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 ▼日本軍は白兵主義か?  モーグリ 02/3/1(金) 19:28
   ┣Re:滲透戦術  シュウスイ 02/3/1(金) 23:39
   ┣白兵主義は旧弊思想か?  まなかじ 02/3/2(土) 1:11
   ┃  ┗ゴミレス  k-mine 02/3/2(土) 15:33
   ┃     ┗Re:ゴミレス  シュウスイ 02/3/4(月) 22:20
   ┣余談ですが…  シュウスイ 02/3/2(土) 18:39
   ┣浸透戦術について  山家 02/3/2(土) 20:03
   ┃  ┣Re:隠密行動と奇襲性は評価したい  シュウスイ 02/3/2(土) 21:40
   ┃  ┗Re:浸透戦術について  モーグリ 02/3/5(火) 22:33
   ┣Re:「白兵戦思想」に固執せざる得ない帝国陸軍の現実  TAKA 02/3/2(土) 23:57
   ┃  ┣少しだけこのコストも考えて  だーくまたー 02/3/3(日) 0:50
   ┃  ┃  ┣Re:少しだけこのコストも考えて  シュウスイ 02/3/3(日) 9:30
   ┃  ┃  ┗Re:徴兵コストと重兵器コストどちらが安いか?  TAKA 02/3/3(日) 23:56
   ┃  ┃     ┣失礼ながら暗黒面に入りかけてませんか?  だーくまたー 02/3/4(月) 23:26
   ┃  ┃     ┃  ┣Re:これでも現実ではありませんでしょうか?  TAKA 02/3/5(火) 0:55
   ┃  ┃     ┃  ┃  ┗(とりあえず)お詫びと突っ込み  だーくまたー 02/3/5(火) 1:55
   ┃  ┃     ┃  ┗Re:実際の軍事費は…  シュウスイ 02/3/5(火) 2:13
   ┃  ┃     ┃     ┗Re:それが日本の現実なのですよね〜  TAKA 02/3/5(火) 2:34
   ┃  ┃     ┃        ┗そうでしょうか  モーグリ 02/3/5(火) 22:34
   ┃  ┃     ┃           ┣動員数でみると…  シュウスイ 02/3/6(水) 0:26
   ┃  ┃     ┃           ┗Re:帝国陸軍の近代化と戦時動員力  TAKA 02/3/6(水) 13:51
   ┃  ┃     ┗どうだろうか?  BUN 02/3/6(水) 20:35
   ┃  ┣日本陸軍は白兵戦が多いのか?  アリエフ 02/3/3(日) 9:06
   ┃  ┃  ┗万歳突撃は…  シュウスイ 02/3/3(日) 10:33
   ┃  ┗@日露戦争  まなかじ 02/3/3(日) 17:08
   ┃     ┗Re:ちょっと前の書き込みの付け加えです。  TAKA 02/3/3(日) 23:28
   ┃        ┣ゴミレス  ベリアル 02/3/4(月) 0:28
   ┃        ┃  ┗Re:ゴミレス  ヒロじー 02/3/4(月) 1:17
   ┃        ┃     ┗Re:ゴミレス  ベリアル 02/3/4(月) 2:26
   ┃        ┃        ┗Re:ゴミレス  ヒロじー 02/3/4(月) 15:08
   ┃        ┃           ┗Re:ゴミレス  ベリアル 02/3/5(火) 3:49
   ┃        ┗Re:ちょっと前の書き込みの付け加えです。  まなかじ 02/3/4(月) 3:45
   ┃           ┣自己レス  まなかじ 02/3/4(月) 19:21
   ┃           ┗Re:ちょっと前の書き込みの付け加えです。  TAKA 02/3/4(月) 23:35
   ┣理論、思想と現実は別けて考えるべきでは  BUN 02/3/3(日) 18:47
   ┣大元に返る  まなかじ 02/3/4(月) 20:25
   ┃  ┣Re:大元に返る  BUN 02/3/5(火) 6:04
   ┃  ┃  ┣補足  BUN 02/3/5(火) 7:44
   ┃  ┃  ┃  ┗そのまた補足  tackow 02/3/5(火) 9:12
   ┃  ┃  ┗Re:お詫び  まなかじ 02/3/5(火) 19:28
   ┃  ┗白兵戦がめだってしまう過程  シュウスイ 02/3/5(火) 19:43
   ┃     ┗追加説明  シュウスイ 02/3/5(火) 23:47
   ┣実践 歩兵操典読み比べ  BUN 02/3/5(火) 23:40
   ┃  ┣まとめると・・・  BUN 02/3/6(水) 14:16
   ┃  ┃  ┗そもそも日本に白兵主義のような伝統はなかった  dg 02/3/22(金) 22:27
   ┃  ┃     ┗Re:そもそも日本に白兵主義のような伝統はなかった  モーグリ 02/3/27(水) 13:58
   ┃  ┃        ┗刀の使い道  dg 02/3/31(日) 19:32
   ┃  ┃           ┗Re:刀の使い道  景虎 02/4/13(土) 1:05
   ┃  ┗言葉は実態を反映しない  あるめ 02/3/7(木) 14:56
   ┃     ┗米兵と日本兵の突撃は違うのでは…  シュウスイ 02/3/7(木) 21:32
   ┃        ┗歩兵の突撃は機能としては同じ  あるめ 02/3/8(金) 0:12
   ┃           ┗基本的には正しいと思いますが…  シュウスイ 02/3/8(金) 20:55
   ┃              ┗Re:基本的には正しいと思いますが…  あるめ 02/3/9(土) 0:15
   ┃                 ┗細かい話になりますが…日本軍の歩兵用対戦車兵器の装備については…  シュウスイ 02/3/9(土) 8:37
   ┃                    ┣細かい事と大まかな事  BUN 02/3/9(土) 9:30
   ┃                    ┃  ┣Re:細かい事と大まかな事  シュウスイ 02/3/9(土) 11:01
   ┃                    ┃  ┗僭越ながら一筆を  伊号 02/3/24(日) 6:37
   ┃                    ┃     ┗どういう意味でしょうか?  BUN 02/3/24(日) 13:33
   ┃                    ┃        ┗失礼しました  伊号 02/3/31(日) 22:42
   ┃                    ┃           ┗白兵戦主義に全てを帰すのは無理がある  BUN 02/4/1(月) 5:56
   ┃                    ┗so-so-  あるめ 02/3/9(土) 14:33
   ┗研究紹介  あるめ 02/3/8(金) 15:48

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : 日本軍は白兵主義か?
 ■名前 : モーグリ
 ■日付 : 02/3/1(金) 19:28
 -------------------------------------------------------------------------
   太平洋戦争の日本軍については、一般的に「WW1を経験していなかったため
日露戦争以来の白兵主義に凝り固まり、米軍の機関銃の前に銃剣突撃や万歳突撃を
繰り返して敗北した」とする定説があります。

その一方で「第一次大戦で誕生した浸透戦術を多用し、浸透戦術で敵を苦しめた」
とする意見もあります。

どちらが正しいのでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:滲透戦術  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/1(金) 23:39  -------------------------------------------------------------------------
    白兵戦主義と滲透戦術(日本軍は「滲透」と表記)は矛盾する概念ではないと
思います。
 白兵戦主義とは「主義」であって具体的な戦術とは少し意味合いが違うと思
います。米軍のような火力な豊富な部隊は射撃による制圧を重要視していました
が、日本軍はさほど豊富な支援火器もないため、中隊レベル以下の規模の戦闘
では基本的に機動と突撃を繰り返し、敵に肉薄して制圧することを目指しました。

一方、滲透戦術の方は「戦術」であって、戦線を滲透又は迂回して後方に回り込み
敵を混乱敗走させることが目的です。戦争初期のマレーやビルマではジャングルや
ゴム園などの滲透奇襲攻撃により勝利しています。

ただ、この滲透戦術は例えばガ島の川口支隊の攻撃においては失敗しています。
もともと米軍の防御火力が優秀だったこともありますが、滲透戦術自体が敵を直接
的に火力制圧するものではなく、後方攪乱による混乱敗走をねらうものなので、
敵の防御拠点がそうした混乱に陥らず、指揮統率下で反撃を受けると滲透部隊は
逆に敵中に孤立することになりもろいのです。

日本軍はもともと貧乏ですし、十分な砲兵火力も受けられそうになかったため、
(英米軍の編成とちがって日本軍の大隊に歩兵砲小隊はありますが、ま、それだけ
でしょう)、準備砲撃で敵陣を制圧してから進むのではなくて、敵陣を滲透迂回し、
敵の混乱を誘って白兵戦で敗走させるというのが、理想の勝ちパターンだったと思
います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 白兵主義は旧弊思想か?  ■名前 : まなかじ  ■日付 : 02/3/2(土) 1:11  -------------------------------------------------------------------------
   > 太平洋戦争の日本軍については、一般的に「WW1を経験していなかったため
> 日露戦争以来の白兵主義に凝り固まり、米軍の機関銃の前に銃剣突撃や万歳突撃を
> 繰り返して敗北した」とする定説があります。

中国大陸で何年もの実戦経験を重ねている軍隊がそんな間抜けなことをするものでしょうか?

第一次世界大戦を肌で経験していても、欧州各国、なかんずくフランスなどは白兵の威力をむしろ称揚し、捨てるどころの話ではありません。
バルバロッサ作戦ではドイツ軍の機甲部隊の突進にどうしても目が行ってしまいますが、機甲部隊の快速機動によって包囲下に陥ったソ連軍部隊を実際に撃滅するのは歩兵であり、Kar98kの銃剣だったのです。

断乎として抵抗する気のある敵陣を歩兵で占領するには、白兵は必要不可欠なものと見られています。
ボルトアクション小銃で突撃、「手榴弾の最終弾に膚接して」敵の塹壕に躍りこんだら、そこからは火力の出番ではありませんね。
むしろ、日本軍は第一次大戦を肌で経験していないがために実用性に欠ける日本刀型軍刀や低威力の拳銃をいつまでも保有し、短機関銃のような接近戦兵器の開発に本腰を入れることがなかったとさえ言えるかもしれません。

日本陸軍は「列強並みに」白兵戦を重視していたが、白兵戦用の装備は実はあまり充実しておらず、白兵戦においても気合というか精神力で圧倒することを求められていたと言えます。

> その一方で「第一次大戦で誕生した浸透戦術を多用し、浸透戦術で敵を苦しめた」
> とする意見もあります。

ノモンハンでも、白兵突撃自体は否定されていません。
「もっと散開させろ」「もっと速く、深く浸透させろ」「もっとよく準備をしろ」というのが反省点の眼目となっています。
上海事変ではドイツ人軍事顧問団のいる中国軍と戦って好成績を挙げましたが、ソ連軍はそれを上回る重厚長大な縦深陣地と、攻撃部隊の戦力を発起前に削ぎ取る砲兵火力で対抗しようとします。
ここで注意したいのは、ソ連軍の機関銃に阻止されたという話は聞かないということです。
それなりの準備があってそれなりの装備を持っている状態の日本軍は近代的陣地を攻撃する力を持っています。
バターン半島では米軍の陣地を抜いているではありませんか。

戦争後期の日本軍師団が装備万端の状態で戦った例はほとんどありませんが、沖縄では圧倒的制空権下に部隊間の連絡や補給がずたずたにされながらも、ある程度の広さとそれなりの装備を持った日本軍はかなりの善戦を見せています。
海に沈んでしまった兵器弾薬、そして兵士があれば、白兵思想がどうのこうのとは言われなかったかもしれません。
それをさせなかったのがアメリカという国なのでもありますが。

とはいえ、アメリカ陸軍はかなり特殊な軍だという点も忘れてはいけないでしょう。
アレだけの装備と鉄量を持った軍隊は当時世界のどこにもありません。
ソ連と3年戦ってきたドイツ軍や、同盟国の英軍ですらカルチャーショックを覚えるほどの軍隊です。
戦法はド素人である、というのは日本軍も言っています。
ド素人で原則に忠実なだけ、あんがい間抜けなところもある軍隊だけれども、それで勝てるだけの装備が質量ともにある。
小手先の戦術どうこうではどうにもならない
白兵だろうと火力戦だろうと、いろいろな意味で「奥行き」のない日本軍では歯が立たないでしょう

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ゴミレス  ■名前 : k-mine  ■日付 : 02/3/2(土) 15:33  -------------------------------------------------------------------------
    自衛隊も米軍に心配されるほど弾薬の備蓄が少ないそうですから、もし今戦争があっても「浸透戦術」と「着剣突撃」に頼るしかなさそうですね。
 もしそうなったら後世の人々から「突撃神話は旧日本軍から自衛隊へと受け継がれ、彼らはその伝統にのっとり着剣突撃をした」なんて言われてしまうんでしょうね。

 シンガポール攻防戦では砲兵隊をかなり積極的に使ったようですし、やはり本音は「使えるものなら使いたいけど数も質も足りないんだからしょうがねえだろ」という所ではないでしょうか。実際、もし日本軍にMG42なんかがあったひにゃあすぐ弾使い果たして大変だったでしょうね。足りない部分は「努力と根性」でなんとかするのは体育会から企業に至るまで我が国に幅広く伝統としてしっかり(?)受け継がれていますね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:ゴミレス  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/4(月) 22:20  -------------------------------------------------------------------------
   もちろん我が精鋭無比の陸上自衛隊員は、「銃剣道」を必須科目としており、
着剣した小銃でクローズコンバットすれば、世界最強です。

また、さらに陸自は強力な敵を徒手(素手)だけで制圧する総合格闘技
「自衛隊徒手格闘」を確立しています。諸外国の軍隊では一部の特殊部隊を
除いて格闘術を疎かにしているという現状があります。

徒手格闘においては、テコンドーの韓国軍とカンフーの中国人民解放軍が
数少ないライバルですが、着剣した小銃えあれば、彼らの好き勝手には
させません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 余談ですが…  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/2(土) 18:39  -------------------------------------------------------------------------
    日本軍は攻撃作戦のときに毎回浸透戦術を行ったわけではありませんが、それを
実施したときはWW1のドイツのものと違って、準備砲撃なしの夜間浸透奇襲であった
ため、連合軍将兵には「夜間にジャングルの中から忍び寄ってくる」という強い
イメージを与えたようです。

以前、米国のAH社から発売されていた傑作WW2歩兵戦闘カードゲーム「Up Front」
シリーズでは、ルールに「浸透戦術における日本軍の優位を再現するため」とわざわざ
記載があり、日本軍にだけ移動や侵入に関して有利な特別ルールがありました。

ゲームのデザイナーズノートでも、日本軍の浸透戦術についてやや詳しいコメントが
あり、「彼らの浸透戦における特質と高い士気」との表現で高い評価を与えています。
もちろんこのゲームのデザイナーはアメリカ人です。

…ただ、これらの特別ルールがないと、日本軍は貧弱になってしまい、ゲームとして
成り立たない、ということもあるかもしれませんけど。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 浸透戦術について  ■名前 : 山家  ■日付 : 02/3/2(土) 20:03  -------------------------------------------------------------------------
    私としては、浸透戦術自体は優れたものだ(石原莞爾将軍は、第16師団長になった際
に、師団全体で浸透戦術の訓練を行ったとも聞いています)と思ってきたのですが、つい
最近、友人とこの話をしたところ、まるでWWIIでも大艦巨砲主義は有効というようなも
のだと言われてしまいました。友人によると、WWIIでは小部隊でも無線機を装備するよ
うになっている。浸透戦術は、部隊それ自体を撃滅するのではなく、後方との連絡を遮断
することによって、部隊を精神的に崩壊させることを考えて行われたもので、確かに無線
機を充分に装備していないWWI頃までなら有効だが、WWIIでは前記の事情から、前線
の小部隊は、無線機により後方の司令部と連絡を取ることができる。そして、航空機の発
達は、前線への補給物資の空中投下さえ可能にしている。従って、逆に浸透戦術を行った
側は、前線と後方から挟み撃ちにあって撃滅される危険性が高い。だから、欧米諸国は、
浸透戦術を見限り、電撃戦戦術等を採用したと聞かされました。私が、それに反論しよう
とすると、じゃあインパールで円筒陣地に立て篭もる英軍は崩壊したかと言われてしまい
私は何も言えませんでした。本当のところ、どうなのでしょうか。浸透戦術は、WWIIの
実情からは、旧式化してしまった戦術なのでしょうか。
 別スレッドにすべきかもしれませんが、便乗で失礼します。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:隠密行動と奇襲性は評価したい  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/2(土) 21:40  -------------------------------------------------------------------------
   師団長となった石原莞爾中将が浸透戦術訓練に熱心だったという話はなかなか
有名のようです。草木でカムフラージュを施し、すたすら隠密行動の匍匐前進
を行う…。訓練場は兵の声も走る姿もなく、シーンと静まり返っていた、という
ものですよね。

日本軍の浸透戦術が果たして時代遅れだったのかどうかはいろいろ難しい
評価だとは思いますが、オリジナルのドイツ軍の浸透戦術との違いである
隠密性と奇襲性については個人的に評価したいと思います。

ドイツ軍の浸透戦術の場合は準備砲撃により敵にある程度の混乱を与え、
戦線の隙間から、突撃部隊が浸透するのが基本です。すなわち、隠密性や
奇襲性はほとんどありません。いわば正攻法の堂々たる攻勢作戦です。

一方、日本軍の場合は夜間を利用して戦線をすり抜けるという夜間浸透で
あって、隠密性と奇襲性を求めたものです。また、敵に気づかれないうちに
間合いを詰めて、白兵戦に持ち込もうとする目的が大です。

敵は、「いつの間にか陣地を日本軍部隊に包囲された」という精神的
パニックに陥ったところで、日本兵が白兵突撃してくるという事になります。

ご指摘のように、無線による指揮統制や補給物資の空中投下という点において
防御側の混乱度はWW1の時とは違うと思います。電撃的な防御拠点の奪取が
成功しない限り、時間が経つに連れて、浸透側は苦しくなるでしょう。
特に奇襲性のないドイツ軍オリジナル浸透戦術は。

しかし、日本軍の夜間浸透奇襲の場合は、敵に気づかれずに接近と奇襲が成功
すれば、短時間的にはですが、戦術上の効果があるのは間違いありません。

もともとこうした奇襲がそうやすやすと成功するとは限らないのですし、奇襲
に成功したとしても、その一時的なチャンスをそのまま勝利に持っていけるかどう
かは何とも言えません。ただ、日本軍のような物量的質的に欧米に劣る「持てざる
軍隊」としてはこうした奇襲作戦によるしか勝利が望めない場合もあると思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:浸透戦術について  ■名前 : モーグリ  ■日付 : 02/3/5(火) 22:33  -------------------------------------------------------------------------
   > 前線への補給物資の空中投下さえ可能にしている
> じゃあインパールで円筒陣地に立て篭もる英軍は崩壊したかと
WW2でも空中投下が成功したのはレアケースです。
インパールの場合、日本軍の対空火器が弱かったこと、英軍が完全に制空権を掌握して
いたこと、米国製の輸送機を大量に投入できたことといった要因が重なった結果で、
そのままWW2全般に当てはめる事には無理があります。当時あれだけ大量の輸送機を
使用できたのは米軍だけです。
英軍だってアメリカから大量の輸送機をレントリース出来なかったら果たして
インパールを防衛できたでしょうか?
スターリングラードやディエン・ビエン・フーのように当時の技術力では空中輸送に
よる物資補給で包囲された大軍に補給するのはまず無理だと思います。(41年冬に
包囲されたドイツ軍は小部隊だったので空中補給可能でしたが)

空中補給で大軍に補給可能になったのはヘリや大型輸送機が登場した60年代以降、
テト攻勢のケサン攻防戦あたりからではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:「白兵戦思想」に固執せざる得ない帝国陸軍の現実  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/3/2(土) 23:57  -------------------------------------------------------------------------
    帝国陸軍の「白兵戦思想」には皆さんの仰るように光と陰があります。

 太平洋戦争に於いても「中国戦線」や緒戦の「南方戦線」では浸透戦術を多用し
成功した光の部分の成功例ですし、逆にガタルカナル島の川口支隊や第二師団の
突撃攻撃の失敗は、白兵戦思想に固執し支援の火力を軽視した事による、
陰の部分の失敗例であると言えます。

 私は「白兵戦思想」はそれだけに固執せず戦術の一部として使用する思想として
なら、十分有用な思想であると言えますし、又陸戦において最後の決着を付けるのは
「白兵戦」であると考えます。ですから「白兵戦思想」はそれだけに固執しなければ
良いですし、浸透戦術のように有効的な白兵戦を使う戦術と組み合わせれば
それは決して否定すべき物ではないと考えます。

 ですからモーグリさんの言う「白兵主義に凝り固まり敗北した」も
「浸透戦術で敵を苦しめた」もどちらも正しいと言うことになりませんか?

