過去ログ

                                Page      40
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   通常モードに戻る  ┃  INDEX  ┃  ≪前へ  │  次へ≫   
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ▼プロペラ機の「空冷エンジン」と「液冷エンジン」どちらが良いのか?  TAKA 02/2/22(金) 23:49
   ┣Re:プロペラ機の「空冷エンジン」と「液冷エンジン」どちらが良いのか?  アリエフ 02/2/23(土) 0:49
   ┣どっちでも良いんだ  BUN 02/2/23(土) 7:13
   ┃  ┗Re:エンジンと名機と「1000馬力の芸術品」  TAKA 02/2/23(土) 10:40
   ┃     ┣言葉の中身  BUN 02/2/23(土) 11:12
   ┃     ┗零戦ははじめからバランスなど欠いていた  片 02/2/23(土) 14:17
   ┃        ┗零戦のバランスの考え方  TAKA 02/2/23(土) 15:41
   ┃           ┣エンジン開発から見て欲しい  BUN 02/2/23(土) 17:20
   ┃           ┃  ┣Re:申し訳有りませんがちょっと補足です。  TAKA 02/2/23(土) 17:58
   ┃           ┃  ┃  ┣Re:申し訳有りませんがちょっと補足です。  片 02/2/23(土) 18:43
   ┃           ┃  ┃  ┣失礼、上のレスは失敗投稿です  片 02/2/23(土) 18:50
   ┃           ┃  ┃  ┗前提とする事実がとても大切  BUN 02/2/23(土) 19:15
   ┃           ┃  ┗読んでいて気になった所  龍榎道 02/2/25(月) 20:38
   ┃           ┃     ┣私なりに理解するところ  片 02/2/25(月) 21:27
   ┃           ┃     ┃  ┗横転、ですよ。  MI66 02/2/26(火) 0:40
   ┃           ┃     ┗それはですね(改訂版)  BUN 02/2/26(火) 9:20
   ┃           ┃        ┗しかし  龍榎道 02/3/6(水) 23:23
   ┃           ┃           ┗回想、感想と事実の違いとは・・  BUN 02/3/7(木) 5:37
   ┃           ┃              ┗回想、感想と事実の違いだけではないと思うよ。  龍榎道 02/3/8(金) 22:50
   ┃           ┃                 ┗「零戦」は「物語」なんです  BUN 02/3/9(土) 7:35
   ┃           ┗向上は当然の道筋  片 02/2/23(土) 18:26
   ┣零戦だって馬力向上可能  片 02/2/23(土) 10:26
   ┃  ┗他機にくらべてどうだったのか  ささき 02/3/1(金) 9:53
   ┃     ┗他機にくらべてどうこう言うつもりはありません  片 02/3/11(月) 21:05
   ┣液冷エンジン機といっても色々  アリエフ 02/2/23(土) 11:06
   ┣開発時のエンジンの選択肢次第では?  ルージュ 02/2/23(土) 11:26
   ┣Re:名機の定義  シュウスイ 02/2/23(土) 13:51
   ┃  ┗Re:名機の定義  TAKA 02/2/23(土) 14:56
   ┃     ┗Re:どうでもいいことですが…  シュウスイ 02/2/24(日) 11:37
   ┃        ┣Re:どうでもいいことですが…  TAKA 02/2/24(日) 14:27
   ┃        ┗ホントにどうでもいいこと  tackow 02/2/24(日) 23:00
   ┃           ┗Re:さらにどうでもいいこと  シュウスイ 02/2/25(月) 21:40
   ┃              ┗Re:さらにどうでもいいこと  BUN 02/2/26(火) 10:09
   ┃                 ┗Re:何故にここまで改造  シュウスイ 02/2/26(火) 20:53
   ┣・・・発展性ねぇ。  SADA 02/2/23(土) 14:22
   ┃  ┗Re:・・・発展性ねぇ。  BUN 02/2/23(土) 17:46
   ┣Re:プロペラ機の「空冷エンジン」と「液冷エンジン」どちらが良いのか?  エラガバルス 02/2/24(日) 23:25
   ┃  ┗シーフューリーはちと特別  ささき 02/2/25(月) 18:23
   ┣軍用機の話じゃありませんが  ささき 02/2/28(木) 17:36
   ┣その2機種が例外なのでは?  ささき 02/2/28(木) 18:09
   ┗Re:日本の場合に限って言えば…  シュウスイ 02/2/28(木) 21:17
      ┣Re:日本の場合に限って言えば…  BUN 02/2/28(木) 21:48
      ┃  ┗Re:熱田三二型の量産  シュウスイ 02/3/1(金) 0:14
      ┃     ┗用途が違います  BUN 02/3/1(金) 4:56
      ┗Re:それが日本の限界なのでは?  TAKA 02/2/28(木) 22:18
         ┗Re:空冷ってそんなに悪いかな?  エラガバルス 02/2/28(木) 23:16
            ┗エンジン技術の進歩  ささき 02/3/1(金) 9:23
               ┗高々度−低空での冷却問題もあったのではないでしょうか  SADA 02/3/1(金) 10:15

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : プロペラ機の「空冷エンジン」と「液冷エンジン」どちらが良いのか?
 ■名前 : TAKA
 ■日付 : 02/2/22(金) 23:49
 -------------------------------------------------------------------------
   今度はこのHPの本題に近い内容にしました。
プロペラ機の「空冷エンジン」と「液冷エンジン」どちらが優れているのでしょうか?
色々と議論の内容があるとは思いますが、教えてください。
(この手の話はそんなに詳しくないので・・・)
ちなみに私は「零式艦上戦闘機」が好きですから「空冷派」とも言えるかもしれません。
(私自身は軽量化した機体設計・堀越技師の設計自体のすばらしさ・機体にあった
栄エンジン・すべての絶妙なバランス等の点で「零式艦上戦闘機」は
「1000馬力の芸術品」であったと思います。)
只第二次大戦での最高傑作機はP−51と言われていますし、P−51も
イギリスの「救国戦闘機」とも言える「スピットファイア」も両方とも
ロールスロイスの「マリーンエンジン」(P−51はマリーンエンジンをアメリカで
生産した「アリソンエンジン」だったと思いますが・・・)を積んでいますし、
ドイツの「Me109」も液冷エンジンです。
こう考えると第二次大戦の名機は液冷エンジンの方が多く、「スピットファイア」も
「Me109」も大戦当初から終戦まで発展しながら活躍しているのに対し、
空冷エンジンの「零式艦上戦闘機」は機体に余裕のない事もあり、エンジンも
高出力化を図れず、「1000馬力の芸術品」が終戦時には完全に陳腐化しています。
こう考えると「空冷エンジン」と「液冷エンジン」どちらが優れているのでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:プロペラ機の「空冷エンジン」と「液冷エンジン」どちらが良いのか?  ■名前 : アリエフ <ZVK11677@nifty.ne.jp>  ■日付 : 02/2/23(土) 0:49  -------------------------------------------------------------------------
   > こう考えると第二次大戦の名機は液冷エンジンの方が多く・・
「名機」の定義にもよりますが、空冷エンジンでも名機が多いですけど。例えばドイツのFw190A、米陸軍のP47など。
ところでFw190ですが、液冷エンジンを搭載したD型もあります。その一方で空冷型も量産されていたわけで、両タイプの任務・性格の違いを比較してみることが必要ではないでしょうか。
構造が比較的簡素で冷却液がいらないから保守性も良い、というのが空冷のメリットでしょうか。その反面、エンジン断面積が大きくなり胴体が太くなりがち、といったデメリットがありますが。大馬力化という点では、やはり液冷の方が有利になるのだろうか?と言っても、2000馬力級の空冷だってあるわけだし。
ともかく飛行機発祥の頃から液冷と空冷の比較論争ってあるわけで、ジェット戦闘機の双発・単発問題と同様、決着がつきそうにない問題であるわけですが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : どっちでも良いんだ  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/2/23(土) 7:13  -------------------------------------------------------------------------
   戦闘機エンジンの空冷と水冷、両形式は、それぞれの特性よりも技術史の中でそれらがどう考えられて来たかが重要な鍵になります。
1930年代半ばまで大馬力エンジンには水冷が必須と考えられていた時代があり、1000馬力以上のエンジンは水冷が有利との考え方があった為にメッサーシュミットもスピットファイアも水冷を選択しています。
水冷を選択した第一の理由は艤装面での優劣ではありません。
これらの戦闘機が構想された際に「水冷にするか、空冷にするか」との選択肢が存在していたのではなく、機体よりもまず、どうやって優れた戦闘機用エンジンを作り上げるか、という事が問題だったのです。そしてマーリン(米国版はパッカードですね)、DB600系がその時利用できるほぼ唯一の優秀エンジンだったということに過ぎません。

>「1000馬力の芸術品」

すぐ下のスレッドにもある通り、零戦は1000馬力発動機に特化した機体ではなく
より強力なエンジンに換装することを前提とした余裕を持つ戦闘機です。

> こう考えると第二次大戦の名機は液冷エンジンの方が多く

これは誤解です。
Fw190、P47、F4F〜F6F、F4U、空冷の「名機」は水冷以上にあります。
良い空冷エンジンがあればそこには「名戦闘機」が存在するということです。

> 空冷エンジンの「零式艦上戦闘機」は機体に余裕のない事もあり

先の「芸術品」と並んであまり根拠も無く言われ続ける言葉ですが、こういう表現にはあまり意味がありません。
ひと世代後のやや大型でより大馬力の発動機を大規模な改造を必要とせず搭載できる、ということでしたらば、零戦はMe109以上に成功している機体でしょう。
それは当然、設計時にエンジン換装を見込んでいるからです。
逆にMe109は取り外し式の主翼構造を採用した小型の機体であることの制約もあり機体全体としては最初に選択されたユンカースJumo210エンジンに特化した「700馬力の芸術品」的な存在で、その後の改造にあたっては累積的に不具合を増大させていたと評することもできるかもしれません。
機体の「余裕」とはエンジン換装の可能性の有無だけではないのですが、Me109はDB601Aの搭載時に既にかなりの無理をしているのです。

空冷、水冷の優劣よりも「エンジンある所に名機あり」という事です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:エンジンと名機と「1000馬力の芸術品」  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/2/23(土) 10:40  -------------------------------------------------------------------------
   > >「1000馬力の芸術品」
>
> すぐ下のスレッドにもある通り、零戦は1000馬力発動機に特化した機体ではなく
> より強力なエンジンに換装することを前提とした余裕を持つ戦闘機です。

