Page 29 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼太平洋戦争 日本はどの様に戦うべきだったんでしょうか? TAKA 02/2/10(日) 2:58 ┣Re:太平洋戦争 日本はどの様に戦うべきだったんでしょうか? シュウスイ 02/2/10(日) 10:49 ┣教訓ですか… ささき 02/2/10(日) 12:45 ┃ ┗Re:教訓ですか… TAKA 02/2/11(月) 0:46 ┣日本の取るべき戦略・戦術についての個人的考察 TAKA 02/2/10(日) 22:19 ┃ ┣Re:日本の取るべき戦略・戦術についての個人的考察 シュウスイ 02/2/11(月) 3:01 ┃ ┣Re:中国からの撤退とは? シュウスイ 02/2/11(月) 4:11 ┃ ┣残念ながら・・・ ルージュ 02/2/11(月) 7:41 ┃ ┃ ┗Re:日米交渉の問題点 TAKA 02/2/11(月) 13:27 ┃ ┃ ┗交渉成立させるなら戦争を前提とする意味は? ルージュ 02/2/11(月) 19:22 ┃ ┃ ┗Re:平和が継続する保証はない? TAKA 02/2/11(月) 23:35 ┃ ┃ ┗そろそろ終わりにした方が・・・。 ルージュ 02/2/12(火) 3:18 ┃ ┣正気ですか? モーグリ 02/2/12(火) 23:28 ┃ ┃ ┗Re: 長期持久想定の戦争 tac 02/2/13(水) 17:12 ┃ ┃ ┗Re: 長期持久想定の戦争 ノースバーグ 02/2/13(水) 20:41 ┃ ┗日本の取るべき方策についての考察 匿名 02/2/16(土) 0:07 ┃ ┣そうかな? アリエフ 02/2/16(土) 2:17 ┃ ┃ ┗Re:そうかな? 匿名 02/2/16(土) 9:48 ┃ ┃ ┗はてさて・・? アリエフ 02/2/17(日) 23:24 ┃ ┣Re:三国同盟の内容 シュウスイ 02/2/16(土) 8:07 ┃ ┃ ┗Re:三国同盟の内容 匿名 02/2/16(土) 9:34 ┃ ┗Re:蘭印攻略は… シュウスイ 02/2/16(土) 23:00 ┃ ┗Re:蘭印攻略は… 匿名 02/2/17(日) 22:54 ┣一つは情報・宣伝工作の徹底 アリエフ 02/2/10(日) 23:24 ┃ ┗ついでに アリエフ 02/2/10(日) 23:43 ┣なんでもいいから まなかじ 02/2/10(日) 23:27 ┃ ┣Re:おっと まなかじ 02/2/10(日) 23:31 ┃ ┗Re:残念ながら読んだこと有りますよ! TAKA 02/2/11(月) 2:41 ┃ ┣Re:漸減作戦とは… シュウスイ 02/2/11(月) 12:34 ┃ ┃ ┗Re:漸減作戦とは… TAKA 02/2/11(月) 13:55 ┃ ┃ ┗Re米軍の反攻時期は… シュウスイ 02/2/11(月) 16:25 ┃ ┃ ┗Re:戦争の時期と勝率の関係と問題・・・ TAKA 02/2/11(月) 23:56 ┃ ┃ ┗Re:43年開戦 シュウスイ 02/2/12(火) 18:13 ┃ ┗Re:残念ながら読んだこと有りますよ! まなかじ 02/2/11(月) 21:24 ┃ ┣あ、書き忘れた まなかじ 02/2/11(月) 22:16 ┃ ┗Re:残念ながら読んだこと有りますよ! TAKA 02/2/11(月) 22:50 ┃ ┗だめだこりゃ まなかじ 02/2/11(月) 23:51 ┃ ┗Re:別にダメで結構!! TAKA 02/2/12(火) 0:16 ┃ ┗申し訳ないありませんが・・・ あず吉 02/2/13(水) 1:18 ┃ ┗Re:発言の謝罪です TAKA 02/2/17(日) 18:46 ┣そんなに全面戦争やりたいんですか? アリエフ 02/2/11(月) 10:24 ┃ ┗Re:そんなに全面戦争やりたいんですか? TAKA 02/2/11(月) 14:32 ┃ ┗Re:帝国主義… シュウスイ 02/2/11(月) 17:08 ┃ ┗Re:「大東亜共栄圏」と太平洋戦争の必然性 TAKA 02/2/11(月) 21:31 ┃ ┗Re:共同謀議によるアジア侵略 シュウスイ 02/2/12(火) 8:18 ┣Re:太平洋戦争 日本はどの様に戦うべきだったんで... 無責任な外野 02/2/12(火) 2:43 ┃ ┗教訓を学ぶとは? CAT 02/2/12(火) 17:18 ┃ ┗ゴミレスごめんなさいね ささき 02/2/12(火) 17:31 ┃ ┗Re:言葉足らずみたいですね、やはり。 CAT 02/2/12(火) 20:41 ┃ ┣国民を道具としてこき使うという方法もあるけど? アリエフ 02/2/13(水) 0:21 ┃ ┗だからゴミレスですってば(^^;) ささき 02/2/13(水) 2:28 ┣ご本人が結論を出していると思いますが… 匿名 02/2/15(金) 21:46 ┗私見による議論の最終的結論 TAKA 02/2/17(日) 18:36 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 太平洋戦争 日本はどの様に戦うべきだったんでしょうか? ■名前 : TAKA ■日付 : 02/2/10(日) 2:58 -------------------------------------------------------------------------
太平洋戦争では、日本は250万の戦死者、民間を入れたら400万人近い 犠牲者を出し、国土を荒廃させ国力を消耗させ敗戦しました。 このような日本にとっては悪夢の様な戦争ですが、日本にとって太平洋戦争は 別に想定して無い戦争ではありません。 日露戦争以後、帝国海軍は仮想的を米国に据え作戦・軍備を構想しています。 しかし太平洋戦争では、日本は今までの想定では考えていないタイプの戦争を 実施しています。 具体的には漸減作戦に変わり真珠湾攻撃を行い、主戦力を戦艦に変わり 航空母艦と航空機にて戦っています。 又「大東亜共栄圏」という民族共和のスローガンを掲げながら、 実際にはアジアで搾取と略奪を行い、大義名分のない戦争を行っています。 それに日本はアメリカを屈服させるのが困難と知りながら 明確な終戦へのシナリオを描かず戦争を行うと言う行為も行っています。 日本は超強敵といえるアメリカに対し、こんな無計画な戦争を行い 泥縄的な戦い方をすべきだったのでしょうか? 今更何を言っても史実をかえられずIFの世界の話であることは、百も承知の上で 歴史を学び教訓とする為にあえて皆さんに問いたいと思います。 「太平洋戦争日本はどの様なビジョンを持ちどの様に戦うべきだったのでしょうか?」 この件について皆様のご意見を聞き、議論したいと思います。 本来ならここで最初に私の考え方を述べなければいけませんが、長くなりますので 改めて述べたいと思いますので、ご容赦願います。 (必ず今日中には書き込み致します) |
作戦面ではなくて、大義名分とスローガンについて、一言意見を述べさせて いただきます。 日米太平洋戦争と大陸での中国との戦争の関連をどのように位置づけるか、 我が国の連続した侵略行為とみなすか否かで意見はいろいろ分かれると思い ますが、米国英国に対して戦争に踏み切ったのは、第一には「自存自衛のため」 です。これは戦後マッカーサーも認めているとおりです。 また、「大東亜共栄圏」の構想について、実際は搾取だったという批判を受 けますが、東亜の安定と繁栄、独立が期待できるのは、日本の立場のスロー ガンからすれば、戦争が日本の勝利に終わって戦争終結してからの話でしょう。 まずは米英とのうち勝つために東南アジアの戦略物資を日本が確保し、戦争 遂行しなくてはならないはず。ぎりぎりり戦時体制下の中で、旧連合国植民地 の独立繁栄まで保証できるほど、日本に余裕があろうはずがありません。 繰り返しますが、「大東亜共栄圏」という構想が実現するとすればそれは戦争が 終わってからの話であっておかしくないし、戦時の非常態勢下でそれが実現 しなかったからといって、この構想を完全なデマゴギーと位置づけてしまう ことは、問題があると思います。 |