 只此処で「なぜ帝国陸軍は白兵戦思想に固執せざる得なかったか?」と言う
根幹について考えてみたらいいのではないでしょうか?

 その原因は色々ありますが、私が考える最大の原因は「コスト」です。
何故なら、火砲や戦車等の重兵器を作るには多額の費用がかかりますが、
兵隊はきわめて低いコストで徴兵できます。昔は良く「一枚5銭の赤紙で徴兵」と
言われていたそうですが、兵隊のコストはそれこそ5銭の赤紙と飯を食わせていて
38式歩兵銃+銃剣と多少の弾薬を持たせていれば白兵戦思想下では戦力になります。
それに対し、重兵器は製造に多大にコストがかかり、弾薬の補給にも負担がかかり、
運用や運搬にもコストがかかり、しかも兵隊に専門の教育をしなければならないと
莫大なコストがかかります。それに日本では火器を作る陸軍造兵廠が5つしかなく
弾薬にいたっては、大阪陸軍砲兵工廠でしか作れないそれも近代的ではなく
継ぎ接ぎだらけ増築をした西南戦争以来の古ぼけた工場しかない現実に直面した結果、
自国の国力で揃えられる歩兵戦力を最大限に有効利用させる戦術として、
日露戦争で成功を収めた栄光有る「銃剣突撃」を主体とした白兵戦思想と精神主義に
固執せざる得なかったのではないでしょうか?(精神主義は兵を白兵戦思想と
銃剣突撃に向けて鼓舞する為の裏付けです)

 その事は昭和3年改定の歩兵操典に「訓練精到にして必勝の信念堅く、軍紀至厳
にして攻撃精神充実せる軍隊は、克く物質的威力を凌駕して、戦勝を完うしうる
ものとす」と記入されています。その他にも明治42年の歩兵操典以来沢山出てくる
考え方です。

 この様な考え方が、日露戦争以来脈々と帝国陸軍の中に流れ続き、「白兵戦と
突撃」をずっと磨き続けた結果が、冒頭に述べた光と陰になって現れたのでは
無いのでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 少しだけこのコストも考えて  ■名前 : だーくまたー <cv2t-ymzk@asahi-net.or.jp>  ■日付 : 02/3/3(日) 0:50  -------------------------------------------------------------------------
   旧日本軍が歩兵の近接戦重視の白兵型になった原因の一因がコストにあったという点は
私も同様に考えますが、少しだけ指摘させてください。
> 兵隊はきわめて低いコストで徴兵できます。昔は良く「一枚5銭の赤紙で徴兵」と
> 言われていたそうですが、兵隊のコストはそれこそ5銭の赤紙と飯を食わせていて
> 38式歩兵銃+銃剣と多少の弾薬を持たせていれば白兵戦思想下では戦力になります。
軍隊のコストの多きを成すのはまさに「兵隊に飯を食わせ」て「給与を払う」人件費部分にあります。
現代の会社では払う給与の3倍が実際のコストだと言われています。
月給20万円の新入社員でも月60万円、年間で720万円のコストがかかるんです。
これに対し軍隊は衣食住+周辺の衛生治安+軍需装備まで負担しなければなりません。
上記の新入社員の半分で済むとしても今のお金にして年約300万円、100人いれば年3億円、戦車が買える値段です。
乱暴な計算で、本当は資料からはじくべき事だと思いますがすが、実際はもっとかかったであろう事は想像出来ると思います。
(月30万円で兵隊一人の食料から設備維持等が何処まで賄えるか考えてみて下さい)

また常に開発を続けていた各種装備を見れば近代化、重装化する意思も十分有った事が判ります。
しかれどその予算(維持能力を整備する予算も含めて)は主に中国戦線で肥大化した人員維持に相当量食われたのでは無いかと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:少しだけこのコストも考えて  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/3(日) 9:30  -------------------------------------------------------------------------
   確かに人件費に大きな費用はかかると思います。人件費を減らしてその分を
装備の充実にあてれば、陸軍は総合的により戦力アップしたかもしれません。

宇垣一成陸軍大臣のときの有名な「宇垣軍縮」の際には一挙に四個師団、3万3千
人の人員を削減しましたが、実は予算は減らさずにその分を近代装備充実に回して
います。こうした兵員抑制と装備近代化をその後も推し進めることができれば良か
ったのでしょう。

ただし、宇垣軍縮については軍内部からも批判の声が挙がったように、やはり、
「装備の近代化なんか進めなくても兵隊の練度を上げれば大丈夫」という精神論が
軍の一部に横行し、そうした近代化を妨げたのは事実だと思います。例えば日本軍が
SMGの導入にほとんど積極的でなかったのも「短機関銃は弾丸をたくさん消費する
ので、もったいない。それよりも訓練で命中率を上げればよい」という考えがあった
そうですから。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:徴兵コストと重兵器コストどちらが安いか?  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/3/3(日) 23:56  -------------------------------------------------------------------------
    確かに「だーくまたー」さんの言われるように、兵隊のコストも馬鹿にはなりません。
但しコストの要因を考える時、「徴兵」を忘れてはなりません。
徴兵は給与はそんなに掛からない(今の新入社員や自衛隊員とは比べ物にならない
低コストです)何せ「臣民の義務」の一言で駆り出してくるのですから・・・
確かに飯やら衣料・宿舎のコストは掛かりますが、それだって大部屋にハンモック状態
ですから、そんなに掛かりません。
 今の物価と当時の物価とは比較するのが困難ですが、当時の帝国陸軍では「陸軍大尉で
新婚世帯を持つと生活が困難」との記述があるぐらいですから、兵卒の給与なんて
押して知るべしでしょう。
 それに38式歩兵銃+銃剣+弾薬のコストも重兵器に比べれば・・・
戦力的に考えたら戦車1台で1〜2個中隊位は賄えたのではないですか?
(ちょっと大雑把すぎる計算ですが・・・)
 只「シュウスイ」さんが「宇垣軍縮」のことを言っていらっしゃっていますし、
私もこの直前の書き込みで書きましたが(詳細はそちらをご覧下さい)
帝国陸軍は戦車隊・高射砲隊・航空隊等を新増設する費用+軍近代化の費用
として軍縮の4個師団削減だけでは足りなく、砲兵の4割削減までしているのですから。
 逆に宇垣軍縮が歩兵削減はコスト的には大きく減らない事を示しています。
新兵器にしたって開発の意志は旺盛で、近代化を行っていたのは事実ですが
歩兵の削減ではなかなか困難で、砲兵で辻褄をあわさぜるえなかったのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 失礼ながら暗黒面に入りかけてませんか?  ■名前 : だーくまたー <cv2t-ymzk@asahi-net.or.jp>  ■日付 : 02/3/4(月) 23:26  -------------------------------------------------------------------------
   何制であろうとまともな国軍を作ろうとした場合の兵站量に大幅な差はありません。
幼少より教育され、当然の義務だと思わせていても飢えさせて兵隊が作れるでしょうか?
確かに体力的訓練は多用されたでしょうが、不十分な兵器訓練、疫病が出る衛生環境、
専門教育の足りない特殊兵科、そんな物では軍隊にはなりません。

それと徴兵制は志願兵制より大幅に兵員数が増えます、増えたから金がかかり皺寄せが
出るんです。
徴兵だから安く上がると言うわけではないのです。

また日本兵のコストは38式歩兵銃+銃剣+弾薬(+給与)だけではありません。
戦時に至っては極端な話給与なんてどうでもいいんです。
生活の半分以上を給与で賄っている今のサラリーマンでさえ(給与+給与の2倍)
の経費がかかるのですよ?
衣食住全て+αを維持する給与以外の兵站にどれだけの物がかかるのか?
ここは気を付けて欲しいポイントです、
「兵隊なんて赤紙で人狩りしてきて鉄砲持たせりゃ良い」
「歩兵の糧食、兵站なんてたいした物ではない」
と言う、机上でゲームの駒ようにしか兵隊を考えていない一部の人の様に
暗黒面に入りかけてませんか?
「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち」ですか?

たとえば平時、1万人の兵隊を1年間維持する兵站量を想像してみて下さい。
人間1人の世界平均での年間食料消費量は約300kg強という研究があります。
(一日約820g、肉体労働をする壮年男子には少な目かもしれません)
それでも1日約8t、年間約3000tの物資です。
弾薬を月10発だけ訓練で使用したとして年間120万発
その他の物含めて全ての生産、輸送、保管、管理、指揮、教育、人事、
全てがコストです。
そして軍隊と言う物はこの消費による生産物は無く有りません。
ある程度錬度は上がるかもしれません、しかし基本的に「維持」できるだけです。

恥ずかしながら私はこの事に、会社に入り新入社員研修である上司に
「君にかかるコストは給料だけではないんだよ、よく考えてみて下さい。」
と言われるまで考えが及びませんでした。

歩兵より重兵器の方がコストがかかるのは当然ですが、歩兵は安価な軍事力では
ないのですよ。
それを経済小国の当時の日本は日清、日露戦争以降シベリア出兵、世界恐慌を
はさんで列強並に維持し続けているんです。

質素になるのはやむをえない事ですが、必要以上に安く上げようとしている訳では
ないはずです。
カネがかかりっ放しでずっと予算不足だったから近接戦重視の兵制にならざるを
得なかったのであり、白兵重視だけを考えていたのではないと思います。
それと近代化のために「まず歩兵から」削減したのはなぜでしょう、そんなに歩兵が
安価なら最初から砲兵を削ってるのではないですか?

それとも日露戦争で火力の脅威を思い知り、弾切れ、撃ち負けの恐怖を味わい、いくら兵力があっても火力が無ければ戦争にならないことを思い知った日本陸軍は、その戦訓を放り投げて白兵思想に傾倒するほど愚かだったのでしょうか?

最後に昔の人は私たちが考え付く事は大体考えていると言うことも忘れてはいけません、
彼らとて何の能力も無く偶然その地位についた無知無学の輩ではなかったのですから。

既にBUNさんが書いておられますが、理論、思想と現実はわけて考えるべきです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:これでも現実ではありませんでしょうか?  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/3/5(火) 0:55  -------------------------------------------------------------------------
   > 何制であろうとまともな国軍を作ろうとした場合の兵站量に大幅な差はありません。
> 幼少より教育され、当然の義務だと思わせていても飢えさせて兵隊が作れるでしょうか?
> 確かに体力的訓練は多用されたでしょうが、不十分な兵器訓練、疫病が出る衛生環境、
> 専門教育の足りない特殊兵科、そんな物では軍隊にはなりません。
>
> それと徴兵制は志願兵制より大幅に兵員数が増えます、増えたから金がかかり皺寄せが
> 出るんです。
> 徴兵だから安く上がると言うわけではないのです。

   それはあくまで「相対的」の話ですが・・・
  相対的に考えれば志願兵制より徴兵制の方がコストの安い事は事実です。
  それに「不十分な兵器訓練、疫病が出る衛生環境、専門教育の足りない特殊兵科」
  とはさすがに帝国陸軍も其処まではいっていないですよ。
  訓練や環境が不足や劣悪ではなく、予算の関係上歩兵部門の比率が高くなり
  相対的に砲兵を中心とする専門兵科の種類を近代戦に合わせ増加させる代わりに
  量全体を砲兵を中心に削減してしまっただけの話です。  

> また日本兵のコストは38式歩兵銃+銃剣+弾薬(+給与)だけではありません。
> 戦時に至っては極端な話給与なんてどうでもいいんです。
> 生活の半分以上を給与で賄っている今のサラリーマンでさえ(給与+給与の2倍)
> の経費がかかるのですよ?
> 衣食住全て+αを維持する給与以外の兵站にどれだけの物がかかるのか?
> ここは気を付けて欲しいポイントです、
> 「兵隊なんて赤紙で人狩りしてきて鉄砲持たせりゃ良い」
> 「歩兵の糧食、兵站なんてたいした物ではない」
> と言う、机上でゲームの駒ようにしか兵隊を考えていない一部の人の様に
> 暗黒面に入りかけてませんか?
> 「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち」ですか?

   何か誤解していませんか?私はその様には言っていないのですが・・・
  当然歩兵にも38式歩兵銃+銃剣+弾薬(+給与)以外にもコストが掛かるのは
  当然ですし、私はそれを否定はしていません。(書いていないだけです)
  (確かに書いていない事自体が私の過失ですが・・・)
   あくまでも相対的に考えれば重度に機械化された軍隊より歩兵中心の
  軍隊の方が低コストであり、同じ予算で有ればより多くの兵力や戦略・戦術
  単位を揃えられるだけの話です。昭和不況下の帝国陸軍には予算的に
  17個師団の戦略単位を維持する為には、歩兵中心の戦力を揃えるしか
  方法がなかっただけの話です。これが日本の国力の現実の中での
  陸軍戦力の整備の方法だったという「現実」です。
  決して兵隊を駒のように考え「平時においても糧秣は自分で確保して自活せよ」
  などという何処かのアジアの超大国の軍隊みたいな発想は抱いていません。

>
> たとえば平時、1万人の兵隊を1年間維持する兵站量を想像してみて下さい。
> 人間1人の世界平均での年間食料消費量は約300kg強という研究があります。
> (一日約820g、肉体労働をする壮年男子には少な目かもしれません)
> それでも1日約8t、年間約3000tの物資です。
> 弾薬を月10発だけ訓練で使用したとして年間120万発
> その他の物含めて全ての生産、輸送、保管、管理、指揮、教育、人事、
> 全てがコストです。
> そして軍隊と言う物はこの消費による生産物は無く有りません。
> ある程度錬度は上がるかもしれません、しかし基本的に「維持」できるだけです。
>
> 恥ずかしながら私はこの事に、会社に入り新入社員研修である上司に
> 「君にかかるコストは給料だけではないんだよ、よく考えてみて下さい。」
> と言われるまで考えが及びませんでした。

   当然それだけのコストが掛かるのは事実です。
  何度も言うようにこのコストを無視している訳ではありません。
  只それでも例えば戦車一台のライフサイクルコストを考えたら、徴兵で集めた
  50名の兵力を戦力として戦車のライフサイクルである5年間維持する
  コストの方が相対的に安かったんではないですか?と言っているだけです。
  戦車一台と50名の兵隊の比較で昭和初期ではどちらが戦力になったか?
  を考えれば予算の制約の中でどちらを選択するかは自明の理です。
>
> 歩兵より重兵器の方がコストがかかるのは当然ですが、歩兵は安価な軍事力では
> ないのですよ。
> それを経済小国の当時の日本は日清、日露戦争以降シベリア出兵、世界恐慌を
> はさんで列強並に維持し続けているんです。
>
> 質素になるのはやむをえない事ですが、必要以上に安く上げようとしている訳では
> ないはずです。
> カネがかかりっ放しでずっと予算不足だったから近接戦重視の兵制にならざるを
> 得なかったのであり、白兵重視だけを考えていたのではないと思います。
> それと近代化のために「まず歩兵から」削減したのはなぜでしょう、そんなに歩兵が
> 安価なら最初から砲兵を削ってるのではないですか?
>

   前にも述べたとおり、帝国陸軍は大正14年の「宇垣軍縮」で比率的には
  歩兵以上に砲兵を減らしています。なぜそうしたかと言えば他でも書いていますが
  1.限られた予算の中で総花的な軍近代化を行う為にはよりコストを減らす為に
   より高コストの砲兵にしわ寄せがいった。
  2.せっかく日露戦争後地道に増やしてきた戦略単位の師団数を17個師団以上
   減らすと最低限の既得権益(内閣倒閣まで計って増やしてきた師団数は
   帝国陸軍にとり予算上の既得権益)おも損なうから。
  3.戦略単位の師団を削減するより戦術単位の中隊(砲兵は中隊の集合体で連隊・
   大隊を作っている点は歩兵と変わらないが、過去において師団数増強は
   政治的問題になっているが中隊・大隊・連隊の増強は政治問題にはならず
   軍縮後も増強しやすい)を減らした方が後々の軍拡に結びつきやすい。
  等々の理由が「現実」としてありました。
   その様に予算が決定的に制約を受ける現実→予算難の為仕方なくより低コストの
  歩兵主体にて戦略単位数の最低限維持を図る→その為に歩兵で戦う為に戦術として
  「白兵戦思想」を前面に出す、と言うようなサイクルを経て帝国陸軍の中で
  「白兵戦思想」が重きをなしてきたのが現実です。


> それとも日露戦争で火力の脅威を思い知り、弾切れ、撃ち負けの恐怖を味わい、いくら兵力があっても火力が無ければ戦争にならないことを思い知った日本陸軍は、その戦訓を放り投げて白兵思想に傾倒するほど愚かだったのでしょうか?
>
> 最後に昔の人は私たちが考え付く事は大体考えていると言うことも忘れてはいけません、
> 彼らとて何の能力も無く偶然その地位についた無知無学の輩ではなかったのですから。
>
> 既にBUNさんが書いておられますが、理論、思想と現実はわけて考えるべきです。

   帝国陸軍内で火力や機械力を端から否定していた人は殆どいなかったはずです。
  只現実として、予算の絶対的制約、火砲等の生産能力の制約、上記のような
  予算と既得権益に対する官僚的発想等に縛られる等の制約に阻まれ、
  やむにやまれず「歩兵中心の軍体系」「白兵戦思想」が出てきたというのが
  現実でしょう。
   現実は減少した戦略単位内で火力の充実と機械化を図り戦略を転換する
  のと、戦略単位の削減を最小限にくい止める代わりに歩兵中心の軍体系で
  我慢するの二者択一の中で、後者を選択したと言う事なのです。
   戦略単位の減少は対ソ戦を考えたら容認できなかったでしょう。
  もしこれを容認できていれば、BUNさんの言っているように編成の刷新を
  図れていたかもしれません。只ドイツ国防軍は外圧により減少した
  陸軍兵力という現実があったからこそその様な改革が出来たのであり
  帝国陸軍でそれを行うと言う事はそれこそ理想のIFの話になります。
  
 私が言いたい事を繰り返せばこの様になりますが、これでも現実ではありませんか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : (とりあえず)お詫びと突っ込み  ■名前 : だーくまたー <cv2t-ymzk@asahi-net.or.jp>  ■日付 : 02/3/5(火) 1:55  -------------------------------------------------------------------------
   >    何か誤解していませんか?私はその様には言っていないのですが・・・
>   当然歩兵にも38式歩兵銃+銃剣+弾薬(+給与)以外にもコストが掛かるのは
>   当然ですし、私はそれを否定はしていません。(書いていないだけです)

ちょっと孫引きになって申し訳ないですが、
> 但しコストの要因を考える時、「徴兵」を忘れてはなりません。
> 徴兵は給与はそんなに掛からない(今の新入社員や自衛隊員とは比べ物にならない
> 低コストです)何せ「臣民の義務」の一言で駆り出してくるのですから・・・
> 確かに飯やら衣料・宿舎のコストは掛かりますが、それだって大部屋にハンモック状態
> ですから、そんなに掛かりません。
これと、
> それに38式歩兵銃+銃剣+弾薬のコストも重兵器に比べれば・・・

これ書かれちゃうと「ソ連モスクワ前面で投入された外国人部隊かよっ!」
って思っちゃいますって。
あれは文字通り、中央アジアとかから連れてきて銃持たせて飯食わせて「突撃〜!」ですからね。