  「1000馬力の芸術品」という表現は、能力と実績とバランスを考えたときに
  零戦の能力は1000馬力クラスの栄エンジンを積んだときに最大限発揮
  される物であり、零戦には大馬力エンジンは残念ながら機体バランスを崩し、
  「名機」を「凡機」にしてしまう効果しかないのではないか?と考えており
  だからこそ「1000馬力の芸術品」という表現を支持しているのです。
  (確かにエンジンも非常に重要な要素ですが、飛行機にとりエンジンは
   All Of Themではなく、One Of Themだと思います。)
  実際に零戦のビックチェンジバージョンである52型は結局栄エンジンから
  脱皮できませんでしたし、大馬力エンジンの金星エンジンを積んだ53型は
  試作だけで終了している事を考えると、結果的には零戦は「1000馬力エンジンに
  特化した戦闘機」と言う事になりますし、大馬力エンジン換装が52型への
  チェンジの時にも出来なかったのですから1000馬力エンジンに特化した
  戦闘機と言われてもしょうがないと思いますが・・・
  (実際にMe109もスピットファイアも大馬力エンジンに換装し、
  戦争中ずっと第一線機として使用しているのですから・・・
  そう考えれば、その時十分に実用に耐えられた金星エンジンへの換装に
  モデルチェンジに踏み切れなかった零戦は大馬力エンジンを想定していたのか?
  と実際に想定していたとしても疑問が出ても仕方ないような気がしますが・・)
  

> > こう考えると第二次大戦の名機は液冷エンジンの方が多く>
> これは誤解です。
> Fw190、P47、F4F〜F6F、F4U、空冷の「名機」は水冷以上にあります。
> 良い空冷エンジンがあればそこには「名戦闘機」が存在するということです。
> 空冷、水冷の優劣よりも「エンジンある所に名機あり」という事です。

  確かに空冷にも「名機」が存在しているのは仰るとおりです。
 私だって「零式艦上戦闘機」だって21型は「名機」だと思っていますし、
 (個人的には零戦21型が一番好きですし・・・)
 Fw190もF6FもF4Uも名機だとは思います。
 まして、「空冷エンジン」「液冷エンジン」の話に関しては、原型が「空冷エンジン」
 で登場し、「液冷エンジン」を積んだモデルも存在するFW190はまさしく
 液冷・空冷の選択の問題について仰るとおり「機体の能力を最大限生かす為に
 その時有るベストのエンジンを選択する」「その為にはどちらでも良い」
 と言う事について、解答を示していると言えるかもしれませんね?
  

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 言葉の中身  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/2/23(土) 11:12  -------------------------------------------------------------------------
   >   「1000馬力の芸術品」という表現は、能力と実績とバランスを考えたときに
>   零戦の能力は1000馬力クラスの栄エンジンを積んだときに最大限発揮
>   される物であり、零戦には大馬力エンジンは残念ながら機体バランスを崩し、
>   「名機」を「凡機」にしてしまう効果しかないのではないか?

その根拠は何なのでしょうか?
何のバランスが崩れたとおっしゃるのでしょう。
単にイメージのみのことではないでしょうか。

>   (確かにエンジンも非常に重要な要素ですが、飛行機にとりエンジンは
>    All Of Themではなく、One Of Themだと思います。)

エンジンが無ければ戦闘機はできないのです。機体はエンジンが確保されて初めて問題になるのです。日本に限らず、戦闘機開発史はそのままエンジン開発史だと言えます。そのエンジン開発が成功すれば改良なり新型なりも成功し、何らかの事情で搭載できない事態が生じれば機体設計の良し悪しには無関係に戦闘機開発は停滞するのです。後継機に恵まれなかったMe109はその良い例のひとつです。ついでに言えばMe109にも空冷型が存在しますが「機体設計に余裕が無い為に」不採用に終わっています。

>   実際に零戦のビックチェンジバージョンである52型は結局栄エンジンから
>   脱皮できませんでしたし、大馬力エンジンの金星エンジンを積んだ53型は
>   試作だけで終了している事を考えると、結果的には零戦は「1000馬力エンジンに
>   特化した戦闘機」と言う事になりますし、大馬力エンジン換装が52型への
>   チェンジの時にも出来なかったのですから1000馬力エンジンに特化した
>   戦闘機と言われてもしょうがないと思いますが・・・

五二型は零戦に採用された二番目のエンジン、栄20シリーズを装備した型式の完成型と言うべき型式ですので、ビッグチェンジと言われるような変化は何一つありません。航続力、速度、兵装、空戦性能の向上した改良型が五二型です。
五三型は三番目の出力強化策を採った水噴射採用の型ですが、これは試作のみではなく、量産に移される段階にありました。
問題の金星換装は幾度も計画され、技術的には実施可能と判断されていますが、それ以外の理由により中止されているのであって、零戦の機体そのものの特性とは無関係です。
機体の評価と歴史的な背景を混同していては疑問は深まるばかりでしょう。

そもそもエンジンの出力向上を考えに入れずに開発する戦闘機なんてあるのかいな?という当たり前の疑問を抱くということから考え初めては如何でしょうか。
そうすれはどこぞの本にそのまま書いてある「1000馬力級の戦闘機」「芸術品」などという曖昧かつ偏向したイメージを受け売りしなくて済むようになるでしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 零戦ははじめからバランスなど欠いていた  ■名前 : 片  ■日付 : 02/2/23(土) 14:17  -------------------------------------------------------------------------
   > そう考えれば、その時十分に実用に耐えられた金星エンジンへの換装に
> モデルチェンジに踏み切れなかった零戦は大馬力エンジンを想定していたのか?
> と実際に想定していたとしても疑問が出ても仕方ないような気がしますが・・

零戦の機体への「金星」の搭載が可能なことはA6M8試作2機で確認され、直ちに量産用図面が手配されています。とくに疑念の生れるべきところではないと思うのですが。
それ以前に「金星」への換装が行われなかったのは、発動機の機種毎配分という「政策」に類する問題です。零戦は栄のまま、しかしパワーアップした栄に載せ換えることで対処してゆくという「方針」に立っていたからということなのです。

零戦は二一型下川事故で欠陥機であったことが明らかになりますが、この欠陥とは実は一部外鈑が「薄すぎた」ことを正すことで解決してしまいます。そういう意味では零戦ははじめから過度にバランスを欠いた機体であったとも言えます。
その後も数度に渡って機体の補強が繰り返されますが、桁の補強などは実に1度だけ、あとはすべて機体各所の「外鈑増厚」をもって補強としています。これは本質的な機体設計にはゆとりがあって、薄すぎる外鈑を用いることでその余裕をこそげ取っていたということになります。
逆に言えば零戦の余裕の無さなどは表面の板厚をコンマ数ミリ増やすだけで取り戻せる程度のものだったのです。

なぜのちに「外鈑増厚」が必要になっていったかといえば、実際の戦闘態様との整合のためです。戦い方が変わり、防弾を手に入れ(これも零戦二一型に欠けていた「バランス」です)、応じて機体が重さを増し、同時にそれを支えるためには大馬力に載せ換える、これは当然の「進化」です。それが現実との「バランス」を得てゆく当然の道だったのではないでしょうか。

「バランスが崩れる」などということをあらためて心配されておられるのは、「政策」などの人的諸環境の規定する条件に阻まれて大馬力を獲得出来ぬまま機体重量が増した姿を目にしているからであり、それと零戦本来のポテンシャルとはまったく別のものなのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 零戦のバランスの考え方  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/2/23(土) 15:41  -------------------------------------------------------------------------
    色々言って大変申し訳有りません。気分を害しましたらお許し下さい。
確かに「零戦」について「バランス」の考え方は色々あると思います。
バランスとは逆に言ったら紙一重な物なのではないでしょうか?
「防弾構造」「構造強度の不足」「過度の軽量化」は確かに欠けていたバランスです。
それが下川事故の空中分解を呼び、戦争中期以降の悲劇を呼び、急降下速度を制限
されるというデメリットを起こしたのも事実です。
只それにより「零戦」が得たバランス・メリットもあるのではないですか?
軽量化により得た「翼面加重の減少」「翼面加重の減少による素晴らしい巴戦性能」
「その重量を燃料搭載力に振り向けた事による長大な航続力」これらは、「海軍よりの
性能要求」「1000馬力級エンジンしかない現実」と言うような事実の中で最大限に
能力を発揮する為に検討を重ねた結果設計をし選んだバランスではないですか?
事実は、零戦はこれにより大戦初期無敵の能力を発揮したのではないでしょうか?
この様に捨てたバランス・得たバランスが有るのは、有る意味で能力を最大限に
発揮させ要求を満たす為に行われた、設計手法として行われた作為的行為では
ないでしょうか?
 ちなみに帝国海軍では約4年に1回艦上戦闘機のモデルチェンジを実施しようと
しています。(96艦戦→零戦→17試艦戦)これはあくまでも私見ですが、
零戦の改良と17試艦戦の開発は平行して行われています。そう考えると私見ですが
零戦に大馬力エンジンへの換装は可能でも、96艦戦が重大な改良をされることなく
零戦にバトンタッチしたように、零戦も1000馬力級戦闘機の時代を切り抜けるだけで
OKで2000馬力エンジンの時代には17試艦戦にて対応するのが、基本方針では
無かったのではないでしょうか?そう考えると零戦に金星エンジンを載せるのが
最後まで可能でも実行されないのも納得行きますし、4年に1度のフルモデルチェンジ
を考えるなら、零戦に必要以上の余裕を持たせるより1000馬力級エンジンの能力の中で
最大限の戦闘機能力を引き出すというの考えを抱いても不思議ではないでしょう。
そう考えれば「零戦の悲劇」はモデルチェンジすべき後任がいなくなり、
エンジンの能力も向上させずに、進歩が早まった現実に追いつく為の改良を行い
当初切り捨てた「欠けていたバランス」を得ようとして「持っていたバランス」を
失ってしまった点にあるのではないでしょうか?
だから「1000馬力級エンジンの能力の中で最大限の戦闘機能力を引き出す」という点に
成功し輝かしい実績を残したが、最後に上記のような状況に陥ってしまったと言う事
からも、有る意味では「1000馬力の芸術品」という言い方も当てはまるのでは
ないでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : エンジン開発から見て欲しい  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/2/23(土) 17:20  -------------------------------------------------------------------------
   > この様に捨てたバランス・得たバランスが有るのは、有る意味で能力を最大限に
> 発揮させ要求を満たす為に行われた、設計手法として行われた作為的行為では
> ないでしょうか?

