Page 305 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼仮想戦記ブームとはなんだったのか? ob 09/3/7(土) 19:09 ┣Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? tac 09/3/7(土) 20:46 ┃ ┗Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? アリエフ 09/3/7(土) 23:50 ┃ ┣無粋な突っ込み失礼 謎のP提督 09/3/8(日) 0:19 ┃ ┃ ┗丸少年&歴史修正主義 内巻き 09/3/8(日) 15:50 ┃ ┃ ┗ブームを支える購買層 BUN 09/3/8(日) 18:20 ┃ ┃ ┗Re:ブームを支える購買層 内巻き 09/3/10(火) 0:24 ┃ ┃ ┣Re:ブームを支える購買層 BUN 09/3/11(水) 14:05 ┃ ┃ ┗Re:ブームを支える購買層 きるろい 09/3/11(水) 14:35 ┃ ┗Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? tac 09/3/9(月) 2:30 ┃ ┗Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? アリエフ 09/3/9(月) 8:21 ┃ ┗Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? 王喜利 09/3/9(月) 22:48 ┣裏側から掘ったガンダム世界 ささき 09/3/8(日) 5:37 ┣Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? 高村 駿明 09/3/8(日) 13:54 ┣Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? らいおん 09/3/10(火) 14:00 ┃ ┗Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? T 09/3/10(火) 19:01 ┣Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? おうる 09/3/10(火) 20:44 ┃ ┣日本の技術は世界一イィィィィッ!! ささき 09/3/11(水) 11:24 ┃ ┃ ┗その日の鬼たちは強かった おうる 09/3/11(水) 21:38 ┃ ┗SFに時代はあまり関係ないような U-TARO 09/3/12(木) 4:29 ┃ ┣Re:SFに時代はあまり関係ないような はたの 09/3/12(木) 20:35 ┃ ┃ ┗Re:SFに時代はあまり関係ないような U-TARO 09/3/12(木) 23:16 ┃ ┃ ┗Re:SFに時代はあまり関係ないような アリエフ 09/3/14(土) 23:06 ┃ ┃ ┗Re:SFに時代はあまり関係ないような はたの 09/3/15(日) 20:49 ┃ ┃ ┗Re:SFに時代はあまり関係ないような タンジェント 09/3/16(月) 2:08 ┃ ┗SF・・・・SukoshiFushigi おうる 09/3/12(木) 20:56 ┃ ┣Re:SF・・・・SukoshiFushigi U-TARO 09/3/12(木) 23:40 ┃ ┗Re:SF・・・・SukoshiFushigi HELLDIVER 09/3/13(金) 0:47 ┃ ┗トラウマっていうよりも Alphabette 09/3/13(金) 13:04 ┃ ┗Re:トラウマっていうよりも おうる 09/3/13(金) 18:12 ┃ ┗日米トラウマ競争 カンタニャック 09/3/16(月) 6:02 ┃ ┗鏡の中の戦争 おうる 09/3/16(月) 20:37 ┣単純な見解 い 09/3/11(水) 18:44 ┃ ┗昔からある わんける 09/3/12(木) 21:18 ┃ ┗偏見全開のミリオタ論 い 09/3/13(金) 1:07 ┣Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? 高村 駿明 09/3/12(木) 23:58 ┃ ┗Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? 王喜利 09/3/13(金) 23:07 ┃ ┗Re:仮想戦記ブームとはなんだったのか? 高村 駿明 09/3/14(土) 12:17 ┣つれづれに はたの 09/3/13(金) 22:00 ┗時代小説の一種。 マイソフ 09/9/22(火) 12:01 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 仮想戦記ブームとはなんだったのか? ■名前 : ob ■日付 : 09/3/7(土) 19:09 -------------------------------------------------------------------------
仮想戦記ブームは現在ほぼ完全に終わりました。 90年代初頭より続いた仮想戦記ブームはなんだったんでしょうか。各自の 思い出、感想を語りましょう。 恥ずかしながら私も、烈風と流星が予定通り完成していたらあ号作戦に日本は 勝利できたとおもっていました(予定通りでも烈風は19年6月じゃ間に合わな いんだけど当時14歳の私は知らんかった)。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB5; .NET CLR 1.1.4322; .N...@61.122.47.144> |
ブームという点ではもう少し早く、「紺碧の艦隊」が出た頃&「沈黙の艦隊」が始まった頃、あたり(89年頃)からです。 これに湾岸戦争という「日本の茶の間にも身近でしかも直接的な影響のない戦争」が与えた影響は大きいでしょう。 現在は確かにブームではありませんが、コンスタントに作品が出ている面を考えると、それなりに生き残っているのかなとは思います。昨今の出版不況を考えると善戦している方では? ※ミステリーやホラーとどっちが多いんだろ? <Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.7) Gecko/2009021910 Fire...@104.150.12.61.ap.gmo-access.jp> |
> ブームという点ではもう少し早く、「紺碧の艦隊」が出た頃&「沈黙の艦隊」が始まった頃、あたり(89年頃)からです。 > 89年に旧ソ連崩壊。極東ソ連軍北海道侵攻など、ソ連軍が悪役として出てくる第三次世界大戦ものが現実感を失った。ソ連に変わるものとして北朝鮮では、大して面白みが出ない(この頃、第二次朝鮮戦争ものも幾つか出ているけど)。 そこで、荒俣氏は第二次大戦ifものに転換したらこれが受け、追随する者が次々と現れた、ということではないかと。 30年位前の、第三次世界大戦ブームが懐かしい・・ <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR...@KD114018120253.ppp-bb.dion.ne.jp> |
> > ブームという点ではもう少し早く、「紺碧の艦隊」が出た頃&「沈黙の艦隊」が始まった頃、あたり(89年頃)からです。 > > > 89年に旧ソ連崩壊。極東ソ連軍北海道侵攻など、ソ連軍が悪役として出てくる第三次世界大戦ものが現実感を失った。ソ連に変わるものとして北朝鮮では、大して面白みが出ない(この頃、第二次朝鮮戦争ものも幾つか出ているけど)。 > そこで、荒俣氏は第二次大戦ifものに転換したらこれが受け、追随する者が次々と現れた、ということではないかと。 > 30年位前の、第三次世界大戦ブームが懐かしい・・ 横からいきなり失礼します。 ここでいう荒俣氏とは荒巻義雄さんの事ではないでしょうか? 紺碧シリーズの作者といえばこの方ですし。 荒俣では荒俣宏さんぐらいしか思い浮かばないです。 まあ荒俣さんの代表作である『帝都物語』も第二次大戦IF物と言えなくもありませんが(笑) <Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.6) Gecko/2009011913 Fire...@124-144-193-69.rev.home.ne.jp> |
