Page 34 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼三国志で一騎打ちはあったか k-mine 02/2/21(木) 0:09 ┣Re:三国志で一騎打ちはあったか Take改め彩鳳 02/2/21(木) 0:52 ┣Re:三国志で一騎打ちはあったか epitaph 02/2/21(木) 17:47 ┗Re:三国志で一騎打ちはあったか いおーじま 02/2/21(木) 18:39 ┗前後の時代に一騎打ちってないんですよね k-mine 02/2/24(日) 20:12 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 三国志で一騎打ちはあったか ■名前 : k-mine ■日付 : 02/2/21(木) 0:09 -------------------------------------------------------------------------
三国志の魅力といえば、なんといっても英雄豪傑がキラ星のごとく輝き縦横無尽に活躍するところですが、中でも関羽や呂布を始めとする豪傑たちの一騎打ちはまるでK-1のように私たちを興奮させます。 しかし三国志の中で数多ある一騎打ちを見てゆくと、ふと基本的なところで疑問がわいてきました。それは「引き分けが多い」ということです。その典型が張飛対馬超でしょう。が、実際の戦い、卑近な例では喧嘩からボクシング、柔道、剣道、はては総合格闘技に至るまで1対1の戦いであればほとんどの場合、勝者と敗者がはっきりと分かれます。ましてやルール無用、時間無制限の戦場であれば必ずといってよいほど勝敗はつくはずです。 また一騎打ちの描写はほとんどお互いが馬上で対決していますが、実際問題として馬にまたがった状態で矛をぶんぶん振り回すというのはどうしても不可能ではないかと思えます(モンゴル騎兵は弓矢をメインに戦いました)。 そこで私は三国志の一騎打ちの実態の可能性について次のように考えました。 1.あれはあくまでフィクションで実際に一騎打ちはほとんどなかった 話を面白くするために演義や京劇で一騎打ちとしたが、あれは時代劇のチャンバラみた いなもので、実際にはほとんど行われなかった。 2.あの頃の豪傑は凄かった すっかり軟弱な時代に育ってきた我々と違って当時の人々はたくましく、馬上で何十キ ロもする武器をぶんぶん振り回すなどたやすい事だった。 3.プロレス的な部分があった 戦場を駆ける武将にとって一騎打ちはまたとない功名のチャンス。しかしそれは相手に とっても同じ事。ならばお互いに適当に力自慢的に打ち合いやりすぎないことでお互い の武名を高めるという「紳士協定」があった(関羽はそれをあまりに無視したので後に あれほどの武人でありながら斬られた?)。 みなさんはどのようにお考えですか? |
>1 全く無かったというわけではないと思います。演義ではかなり誇張されていると感じられますが、大きく取り上げられるくらいですから・・・張飛と馬超の一騎打ちなどなどあったと思いたいところなのですが・・・。 >2 長坂の戦いで、劉備軍を強襲した虎豹騎(曹操軍の精鋭隊・実力を例えるならば343航空隊?)は一日に150キロ近く移動した(荷物等フル装備で)という話もあるので、凄い奴らが多かったのは確かだと思います。 >3 相手を敢えて見逃した関羽Vs黄忠の例はありますが、この頃は相手の首その他が戦利品となっていましたから・・・かなりキワドイと思います。 ・・・すみません。ほとんど回答になってませんね。 ただ、関羽の最期についてですが、関羽が斬られたのは、それ以前に呉との間で起こしたゴタゴタもかなり関わってると思いますよ。荊州の領有問題もありますが、婚姻関係の申し出を断ったり、呉の食料庫から無断で兵糧を持ち出したりと、色々と国家間の摩擦がありましたから・・・ 孔明が益州へ出撃するにあたって関羽に対し「北は曹操を防ぎ、東は孫権と和す」という言葉を残して行きましたが、「東は孫権と和す」については全く実施されていないのです。 |
ここに少しですがこの時代の一騎打ちについて考察があります。 http://www.sanynet.ne.jp/~imperial/san/sweapon.html (最後の「戦車と騎兵」の項) ご参考までに。 |
中国史の知識はここ数年でかなり抜け落ちてますが、そもそもあのいわゆる「三国志」は明代に成立した「三国志演義」ではっきり言うと、「三国志演義」に歴史性を求めるのはナンセンスです。当事は時代考証なんてなかったはずです。もっともてっとり早いのは陳寿の「魏書」「呉書」「蜀書」の列伝を読むことではないでしょうか。中国の軍事史に関しては疎いので思いつくのはニーダムの本くらいです。 ただ2・3世紀の中国ではあぶみは一般的になかったとされるので馬上で数十キロの武器を振り回すのは現実的に無理だと思います。あと史記やら五胡十六国あたりではあまり一騎打ちの話は聞かないので(記憶モード)実際のところ一騎打ちは空想の産物で、あったとしても稀だったのではないでしょうか? |
まあ正直に言えば私も一騎打ちにはそもそも否定的です。何より、前後の時代に一騎打ちの話を聞いたことがないので・・・。それに仮に一騎打ちがあったとしたら、矛を振り回すより長い槍を持って馬の勢いに合わせて突いたほうが有利なはずで、だとすれば西洋騎士の一騎打ちのようにはなはだ(第三者から見て)面白くないものになったでしょう。まあ「三国志演義」に歴史性を求めるのはテレビの水戸黄門に歴史性を求めるようなものでしょうね。 というわけで、全く盛り上がらないまま早々に結論が出てしまいましたね・・・。 |