それは違います。
零戦は20mm機銃と高速を重視して更に巡航六時間の航続力を求めた機体で、翼面荷重はその大搭載量と艦戦としての離発艦能力によって決定されています。
更に厳しい重量制限と空力的洗練は要求された最大速度を実現する為に行われており、TAKAさんの言うバランスとは少々ニュアンスが異なります。
零戦のテーマは重武装と高速なのです。
空戦性能について九六艦戦(これも登場時は画期的な高速戦闘機です)に対して旋回半径で劣るが総合的には大出力エンジンを搭載した零戦が優るとの研究結果が空技廠から出されており開発当初の零戦の空戦性能についての考え方がわかります。
あえて言うならば零戦は高速と重武装、大航続距離を求めた結果、エンジンの馬力不足により他の要素を切り捨てているのです。二一型の機体強度不足は第一には設計のミスですが、その背景ここにあります。
そして出来上がった機体はアンバランスで「空戦性能が悪かった」のです。
二一型は華々しい活躍から理想の零戦と形容される事の多い型式ですが、空戦時の横転性能の悪さが大問題となっており、その改善策をはかる過程で有名な下川事故が発生しています。最終的には翼端を切り落とすことで横転性能を回復しているのですが、二一型の空戦性能は大きな不満を残すものだった事は忘れられ勝ちな事です。
熟練搭乗員の方から「鈍重な二一型よりクルクル回る五二型がよい」という発言を聞いたことがありますが、この言葉が表しているのはこういう事実なのです。
零戦は最初にバランスがとれていたのではなく、当初の極端でいびつな二一型の欠点を改良してゆく過程が零戦の発達史と見る事ができます。

>  ちなみに帝国海軍では約4年に1回艦上戦闘機のモデルチェンジ

この計算はわかりません。九六艦戦→零戦は四年ですが、烈風は二十年ですから五年あります。しかし制式採用の年度を比べるのはそもそも無意味ですから、開発構想をそのまま示す試作発注年度で見ると九試→十二試で三年、十七試で五年(当初の十六試で四年)です。更に次は二〇試で三年ですからいったいどういう計算なのでしょうか。計画変更前の十六試→十九試(十九試と二〇試は年度末と年度始めの差しかない)でも三年です。
しかも細かい事を言えば発注予定月は年度初めであったり年度末であったりしますので更にバラつきます。拠って立つ前提がこのように間違っていれば、そこから生まれる仮説はもっと現実から遊離するのです。

>96艦戦が重大な改良をされることなく 零戦にバトンタッチしたように

九六艦戦は大改造されているではないですか。九試から最終の四号艦戦を比べてみれば一目瞭然のはずです。

> エンジンの能力も向上させずに、進歩が早まった現実に追いつく為の改良を行い
> 当初切り捨てた「欠けていたバランス」を得ようとして「持っていたバランス」を
> 失ってしまった点にあるのではないでしょうか?

零戦にせよ隼にせよ、改良の過程はエンジンの出力増大の過程そのものです。
次世代の誉を装備した戦闘機の登場が遅いのはエンジン開発が遅れたからであって日本戦闘機はその時装備できる最も馬力のあるエンジンを選択し続けているのです。
あえて出力向上を無視したという形跡は存在しません。

> だから「1000馬力級エンジンの能力の中で最大限の戦闘機能力を引き出す」という点に
> 成功し輝かしい実績を残したが、最後に上記のような状況に陥ってしまったと言う事
> からも、有る意味では「1000馬力の芸術品」という言い方も当てはまるのでは
> ないでしょうか?

前にも書いたように歴史的な結果と実際に行われた事実を混同した結論でしょう。
誰も1000馬力等には拘っていないのです。
次のエンジンの開発が遅れたという事実があるのみです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:申し訳有りませんがちょっと補足です。  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/2/23(土) 17:58  -------------------------------------------------------------------------
     私はBUNさんみたいに「データベース」に書き込むほど知識がないので
  私が言っている事は間違っており、BUNさんの仰っている事が
  正しいのでしょうが、BUNさんのご意見を聞いて、ちょっと書き足りなく
  誤解を招いた事があったのでは?と思い拙い表現ですが補足させて頂きました。
  拙い意見ですので、ご不快な感じを抱かれるかもしれませんが、
  私の無知と拙い表現に免じお許し下さい。
>
> >  ちなみに帝国海軍では約4年に1回艦上戦闘機のモデルチェンジ
>
> この計算はわかりません。九六艦戦→零戦は四年ですが、烈風は二十年ですから五年あります。しかし制式採用の年度を比べるのはそもそも無意味ですから、開発構想をそのまま示す試作発注年度で見ると九試→十二試で三年、十七試で四年です。更に次は二〇試で三年ですからいったいどういう計算なのでしょうか。計画変更前の十六試→十九試でも三年です。
> しかも細かい事を言えば発注予定月は年度初めであったり年度末であったりしますので更にバラつきます。拠って立つ前提がこのように間違っていれば、そこから生まれる仮説はもっと現実から遊離するのです。
>
 非常に厳密な事を言えばBUNさんの仰るとおりです。只それをすべて書かず
 簡潔に表現する為に「約」という言葉に集約させたのですが・・・
 あくまでも同じ戦闘機を改良し尽くして使用し続けるのではなく、有る程度の期間
 を持って新機種にステップアップさせていくと言う事が言いたかっただけです。
 それが伝わらなかったのは私の表現が至らなかったからだと思います。

> >96艦戦が重大な改良をされることなく 零戦にバトンタッチしたように
>
> 九六艦戦は大改造されているではないですか。九試から最終の四号艦戦を比べてみれば一目瞭然のはずです。

 「重大な改良」とはMe109が行ったような、あたかも別機種を作るかの
 ごときのような、飛躍的な改良という意味で使いました。
 そういう意味では96艦戦では「重大な改良」は無いと言えるのではないですか?
 それは四号艦戦まで都合3回改良していると言う事は、最初と最後を見比べれば
 大きく変わっていると言えますが・・・
>
> > エンジンの能力も向上させずに、進歩が早まった現実に追いつく為の改良を行い
> > 当初切り捨てた「欠けていたバランス」を得ようとして「持っていたバランス」を
> > 失ってしまった点にあるのではないでしょうか?
>
> 零戦にせよ隼にせよ、改良の過程はエンジンの出力増大の過程そのものです。
> 次世代の誉を装備した戦闘機の登場が遅いのはエンジン開発が遅れたからであって日本戦闘機はその時装備できる最も馬力のあるエンジンを選択し続けているのです。
> あえて出力向上を無視したという形跡は存在しません。

  無視はしていないでしょう。只努力はしていたのは仰るとおりです。
  しかし「栄」エンジン自体は零戦11型に採用されたときの950馬力から
  52型に採用されたときの1100馬力へ150馬力向上していますから
  私の「エンジンの能力も向上させずに」というのは誤りなのも仰るとおりです。
  只積み重ねの150馬力向上で、52型の増加した重量に対応しただけの
  エンジン能力向上と言えるのでしょうか?
  色々なしがらみがあり仕方ないとも言えるのでしょうが、後付けの話をすれば
  このときより馬力のある金星エンジンに換装すべきではなかったのでしょうか?
  このとき重量増に対応する馬力増が出来ていれば、新境地を開けたのでしょうが
  それが出来なかったから当初切り捨てた「欠けていたバランス」を得ようとして
  「持っていたバランス」を 失ってしまった点にあるのではないでしょうか?
  という感じになるのでは、と私は思ったのですが・・・
  あえて無視はしていないですが、結果論的には出来なかったと言う事では?
>
> > だから「1000馬力級エンジンの能力の中で最大限の戦闘機能力を引き出す」という点に
> > 成功し輝かしい実績を残したが、最後に上記のような状況に陥ってしまったと言う事
> > からも、有る意味では「1000馬力の芸術品」という言い方も当てはまるのでは
> > ないでしょうか?
>
> 前にも書いたように歴史的な結果と実際に行われた事実を混同した結論でしょう。
> 誰も1000馬力等には拘っていないのです。
> 次のエンジンの開発が遅れたという事実があるのみです。

 誰も1000馬力級エンジンに拘っていなかったのも事実でしょう。
 エンジンに関して飛躍したくても出来なかったというのが事実でしょう。
 「1000馬力の芸術品」という表現には「1000馬力級エンジンの能力の中で
 最大限の戦闘機能力を引き出す」という明の側面と「1000馬力級エンジンから
 脱皮する事がしたくても出来なかった」という暗の側面が有るのですが・・・
 其処を分かって頂きたかったのですか・・・
 零戦の後継機に烈風が2000馬力級の「誉」エンジンに悩まされず登場していて
 いれば、逆にこういう表現は出てこなかったのではないですか?
 「1000馬力の芸術品」が日本の限界だったのですから・・・

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:申し訳有りませんがちょっと補足です。  ■名前 : 片  ■日付 : 02/2/23(土) 18:43  -------------------------------------------------------------------------
   >   私はBUNさんみたいに「データベース」に書き込むほど知識がないので
>   私が言っている事は間違っており、BUNさんの仰っている事が
>   正しいのでしょうが、BUNさんのご意見を聞いて、ちょっと書き足りなく
>   誤解を招いた事があったのでは?と思い拙い表現ですが補足させて頂きました。
>   拙い意見ですので、ご不快な感じを抱かれるかもしれませんが、
>   私の無知と拙い表現に免じお許し下さい。
> >
> > >  ちなみに帝国海軍では約4年に1回艦上戦闘機のモデルチェンジ
> >
> > この計算はわかりません。九六艦戦→零戦は四年ですが、烈風は二十年ですから五年あります。しかし制式採用の年度を比べるのはそもそも無意味ですから、開発構想をそのまま示す試作発注年度で見ると九試→十二試で三年、十七試で四年です。更に次は二〇試で三年ですからいったいどういう計算なのでしょうか。計画変更前の十六試→十九試でも三年です。
> > しかも細かい事を言えば発注予定月は年度初めであったり年度末であったりしますので更にバラつきます。拠って立つ前提がこのように間違っていれば、そこから生まれる仮説はもっと現実から遊離するのです。
> >
>  非常に厳密な事を言えばBUNさんの仰るとおりです。只それをすべて書かず
>  簡潔に表現する為に「約」という言葉に集約させたのですが・・・
>  あくまでも同じ戦闘機を改良し尽くして使用し続けるのではなく、有る程度の期間
>  を持って新機種にステップアップさせていくと言う事が言いたかっただけです。
>  それが伝わらなかったのは私の表現が至らなかったからだと思います。
> 
> > >96艦戦が重大な改良をされることなく 零戦にバトンタッチしたように
> >
> > 九六艦戦は大改造されているではないですか。九試から最終の四号艦戦を比べてみれば一目瞭然のはずです。
>
>  「重大な改良」とはMe109が行ったような、あたかも別機種を作るかの
>  ごときのような、飛躍的な改良という意味で使いました。
>  そういう意味では96艦戦では「重大な改良」は無いと言えるのではないですか?
>  それは四号艦戦まで都合3回改良していると言う事は、最初と最後を見比べれば
>  大きく変わっていると言えますが・・・
> >
> > > エンジンの能力も向上させずに、進歩が早まった現実に追いつく為の改良を行い
> > > 当初切り捨てた「欠けていたバランス」を得ようとして「持っていたバランス」を
> > > 失ってしまった点にあるのではないでしょうか?
> >
> > 零戦にせよ隼にせよ、改良の過程はエンジンの出力増大の過程そのものです。
> > 次世代の誉を装備した戦闘機の登場が遅いのはエンジン開発が遅れたからであって日本戦闘機はその時装備できる最も馬力のあるエンジンを選択し続けているのです。
> > あえて出力向上を無視したという形跡は存在しません。
>
>   無視はしていないでしょう。只努力はしていたのは仰るとおりです。
>   しかし「栄」エンジン自体は零戦11型に採用されたときの950馬力から
>   52型に採用されたときの1100馬力へ150馬力向上していますから
>   私の「エンジンの能力も向上させずに」というのは誤りなのも仰るとおりです。
>   只積み重ねの150馬力向上で、52型の増加した重量に対応しただけの
>   エンジン能力向上と言えるのでしょうか?
>   色々なしがらみがあり仕方ないとも言えるのでしょうが、後付けの話をすれば
>   このときより馬力のある金星エンジンに換装すべきではなかったのでしょうか?
>   このとき重量増に対応する馬力増が出来ていれば、新境地を開けたのでしょうが
>   それが出来なかったから当初切り捨てた「欠けていたバランス」を得ようとして
>   「持っていたバランス」を 失ってしまった点にあるのではないでしょうか?
>   という感じになるのでは、と私は思ったのですが・・・
>   あえて無視はしていないですが、結果論的には出来なかったと言う事では?
> >
> > > だから「1000馬力級エンジンの能力の中で最大限の戦闘機能力を引き出す」という点に
> > > 成功し輝かしい実績を残したが、最後に上記のような状況に陥ってしまったと言う事
> > > からも、有る意味では「1000馬力の芸術品」という言い方も当てはまるのでは
> > > ないでしょうか?
> >
> > 前にも書いたように歴史的な結果と実際に行われた事実を混同した結論でしょう。
> > 誰も1000馬力等には拘っていないのです。
> > 次のエンジンの開発が遅れたという事実があるのみです。
>
>  誰も1000馬力級エンジンに拘っていなかったのも事実でしょう。
>  エンジンに関して飛躍したくても出来なかったというのが事実でしょう。
>  「1000馬力の芸術品」という表現には「1000馬力級エンジンの能力の中で
>  最大限の戦闘機能力を引き出す」という明の側面と「1000馬力級エンジンから
>  脱皮する事がしたくても出来なかった」という暗の側面が有るのですが・・・
>  其処を分かって頂きたかったのですか・・・
>  零戦の後継機に烈風が2000馬力級の「誉」エンジンに悩まされず登場していて
>  いれば、逆にこういう表現は出てこなかったのではないですか?
>  「1000馬力の芸術品」が日本の限界だったのですから・・・