> ここでいう荒俣氏とは荒巻義雄さんの事ではないでしょうか? 私は「ラバウル烈風空戦録」の川「又」千秋氏の事かと思いました。 本題に戻ると架空戦記ブームは二つの読者基盤によって支えられたと思います。 一つは丸少年(軍オタ)の恋愛シミュレーションゲームとしてのIF戦記。 「こんな兵器をあの時投入していたら...」 「あの時こんな作戦をしていたら...」 戦史に興味を持った人なら誰もが夢想したIFをプロの書き手が具現化して満足させてくれました。 もう一つは歴史修正主義。 右傾化した若年層から拒否された十五年戦争史観に代わる物として、大東亜戦争史観に基づいた物語が大量生産されて選民意識をくすぐりました。 ただし、かつて純文学が持っていた力がドキュメンタリーに取って代わられたように、仮想戦記は史実を正面から取り扱う戦史物に両方の読者を取られて衰退したように思います。 <Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X 10.4; ja-JP-mac; rv:1.9.0.7) Gecko/200...@eatkyo103064.adsl.ppp.infoweb.ne.jp> |
> 一つは丸少年(軍オタ)の恋愛シミュレーションゲームとしてのIF戦記。 > 「こんな兵器をあの時投入していたら...」 > 「あの時こんな作戦をしていたら...」 > 戦史に興味を持った人なら誰もが夢想したIFをプロの書き手が具現化して満足させてくれました。 > > もう一つは歴史修正主義。 > 右傾化した若年層から拒否された十五年戦争史観に代わる物として、大東亜戦争史観に基づいた物語が大量生産されて選民意識をくすぐりました。 もう一つ、軍事に対する知識のあまりない中年以上の読者の存在も忘れるべきではないように思います。私は架空戦記(一口で言えば荒唐無稽な内容のもの)が実際に売れて行く瞬間を何度か見た経験があるのですが、レジに運んだのは全て中年男性(うち二人は女性同伴)でした。 「読者カード」の書き手の主力もこの年齢層なんですが、少し知恵のついた戦史マニアが跨いで通るような内容のものがブームとなった途端に現れ、しかも今もそれらの残党が生き残っているのは内巻きさん御指摘の二つの層だけではなく、もう一つ、何かが大量に売れるために必要な広範囲の購買層が存在していたのではないでしょうか。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; GTB5; SLCC1; .NET CLR 2.0.5...@c202-138-88-78.customer.mni.ne.jp> |
> 「読者カード」の書き手の主力もこの年齢層なんですが、少し知恵のついた >戦史マニアが跨いで通るような内容のものがブームとなった途端に現れ、 正直言って、最初から「超時空!レイテ湾の真田幸村!」とかいった本を求める堅気というのも想像し難いものがあります。 恋愛小説やハードボイルド物を求める読書市場があるように、仮想戦記を求める読者のプールは必ずあるはず。 その中で小さくない部分を占める、荒唐無稽な仮想戦記を無批判に消費する層ってどんな読者像なんでしょう。 <Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X 10.4; ja-JP-mac; rv:1.9.0.7) Gecko/200...@eatkyo103064.adsl.ppp.infoweb.ne.jp> |
> その中で小さくない部分を占める、荒唐無稽な仮想戦記を無批判に消費する層ってどんな読者像なんでしょう。 戦史、兵器マニアの世界とは無縁で、理科系の話題には興味がなく、経済の情報にはうんざりで、といった社会人男性像が浮かんでくるのですが、「自分にでも書ける」「俺ならこう書く」といった意識を持ってしまうマニアの側からはそうした読者像はなかなか思い浮かばないかもしれませんね。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; GTB5; SLCC1; .NET CLR 2.0.5...@c202-138-88-78.customer.mni.ne.jp> |
> 正直言って、最初から「超時空!レイテ湾の真田幸村!」とかいった本を求める堅気というのも想像し難いものがあります。 > > 恋愛小説やハードボイルド物を求める読書市場があるように、仮想戦記を求める読者のプールは必ずあるはず。 > その中で小さくない部分を占める、荒唐無稽な仮想戦記を無批判に消費する層ってどんな読者像なんでしょう。 いわゆる編集部に寄せられるはがきやファンレター等の傾向を関係者から聞いたことがあります。 「鬼畜米英を懲らしめて下さってありがとうございます(大意)」とか「共産主義者を(以下略)」等、かなりの年齢(無論、かなり幅はあるそうです)の方々からそういった仮想戦記を賞賛する意見が結構な割りで寄せられるそうです。 そういった仮想戦記の内、荒唐無稽な所謂立川文庫風のもの等に根強い需要があるのは、そういった読者の意向を反映しているといえるでしょう、書き手が均一で無いのと同じように、読み手も均一ではないのです。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; GTB5; .NET CLR 1.1.432...@ntsmne012214.smne.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp> |
> 30年位前の、第三次世界大戦ブームが懐かしい・・ それって、二見書房ががんばってたやつですか(w うちに何冊かありますが。 どちらかというと欧米の「すぐそこに迫った近未来の危機」であって、ちょっと範疇が異なるかもしれません。 第三次大戦ものであれば、そもそも荒巻氏は要塞シリーズをやってたわけで、その手法を推し進めた上で舞台を第二次大戦に近似させたのが紺碧ですし。 (あれは「後生」世界で、過去の改変でも何でもない、「非常によく似た別の世界のお話」にしてあるわけですから) でもそうしたら、そっちの方が売れてしまったという(汗 <Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.7) Gecko/2009021910 Fire...@104.150.12.61.ap.gmo-access.jp> |
荒俣でなく荒巻でしたね。勘違いしてました。 謎に包まれたソ連軍、鉄のカーテンの向こうから、どんな新兵器が登場してくるかわからない。西側に比べると兵器の性能は多少劣るとも言われているが、西側に急速にキャッチアップしようとしている・・ 30年位前のソ連軍は、現実に起こりえるかもしれないという空想を掻き立てる「素敵な」存在でした。 ペレストロイカによる情報公開、そしてソ連崩壊を通じて、そんな素敵なソ連軍はなくなってしまいました。中国、北朝鮮・・冷戦時代のソ連に比べれば、あまり魅力的な空想ネタではありません。 そこで、作家が「現実にありえたかもしれない」空想ネタを第二次大戦期の兵器に求めた、それが受けた、ということではなかろうかと・・ <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR...@KD114018120253.ppp-bb.dion.ne.jp> |
昔の仮想戦記ブームは大和 零戦 山本五十六の三種の神器が出てれば売れましたね。 大和は今でも良く出て来ますが。 個人的には志茂田氏の 「戦国の長嶋巨人軍」 これが最高でした。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0; Google Wireless Transcoder;)@wb13proxy04.ezweb.ne.jp> |
