Page 35 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼マンシュタイン「後の先」作戦 モーグリ 02/2/24(日) 23:46 ┗Re:マンシュタイン「後の先」作戦 波タカシ 02/2/25(月) 14:53 ┣Re:同感です。 シュウスイ 02/2/25(月) 22:27 ┗補足します モーグリ 02/2/25(月) 23:52 ┗Re:補足します 波タカシ 02/2/26(火) 1:05 ─────────────────────────────────────── ■題名 : マンシュタイン「後の先」作戦 ■名前 : モーグリ ■日付 : 02/2/24(日) 23:46 -------------------------------------------------------------------------
有名なマンシュタインの「後の先」作戦というのがあります。 ドイツが勝機を喪失した43年にマンシュタインが第三次ハリコフ戦をベース に考案した作戦で、ソ連軍に先に攻撃させてその戦力を消耗させ、その後 予備兵力の機甲師団で反撃を行いソ連軍を撃破するというものです。 仮に独ソ戦後期(43年〜敗戦までとします)、ヒトラーがマンシュタインを 解任せずマンシュタインの「後の先」作戦が採用された場合、独ソ戦後期 ドイツ軍はソ連軍に対して史実より善戦出来たのでしょうか? |
> 有名なマンシュタインの「後の先」作戦というのがあります。 クルスクの突出部を攻撃せずに、ドネツ盆地とミウス河の線を捨てて、ドニエプル河下流 域にひっぱり込んで叩くというものですね。「凍れる勝利」は読んだ事がないのでマンシ ュタインの計画の詳細はわからないので、たいした事はいえませんが、果たしてソ連側が 星作戦(これでよかったでしょうか?)と同じ失敗を繰り返したでしょうか?それなりには独軍の反撃も成功するでしょうが、ソ連軍を撃破するところまでは行かないのではないでしょうか。たしかに、「先の先」をとらなければ装甲戦力を失っていないのでそれなりに善戦は可能だとは思います。それから、マンシュタインが解任されたのはもっと後ですよね? |
第三次ハリコフ戦の時は、マンシュタインの見事な采配もありますが、ソ連軍が つい「イケイケドンドン」という感じでドニエプル川方面への兵站を無視した 攻撃続行をしてしまった、という落ち度が大きいと思います。 しかし、ソ連軍はそれを反省して第四次ハリコフ戦の「ルミヤンツェフ作戦」開始 の際には、前もってウォロネシ正面軍の攻勢を停止し、補給と損耗補充に努めてい ます。以後のソ連軍の攻勢作戦ではいずれも十分な準備期間を取っています。 こうなるといくら名将マンシュタインでも戦略的勝利は難しいのではないでしょうか。 ただ、ヒトラーが柔軟に撤退を認め、ドイツ軍が機動防御を行えば攻勢をかけるソ連軍 に対してかなりな出血を強いることはできると思います。 ハインリッキ曰く、「攻撃には3倍の優位がいるという結論は実数を下回っている… しばしば私の軍隊は12対1、或いは18対1の劣勢で防御してきた」 |
>「凍れる勝利」 『失われた勝利』という題です。長らく絶版でしたが最近再販されました。 > 星作戦(これでよかったでしょうか?) 「ウラヌス作戦」でしょうか?1942年末のソ連軍のスターリングラード方面への 一大反抗作戦です。 > それから、マンシュタインが解任されたのはもっと後ですよね? 44年春解任です。誤解を招く表現でした。 |
> >「凍れる勝利」 > 『失われた勝利』という題です。長らく絶版でしたが最近再販されました。 すいません、間違えました。「凍った勝利 1941―42年モスクワ戦」(ヴォルフガング・パウル)と混同していたようです。なんとなく頭に残っていたのですが。 > 「ウラヌス作戦」でしょうか?1942年末のソ連軍のスターリングラード方面への > 一大反抗作戦です。 「星作戦」:英語でOparation Star 1943年2月、ハリコフとドニエプル川に向けてソ連軍が発動した攻撃作戦です。 マンシュタインの「後の先」が採用されていた場合、チェルカッスィなどで独軍が包囲されることは無かったかもしれませんね。しかし、南方はいいとして北方や中央はどうでしょうか?やはり、多少はましになるだけではないでしょうか。マンシュタインの能力は認めますが、個人が戦争全体に与える影響力は限られてくるのではないでしょうか?ヒトラーのような戦勝指導者は別ですが。 |