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 失礼、上のレスは失敗投稿です  ■名前 : 片  ■日付 : 02/2/23(土) 18:50  -------------------------------------------------------------------------
   いや、最初からの設問は「空冷」と「液冷」の比較であったはずで、そこでやや技術的によった観点から『空冷エンジンの「零式艦上戦闘機」は機体に余裕のない事もあり』とおっしゃっていたので、事実としてそれは違っているのではないかと言っていたつもりだったのです。
話題がそれてませんか?(笑)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 前提とする事実がとても大切  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/2/23(土) 19:15  -------------------------------------------------------------------------
   基本的に勘違いしている部分があるんです。
零戦の出力向上策は零戦の制式採用前から1150馬力の栄二〇型で検討され、それが三二型として昭和十六年に形になっているんです。五二型は十八年に登場したその小改良型に過ぎません。
栄一〇型から栄二〇型へと20%の向上を見て、更に10%以上の向上を狙って水噴射を試み、最終的に金星六〇型で当初から58%アップの向上を果たしたのですから、あなたの説く所はかなり強引な牽強付会の印象があります。事実上1000馬力で終わってはいないのです。
更に後継機の問題ですが、開発優先順位の低かった烈風はともかくとして、雷電、紫電系の新型戦闘機は1800馬力以上の発動機を積んで2000機以上竣工しているのですから「日本の限界」でも何でもありません。

零戦以前の九六艦戦にしても逆ガル翼の九試単戦から発動機換装を繰り返し、胴体を再設計しているのであって小改良どころの改造ではないのです。

改造もしていれば、出力向上策も可能な限り実施されて実績もあるということです。
強引に意味不明瞭な「バランス」とか「1000馬力の芸術品」などの言葉に持ち込もうとすれば誤解は更に深まるばかりでしょう。その言葉を繕うために無理に話をこじつけることになります。そもそも本題とは関係ないことなのですから、拘る必要さえ無いのです。

それが何だろうと、どこかの本から引っ張って来た言葉なんて、捨てちゃえばいいんです。
自分で考えて自分の言葉で話しましょう。その方が人も真面目に相手してくれますし、きっと楽しいですよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 読んでいて気になった所  ■名前 : 龍榎道  ■日付 : 02/2/25(月) 20:38  -------------------------------------------------------------------------
   ここを読んでいて、気になったので投稿します。
主題と離れてしまいます。申し訳ありません

> 零戦は20mm機銃と高速を重視して更に巡航六時間の航続力を求めた機体で、
>翼面荷重はその大搭載量と艦戦としての離発艦能力によって決定されています。
> 更に厳しい重量制限と空力的洗練は要求された最大速度を実現する為に行われており、
>TAKAさんの言うバランスとは少々ニュアンスが異なります。

堀越氏いわく
「空気抵抗の減少と安定操縦性の優秀との2つを狙って設計した。」
「水平・急降下速度、横の運動では不利だが 旋回性と着艦速度の要求が強かった。」
等々発言を残しています。(By 堀・奥「零戦」)
着色された文章だろうし、堀越氏が述べた事は後から感じた事で、設計当時とは違っていたかもしれない。
しかし、BUNさんの主張しているニュアンスとは違いますね。なぜだろうか?

> そして出来上がった機体はアンバランスで「空戦性能が悪かった」のです。
> 二一型は華々しい活躍から理想の零戦と形容される事の多い型式ですが、空戦時の横転
>性能の悪さが大問題となっており、その改善策をはかる過程で有名な下川事故が発生し
>ています。最終的には翼端を切り落とすことで横転性能を回復しているのですが、二一
>型の空戦性能は大きな不満を残すものだった事は忘れられ勝ちな事です。

下川大尉の事故と横転性能改善は同列なのでしょうか?

> 熟練搭乗員の方から「鈍重な二一型よりクルクル回る五二型がよい」という発言を聞い
>たことがありますが、この言葉が表しているのはこういう事実なのです。

まったく逆の文献もあります。
その逆の意見もBUNさんは知っていると思うのですが、なぜここで
このような意見を言うのか不思議です。


私は、揚げ足を取っているわけではないです。ここで感じたのは
私などは足元にも及ばないほどの文献、人から習得し勉強をされたと思うBUNさんの
意見も、多少偏りを感じました。
人間、偏るのは当たり前なんですが、そこで「違います」と断言するのもどんなものでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 私なりに理解するところ  ■名前 : 片  ■日付 : 02/2/25(月) 21:27  -------------------------------------------------------------------------
   1)「堀越氏いわく『旋回性能と離着艦速度の要求が強かった』」
零戦の計画の眼目は「高速」の「艦上戦闘機」を得ることです。艦上運用が至上命題である以上、この制限は実用上止むを得ません。(このため、この次回には局地戦闘機が発注されることとなってゆきます)しかし、「十二試艦上戦闘機計画要求書案議事摘録」を読みますと、可能な限り着速要求を大きめに設定しようという官側の意図があったことが読み取れます。最大速力の向上と釣り合わせようとしてのことです。

2)「下川大尉の事故と横転性能改善は同列なのでしょうか?」
下川大尉が事故に遭った飛行実験は、高速での補助翼の操舵を軽くするために付与された補助翼修正舵を装備した機体にフラッタ−現象が発生したため、この原因を究明するために行われたものです。

3)「『鈍重な二一型よりクルクル回る五二型がよい』に対してまったく逆の文献もあります」
例えば中国大陸に於いて一一型で初戦果を上げた一員である岩井勉氏のようなベテランの方も、「好かったのは運動性とと速度の調和が取れた五二型」と言い切っておられます。18年頃の激戦を潜り抜けた後には、二一型では歯が立たぬことは当然のこととなっていたのではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 横転、ですよ。  ■名前 : MI66  ■日付 : 02/2/26(火) 0:40  -------------------------------------------------------------------------
   私はあまり歴史には詳しくないですが,ここで述べられている,

)『鈍重な二一型よりクルクル回る五二型がよい』

は,横転に関する記述ではないでしょうか??
私のような若輩者が言うのも何ですが横転とは,
進行方向を軸として回転する方向の運動(ローリング)をさしています。

一般的に,21型は52型より旋回能力は優れていると言われます。
翼面荷重からみてこれは正しいでしょう。
文中の52型はクルクル回る,というのは横転のことかと思います。
翼端を切り落とした52型は,横転時のモーメント抵抗も少なく,
21型より優れる,というのはまず間違いありません。

有り体に申しますと,
旋回動作に入るまでは52型が早く,
旋回を続けてゆくと半径の小さい21型が後につく。
という現象が起こるのでしょうね。

ちなみに手持ちのNACA測定データによれば,
主要大戦機中でZERO(21型)のロール率(deg/sec)は最悪で,
最も優れている,Fw190の半分位しかありません。
(データお入用でしたら,送ることはできます)
本文からはなれた,各論ではありますが,ご参考までに。

ちなみに,
空冷/液冷の優劣については,正面積・コストなど諸問題があり,一概に
どちらが優とも劣とも言えないのではないでしょうか。
空/液にかかわらず優秀なエンジンが戦闘機の性能を決める。
P51もアリソンを積んでいる限りは,駄作で終わっていたでしょう…
Allではないが,Almost of Them.というのが
私の意見です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : それはですね(改訂版)  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/2/26(火) 9:20  -------------------------------------------------------------------------
   疑問はもっともだと思います。
しかし、零戦の開発をめぐる資料はもはや堀越/奥宮「零戦」だけではありません。堀越氏が零戦に着手する以前の技術会議の議事録も出版物で読めますし正しい計画要求書の内容も複数の出版物で確認できるようになっています。

> 下川大尉の事故と横転性能改善は同列なのでしょうか?

下川大尉の事故は横転性能改善問題の渦中で発生しています。
補助翼修正舵装備の機体と未装備の機体を下川大尉は比較検討し、その際に事故死しています。当初、下川大尉の事故原因は補助翼修正舵にあると見られたことは複数の公式文書で確認されていることですし、取り立てて珍しい説ではありません。零戦二一型の大きな欠点として補助翼の効きの悪さが挙げられており、その改善が大きな問題となっていたのは事実です。

> > 熟練搭乗員の方から「鈍重な二一型よりクルクル回る五二型がよい」という発言を聞い
> >たことがありますが、この言葉が表しているのはこういう事実なのです。
>
> まったく逆の文献もあります。
> その逆の意見もBUNさんは知っていると思うのですが、なぜここで
> このような意見を言うのか不思議です。

そう思う方もいると思っています。
零戦の運動性については個人の武勇伝を除いた場合、公式文書に残る評価としては、小福田少佐を始め大分空などの残した「二一型の横転性能の悪さが三二型で改善されている」との評価が主流です。中でも小福田少佐は公式の戦訓として今後の戦闘機に対して横転性能の評価を重視すべきだとの見解を提出しています。
一般に「二一型が本来の軽快な零戦」「五二型は改悪」との認識が広まっていますが、事実はそう単純な話ではないようです。戦争中盤での二一型の評判の悪さ、五二型の評価の高さはもっと注目されても良いと思います。

> 私は、揚げ足を取っているわけではないです。ここで感じたのは
> BUNさんの
> 意見も、多少偏りを感じました。

思って当然なのです。
間違ってはいないとは思いますが、広く知られている事ではないからです。
口当たりは悪いかもしれませんが新しい視点は必要だと考えています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : しかし  ■名前 : 龍榎道  ■日付 : 02/3/6(水) 23:23  -------------------------------------------------------------------------
   遅いレスポンス申し訳ありません。

> 疑問はもっともだと思います。
> しかし、零戦の開発をめぐる資料はもはや堀越/奥宮「零戦」だけではありません。
> 堀越氏が零戦に着手する以前の技術会議の議事録も出版物で読めますし正しい計画要求
> 書の内容も複数の出版物で確認できるようになっています。

ですが、前にも言った堀奥「零戦」のなかに
「水平・急降下速度、横の運動では不利だが 旋回性と着艦速度の要求が強かった。」
と堀越氏自身の記述としてあるのですよ。これは見逃せません。
他の文献で,零戦開発の軍の要求・意図は「高速・重武装」とされていたしても
それは発注側の意見か、もしくは読み手側の受け取り方と思います。
設計者の堀越氏自身「旋回性と着艦速度の要求が強い」と判断している
文献がある以上(それも戦後に)、零戦の設計はそうであったと思いませんか?