> 仮想戦記ブームは現在ほぼ完全に終わりました。 > 90年代初頭より続いた仮想戦記ブームはなんだったんでしょうか。各自の > 思い出、感想を語りましょう。 私はロボットアニメブーム(ガンダム)の続き、ないし枝だったと思っています。 仮想の世界からはじまって「リアリティ」を求めていったロボットアニメが「しょせんは仮想の世界」というところで壁にぶちあたって(それだけが理由ではありませんが)下火となり、その反対側からのアプローチが試みられたのではなかったかと。 私は仮想戦記小説を毛嫌いし一本も読んだことはありませんが、本屋の平積みタイトルなどで見た印象では、初期には「あり得る範囲での歴史操作(ミッドウェーとかレイテとかマリアナ)」、その次に「荒唐無稽ではない新技術・新兵器の投入(烈風や震電の早期実用化やら、大和型戦艦の艦尾に傾斜飛行甲板を付けるとか)」があり(おそらく最も盛り上がったのがこの時期)、その超兵器が次第にエスカレートして原子力潜水空母などが登場し、更にその先にはタイムスリップだとか異次元だとかパラレルワールドだとか「ウケれば何でもアリ」の混沌となって次第に飽きられ、読者をつなぎ止めるに足る魅力を持った作品・作家のみが残って現在に至ったと理解しています。 当サイト Warbirds も立ち上げ前後の時期…今から約10年ほど前には架空戦記ブームの真っ只中(というより、超兵器シリーズがエスカレートしながら終焉に向かっている頃)で、当時は連続小説コーナーに少なくとも3つの架空戦記スレッド(真面目なものからおちゃらけまで)が稼動していましたし、別館「架空機の館」も活発でした。 何であんなことに夢中になっていたのだろうと内省してみると、私としてはモビルスーツを語っていたのと同じ心理だったと思います。要するに「宇宙戦で勝利し地球軌道を制圧したジオンは次の戦場を地球上に設定し、地上戦で必勝すべくあえて大気圏外行動機能を持たぬ MS-08 グフを次期主力モビルスーツに選定した云々」などというウンチクを語りたかった。(あるいは、そういうおはなしを「読みたかった」人もいるでしょう) しかしロボットアニメはすでにブームも終わっているし、いまさらガンダムを語るのも子供っぽくて恥ずかしい。しかも商業版権作品の解釈は人によって異なるうえ、版権元の気分しだいでオフィシャル設定が覆され自分の「おはなし」が御破算になってしまう危険を抱えています。 ならば、自分で(あるいは「自分達」で)世界を構築してしまえば良いではないか。とはいえ零から架空世界を構築するのはあまりにも大変だから、皆が大抵知っている共通知識に雛形を設定したほうが都合がよく、丁度そこに「○○が○○だった場合の大日本帝国」という話題が提供されて飛びついた…という状態だったのではないかと思います。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 2.0.50727; .N...@adsl-75-62-138-173.dsl.lsan03.sbcglobal.net> |
> 仮想戦記ブームは現在ほぼ完全に終わりました。 > 90年代初頭より続いた仮想戦記ブームはなんだったんでしょうか。各自の > 思い出、感想を語りましょう。 こんにちは、はじめまして。檜山良昭氏の「アメリカ本土決戦」からずっと読んでますね。日本兵の蛮行とか、子供心にはショックな内容でしたが、日本軍のことなんて全然知らなかったので、何もかも新しい感じがしました。 発行部数とかは知らないので、なんとも言えないのですが、現在でもリアル系の内容から、トンデモ兵器ものまで、毎月多数出版されていますよ。なので私にとっては思い出ではありませんが、谷甲州氏の「覇者の戦塵」シリーズとか、梅本 弘氏の「ハッピータイガー戦記」とか面白いですけどね(遠藤 昭氏の小説の内容には驚きましたが)。宮崎 駿監督の「雑想ノート」も未だに好きですし。 ちなみに架空戦記は史実と違う部分、資料の解釈違うだろ、という部分も楽しんで読むのが、粋というものだと考えております。 鳥町でも書きましたが、架空戦記(やゲーム)がこうした趣味の間口になっていることは否定できません。読者が増えなければミリタリー本が売れませんので、軍事研究者の生活を守るためにも、良質な架空戦記はむしろ世に出てほしいですね。 議論ボードで語られている架空設定の検証と、良質な架空戦記の設定構築にどのような差があるのかも、私にはわかりません。史実を踏まえて真面目に考える部分と、史実から仮想する部分の双方があってこその歴史趣味だと思います。史実の解説本として出されている本だって、トンデモ本もたくさんあるわけですしね。 なので四捨五入して40歳のいい大人ですが、いい年して恥ずかしい趣味だとは思いません。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727)@p59-157-176-1.sub.ne.jp> |
「八・八艦隊物語」が好きでした。最後に生き残った長門がビキニ湾に沈むラストに涙を流して読みました(山口多門マンセーは嫌いでした)。 八・八艦隊が完成しているのに金剛以下旧式戦艦が退役していないなど、今思うと無理がありすぎました。もっとも福岡県警に勤めていた伯父にいわせればリアルとされている推理小説も火葬戦記とかわらないとのことです。推理小説と違うのは火葬戦記は当時の組織や個人を実名で堂々と批判や賞賛をすることなんですよね。批判するならちゃんと調べろといいたくなりますね、そこが嫌いですね。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; GTB5; .NET CLR 1.1.432...@139.net220148225.t-com.ne.jp> |
横から失礼します。 個人的に、仮想じゃなくて火葬の類が売れたのは、かつての講談やら冒険小説の流れを汲んでいるのでは?と思っています。 真田十勇士や少年探偵団が、大和や零戦に置き換わっただけなんじゃないか、と。 電車の中で、通勤途中に暇つぶしに読むにあたって、あんまりカタイのは嫌だし、と言ってお色気モノなんかは人目をはばかる。 気楽に読めて、しかも熱中して続きが気になるほどでもない(次の通勤時に読めば良い程度)。 今それなりに売れてる佐伯○英の時代小説なんかも、根っこは同じ気がします。 あれも、舞台が違うだけで、ありえない強さの主人公やらご都合主義満載。 火葬本も、肩の凝らない暇つぶしには丁度良かったのでは。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727)@p3086-ipbf2710marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp> |
荒唐無稽である点に批判的な方が多いようですが、逆に非現実的だからこそ安心して楽しめていたと私は思います。 「紺碧の艦隊」は私も小説とゲーム(3DO版・・・このゲームの戦術フェーズは傑作だと思いました)を楽しませてもらいましたが、小説版で楽しめたのは5巻目まででした。 荒唐無稽であるということでは全編通じてそうなのですが、1〜5巻を楽しめたのは「これは荒唐無稽な単なる娯楽の読み物ですよ」という暗黙の了解が作者側にも読者側にもあったように感じられたからです。5巻目から何故か言い訳じみた記述や本気で何かを主張しようとしているのか?と疑問を抱きたくなるような記述が目に付き始め・・・後の方は物語よりもそうした主張のほうに重きを置くようになったため途中で読むのを止めてしまいました。 リアリズムは作品を彩るエッセンスとしてあればよく、架空の物語であるならば極端に追求する必要など全く無いと思うのです。リアリズムを追求しすぎると、「リアリズムを追及しましたよ」というアピールに作家の力が注がれてしまい、作品が窮屈でつまらなくなりますから・・・(逆に「架空の物語」ではないのならば、リアリズムは追求せねばならないと思います)。 ましてや物語を通じて何事かを主張したいなどというのは、読者にとって「余計」なだけで面白味も何もありません。 その後、仕事を通じて(軍事分野ではありませんが)技術的な知識や感覚が養われ・・・同時に仕事で忙しくなって「荒唐無稽な純娯楽モノ」を楽しめるだけの精神的余裕が乏しくなっていくにつれ、やはり荒唐無稽な読み物を徐々に倦厭するようになり、今ではほとんど読まなくなりました(小説では佐藤大輔作品、漫画では小林源文作品は未だに読み返します)。 時代的なことを言えば、世界情勢に翻弄されていた当時の日本の実情、バブル崩壊によって日本全体を覆っていた喪失感(バブル崩壊以前からどこか漫然と「喪失感」はあったような気がしています)、それらによるフラストレーションの捌け口として、今まさに日本を翻弄している「世界」に対して日本が大暴れしている物語が好まれていたのではないでしょうか? <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@FL1-119-241-157-28.tcg.mesh.ad.jp> |