1筆2筆くらいは維持を含めたコストの事書いて欲しかったと思います。

「解ってるんだろうな」思いつつ、「もしや?!」と思ってつっこみました。
すみませんでした。

ただ、社会でコストの巨人と言えば真っ先に「原材料」と「人件費」。
ここから出た思いだということははわかって下さい。

他はもっと考えてからにします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:実際の軍事費は…  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/5(火) 2:13  -------------------------------------------------------------------------
   ざっと陸軍の軍事費について手持ち資料で調べてみたのですが、実際の一般会計の
陸軍の軍事費は、大正八年から昭和六年まで、ほぼ20億円〜25億円未満で推移
しています。それが昭和七年から急増し、昭和十年には約50億円となります。
これはすなわち、満州事変開始後に伴う動員や戦費の支出、軍事的緊張に伴うもの
ということになると思います。

一方、「帝国国防方針」に定める国防に要する兵力は大正七年1次改定の40個
師団から、昭和11年3次改定で50個師団増となるまで変化はありません(ただし
これは実態ではなく、あくまで方針ですが)。そして実際に臨時編成師団が毎年の
ようにできあがるのは日華事変開始以降です。

平時にはどうしても予算が少ないから維持費用が多くなり、新兵器の開発や生産は
疎かになりがちですし、逆に戦時においては当然軍事予算が増えますから、動員を
かけて兵員を増やし臨時編成師団を作ったり、兵器の増産開発に努めるのは当然の
ことです。

日本が平時から宇垣軍縮よりもさらにもっと兵員の数を減らし(実際宇垣軍縮の際は
6個師団削減まで検討されています)兵器の開発生産に力を入れる、また戦時体制下
に兵員の大動員よりも兵器増産、新兵器開発に努める、ということが出来たなら、
もっと軍の近代化は進んでいたはずです。

新兵器開発でも、欧米は戦争中にもいろいろ開発した兵器はありますよね。日本は
昭和七年以降から予算は増大していたのですし、戦闘も行っていたのですから戦訓
を取り入れた兵器開発も欧米に先駆けて行うことも夢ではなかったはず(理想的すぎ
ますが)。

結局、平時下に兵員をもっと減らし、兵器増産開発に努められなかった理由、
   戦時体制下に動員よりも兵器増産開発に努められなかった理由、

というのは、日本の工業生産力が劣っていたということもあると思いますが、
その結果として技術力を軽視し、精神主義に陥った点も大きいと思います。
確かに一部では新戦術や新兵器に対する先進的な取り組みもあったことは確かですが、
結局は結実していないわけですし。
白兵戦思想に「傾倒した」とまでは思いませんが、「妥協した」という部分はあるの
ではないのでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:それが日本の現実なのですよね〜  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/3/5(火) 2:34  -------------------------------------------------------------------------
    仰るとおりだと思います。
基本的には、一定数の常備師団を確保して戦時に総員を掛けて
必要数の師団数を用意するしか、帝国陸軍には兵力を確保する方法は
予算からしても日本の国力からしてもなかったと思います。
 平時の人員を削減して宇垣軍縮のMAX数より少ない当初常備師団数の
14個師団まで減らして、その余力を砲兵中隊数の削減を減らすとか
兵器開発に力を入れるとか、陸軍兵器生産の根幹の陸軍工廠の生産力増強に
投資するとかの策をとっていれば歴史は変わっていたかもしれません。
(あくまで理想の歴史のIFの話ですが・・・)
 それを出来ず、既得権益の陸軍師団数の削減を最小限に押さえる策を取るという
保守的かつ官僚的発想を取った事が帝国陸軍の限界であり、帝国陸軍の現実
だったのでしょう・・・
 その妥協が「白兵戦思想」に固執せざるえないとも言える状況を
作りだし、技術力を軽視し物量差を精神力で克服するような
太平洋戦争の悲劇を作る源になったのでしょう・・・
 返す返すも新戦術や新兵器に対する先進的な取り組みが実らなかった事が
残念だと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : そうでしょうか  ■名前 : モーグリ  ■日付 : 02/3/5(火) 22:34  -------------------------------------------------------------------------
   日本軍も結構機械化の努力をしているんですが。
日本軍の砲兵機械化の取り組みは列強の中でも早く、WW1最中の1917年
に火砲牽引車を輸入しています。まだ戦車誕生わずか二年後の1918年に
菱形戦車を輸入したりと、日本軍が必ずしも機械化に無関心だったわけでは
ありません。
それに、意外に思うかもしれませんが日本軍は戦時動員に向かない軍隊です。
総動員の基準となる訓練率(成人男性に対する訓練済み予備役兵士の割合)は
独仏が軒並み6割以上に達したのに対し、日本は30年代中旬まで志願制の
イギリスと同じ2割程度です。これではとても戦時の急速動員は無理です。
ですから、戦時動員に問題があった日本陸軍は、平時にある程度の師団数を
キープをせざるを得なかったように思いますが、どうでしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 動員数でみると…  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/6(水) 0:26  -------------------------------------------------------------------------
   ご指摘のとおり、機械化の取り組みについては早かったと思いますが、
結局手をつけてみたけれど、結実しなかった、というところではないで
しょうか。

砲兵の機械化をみると、昭和の標準的な師団でも歩兵砲は大隊も連隊も
挽馬編成、野砲兵連隊でも3個大隊のうち2個大隊挽馬編成という状態です。

また、戦時動員ですが、手元にある資料では

昭和12年  7個師団
昭和13年 10個師団
昭和14年 11個師団
昭和15年  9個師団

と、日華事変後、大東亜戦争の開始前までで、実に37個師団を臨時編成
しています。もちろん、即戦力部隊なのかどうかはそこまで詳しい資料が
ないので不明ですが、動員もやろうと思えば幾らでもしているのが実態の
ようです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:帝国陸軍の近代化と戦時動員力  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/3/6(水) 13:51  -------------------------------------------------------------------------
   > 日本軍も結構機械化の努力をしているんですが。
> 日本軍の砲兵機械化の取り組みは列強の中でも早く、WW1最中の1917年
> に火砲牽引車を輸入しています。まだ戦車誕生わずか二年後の1918年に
> 菱形戦車を輸入したりと、日本軍が必ずしも機械化に無関心だったわけでは
> ありません。

  機械化に無関心とは言っていません。逆に関心は十分ありました。
 その証拠が今まで何回も言っている「宇垣軍縮」に伴う軍の近代化です。
 戦車隊や陸軍航空部隊の基礎はこの時出来たのですから、限られた予算の中で
 最大限師団数を削減してまで機械化を含む近代化に努力しています。
  只その犠牲として歩兵と並んで砲兵まで4割近くも削減された事と
 予算を投入して近代化を進めても量の絶対数が少なく、その上89式中戦車や
 96式中戦車の様に機械化兵器を歩兵の支援補助兵器として位置付け
 独自の運用戦術を考えられなかった事に問題があると思います。

> それに、意外に思うかもしれませんが日本軍は戦時動員に向かない軍隊です。
> 総動員の基準となる訓練率(成人男性に対する訓練済み予備役兵士の割合)は
> 独仏が軒並み6割以上に達したのに対し、日本は30年代中旬まで志願制の
> イギリスと同じ2割程度です。これではとても戦時の急速動員は無理です。
> ですから、戦時動員に問題があった日本陸軍は、平時にある程度の師団数を
> キープをせざるを得なかったように思いますが、どうでしょう。

  確かに訓練率は即戦力の兵を動員するという点で考えれば重要ですが
 そうでなければ予備役を動員する以上に関しては真っ新な新人を徴兵して
 訓練する事でも、十分対応可能です。
  歩兵に関して言えば他の専門的兵種に比較して短期間で訓練する事も可能です。
 (半年も訓練すれば真っ新な新人も戦力になります)
  又日本はフランスのように兵役適齢年齢人口が減少しているようなことは
 有りませんし、潜在的動員力(此処では話を簡単にする為に人口だけで話をします)
 は人口が劣っている訳ではないので、決して欧州諸国に対し劣っている
 事はありません。(米・ソ連は別格です)
  だから帝国陸軍は大正末期〜昭和初期で戦時動員下40個師団体制を
 基本に据えていますから、宇垣軍縮下では常備師団が17個師団なので差引23個師団
 の戦時動員は既に基本戦略に入れ込んでいます。日露戦争時の日本の限界動員兵力が
 約100万人ですから、明治後期より人口の増えた大正末期〜昭和初期を考えれば
 帝国陸軍の基本構想から考えれば23個師団約60〜70万人の戦時動員は
 決して問題ないと言えますし、帝国陸軍は欧州諸国陸軍ほど戦時動員に関し急速性を
 求めていなかったとも言えます。
  ですから平時の17個師団体制は動員に対するバッファーとして確保した戦力
 ではなく、日本本土・朝鮮半島・台湾・樺太・関東州の日本勢力圏を守備する
 為の最低限の師団数を確保し、それ以上は軍近代化とバーターで軍縮で削減した
 その結果の17個師団体制と言えると思います。
  

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : どうだろうか?  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/6(水) 20:35  -------------------------------------------------------------------------
   > 新婚世帯を持つと生活が困難」との記述があるぐらいですから、兵卒の給与なんて
> 押して知るべしでしょう。
>  それに38式歩兵銃+銃剣+弾薬のコストも重兵器に比べれば・・・
> 戦力的に考えたら戦車1台で1〜2個中隊位は賄えたのではないですか?

果たしてそうでしょうか?
軍縮時代からかなり下ってしまいますが、昭和十四年の兵器価格を参考に俸給と照らし合わせ、戦車を5年更新と仮定した場合、200人弱の戦時編制の中隊は俸給だけで八九式中戦車2台分程度のコストが掛かるのではないでしょうか。この上に小銃、機銃他の火器を装備するのはもちろん、恐らく俸給程度は消費してしまうだろう糧食費や衣糧費その他の経費も計算しなければなりませんし、彼らの管理費も上乗せしなければなりません。
人間は意外とお金が掛かりますね。

ちなみに一個師団分として小銃10000挺、機銃72挺、軽機200挺、野砲36門、歩兵砲36門その他装備品を新品で調達した場合、昭和五年の見積りで約450万円必要とされています。この年の陸軍省、一般会計で約2億円。
軍隊が何にお金を遣っているかはよく検討する必要があるように思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 日本陸軍は白兵戦が多いのか?  ■名前 : アリエフ <ZVK11677@nifty.ne.jp>  ■日付 : 02/3/3(日) 9:06  -------------------------------------------------------------------------
   ガダルカナルの例が誇張されているような感じもするんだが、日本軍は万歳突撃のような白兵戦を積極的に使用しているんだろうか?
中国戦線では中国軍の士気やレベルが決して高くないため、組織的な白兵戦が主流だったのだろうけど、そのような大量・かつ組織的な白兵突撃が太平洋・東南アジアでも積極的に行われていただろうか?
第2次大戦の白兵突撃といえば、むしろ独ソ戦におけるソ連の方が相当大規模に行っていたと思えるんだけど。根こそぎ動員でドイツ軍が想像できなかったほどの大量の兵力を前線に動員して、消耗兵器の如く使用しているからね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 万歳突撃は…  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/3(日) 10:33  -------------------------------------------------------------------------
    日本軍の突撃でも、通常戦術としていた銃剣突撃(肉弾突撃)と、いわば玉砕の
死に場所を求めての「万歳突撃」では区別して考える必要があると思います。

肉弾突撃は、機動、援護、突撃を繰り返す通常戦術の範疇だと思いますし、
また夜間浸透の場合は作戦中は部隊間の連携が難しいため、個々の突撃も比較的
小さな部隊単位と思います。

その点、有名ないわゆる「万歳突撃」は、確かにソ連軍や人民解放軍の人海戦術の
ようにかたまってただ突っ込むだけの、そしてしかも最初から作戦成功するとか考
えていないものです。

たとえば、最初の玉砕ともいえるアッツ島の最期の突撃の場合は、突撃前に
「無線電信機ヲ破壊暗号書ヲ焼却」し、歩ける者は重傷者まで突撃しています。
これは通常の作戦ではありません。しかし、夜襲の事もあって米軍の野営地に突入し、
それなりに米軍を混乱させたようです。

一方、果敢な夜間浸透戦術を意図したガ島の川口支隊の攻撃では、国生少佐の部隊は
米軍の高射砲陣地に突入、田村少佐の部隊は米海兵隊司令部付近まで肉迫してます
(結果的にはもちろん撃退されてますけど)。

両者とも米軍から結果だけ観ると「常識を外れた夜間の無謀な突撃」となってしまい
そうなのですが、その性格は違うと思います。
また、「万歳突撃」はほとんど終末の玉砕突撃なため、段階としてまともな残存兵員が
少ないこともあり、確かに参加兵力の規模としても小さいと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : @日露戦争  ■名前 : まなかじ  ■日付 : 02/3/3(日) 17:08  -------------------------------------------------------------------------
   >  逆にガタルカナル島の川口支隊や第二師団の
> 突撃攻撃の失敗は、白兵戦思想に固執し支援の火力を軽視した事による、
> 陰の部分の失敗例であると言えます。

支援火力は「欲しかったけれど得られなかった」のです
基本思想として軽視はしていません
突撃は擲弾筒や歩兵砲、重機、回せるならば連隊砲そして師団砲兵の掩護下に行うのが常道です
それこそ操典にもあります
繰り返しになりますが、小銃装備の歩兵は、突撃間は火力を持っていないも同然なのです。分隊ごとの交互躍進で相互支援をするにも限度があり、そのくらいは当然認識されています。

ガダルカナルでいえば、支援火力が得られない状況下にそれでも強引に任務を達成しようとして挫折した、というところです。
「やっぱりだめだった」ではなくて「ここで歩兵砲があれば」「ここで擲弾筒の弾があれば」という種類の反省なのですからね。
支援火力を軽視したというよりも、米海兵師団の実力を軽視し、また米軍の戦場戦力を過小評価したというのが近いと思います

>  只此処で「なぜ帝国陸軍は白兵戦思想に固執せざる得なかったか?」と言う
> 根幹について考えてみたらいいのではないでしょうか?

固執はしていません
日本陸軍の白兵戦への固執の度合はイギリスやドイツに近く、ソ連ほどではないような気がします
日本軍の分隊傘型展開、交互躍進、敵陣の弱点・欠陥を衝いて浸透、軽機と擲弾筒による小隊火力、大隊歩兵砲と重機による掩護、を基本とする突撃戦術は常識的なものであって、自動火器で補強されたとはいえ現代に至るまで基本は変わっていません
そして、これをボルトアクション小銃でやるからには銃剣による白兵は必要条件となるのであり、固執もへったくれもなく、その点でドイツやイギリスと同等なのです

とにかく、重火器が破壊されたり海没してしまったりで得られない状態、あるいは弾薬が尽きてしまって補給が得られない状態からの話と、陸軍が本来やろうとしていたドクトリンなり思想なりの話は明確に区別して考えるべきだと思います。
陸軍が大戦後期に南方でやらなくてはならなかった戦い方というのは、教科書に書いていない、あるいは教科書ではやってはいけないとされていた戦い方だったのです。

> 日露戦争で成功を収めた栄光有る「銃剣突撃」を主体とした白兵戦思想と精神主義に
> 固執せざる得なかったのではないでしょうか?

日露戦争で我が陸軍は白兵戦では常に不利な戦いを強いられています
成功なんかしていません
体格に優るロシア兵は、できれば火力で圧倒したいのです
白兵戦では不利でも射撃戦ならば互角である、というのが日露戦争で得られた教訓であり、白兵戦の不利を補う手段として夜襲を持ち出してきたのも日露戦争の戦訓です

やたら精神主義を持ち出すようになるのは第一次大戦以後、特にそうした大作戦をやる能力に欠けているという自覚症状がでてきた20年代中期以降、つまり昭和初期のことになります

>(精神主義は兵を白兵戦思想と
> 銃剣突撃に向けて鼓舞する為の裏付けです)

そうでしょうか
戦場において相手を呑んでかかる、という以上の意味合いがあるのでしょうか
こうした精神主義を否定するならば、野球の試合にも勝てません

>  その事は昭和3年改定の歩兵操典に「訓練精到にして必勝の信念堅く、軍紀至厳
> にして攻撃精神充実せる軍隊は、克く物質的威力を凌駕して、戦勝を完うしうる
> ものとす」と記入されています。その他にも明治42年の歩兵操典以来沢山出てくる
> 考え方です。

当然ではないでしょうか
イタリアのリビア駐留軍を見れば明らかなように、「訓練未熟にして必勝の信念薄く、軍紀弛緩して攻撃精神に欠ける軍隊」は、物質的威力に劣っている英軍に対しても戦勝を完うすることができませんでした。
逆に見れば「訓練精到にして必勝の信念堅く、軍紀至厳にして攻撃精神充実せる」英軍はこの記述の通りであったと言えます。
また、「訓練精到にして必勝の信念堅く、軍紀至厳にして攻撃精神充実せる」ドイツ軍はしばしば物質的威力に優るソ連軍を野戦で撃破しています

問題は、米軍の陸海空にわたる「物質的威力」があまりに強大、物質的威力に全てを賭けているような軍隊に対しても、この考えを適用してしまったことにあります
日本軍の「常識」ではなく、他の交戦国全ての「常識」において、常識的には問題ないのです
米軍が常識外れなのです
そして、その当の相手が米軍だったのです

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:ちょっと前の書き込みの付け加えです。  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/3/3(日) 23:28  -------------------------------------------------------------------------
   > >  逆にガタルカナル島の川口支隊や第二師団の
> > 突撃攻撃の失敗は、白兵戦思想に固執し支援の火力を軽視した事による、
> > 陰の部分の失敗例であると言えます。
>
> 支援火力は「欲しかったけれど得られなかった」のです
> 基本思想として軽視はしていません
> 突撃は擲弾筒や歩兵砲、重機、回せるならば連隊砲そして師団砲兵の掩護下に行うのが常道です
> それこそ操典にもあります
> 繰り返しになりますが、小銃装備の歩兵は、突撃間は火力を持っていないも同然なのです。分隊ごとの交互躍進で相互支援をするにも限度があり、そのくらいは当然認識されています  
> ガダルカナルでいえば、支援火力が得られない状況下にそれでも強引に任務を達成しようとして挫折した、というところです。
> 「やっぱりだめだった」ではなくて「ここで歩兵砲があれば」「ここで擲弾筒の弾があれば」という種類の反省なのですからね。
> 支援火力を軽視したというよりも、米海兵師団の実力を軽視し、また米軍の戦場戦力を過小評価したというのが近いと思います
>
   確かにガタルカナル島の一連の攻防戦は米海兵師団の実力を軽視し、戦場戦力を
  過小評価した事もあるでしょう。只それは第一次総攻撃の一木支隊(連隊規模)と
  第二次総攻撃の川口支隊(旅団規模)の劣勢なる兵力を逐次投入していた時の
  話であり、第三次総攻撃では陸軍内でも精鋭の第2師団と第38師団の一部
  の約16,000名を投入してしかも海没したといえども、重兵器を投入しようと
  していたのですから、少なくとも「第二師団の第三次総攻撃」には軽視や
  過小評価は当てはまらないでしょう。
   それに少なくとも、いくら帝国陸軍とて支援火力を完全に軽視していた訳では
  ありません。それはあなたの言われるとおりです。只支援の重火器が無くて
  失敗した総攻撃の後に、もう一度いくら精鋭といえども、支援火器を失った
  部隊に総攻撃を実施させると言うことは、「白兵戦で何とかなる」「白兵戦万能
  の思想」が頭にあった事は否定できないでしょう。もしアメリカ流の物量万能
  の考え方、そこまで行かなくてももう少し白兵戦と支援火器の重要性を
  認識していれば、その様な状況下では攻撃を掛けられないでしょう。
  (当然攻撃せざる得ない事情も承知はしておりますが・・・)