> それに日本はアメリカを屈服させるのが困難と知りながら > 明確な終戦へのシナリオを描かず戦争を行うと言う行為も行っています。 > 日本は超強敵といえるアメリカに対し、こんな無計画な戦争を行い > 泥縄的な戦い方をすべきだったのでしょうか? 日本には自力でアメリカを屈服させる積もりは無かったと思います。 日本の戦争シナリオは同盟国ドイツの勝利を前提に置いていたのでは ないでしょうか。いずれヨーロッパはドイツに平定され、太平洋に 散在していた欧州植民地の宗主国は消滅するであろうと。既に 仏領インドシナでやったように、先回しに占領軍を送り込み既成事実を 作ってしまえば理屈はあとから着いてくるだろうと。 大東亜共栄圏は欧州大戦争の火事場騒ぎに植民地を乗っ取ろうという ある意味火事場泥棒的構想だったと思います。日本に搾取の意図が 無かったといえば嘘になるでしょうが、欧州支配からアジア独立へ という意図が無かったと言ってもやはり嘘になるでしょう。 そして、その為には目の上のコブである米太平洋艦隊を潰す必要がある。 だから真珠湾をやってしまった。まぁその結果がアレだったわけですが、 アメリカ国民があれほど憤激して対日戦に傾倒したことや、東洋の小国 日本が世界の超大国アメリカ相手にあそこまで頑強な奮戦を見せることなど、 当時誰に予想できたでしょうか? > 今更何を言っても史実をかえられずIFの世界の話であることは、百も承知の上で > 歴史を学び教訓とする為にあえて皆さんに問いたいと思います。 > 「太平洋戦争日本はどの様なビジョンを持ちどの様に戦うべきだったのでしょうか?」 後世に判明した事実をベースに、後知恵でベスト(と思われる)行動を 指摘することが「教訓」になるでしょうか。私には疑問です。 何故日本はあのような行動を取ってしまったのか。 当時の主導者はどういう情報を元にその判断を下したのか。 国民とマスコミはそれにどう反応したのか、それは何故か。 「当時の軍部は狂った神懸かり主義者で、後先のことなど考えずに 戦争を始めてしまった」と言うのは簡単ですが、私には事実とは 思えないし、そこから教訓が拾えるとも思えないのです。 |
> 日本には自力でアメリカを屈服させる積もりは無かったと思います。 > 日本の戦争シナリオは同盟国ドイツの勝利を前提に置いていたのでは > ないでしょうか。いずれヨーロッパはドイツに平定され、太平洋に > 散在していた欧州植民地の宗主国は消滅するであろうと。既に > 仏領インドシナでやったように、先回しに占領軍を送り込み既成事実を > 作ってしまえば理屈はあとから着いてくるだろうと。 日本の戦争シナリオは仰るとおりの「他力本願」シナリオであったことは 間違い有りません。東南アジアに関しては理屈や既成事実より、 占領しないと外に取られるから先にとってしまおうと言うレベルだと思います。 日本にとって喉から手が出るほど欲しい資源地帯ですから・・・ > 大東亜共栄圏は欧州大戦争の火事場騒ぎに植民地を乗っ取ろうという > ある意味火事場泥棒的構想だったと思います。日本に搾取の意図が > 無かったといえば嘘になるでしょうが、欧州支配からアジア独立へ > という意図が無かったと言ってもやはり嘘になるでしょう。 これは日本国内に理想論として「大東亜共栄圏の構築」を純粋に目指して 居た人もいるのは事実ですが、軍部の中の大部分(特に陸軍)は 「八紘一宇」の思想に代表される植民地化と搾取と支配の考え方を持っていたのも 事実でしょう。実際に占領政策を実施したのは後者の思想を持っている 陸軍が主体ですから、「アジアの独立」を声高に叫んでも、相手にされなく 太平洋戦争はアジアに対し搾取と略奪の戦争であったと言われても、 何も言えないでしょう。 > そして、その為には目の上のコブである米太平洋艦隊を潰す必要がある。 > だから真珠湾をやってしまった。まぁその結果がアレだったわけですが、 > アメリカ国民があれほど憤激して対日戦に傾倒したことや、東洋の小国 > 日本が世界の超大国アメリカ相手にあそこまで頑強な奮戦を見せることなど、 > 当時誰に予想できたでしょうか? 確かに目の上のたんこぶ(腹に突きつけられた短剣だとも言えます)の 米太平洋艦隊を含む米国を潰す必要はあったと思います。 (フィリピンも邪魔ですから) 只真珠湾は後知恵で言えば、成功とは言えないでしょう。 それなら私の言っているとおり当初の「漸減作戦」の方が良かったと思います。 日本が米国に対し善戦し頑強な抵抗をすることも、アメリカがあれだけ激怒して 戦争をすることも日米両国の有識者の中では出ていた話です。 只アメリカに関して言えば真珠湾で米国の謀略という説があるにせよ 奇襲攻撃を受けたら激怒しますよ。 (謀略の話は戦後出てきた物ですから・・・) > 後世に判明した事実をベースに、後知恵でベスト(と思われる)行動を > 指摘することが「教訓」になるでしょうか。私には疑問です。 後知恵出有っても歴史を考え似た様な状況や応用できる様な状況に その歴史的な行動の良い点・悪い点を踏まえ自分の判断の参考にするのが 「教訓」だと思いますよ。そう考えれば後知恵でもその時の取るべき ベストと思われる行動について考え、人生の中で自分自身に判断の参考になる時や 応用できるときに応用すると言うことでも十分「教訓」になっていると思いますが。 > 何故日本はあのような行動を取ってしまったのか。 > 当時の主導者はどういう情報を元にその判断を下したのか。 > 国民とマスコミはそれにどう反応したのか、それは何故か。 > > 「当時の軍部は狂った神懸かり主義者で、後先のことなど考えずに > 戦争を始めてしまった」と言うのは簡単ですが、私には事実とは > 思えないし、そこから教訓が拾えるとも思えないのです。 「当時の軍部は狂った神懸かり主義者で、後先のことなど考えずに 戦争を始めてしまった」というのは事実ではないでしょう (比喩的表現だとは思いますが・・) 只なぜあのような行動を取ったのか、指導者の判断の根拠、国民・マスコミの 反応には非常に有意義な情報が入っていてそれこそ「歴史の教訓」の重要な 所だと思います。それを検討することが大切だと私は思いますが・・・ |
ここで議論を発議した張本人として、一応日本の取るべきであったと思われる、 方策を、後付けの議論になりますがここで考えたいと思います。 「戦略面の行動」 (1)長期持久戦を戦い抜く方策を考えるべきでは? 戦い方としては、短期決戦・長期持久戦両方とも有りだとは思います。 只日米間の国力差を考えると、短期決戦は順調に攻撃を続けて居る内は良いですが、 ミッドウェーの様に一度破綻してしまったら、後は坂道を転げ落ちる状態になります。 日本の国力では、一度崩壊した戦力を再建するほどの余裕はありません。 その様な状況であるならば、長期持久戦にて、米太平洋艦隊を連合艦隊の ホームグランドである「中部太平洋」にて迎撃し、一度決戦を戦った後 南方資源地帯の攻略と、中部太平洋の防備強化、護衛の強化による資源の本土への 搬入、米国の体勢を立て直すのにかかる時間を利用しての国内戦時体制の強化を行い 再度米太平洋艦隊が来寇したときに、万全の体制で迎撃し再度撃滅を計る。 それにより多大な出血を強要し米国に対し講和を提案し終戦に導くと言うのが ベストではないでしょうか? 事実開戦当初の対米戦略方針は「南方資源地帯を占領し長期不敗の持久体制を作る」 でしたし、純戦術的にも連合艦隊の昔からの作戦方針は「中部太平洋での漸減作戦」 ですから、当初規定の方針通り戦争を進めるべきではないのでしょうか? (2)戦線縮小を考慮すべきではなかったのでは? 当時日本は満州に関東軍が大軍を駐留させ、中国では国民党軍と戦い、その上 南方資源地帯にて米英蘭と戦い、しかも太平洋正面で米太平洋艦隊と戦う 4正面作戦を行っています。 劣勢な軍の戦術の常識として「敵の分力に味方の総力を持って戦う」 というのがあります。しかし日本は史実では「敵の分力に味方の分力を持って戦う」 と言う行動を行っています。 これでは序二段の力士(日)が横綱(米)+大関(英)には勝てないでしょう。 ですから4正面の作戦地域を縮小しないと、勝算は立たないでしょう。 方向としては2つ有ります。1つ目は「ハルノート」を受託して対ソ正面以外の 3正面で軍事行動より撤退する事。2つ目は中国と単独に講和を行い全面撤退する と同時に満州国を完全独立させ、日本の支援による満州国軍の強化と 帝国陸軍の純軍事に限定した防衛駐留により対ソ防御を行い、満州正面の軍事負担を 軽減させる。