> 荒唐無稽である点に批判的な方が多いようですが、逆に非現実的だからこそ安心して楽しめていたと私は思います。 私は器量の狭い人間なので「超時空戦艦」や「原子力潜水空母」を二次大戦時に持ち出すことには拒否反応を示してしまいますが、設定や内容のリアリティとエンターティメント作品としての優劣は別物だとも思います。スターウォーズのフォースやハイパースペースだって、ヤマトのタキオン波動ワープだって、ガンダムのミノフスキー粒子だって、ボトムズのローラーダッシュやポリマーリンゲル液だって荒唐無稽には違いありませんが、それが作品としての評価を下げるわけではありませんしね。 > 時代的なことを言えば、世界情勢に翻弄されていた当時の日本の実情、バブル崩壊によって日本全体を覆っていた喪失感(バブル崩壊以前からどこか漫然と「喪失感」はあったような気がしています)、それらによるフラストレーションの捌け口として、今まさに日本を翻弄している「世界」に対して日本が大暴れしている物語が好まれていたのではないでしょうか? 私はむしろバブル上り坂だった頃に流行った「航空戦艦大和」だとか「軸流ジェット震電」「2000馬力スーパー零戦」など、まだ異次元やタイムスリップが出る前の超兵器シリーズに「いま世界をときめく日本の最新技術が、その何分の一かでも2次大戦時にあったならば…」という願望があったような気がします。 松本零士とサンケイブックスで育った私の世代には、まだ「ブリキ戦車はともかく、飛行機は数が同じなら負けない」とか「エンジン馬力が同じなら、空力設計は日本のほうが遥かに優れている」「343空は粒よりのスーパーエース集団」「烈風改さえ早期に量産されていれば、海軍母艦戦闘機隊はもっと善戦できた」などの「日本兵器に対する夢」がありましたが、新たな視点から描かれた戦史ドキュメントによってそれらの夢が一つまた一つと潰えていったのも、架空戦記の隆盛と同時期の 1990 年代以降だったように記憶しています。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 2.0.50727; .N...@adsl-99-175-135-49.dsl.irvnca.sbcglobal.net> |
> 私は器量の狭い人間なので「超時空戦艦」や「原子力潜水空母」を二次大戦時に持ち出すことには拒否反応を示してしまいますが、設定や内容のリアリティとエンターティメント作品としての優劣は別物だとも思います。スターウォーズのフォースやハイパースペースだって、ヤマトのタキオン波動ワープだって、ガンダムのミノフスキー粒子だって、ボトムズのローラーダッシュやポリマーリンゲル液だって荒唐無稽には違いありませんが、それが作品としての評価を下げるわけではありませんしね。 私自身、技術畑で働くようになってから「そんなに簡単に出来たら苦労しねぇよ」という感情が先立つようになり、超兵器や画期的新兵器とやらが登場して戦局を覆していく類の話にはアレルギーに近い反応が出るようになってきました。 これは別に仮想戦記に限った話ではなく、チューニングした自動車が公道を走り回って速さを競う類の漫画であっても同じような反発を感じてしまいます。 しかし、不思議とSF作品に出てくるビーム兵器の類にはそのような反感は抱きません。逆に非現実的すぎる神話やファンタジーには好感すら抱くこともあります。 おそらく、自分にとって大事な分野が軽んじられているかのように扱われている作品に無意識に反感を抱いてしまうのでしょう。 > 私はむしろバブル上り坂だった頃に流行った「航空戦艦大和」だとか「軸流ジェット震電」「2000馬力スーパー零戦」など、まだ異次元やタイムスリップが出る前の超兵器シリーズに「いま世界をときめく日本の最新技術が、その何分の一かでも2次大戦時にあったならば…」という願望があったような気がします。 > > 松本零士とサンケイブックスで育った私の世代には、まだ「ブリキ戦車はともかく、飛行機は数が同じなら負けない」とか「エンジン馬力が同じなら、空力設計は日本のほうが遥かに優れている」「343空は粒よりのスーパーエース集団」「烈風改さえ早期に量産されていれば、海軍母艦戦闘機隊はもっと善戦できた」などの「日本兵器に対する夢」がありましたが、新たな視点から描かれた戦史ドキュメントによってそれらの夢が一つまた一つと潰えていったのも、架空戦記の隆盛と同時期の 1990 年代以降だったように記憶しています。 バブル後の「喪失感」というのは、ただバブル崩壊によって顕在化しただけで実はバブル以前からあったように個人的には思っています。ただ、バブルの熱気に浮かれて自覚しづらい潮流であった・・・あるいは喪失感があったからこその狂騒であったのかもと思います。 喪失感・・・そこはかとない頼りなさ・・・それらの根本的原因を短絡的な思考の元に突き詰めてしまえば、日本の敗戦に行き着いてしまうように思うのです。 男の子には血沸き肉踊るようなファンタジーが必要です。 そのファンタジーに出てくる主人公は、それを楽しむ男の子が感情移入できるものでなくてはならず。それは時に戦国武将であったり、神話の英雄であったり、エースパイロットだったり、恐竜だったり、海賊や提督だったりします。その中に、祖国の歴史上の人物達を外すわけにはいかず、子供の私はゼロ戦、戦艦大和といった「すごい兵器」に素直に接することになりました。 しかし、私が感情移入した無敵のゼロ戦や大和は、それらに関わった人たちは、戦争に負けてしまっています。おまけに大人たちは、子供だった私が大好きなゼロ戦や大和を否定するのです。こんなに素敵なのに、こんなに格好いいのに、こんなに強いのに、こんなに好きなのに、 ある世代の男の子なら一度はプラモを作ったことがあるであろうゼロ戦や大和は、大人たちから与えられたロマンであり夢であり、まさに血沸き肉踊る男の子のファンタジーであったにも関わらず、同時に大人たちの批判の対象でもあり、敗戦という史実によって生まれる前に否定されてしまっていた・・・男の子が夢中になるべきファンタジーとしてはいささか陰りのあるものでした。 その陰りの穴埋めとなるべき宇宙戦艦ヤマトやガンダム等、別のファンタジーもありましたが中学生・高校生となってまで夢中でいられるほどには、当時はまだアニメの市民権がありませんでしたし、プロスポーツの世界は運動オンチな私には感情移入できる対象ではありませんでした。 別のファンタジーで穴埋めできなかった子供にとって、「物量に負けた」という言い訳は非常に都合の良いものであったと思います。 しかし、そうした言い訳は所詮ウソに過ぎず、たとえミリタリーマニア・軍オタ、軍事評論家・歴史研究家でなくても「物量に負けたわけじゃない」と気付くのはたやすいことでした。 陰りのあるファンタジーを食べて育った子供が大人になって、やはり当然のように社会でさまざまな挫折を味わうことになります。 挫折を味わったときに、あるいは現実に疲れたときに慰めを求める対象・・・それが子供の頃に夢中になったファンタジーであることは、男性にとって珍しいことではないのではないでしょうか? 無論、そのファンタジーへの接し方、とらえ方は子供のころと大人になってからでは違うでしょうけども・・・プラモを作ってみたり、本や画像を集めてみたり、そしてそれらを通して思いを馳せてみたりと、やっていることは大差なかったりします。 ゼロ戦や大和をファンタジーとして与えられた子供が大人になり、自分と自分を取り巻く現実と子供の頃に夢中になったファンタジーとを重ね合わせて何らかの慰めを求めるようになった時期・・・ちょうど90年前後・・・そのファンタジーの対象であるゼロ戦や大和が大活躍する作品達が市場を得たのだと思います。そして、そうであるからこそ、ブームが過ぎたあとも途絶えることなく、仮想戦記が部数を重ねているのではないでしょうか? <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@FL1-119-241-157-28.tcg.mesh.ad.jp> |