> > 下川大尉の事故と横転性能改善は同列なのでしょうか?
> 下川大尉の事故は横転性能改善問題の渦中で発生しています。

二階堂事故と下川事故を別物と思っていました。
自分の認識不足です申し訳ありません。

>>> 熟練搭乗員の方から「鈍重な二一型よりクルクル回る五二型がよい」
>> まったく逆の文献もあります。
> そう思う方もいると思っています。
> 零戦の運動性については個人の武勇伝を除いた場合、公式文書に残る評価としては、
> 小福田少佐を始め大分空などの残した「二一型の横転性能の悪さが三二型で改善されて
> いる」との評価が主流です。中でも小福田少佐は公式の戦訓として今後の戦闘機に対し
> て横転性能の評価を重視すべきだとの見解を提出しています。

> 口当たりは悪いかもしれませんが新しい視点は必要だと考えています。

公式と非公式の差がよくわからないのですが。。。
結局公式でも大方、個人の意見ですよね。
>中でも小福田少佐は公式の戦訓として
と引用してますし。

それぞれの感じ方ですよね。
横転性能の評価が高い人もあれば、最小旋回半径の評価が高い人もいる。
(坂井三郎氏が21型が最善と言っていることもありましたし。)
それを=「優劣」にはできないし、断言してはいけないと思うのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 回想、感想と事実の違いとは・・  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/7(木) 5:37  -------------------------------------------------------------------------
   > ですが、前にも言った堀奥「零戦」のなかに
> 「水平・急降下速度、横の運動では不利だが 旋回性と着艦速度の要求が強かった。」
> と堀越氏自身の記述としてあるのですよ。これは見逃せません。
> 他の文献で,零戦開発の軍の要求・意図は「高速・重武装」とされていたしても
> それは発注側の意見か、もしくは読み手側の受け取り方と思います。


零戦が剛性低下方式を補助翼に採用できず、横転性能問題を未解決のままに量産に入った事に関しては、海軍側の研究も残っていますし、雷電や烈風問題について自社の立場を強力に主張し海軍批判を展開している三菱重工作成の「三菱飛行機歴史」も触れています。

堀越、奥宮「零戦」は「ああ、これはこの事実を述べているんだな」と思わせる部分もあれば、零戦の開発目的を示す大切な発注仕様書である計画要求書の内容が大きく歪められて書かれたまま遂に修正されていない事など、無視できない不正確さも多く見られます。
「この本は大いに参考にはなるけれども、この本一冊のみを手にした場合、誤解を避けて正確に読むのは結構難しい」というのが現在の私の感想です。

> 設計者の堀越氏自身「旋回性と着艦速度の要求が強い」と判断している
> 文献がある以上(それも戦後に)、零戦の設計はそうであったと思いませんか?

戦後の回想というものは裁判で証言している訳ではありませんから本人が書きたくない事を書く義務は無いのです。またそれを責めることも大きな間違いです。たとえば零戦の欠点として批判される防弾について堀越氏は「当時の日本機全てが防弾装備を欠いていたのであって零戦だけの事ではない」という主旨の発言を残していますが、陸軍の隼や百式重爆は防弾タンクを装備して生産に入っていますし、自社の開発による九九軍偵も防弾装備を持っています。同時代の主要機の状況について明らかに不正確な発言ですが、だからと言ってこれを責める必要もありません。堀越氏は当時の計画係長としての職務の範囲で得られた経験を元に自分の意見と感想を込めて回想を残しているのです。そこを斟酌しながら読むのは我々の側の勤めでしょう。

> 公式と非公式の差がよくわからないのですが。。。
> 結局公式でも大方、個人の意見ですよね。

これはかなり違います。公式の戦訓として残された問題に関しては検証が行われるからです。
「大方、個人の意見」のような根拠薄弱なものでは後から海軍側が公式文書に残す事はありません。実際に国内の航空隊で一号零戦と二号零戦の空戦性能比較は行われています。

> それぞれの感じ方ですよね。
> 横転性能の評価が高い人もあれば、最小旋回半径の評価が高い人もいる。
> (坂井三郎氏が21型が最善と言っていることもありましたし。)
> それを=「優劣」にはできないし、断言してはいけないと思うのです。

もちろん、坂井三郎氏のような感想を述べる方も居ます。しかし、機体の開発、改良は「それぞれの感じ方」で実施されたのではなく、ある報告があり、それが検証されて初めて実施されるものです。こうした方々の発言には大変参考になる事もありますが、一個人の経歴の範囲で得られた感想と機体開発側の判断を左右した事実には本質的な差があります。「どちらが本当か」を争っているのではなく「当時、何が物事を動かしたのか」が大切なのです。私が述べているのはそういう主旨です。御理解いただけたでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 回想、感想と事実の違いだけではないと思うよ。  ■名前 : 龍榎道  ■日付 : 02/3/8(金) 22:50  -------------------------------------------------------------------------
   BUNさんの意図はわかりました。ありがとうございます。
以下の分は、BUNさんの意図をわかった上での発言です。
また、堀越/奥宮「零戦」だけの知識ではないですから、その辺りをご了承ください。

> 雷電や烈風問題について自社の立場を強力に主張し海軍批判を展開している
> 三菱重工作成の「三菱飛行機歴史」も触れています。

同意です。ある部分。堀越氏の驕りも感じています。

> 堀越、奥宮「零戦」は「ああ、これはこの事実を述べているんだな」と思わせる部分もあれば、
> 零戦の開発目的を示す大切な発注仕様書である計画要求書の内容が大きく歪められて書かれた
> まま遂に修正されていない事など、無視できない不正確さも多く見られます。

大きく歪めるというのは、いささか過ぎた意見と思います。
計画要求書が本物と異なるからの意見でしょうが、あなたの意見している
>そこを斟酌しながら読むのは我々の側の勤めでしょう。
と同じことです。設計主務者が(文章からだけではないですが)そう受け取ったのです。
正解でもなければ間違いでもないです。もっと言えば不正確なことでもないです。

> 戦後の回想というものは裁判で証言している訳ではありませんから
> 本人が書きたくない事を書く義務は無いのです。

私は、堀越氏の意見を
>着色された文章だろうし、堀越氏が述べた事は後から感じた事で、設計当時とは違っていたかもしれない。
と最初の投稿に入れています。
つまり、「BUNさんの伝いたいことはわかっています。」ってことです。その上での意見です

>> 公式と非公式の差がよくわからないのですが。。。
>> 結局公式でも大方、個人の意見ですよね。
>これはかなり違います。公式の戦訓として残された問題に関しては検証が行われるからです。
>「大方、個人の意見」のような根拠薄弱なものでは後から海軍側が公式文書に残す事はありません。
>実際に国内の航空隊で一号零戦と二号零戦の空戦性能比較は行われています。

ちょっと待ってください。
BUNさんのおっしゃられていることは正論ですが、ただの正論でしかないですよ。

鈴○宗○氏のような発言力が強い方がいる。

それを基本にした、組織が存在する。

その組織が発表した公式文書。(この公式文書にどれだけ信憑性があるのか・・)

上記のようなことは今だけでないはずです。
あくまで推論でしかないですが、おおよそ想像がつくことです。
「公式文書だから、推敲がなされてそれは間違った意見ではない。」とはできないですよ。

>「大方、個人の意見」のような根拠薄弱なものでは後から海軍側が公式文書に残す事はありません。

は説得力に欠ける意見です。


BUNさんの言いたい事はわかっているつもりです。
そこであえて言いますが、偏った意見と取れるのですよ。(最初にも書きましたが・・・)
この考えをわかってもらえるでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 「零戦」は「物語」なんです  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/9(土) 7:35  -------------------------------------------------------------------------
   > 大きく歪めるというのは、いささか過ぎた意見と思います。
> 計画要求書が本物と異なるからの意見でしょうが、あなたの意見している
> >そこを斟酌しながら読むのは我々の側の勤めでしょう。
> と同じことです。設計主務者が(文章からだけではないですが)そう受け取ったのです。
> 正解でもなければ間違いでもないです。もっと言えば不正確なことでもないです。

これは実害があることですので同意できません。
「ほぼ原文通り」として書かれた計画要求書の内容がそのまま無批判に引用されて流布してしまったからです。事実ではないことが広まってしまったという点では確実にマイナスの部分があるのです。実際に読んで比べてみれば実感できるでしょう。
ただし、堀越「零戦」をひとつの飛行機開発物語として文学的に読む場合には、そこに描かれた零戦が現実とは違う目的で発注されたものであった場合でも大した問題ではありません。しかし現実の零戦開発に関する参考資料として見た場合、やはりその価値を減じています。
私が斟酌して読むべきだと言ったのは「不正確で大きく事実を歪める部分のある回想が書かれた事情と背景を考えてはどうか」という事です。今、検証可能な点に触れずに無闇に相対化する事は思考停止と同じです。

> BUNさんの言いたい事はわかっているつもりです。
> そこであえて言いますが、偏った意見と取れるのですよ。(最初にも書きましたが・・・) この考えをわかってもらえるでしょうか?