と言う2つの方法があると思います。 私は後者の道を取るべきであると思います。 (3)戦争の目的が不明確であったのではないか? 「太平洋戦争は何を目的に戦われたのでしょうか?」突拍子もない質問で 有りますが、明確にこの質問に答えられる人は何人いるでしょうか? 私の答は「自存自衛」「大東亜共栄圏の構築」と言う事になります。 只本当にこの目的は正しいのでしょうか? 開戦の詔勅では「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ 外ナキナリ」と謳っているのですが、確かに経済封鎖を打破する自存自衛の戦争 とも言えるでしょうが、経済封鎖の基となる侵略行為を引き起こしたのは日本自身 ですから、国際社会に「自存自衛」の正義を謳っても説得力はないでしょう。 又「大東亜共栄圏の構築」と言っても、朝鮮・中国に侵略活動を行っている 日本がそのような事を言っても説得力はないでしょう。「大東亜共栄圏」を 表す表現として「万邦をして各々其の所を得しむる」という言葉が使われていましたが 侵略活動をして略奪をしている国家が「大東亜共栄圏」「東亜新秩序の構築」 とスローガンを掲げ「みんな各々自分の所を独立させなさい」と言ってみても、 誰も従いません。 このような説得力のない「自存自衛」「大東亜共栄圏の構築」というスローガンで 戦ったのでは、日本に正義も大義名分もない戦争になり、先に攻撃を仕掛ける 正義も大義名分もない戦争では、勝てる戦争も勝てなくなります。 それには「自存自衛」「大東亜共栄圏の構築」と言うスローガンに実体を加える 必要があります。その為には侵略行為を中止し侵略行為に謝罪しその上で改めて 経済封鎖が解除されない状態に対し、「自存自衛」「大東亜共栄圏の構築」 をスローガンに堂々と戦争を開始するしかないでしょう。 それには(2)で述べた様な自主的な「中国撤退」「満州国の完全独立」により 身を切る行為で世界に日本は本当に「大東亜共栄圏の構築」を計る事を示す 事により、戦争目的を明確化させる必要があるでしょう。 これに中国の国民党政権を真に納得させられれば、太平洋・南方での作戦行動 に対し背後・側面を固める事にもなり、非常に意味があるでしょう。 (4)国内体制を固める必要があるのでは? 日本で戦時体制が確立したのは、1940年の「国家総動員法」の成立時です。 只その時には、日本の国力(経済力)は前年の39年を頂点に衰退を始めています。 そのような状況では、20倍の国力を持っている米国と戦争は出来ません。 史実の様に物量に圧倒されておしまいです。 1年2年で大きく国力差を縮められるとは言いませんが、縮める努力をしない 限りどうしょうもありません。 「国家総動員法」による「計画経済手法を用いた傾斜生産方式と産業統制」は 戦時経済に対し有効な手法で間違いは有りません。 只経済の根幹をなす「熟練した労働力」「生産に必要な資源」が無ければ いかに優れた方法を用いても無意味です。それに対する方法として(2)による 戦線の縮小による陸軍の限定動員解除(20個師団40万人程度)を行い労働力 に振り向ける。と同時に「大東亜共栄圏の構築」のスローガンの下独立した アジア諸国と貿易による域内通商により資源を仕入れ、日本生産物を売り 経済活動を活発化させると同時に、アジアの労働力を有償にて利用しより生産力 を向上させるしかないでしょう。 そうすれば、何とか国力破綻の危機から救われ、長期不敗の持久体制を築く事も 不可能ではなくなるでしょう。 以上の4点はあくまでも私の個人的な考え方です。 1940・41年時点の日本の国内状況を考えたら、この政策を実現するのは 非常に困難であり、それこそ国内改革派がクーデターでも起こして陸軍強行派を 追い落とす事でもしない限り、又(2)(3)に関して実行できる様な天皇陛下の 詔勅と、クーデター支持の詔勅がないとこれだけ大規模な政策転換は不可能でしょう。 しかしこのように「いかにして太平洋戦争を戦うべきか」という点を考えると、 日本に何が欠けていたのかが明らかになります。 それは「明確なビジョン」です。明確なビジョンは戦略であり、政策であり、 方向性です。大規模な行動を行うときに明確なビジョンが有りそれに基づいた 方向を国民に示し、進んでいかないと国民という個体の集合体である国家は 正しい方向へ一丸となっては進んでいきません。情報操作により国民を盲目にし だましながら進んでいくという方法もありますが、それは破綻したときには 国民の厭戦感高まり士気が低下し、一気に破局の方向へ反動で転げ落ちていきます。 そのような事を防ぎ、困難にも耐えさせる為にも、人々を導く「明確なビジョン」 が必要なのではないでしょうか。 私はそれを「大東亜共栄圏の構築」に置き、史実とは異なり(2)(3)で 述べた様に実際の行動で実証する事で、行動に裏付けされたスローガンとし 実施の為のビジョンとし対米英開戦とその戦略として(1)を経済的裏付けとして (4)を掲げ戦争を遂行すべきではなかったのではないかと思います。 史実に教訓を求められないと言う人も居ますが、「明確なビジョン」無しに 行動しているのは、今の日本も変わらないのではないでしょうか? 今の状況は「太平洋戦争」「戦後復興時代」に並ぶ国難の時代です。 「太平洋戦争」には明確なビジョンが無く失敗しました。 「戦後復興時代」は軽武装・経済優先と言うビジョンで経済復興を成し遂げました。 今の「小泉改革」に国民が納得する明確なビジョンがあるでしょうか? ビジョンがなければ、それに基づいた戦略・方針は立てられません。 明確な道筋が有れば、明るい未来を頼りに国民は現在の困難にも耐えられます。 明確なビジョンを示さないと今の日本はどうなってしまうのでしょうか? この事は今の政治家に歴史に教訓を学び実行して欲しい物です。この事例だけが 教訓となる前例ではないですから・・・ ちょっと長くなり最後は本題を外れましたが、一応これが私の考え方です。 あくまで歴史のIFの話ですが、無意味ではないと思います。 この話に意義を見いだせるの意見を是非お聞きしたいと思います。 |
「自存自衛」についてですが、「経済封鎖を招いた侵略行為」とは具体的に何を 何を指しているのでしょうか。朝鮮併合は合法的で当時の国際社会から完全に 認知されているものですし、帝国主義の当時の時代背景からすれば、日本が国際的 に非難を浴びるというものでは全くありません。満州国の成立については、確かに 九ヶ国条約違反の侵略行為といわれても仕方ない点は認めます。 しかし、日本としては当時の不安定な中国の状況下で満州鉄道の権益をどうしても 確実に守りたいという政策からやむを得ずそうした行動に出てしまったことも事実で あり、リットン調査団の報告にしても、日本を非難しつつもその立場を考慮し、妥協 的に特別地域を認めることを示唆していたはずです。さらに蒋介石とは塘沽協定により、事実上、当時中国も満州国を不承不承ながら承認するにいたっています。 日中戦争のきっかけとなった廬溝橋事件はとしては、偶然のもので、日本政府が 共同謀議を行って中国侵略を開始したものではありません。事実、休戦協定の交渉 もたれ、まとまる可能性だってありました。不幸にしてまとまりませんでしたが。 (日中戦争の本格化で一番特をしたのは中共でしょうな)。 日本が行ったことは、もちろん非難されてしかるべきことですが、決してナチスや イタリアのエチオピア侵攻のような純然たる「侵略行為」として一言で説明できる ものではないし、交渉や宣伝によっては、たとえ国際社会から是認はされなくても あれほどの経済封鎖をうけるべき筋合いのものではなかったはずです。米国が最終 的にハルノートのような強行手段に出た背景としては、もちろん、「日本と戦争に なっても全く構わない」という考えがあったことは言うまでもありません。 マッカーサーは、戦後、米上院軍事外交委員会という議会の公式の場で、「彼らが 戦争にと飛び込んでいった動機は…安全保障の必要に迫られてのことだったのです」 と自存自衛に理解を示していおり、聞くところによると、東京裁判の裁判長のウェッブ 氏も「米国も英国も日本が1941年に置かれた状況におかれれば戦争に訴えていた かも知れない」と回顧しているとのことです。 こうした状況を理解するなら、「自存自衛の主張は説得力がない」と簡単に片づけ られるものでしょうか?マッカーサーも墓の下で「僕の議会証言は一体何?」と 眼を白黒させいてるに違いありません(米国人は白青か?)。 |