戦前から「日米もし戦わば」といったお話は洋の東西を問わずありました。世界大戦が現実に起こり得る時代にこういった冒険小説がベストセラーとなったことと、戦争を知らない世代が仮想戦記を買うことに違いはあるのでしょうか?表層的な知見かとも思いますが、あまり時代背景など関係なくブームが起きているのではないかと考えてしまいます。第三次世界大戦ものは別でしょうけど。 読者は飽きやすく、一定期間の後そのジャンルは衰えてしまうが見た目が変わればまた流行る。それだけのことではありませんか。 現在の仮想戦記とは、かつてブームだったSF小説の末裔です。作家の顔ぶれを見てもそうとしか思えません。現在は(失礼ながら)直木賞レベルのSF小説は極小です。鈴木光司は売れなくなるのでSFと呼ばないでほしいと言ったほどです。ところが「リング」の内容は立派にSFです。それと同じように仮想戦記は売れるようにSFが化粧直ししたものと考えたほうが良いのではないでしょうか。 当時「リング」もどきが大量に出回ったようにSF畑の松本零士が種をまいた「戦場まんが」もどきが書店を賑わせたと私は理解しています。 そして目先を変えるためトンデモ兵器を出し、超人的な将兵を出し、奇想天外な作戦や歴史改変を行い、実在兵器のスペックを事細かく述べ、やがてネタ切れで衰えたと。 私はSF界の大御所が懲りもせず、同工異曲の作品を書くことが信じられません。また、新人が追随して書いた作品は立ち読みする気も起きません。 でも、なぜだろう。押川春浪や海野十三はトンデモ兵器満載なのに読んで楽しいのは? <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB5)@p3089-ipad08tokusinwcc.tokushima.ocn.ne.jp> |
「SF」にはいろいろなニュアンスがくっついております。 SFがブームだったこと・・・ありますかねえ? 直木賞レベルのSF小説・・・昔から門前払いで有名です。 鈴木光司氏・・・彼はSF者ではありません。リングがSFの体裁を利用しているとしても。リングも「内容は立派にSF」ではないのです。 SFの側から見れば、「架空の世界設定での戦争を描く」のは定番であり、「どの架空の世界設定」とするかも多様です(時にはファンタシーと呼ばれるようにもなります)。 いわゆる仮想戦記もそうした中の1タイプとなります。WW2にどの程度の関心と愛を持つかは書き手次第であり、やはりひとくくりにはできません。田中光示氏、谷甲州氏、川又千秋氏の関心と愛の向かう先はまるで異なります。 他方、たとえば森岡浩之氏の「列翼翔士」という表現の根源はおそらくWW2にありますし(ローマ的な表現と混ぜてありますけど)、いわゆる「第三次世界大戦モノ」をSF者があまり/ほとんど書いていない、というのも注目に値するかと思います。 つまり、仮想/火葬戦記には、SFもあるし、そうでないものもある、ということです。 なお、どうか、「何がSFか」の定義論争には話柄を向けないようお願いいたします。議論では結論が出ないことが経験的に知られています。 <Monazilla/1.00 (cockcrow/2.5.5.6)@p57e282.ngnont01.ap.so-net.ne.jp> |
> SFの側から見れば、「架空の世界設定での戦争を描く」のは定番であり、「どの架空の世界設定」とするかも多様です(時にはファンタシーと呼ばれるようにもなります)。 「架空の世界設定での戦争を描く」ことに手馴れてるSF作家達が、このジャンルを盛り上げる主力となったのは自然な流れですね。 > いわゆる「第三次世界大戦モノ」をSF者があまり/ほとんど書いていない、というのも注目に値するかと思います。 そういえば不思議です。この題材はアクション映画やTVで「悪の赤い国と正義の対決」が定番だったことが書く気を失せさせた一因かもしれません(根拠なし)。 > つまり、仮想/火葬戦記には、SFもあるし、そうでないものもある、ということです。 了解です。 > なお、どうか、「何がSFか」の定義論争には話柄を向けないようお願いいたします。議論では結論が出ないことが経験的に知られています。 言われそうな気がしていました(~~; やはり、軍事に興味がある人はSFも詳しい。私も定義論争になったら裸足で逃げ出します。余談ですが、直木賞レベル=筒井康隆氏レベルと読み替えてください。あと、作家の方に尊称をつけなかったのは手抜かりでした。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB5)@p5052-ipad04tokusinwcc.tokushima.ocn.ne.jp> |
> > いわゆる「第三次世界大戦モノ」をSF者があまり/ほとんど書いていない、というのも注目に値するかと思います。 「地球0年」のような核戦争ものを「第三次世界大戦もの」に含めるかどうかでしょうね。SF作家にとって、核戦争による破滅的な世界の方が題材にしやすいのかも。ま、核戦争ものは60年代頃から欧米でも多数書かれているわけですが・・ <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR...@KD114018120253.ppp-bb.dion.ne.jp> |
大前提として国内を想定していることはご理解くださっておられると存じます。 また、「SF者」と世間的に見たときの「SF作家」を区別していることもご理解くださっておられるはずと存じます。 <Monazilla/1.00 (cockcrow/2.5.5.6)@p57e282.ngnont01.ap.so-net.ne.jp> |
> また、「SF者」と世間的に見たときの「SF作家」を区別していることもご理解くださっておられるはずと存じます。 横から失礼します。上記の「区別」を前提とする時点で、「 SFファン同士のおしゃべり」になりますよ。ここ(ワーバード)では控えるべき話題かと。(「SF」の定義でダラダラ議論を楽しむのは小生も好きですけどね) なお「火葬戦記」はともかく、本来の「仮想戦記」は、その成り立ちから見てSFとは区別されるものだと思いますよ。それに海外の作品の影響も大きいと思います。国内限定とはいかないのでは? <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@p3202-ipbf2508marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp> |
世界大戦等の題材は、素人でも「とんでもなく大変なこと」であると理解でき、衆目を集める恰好の題材なので、スパイ小説であれ戦争小説であれSFであれ題材として使われやすいのだと思います。 日本人であれば直接戦火に晒されたWW2などはまさに史上最大の「とんでもなく大変なこと」であり、第3次世界大戦の危機もまったくといっていいほど誰も感じることのない近年ではWW2以上の題材を求めることは難しいでしょう。実際、極東アジアに関連した近未来の戦争を扱った小説は、トンデモ兵器満載の火葬戦記ほどの評価すら得ていないように思われます。 しかし、日本にとって「とんでもなく大変なこと」が起きていた時代はWW2だけじゃありません。日露戦争、日清戦争、西南戦争、戊辰戦争・・・江戸時代前に度々あった戦国、題材としうる戦乱は他にもありますがWW2を扱った仮想戦記に比べ、弾数は非常に少ないようです(そういえば安土桃山時代に巨大ロボットを登場させた小説もあったような)。 仮想戦記はやはり作家が思い通りに歴史を改変し、読者の妄想(期待?)を具現化してみせることに商品価値があると思うのです。 史実が読者にとって上手くいった歴史(つまり輝かしい栄光に満ちた戦勝)であれば、改変の必要など全くありません。 WW2以外の題材は読者にとっておおむね勝った戦であり、改変の余地や必要性があまりないのでしょう。 しかしWW2は違います。 私達日本人にとってかつて経験が無いほど決定的に惨めな負け戦であり、克服のしようのないトラウマとなっています。 WW2を扱った仮想戦記の多くは過酷な・・・あるいは読者にとって非日常的な環境の中で主人公が活躍していく単なる冒険小説ではなく、歴史を少しはマシな形に変えてしまおうという要素が必ずといっていいほど含まれています。 つまり、WW2を扱った仮想戦記は、読者にとっては単に冒険心を満たすだけのファンタジーではなく、より直接的に負の感情を発散させる効果が求められているように考えられ、その一点において他のSF作品とは明確に異なる存在であると考えられます。 そうでないのならば、何故「同工異曲の作品」があれだけ登場したのか?何故、他の時代や他の国を題材とした仮想戦記が少ないのか?を説明することは困難だと思うのです。 そして、トンデモ兵器満載であっても面白い作品というのは、先述したような負の感情とは無縁な作品な、純粋に冒険ファンタジーとして楽しめる作品なのではないでしょうか? <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@FL1-119-241-157-28.tcg.mesh.ad.jp> |