> >  只此処で「なぜ帝国陸軍は白兵戦思想に固執せざる得なかったか?」と言う
> > 根幹について考えてみたらいいのではないでしょうか?
>
> 固執はしていません
> 日本陸軍の白兵戦への固執の度合はイギリスやドイツに近く、ソ連ほどではないような気がします
> 日本軍の分隊傘型展開、交互躍進、敵陣の弱点・欠陥を衝いて浸透、軽機と擲弾筒による小隊火力、大隊歩兵砲と重機による掩護、を基本とする突撃戦術は常識的なものであって、自動火器で補強されたとはいえ現代に至るまで基本は変わっていません
> そして、これをボルトアクション小銃でやるからには銃剣による白兵は必要条件となるのであり、固執もへったくれもなく、その点でドイツやイギリスと同等なのです
>
> とにかく、重火器が破壊されたり海没してしまったりで得られない状態、あるいは弾薬が尽きてしまって補給が得られない状態からの話と、陸軍が本来やろうとしていたドクトリンなり思想なりの話は明確に区別して考えるべきだと思います。
> 陸軍が大戦後期に南方でやらなくてはならなかった戦い方というのは、教科書に書いていない、あるいは教科書ではやってはいけないとされていた戦い方だったのです。

   確かに帝国陸軍とて理想的戦い方として、あなたの言うとおりの戦い方を
  考えていたのは事実でしょう。だから私は「固執した」ではなく「固執せざる
  得なかった」という表現を使ったのですが・・・
  日本語の表現が難しすぎましたでしょうか?
   確かに第一次大戦後、帝国陸軍では2回の軍縮(山梨軍縮・宇垣軍縮)と
  1回の兵備近代化を行っています。特に二回目の大正14年の宇垣軍縮時には
  常備軍を17個師団に減少させ、4個師団を削減させた余力で、
  航空兵科の一本立ち、戦車隊・高射砲隊の創設等のその後の軍の骨幹になる
  近代化を行っています。只その2回の軍縮時に歩兵戦力の根幹の師団数は
  21個師団→17個師団の約20%減に対し、支援火力の骨幹たる野戦砲兵は
  285中隊→156中隊へ約43%も減らしています。
   これが何を意味するかを考えてください。
   歩兵師団は軍の戦闘単位の根幹だから簡単には減らせません。(これでも
  これだけ減らした事自体が画期的と言えます)それに歩兵を減らしても
  前の書き込みにあるように、元々コストが低いですからそれだけでは軍近代化の
  費用は捻出できません。その為航空機や戦車の導入のコストを既存の予算より
  ひねり出す為に、歩兵よりコストのかかる砲兵をより多く減少させたのです。
   此処までして軍近代化を図ろうとした事を考えれば、帝国陸軍に少なくとも
  盲目的に白兵戦思想に自ら固執する事など考えられないのです。(当然ながら
  白兵戦に関して他国より優位性を持っていると考えてはいたでしょうが・・)
  只上記のように軍近代化の為とはいえ支援火力の骨幹たる野戦砲兵の約4割を
  失った帝国陸軍には戦闘で勝利する為の戦術として「白兵戦思想」に
  「固執せざる得ない」という状況が生まれたのではないでしょうか?
>
> > 日露戦争で成功を収めた栄光有る「銃剣突撃」を主体とした白兵戦思想と精神主義に
> > 固執せざる得なかったのではないでしょうか?
>
> 日露戦争で我が陸軍は白兵戦では常に不利な戦いを強いられています
> 成功なんかしていません
> 体格に優るロシア兵は、できれば火力で圧倒したいのです
> 白兵戦では不利でも射撃戦ならば互角である、というのが日露戦争で得られた教訓であり、白兵戦の不利を補う手段として夜襲を持ち出してきたのも日露戦争の戦訓です
>
> やたら精神主義を持ち出すようになるのは第一次大戦以後、特にそうした大作戦をやる能力に欠けているという自覚症状がでてきた20年代中期以降、つまり昭和初期のことになります
  
   なぜ精神主義を昭和初期以降(前述の昭和3年歩兵操典もそうですが・・)に
  持ち出す様になったかは大作戦遂行能力の欠如を自覚したと言うより、
  上記の軍縮により物質的な支援の野戦重砲兵を大挙失い、その上で作戦を
  実施させる為ではないでしょうか?
   自覚症状ではなく、やもうえず二者択一で砲兵の削減と総花的で少量の
  軍近代化を行った結果、戦術として「白兵戦思想」を持ち出し、白兵戦で
  なぜ勝てるかの根拠として「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と言う精神主義を
  持ち出さざる得なかったと言うことだと考えます。
 
>
> >(精神主義は兵を白兵戦思想と
> > 銃剣突撃に向けて鼓舞する為の裏付けです)
> 
> そうでしょうか
> 戦場において相手を呑んでかかる、という以上の意味合いがあるのでしょうか
> こうした精神主義を否定するならば、野球の試合にも勝てません
>
   少なくとも、根拠の強弱は別にして兵に白兵戦思想でなぜ勝てるかの根拠を
  示さなければ銃剣突撃なんか出来ないでしょう。(それでなければソ連みたいに
  恐怖で縛るかしなければ)その為に「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と言う
  精神主義を根拠を示し士気を鼓舞する為の裏付けとして盛んに行っていた
  のではないでしょうか?
   「戦場において敵を呑んでかかる」という意味も当然あるでしょうが・・・
  あなたが普通のサラリーマンだとしたら、勝算も示されずに非常に困難な
  仕事にただ「やれ」と言われて、無条件にがんばって出来ますか?
  其処で上司に「困難だがこの様にやればできる。その為には150%の力が
  必要だから死ぬ気でがんばれ」と言われれば違うでしょう?
  上記で言いたい事はこの様な事なのですが・・・
   上記の「この様にやればできる」は「白兵戦思想」であり「攻撃精神は物質的
  威力を凌駕する」と言うことであり「死ぬ気でがんばれ」が「銃剣突撃」に
  当たると思いますが・・・

> >  その事は昭和3年改定の歩兵操典に「訓練精到にして必勝の信念堅く、軍紀至厳
> > にして攻撃精神充実せる軍隊は、克く物質的威力を凌駕して、戦勝を完うしうる
> > ものとす」と記入されています。その他にも明治42年の歩兵操典以来沢山出てくる
> > 考え方です。
>
> 当然ではないでしょうか
> イタリアのリビア駐留軍を見れば明らかなように、「訓練未熟にして必勝の信念薄く、軍紀弛緩して攻撃精神に欠ける軍隊」は、物質的威力に劣っている英軍に対しても戦勝を完うすることができませんでした。
> 逆に見れば「訓練精到にして必勝の信念堅く、軍紀至厳にして攻撃精神充実せる」英軍はこの記述の通りであったと言えます。
> また、「訓練精到にして必勝の信念堅く、軍紀至厳にして攻撃精神充実せる」ドイツ軍はしばしば物質的威力に優るソ連軍を野戦で撃破しています
>
> 問題は、米軍の陸海空にわたる「物質的威力」があまりに強大、物質的威力に全てを賭けているような軍隊に対しても、この考えを適用してしまったことにあります
> 日本軍の「常識」ではなく、他の交戦国全ての「常識」において、常識的には問題ないのです
> 米軍が常識外れなのです
> そして、その当の相手が米軍だったのです

   私がこの歩兵争点の考え方を否定している様に思われているようですが、
  私は否定はしていません。只米軍相手に限らず、適時物量と近代的兵器を
  投入しないと、何でもかんでも物量の劣性下で勝利をする事は出来ないのです。
   この歩兵操典は上記のように、絶対的物量の劣性を精神主義で打破する
  と言う考えが出てきた時代に書かれた物です。
   はっきり言って一番正しい戦い方は「物質的威力で勝負」という米軍の様な
  戦い方だと考えます。戦略的に圧倒的物量・戦力を投入できるように
  戦略的環境を整え、スチームローラーで押しつぶすかの如く戦うのがベストです。
   確かに「訓練精到にして必勝の信念堅く、軍紀至厳にして攻撃精神充実せる」
  と言うのも重大ですが、その精神主義では「戦略的・物質的劣性を戦術的・精神的
  奇蹟により逆転させる」と言うことは不可能であると考えます。
  その考え方が、太平洋戦争で闇の部分として戦争中・後期に各所で
  現れてきたのではないでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ゴミレス  ■名前 : ベリアル  ■日付 : 02/3/4(月) 0:28  -------------------------------------------------------------------------
   数年前放映したNHKスペシャル「ドキュメント太平洋戦争」シリーズで第二集「敵を知らず己を知らず」がガナルカナル戦で夜襲に執着する日本軍の特集でしたが
これを観た印象では日本軍が白兵戦を固執している印象を受けています。

また「ノモンハン事件」の調査団が作成した報告書の内容を「火力を重視せよ」、「精神論では勝てない」と纏めて提出してますが、
上層部は「作戦は正しく、作戦通りに指揮をしなかった前線指揮官が悪い」と前線指揮官を自決を暗に強要した(らしい)ことを考えますと、
一部の上層部で明らかに白兵戦に固執した人がいたと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:ゴミレス  ■名前 : ヒロじー <hirojy@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 02/3/4(月) 1:17  -------------------------------------------------------------------------
   >数年前放映したNHKスペシャル「ドキュメント太平洋戦争」シリーズで第二集
>「敵を知らず己を知らず」がガナルカナル戦で夜襲に執着する日本軍の特集でしたが
>これを観た印象では日本軍が白兵戦を固執している印象を受けています。

この部分ですが、史実(あるいは史料)を「番組の作り手がそう解釈した(白兵戦に固執していると考えた)こと」と、実際の史実(もしくは史料が指し示す事象)とが一致するとは必ずしも限らないのではないでしょうか。もちろん一致する可能性もあるわけですし、またその印象を肯定する(あるいは補強する)史料もしくは解釈をお持ちであるならば問題はないわけですが、それらが存在するなら一緒に披露していただけると嬉しいです。

あと、これこそゴミですが、白兵戦に固執と言われると、私などは例えば「投入できる火力があるのにそれを用いずに白兵戦を挑む」というような状況を想起してしまいます。
ガダルカナル戦の場合、確かに火力は乏しいですが、しかしそれは望んでも充分な火力が得られなかったことに起因するもので、望んで火力を小さくしたようには思えないのですが、どうでしょうか。

ノモンハン戦については知識が乏しいので……。すみません(汗)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:ゴミレス  ■名前 : ベリアル  ■日付 : 02/3/4(月) 2:26  -------------------------------------------------------------------------
   > 実際の史実(もしくは史料が指し示す事象)とが一致するとは必ずしも限らない
>それらが存在するなら一緒に披露していただけると嬉しいです。
情報を発信するメディアの製作者側の解釈や意図・倫理感なので、視聴者側を
思考などを片寄った物や誘導してしまうことは、多々あると思います。
僕はガナルカナル島の戦闘の知識は、このTV放送での知識しかありせん。
史実と間違って認識している可能性もあるので「これを観た印象では…」と書きました。

> あと、これこそゴミですが、白兵戦に固執と言われると、私などは例えば「投入できる火力があるのにそれを用いずに白兵戦を挑む」というような状況を想起してしまいます。
> ガダルカナル戦の場合、確かに火力は乏しいですが、しかしそれは望んでも充分な火力が得られなかったことに起因するもので、望んで火力を小さくしたようには思えないのですが、どうでしょうか。

夜襲と奇襲の一種です。
敵に気付かれないように接近して白兵戦に持ち込む。
TVを観たのが数年前なので詳しい内容は覚えていないのですが、寝ている米兵は起こさないように、発砲は原則的に禁止されての銃剣突撃だったと思います。
対する米兵は照明弾と機関銃の十字砲火で、一方的な攻撃を加えたと記憶しております。

> ノモンハン戦については知識が乏しいので……。すみません(汗)
僕も詳しくないので、知っている人は僕の間違いを指摘してください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:ゴミレス  ■名前 : ヒロじー <hirojy@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 02/3/4(月) 15:08  -------------------------------------------------------------------------
    前段については了解いたしました。

> 夜襲と奇襲の一種です。
> 敵に気付かれないように接近して白兵戦に持ち込む。
> TVを観たのが数年前なので詳しい内容は覚えていないのですが、寝ている米兵は起こさないように、発砲は原則的に禁止されての銃剣突撃だったと思います。
> 対する米兵は照明弾と機関銃の十字砲火で、一方的な攻撃を加えたと記憶しております。

ガダルカナル戦での夜襲ですが、火力に乏しい(=相手側重火器を制圧できない)以上、観測されやすく敵重火器による損害が大きくなるであろう昼間に攻撃をかけるより、観測されにくい夜間に浸透を試みるほうがまだ合理的な気がします(結果として成功しませんでしたが)。

また奇襲を試みること自体は、成功すれば敵に効果的な防衛体勢を取らせず楽に戦うことが出来るわけですし、これは他国の軍隊でも可能なかぎり試みられることですから、別に異常なことではないのでは?

ガダルカナル戦での白兵戦というのは、重装備の投入に失敗したことでやむを得ず選択されたもののように思います。逆に言えば、夜襲の選択と奇襲の重視以外に選択肢が無くなってしまったことがガダルカナル戦での問題ではないでしょうか?
ほかに有効な選択肢があれば恐らく選択されなかったであろう手段(白兵戦)を、それに固執していたというのはちょっと違うように思うのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:ゴミレス  ■名前 : ベリアル  ■日付 : 02/3/5(火) 3:49  -------------------------------------------------------------------------
   そうですね。
他の方の意見を見てますと、結果として他に選択肢がなかったからだ。と思うようになりました。

ただ、ガナルカナルまでの快進撃で育ったオゴリや「装備はいいが、すぐに逃げだし中国軍より弱い」と兵士の士気をあげる為(?)に
広めた米兵の説明などで一般兵士の中には火力でも負けていても白兵戦になれば、勝てるという考えが広く浸透していたと思っています。
(少なくともガナルカナルで負けるまでは)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:ちょっと前の書き込みの付け加えです。  ■名前 : まなかじ  ■日付 : 02/3/4(月) 3:45  -------------------------------------------------------------------------
   >    確かに帝国陸軍とて理想的戦い方として、あなたの言うとおりの戦い方を
>   考えていたのは事実でしょう。だから私は「固執した」ではなく「固執せざる
>   得なかった」という表現を使ったのですが・・・
>   日本語の表現が難しすぎましたでしょうか?

難しいのではなくて、間違ってます
「固執」というのは自ら強く望んでそれに執着することであり、「せざるを得ない」という表現を付け加えても「強要された」「仕方なくそうした」というような意味合いには取ることができません
固執という日本語はそういう使い方をする言葉です

>    確かに第一次大戦後、帝国陸軍では2回の軍縮(山梨軍縮・宇垣軍縮)と
>   1回の兵備近代化を行っています。特に二回目の大正14年の宇垣軍縮時には
>   常備軍を17個師団に減少させ、4個師団を削減させた余力で、
>   航空兵科の一本立ち、戦車隊・高射砲隊の創設等のその後の軍の骨幹になる
>   近代化を行っています。只その2回の軍縮時に歩兵戦力の根幹の師団数は
>   21個師団→17個師団の約20%減に対し、支援火力の骨幹たる野戦砲兵は
>   285中隊→156中隊へ約43%も減らしています。
>    これが何を意味するかを考えてください。

三八式より新しい砲は減らしていません
旧式砲の在庫一掃処分です
また、砲兵は砲の在庫があり基幹要員がいれば、操作要員は短期間訓練でよく、急速拡大が容易な兵種でもあります
それを見越して砲兵をいったん減らしたものです

>    なぜ精神主義を昭和初期以降(前述の昭和3年歩兵操典もそうですが・・)に
>   持ち出す様になったかは大作戦遂行能力の欠如を自覚したと言うより、
>   上記の軍縮により物質的な支援の野戦重砲兵を大挙失い、その上で作戦を
>   実施させる為ではないでしょうか?
>    自覚症状ではなく、やもうえず二者択一で砲兵の削減と総花的で少量の
>   軍近代化を行った結果、戦術として「白兵戦思想」を持ち出し、白兵戦で
>   なぜ勝てるかの根拠として「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と言う精神主義を
>   持ち出さざる得なかったと言うことだと考えます。

「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と白兵戦との間には関連性が認められません
こちらもそれなりの装備を持っていることを前提として「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と言っているのです
前にも述べたように、帝国陸軍の白兵戦装備は貧弱ではないものの決して他国に優るものではありません
白兵主兵の軍隊としてはらしからぬものでしょう
 
>    少なくとも、根拠の強弱は別にして兵に白兵戦思想でなぜ勝てるかの根拠を
>   示さなければ銃剣突撃なんか出来ないでしょう。(それでなければソ連みたいに
>   恐怖で縛るかしなければ)その為に「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と言う
>   精神主義を根拠を示し士気を鼓舞する為の裏付けとして盛んに行っていた
>   のではないでしょうか?
>    「戦場において敵を呑んでかかる」という意味も当然あるでしょうが・・・
>   あなたが普通のサラリーマンだとしたら、勝算も示されずに非常に困難な
>   仕事にただ「やれ」と言われて、無条件にがんばって出来ますか?
>   其処で上司に「困難だがこの様にやればできる。その為には150%の力が
>   必要だから死ぬ気でがんばれ」と言われれば違うでしょう?
>   上記で言いたい事はこの様な事なのですが・・・
>    上記の「この様にやればできる」は「白兵戦思想」であり「攻撃精神は物質的
>   威力を凌駕する」と言うことであり「死ぬ気でがんばれ」が「銃剣突撃」に
>   当たると思いますが・・・

この点では主張したいことに大差はないようです

>    私がこの歩兵争点の考え方を否定している様に思われているようですが、
>   私は否定はしていません。只米軍相手に限らず、適時物量と近代的兵器を
>   投入しないと、何でもかんでも物量の劣性下で勝利をする事は出来ないのです。

あたりまえです
陸軍とて、自軍にそれなりの物量と近代兵器があることを前提にこの話をしているのです
実際、操典では白兵威力に関する記述はあまりありません
「国軍独特の白兵威力」「国軍伝統の夜襲」が強調されるようになるのは昭和15年以降のことになってきます
軍の近代化よりも戦争の方が先にきてしまうのが避けられない情勢下になって、状況に対応するために仕方なくそういう考え方をするようになっていったのでしょう

>    この歩兵操典は上記のように、絶対的物量の劣性を精神主義で打破する
>   と言う考えが出てきた時代に書かれた物です。
>    はっきり言って一番正しい戦い方は「物質的威力で勝負」という米軍の様な
>   戦い方だと考えます。戦略的に圧倒的物量・戦力を投入できるように
>   戦略的環境を整え、スチームローラーで押しつぶすかの如く戦うのがベストです。
>    確かに「訓練精到にして必勝の信念堅く、軍紀至厳にして攻撃精神充実せる」
>   と言うのも重大ですが、その精神主義では「戦略的・物質的劣性を戦術的・精神的
>   奇蹟により逆転させる」と言うことは不可能であると考えます。

歩兵操典は戦術の教科書であり、歩兵大隊以下の戦術単位について述べた教科書なのであって、戦略のことは考えていません
歩兵操典で戦略を云々されても困ります
あくまで戦場での駆け引き、戦術においてベストを尽くせという話をする本なのですから、これで正しいのだともいえます
物量なり兵器なり兵力量なりの準備をするのは歩兵操典よりも遥か上のレベルで論ずるものでしょう
操典はある基本思想のもとに作成されるものではありますが、まずなにより歩兵大隊が戦場でぶつかる敵は相手の歩兵大隊です

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 自己レス  ■名前 : まなかじ  ■日付 : 02/3/4(月) 19:21  -------------------------------------------------------------------------
   > 難しいのではなくて、間違ってます
> 「固執」というのは自ら強く望んでそれに執着することであり、「せざるを得ない」という表現を付け加えても「強要された」「仕方なくそうした」というような意味合いには取ることができません
> 固執という日本語はそういう使い方をする言葉です