> 自主的な「中国撤退」「満州国の完全独立」により > 身を切る行為で世界に日本は本当に「大東亜共栄圏の構築」を計る事を示す > 事により、戦争目的を明確化させる必要があるでしょう。 > これに中国の国民党政権を真に納得させられれば、太平洋・南方での作戦行動 > に対し背後・側面を固める事にもなり、非常に意味があるでしょう。 僕は、日本と米国との対立、及び日米交渉の真の中心は、日本の中国政策を巡って のものと認識しています。日本は日露戦勝以来、散々苦労して築き上げた大陸に おける権益を捨てたくないがために、米英と戦争に踏み切ったといっても過言では ないと思います。しかし、「中国撤退」はそれはそれで一つの決断でしょう。 ただし、「中国撤退」を決断したなら、それは米国の要求を受け入れ、戦争は捨てる ということだと思います。中国から撤退し、それをもって「大東亜共栄圏の構築」 のために新たに米英と戦争に踏み切るというのでは、「自存自衛」とはかけ離れ、 国際社会から観ればナチスと同様の完全な侵略政策ではありませんか? 日本は確かに「自存自衛」の他に「大東亜共栄圏」もスローガンとして掲げるに いたりました。その理想に燃えた知識人もいますし、理想だけでなく、実際敗戦後 にインドネシア独立のため多くの日本兵が闘った事実もあります。 しかし、中国から撤退し、一旦は米国との外交交渉妥結を想定しているなら、あえて そこから戦争に踏み切ることに何の意味があるのでしょうか。日本国民は「自存自衛」 のためなら命がけで戦うでしょうが、「日本の生命線たる満蒙」を棄て、それから 「大東亜共栄圏」という理想のためだけに戦え、というのでは、まったく力が抜けて しまいます。 国民党政権を納得させて背後を固め、米国と開戦するなどというのは、当時の状況を 完全に無視した、単に米国との戦争シミュレーションを想定したいがための発想と しか思えません。 |
私達素人が普通に思いつく事は当然彼らも考えていたんです。 開戦前に米国に提出した交渉案の中には北支、海南島等一部を除き 日中和平成立後に撤退、中国での通商自由化、三国同盟の自動参戦条項に関しても 米独開戦後も参戦しない方向で検討といった物が含まれていました。 この案は陸軍参謀本部でも承認されていますし日米間の戦争が回避されて 米国が重慶政府に介入しなければ大陸からの撤退は実行されていたでしょう。 史実では米国がこれに対してハルノートを送り開戦となった訳ですので 貴方の案も実行は不可能ですね。 |
あなたの言われているのは、1941年4月16日にアメリカへ提示された 一般的に「日米諒解案」と言われている交渉案ですね? 確かにこの交渉案は日本国内の政権・軍部でも承認されています。 (この「諒解案」を作ったのは野村駐米大使・岩畔陸軍大佐(前陸軍省軍務局軍事課長 この時には「陸軍省軍務局御用掛」という辞令で赴任中)・産業組合中央金庫理事 井川忠雄氏(前大蔵省財務官)及びアメリカのカソリック海外伝道教会事務長 ドラウト神父(後ろ盾はウオーカー米郵政長官(ルーズベルトの選挙事務長)) の4人が作った物です) 少なくともこの諒解案を作ったメンバーを見れば日米両政府に一定の影響力を 発揮でき、日本の陸海軍内にも影響力を発揮できる人物です(野村大使は予備役 海軍大将) 又この「日米諒解案」に対し4月16日米国ハル国務長官は私邸で野村大使に対して 「日本国内の合意が取れ、日本より正式に「日米諒解案」に基づき交渉が提案 されれば政府レベルで話し合いに応じる」とコメントしています。 これを岩畔陸軍大佐の発案で細工して米国提案の形で野村大使が請訓した所、 松岡外相が激怒して5月12日に強硬論の日本提案を送ることとなります。 これにアメリカが激怒して6月21日にアメリカより正式な「米国案」と オーラルステートメント(付属文章、内容は松岡外相の更迭要求、北支、内蒙古への 防共駐屯の否定)が送られ、実質的に交渉が挫折することとなります。 これを見れば日米交渉の失敗は、「ボタンの掛け違い」にあり、少なくとも はなから無理な交渉ではなく、「中国撤退」「満州国の完全独立」「満州への関東軍の 駐留」という方向をアメリカが飲む可能性は存在したと言えます。 少なくとも6月21日米国案では「非併合・無賠償・国際通商関係の無差別待遇 による中国問題の解決、満州国に関する友誼的交渉」が含まれているのですから、 実質的決裂とも言われている6月21日段階ですらまだ日本側から「中国撤退」 満州国の完全独立」「満州への関東軍の駐留」という方向を提案したら 妥結の余地があったのですからあながち不可能とは言えないでしょう? ちなみに「ハルノート」は計画的に送られた物ではありません。 「ハルノート」は実質的に又国際法的にも「最後通牒」として通るとの意見が 有るくらい強硬な文章ですが、実を言うとアメリカより提示予定の 3ヶ月有効の「暫定協定案」の付帯文章にすぎないのです。 それを「日本輸送船団南下中」の情報に激怒したルーズベルトが主文章を手交 使用としたのを中止しハル国務長官に付帯文章の「(暫定協定の3ヶ月間に日米が 検討すべき)米国が考えている一つの実行試案」を手渡したにすぎません。 このように考えれば、少なくとも1941年に入っても日米間に交渉成立の 可能性は存在していたのは厳然たる事実です。 ですから非常に困難な理想論であることは承知していますが、あながち 暫定的な日米協定を結ぶことぐらい不可能ではないでしょう。 そこからどうするかは、又別の話です。(他で書き込んでいるので・・) |
> そこからどうするかは、又別の話です。 戦わない以外に何がありますか? 戦争は外交手段の行き着いた先にある最終手段ですから 交渉が成立して危機が回避できたのならわざわざ勝ち目の極めて薄い戦争を 起こす事もないでしょうし、起こさない方向に持って行くのが普通です。 戦争を行う前提で話をするのは間違っていますし貴方の期待に添える意見は 申し訳ありませんが出せません。 |
> > そこからどうするかは、又別の話です。 > 戦わない以外に何がありますか? > 戦争は外交手段の行き着いた先にある最終手段ですから > 交渉が成立して危機が回避できたのならわざわざ勝ち目の極めて薄い戦争を > 起こす事もないでしょうし、起こさない方向に持って行くのが普通です。 > 戦争を行う前提で話をするのは間違っていますし貴方の期待に添える意見は > 申し訳ありませんが出せません。 「暫定協定案ぐらいは結べるでしょう。そこからどうするかは又別の話です」 というのはあくまでも暫定協定案=平和の継続ではないと言うことです。 確かに危機が回避できてまで戦争をする必要はありません。 又暫定協定を恒久的な平和に持っていく外交的努力をするのが、 外交の常識でしょう。 その点はあなたの言われる通りです。 只私はその外交努力が破綻する可能性に方が高いと思います。 ちょっと言葉は足りませんでしたが「そこからどうするかは又別の話」 というのは、外交努力とその破綻の後どうするかは別の話と言うことです。 破綻しないのがベストですが、私はもし日本が帝国主義を捨てても、 米国が帝国主義を捨てない限り、1941年から近いときに日米が戦うのは 残念ながら歴史の必然であると考えます。 (理由は他で書きましたので其処を参照してください。 ただすいません。沢山書き込みすぎて何処で書き込んだか思い出せません。 月曜日の午後に書いたのでその時間の私の書き込みの何処かです) ですから破綻を前提にし「大東亜共栄圏の構築」という外交的スローガンを 打ち上げ、戦争も前提にしているのです。 破綻を前提にしていますから外交的スローガンを掲げ積極的に外交攻勢を掛け より有利な体制を確立し、その結果が対米開戦であれ、より有利な体勢が出来るなら 仕方がないと考えます。 まあその外交戦にて米国を納得させ平和的に日本の目的を達成できるに 越したことはありませんが・・・ BESTは無理だろうからBETTERを前提に私は話をしました。 |