わかって戴けて幸いです。どう感じていらっしゃるかも理解しました。しかし誤解があります。
第一にここで取り上げたのは零戦の横転性能が問題として取り上げられ、検証と改良が繰り返されているという事実であって、それを否定する材料は無いということです。
米軍の試験報告でも確認できる欠点について日本側は鈍感だった訳ではなく、調査研究の末、対策を実施していることが記録に残されているという事実があるのであって、坂井氏が回想録の中で残した「二一型が一番良かった」との発言とは別の話なのです。
(話の添え物として書いた「クルクル回る五二型」は実は私が直接聞いた言葉なのですが「それはどういう意味でしょうか」と質問した所「こういう事です」と操縦桿を左右に振る仕草を見せられました。しかし、もしこの言葉だけが回想録に書かれた場合、やはり誤解を広めるかもしれません。)

> BUNさんのおっしゃられていることは正論ですが、ただの正論でしかないですよ。
> 「公式文書だから、推敲がなされてそれは間違った意見ではない。」とはできないですよ。

物事を相対的に見る態度は結構なのですが、「正論」と「ただの正論」という情緒的な表現は恐らく他人には伝わらないでしょう。発言の意図に首を傾げます。言葉を選んで、そして落ち着いて考えるべき事だと思います。
また、公式文書は「推敲がなされている」から正しいという話ではありません。「推敲」して正しく落ち着いた調子でわかりやすい文章を書くことは本当に大切な事だと思いますが、文章の「推敲」ではなく問題の「検証」がなされ、現実に人が動いているいるからこそ技術的な記録が残っているのです。それは「何が物事を動かしたのか」という問題で「間違っているか、正しいか」を論じているのではないのです。
「二一型を懐かしむ搭乗員もいた」という事と「横転性能問題が重視された」という事実は恐らく共存できることです。坂井氏が嘘を言っていると主張している訳ではありません。
しかし、その時、その問題が注目され、多くの人々が実際に活動して対策が取られたという事実と、戦後に「あれは良かった」と自著の中で回想する一ユーザーの視点とは別の物なのです。そして、そもそもこの両者は全く別の事を語っています。

少し本論とはズレますが、坂井氏がどうしてそういう感想を持ち、なぜそう発言したかを考えることは依然大切な事です。しかし、今後、多くの資料発掘と取材によって相対化されて行くのは恐らく坂井発言の方でしょう。堀越氏の回想も同様です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 向上は当然の道筋  ■名前 : 片  ■日付 : 02/2/23(土) 18:26  -------------------------------------------------------------------------
   「進歩が早まった現実に追いつく為」というより前、すでに戦前から零戦はA6M3で発動機馬力の向上を目論んでいます。
他機種が開発される中もそれと並行してA6M3、A6M5Cとアップ・トゥー・デートの計画は絶やされておりません。
仮にもう数年早く栄の水メタノール噴射が実用化していれば、当然それを搭載したでしょうし、実際にはひじょうに運悪くそれが終戦直前までずれこんでしまっただけのことであり、そのことから「零戦がより高馬力発動機搭載の余裕を計画的に持たせなかった」と導くのは論として如何でしょう、と申し上げているのです。実際にはそれはあったのですから。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 零戦だって馬力向上可能  ■名前 : 片  ■日付 : 02/2/23(土) 10:26  -------------------------------------------------------------------------
   「空冷エンジン」ゆえに「零戦」には「機体に余裕がなかった」「エンジンの高出力化を図れなかった」というご意見には、因果関係の捉え方として理解に苦しむものがあります。空冷エンジンとて、各発動機とも改良による性能向上はさかんに行われております。

実際、第三段階の零戦は1300〜1500馬力の発動機を搭載したパワー・アップ型であり、この改造に当たって機体に大規模な補強改造は必要とされておりません。零戦にはその程度の余裕は充分にありましたし、また50番爆装をこなすだけの機体の余裕もありました。

この零戦の馬力向上型が試作に留まったのは、つまらぬアクシデントに足を取られて人手不足が露呈してしまったという「事情」によるものであり、そこから「人的資源の層の厚さもまた技術のうち」というお話を導き出せは出来ても、それはしかし、これをもって「空冷エンジンの本質」を代表させることとはまた程遠い次元の出来事なのであります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 他機にくらべてどうだったのか  ■名前 : ささき <crazy17@attglobal.net>  ■日付 : 02/3/1(金) 9:53  -------------------------------------------------------------------------
   > この零戦の馬力向上型が試作に留まったのは、つまらぬアクシデントに足を取られて人手不足が露呈してしまったという「事情」によるものであり、

翼端短縮(運動性向上)、外板厚増加(急降下速度向上)、ベルト給弾化(武装強化)
などによる主翼小骨構造の変更などですね。
こういった「つまらぬアクシデント」の対策に思わぬ手間を取られたのは
三菱設計陣の薄さもありますが、やはり零戦の構造にも原因があったのでは
ないでしょうか。

堀越氏の回想によると零戦は飛行機として必ずしも合理的な構造とは
言えなかったようです。過剰な軽量化のための肉抜きが生産性のネックに
なったとも伝えられています。

最初からあんなに切り詰めなければ、後から判明した強度向上や武装強化に
要らぬ手間を費やすこともなく、もっと本質的な改良に注力できたかも…
とは言っても初期零戦の性能は別に「切り詰めた」わけではなく軍の要求
仕様に従っただけなのですが、設計者として思い残すところが
「切り詰めたゆえの発展性の少なさ」として言葉に残されたのでは
なかったのでしょうか?

「1000馬力ギリギリに合わせた芸術品」は少々陳腐な表現であり、
まるでそれが零戦の本質であったかのように語られるのは心外だと
思いますが、しかし事実の一面を指していることは確かなのでは
ないかとも思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 他機にくらべてどうこう言うつもりはありません  ■名前 : 片  ■日付 : 02/3/11(月) 21:05  -------------------------------------------------------------------------
   > 翼端短縮(運動性向上)、外板厚増加(急降下速度向上)、ベルト給弾化(武装強化)
> などによる主翼小骨構造の変更などですね。
ということではございません。
機体そのものの改造については今のところ一部20年5月頃のものまで確認しておりますが、おそらく終戦のかなり間際まで耐えることなく必要な改造が加え続けられていたように見て取れます。

そんなことよりも私が述べたいのはエンジン側のことでした。戦前の早い時期に1400馬力運転を試験的ながら達成した栄は、その可能性を量産機にもたらすべくやはり改良が加えられ続けておりました。具体的には三一型での馬力向上です。アクシデントというのは、「零戦2」にも触れられている石川島製栄の製造不良問題です。このため実用機のプロペラが次々と飛散するという事故が連続し、この対策のため空技廠では栄の性能向上型の試験が出来なくなってしまいます。

零戦の機体の本質に関する議論はさておいて、この場は「空冷発動機」の一般的特徴を液例と比較して議論する場であると理解しましたので、上のような個別的「事故」のあった事実ををわきまえずして零戦を空冷戦闘機の代表として論じるのはいかがかと申し上げたかっただけなのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 液冷エンジン機といっても色々  ■名前 : アリエフ <ZVK11677@nifty.ne.jp>  ■日付 : 02/2/23(土) 11:06  -------------------------------------------------------------------------
   液冷エンジンの空冷エンジンに対する長所の一つとして、エンジンの断面積を小さくでき空力的に有利ということがよく言われますが、液冷エンジン搭載機で機首下面に大きなラジエーターをつけ、こうした利点を相殺してしまっているものがありますね。最も典型的なのがイギリスのホーカー・タイフーン及びテンペスト、名機と言えるかどうかはここでは問わないとして(駄作機の代表との声も聞こえてきそうだが・・?)
液冷だが断面が太い水平対抗H型2000馬力級のセイバーエンジンを搭載し、空力的洗練度が多少劣っていても馬力で勝負という感じの機体ですが、この機体にとっては大顎のようなラジエーター配置は必ずしも間違っていなかったということでしょうか?
スピットファイアのように主翼下面配置にするとかえって不適当だったのでは、主翼を薄くしたテンペストでもラジエーター配置は変わってませんからね。
「名機」の条件をどう定義するかにもよりますが、例えばスピードや運動性を重視するとした場合でも、エンジンだけでなくラジエータや機体設計を含めた全体で考えなくてはならないと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 開発時のエンジンの選択肢次第では?  ■名前 : ルージュ  ■日付 : 02/2/23(土) 11:26  -------------------------------------------------------------------------
   液冷の傑作機と呼ばれるものの多くはただ単に開発時に最良のエンジンが
液冷だっただけの話ではないかと思いまが。
ドイツと英国、液冷以外の選択肢が少ないですが、空冷で強力なエンジンがあり
それが使えれば空冷を使っています(Fw190、シーフューリー)
米軍もP51が目立つのですが元々英国の発注でP40の下請けを依頼された際に
自社開発したのが最初ですし、これ以外だと同時期の開発機はR2800が完成したからか
空冷が多いですね。
日本は液冷エンジンが少ないので悩む事も無いです

結局は強力なエンジンがあれば空冷だろうと液冷だろうと構わないのでは
ないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:名機の定義  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/2/23(土) 13:51  -------------------------------------------------------------------------
    技術は刻々進歩するものですし、大戦中の約6年間という期間でも、初期に
戦力化されたものと終期に戦力化されたものでは、もちろん性能に多く差がある
のは当然のことと思います。同じ大戦中の航空機だからといっても、零戦21型
とP−51Dをエンジンを含めた機体の技術的性能の比較だけ優劣を論ずるのは
零戦に酷です。

「第二次大戦中の」という長い期間の区切りを設けた「名機」を考えるなら、
やはり、作戦における貢献度も考慮するのが筋と思います。もし、そうでなくて
個々の技術的性能だけを論ずるなら、ごく少数しか生産されず戦争にはほとんど
貢献しなかったといえるTa152Hのような戦闘機を第一に考える羽目になって
しまうと思いますが、普通はあまりそのようには考えないでしょう。

だから、僕としてはそういう立場からは「大戦中は空冷エンジンの方が優れていた」
と、とりあえず言ってみたい(…かなり苦しいけど)。多分ソ連を入れたエンジンの
搭載機数では圧倒的に液冷エンジンの機体の方が多いと思いますが、空冷エンジンは
日本のような基礎的工業技術力や機体整備能力の劣った国でもそこそこ運用できたこと
ですし(というより日本は液冷エンジンを使いこなせなかったという方が正しいかも
しれません)、取り扱いの簡便性や被弾にも強いので戦争向きです。どうしても液冷
で無ければならないという特殊事情がないとするなら、すべて空冷でも良かったので
はないでしょうか。特に日本の場合は。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:名機の定義  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/2/23(土) 14:56  -------------------------------------------------------------------------
   確かに零戦21型とP−51を同列で扱うのはいけませんね。
一応大戦期間中で性能の優れている戦闘機としてP−51を挙げました。
能力的・時期的に零戦21型のカウンターパートとして考えれば、
スピットファイア・Me109・F4F等になるでしょう。

又「名機」となると私も能力がすべてではないと思います。
仰るとおり作戦への貢献度も「名機」の定義の重要なパートでしょう。
私はそれに加え「人の記憶に残る印象」も当てはまると思います。
その象徴がスピットファイアでしょう。
まさしくバトルオブブリテンでイギリスを救った「救国戦闘機」ですから・・・
私が「零戦」を好きなのも「人の記憶に残る印象」の戦闘機という
イメージが強いからです。(感情移入が強いですが・・・)
(ちなみに私の中で「零戦」を名機に仕立て上げたのは映画「零戦燃ゆ」の
最後に終戦後自ら零戦を焼くシーンです。映画館で号泣しました。
其処には当然戦争中の零戦に対する色々な艦上が映画の中にて象徴的に
描かれていますし、その感情に私が共感したというのもありますが・・)
当然「零戦」も登場当時の能力を考えれば1級品ですし、作戦への貢献度の
抜群だと思います。
Ta152Hも能力・設計の点では優秀ですが、それだけなので
人の記憶に残る「名機」にならないのではないでしょうか?
(ちなみにP−51も人の記憶に残るとも言えるでしょう。
私の父は戦中世代ですが、戦争中の話になると「「B」(B−29)の空襲を受けた」
「「P公」(P−51)の機銃掃射を受けた」と言っています。
本当に示す機種がB−29やP−51であるかは不明ですが(B−29に関しては
時期的な物と史実から考え間違いないのですが)敵戦闘機の代名詞となるような
戦闘機も「人の記憶に残る印象」で「名機」の部類にはいるでしょう)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:どうでもいいことですが…  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/2/24(日) 11:37  -------------------------------------------------------------------------
   あの、特に(というか全く)この議論とは関係なく、どうでもいいこと
なんですが、ちょっとだけ…