「間違っている」とまでは言えませんね
しかし、非常にすわりの悪い、いわゆる「悪文」です
「固執」という言葉を敷衍するならば、「周囲の状況如何に関わらず」「従来からの先入主」に「主動的に自ら強く望んで」それに「執着する」ことであり、かなり強い自動詞だといえます。
これに対して「せざるを得ない」を敷衍するならば、「自らしない」ということが「可能ではない」、すなわち「周囲の状況による圧力下において、不実行という決心を採ることが不可能とされている」という意味合いを持ち、かなり強い受動表現だといえます。
構文内で矛盾が生じていて、受け手がどちらに重点をおくかによってニュアンスが変化する表現だと思います。
まして、クリティカルに「周囲の状況如何」と「従来からの先入主」が問題となっている文章に置かれているわけですし…。
わたしはこの構文を読むのに「固執」に重きを置きました。

> 実際、操典では白兵威力に関する記述はあまりありません
> 「国軍独特の白兵威力」「国軍伝統の夜襲」が強調されるようになるのは昭和15年以降のことになってきます
> 軍の近代化よりも戦争の方が先にきてしまうのが避けられない情勢下になって、状況に対応するために仕方なくそういう考え方をするようになっていったのでしょう

「戦闘綱領」「歩兵操典」が精神主義称揚に走るのは昭和初期ですが、実際に戦闘方式の記述に変化をきたすのはもうすこし後のことになります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:ちょっと前の書き込みの付け加えです。  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/3/4(月) 23:35  -------------------------------------------------------------------------
   > >    確かに帝国陸軍とて理想的戦い方として、あなたの言うとおりの戦い方を
> >   考えていたのは事実でしょう。だから私は「固執した」ではなく「固執せざる
> >   得なかった」という表現を使ったのですが・・・
> >   日本語の表現が難しすぎましたでしょうか?
>
> 難しいのではなくて、間違ってます
> 「固執」というのは自ら強く望んでそれに執着することであり、「せざるを得ない」という表現を付け加えても「強要された」「仕方なくそうした」というような意味合いには取ることができません
> 固執という日本語はそういう使い方をする言葉です
>  
  それこそ帝国陸軍の「白兵戦」に対する考えは、「自ら強く望んでそれに執着する」
 と「仕方なくそうした」の両面が入っているのではないのですか?
 「固執」と「せざるを得ない」という表現にはこの両面を入れているのですが・・
  
> >    確かに第一次大戦後、帝国陸軍では2回の軍縮(山梨軍縮・宇垣軍縮)と
> >   1回の兵備近代化を行っています。特に二回目の大正14年の宇垣軍縮時には
> >   常備軍を17個師団に減少させ、4個師団を削減させた余力で、
> >   航空兵科の一本立ち、戦車隊・高射砲隊の創設等のその後の軍の骨幹になる
> >   近代化を行っています。只その2回の軍縮時に歩兵戦力の根幹の師団数は
> >   21個師団→17個師団の約20%減に対し、支援火力の骨幹たる野戦砲兵は
> >   285中隊→156中隊へ約43%も減らしています。
> >    これが何を意味するかを考えてください。
>
> 三八式より新しい砲は減らしていません
> 旧式砲の在庫一掃処分です
> また、砲兵は砲の在庫があり基幹要員がいれば、操作要員は短期間訓練でよく、急速拡大が容易な兵種でもあります
> それを見越して砲兵をいったん減らしたものです

   なんか矛盾していませんか?在庫一掃である事は間違いないでしょう。
  只在庫一掃したら火砲の在庫を前提にした急速拡大はどうやるのですか?
  それに最初に述べたように、日本火砲の生産能力を考えてみてください。
  太平洋戦争時に、帝国陸軍の野戦砲の主力は「90式野砲」でしたが、
  かなりの野戦砲兵部隊は一時代前の「38式野砲」を装備して出征しています。
  一時代前の野砲を装備した砲兵部隊を出征させてもなお、帝国陸軍の野戦砲兵火力は
  強力でない不十分の戦力しかなかったのですよ。
  太平洋戦争に対して、帝国陸軍は支那事変以降急拡大させた戦力の一部分を
  投入しています。軍拡の準備期間が約4年近くあったのにもかかわらず、
  「90式野砲」「96式15cm溜弾砲」等の欧米列強に対抗できる
  最新式野砲を十分装備できずに兵力を投入しているのです。
   なぜそうなったかと言えば、帝国陸軍の砲兵工廠の生産能力にあります。
  上記のような最新技術を使用した最新式野砲の生産には、高射砲等に使われる
  最新式の生産技術を使用されており、その為に最新技術を利用した野砲の生産量
  は限られるようになり、砲兵の質的・量的拡充は制限される事になります。
   その様な状況下で野砲の在庫処分をすると言うことは、砲兵の拡充は
  不可能になります。だから軍縮による野砲の在庫処分と、砲兵の急速拡大を見込む
  と言うことは矛盾した事になるのでは無いですか?
   実際に支那事変当初は、急速に増大した徴兵の歩兵に対して支給する
  「38式歩兵銃」の増産すら間に合わなかった時期が存在するくらいの
  貧弱な生産能力で、どうやって火砲の増産を行うのでしょうか?
   だから急速増強するのは、専門知識の必要のなく徴兵と簡単な訓練と装備も
  そんなに複雑でない歩兵を急速増強する方が効率的である。その歩兵を
  有効活用する為の戦術として、「白兵戦思想」が前面に出てこざるえなかったの
  ではないでしょうか?
   私は少なくとも急速増強を見越して砲兵を削減したと言うより、限られた
  予算の中で総花的な改革を実施する為の予算のパイを捻り出す為の数合わせ
  と言う官僚的発想の方が強かったと言えるのではないでしょうか?
  
> >    なぜ精神主義を昭和初期以降(前述の昭和3年歩兵操典もそうですが・・)に
> >   持ち出す様になったかは大作戦遂行能力の欠如を自覚したと言うより、
> >   上記の軍縮により物質的な支援の野戦重砲兵を大挙失い、その上で作戦を
> >   実施させる為ではないでしょうか?
> >    自覚症状ではなく、やもうえず二者択一で砲兵の削減と総花的で少量の
> >   軍近代化を行った結果、戦術として「白兵戦思想」を持ち出し、白兵戦で
> >   なぜ勝てるかの根拠として「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と言う精神主義を
> >   持ち出さざる得なかったと言うことだと考えます。
>
> 「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と白兵戦との間には関連性が認められません
> こちらもそれなりの装備を持っていることを前提として「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と言っているのです
> 前にも述べたように、帝国陸軍の白兵戦装備は貧弱ではないものの決して他国に優るものではありません
> 白兵主兵の軍隊としてはらしからぬものでしょう
>  
> >    少なくとも、根拠の強弱は別にして兵に白兵戦思想でなぜ勝てるかの根拠を
> >   示さなければ銃剣突撃なんか出来ないでしょう。(それでなければソ連みたいに
> >   恐怖で縛るかしなければ)その為に「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と言う
> >   精神主義を根拠を示し士気を鼓舞する為の裏付けとして盛んに行っていた
> >   のではないでしょうか?
> >    「戦場において敵を呑んでかかる」という意味も当然あるでしょうが・・・
> >   あなたが普通のサラリーマンだとしたら、勝算も示されずに非常に困難な
> >   仕事にただ「やれ」と言われて、無条件にがんばって出来ますか?
> >   其処で上司に「困難だがこの様にやればできる。その為には150%の力が
> >   必要だから死ぬ気でがんばれ」と言われれば違うでしょう?
> >   上記で言いたい事はこの様な事なのですが・・・
> >    上記の「この様にやればできる」は「白兵戦思想」であり「攻撃精神は物質的
> >   威力を凌駕する」と言うことであり「死ぬ気でがんばれ」が「銃剣突撃」に
> >   当たると思いますが・・・
>
> この点では主張したいことに大差はないようです
>
> >    私がこの歩兵争点の考え方を否定している様に思われているようですが、
> >   私は否定はしていません。只米軍相手に限らず、適時物量と近代的兵器を
> >   投入しないと、何でもかんでも物量の劣性下で勝利をする事は出来ないのです。
>
> あたりまえです
> 陸軍とて、自軍にそれなりの物量と近代兵器があることを前提にこの話をしているのです
> 実際、操典では白兵威力に関する記述はあまりありません
> 「国軍独特の白兵威力」「国軍伝統の夜襲」が強調されるようになるのは昭和15年以降のことになってきます
> 軍の近代化よりも戦争の方が先にきてしまうのが避けられない情勢下になって、状況に対応するために仕方なくそういう考え方をするようになっていったのでしょう

   私も歩兵銃と銃剣だけで銃剣突撃をして敵に勝利できるとは言っていません。
  当然自軍にもそれなりの支援砲火と物量と近代兵器はある前提です。
  只その量が不足している現実を「攻撃精神は物質的威力を凌駕する」と言う言葉
  が示しているように、「物量の不足を攻撃精神で補いなさい」という精神的
  考え方で乗り切ろうとしているのです。
   だから戦争が避けられない状況下になった時には、より直接的表現で強調する
  ようになっただけであり、「白兵戦重視」強調の発想は、軍縮でより支援砲火が
  減少した現実を乗り切る為に昭和初期より出てきた物であり、直接的表現で
  無いにしろ昭和3年の歩兵操典の時期より出だした物なのです。
  
> >   この歩兵操典は上記のように、絶対的物量の劣性を精神主義で打破する
> >  と言う考えが出てきた時代に書かれた物です。
> >   はっきり言って一番正しい戦い方は「物質的威力で勝負」という米軍の様な
> >  戦い方だと考えます。戦略的に圧倒的物量・戦力を投入できるように
> > 戦略的環境を整え、スチームローラーで押しつぶすかの如く戦うのがベストです。
> >   確かに「訓練精到にして必勝の信念堅く、軍紀至厳にして攻撃精神充実せる」
> > と言うのも重大ですが、その精神主義では「戦略的・物質的劣性を戦術的・精神的
> > 奇蹟により逆転させる」と言うことは不可能であると考えます。
>
> 歩兵操典は戦術の教科書であり、歩兵大隊以下の戦術単位について述べた教科書なのであって、戦略のことは考えていません
> 歩兵操典で戦略を云々されても困ります
> あくまで戦場での駆け引き、戦術においてベストを尽くせという話をする本なのですから、これで正しいのだともいえます
> 物量なり兵器なり兵力量なりの準備をするのは歩兵操典よりも遥か上のレベルで論ずるものでしょう
> 操典はある基本思想のもとに作成されるものではありますが、まずなにより歩兵大隊が戦場でぶつかる敵は相手の歩兵大隊です

   確かに歩兵操典は戦術の教科書です。
  只戦術は戦略的条件と前提の中で作られるミクロ的な物ではないでしょうか?
  私は根拠として示す具体的な良い資料がない為戦術の教科書の歩兵操典を
  持ち出しましたが、基本的な発想がある具体的例として持ち出しました。
   当然ミクロの中で述べられている基本的事項は、戦略にある上でそれに
  具体的事例を当てはめた物なのですから・・・
   確かに戦術から戦略を述べるのは話が逆説的とも言えますし、それで
  誤解を招いた所は私の愚かで不徳の至る所であると陳謝致しますが・・・

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 理論、思想と現実は別けて考えるべきでは  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/3(日) 18:47  -------------------------------------------------------------------------
   > どちらが正しいのでしょうか?

第一次世界大戦から得られた教訓をどのように消化吸収して、どれだけ導入できたか、という問題として考える場合と、大東亜戦争中の実際の戦闘例を評価する場合とでは少し答が変って来る、ということではないでしょうか。理論、思想の面と現実の成果の面とは分けて考える必要があると思います。

第一次大戦の結果から各国が陸戦分野で今後の大きな研究課題として捉えたものに「機動戦を如何に戦うか」という問題があります。大戦後、各国の歩兵戦術が軽機関銃を中心とした戦闘グループを主体とするように変化することや、戦車の歩兵支援、機械化部隊の編成など全てこの機動戦をどう戦うかというテーマに沿って導き出された答案のひとつと言えるでしょう。話題に上がった浸透戦術もこうした動きの中のひとつです。
当然、火力は最重要視され、中でもソ連軍は機動戦に対して最も徹底した構想を持ち、その端緒を開く敵野戦陣地の突破に関しては攻撃正面あたりの砲兵密度の設定に始まり、かなり精緻に理論化しています。銃剣突撃、白兵戦思想から最も遠い場所に居たのがソ連軍という事になるでしょう。英仏両国の研究もまた良く似た発展を見ています。
白兵戦第一主義というものは第一次大戦後、存在しないに等しい考え方だったと言う事です。

近代的機動戦闘の理論と実践の先端にあったソ連軍に対して、敗戦国として軍備制限から小規模の兵力となったドイツ陸軍は逆にそれを活用して機動軍としての方向性に於て装備、編制の刷新をはかっています。小規模陸軍である故の身の軽さがドイツ機甲師団の母胎となった面もあるのです。
大規模陸軍では進展しにくい改革を小規模な新陸軍で意識的に実現しようとしていた点にドイツ陸軍を第二次大戦前段階で列国より頭ひとつ進んだ位置に押し上げた下地があると考えても良いと思います。

さて日本陸軍も眠っていた訳でもなく、戦車用法の研究から自動小銃に至るまでの様々な装備、運用の研究を実施しています。理論の面でも最新の情報をよく取り入れていると評価しても良い位なのですが、現実には第二次大戦前段階での近代化は極めて低調なものに終わっています。近代化の最先端にあるソ連軍を仮想敵としながら、旧装備と旧思想の残滓を最後まで拭い去れなかった最大の理由は予算的制約と陸軍の兵力規模との不釣合いにあるのでしょう。
最も進んだ敵と対峙する為に敵に学びながらも、その仮想敵の強大さ故に兵力規模を縮小できず、ドイツ陸軍のように戦術思想、装備を近代化できないという苦境を昭和初期の陸軍各種兵器、戦術の研究記録は物語っているように思えます。
実際には、それまで火力を重視の記述が見られた操典類での白兵戦称揚転換という事実がありますが、それらは日本独特の精神主義と解釈するよりも置かれた状況が生み出した暫定的な方針と考えることもできます。
白兵戦主義というのは一つの独立した思想ではないのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 大元に返る  ■名前 : まなかじ  ■日付 : 02/3/4(月) 20:25  -------------------------------------------------------------------------
   わたしのふぁいなるあんさー(笑)

> 太平洋戦争の日本軍については、一般的に「WW1を経験していなかったため
> 日露戦争以来の白兵主義に凝り固まり、米軍の機関銃の前に銃剣突撃や万歳突撃を
> 繰り返して敗北した」とする定説があります。
>
> その一方で「第一次大戦で誕生した浸透戦術を多用し、浸透戦術で敵を苦しめた」
> とする意見もあります。
>
> どちらが正しいのでしょうか?

1・日本陸軍は白兵主義に凝り固まってはいない、これはもっとも基本的な教科書に書いてあることで、疑う余地なし。
むしろこれは第一次大戦の戦訓を正当に評価した結果であって、ましてや白兵戦では苦戦であった日露戦争の戦訓は夜襲重視という一点のみといってよい。
昭和13年版歩兵操典では白兵主義転換とも見える記述が存在するが、火力そのものを第一とする姿勢に変化はなく、白兵への依存度が多少増大したものであるといえる。
これは軍近代化までの過渡期において見られた現象と考えられる。

2・但し、浸透戦術そのものには、歩兵・砲兵・戦車及び航空機の共同動作が完璧に成されたとしても、ある程度の白兵戦を必然とする要素がある。
これは歩兵を尖兵として使用するという大前提による。

3・従って「白兵戦=旧態依然とした時代遅れの戦闘方式」という前提自体がおかしい。白兵戦を避けるには浸透戦術の利用はできず、砲兵・戦車・航空機の戦力を飛躍的に増大して、歩兵は平押しで進めるしかない。この方式は米軍のものである。
ソ連軍もまた採用しているが、大戦中に確実に実行できたのは1944年の冬季攻勢以降であり、それまではどこか片手落ちでの実施であって、そのツケは常に歩兵が払い、結局大戦期間中の大部分ではソ連軍歩兵はかなりの度合で白兵突撃に依存していた。
また、その米軍とて、フュルトゲンの森林地帯や北朝鮮の山岳地帯、ベトナムのジャングルで白兵戦を強要されている。日本軍がジャングルの利用に徹しきれず、米軍の戦車道戦術に屈したのは、特に食糧補給に失敗した点によるところが大きい。

4・歩兵力のみでの小部隊夜間浸透、いわゆる「斬込隊」を主体とした米軍との戦闘は日本陸軍にとって非常に不本意な戦闘方式を強いられたものである。
夜間に火力使用を抑制して(従って白兵に依存して)敵陣深く浸透するというのは教科書どおりであるが、天明後の戦果拡大を保障する支援火器を欠いたことにより決定的効果を得ることはついぞなかった。
本来ならば日の出までに自陣に帰り着ける以上に深く突破貫入し、払暁と同時に開始される正攻法による自軍主力の攻撃を容易ならしむるのが尖兵の任務である。

5・米軍の海空にわたる広い意味での戦場阻止作戦行動により、重火器や弾薬、その他支援手段が欠乏した結果、手持ち戦力のみで作戦せざるを得なかった、という状況を考慮する必要がある。
投入しようにも投入するものが存在しないのでは…。

故に、結論
南方戦場で戦った日本軍は、特に補給線を遮断されたことを主原因として自らの理論に背馳した戦闘方式を余儀なくされ、実際には不可能な任務を背負って自滅していった。
設問に答えるならば、どちらも現象としては正しい、但し特に前段の「定説」においては理由づけが致命的に誤っている、となります

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:大元に返る  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/5(火) 6:04  -------------------------------------------------------------------------
   > 3・従って「白兵戦=旧態依然とした時代遅れの戦闘方式」という前提自体がおかしい。白兵戦を避けるには浸透戦術の利用はできず、砲兵・戦車・航空機の戦力を飛躍的に増大して、歩兵は平押しで進めるしかない。この方式は米軍のものである。
> ソ連軍もまた採用しているが、大戦中に確実に実行できたのは1944年の冬季攻勢以降であり、それまではどこか片手落ちでの実施であって、そのツケは常に歩兵が払い、結局大戦期間中の大部分ではソ連軍歩兵はかなりの度合で白兵突撃に依存していた。

ううむ、まなかじさん、これは「根本主義」「白兵戦主義」そのものの考え方ですよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 補足  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/5(火) 7:44  -------------------------------------------------------------------------
   もう少し補足すれば、白兵戦主義というのはそれが独立して存在するのではなくて、歩兵砲兵の協同、諸兵協同で構成されたピラミッドの頂点に銃剣突撃が乗っかっているという考え方を言うのです。
ガダルカナルで夜襲をしたの、どこで夜間斬り込みで成果を上げたの、というのは白兵戦主義そのものではありません。砲兵が近代化しようと、戦車が沢山あろうと、優勢な空軍で制空権を確保しようとも白兵戦主義そのものとは矛盾しません。
大東亜戦争の個別の戦例で日本軍が出血の大きな攻撃を行った事と白兵戦主義は同じようでいて微妙に違うと思います。議論が混乱したり同義反復の傾向にあるのはこのあたりの認識にあるのではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : そのまた補足  ■名前 : tackow <ikku@rb3.so-net.ne.jp>  ■日付 : 02/3/5(火) 9:12  -------------------------------------------------------------------------
   > もう少し補足すれば、白兵戦主義というのはそれが独立して存在するのではなくて、歩兵砲兵の協同、諸兵協同で構成されたピラミッドの頂点に銃剣突撃が乗っかっているという考え方を言うのです。

私もそう思います。

「歩兵操典」と並ぶバイブルである「作戦要務令」では白兵戦主義というものは見えてきません。火力を集中して、充分な準備砲撃の下で歩兵が敵を攻撃する。とはなっていますが。
 その結果、最後に至近距離での「白兵戦」となるのは当然でしょう。
 