>破綻を前提にし「大東亜共栄圏の構築」という外交的スローガンを >打ち上げ、戦争も前提にしているのです。 >破綻を前提にしていますから外交的スローガンを掲げ積極的に外交攻勢を掛け >より有利な体制を確立し、その結果が対米開戦であれ、より有利な体勢が出来るなら >仕方がないと考えます。 その行動を相手が挑発と取ったらどうします? 体勢が整うまで指を咥えて見ててくれるほど周囲の国はボンクラ揃いとも思えません。 別に自国の製品が売れて物資を確保できるのなら戦争する理由も無いのですから、 欧州で戦争しているからと言って太平洋でも起こす必要も無いですし、 日和見に徹する方策を考える方が健全だと思いますが。 取り合えず場が荒れつつありますしこの辺で終わりにした方が良いと思いますよ。 |
> 戦い方としては、短期決戦・長期持久戦両方とも有りだとは思います。 戦争は普通短期決戦を想定する物で、長期持久戦はそれが失敗した場合次善の 策として行うものです。第1次大戦のシュリーフェン計画もドイツの電撃戦(対 ポーランド・西方電撃戦・バルバロッサ作戦)も全部短期決戦を想定しています。 初めから長期持久戦を想定した戦争なんて存在するんですか? > 長期持久戦にて、米太平洋艦隊を連合艦隊の > ホームグランドである「中部太平洋」にて迎撃し、一度決戦を戦った後 その艦隊決戦に敵が乗らなかったらどうするんですか?米軍のオレンジ計画では フィリピン救援のために中部太平洋に進撃する計画ですか、これではフィリピンを 攻略してないので太平洋艦隊が来るとは思えませんけど。 > それにより多大な出血を強要し米国に対し講和を提案し終戦に導く 米軍は対独戦で対日戦の倍以上の死傷者を出していますが戦意は衰えていません。 史実の5倍の死傷者が出ても講話には持ち込めないでしょうね。それに45年に なれば原爆が完成しますよ。 > 満州国を完全独立させ、日本の支援による満州国軍の強化と > 帝国陸軍の純軍事に限定した防衛駐留により対ソ防御を行い、満州正面の軍事負担を > 軽減させる。 それは史実でアメリカのやったベトナミゼーション(ベトナム化)と変わりません。 なぜベトナミゼーションが失敗したのかよく考えて下さい。 それに中華民国が満州国の独立を承認しますか?当時の満州の住民は大半が漢民族 ですから、中華民国は領有を主張するでしょうね。 http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/jinkou-m.htm > 20倍の国力を持っている米国と戦争は出来ません。 20倍ってさらっと書いてますけど、どの位の格差かわかってるんですか?現在の日本と 韓国の国力差(GNP)でさえ10対1です。当時の日本が米国と戦争するのは、現在の 韓国が日本と戦争するよりも困難なんですよ。 > 同時に「大東亜共栄圏の構築」のスローガンの下独立した > アジア諸国と貿易による域内通商により資源を仕入れ、日本生産物を売り > 経済活動を活発化させると同時に、アジアの労働力を有償にて利用しより生産力 > を向上させるしかないでしょう。 当時の日本の主輸出先や主輸入先は米英二ヶ国です。その二ヶ国と戦争している時点で すでにこの計画は破綻しているんです。まずは下のグラフを見てから書いてください。 http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/yusyutu.htm http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/yunyuu.htm > 史実に教訓を求められないと言う人も居ますが、「明確なビジョン」無しに > 行動しているのは、今の日本も変わらないのではないでしょうか? あなただってそうでしょう? あなたは「ミニマックス法」を知っていますか?ミニマックス法はシミュレーションの 基本原則で「相手がこちらの一番嫌な手を打ってくると想定した上で作戦を練ること」です。 あなたの計画はミニマックス法を無視しています。自分に都合のいいように敵が動くことを 想定して作戦を計画する。こんな物は明確なビジョンとは言いません、ただの自己満足です。 |
> 初めから長期持久戦を想定した戦争なんて存在するんですか? かろうじて、第二次大戦参戦直前のアメリカの作戦計画が該当しますかね。両面作戦に必要なだけの戦力が揃わないので、それまでは太平洋では守勢を取り、主力は欧州作戦に投入。ドイツ打倒の後兵力を太平洋にスイングさせて、消耗している日本軍を撃破。 太平洋で戦力が優位になるまで、守りに徹するつもりでしたからねえ…… |
どこから「長期戦」とするのか、定義とかはよくわかりませんが。第二次大戦の英国は、初めから長期戦を想定していたそうですよ。1939年2月の時点で、英国首脳部は次のような戦略予見をしていたとか。 エジプトは枢軸国の弱点であるイタリアを攻撃するベースとして確保するべきである。 ドイツの猛攻撃には頑強な抵抗で対処すべきである。 経済努力を強化し、そのために英連邦の支援を結集しなければならない。 米国に日本を任せ、最終的にドイツを打ち負かす時、英国が攻撃の地点を選択できる制海権を得る必要がある。 総経済戦への転換には3年を要する。 ドイツ等が短期戦を志向したのは短期戦でないと勝てないからで、「短期戦では難しいけど、長期戦でなら勝てる」という場合は、初めから長期持久戦を想定した戦争をするものだと思います。 |
ご意見は日本国内問題しか考察されて居られない。 当時アメリカ世論は戦争反対で、ル-ズベルトはイギリス救援の為にドイツと戦争するために、国際政治白痴の日本を挑発していたことを考察すると、全く違った方策が挙げられます。小室直樹氏や日下公人氏がいろいろなところで述べている事ですが。 1)石油が欲しければ、日米交渉などせずにオランダのみと戦争すればよい。 2)それが無理ならイギリス、オランダと戦争する。インド洋を制圧すれば英は、中東の石油を失い、第八軍への補給もできずにスエズを失い屈服するので、その前後にアメリカの仲介で講和する。 米世論を利用し、米を戦争に巻き込まないことが肝要でありますが、何かの拍子で開戦せざるを得ない場合は、 3)日米開戦と同時に、三国同盟を破棄する。これにより世界大戦となるのを防ぎ、ドイツに縛られずに、いいところで勝ち逃げできるように努める。 ドイツを巻き込まなければ、ル-ズベルトの思惑は外れ、クレイジ-なジャップ相手に流血を続ける意味は無いので、早々に手打ちになった可能性があります。 |
> 当時アメリカ世論は戦争反対で・・ そんなに、米国民の対日戦争回避の世論って強硬なものだったのかな? 大戦前における米国内における日本人移民排斥運動や、対日経済封鎖政策を支持したのはどこの国民だったのだろうか? 英蘭と戦争したとしても、米の介入を避けるのは難しいと思いますよ。当時の米国で日本の天皇(ヒロヒト)とドイツのヒトラーが同一視されていたわけだが。 戦争状態になった場合、後は太平洋での戦闘を局地的な、限定的なものにできるかどうかです。一つの方策として、彼らの対日反感を対ソ連及び国際共産主義に転換させられないか?ということが考えられるが。 三国同盟の破棄だけで、米国側の対日感情改善されるだろうか?独伊との条約無くとも、日本をナチス・ドイツ同様の国だとする見方は簡単には弱まらないと思うよ。スペイン内戦でドイツから協力を受けたフランコ政権は、第2次大戦中ほぼ完全に中立を貫き、どこにも軍を派遣していなかったのでは? 三国同盟無くとも中国大陸に大軍派遣したりしていたら、米国からは睨まれるだろうな。対ドイツとの同時作戦でなく、日本を後回しにする可能性もあるが。 |
ル-ズベルトは戦争はしない事を公約として再選されました。公約が嘘、デタラメトと同義の某国とはちがい、米から日本を攻撃するのは不可能でした。 当時の米世論の感心は国内と欧州のみにあり、日本などは感心の外だったので対日感情自体無いに等しいものでした。(移民問題は米国内あるいは加州内問題) またモンロ-主義や20年代の不戦主義が色濃く残っており、日欄戦争となってもオランダの植民地を守るために米国民の血を流す事には相当抵抗があったと考えられます。 |