僕も映画「零戦燃ゆ」は映画館で観ました(年がばれます)。試写会
でしたので、主演の堤大二郎が舞台あいさつにきてました。この映画の
主人公は杉田庄一上飛曹をモデルにしたということですが、映画の彼の
最期は少し脚色してもいいから、もう少し盛り上げて欲しかったような
気がします。

つまんないこと書いてしまって、すいません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:どうでもいいことですが…  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/2/24(日) 14:27  -------------------------------------------------------------------------
   >
> 僕も映画「零戦燃ゆ」は映画館で観ました(年がばれます)。試写会
> でしたので、主演の堤大二郎が舞台あいさつにきてました。この映画の
> 主人公は杉田庄一上飛曹をモデルにしたということですが、映画の彼の
> 最期は少し脚色してもいいから、もう少し盛り上げて欲しかったような
> 気がします。
>
  私も映画館で見ました。(多分同じぐらいの年だと思いますよ
  私は確か中学生ぐらいだったかな?)さすがに試写会では有りませんでしたが・・
  でも主人公の最後とかは全く覚えていません。
  最後の零戦を炎上させるシーンだけが、明確に記憶に残っているだけです。
  私は最後のシーンを見て号泣(ちょっと大げさかな?)していて、
  一緒に言った弟が恥ずかしかったと言っていました。
  (大勢に影響ない事を書き込みしてしまい申し訳有りません)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ホントにどうでもいいこと  ■名前 : tackow <ikku@rb3.so-net.ne.jp>  ■日付 : 02/2/24(日) 23:00  -------------------------------------------------------------------------
   「零戦燃ゆ」は私も劇場で観たクチですが。なにが心配だったかといえば、早見優が英語でなんか言わないか。それが心配でした・・・

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:さらにどうでもいいこと  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/2/25(月) 21:40  -------------------------------------------------------------------------
   僕の観た「零戦燃ゆ」の試写会は、某地方都市での開催だったのですが、舞台あいさつ
で司会者は何を血迷ったのか、堤大二郎と「原田大二郎」を混同し、堤大二郎に「原田
さん」などと呼びかけてしまい、堤大二郎は顔は笑ってましたが、全身から怒りの
オーラが出いてました。実話です。

Bf109の空冷エンジン搭載機については、空冷エンジン搭載の場合の空力データ
等の収集のための試験機という位置づけであり、たとえどんなに空冷エンジン搭載に
有利な結果がでたとしても、生産ラインを混乱させるような空冷Bf109の増産
はあり得なかったと思いますが、航空省がどんな経緯でBf109の空冷エンジン
搭載に興味を持ったのか、また、得られたデータの検討評価はどうだったのかとても
気になるところです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:さらにどうでもいいこと  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/2/26(火) 10:09  -------------------------------------------------------------------------
   空冷メッサ−シュミットはなかなか面白い実験機ですね。
基本的には空冷、水冷の比較試験機なのですが、御指摘の通り、当時、空冷、水冷を比較検討した背景には興味深いものがあります。胴体を広げ、水滴風防を取り入れたBf109V21には「あわよくば・・」といった雰囲気も感じられると思いますが如何でしょうか。
Bf109自体もJumo210からDB601に換装する際に冷却系を再設計した上に重量を400〜500kg近く増やしています。この規模の機体でこうした改造で無理が出るのは当然で、空中では高速重武装戦闘機として最高水準にあっても、ただでさえ問題があった着陸は熟練を要する危険なものになりこの問題は終戦まで本質的に改善されていません。
こんな状態は常識的に見て「兵器としての開発限界」と表現すべきだと思いますし、水冷エンジン機だからといって発展性があるというわけでもないと言う事でしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:何故にここまで改造  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/2/26(火) 20:53  -------------------------------------------------------------------------
   …議論の本筋とはさほど関係ない書き込みが続き、すいません。

空冷Bf109ですが、胴体を広げたのはわかるとしても、水滴風防まで取り入れる
ほどの徹底した改造の意図が分かりません。もちろん視界の向上はあるでしょうが、
初期のP47や五式戦のように空冷エンジンだからといって必ず水滴風防ということ
にはならないと思います。
却って機体の改造度があまりに甚だしいと、Bf109としての従来の液冷タイプとの
空力データ比較の意味が薄れてしまい、実験機としての存在価値も低下するのではな
いかと危惧しますが…。空冷戦闘機としては当時すでにFw190が契約済みだった
こともありますし。

空冷Bf109の飛行は39年8月で、Fw190の開発時期とだぶっていますが、
まさか、本格的空冷戦闘機はBf109の改造でもできる、ということでFw190に
対する嫌がらせをした訳ではないでしょうね(笑)。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ・・・発展性ねぇ。  ■名前 : SADA <sadabj@jweb.co.jp>  ■日付 : 02/2/23(土) 14:22  -------------------------------------------------------------------------
   > 「Me109」も大戦当初から終戦まで発展しながら活躍しているのに対し、
> 空冷エンジンの「零式艦上戦闘機」は機体に余裕のない事もあり、エンジンも
> 高出力化を図れず、「1000馬力の芸術品」が終戦時には完全に陳腐化しています。
> こう考えると「空冷エンジン」と「液冷エンジン」どちらが優れているのでしょうか?

Me109はF型で「完全作り直し」と言ってもいいような物ですので、
「零戦の方が機体に余裕があり発展しながら活躍している」と
言えるでしょう。

 エンジン換装による発展性考えるなら、重心付近にエンジンが
置かれ、エンジンを変更してもその影響がナセル周辺だけですむ
多発機にすべきなんです。

 ランカスターもJu88も大改造することなく
空冷液冷両方積んでますよね。


た・だ・し、これを主力にしようとすると金がかかります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:・・・発展性ねぇ。  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/2/23(土) 17:46  -------------------------------------------------------------------------
   > Me109はF型で「完全作り直し」と言ってもいいような物ですので、
> 「零戦の方が機体に余裕があり発展しながら活躍している」と
> 言えるでしょう。

既にE型で苦労し始めているんですよ。
DB601AはMe109の理想じゃなかったんですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:プロペラ機の「空冷エンジン」と「液冷エンジン」どちらが良いのか?  ■名前 : エラガバルス  ■日付 : 02/2/24(日) 23:25  -------------------------------------------------------------------------
   もっと簡単に考えたほうが良いのではないでしょうか。
胴体の直径が多少大きくても(前面投影面積が大きい)、2500ps出るエンジンがあれば疾風と同じ大きさのシーフューリーでも740kmでるわけです。
空冷、液冷どちらが良いかという観点よりも、どれだけ軽くてパワーのあるエンジンを作る事をできたかという観点の方が面白いと思いますよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : シーフューリーはちと特別  ■名前 : ささき <crazy17@attglobal.net>  ■日付 : 02/2/25(月) 18:23  -------------------------------------------------------------------------
   > もっと簡単に考えたほうが良いのではないでしょうか。
> 胴体の直径が多少大きくても(前面投影面積が大きい)、2500ps出るエンジンがあれば疾風と同じ大きさのシーフューリーでも740kmでるわけです。

あのブリストル・セントーラスはスリーブバルブという特殊な形式で、
シリンダヘッド周りを簡略化できるため直径あたりの出力が異様に高い
(誉=1.55、R3350=1.56, セントーラス=1.76)特性を持ちますから
ポペット・バルブのエンジンと直接比べるのはちょっとマズイかもです。

> 空冷、液冷どちらが良いかという観点よりも、どれだけ軽くてパワーのあるエンジンを作る事をできたかという観点の方が面白いと思いますよ。

それが本質であることには完全に同意します。
ただ、液冷と空冷に関するエンジンのテクノロジーや、戦闘機という兵器に
求められる任務と特性の変遷を追うことも大事だと思います。
1935 年頃から 1945 年に至るまで、ほとんど毎年のようにトレンドが
変わっていますよ。それが開発・採用された時代背景を抜きにして、
単純に「発展性の有無」で語れる話題ではないと思うのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 軍用機の話じゃありませんが  ■名前 : ささき <crazy17@attglobal.net>  ■日付 : 02/2/28(木) 17:36  -------------------------------------------------------------------------
   今日のプロペラ機(レシプロ機)は空冷が圧倒的に多く、
液冷はごく少数派でしかありません。
多少の冷却効率向上・空力特性洗練のメリットよりも
重量増加とメンテナンスコストの増加が嫌われるようです。

液冷航空レシプロエンジンという機械は 1945 年すでに
絶滅しつつありました。戦後も液冷にこだわったイギリス製の旅客機と、
空冷で押し通したアメリカ製の旅客機のどちらがよく売れたか、
それは一目瞭然でしょう。
もしレシプロエンジンに 4000hp 以上の出力が望まれたならば、
液冷スリーブバルブ H 型 24 気筒などのバケモノが活躍していた
かも知れません。しかしタービンエンジンの実用化によって
レシプロエンジンの高性能化は必要なくなりました。
既存の空冷星型エンジンにターボコンパウンドなどの補強を施し
2500〜3000hp を達成することで市場は満足してしまったのです。

ただし、無着陸世界一周飛行を達成した「ヴォイジャー」機は
熱交換器を利用した新しい世代の液冷レシプロエンジンでした。
今後、ターボプロップと空冷レシプロエンジンの中間に
液冷高出力レシプロエンジンという市場が生まれるかもしれません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : その2機種が例外なのでは?  ■名前 : ささき <crazy17@attglobal.net>  ■日付 : 02/2/28(木) 18:09  -------------------------------------------------------------------------
   > こう考えると第二次大戦の名機は液冷エンジンの方が多く、「スピットファイア」も
> 「Me109」も大戦当初から終戦まで発展しながら活躍しているのに対し、

スピットファイヤはグリフォン搭載前後でほぼ別の飛行機になっていますし、
Bf109 はE型、F型の改良時に新規設計に近い大改良をやっています。
初期型と末期型でエンジン出力が倍ほども異なる機体こそ少数派ではないでしょうか。
ほとんど別機になった改良型が同じ名前を襲名していることに惑わされては
いけません。