 ガ島でも川口支隊の失敗後、「敵を火力で圧倒し、正々堂々と力押しで奪回する」という報告が当初からなされていますし。その後の戦力補充計画もその様に立案されていました。総攻撃に当たって辻参謀が迂回奇襲を立案したところ、中央では「何故、正面から正々堂々と攻撃しないんだ」と困惑したといいますから、白兵戦至上というのは見えてきません。

 「白兵戦」「白兵戦主義」「白兵戦至上」言葉を並べれば似た雰囲気ですが、置かれた戦場、状況によって違うのは当然ではないでしょうか?まぁ、米国兵が「斬り込み」したという話は聞きませんが・・

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:お詫び  ■名前 : まなかじ  ■日付 : 02/3/5(火) 19:28  -------------------------------------------------------------------------
   > > 3・従って「白兵戦=旧態依然とした時代遅れの戦闘方式」という前提自体がおかしい。白兵戦を避けるには浸透戦術の利用はできず、。この方式は米軍のものである。
> > ソ連軍もまた採用しているが、大戦中に確実に実行できたのは1944年の冬季攻勢以降であり、それまではどこか片手落ちでの実施であって、そのツケは常に歩兵が払い、結局大戦期間中の大部分ではソ連軍歩兵はかなりの度合で白兵突撃に依存していた。
>
> ううむ、まなかじさん、これは「根本主義」「白兵戦主義」そのものの考え方ですよ。

うぬう
「砲兵・戦車・航空機の戦力を飛躍的に増大して、歩兵は平押しで進めるしかない」
…って、字面どおりに読んだら、イープル戦後期やソンム会戦の英軍だってこうやってますよね(自爆
いつも、自分の書く文章があまりにくどいと思っていたので極力省略したら、要のところまで省略してしまったようです(恥
いや、ぜんぜん違う場面を想像して書いてたんですが

言い訳するとまたえらく長文になりそうですし、どうも本筋からして蛇足の部分のように思えますので、元記事のこの部分は「削除」というか、なかったものとしてお読みいただけると幸いです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 白兵戦がめだってしまう過程  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/5(火) 19:43  -------------------------------------------------------------------------
   …大変僭越ながら、自分なりの意見をごく簡単にまとめますと以下の通りです。

日本陸軍は地上兵力の分野において装備近代化に失敗したため、他の列強の軍隊と
比較して、機甲兵力が質的数量的に劣っていた。また、他の諸兵科も機動力が
致命的に劣っていた。

特に砲兵自体の機動力及び弾薬補給力のなさは、戦場での展開能力の低さとなって
計画された攻勢作戦でも大規模な支援砲撃を困難にすることともあった。

軍としては、装備の近代化の必要性や理論を認識しつつも、兵力の動員維持にしば
られ不十分な質的量的装備をなかなか改善できなかった。そのため、その不足分を
鍛錬や精神力で補おうとする姿勢もあった。

そして大戦がはじまると、もともと機甲兵力や十分な砲兵支援の得られない日本軍は
当然ながら、機甲戦や大砲撃戦の機会に乏しく、開戦当初は夜間浸透戦術や肉弾突撃
の白兵戦によって勝利を得る場合が目立った。

そして連合軍との攻守が逆転しつつある戦況となっても、夜間浸透や突撃で攻勢を
とり続けた日本軍は大きな損害をだし、さらに終末の万歳突撃の実施によって、
無謀な突撃ばかりを繰り返す日本軍というイメージが強くなった…以上。

しかし、本当に戦争末期になるともちろん日本軍は長期持久に戦術転換してますから、
安易な突撃はしていません。沖縄戦での総反撃は反対意見が多かったのに、半ば
メンツだけで実施してしまったようなものですし。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 追加説明  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/5(火) 23:47  -------------------------------------------------------------------------
   …読み返すとあんまり簡単に書いてしまったような気がしますので、追加
説明させてください。

大戦初期でも日本軍が比較的規模の大きな砲撃戦を展開したことはもちろん
あります。香港、シンガポール、パターン、コレヒドール等ですが、ただし、
いずれもこれらは要塞陣地に対する攻城砲戦といっていいでしょう。すなわち
重砲部隊をわざわざ集めて呼んできたもので、こうした攻城戦自体は日本軍が
行った進撃のゴールに位置するものでしかありません。そのゴールに行き着く
までの数多い進撃中の戦闘において、どれだけ重砲が進撃部隊に追随し、支援
砲撃を与えられたというのでしょうか。

大戦中、列強各国が砲兵の迅速な機動を目指していたことはいうまでもなく、
ドイツの突撃砲だってもともとは「突撃砲兵」という歩兵直協の新たな砲兵構想
が元になっていたはず。さすがに突撃砲とまではいかなくても、せめて牽引車両の
充実は理想でした。しかし、日本の場合は運搬手段はほとんど全部が馬。ゴムタイヤ
を履かせた車輪の砲を特別に(実際特別だったんでしょうが)、「機動野砲」等と
呼んでいた状況です。このような装備で迅速かつ十分な歩兵直協が行えたとはあまり
考えられません。程度の問題ではありますが、やはり日本の敵となるソ連や英米に
比べれば大きく劣っていたといわざるを得ないと思います。

また機甲部隊巣の活躍でもマレー半島の進撃では島田戦車隊や佐伯挺身隊(捜索連隊)
が有名ですが、実際にはジャングル道路の進撃の際に英連邦軍の反撃があった場合は、
歩兵部隊がジャングルを迂回浸透して撃退する方が多かったはずです。ジャングル道
のような地形では当然機甲部隊の行動に制約が生ずるのは当然のことです。

結局、日本の進撃勝利の大部分は列強各国と比べると、機甲部隊や砲兵支援火力の
程度が相対的に低く、夜間浸透に代表される歩兵のがんばりの部分が大きかったような
気がするのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 実践 歩兵操典読み比べ  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/5(火) 23:40  -------------------------------------------------------------------------
   モノの本に書いてある事を鵜呑みにすると碌な事は無いので、今日、三冊の歩兵操典を通読してみました。
操典は現場向けのマニュアルですから理論そのものを述べたものではありませんが、平易な言葉でその時代の考え方を反映していますのである意味面白いものがあります。

「明治31年歩兵操典」
白兵戦至上主義に陥る前は火力主義という合理的な思想があったとする論の根拠になっているものです。確かに火力に触れている部分があります。

「歩兵戦闘は火力を以て決戦するを常とす(傍点付きで強調)而して火力を充分発揮するは散開隊次に若くもの無し 密集隊次を用い射撃するは例外とす」

この火力の強調は隊形の問題と共になされていて、散開戦闘の重要性を主に述べているように読めます。また散開隊次は敵騎兵部隊に対して有効だとある所もちょっと心に置くべき事のように思えます。この「火力」とは進歩的な考え方と言うよりも、ひょっとしたら対騎兵戦術なのではないかとの印象もあるということです。

「明治42年歩兵操典」
白兵戦主義への転換が見られる歩兵操典ですが、その内容は以下の通りです。

「戦闘は諸兵種協同一致して各その固有の戦闘能力を発揮するに依りて好果(ママ)を得るものなり・・・故に他兵種の協同動作は歩兵をしてその任務を達せしむるを主眼として行わるるを通則とす」
「歩兵戦闘の主眼は射撃を以て敵を制圧し突撃を以て之を破砕するにあり 射撃は戦闘経過の大部分を占むるものにして歩兵の為緊要なる戦闘手段なり 而して戦闘に最終の決を与ふるものは銃剣突撃とす」

以上のようなものなのですが、意外と理解しやすい印象があります。
諸兵種の協同の上に主力としての歩兵戦闘があり、その最終的な手段として銃剣突撃があるという考え方です。明治末期の陸軍歩兵戦術マニュアルとしては諸兵種協同の概念から銃剣突撃までをよく整理しているようにも思えます。まだまだ「精神主義」という程じゃないな、というのが私の感想です。

「昭和15年歩兵操典」
明治42年操典がまだまだ精神主義ではない、と感じるのはこの操典のせいかもしれません。一種異様な操典です。忠君愛国、必勝の信念、光輝ある歴史、攻撃精神等の甲高い言葉が並んでいます。なるほど「精神主義」なのかもしれません。

「訓練精到にして必勝の信念堅く軍紀至厳にして攻撃精神充溢せる軍隊はよく物質的威力を凌駕して戦捷を完うし得るものとす」

確かに精神で物量に立ち向かうという考え方と言えます。でも、この操典には二つの特徴があるように思えてなりません。続けます。

「歩兵は軍の主兵にして諸兵協同の核心となり常に戦場に於る主要の任務を負担し戦闘に最終の決を与ふるものなり 歩兵の本領は地形及時期の如何を問はず戦闘を実行し突撃を以て敵を殲滅するにあり
 而して歩兵は縦ひ他兵種の協同を欠くことあるも自ら克く戦闘を遂行せざるべからず」

この操典には「銃剣突撃」という単語が殆ど見当たりません。上の文は砲兵、戦車、飛行機の協同が得られなくとも敢闘せよ、という事を述べているに過ぎませんし、通常、それらは得られるものだと読めます。「兵は我が白兵の優越を信じ・・・」ともありますが、銃剣突撃という単語は奥に引っ込んでいるのです。何故でしょうか。もう日本兵は強くないのでしょうか。
さらにこの操典に特徴的なのは、「総則」に見られる「短期間に教育の目的を達せんとするときは・・・」等の速成教育を指すものです。物事を簡単、単純に述べて即時理解できるように努めている様子が窺えるのです。
どうも精神主義、速成主義、単純主義が昭和15年歩兵操典の顔と言えるのではないでしょうか。
こうした傾向は、狂信的な精神主義と言うよりも、むしろ昭和15年という支那事変三年目に補充兵で膨れ上がった日本陸軍の置かれた状況に対応しているのではないかと思います。スキルが低く、士気も低下しつつある膨張した陸軍歩兵部隊を短期に戦力化する為のマニュアルとしてこの一種異様な歩兵操典は存在しているような印象を受けました。

三種の操典を読んで、「火力主義から白兵戦主義への転換」「精神主義」という問題が既存の解説書で語られるものとは若干ニュアンスが異なるのではないか、それぞれの本当に述べている事とその時代背景を洗い直して考えるべきではないかと私は思いますが、如何でしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : まとめると・・・  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/6(水) 14:16  -------------------------------------------------------------------------
    1.明治31年操典の内容をよく読むと「それまでの健全な火力主義から白兵戦主義に大転換した」という通説はかなり怪しい。

2.明治42年操典から「銃剣突撃」を称揚しているが、これも諸兵協同を重視した歩兵主義とでも言うべきもので当時としてそれ程異質なものでもなければ時代遅れでもない。

3.明治42年操典からいわゆる「白兵戦主義」を唱道している以上、宇垣軍縮はいわゆる「白兵戦主義」とは直接の関係が無い。「白兵戦主義」は予算問題からの帰結ではない。(操典よりも上部に位置する「戦闘綱要」の成立も軍縮時代以前)


4.昭和15年操典に見られる「精神主義」は明治42年操典の「白兵戦主義」とはその背景が違う。

5.よって大東亜戦争時の歩兵攻撃は「精神主義」と同じく語られるような「白兵戦主義」ではなく、旧時代の歩兵主体戦術が残存していたに過ぎない。

補足:宇垣軍縮で捻出された予算約4000万の内、3000万は航空軍備の為に使われている。戦車、砲兵への予算はそれぞれ全体の一割強に過ぎないが、この時の予算配分は空軍建設という近代的陸戦に不可欠の戦力育成に集中したもので、大砲を造るよりも必須かつ良策であり、目的が明確だった。


色々ご意見はあると思いますけれども、ひとまとめに言ってこんな感じでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : そもそも日本に白兵主義のような伝統はなかった  ■名前 : dg  ■日付 : 02/3/22(金) 22:27  -------------------------------------------------------------------------
   日本古来の戦さにおける死亡原因を解析・集計した参考書によれば、
平家物語・蒙古襲来・太平記そして戦国時代前期(鉄砲が普及するまで)
の死亡原因別構成比はほぼ一定しており、
矢傷:90%
刀・槍傷:5%
投石・その他・5%
となっているようです.

人間が貴重な生産力だった時代ですから、白兵(接近戦)などという
人的被害が大きくなる戦法はなるべく避け、勝つにせよ負けるにせよ
自分たちの戦力が回復不可能なほどのダメージは避けよう・というのが
日本の一般的な戦い方でした.

中世以前の戦というと、華やかな騎馬武者を想像しがちですが、
実は戦闘参加者の平均的な構成をみれば、
騎馬武者:10%前後
騎馬武者の郎党・歩兵:50-60%
軍夫・人足:30-40%
程度だったようです.

花形は、騎乗の弓の名手であり、それはいまでも流鏑馬
などに残されておりますが、戦闘で決定打を握っていたのは
大勢の弓組と、その弓組を敵の騎馬の突撃から守る槍組でした.

鉄砲が普及してきますと、戦死の原因構成比に変化がみられます.
戦国後期には、矢傷50%・鉄砲弾25-30%・刀槍傷10%・その他、
維新前後になりますと、もはや弓は主役の座から消え去り、
鉄砲傷が大多数になっていきます.

そういう点を、明治維新とほぼ同時代の欧州の軍隊と比較すれば、
欧州にこそ騎馬のサーベル隊などが多く配備されたり、
銃剣を装着した歩兵の密集突撃など、より白兵指向がみられたわけです.
この欧州の白兵指向は、第一次世界大戦まで連綿と続いたと考えられます.

一方、明治を迎えた日本では、新式小銃の火力こそ勝利の決め手であると
考えられていきました.戊辰戦争・佐賀の乱・西南の役など、現実に
火力に頼る遠距離銃撃戦で勝利を勝ち取っていったのですね.
欧米でも米国の南北戦争や普仏戦争など、歩兵の持つ小銃によって勝敗
を決したわけですが、それを教訓としない国も少なくなかったようです.

その点、騎兵隊の伝統の乏しい明治の陸軍は、1891(明治24)制定の
歩兵操典で火力重視を打ち出せたわけですし、1898(明治31)の改定版
でも、その思想は変えていないと思います.

> 1.明治31年操典の内容をよく読むと「それまでの健全な火力主義から白兵戦主義に大転換した」という通説はかなり怪しい。
>
> 2.明治42年操典から「銃剣突撃」を称揚しているが、これも諸兵協同を重視した歩兵主義とでも言うべきもので当時としてそれ程異質なものでもなければ時代遅れでもない。

dg:いまだに白兵主義をひきずっていた欧州陸軍と比べたならば、確かに
時代遅れではなかったかも知れません.
しかし、日露戦争で、十分な歩兵支援重火器をもたなかった日本陸軍は、
やむを得ず・といいますが、203高地・旅順要塞攻撃にあたって銃剣突撃
を繰り返しました.

そのことの是非はともかく、このように勝った日本軍が、負けたロシア軍の
2倍の損害を負うような戦いは、徴兵制度で簡単に兵隊を集められる時代の
産物・という匂いがします.

> 3.明治42年操典からいわゆる「白兵戦主義」を唱道している以上、宇垣軍縮はいわゆる「白兵戦主義」とは直接の関係が無い。「白兵戦主義」は予算問題からの帰結ではない。(操典よりも上部に位置する「戦闘綱要」の成立も軍縮時代以前)

dg:この1909年(明治42)版の歩兵操典改訂版こそ、
兵士に無茶ないくさを強要した陸軍上層部の判断を弁護し、あまつさえ
美化しようとした産物なのではないか?
と僕は考えているんですけどね.

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:そもそも日本に白兵主義のような伝統はなかった  ■名前 : モーグリ  ■日付 : 02/3/27(水) 13:58  -------------------------------------------------------------------------
   > 矢傷:90%
> 刀・槍傷:5%
> 投石・その他・5%

『鉄砲と日本人』だと思いますが、作者の軍事知識は間違いも見られる(第二次大戦で
日本軍が自動小銃を配備しなかったから負けた、とか)ため、鵜呑みにするのは危険です。
そのデータは軍忠書の記述を元にしていますが、軍忠書のデータがそのまま戦闘の実態を
反映しているわけではありません。軍忠書では集団で槍や刀を使用して敵を討ち取った
ものを認めないしきたりがあります。だから実際はもっと白兵戦があったはずです。
それに遠戦兵器で打たれた場合、負傷しても戦場から脱出したり味方に救出される機会が
ありますが、白兵戦では負傷した場合逃げられずにとどめを刺されるケースが多いはず
です。負傷者の数から「遠戦主体」というのは無理があります。
定説とされている日本の刀剣の発展とも矛盾しています。白兵戦がほとんど行なわれて
いないのなら、なぜ日本刀が太刀から打刀に発展していったのか説明がつきません。

> 西南の役など、現実に火力に頼る遠距離銃撃戦で勝利を勝ち取っていったのですね

西南戦争では政府軍の弾薬消費量が圧倒的に多いのに両軍の死傷者がほぼ同じです。
これは火力主義ではなく、単に練度不足の政府軍兵士が興奮して無駄弾を打ちまくった
からだと思います。ヴェトナム戦争でも興奮した新兵がトリガーを引きまくり数秒間で
弾倉をスッカラカンにするという問題が多発しています。

> 203高地・旅順要塞攻撃にあたって銃剣突撃を繰り返しました

これは間違いです。乃木の第3軍は第一次攻撃で相当な準備射撃を行なっています。効果が
無かったのは榴霰弾だったからです。しかも第一次攻撃失敗以降、第3軍はそれまでの
強襲法から敵堡塁の近くまで塹壕を掘り進む「正攻法」に切り替えています。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/nogi.htm

> 勝った日本軍が、負けたロシア軍の2倍の損害を負うような戦いは

第一次大戦の戦訓から言えば、塹壕戦で浸透戦術を使用しない従来通の戦法では攻撃側が
防御側より大損害を受けるが常識です。イープル、ソンム、二ヴェル攻勢、パーサンダーラ
(パッシェンダール)など。防御側の損害が大きかったはヴェルダン攻防戦くらいでは。
逆に第一次大戦中に誕生した浸透戦術を使用した独墺軍は、カポレット戦でイタリア軍の
防御ラインを粉砕し大戦果を上げています。日本軍も浸透戦術を学習し、日中戦争の
上海攻防戦ではドイツ軍事顧問団によって形成された国民軍精鋭部隊の防御線を
浸透戦術で撃破しています。塹壕戦で攻撃側が勝つには浸透戦術しかないのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 刀の使い道  ■名前 : dg  ■日付 : 02/3/31(日) 19:32  -------------------------------------------------------------------------
   > 軍忠書では集団で槍や刀を使用して敵を討ち取った
> ものを認めないしきたりがあります。だから実際はもっと白兵戦があったはずです。
> それに遠戦兵器で打たれた場合、負傷しても戦場から脱出したり味方に救出される機会が
> ありますが、白兵戦では負傷した場合逃げられずにとどめを刺されるケースが多いはず
> です。負傷者の数から「遠戦主体」というのは無理があります。
> 定説とされている日本の刀剣の発展とも矛盾しています。白兵戦がほとんど行なわれて
> いないのなら、なぜ日本刀が太刀から打刀に発展していったのか説明がつきません。

dg:源平時代のような「正社員」武士による戦が主体だったころの
絵図を見ますと、ほとんどの武士が弓を持ち、箙をかついでいます.
戦いは、まず矢の射掛けあいから始まったのですね.

室町時代末期になりますと、雑兵が戦闘の重要な位置を占めてきます.
その場合も、まず矢の射掛けあいから始まるのが普通で、矢をあらかた
討ち尽くすと槍合わせが始まるわけです.

このように、日本の戦は、距離をおいた戦が中心でした.
なぜなら、白兵戦というのは兵の損耗が激しく、割に合わぬという
考え方が主流であったと考えられるのです.

あなたのいう「軍忠書」が何をさしているのかは判然としませんが、
冷え首・女首・子供首が評価の対象にならないことが多かったことは
存じておりますが、集団で敵の豪の者を討ち取ることは立派な手柄ですよ.

