフル・グレネード)"という考え方の下に開発されたと言われています。当時の主力歩兵銃(38式)では重いグレネードを飛ばすのは難しく、無理にやろうとすれば銃にガタがきてしまうと考えた陸軍は、最初専用擲弾銃を試作したほどでしたが、最終的に行き着いたのは簡易迫撃砲的な擲弾筒だったわけです(もっとも、その後スピゴット式のライフル・グレネードを採用していますが・・・)。 先に登場した10年式擲弾筒は、手榴弾のみを発射するという点でまさに"小銃を使わない小銃擲弾"でした。ただ、そのために威力的には不満足な部分があったかもしれません(この点は手榴弾流用のライフル・グレネードでも同じか)。そして、その後登場した89式重擲弾筒は、手榴弾発射機能を残しつつ専用砲弾を制定したことで、単なる"小銃を使わない小銃擲弾"から脱却し、50〜60mm級軽迫撃砲ともライフル・グレネードとも異なる独自の軽火器に発展したといえるでしょうか。 |