>しかしWW2は違います。 >私達日本人にとってかつて経験が無いほど決定的に惨めな負け戦であり、克服のしようのないトラウマとなっています。 >WW2を扱った仮想戦記の多くは過酷な・・・あるいは読者にとって非日常的な環境の中で主人公が活躍していく単なる冒険小説ではなく、歴史を少しはマシな形に変えてしまおうという要素が必ずといっていいほど含まれています。 >つまり、WW2を扱った仮想戦記は、読者にとっては単に冒険心を満たすだけのファンタジーではなく、より直接的に負の感情を発散させる効果が求められているように考えられ、その一点において他のSF作品とは明確に異なる存在であると考えられます。 > >そうでないのならば、何故「同工異曲の作品」があれだけ登場したのか?何故、他の時代や他の国を題材とした仮想戦記が少ないのか?を説明することは困難だと思うのです。 日本人だけ楽しめる仮想戦記が流行っていると海外メディアが少し侮蔑のこもった報道をしたことが思い出されます。少し悲しい気もしますが、おうる様の説が正解でしょうね… <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB5)@p5052-ipad04tokusinwcc.tokushima.ocn.ne.jp> |
私もおうるさんの説にほぼ賛成です。 太平洋戦争は、やはり私達にとって、大きなトラウマだと思います。 自分はミリオタなどと呼ばれる一人ではありますが、歴史一般を一通りはかじっているつもりでおります。(無論、プロの方には及びませんが) そうしていろいろな歴史を見てきましたが、やはり太平洋戦争は一種の無念さのようなものを特別に感じるところがあります。 仮想戦記と言うジャンルは、そこを突いたジャンルなのではないかと、であるからこそ(トンデモ本も含めて)あれだけ出版され、売れたのだろうと思います。 ちなみに私がはじめて読んだ仮想戦記は「連合艦隊 ついに勝つ」でした。 あれは、今考えても、作品の出来としてはあまり悪いものではなかったなと感じています。 最近の作品は読む気がしないのでほとんど読んでません。(あえて言えば紺碧の艦隊のコミック版を4〜5冊だけ) <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; GTB5; .NET CLR 2.0.507...@KD124209107247.ppp-bb.dion.ne.jp> |
ちゃんと反省してないだけなんじゃないかと。文学的な反省は佃煮にするぐらいありますけど技術?的な反省って聞いたことありません。海上護衛戦あたり読むとアホな政府だから負ける戦争をなーんも計画性無しにやらかすんじゃ!としか思えませんからやりたくないのかもしれませんが <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; GTB5; .NET CLR 2.0.507...@TPH1Aae128.tky.mesh.ad.jp> |
> ちゃんと反省してないだけなんじゃないかと。文学的な反省は佃煮にするぐらいありますけど技術?的な反省って聞いたことありません。海上護衛戦あたり読むとアホな政府だから負ける戦争をなーんも計画性無しにやらかすんじゃ!としか思えませんからやりたくないのかもしれませんが もし未読でしたら森本忠夫著「魔性の歴史―マクロ経営学からみた太平洋戦争」あたりをお奨めします。 そもそも、どんだけがんばっても勝ちようが無かった戦を仕掛けて、当然のごとく惨敗してしまっている戦争ですから「反省点がありすぎて反省のしきれない」というのが正直なところだと思います。 三野正洋氏が自著「日本軍の小失敗の研究」で述べておられるように、そもそも戦争をしてしまったこと自体が大失敗であり、反省点をあげれば戦争をしなければよかったという一点に尽きてしまう。 しかし、戦争をどうすれば防げたか?と問われれば誰も正解を答えられない。つまり、「戦争をしなければよかった」以外の反省点は出てこないにも関わらず、その反省の結果導き出される回答には具体性がなく、そもそも選択可能な選択肢であったかすら明確でない。 かといって「運命だった」とか「仕方なかった」で納得して受け入れられるような結末でもない。 だから、反省ではなく都合のいい妄想を弄ぶことで慰めるしかないのではないでしょうか? 大きすぎるトラウマは当人だけでは解消できないものですし <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@FL1-119-241-157-28.tcg.mesh.ad.jp> |
トラウマって表現はなかなか面白いですね。 伝統的SFで描かれるオルタナティブな(いや仮想でもいいんですが、そうすると特定の意味に限定されるもので)第二次世界大戦って、みんなトラウマというか悪夢です。 もうすこし範囲を広げると、イギリスには19世紀後半から「インベージョン・リテラチュア(侵略小説)」と呼ばれるイギリスが(多くはドイツによって)侵略されるという一群の小説がありまして、これもまたイギリス人にとってのトラウマです。SFに話を戻すと、この枠組みの中にはウエルズの『宇宙戦争』も入るとされています。(たしかにイギリスが侵略される話だし、ウォーゲームデザイナーでもあるウエルズが「インベージョン・リテラチュア」の枠組みを意識していたことも間違いないでしょう) 現代日本SF草創期の「地には平和を」は本土決戦やってしまうという日本人にとっての悪夢の話ですし、ディックの『高い城の男』は第二次大戦に敗北したアメリカというアメリカ人にとっての悪夢の話です。 実は私は『高い城の男』を日本の仮想戦記のルーツの一つではないかと睨んでいるのですが、アメリカ人の主人公が日本人に劣等感を感じながら生活している『高い城の男』の世界は、アメリカ人にとっては悪夢ですが、日本人にとっては悪夢えはありません。(ドイツ人はあまり好意的に描かれていないので、ドイツ人読者がどう思うかはなんともいえません) つまり、悪夢を描こうとしたディックの意図にもかかわらず、『高い城の男』の日本人読者は「楽しい夢」を見てしまうのです。 こうして、日本人が「明るい第二次世界大戦」という禁断の発見をしてしまったことが、少なくともSF系(ここではSFもの系というべきか)仮想戦記作家に隠れた影響を与えている可能性は高いと思います。(みんな読んでるはずだし) まあ、小説じゃありませんが、ゲーム版『レッドサン・ブラッククロス』に影響を与えていることは断言できます。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB5; .NET CLR 1.1.4322; In...@p4118-ipbf5204marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp> |