たとえば液冷 1800hp DB603 搭載フィアット G.56 は原型である空冷 1000hp の
フィアット G.50 と主翼も胴体も異なる「発展型」とされていますが、
これが「G.50 Mk.21」とか「G.50K」という名前だったら「改良型」に分類され
「G.50 は発展性のある素晴らしい名機だった」と評することができるでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:日本の場合に限って言えば…  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/2/28(木) 21:17  -------------------------------------------------------------------------
   日本の場合に限って言えば、やはり飛燕も彗星もエンジン不調で仲良く空冷化の
道を進んだのですから、やはり空冷エンジンの方がよかったんでしょう。

ハ40も熱田も前線での整備に相当手を焼いたことは間違いないし(芙蓉部隊は
特別な存在と思います)、そもそも整備以前にクランク軸の生産がうまく行かな
くてドイツからDB601の物を潜水艦で取り寄せようとしたらしいですし。

 同じエンジンのBf109は灼熱の北アフリカの砂漠から極寒のロシアの大地
まであらゆるところで活躍したというのに、ちょっと日本の状況には悲しいものを
感じます。
 

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:日本の場合に限って言えば…  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/2/28(木) 21:48  -------------------------------------------------------------------------
   飛燕の場合は確かにエンジン不調なんですけれど、
彗星の空冷換装は機体の予定外の大増産とエンジンの生産能力の方に
ウェイトが掛かっています。
だから彗星の水冷型は終戦直前まで生産継続していますね。
芙蓉部隊へ回った彗星は一部の戦記に書かれているような
航空廠在庫の中古機よりもこうした新造機が多かったようです。
実際、実働率で比較すると熱田装備の彗星は決して成績不良とは言えません。
よく動いています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:熱田三二型の量産  ■名前 : シュウスイ  ■日付 : 02/3/1(金) 0:14  -------------------------------------------------------------------------
   液冷彗星は確かに昭和19年8月に愛知での生産が終了した後も、海軍第11
空廠で終戦まで生産されていますし、一二型と三三型の出現もほぼ同時期です。

ただ、一二型については、エンジンの熱田三二型がベアリング精度の低下など
により不具合続発で、使用に耐える物はなかなか出来なかったそうですね。
月産10台を越えたのは昭和19年3月以降とか。

もちろん負荷試験をきちんとパスしたエンジンだけを機体に搭載し、それは
それなりに稼働したのでしょうが、その結果として生産数がこのように少な
くては、ほとんどハンドメイドの世界といってよく、液冷エンジン量産の
工業技術能力がそもそもなかったと言っても過言ではないと思います。

実際、一二型と三三型ではさほど際だった性能差があるとも思えません。整備
の容易さを考えたら、やはり三三型の方に軍配があがる気がします。

それでも、液冷の一二型を生産終戦まで生産し続けたのは、液冷エンジンに
かける関係者の情熱なのでしょうか。それとも軍のセクショナリズムなので
しょうか。いずれ効率的な戦力拡充の観点からすれば、あまり意味があると
は思えないのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 用途が違います  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/3/1(金) 4:56  -------------------------------------------------------------------------
   最初から用途を分けているんです。
夜戦、偵察型には水冷型と水冷型の排気タービン機とを当てる計画なんです。
また、空冷化の方向は熱田二〇の時期に始まっていますので
不調だから換えたのではなく、愛知の生産能力の問題が大きいのです。
熱田三〇の生産は総合的に見て必要量を確保しつつ順調ですよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:それが日本の限界なのでは?  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/2/28(木) 22:18  -------------------------------------------------------------------------
    確かに日本の有名な液冷の軍用機と言えば、ドイツのDB601もライセンス生産した
ハ40と熱田エンジンを装備した、三式戦「飛燕」と「彗星」艦爆だけですよね・・
液冷エンジンは空冷エンジンより冷却機構を持つ分構造が複雑になり、より高度な
生産技術を必要とします。
 日本にはその高度なエンジンを生産する技術力が無かったのが、日本には液冷    エンジンを普及させられなかった最大の原因では無いですか?
同然複雑な機構を持つ分整備にも負担がかかりますし・・・
それに日本の液冷エンジンは結局DB601のライセンス生産から脱皮出来なかったの
ですから・・・(たしかハ40と熱田以上の液冷エンジンて無かったのでは?)
 良く日本の国力状況は「田舎の村から金メダリストが出た」と評されますが、
世界に冠たる優れた部門もありながら(戦艦大和・零戦など)基礎的工業力や技術力
が絶望的に劣っていたというのは事実です。(他の議論での私の国力改善に関する
発議との矛盾を感じるかもしれませんが・・・だからこそ計画的な国家改造をして
国力・技術力を高めないとダメだったと考えてます)
 まともな工作機械を作れなく輸入に頼る国ですから、当然複雑な機構を持つ
液冷エンジンの生産と運用は非常に困難だったんでは?
空冷エンジンにしたって、「1000馬力エンジン+αの大きさで2000馬力を出す」
と言う理想的な「誉」エンジンもその複雑な構造が災いして能力を発揮できなかった
のですから・・・
 そう考えると日本には液冷エンジンは高望みのエンジンだったんでは?
首無し(エンジン)の三式戦に既存で能力を発揮していた空冷エンジンを載せた
五式戦は、終戦間際にP−51と張り合う活躍をしていますし・・・
エンジンを換装したら敵に優秀機と張り合ったと言うことは、機体の設計は優れていたが
エンジンに問題があったと言うことでは?
 と言うことは日本の国力では1000〜1500馬力級の空冷エンジンを
運用する能力しかなかったのでは?だから日本だけに限定したら液冷エンジンより
空冷エンジンの方が良かったのではないでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:空冷ってそんなに悪いかな?  ■名前 : エラガバルス  ■日付 : 02/2/28(木) 23:16  -------------------------------------------------------------------------
   本題に戻って液冷と空冷がどちらが良かったかについて簡単に考えてみます。
液冷の場合前面投影面積が小さくなるので、抵抗の小さい機体が設計できる。
反面被弾によって冷却液が抜けてエンジンが焼きつきやすい。マスタングや飛燕のようにエンジンとラジエーターの距離が離れているとその分リスクは高くなります。
さらに当時の戦闘機の大きさを考えるとあまりハイパワーなものは作れなかったんじゃないでしょうか。排気量を大きくすると全体に大きくなって空冷と変わらなくなり、シリンダーを増やすと長くなりすぎてこれもまた戦闘機には不適になる。当時の戦闘機エンジンとしては2500hpくらいが限界なのでは。
一方空冷は前面投影面積こそ大きくなりますが、シリンダーが一発か二発吹っ飛んでもP-47のように帰ってこれる。直径の増加を相殺するくらいのパワーアップも見込めたのではないでしょうか。
アメリカ海軍の戦闘機が空冷がほとんど(大戦参加機だと全てですね)なのは冷却液を空母で保管する事の煩雑さ、被弾に対する弱さからだったのでは。
あのころの飛行機はいいエンジンさえ手にはいれば空冷のほうがいいんじゃないかとさえ思ってしまいます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : エンジン技術の進歩  ■名前 : ささき <crazy17@attglobal.net>  ■日付 : 02/3/1(金) 9:23  -------------------------------------------------------------------------
   > さらに当時の戦闘機の大きさを考えるとあまりハイパワーなものは作れなかったんじゃないでしょうか。
>排気量を大きくすると全体に大きくなって空冷と変わらなくなり、シリンダーを増やすと長くなりすぎてこれもまた戦闘機には不適になる。

このへん、1930-1945 の間に激しく理論と実践が変動しているんです。
例えば星型エンジンは原理上OHV2バルブ(吸1+排1)の構造となり、
OHC3ないし4バルブも可能なV型に「効率でかなうはずがない」と
思われていた時代もありました。また、ポペット・バルブ形式を使う限り
1シリンダあたりの出力上限が決まるという理論もありました。
(ブリストルやネイピアがスリーブバルブに走った理由)

また、空冷シリンダの冷却効率上限論というのもあったようです。
特に複列エンジンの冷却性については、カウリングの形状理論とあいまって
様々な予測がありました。空冷カウリングについては屈曲部で発生する
衝撃波の影響があるため、600Km/h を超える高速においては圧倒的に
不利であると思われていたこともありました。
(雷電が冷却ファン+延長軸を採用した理由)

一方水冷エンジンについてはラジエターについて様々な試みが
行われています。アメリカでは加圧プレストン冷却に、
イギリスでは蒸気冷却器に、ドイツでは表面蒸気冷却に執着して
幾多の駄作機を送り出した時代がありました。

逆に、新素材と新技術を駆使すれば小排気量多気筒大ブーストを採用し
軽量かつ高出力のエンジンが作れると思われていたこともありました。
(ライト R-2160 やコンチネンタル IV-1430 などゲテモノエンジンが
試作された理由)

また、そもそも「戦闘機」という機種の定義じたいがかなり激しく
変遷しています。もともと戦闘機とはエンジンに翼と機銃が付いたような、
コンパクトで軽量な機体が望ましいとされていました。第一次大戦時の
戦訓や大戦間期の軍事予算縮小の影響もあります。

しかし 1930 年代後半から「空中戦闘」の定義じたいが大きく変化し、
戦闘機にも新たな任務や機能が次々に課せられ、それを実現すべく大柄で
重量のある機体を大馬力で引っ張るスタイルが主流となってゆきます。
その過程で重・軽戦の二本立て思想や双発機万能思想が生まれていますが、
望まれる機体スペックに対し追いつかないエンジン技術を何とか埋め
合わせようとする試行錯誤の一環だったようにも思えます。

> あのころの飛行機はいいエンジンさえ手にはいれば空冷のほうがいいんじゃないかとさえ思ってしまいます。

ええ、ですが「いいエンジン」が簡単に定義できないほど技術が
激しく変動していたのです。蓋を開けてみれば、革命的でも何でもない
ポペットバルブ複列空冷14ないし8気筒が「いいエンジン」として
落ち着きましたが、当時それを確信できる者は誰もいなかったのです。

特に戦闘機の場合、遷音速の空気力学がよくわかっていなかった事もあり
液冷エンジンの可能性を捨てることができなかったのでしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 高々度−低空での冷却問題もあったのではないでしょうか  ■名前 : SADA <sadabj@jweb.co.jp>  ■日付 : 02/3/1(金) 10:15  -------------------------------------------------------------------------
   > 特に戦闘機の場合、遷音速の空気力学がよくわかっていなかった事もあり
> 液冷エンジンの可能性を捨てることができなかったのでしょう。

 戦闘機の上昇限度がどんどん上がってったのも
この時代ですよ・・・ね?

 高空だと大気密度が低下し、放熱が困難になります。
 それに合わせた冷却機構を持たせると嵩張りますし、
低空に持ってくるとこんどは大きな抵抗を発生させます。

 液冷ですと引き込みラジエータと言う手も使えますので
有利と考えられた、という可能性もあるんじゃないかと
思ってますがウラは取ってません(笑)

 まあ後になってみれば多少嵩張ろうがパワーで
引っ張り回して解決しちゃったわけですが(笑)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━    通常モードに戻る  ┃  INDEX  ┃  ≪前へ  │  次へ≫    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━                                 Page 40