> 当時の米世論の感心は国内と欧州のみにあり、日本などは感心の外だったので対日感情自体無いに等しいものでした。(移民問題は米国内あるいは加州内問題) では、何故、日本との経済交易とのメリットを捨ててまで、対日経済制裁行ったのでしょう?日中戦争における中国への義勇軍としてシェンノート率いるフライング・タイガースを派遣したのは何故?移民問題と絡んで、米国内に黄禍論が生じていたこと御存知ですか?そして、イエローペーパーと言われた大衆向け新聞が反日感情煽っていたわけなんですけどね。 > またモンロ-主義や20年代の不戦主義が色濃く残っており、日欄戦争となってもオランダの植民地を守るために米国民の血を流す事には相当抵抗があったと考えられます。 オランダの植民地守るのに抵抗があるのならば、インドネシアのすぐ南、英領植民地だったオーストラリアにまで日本軍の勢力が及び兼ねない事態になっても、米は無視していただろうということですかね? そんなにモンロー主義や不戦主義が色濃いならば、何で北アフリカのフランス領植民地に入ったドイツ、イタリアを追い払うべく、この地域に少数といえども米軍部隊を派遣したのだろう? そもそも、モンロー主義とは第一次大戦以前に見られたような欧州大陸内の各国間の勢力争いにアメリカは原則的に介入しない、無関係・中立の立場を取るということ。ナチスドイツの台頭や太平洋における日本との勢力確執は、こうしたモンロー主義の前提となっている国際情勢とは大幅に異なると思うんだけどな。 |
> 3)日米開戦と同時に、三国同盟を破棄する。これにより世界大戦となるのを防ぎ、ドイツに縛られずに、いいところで勝ち逃げできるように努める。 > ドイツを巻き込まなければ、ル-ズベルトの思惑は外れ、クレイジ-なジャップ相手に流血を続ける意味は無いので、早々に手打ちになった可能性があります。 日独伊三国同盟の第三条は、三国のいずれかが攻撃を受けた場合に援助する、と規定 しているもので、三国のいずれかの国がどこかの国に対して攻撃をした場合には参戦 義務はないのです。例えばドイツがソ連侵攻しても、日本はソ連戦参戦してないです よね。 だから、日本が米国を攻撃したからといって、自動的にドイツと米国も戦争となる ものではありません。史実ではドイツは真珠湾奇襲後に自分から米国に宣戦してます。 日本が、米国と同時に英国を攻撃すれば、もちろん既に英国と戦争状態のドイツと 同じ敵を持つことにはなりますが、それは三国同盟と切り離して考えることも可能 だと思います(もちろん、日独共闘するなといっているのではなくて、三国同盟を 解釈する上での話です)。 いずれ、日本が米国を「攻撃をした」場合は、独伊に三国同盟の参戦義務はなく、 直ちに世界大戦になるものではありません。 |
その通りで、リッペンロ-フは参戦義務は無いと主張したのですが、ヒトラ-が山荘にこもって考えて、参戦したんですよね。 だから破棄しなくても、参戦義務は無いと言明するだけでもいいのですが、ル-ズベルトにつけこまれないために破棄しておくのが無難かと。 |
> 1)石油が欲しければ、日米交渉などせずにオランダのみと戦争すればよい。 オランダはもちろん当時は本国をドイツに占領され、ウィルヘルミナ女王と亡命 政権はロンドンに亡命しています。 また、蘭印パレンバンの東洋有数の石油基地はイギリス系のPBMとアメリカ系 のNKPMの石油資本からなっています。 亡命政権を抱えており石油資本もある以上、蘭印資源地帯を攻撃すれば必ずイギリス も介入してくるでしょう。石油資本は米国も入っているので、もしかしたら、米国も 黙っていないかもしれません。直接権益を日本軍に武力奪取されることになるのです から。 オランダだけと戦争するというのはかなり甘いような気がします。必ずイギリスも 参戦します。さらに米国とも開戦の可能性も多少は生じるでしょう。少なくともアメ リカにとり戦争の大義名分はできます。 |
石油が目的ですから、蘭印を攻略する必要はあろません。可能なら武力で脅して石油を強奪するだけでいいのです。その際、1日本から宣戦布告はしないこと、2石油代金は送金し続けることがポイントとなります。 英は独伊と死闘の最中で、東洋で日本と火遊びする余裕はないはずです。その状況証拠としてプリンスオブウエ−ルズのシンガポ−ル入航式典が挙げられます。戦争の最中に戦艦の位置を明確にするような戦術的無謀を何故おこなったか、もちろん日本恫喝が目的ですが裏を返せば、なるべく日本と戦いたくない意味があったのではないでしょうか。だからシンガポ−ルに手を出さなければ、石油強盗ぐらいは黙認したかもしれません。 英米の石油資本にしての対日禁輸よりも石油密輸のほうが利潤があがることが分かればロ−ビ−活動に動いてくれるかもしれません。 うまく行かなければ英蘭に宣戦布告させれば、米介入は困難になると考えます。 |
この策が万能というわけではないが、日本の場合、連合国内での世論工作を含む情報・宣伝工作を軽視していたように思えるんだな。 これが最もうまいのはソ連であり、スターリン時代の強制集団化の悲劇をうまくカモフラージュし、共産主義の躍進を効果的に宣伝している。また、中国共産党もエドガー・スノーに毛沢東率いる長征を取材させ、「中国の赤い星」という中国共産党を賞賛するような本を書かせて、西欧諸国に彼等を注目させている。 さて、日本ならばどうするか。とにかく米国内での反日感情を抑制すると共に、ソ連体制の恐ろしさを彼らにわからせ、日本と手を結ぶことが必要だ、あまり追い詰めると良くない、ということを知らせる。独伊との関係からの離脱も必要だが、陸軍にはソ連通がかなりいたわけだから、その情報網を総動員して中央アジアやシベリアに送りこみ、ユダヤ人やクリミア・タタールなどスターリン体制下で僻地に送り込まれた民族と連絡を取り合う。そして彼等の悲惨な実態をマスコミに報道させるも良し、昨日まで過激な日本たたきをやっていた米国内のイエロー・ジャーナリズムに、そうしたニュースを積極的に流そう。 さらには、この弾圧を受けていた連中の蜂起を裏から支援したりする。失敗に終わる可能性も高いが、それならばソ連が彼等に如何に酷い仕打ちをしたか、生のニュースを流せる。日露戦争当時の明石機関のようなものを大々的に復活させ、スパイ工作・謀略をソ連各地で展開するわけだ。 それから、ロシア革命で米国内に亡命した白系ロシア人、39年以降になるが亡命ポーランド人といった、ソ連に反感を抱いている連中とも仲良くしておけばよい。こうした人脈を十分活用するんだな。 こういうことを昭和初期頃から継続的に続けていれば、いくら共産主義者の宣伝が盛んでも米国民はソ連との有効関係に懐疑的にならざるを得ないだろう。世論なんて大きな事件が起これば、手のひら返しのように一変するものですよ。 |
おっと、忘れてた。「反共の砦、恐怖のソ連全体主義体制に立ち向かう国、日本」として、欧米の著名ジャーナリストに提灯記事書かせないと。日本政府の公式発表なんてあまり信用されないだろうが、これが「政府から中立の真実を探るジャーナリスト・マスコミ」の記事となると、無知な大衆は途端に信じ込むものだ。 この提灯記事ってのは、色々と応用が効くから皆さんよく研究しといた方がいいよ。気に食わぬ奴を失脚させたりして、世の中をうまく渡っていくためには有効な手段だからね。 |
まず、森本忠夫の「魔性の歴史」を読んでからにしようよ とりあえず、いま書店にあるのは光文社NF文庫の 古本ではハードカバーは文芸春秋から、文春文庫にも入っています TAKAさんが立てた戦略とやらに現実味があるかどうか それから話に乗ろうじゃないか ああ、そうだ この本にはない点がひとつ 漸減作戦と真珠湾ね 南方資源地帯攻略が第一義なのはわかってると思うんですけど 漸減作戦というのは真珠湾以上に短期決戦を求めた決戦戦略ですよね とにかく太平洋艦隊さえ潰してしまえば戦争は終わる、という前提のもとに立てられた作戦です 真珠湾以上に後のことは考えていない とにかく全滅さえさせれば戦争は終わるんだから それにね、対米戦争は想定してましたとも。上記の通りの杜撰な戦略ではありますけど、作戦も戦術も望み得る最良のものだったかもしれない でも対英米蘭支なんて戦争は想定してません さて、では、もしも太平洋艦隊が思惑通りに中部太平洋に全艦隊を押し出してこなかったら…どうなりますか? アメリカはそのつもりだった、というのは後から見て言えることですよね もし、アメリカ艦隊が予想もしない方向へ動いて行方をくらましてしまえば、資源輸送路どころか、第二十五軍、第十四軍、第十七軍の攻略作戦輸送路そのものが脅かされ、連合艦隊は準備を重ねた中部太平洋での漸減作戦を捨てて、まさに「泥縄」の追いかけっこをしなければならないのではありませんか? また、動かずに真珠湾に座り込んでしまったら、決戦など起こりません。にらみ合いのまま建艦競争に入られたら勝目はありません。 南方資源地帯の占領をまず考えるならばとにかく太平洋艦隊主力を相手の思うままに蠢動させてはならない それには敵に機動の自由を与えず、開戦劈頭、根拠地を出ないうちに徹底的に叩くべきだ、というのが山本長官の考えであり、軍令部がゴーサインを出さざるを得なかった理由でもあります イギリスでも味方につけて、海軍だけで戦争するなら漸減作戦でいいんです 世界中を敵にまわして、とにかく資源を取らなくちゃいけない、となったときに漸減作戦を取ることができなくなった、漸減作戦は不合理になった、ということでしょう |