戦場で相対したとき、刀では、まず槍に勝つことが困難です.
それに、敗軍あきらかになれば、兵の多くは逃げるんですよ.
刀で切られるまで、戦場でぐずぐずする理由もなさそうだし.

刀には、実用武器としての意味もさりながら、精神面の表現としての
意味が早くから存在したようなんですね.

刀というものは、実用武器としては欠点が少なくない.
まず柄ですが、目釘がゆるんだりはずれたりするし、
柄巻が切れたりほどけたりしてしまう.
また、つばの位置まで刃をつけてあるから、力を入れようとしても
柄を両手で握るしかない.

槍にはいろんなタイプがありますが、ちょっといいものなら、
穂先に続く柄の部分には帯び金が巻いてあります.
こんなもので殴りつけられた時、刀で受け止めたら
折れたり曲がったりしてしまいますよ.

もちろん、刀のなかにも名刀・豪刀はありますが、
そういうものは大変高価で、誰もが装備できるわけではない.
戦場における刀というものは、大部分が数打ち物と呼ばれる
大量生産品なのです.

そんな刀の役割は、首取り道具であり、乱戦になったときの
護身用なのですよ.

> 西南戦争では政府軍の弾薬消費量が圧倒的に多いのに両軍の死傷者がほぼ同じです。
> これは火力主義ではなく、単に練度不足の政府軍兵士が興奮して無駄弾を打ちまくった
> からだと思います。ヴェトナム戦争でも興奮した新兵がトリガーを引きまくり数秒間で
> 弾倉をスッカラカンにするという問題が多発しています。

dg:弾がなくなるまで撃ちまくったということでしょう.

dg:日露戦争でもww1でも白兵戦がくりひろげられたわけですが、
これらは徴兵制度によって、兵の募集コストが安くなった時代の風景
ではないでしょうか.

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:刀の使い道  ■名前 : 景虎  ■日付 : 02/4/13(土) 1:05  -------------------------------------------------------------------------
   初めまして、景虎と申します。

> 室町時代末期になりますと、雑兵が戦闘の重要な位置を占めてきます.
> その場合も、まず矢の射掛けあいから始まるのが普通で、矢をあらかた
> 討ち尽くすと槍合わせが始まるわけです.
>
> このように、日本の戦は、距離をおいた戦が中心でした.
> なぜなら、白兵戦というのは兵の損耗が激しく、割に合わぬという
> 考え方が主流であったと考えられるのです.

天正3年の上杉家軍役帳によると、5509人中、弓5人、鉄砲316
人となっています。しかも、鉄砲隊としてまとめて運用したわけではな
く、各隊にバラバラに配置されていたようです。例えば柿崎晴家隊15
丁、竹俣小太郎隊3丁といった具合です。白兵戦中心かどうかはともか
く、遠戦中心というには無理がありませんか?

> 戦場で相対したとき、刀では、まず槍に勝つことが困難です.
> それに、敗軍あきらかになれば、兵の多くは逃げるんですよ.
> 刀で切られるまで、戦場でぐずぐずする理由もなさそうだし.

刀と槍では槍の方が有利だというのは本当ですね。
ただ、逃げるとしても最終的に白兵戦で決着がつくなら、遠戦中心とい
えるのでしょうか?戦争って勝つことが重要なのであって、敵の殺傷は
そのための手段にすぎないのではないかと思うのですが。

> 刀というものは、実用武器としては欠点が少なくない.
> まず柄ですが、目釘がゆるんだりはずれたりするし、
> 柄巻が切れたりほどけたりしてしまう.
> また、つばの位置まで刃をつけてあるから、力を入れようとしても
> 柄を両手で握るしかない.

槍にも目釘はありますよ。
槍ではありませんが古武道の師範が薙刀で演武したあと、薙刀をみた
ら目釘が外れかけていた事がありました。外れなかったとしても目釘
が折れることも考えられます。まあ、外れることも折れることもそれ
ほど頻繁にはないと思いますが。
柄巻が切れる、ほどけるというのは聞いた事がないです。
私はほぼ毎日、真剣に劣る模擬刀で1〜2時間刀を振っていますが、
柄巻には異常はありません。勿論、長年使えばいつかは駄目になるで
しょうし、武具ではなく土産物として売っている模擬刀はすぐ柄巻が
駄目になりますが。
柄を両手で握るしかないという部分は別に問題はないと思います。

> 槍にはいろんなタイプがありますが、ちょっといいものなら、
> 穂先に続く柄の部分には帯び金が巻いてあります.
> こんなもので殴りつけられた時、刀で受け止めたら
> 折れたり曲がったりしてしまいますよ.

まともに受け止めるようなことは普通しませんし、少々受けた程度で
は折れることは少ないのではないでしょうか。この時代の刀は丈夫な
物が多いですし。それに折れる時は刀同士でも折れますし、槍の柄を
折られる事もありますから。

> もちろん、刀のなかにも名刀・豪刀はありますが、
> そういうものは大変高価で、誰もが装備できるわけではない.
> 戦場における刀というものは、大部分が数打ち物と呼ばれる
> 大量生産品なのです.

大量生産品だからといってそれ程性能が劣るわけではありません。
現存する刀の大部分は戦国時代の大量生産品ですが、今でも試し斬り
に使用する人は結構います。美術品としての価値は低いですが、武器
としての実用性は十分あります。ちなみに中国に輸出された刀は、い
い加減なものが多かったようですが詳しくはしりません。

dgさんのデータによると、戦国後期に矢傷50%・鉄砲弾25-30%・
刀槍傷10%となっていますが、歴史群像に載っていた鈴木氏の軍忠
状のデータだと戦国後期は矢傷20.4%・鉄砲41.5%・槍刀29.8%(
薙刀を含めると31%)となっています。これだけ差があると、戦国時
代の死傷者のデータはあてになるのだろうか?という疑問も出てきま
す。小競り合いまで含めると数十万回は戦があったという研究者もい
るわけで、恐らく現存する死傷者のデータは極一部ではないか?とい
う気がしてしまいます。

それから、足軽と武士の戦闘方法の違いも考慮する必要があるのでは
ないでしょうか。足軽は集団戦をやっていたらしいですが、武士は散
開して白兵戦をするのが主な任務だったという説もあります。
黒田長政の指示で製作された大坂の陣図屏風などでも、武士は槍で戦
っていますし、江戸時代初期の兵法書ではありますが、兵要録という
本によると手柄の筆頭は槍になっているそうです。孫引きですが。
足軽同士の戦いだけで終わり、本隊の戦いには至らないこともあった
といいますから、遠戦中心というより小競り合い中心ということかも
しれません。

さらに、肥前島原の戦いでは、竜造寺軍が長い槍と短い剣を持ってい
たのに対して、島津軍は短い槍と長い剣を持っていたという宣教師の
記録もあるそうですから、戦国の軍隊も一概にはいえない部分がある
ようです。

実は他の掲示板で中世前期を専攻されている方とも議論したのですが、
結論としては、必要なのは適正な火力と白兵の適正な組み合わせによ
る統合戦術である、という所におちつきました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 言葉は実態を反映しない  ■名前 : あるめ <arme@pub.to>  ■日付 : 02/3/7(木) 14:56  -------------------------------------------------------------------------
   ここでの皆様のご意見を読んでみて、とても奇妙に思ったのは、歩兵戦闘の実態において当然に吟味されるべき部分を素通りして、議論がどんどん進んでいくところです。
第一次欧州大戦直後から第二次大戦の太平洋戦線に一気に飛んでしまうのが、ヘンです。ついでに云えば、歩兵戦闘の実態の検討もとばしているのは、なぜでしょうか。

シベリア出兵、チンタオ攻略、満州事変、上海事変、北支戦線などの歩兵戦闘を連続して捉えていけば、「白兵主義」「精神主義」と云う言葉でくくる以前の、國軍のおかれていた極東の特殊個別的「牧歌的環境」という状態が、じわじわ理解されてくるのではないでしょうか。牧歌的とは、切羽詰った焦眉の課題として火力・機動力増強を迫られることのない、大陸でのんびりと装備貧弱な「支那軍」を相手に戦闘していればそれで足りる、と云う、ほとんど「諸兵協同」のないまま軽装備の歩兵のみで戦闘をしても、「戦意さえ旺盛」ならば、しのげる、戦闘詳報を適当に書いておけば、功績が積み重なっていき、運がよければ金鵄勲章ももらえる、と云う状態を大前提にするべきではないかと、存じます。
ノモンハン事件と、それに先立つソ満国境紛争諸事件において、歩兵以外の特科の実力が貧弱なのが実証されたにもかかわらず、歩兵の実力はソ軍に優越すると考えていたため(それはその通りだったと私も考えたいのですが)、現地では更に他兵團も招致し兵力を集中して戦闘を続行する算段をしていたところ、停戦になってしまいました。これが対米開戦以前の大規模対機甲部隊戦の体験だったのですが、それ以降においても余り有効な手立てがはかられないまま、ずるずると以前と同じような状態を終戦まで続けていたのだと思います。
マレー半島においても、英米軍あいてに(戦意の劣る植民地軍だとしても当時の一般的装備は持っていたはず)戦果を挙げ、作戰当局の「まあ、こんなもので当分は、しのげるんじゃないか、日本の兵隊さんは(敢闘精神が)強いから」という思考状態が続いたと思われます。
これを「精神主義」という一言でくくるのは、当時の國軍の「思考状態」をあまりに単純にデフォルメしすぎて、かえって議論を薄くするようです。
「白兵主義」は、他に有効な火器が十分に装備されていなかったので、日本の部隊はよく素手同然の白兵突撃をしてくると云う印象があるだけで、歩兵火力プラス協同他兵科の火力・機動力が充実していれば、現場指揮官は、未経験者か馬鹿でない限り、突撃するにしても機を見て合理的な判断を行うはずです。「プライベート・ライアン」に出てくる米軍分隊の獨軍機銃座撲滅のための突撃は、散開戦術をとった日本歩兵の突撃とさして変りはありません。ただ分隊小火器の火力が日本軍にくらべ米軍優位なだけです。敵陣占領における歩兵戦闘の決着は、日米ともに突撃によって決するわけです。
太平洋戦線の後段で現地部隊が万策尽きて萬歳突撃を敢行している同じ時に、大陸では国民党軍と共産党軍を相手に旧式装備の歩兵戦闘のみで十分に「勝って」いたと参戦者が自分で云う、その認識のしかたが、「白兵主義」「精神主義」と云う言葉の中味であって、意図的に歩兵戦闘は「白兵主義」と「精神主義」をとるのだから勇猛なる銃劍突撃をもって、足るとするような明白なものではないと考えられます。
言葉じたいの中味を、連続する事象の全体をもって吟味していかなければ、議論は単なる戦争ゲームの設計論議のようになってしまいます。
その言葉が、包括的抽象的であればあるほど、実態とかけ離れて一人歩きするため、「白兵主義」も「精神主義」も必要以上に魔法がかかった神通力を発揮するのではないでしょうか。
その点で、上のスレッドにでているBUNさまのご意見に賛同するものです。

> 三種の操典を読んで、「火力主義から白兵戦主義への転換」「精神主義」という問題が既存の解説書で語られるものとは若干ニュアンスが異なるのではないか、それぞれの本当に述べている事とその時代背景を洗い直して考えるべきではないか

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 米兵と日本兵の突撃は違うのでは…  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/7(木) 21:32  -------------------------------------------------------------------------
   中国大陸での国民党や中共軍との「牧歌的戦闘」というのは確かにそうだと思います。
支那兵を舐めていた、というのもそうかもしれません。

ただ、もともとよく言われた「南進論北進論」といった場合の仮想的国のことを考えて
みましょう。北進論という場合の仮想敵国はもちろんソ連です。

陸軍省では昭和12年を計画第一年度とする「軍需品製造五カ年計画」を立て、諸兵器や
弾薬の増産を計画していました。
これはソ連の第三次五カ年計画を遂行するものと予想し、それに対抗するため計画年度
を同じにして設定されたものです。12年6月29日に杉山陸相の決済も受け、実施
するはこびだったのですが、日華事変の勃発により当初予定の軍事予算が確保できなく
なったため、廃案となりました。実は決して支那兵相手の軽装備で満足しようとしてい
た訳ではありません。

もっとも陸軍はその後も昭和16年の「関特演」の例にもあるようにソ連との開戦を
計画し続けていました。大本営陸軍部が正式に「北方解決企図」を断念したのは昭和
16年8月です。

それこそ、あの軽装備と支援火力のなさでもって、支那との戦争も終息しないままに
ソ連とも開戦しようと考えたことの方がよほどの認識不足と精神主義といえるでしょう。

また、「プライベートライアン」における例を参考に「日米とも突撃」と説明されて
いますが、だいぶ日米では突撃の様相がちがうのではないてしょうか。あの映画の場合
はミラー大尉の部隊の任務の性格上、あの程度の装備しかなかったから、あういう戦闘
方法になったと思います。

日本軍は大戦後期、例えば硫黄島攻防戦の時には強固な陣地を構築し、米軍を苦しめま
したが、米兵は日本軍陣地内に突撃したのでしょうか?

実際はもちろん、トーチカや陣地の開口部に支援の戦車とももに接近し、爆薬の投擲や
火炎放射器などによって制圧したのです。もちろん陣地付近への不用意な突撃をしたり
、まして日本兵と白兵戦などはしていません。

日本兵は地下陣地内で相手の米兵の顔をよく見ることもなく、火炎放射の犠牲となった
り爆薬で吹き飛ばされたのです。
それ以降も米軍は日本軍とはほとんどそうした戦闘しかしていません。

こういう実態を考えれば日米も最後は突撃で同じ、とは決して言えないと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 歩兵の突撃は機能としては同じ  ■名前 : あるめ  ■日付 : 02/3/8(金) 0:12  -------------------------------------------------------------------------
   陣地占領における歩兵の突撃は、各翼交互に援護射撃と躍進を繰り返し、敵陣になるべく接近して、手榴彈投擲などにより敵火点を撲滅し、最後は突入して陣地を占拠するのが一般的だったのですが、どこの軍隊の歩兵でも装備が違うだけで機能的には、やってることは同じと私は見ます。
装備が違えば、突撃の様相も違ってきますが、例えば「シン・レッド・ライン」の米軍中隊が日本軍の機關銃座を制圧する場面では、なんら他兵種の協同なしに歩兵単独の突撃を繰り返しています。(映画では歩兵砲の援護射撃の彈着觀測目的で分隊が機關銃座に迫っていきましたが、原作小説では)日本軍の重機關銃と擲彈筒の弾幕下において死傷者続出する凄惨な長い突撃の様相が細かく描写されています。前に前にと、突撃隊がひたすら敵陣に接近していく様相は、戰車も何もない点で、日本軍の歩兵突撃と基本的には同じと思われます。
機關銃座に突入した米軍歩兵は、「日本軍陣地内に突撃し、これを制圧した」というわけです。

> 実際はもちろん、トーチカや陣地の開口部に支援の戦車とももに接近し、爆薬の投擲や火炎放射器などによって制圧したのです。もちろん陣地付近への不用意な突撃をしたり
、まして日本兵と白兵戦などはしていません。

けれど、thin red line の米軍中隊は、大隊長の強硬な命令のもと、相當に不用意な突撃を強いられ、十分な火力支援なしに突撃を敢行しています。ただ日本の歩兵と違うところは、射撃を主体としており、着劔が見られないところで、火力装備は米軍のほうが優れていたので、日本兵の突撃とかなり違う印象を受けますが、やっていることは機能的には同じです。銃劍が近接戰闘で乱射する短機關銃や連続射撃の可能な小銃に代わっており、軍刀が大型コルト拳銃になっているだけと思います。
「支邦軍」も白兵戦を避けすぐに退却するのは戦術の一種で、機が熟すれば、チャルメラを吹いて猛烈な突撃を仕掛けてくるので油断できなかったそうです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 基本的には正しいと思いますが…  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/8(金) 20:55  -------------------------------------------------------------------------
   あるめさんのご意見には基本的には正しいと思いますし、それを否定するものでは
ないのですが、やはり日本軍と米軍の地上戦闘は単に火力の大小といっただけではなく、
質的、戦術的に違いがあり、同一にみなすのは抵抗があります。
 また、言及のあった「シンレッドライン」のように米軍が十分な火力支援も戦車支援
もなく攻撃を行うというのは、部隊規模にもよりますが、上陸戦闘を除けば一般的では
ないと思いますが、いがかでしょうか?

それに関連して、よく戦記では日米が何回も陣地の取り合いをしたという記述に出逢う
ことがありますが、これは日本軍が夜襲をかけると、米軍は陣地に固執せず、一旦退却
して、日中になってから、十分な砲撃支援の元に陣地を奪い返すというパターンが一般
的と思います。少なくともそのたびに陣地内で壮絶な白兵戦を演じているわけではあり
ません。

日本軍と米軍の歩兵装備の質的違いからくる戦術の相違として挙げられるのは、日本軍
が、歩兵用携行対戦車火器を欠いていることだと思います。これは米戦車の歩兵支援を
容易にし、大戦後期の日米と米独との地上戦闘の様相を全く違ったものにしていると
いっても過言ではないと思います。

例えば、いかに巧妙に構築された対戦車砲陣地があったとしても、米軍を相手として
戦闘開始となれば、いずれ位置を特定され、砲爆撃により砲の機能を失うのは時間の
問題です。ただ、そうした後でも、独軍(そして米英軍)のようにパンツァーファウスト、パンツァーシュレックのような持ち運びの便利な歩兵用対戦車火器があれば、米軍
AFVの接近を妨げることができます。米戦車が無理に陣地を掃討しようとすれば、
それなりに損害を被るでしょう。

しかし、ご承知のように日本軍はそうした兵器の戦力化に失敗しました。米戦車はそう
した対戦車火器を懸念することなく日本軍の防御拠点に接近でき、また米歩兵も戦車
を盾として同様に接近できます。これは当然米歩兵がむき出しのまま日本軍陣地に接近
する危険性を大きく減殺するものです。さらにもちろん至近距離からの戦車砲による火力
支援が絶大なことはいうまでもありません。

WW2の地上戦闘は戦車や砲兵の火力支援による諸兵科の連携を目指したものである
わけですが、日本軍は自己の装備の貧弱さから、自分は歩兵突撃にたよることしかで
きず、相手に対しては、歩兵用対戦車火器を欠くことにより、ますます諸兵連合攻撃
を有利ならしめている訳です。

そしてさらに付け加えると、そうした状態の日本軍が米戦車に対抗しようとした戦術は
対戦車地雷(破甲爆雷)による肉弾突撃な訳ですよね。こうした戦術をとった理由は
どうも歩兵用対戦車兵器を開発装備するよりも、「精神力で」兵士に対戦車肉弾攻撃
をさせた方が安上がり、という発想が根底にあるような気がするのですが…

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:基本的には正しいと思いますが…  ■名前 : あるめ  ■日付 : 02/3/9(土) 0:15  -------------------------------------------------------------------------
   >やはり日本軍と米軍の地上戦闘は単に火力の大小といっただけではなく、質的、戦術的
>に違いがあり、同一にみなすのは抵抗があります。
>  また、言及のあった「シンレッドライン」のように米軍が十分な火力支援も戦車支援
> もなく攻撃を行うというのは、部隊規模にもよりますが、上陸戦闘を除けば一般的では
> ないと思いますが、いがかでしょうか?