> 実は私は『高い城の男』を日本の仮想戦記のルーツの一つではないかと睨んでいるのですが、アメリカ人の主人公が日本人に劣等感を感じながら生活している『高い城の男』の世界は、アメリカ人にとっては悪夢ですが、日本人にとっては悪夢えはありません。(ドイツ人はあまり好意的に描かれていないので、ドイツ人読者がどう思うかはなんともいえません) その本は買ったものの未読のまま本棚の肥やしと化してます;; > つまり、悪夢を描こうとしたディックの意図にもかかわらず、『高い城の男』の日本人読者は「楽しい夢」を見てしまうのです。 > こうして、日本人が「明るい第二次世界大戦」という禁断の発見をしてしまったことが、少なくともSF系(ここではSFもの系というべきか)仮想戦記作家に隠れた影響を与えている可能性は高いと思います。(みんな読んでるはずだし) 確かに「高い城の男」はWW2の結末が反転した世界を描いた数少ない著作で、同著を仮想戦記のルーツとする説は同著を紹介する解説文等の中に散見されます。 日本(枢軸)にとっての勝利は確かに連合側にとっての敗北であり、鏡の向こう側の世界は連合側にとって悪夢以外の何者でもないのでしょう。 仮想戦記とはジャンルが異なるSF作品ですが、「猿の惑星」も作者が日本軍の捕虜になった体験を人種差別にならないように配慮しつつ小説化したものでしたね。 『「猿の惑星」の猿達のモデルは日本人だ』と聞いて日本人が無邪気に喜んだという話・・・洒落にならないエピソードですが、『日本人しか楽しめない小説が流行っている』と報道したジャーナリストからすると仮想戦記を無邪気に楽しむ読者も『猿のモデルは・・・』と聞いて無邪気に喜んだ日本人も同じようなものなのかもしれません。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@FL1-119-241-157-28.tcg.mesh.ad.jp> |
単に気軽に読める読み物の一種として戦記ものが流行ったのではないかと。当初は新鮮味があったから売れたけれど似たようなものが乱立したので衰退して需要に見合った量の作品が生き延びたのではないかと思います。 気楽に読む本であれば荒唐無稽でも気にならないのでネタに走りすぎて衰退したという説はどうなのだろうと。 例えば某ラノベなど急降下する零戦52型とタイマン張れる速度の竜だの(どう考えても乗ってる人が風圧で吹っ飛びますな)傾斜装甲のあるティーガーIだの(どう見ても挿絵はケーニヒ)装甲貫通したあと爆発するティーガーIの徹甲弾(当時の徹甲弾が爆発するわけが無いのを説明する必要は無いでしょう)などなど非常に突っ込みどころの多い作品なのですが誰もそんなことは気にしないわけで。 くぎみーがツンデレしてて女の子の胸が揺れてればそれで読者は喜ぶのです。 というのと同じレベルで日本軍が格好よく戦ってる限りにおいて何やっても許される時代が存在したというだけの話ではないのかなと。その手の話が減ったのは日本軍が活躍するというシチュが飽きられただけで荒唐無稽は余り関係が無いかなと私は思います。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB5; .NET CLR 2.0.50727; ....@FL1-125-197-132-248.stm.mesh.ad.jp> |
水滸伝や三国志演義、日本だと平家物語、ケルト文化圏のアーサー王伝説など、トンデモ戦記の古典は結構ありますよね。 当時は玉石いろいろあってデキの良いものが残っているだけでしょうが。 要は仮想戦記という一つのジャンルは昔からあったと思います。 何かのきっかけでちょっと流行ると2番煎じ・3番煎じと次々類似品が出て、売らんが為の小手先エスカレートで質を下げ、結局内部崩壊するというパターンだっただけではないでしょうか。 ハリポタがヒットしてファンタジー本が書店にあふれたのと同じ現象ですね。 多少カブるにしても、ミリヲタと火葬戦記ファンは別ジャンルの人種だと思います。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@KHP222227131042.ppp-bb.dion.ne.jp> |
> 多少カブるにしても、ミリヲタと火葬戦記ファンは別ジャンルの人種だと思います。 ハワイ攻略作戦と聞いて空母や戦艦の数で勝ってるからいけるんじゃない?と言う人が仮想戦記ファン。 輸送船が足りなくてそもそもハワイまで行くことが不可能だよ。とつまらない(現実的とも言う)ことを言ってしまうのがミリオタ。 個人的極まる見解ですがどんなものでしょう(’’ <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB5; .NET CLR 2.0.50727; ....@FLH1Agg127.stm.mesh.ad.jp> |
なんで受けたのか。必要があったのか。皆様が言い尽くされている部分もありますが、難しく考えすぎのようにも感じられます。 つまるところ「ソ連崩壊は大きな出来事だった」この辺りのような。 左翼の方々が社会主義・共産主義革命とか、非武装中立とか言っても、あまり相手にされなくなり、旧日本軍や大企業の悪事とか、食の安全性とかを追求するようになったわけですが、職業作家もこれと大差ないかと。 上記と同じ理由で、共産側を悪とした仮想戦争小説などは実質出せなくなったので、商業的理由でWW2仮想戦争へとシフトしたように思えます(書き手がシミュレーションゲームブームの影響を受けたゲーマーであることもあるでしょうが)。 現実より前に、WW2仮想戦争小説があまり出なかったのは、需要がなかったというよりは「参加された旧軍関係者が多く存命されていた」ので、実戦に参加していない作家が、好き勝手なことを書きにくかったのではないかと思います。 実際、高木彬光氏の「連合艦隊、ついに勝つ」に対し、旧軍人の「高木、死すべし」という落書きが図書館でなされていたという事例を聞いたことがあります。 つまるところ、男性が兵器だとか戦争にどうしようもない興味を抱くのは、かの宮崎 駿監督も自嘲的に認められていることであり、ガンダムなどを含む大半の一応SF戦争ものなどもそうした興味に応える内容であるように思います。 戦国や幕末で架空戦記が少ない(ないわけではありません)のは、「敵空母への先制アウトレンジ攻撃を想定した高速艦爆」だとか「2000馬力で整備性の低い誉エンジン」とか「厚さ410ミリのVH甲鉄には20度の傾斜が付けられており、40.6センチ砲弾では貫通できない」などといった、男性の興味分野に対する虚仮威しワードが入れにくい(スーパー鉄甲船とか言われても、何が凄いのかわからないので。ちなみに、もっともらしければ、事実と違っても構わない)ことで、脚本をある程度ちゃんとしないと、紙幅を埋められないからだと思います。 そういう意味で『戦国の長嶋巨人軍』とかは、トンデモ設定の説明だけで、相当行数使えますし、話のネタとして読んでみようという気にさせる(タイトルで「なんじゃこりゃ」と思わせられる)という意味で、商業向けの企画だと思います。 無論、そういうのは「売文業」の仕事なわけですが。 まぁ、軍事ライターと同じで、色々な方がおられます。私は某軍事評論家(ここに出入りする方ではありませんが)の方とお話したさいに「俺はそんなこと思っていないけど、売れるから書く」「海軍嫌いだけど、海軍の本のほうが売れるから書く」と言われたこともあります。そんな仕事はしたくないものですが。 私は「仮想戦記だから」とひとくくりにしてしまうのは、あまり好きではありません。大抵のジャンルには良作と駄作はあるものですし、ジャンルによる決めつけは「アニメだから」「漫画だから」と同じく、あまり意味のないものと思います。 よほど「史実の解説本」にトンデモ記述を書く方が、問題だと思えます。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727)@p59-157-176-1.sub.ne.jp> |
> 現実より前に、WW2仮想戦争小説があまり出なかったのは、需要がなかったというよりは「参加された旧軍関係者が多く存命されていた」ので、実戦に参加していない作家が、好き勝手なことを書きにくかったのではないかと思います。 檜山良昭氏の「アメリカ本土決戦」には旧海軍参謀の吉田俊雄氏が解説を書いてました。 今手元に同書が無いので内容は忘れましたが旧海軍関係者が仮想戦記の解説を書いていた事に驚いた記憶が有ります。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0; Google Wireless Transcoder;)@wb13proxy06.ezweb.ne.jp> |