> とりあえず、いま書店にあるのは光文社NF文庫の すんません 光人社NF文庫ですね |
森本忠夫の「魔性の歴史」ですが、残念ながら読んだこと有ります。 それに今森本忠夫の「敗亡の戦略」を手元に置いて書き込みしています。 その上でお話しさせて貰いましょう。 ちなみに「敗亡の戦略」に副題は「山本五十六と真珠湾」になっています。 当然真珠湾の話も出ていますし日本の戦争遂行力の話も出ています。 「私の個人的考察」の中で述べさせて頂いている話は、あくまで理想論です。 「非常に困難」とは明言しておりますが、理想論とは述べていませんので、 誤解を招かない様にあえてここで明言しておきます。 少なくともあの時代の日本が、思い切った政策転換をすることは、前述の通り クーデターでも起きない限り不可能のIFの話です。 只あの時の日本の国力認識に関しては森本氏の見解と遠い正反対の所にいるとは 思えませんが? 森本氏も私も日本の国力認識は、1941年の状況で対米戦争に耐えられる 国力は存在しなかった。と言う点では一致していると思います。 森本氏は「日本にとって、たとえ開戦前であっても対米戦争に勝利するハードの戦備 や戦力を備えることは、当時の経済の発展段階における日米両国の国力とウオ-ポテンシャル の天と地の開きとも言うべき乖離の現実からみて絵空事にすぎない」「日本はその経済力の矮小性の故にあちらを立てればこちらが立たない、こちらを立てればあちらが立たない トレードオフの関係の中戦備の造成を決定的に制約されていた」 (敗亡の戦略より要約引用)と述べています。 私も「私の個人的考察」の(4)で述べている基本的国力認識は森本氏のとそんなに 離れていないと思います。只国力の天と地の開き(20倍の開き)を少しでも埋める為 又戦備のトレードオフの関係を緩和する為に中国よりの撤退、関東軍の縮小による 限定動員解除による労働力需給の逼迫緩和を(2)と(4)にて主張しています。 これにより臨時軍事費も削減でき、国家財政に余裕が出来、労働力増加による経済の 活発化、臨時軍事費より一般軍事費への振り替えによる軍事力(兵備)増強も期待でき 又労働力の増加は国内の可処分所得を増加させ、景気を良くし税収を上げ又軍事費 の増大は有効需要の下方限界を押し上げ、又景気が良くなる善の循環になり、中国撤退 により国際関係の好転による通商関係の一時・一部回復も期待できます。 それも又経済環境に生産力獲得・外貨獲得・需要の増大でメリットがあります。 これで20倍の差が埋まるとも思いませんが、よりベターな戦略として述べています。 国力差でどうあがいても無理というなら、私も私の個人的考察」の(2)で 述べていますが、「ハルノートを受託」して万歳するしかないのではないですか? 私はそれを踏まえた上で、一連の「私の個人的考察」を述べさせて頂いていますが・・ それと「漸減作戦」と「真珠湾」ですが、あなたの好きな森本氏は「真珠湾攻撃」 に関して、「連続攻撃主義・前方決戦主義・拡張主義・速戦主義」と評しています。 又「山本五十六の軍事戦略こそその後の太平洋戦争を巡って日本を敗北に導いた ”敗亡の戦略”に他ならまかった」と言っています。 これに関しては私も同意見です。 ちなみにあなたは「漸減作戦」を真珠湾攻撃以上の速戦主義と言っていますが、 「漸減作戦」は必ずしも速戦主義と同一ではありません。「漸減作戦」はあくまでも 中部太平洋で「対米7割海軍」にて如何にして米太平洋艦隊と戦うかという、 決戦戦術にすぎません。「漸減作戦」はその後の作戦を規定していません。 只主戦場を真珠湾より内線の中部太平洋に置いている分、持久作戦とも言えます。 確かに居座られて建艦競争を仕掛けられるのは日本に取り悪夢に近いですが、 米太平洋艦隊は一度は出撃せざる得ないでしょう。 何故なら太平洋艦隊はフィリピンを見捨てるのですか?確かに真珠湾攻撃で艦隊を 失った太平洋艦隊なら見捨てて日本の南方作戦の側面にゲリラ戦という戦術も 取れるでしょう。只真珠湾攻撃をしないのですから、低速戦艦を主体の米太平洋艦隊 主力は健在です。その状況でフィリピンを見捨てることは米世論が許さないでしょう。 正しい戦略は艦隊を真珠湾に置き「フリートインビーイング」を決め込むことと同時に 高速機動部隊でゲリラ戦を挑むことでしょう。只米国内での世論に逆らってまで 正しい戦略を実行できるほど勇気のある司令官は世論に敏感なアメリカには さすがにいないと思います。そうすると太平洋艦隊はフィリピン救援に動きざるえず、 そうすると補給の関係上、中部太平洋に進出せざる得ません。すなわちアメリカも おきまりの「オレンジ作戦」を実施せざる得ないのです。 又中部太平洋は日本本土への最短距離です。そう考えたらアメリカにとっても 中部太平洋への進出は必然となります。そうすれば日本も「漸減作戦」実施と 言うことになります。 又「漸減作戦」と「南方攻略作戦」の両立は可能です。何せ日本は南方攻略作戦時 主力戦艦部隊は瀬戸内海に、空母機動部隊は真珠湾にいて、重巡基幹の部隊で 南方を攻略したのですから・・確かに「漸減作戦」では重巡も重要な役割を 果たしますが、それは当初「漸減作戦」検討時より協力になった機動部隊と 基地航空部隊を投入できる環境を作ってあげれば「漸減作戦」アレンジ版にて 十分対応可能でしょう。 それに山本五十六が真珠湾攻撃を考えた基本は、南方資源ルートの側面防御より 森本氏の言うとおり「速戦主義・前方決戦主義・拡張主義」の第一歩という 考え方が頭の中にあったのではないですか。 確かに軍令部は側面防御の為の艦隊撃滅の側面を見てOKを出したでしょう。 只山本五十六の考え方の基本は森本氏の考え方が正しいと思いますよ。 そう考えるとあなたか私に「読みなさい」と言った森本氏の意見とあなたの意見では 違う所が出てくるのではないですか? 上記があなたの書き込みへの私の意見です。何かございましたら御反論下さい。 只一言確かに森本氏の本は素晴らしい内容であることは認めます。 只人の本を読んだ上で話に乗ろうじゃないかでは、あなたの考え方はないのですか? この人のこういう意見を踏まえて、自分の意見を述べるのが常識ではないですか? もう少し考えて物事発言した方がいいのではないでしょうか。 上述の様に基本的見解に極端な差はないと考えます。私は理想論として違う意見も 述べては居ますが、基本的認識は「対米戦遂行の国力は1941年の日本にはない」 で一致していると思います。ですからあなたが大人の発想が出来るなら、 頭ごなしに「森本氏の本を読みなさい」ではなく私の意見を熟読し 森本氏の本と比較検討した上で物事発言した方がいいと思いますよ。 |
「漸減作戦」がいずれ「艦隊決戦主義」を前提としていることは言うまでも ないことなのですから、基本的には山本五十六のように早期に艦隊決戦を 目指すか、それとも米艦隊が中部太平洋まで来るのを待つか、の違いとなるの ではありませんか。 米国がすぐ中部太平洋に出てきて、艦隊決戦となれば、いずれそこで戦争の帰趨 は決定します。日本が勝てばいいですが、負ければもはやシーレーンは分断され、 南方資源の確保とか長期持久どころの話ではありません。 あるいはもし引き分けに終わったとしても、南太平洋における米海軍のプレゼンス が一掃されるとは到底思えません。米国がまたすぐ艦隊を派遣しないとしても、 潜水艦等よる通商破壊を行われれば、海上護衛戦能力の乏しい日本はいずれ南方 資源を活用など出来ません。 確実にいえることは時間が過ぎるほどにウォーマシーンたる米国の戦力は増強され ます。たぶん、それは日本の南方資源の活用よりもずっと早いでしょう。 米国が当面ヨーロッパに主力をおいて日本に対しては通商破壊戦を行いつつ艦隊 決戦を避け、戦力が整ってから満をじして、中部太平洋にやってきたら、帝国海軍 には勝ち目はないとみます。 それを避けるためには、やはり山本五十六の考えた早期の艦隊決戦が必要なのでは ないですか? |