諸兵協同の十分な経験を持つ機会に恵まれなかった日本軍は、歩兵の最終的な手段である肉弾白兵戦に訴えることになったのでしたが、もし火力と他兵科の十分な支援が得られた場合は米軍と同様な戰闘様式となったのではないかと思います。
逆に米軍も砲兵の突撃支援弾幕射撃・随伴戰車の支援・航空攻撃の支援を得られない場合は、日本軍と同様な肉弾相打つ戰闘を辞さなかったと考えます。「プライベート・ライアン」の市街戦の場面で、建物に潜む狙撃兵が独軍に襲撃され、火器ではなく格闘を行う場面がありますが(最後には独兵のナイフでやられてしまう)、これに見られるように、歩兵の戰闘は火器・爆薬が使用できなければ白兵で、白兵が使用できなければ、投石・素手格闘と、なんでもありの世界にドンドン踏み入ってしまうのであると認識しています。
たしかにその映画に出てくる米兵分隊は、通常の歩兵とは違い、「斥候」分隊で、一般の米軍歩兵に較べ、さらに特別な戰技訓練を受けた精兵と思われますが、一般に考えられているように、米兵は戰車や突撃準備の支援砲撃がなければ進出してこないというのは、日本兵が常習的に夜襲と萬歳突撃を行うと思われているのと同様に、たぶん特殊個別的な戦局においてのみそう云える事ではないかと思うのです。

> それに関連して、よく戦記では日米が何回も陣地の取り合いをしたという記述に出逢う
> ことがありますが、これは日本軍が夜襲をかけると、米軍は陣地に固執せず、一旦退却
> して、日中になってから、十分な砲撃支援の元に陣地を奪い返すというパターンが一般
> 的と思います。少なくともそのたびに陣地内で壮絶な白兵戦を演じているわけではあり
> ません。

たしかに組織的な統制のとれた戰闘では、米軍はなるべく十分な重火器支援のもとに、可能であれば装甲車輛随伴にて「突撃」(というよりも疎開浸透による敵陣占拠)を発起していましたが、もし必要に迫られれば白兵戦も当然に辞さなかったと考えるのです。これを逆にいえば、火力によって撲滅したはずの陣地に残存していた日本兵に米兵が偶然向き合ったケースでは、米兵は携帯火器を乱射しつつ白兵戦を避けてひたすら後退することになります。むしろ、このケースでは、積極的に乱戦に持ち込むのが当時の歩兵の一般的共通機能ではなかったかと思います。

> 日本軍と米軍の歩兵装備の質的違いからくる戦術の相違として挙げられるのは、日本軍
> が、歩兵用携行対戦車火器を欠いていることだと思います。これは米戦車の歩兵支援を
> 容易にし、大戦後期の日米と米独との地上戦闘の様相を全く違ったものにしていると
> いっても過言ではないと思います。

これ以下のご見解には全く賛同いたします。ただ、

> そしてさらに付け加えると、そうした状態の日本軍が米戦車に対抗しようとした戦術は
> 対戦車地雷(破甲爆雷)による肉弾突撃な訳ですよね。こうした戦術をとった理由は
> どうも歩兵用対戦車兵器を開発装備するよりも、「精神力で」兵士に対戦車肉弾攻撃
> をさせた方が安上がり、という発想が根底にあるような気がするのですが…

この對戰車肉迫戰術は、独軍の戰車獵兵や歩兵が對戰車近接戦でとっていた手法と同じで、日本軍が貧乏だからという強い理由にはならないのではないか、というのが感想です。このでんで云えば、独軍兵士の精神力も貧乏さも相当なものであったと思われます。「アンザックス」という一次大戦映画で、迫り来るマーク戰車の巨体に一歩も退かず正面から小銃を撃ちつづけて、とうとう下敷きになってしまう敢闘精神の異常に高い独軍機關銃座護衛兵がでてきますが、このような「肉迫攻撃」は、どこの軍隊でも歩兵としては当然とるべき行動様式のひとつなのでしょう。
日本に有効な對戰車兵器を開発装備する能力が既になかったのは残念ですが、ないほうが安上りなので装備しなかったというより、技術力の差が原因であったのではないでしょうか。高価なので開発装備しなかったのではなくて、システマティックな開発装備態勢の設定そのものが既にその時には「不可能」状態だったわけです。そのなかで、必死に工夫を重ねるのが戰車に直面しなければならない歩兵の「本領」ないし「敢闘精神」であるわけで、「プライベート・ライアン」の米歩兵も、靴下投擲爆彈やら火炎瓶を應急手作りで工夫し、それなりに敵装甲車輛に対する有効な兵器として使用しています。ノモンハンで初めて大規模な戰車群に遭遇した日本歩兵は、サイダーの瓶にガソリンを詰めた火炎瓶を工夫して組織的にガソリン・エンジンのソ軍戰車を多数ほうむっています。
ところで、南方戰線の日本軍には、大陸から転用された関東軍と、支邦派遣軍から転用された部隊がありますが、精鋭関東軍は装備も良く気位も高いけれど関特演以来動かず、実戦経験に欠ける、いわば硬直美の軍隊で、いっぽう支邦派遣軍組は最後を白兵突撃で決すれば敵は逃げ失せた後というコンニャクのような遊撃軍相手に何年も「牧歌的」戰闘を繰り返してきて、そのような行動様式に慣れきってしまった「歴戦の勇士」で、おまけに指揮官には米軍の「精神力」と火力についての想像力が不足していたため、というより米軍がノモンハンのソ軍を除いては日本軍の最初に出くわした立体戰術を駆使する超重装備軍であったため、最初から操典どおりのまともな戰闘としては成立しなかったのだと私は見ています。

あれだけ勇敢な日本兵士に米軍並みの装備を持たせれば、天下無敵であったろうにと、夢想するのは、たぶん私だけではないでしょう。逆に米軍兵士が仮に日本軍並みの装備しか持たなかったとしても、当然に日本軍並みの敢闘精神を発揮するだろうとも考えるのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 細かい話になりますが…日本軍の歩兵用対戦車兵器の装備については…  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/9(土) 8:37  -------------------------------------------------------------------------
   …繰り返しますが、個人的にあるめさんのご意見は賛同するところも多く基本的には
大きな見解の相違はないと思いますが、やはり意見交換を開始するとついつい細かい話
に言及してしまう部分もあります。別に悪意をもってあらさがしをしているわけでは
ありませんので、その点は気分を害しないで下さい。

> 諸兵協同の十分な経験を持つ機会に恵まれなかった日本軍は、歩兵の最終的な手段である肉弾白兵戦に訴えることになったのでしたが、もし火力と他兵科の十分な支援が得られた場合は米軍と同様な戰闘様式となったのではないかと思います。

これはまったくそのとおりと思います。

> 逆に米軍も砲兵の突撃支援弾幕射撃・随伴戰車の支援・航空攻撃の支援を得られない場合は、日本軍と同様な肉弾相打つ戰闘を辞さなかったと考えます。「プライベート・ライアン」の市街戦の場面で、建物に潜む狙撃兵が独軍に襲撃され、火器ではなく格闘を行う場面がありますが

僕が議論の対象していた部分は、米軍「攻撃を行う」場合です。米軍が防御側、すなわち
受け身になった場合は(特に相手が日本軍でなくて独軍は特に)、砲兵支援や航空支援
の準備が整っていないこともあるでしょうから、場合によっては肉弾相打つ戦闘になる
でしょう。例えばバストーニュに包囲された米兵も相当辛い戦闘をしていたと思います。

しかし、米軍が自ら攻勢作戦を取る場合は十分な砲兵・戦車支援や航空支援をとるのが
普通です。その際には無理な白兵戦や近接突撃は行わず火力制圧が基本と思います。

ただ、敵前上陸戦闘の場合は、歩兵部隊の火器が限られており、上陸してしまうと
艦砲射撃や航空支援は敵味方が近距離で錯綜してしまって難しいため、火力支援がなく
苦戦する場合はあります。

それから、歩兵用対戦車火器の装備については、実はさほど技術的に困難なものでは
なかったのです。

1943年4月に伊29がUボートとインド洋で合同して技術交換した際に、軍は
パンツァーシュレック、パンツァーファウストの設計図面を入手しており、当時
日本には既に成形炸薬弾の製造指導のためドイツのメリケル技術少佐等の技術陣も
来日していたのです。実際図面では不明な点などはメリケル少佐を通じてドイツ本国
に照会する等の体勢も整っていました。
そしてそれをもとに軍は日本版パンツァーシュレック「ロタ砲」こと四式七センチ
噴進砲を44年夏に開発しています。性能は射距離100メートルで命中率6割、
貫通威力80mmです。M4戦車に対して万全とはいえませんが、十分撃破可能な
性能です。

また、このロタ砲は開発関係者の談によると、「(日本の)ロケット弾に関する技術
は相当進歩し、ドイツからの示唆を受けただけで、ロタ砲を独自開発できる程度だっ
た」そうです。
しかし、なぜかこのロタ砲は大量生産もされず、部隊配備もまったくされていません。
もともとドイツ版を改造などせずにそのままコピーすればもっと早期に開発配備でき、
レイテにもサイパンの戦闘にも間に合ったという考察もあります。

日本陸軍は、本土決戦の場合に備えて一般国民に竹槍訓練などをさせいてました。
その是非を巡っては、44年2月に有名な毎日新聞の「竹槍事件」も起きています。
こうした事柄を考えると当時の日本陸軍の異常ともいえる精神主義と人命軽視は
一部の技術者を除いて新兵器開発配備に本気でなく、兵士の敢闘精神と自殺攻撃
でなんとかなるという発想があったことは拭えないと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 細かい事と大まかな事  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/9(土) 9:30  -------------------------------------------------------------------------
   「異常ともいえる精神主義」という言葉では全ての思考が停まってしまいます。
総論としてそうした見方もできるとは思いますが、成形炸薬弾などの装備面、すなわち各論の部分では必ずしもそうとは言い切れません。
指摘されたタ弾は既に17年の段階で南方軍向けに船積みされて供給されていますし、運用法が確立されていないという問題点はあるものの無策ではないのです。日本の歩兵戦術にしても、実際の攻撃では相手を銃剣で突き殺すのではなく、手榴弾で火点を制圧しつつ前進するという、いわばどこにでもある戦術も取られています。
あるめさんがおっしゃっているのは、歩兵戦闘というものの基本は各国ともそれほど隔絶したものではないという事でしょう。
戦争後期の状況と戦術思想本来の姿を混同すれば極論に走るのみです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:細かい事と大まかな事  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/9(土) 11:01  -------------------------------------------------------------------------
   > 指摘されたタ弾は既に17年の段階で南方軍向けに船積みされて供給されていますし、運用法が確立されていないという問題点はあるものの無策ではないのです。

読めばわかるとおり、僕はタ弾については全く一言も言及していません。全くその言葉
も出てきません「ロタ砲」のタはタ弾の意味には間違いないでしょうけど。
概念的にも同じ兵器とは言えないと思います。少なくとも僕が指摘しようとしたもので
ないことは多少そちらの知識がある方ならば一目瞭然のはずです。

なぜ僕の指摘と称して物事を取り違えてそちらの方にリードされるのか、理解に苦しみ
ます。

タ弾についても存在は了解していますが、小銃用は効果がなかったことが報告されて
おりく、大口径砲用のものは現在議論を進めていた兵器概念とは異なるものですので
言及しませんでした。

> あるめさんがおっしゃっているのは、歩兵戦闘というものの基本は各国ともそれほど隔絶したものではないという事でしょう。

それについては僕も繰り返しのべているとおり、基本的には了解しているつもりです。

> 戦争後期の状況と戦術思想本来の姿を混同すれば極論に走るのみです。

日本軍の戦術思想と実際の戦闘の様相に乖離があるようですので、そのことについて
意見を述ようとしたものです。戦術思想だけ論ずるということであれば、確かにふさわ
しい意見展開ではなかったかもしれません。やめます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 僭越ながら一筆を  ■名前 : 伊号  ■日付 : 02/3/24(日) 6:37  -------------------------------------------------------------------------
   今さっきこの内容を見かけて私が死すもんした内容と似ているような気がしたのではじめて投稿致します。
>総論としてそうした見方もできるとは思いますが、成形炸薬弾などの装備面、すなわち各論の部分では必ずしもそうとは言い切れません。
指摘されたタ弾は既に17年の段階で南方軍向けに船積みされて供給されていますし、運用法が確立されていないという問題点はあるものの無策ではないのです。日本の歩兵戦術にしても、実際の攻撃では相手を銃剣で突き殺すのではなく、手榴弾で火点を制圧しつつ前進するという、いわばどこにでもある戦術も取られています。

BUN様とシュウスイ様とのやり取りで気になったのですが成形炸薬弾の件ですがBUN様の文を百歩譲ってタ弾のみと仮定してもバランスを欠いている気がします。
日本軍のタ弾でタ弾タ擲だと明らかに非力ですし、山砲用タ弾ですと白兵戦とは乖離してしまいます。
白兵戦重視とするならば歩兵に対し目一杯携帯火器を持たせたいはずですが擲弾筒を除けば手榴弾の威力は米軍の半分、SMGは特殊部隊用として貴重品、対戦車地雷や対戦車手榴弾はアンパンなど非力な物、バズーカ、パンツァーシュレックやパンツァーファウスト、PIAT等の携帯対戦車火器は前線に配布する事無く終戦、敵が歩兵だけであれば成り立つ話では有りましょうが白兵戦に戦車がいればお手上げではしゃれにもなりません。
やむを得ず実施されたはずの肉薄攻撃が主戦法となり果てはアンパンや梱包爆薬抱えての戦車に対する陸上特攻、刺しがえとしか考えられない刺突爆雷ではBUN様の仰る「歩兵戦闘というものの基本は各国ともそれほど隔絶したものではないという事でしょう。」は歩兵戦闘ではそうでしょうが「白兵戦」では相当の隔絶が散見されます。
>戦争後期の状況と戦術思想本来の姿を混同すれば極論に走るのみです。
第二次大戦後期に登場したバズーカ、パンツァーシュレックやパンツァーファウスト、PIAT等の携帯対戦車火器は日本でも十分開発可能で、かつ数少ない「間に合う兵器」であったのにフィリピン、硫黄島、沖縄にすら間に合わず、アンパンや梱包爆薬抱えての戦車に対する陸上特攻、刺突爆雷での攻撃をせざるを得ない環境を戦争後期の状況ですますにはアンパンや刺突爆雷で散華された方が浮かばれないと思います。
何だかBUN様の文に作為を感じるのですが私の短慮であればご容赦を。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : どういう意味でしょうか?  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/24(日) 13:33  -------------------------------------------------------------------------
   おっしゃる間に合う兵器が本当に間に合ったのか、また、それが何故、十分に配備されなかったのかという理由を考えてみる姿勢を欠いているのではないか、ということです。
「作為を感じる」等と言う言葉はあまり穏当なものとは思えませんが、それらを白兵戦思想に安易に結び付けて行く思考には抵抗を覚えます。
私は支那事変末期以降、本来の意味での白兵戦の実施はもはや困難になりつつある、という認識が生まれていたのではないか、とさえ考えるようになりました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 失礼しました  ■名前 : 伊号  ■日付 : 02/3/31(日) 22:42  -------------------------------------------------------------------------
   まずは返信遅れて申し訳ありませんでした。
又、投稿文中の「作為を感じる」との不適切な物言い大変申し訳ありませんでした。
恥かきついでの言い訳をお許し下さい。

1、いいちこ片手に勢いで文書を書いてしまいました。
2、
> おっしゃる間に合う兵器が本当に間に合ったのか、また、それが何故、十分に配備されなかったのかという理由を考えてみる姿勢を欠いているのではないか、ということです。

なぜ「作為を感じる」と書いたかというのは私への返信で上記のご指摘で奇しくも同じ思いだったので重ねて自分の短慮を恥じるばかりです。

以上、大変申し訳ありませんでした。

しかし疑問も残ったので意見を一つ
> 「作為を感じる」等と言う言葉はあまり穏当なものとは思えませんが、それらを白兵戦思想に安易に結び付けて行く思考には抵抗を覚えます。

との事ですが少なくとも太平洋戦争後期までに時間や資源、経済的にも克服し得た「支那事変末期以降、本来の意味での白兵戦の実施はもはや困難になりつつある」状況を終戦まで引きずった理由(特に白兵戦における対戦車戦闘)を何処に求めれば良いのでしょう?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 白兵戦主義に全てを帰すのは無理がある  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/4/1(月) 5:56  -------------------------------------------------------------------------
   > 少なくとも太平洋戦争後期までに時間や資源、経済的にも克服し得た「支那事変末期以降、本来の意味での白兵戦の実施はもはや困難になりつつある」状況を終戦まで引きずった理由(特に白兵戦における対戦車戦闘)を何処に求めれば良いのでしょう?

支那事変末期以降、補充兵で膨れ上がった陸軍歩兵部隊にとって、熟練を要する白兵戦での優越は困難になりつつあるという事実を軍が認識しているのではないか。それ故に昭和十五年の歩兵操典に「銃剣突撃」の言葉が見られなくなり、全体に速成教育用マニュアルとしての性格が強まるのではないだろうか。という疑問を持っているということです。
当初から軍備にバランスを欠いている事、敗色濃くなって来た時期に無謀な戦闘を強いられた事例が「白兵戦主義」にストレートにつながる訳ではないように思います。
そして、そもそもこの「白兵戦主義」というもの自体の定義があいまいな気もしますが、しかし、イメージとして取り上げやすい「白兵戦主義」よりも「機動戦」に関する研究の遅れこそが日本陸軍にとって問題だったのではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : so-so-  ■名前 : あるめ  ■日付 : 02/3/9(土) 14:33  -------------------------------------------------------------------------
   だいたい考えていることは同じと思います。日本版對戰車兵器の開発努力についても(その他の新兵器も含め)同意です。ただ、

>当時の日本陸軍の異常ともいえる精神主義と人命軽視は
>一部の技術者を除いて新兵器開発配備に本気でなく、兵士の敢闘精神と自殺攻撃
>でなんとかなるという発想があったことは拭えないと思います。

この点については、軍部内でも、いろいろな考え方のバリエーションがあり、ひとくくりに「精神主義」「人命軽視」と云う簡単な単語だけの提示では、きれいに理解のできない部分があって、むしろ、部内のいろいろな力の拮抗・迷走の中から醸成され出てきた、熱にうかされたような「雰囲気」が、とにかく自分は正しく戦争に貢献しているのだ、という思い込みに激しく自他を巻き込んで自滅にいたるエネルギーを開放していくという、歯止めの利かないヘンテコな自己納得のメカニズムが「竹槍」訓練であったりするのだと、私は思っています。
日露戦争の旅順攻略戦での白襷隊も、なんとなく、そういうところがあって、あとで冷静に理詰めに考えれば、なんという馬鹿な人命軽視をしたものだ、と明らかに判定のつくことでも、企画立案命令を出す当事者は実行時には、なにかに取り付かれていたわけです。
そうした行動様式を許容するものが、日露戦争以来の「日本の兵隊さんは強い」という自負心と、米式戰闘に対する想像力の欠如と、大陸での長い「牧歌的」実戦体験ではなかったかと考えます。
シュイスイさまと私の意見が食い違っているように見えるのは、単に表現の問題にすぎないと思います。たぶん考えていることは同じなのでしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 研究紹介  ■名前 : あるめ <arme@pub.to>  ■日付 : 02/3/8(金) 15:48  -------------------------------------------------------------------------
   このテーマに関して、面白い本があるので紹介しますね。

黒沢文貴(くろさわ・ふみたか)
「大戦間期の日本陸軍」みすず書房、2000。(ISBN:4-622-03654-1)

その第6章「日本陸軍の軍近代化論」は、一次大戦後の日本陸軍の軍備に関する論調を
当時の偕行社記事にあたることにより、まとめており、
1「精神強調論」 2「装備・精神論」の二大潮流に分類して、
1は攻撃精神旺盛なる軍は寡兵よく敵を退ける式、
2は「精神的威力=攻撃精神も、物質的威力=軍装備の近代化も共に必要である」式で、その中間論調も多くあるとしています。

ついでに第5章「日本陸軍のアメリカ認識」では、第一次大戦で膨大な動員力を見せつけた米軍に注目した日本軍部の現地視察報告が、米軍の豫備兵力訓練蓄積状況につき述べるところで、特に米国民の自発的護国精神に注目しています。

わたし的には日本に「大和魂」があるように、各国にもそれぞれ「護国魂」がある(p303)というところが面白いかったです。

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