> 檜山良昭氏の「アメリカ本土決戦」には旧海軍参謀の吉田俊雄氏が解説を書いてました。 > 今手元に同書が無いので内容は忘れましたが旧海軍関係者が仮想戦記の解説を書いていた事に驚いた記憶が有ります。 今の仮想戦記はアニメのパロディネタ満載だったり、手裏剣を装備した海軍忍者特務部隊がプリンスオブウェールズを乗っ取ったりするものもありますが、「アメリカ本土決戦」の頃は、このように戦争を軽薄な娯楽として描くようなことは許されない雰囲気がありました。 同作は日本軍の蛮行も素直に描いていますし、最終的に勝利するわけでもありませんから、所謂エンターテインメントではなかったように思います。 そうした意味で、吉田氏の解説も素直に読めましたね。 現在の目から見れば、どんなに艦隊戦で勝利できたとしても、米本土に部隊を送り込むなど不可能に思えますが、そうした資料本も少ない中で、よく勉強して書かれた本ではないかと思っています(海軍参謀と言っても、日本の実国力を把握しているわけではないのは、様々な旧軍人の回想ものを見ても明らかでしょうし)。 仮想戦記とは、つまるところ日本文化としての「鎮魂」のようなものなのだと思います。祟りを起こされた菅原道真公に、生前は与えられなかった官位を与えて、功績を称え、神として祭り、鎮魂するのと同じではないかと。 日本の勝利を願いながら、あの戦争で命を落とした日本人に対して「こんなミスがなければ、もっと善戦できた」「横暴な米英に、もっと意地を見せるような戦いであって欲しかった」というような部分ですね。 だから、本来の力を発揮できなかった大和武蔵の出番が多いわけでしょうし、実力を有しながら活躍できなかったものが活躍するという辺りも、日本人の琴線(判官贔屓的な)に触れるのでしょう。 架空戦記で最終的に日本が勝利するという内容は少数派で、個々の局面で全力を尽くせた(××海戦で勝利した)というような内容が多いのも、単なる勝敗ではない、鎮魂的側面によるものではないかと思います。日本を単に勝たせいのだったら「原爆を先に開発していたら」で済むわけですからね。 なので、今後もこうしたジャンルは定番であり続けるように思います。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727)@p59-157-176-1.sub.ne.jp> |
火葬だからブーム足り得た、仮想は1ジャンルとして安定というのが現時点での私の見解です。以下つれづれに。 外挿性。理想的には、前提としてひとつだけ(物理定数ひとつだけいじる)ですが、仮想戦記ではなかなかそうもいきません。しかし、天皇制ではないとか、満州に油田がとかは、かなり絞っているといえましょう。 外挿要素の見せ方。油田探索に行く当事者視点というのは正統的ですが、「ゼロ戦の由来は1940年採用だから、国歌は『さくら』」は手練れ感あり。 平行世界性。火葬は露骨に「別の歴史」。「ヤマト」は、もとは「この現在の未来であり得る」可能性があったが、海中撮影で「平行世界の未来」になった。ドゴール暗殺を防止する話は平行世界でなくあり得るが、小説家の都知事とその弟の映画スターが狙撃される話は、実は平行世界モノになる。報道されてしかるべき事件を創作するミステリはどんなに「リアル」でも実はこの危うさを孕んでいまして、もっと風合い的に露骨な伊集院大介の住む東京(特に浅草とか)とこの点においては変わらない。東京異聞、帝都物語、なんとか歌劇団・・・火葬/仮想戦記に繋がります。 首長竜が実は生きていて、戦前の大陸をデュセンバーグが、洋服箪笥の奥にはナルニアが、冷たい雨の下イギリスの田舎の墓地から始まる・・・系列と、タイタニックを引き上げる、レインボーブリッジを閉鎖する、とは系列が異なるかと。 「メルクワット」の非実在は確かで中間的ではあるものの、「一般読者に対する『らしさ』」から、ラバ空と飛龍はこの点でコンセプトが異なると言い得ます。 外挿性の禁欲主義の反対側の大衆性。大衆性が悪いというわけではないので為念。 イアン・フレミングはおとなのおとぎ話を書いた。ガードナーは、メイスンもデラも年を取らせないことにした。他方007の好みが通から見たら半可通(で一般読者から見たらお洒落)なのは作者承知の上であったし(チキチキバンバン書いた人ですから)、戦地の兵隊さんからどんなにせがまれても、メイスンとデラのベッドシーンは書かなかった。この辺がある種の節度です。 ところが黒豹さんは・・・ どういう読者を想定するかでしょう。メイスンものは若い大人にはその面で物足りないが、直接描写を必要としない大人には不足がないし、思春期前の子供にも読ませられる。黒豹さんものはその逆であり、得失も逆転するでしょう。 設定の問題。オナー・ハリントンものは、あの世界設定である必然性はない。しかし、「女軍人の活躍」を第一優先とし、「立憲君主国の女提督が、高福祉が破綻した結果共産革命が起きた国相手に戦う」を第二優先とすると、この歴史の平行世界的改変より、「この現在の未来であり得る先」とするほうがスマートです。第一作では非人類の知的生命体を出したのに後にはなかったことにした、というのが、「書きたかったのは実は本格SFではなく未来を舞台にした仮想戦記だった」を象徴していましょう。アザロの「本職の理論物理学者が書いたハードSFなのに骨子はハーレクインロマンス」と比較すると鮮やかです。 強さのインフレ。 「闘技場対戦型」で顕著です。トリプルクロスカウンターやギャラクティカなんとか。 これを大きな物語でうまく回避したのが「北斗の拳」であり、幕末という大きな物語、逆刃刀という象徴で回避を狙ったがうまくいかなかった(編集の影響かも)のが「るろ剣」でしょう。「紫電改のタカ」も、当初インフレにつかまっていたのが、潜水艦搭乗員に舞台を変えて回避しています。 ただ、史実でさえ、7年で複葉機からジェット機へ、なので、難問ではあります。メルクワットものはここに焦点のひとつがあるかと。もともと、川又氏は、「戦闘機が負けるから戦争に負ける」を引いていることからして、「闘技場対戦型」を承知でやっておられるでしょう。架空機たくさんか、戦間期からベトナム戦争へ、か。 ただ、特に飛行機においては、「もっと馬力を」は黎明期からの希求であり、あの渋好みの宮崎駿氏でさえ「あと15ノットほど欲しいんだ」「こりゃケストレル/フォルゴーレじゃねえか」と言わせています。 当然、読者も(破綻を恐れず)「もっともっと」を求めますが、どの程度の傾斜にするかによって、007か黒豹かと分かれてゆく・・・ 年配男性というご指摘がありました。物語を書籍に依存する、少年雑誌の記憶を含めて前世代の失敗由来のルサンチマンがある、「もっともっと」での成功体験がある、いろいろありそうです。 個人的には(ブームとなるかはともかく)、次の枠組みに関心があります。日本の若い衆が「日本とアメリカが連携してナチスドイツと戦った」と誤解しているぐらいならまだしも、(戦争体験を持つ父から生まれた)前大統領が前大戦をなかったことにするわけですから。 戦勝国において。雨の墓地から始まるような、平行世界にしないですむ、知られざる秘話系はたくさんあるでしょう。 勝ち馬の尻にのったタイプの架空のエースの話などはありませんでしょうか? アメリカならありそうな気がします。事例をご教示いただければ幸いです。 <Monazilla/1.00 (cockcrow/2.5.5.6)@p57e282.ngnont01.ap.so-net.ne.jp> |
時代小説という大きな流れの中で、周期的に太閤記ブームが来るように、ローテーションの谷間で第二次大戦ブームが来た。おおよそそのように考えています。 歴史小説と時代小説を分ける場合、後者を「時代のテイストを借り、自由設定または史実に反する設定が相対的に大幅に含まれる」ものとするのが一般的なようです。昭和30年代の東映時代劇でも、旗本退屈男は普通に柳沢吉保を斬り捨てました。赤穂義士に助太刀する俵星玄蕃は架空の人物ですが、義士ものによく登場します。史実をねじ曲げて遊ぶのは別にあの時代だけ流行した話ではありませんし、コンスタントに量産され続けています。 もともと多くの読者にとって史実に興味があるわけではなく、痛快物語が読みたかっただけでしょうから、日本人の歴史理解における意味などなかったのでしょう。 「ふっふっふっ。ゼロ戦とは俺のことなんだよ。俺がカーチスやグラマンを斬って回っているんだ」 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6)@119-173-119-78.rev.home.ne.jp> |