> 「漸減作戦」がいずれ「艦隊決戦主義」を前提としていることは言うまでも > ないことなのですから、基本的には山本五十六のように早期に艦隊決戦を > 目指すか、それとも米艦隊が中部太平洋まで来るのを待つか、の違いとなるの > ではありませんか。 その通りです。只山本五十六の考え方は戦場を敵地に求める事になります。 そうすると当然的は防備を固めて待ち受けています。そこに飛び込むより 中部太平洋で待ち受けた方が戦いやすく、勝率が上がると考え「漸減作戦」 を持ち出したのです。 > 米国がすぐ中部太平洋に出てきて、艦隊決戦となれば、いずれそこで戦争の帰趨 > は決定します。日本が勝てばいいですが、負ければもはやシーレーンは分断され、 > 南方資源の確保とか長期持久どころの話ではありません。 あるいはもし引き分けに終わったとしても、南太平洋における米海軍のプレゼンス > が一掃されるとは到底思えません。米国がまたすぐ艦隊を派遣しないとしても、 > 潜水艦等よる通商破壊を行われれば、海上護衛戦能力の乏しい日本はいずれ南方 > 資源を活用など出来ません。 > 少なくとも負ける様では戦争はそこでお終いです。 日本に短時間に激減するであろう敗北艦隊を再建する国力は 何処にもありません。多分損傷艦がドックから出れない内に米太平洋艦隊が 東京湾口に来寇して無条件降伏しかないでしょう。 引き分けでも、次の戦いを考えると次にはより戦力差が開いている 決戦になるでしょうから、やはり其処で同じ事の繰り返しになります。 ですからご都合主義と言われるのを承知で当然大勝利することを前提にしています。 私のここでの基本的考え方の一つは「日本にとって十死零生とも言える対米戦争 を九死一生にするためにはどうすればいいか?」でありその為に経済政策から 始まって、外交政策まで繰り出し、最後に勝率を1%でもあげる作戦として 「漸減作戦」を埃の中から引きずり出してきたのです。 > 確実にいえることは時間が過ぎるほどにウォーマシーンたる米国の戦力は増強され > ます。たぶん、それは日本の南方資源の活用よりもずっと早いでしょう。 > > 米国が当面ヨーロッパに主力をおいて日本に対しては通商破壊戦を行いつつ艦隊 > 決戦を避け、戦力が整ってから満をじして、中部太平洋にやってきたら、帝国海軍 > には勝ち目はないとみます。 > 順当に考えるとその通りだと思います。 只私の考えの前提は「中国撤退」で陸軍を動員解除其の余力を海軍に振り向け 同時に経済政策により国力を取り巻く環境も好転させ、米国との暫定協定も 妥協により成立させ時間を稼ぐ、と言うことになります。 ですから考えられている状況より少しはマシになるでしょう。 又米国が欧州正面に主戦力を投じてくれるのなら、もっけの幸いです。 何せ「的の分力を味方の主力で討つ」各個撃破が出来るのですから。 (これには「米国はに正面作戦を実際出来たではないか」という意見があるのを 承知の上で戦略の常道の話として聞いてください) 敵が時間を掛けて戦力を整えたら、帝国海軍も戦力を整えています。 国力環境は前述の政策により好転しているでしょう。 それを前提に考えたら、一度中部太平洋に打って出ざる得ず(この根拠は 前述べているので省略します)其処で撃滅され再建された米太平洋艦隊に対し より過去よりの戦力の蓄積度で帝国海軍は太刀打ちできるのでは?と考えます。 |
米軍が大西洋重点主義から太平洋に攻勢作戦を取り始めたのは 43年初頭です。これは1月のカサブランカ会談で、キング提督が 連合国諸国の了解を取り付けたことによります。 開戦当初に日本が真珠湾攻撃などの積極攻勢をとらず、空母を 含む米艦隊がほぼ無傷で残っているとして、43年はじめに一気に 中部太平洋に来たとしましょう。 迎え撃つ帝国海軍ですが、この開戦からわずか1年ちょっとの間に いかに南方資源を活用、または中国からの撤退により戦力充実が はかれるというのでしょうか。 個人的にはとても、開戦初頭に早期決戦をもとめる作戦と比べて勝つ 確率が上がっているとは思いません。 開戦初頭の米国の準備が整わない段階に決戦を求める方が、ずっと 勝つ確率が高いのではないですか? |
「中国との撤退」をすると言う事は、日米間の暫定交渉で1年近く 平和の時間が稼げると考えます。 そうすると43年初頭に開戦と言う事になりますがこの時期は確かに微妙です。 確かに43年初頭に開戦しその後すぐ決戦となれば対米戦力比6割ぐらいで 戦う事となります。 日本の方も戦力の充実がまだ軌道に乗ってないでしょう 只43年まで日米戦が起きないと言う事は、三国同盟の参戦条項に従った ドイツの対米参戦がないですし、そうするとアメリカの経済体制は、 戦時体制に動員は出来ず準戦時体制のままで終わり完全なる経済動員は 出来ないでしょう。 そうすると日本は41年の状況+若干の戦力増 米国はスターク案の 両洋艦隊の大部分で戦う事になります。 この場合41年段階よりこの時期の方が勝率が高いとは 必ずしも言えないでしょう。 元々困難な条件の所で考えたので・・・ 序二段が横綱から金星を取るにはどうすればよいか? と言う問題に近いぐらい困難な問題なのでなかなか難しいのですよ・・・ (完璧な答は・・・) |
開戦時期が43年以降にずれ込んだ場合ですが、このとき日本は欧米に対し、兵器 技術の分野で41年開戦の時よりも格差が生じていませんか?例えばレーダー技術。 大戦中、米国と英国はレーダー開発について技術協力していましたよね。欧州は ずっと戦争中なのですから、連合国の兵器技術開発は、ほぼ史実どおりのペースで 進んでいるはずですね。米国がたとえ欧州大戦に表面的に参戦していないとしても、 その実態はほとんど変わらないと思います。 その反面、日本とドイツの同盟が米国との外交交渉受諾で骨抜きになっていると すると、日本はドイツからの技術提供も受けられず、兵器技術水準はますますお寒い 状況なのではないでしょうか。 開戦が遅れ、日本も多少は艦隊及び航空兵力のアップができたとしても、先端技術 分野で格差が広がってしまっては、勝率はかなり低下するのではないかと考えます。 航空兵力による打撃戦でも、艦隊同士の夜戦でも、レーダー技術により作戦的レベル の奇襲攻撃が望めなくなれば、日本が大勝する率は格段に下がるでしょう。 これはやはり早期開戦、早期決戦、一発決戦勝負で負けたら、多少日本に条件が不利 でも早期講和しかありません。もちろん陸軍や国内をまとめるのは相当な困難だと思 いますが。 |
> 森本忠夫の「魔性の歴史」ですが、残念ながら読んだこと有ります。 読んだ上でこの主張とはね > 誤解を招かない様にあえてここで明言しておきます。 > 少なくともあの時代の日本が、思い切った政策転換をすることは、前述の通り > クーデターでも起きない限り不可能のIFの話です。 まあ、それはよしとしましょう > 私も「私の個人的考察」の(4)で述べている基本的国力認識は森本氏のとそんなに > 離れていないと思います。只国力の天と地の開き(20倍の開き)を少しでも埋める為 > 又戦備のトレードオフの関係を緩和する為に中国よりの撤退、関東軍の縮小による > 限定動員解除による労働力需給の逼迫緩和を(2)と(4)にて主張しています。 だから、なぜ中国から撤退してまでアメリカと戦うのか? アリエフさんへのレスからも読み取れません だいいち、これはハルノート受諾と大差ないのでは? それもいいとしましょう 中国から陸兵を100万返しても、アメリカと戦うには船がなければどうにもなりません 金が余っても原料を運び込まなければなんにもならないし、海を渡って兵隊を送らなければこれまた何にもできません 護衛艦艇の強化と船舶建造、そして再決戦用艦艇の建造はトレードオフになり、これはマンパワーの増大ではクリアできません。 > これにより臨時軍事費も削減でき、国家財政に余裕が出来、労働力増加による経済の > 活発化、臨時軍事費より一般軍事費への振り替えによる軍事力(兵備)増強も期待でき > 又労働力の増加は国内の可処分所得を増加させ、景気を良くし税収を上げ又軍事費 > の増大は有効需要の下方限界を押し上げ、又景気が良くなる善の循環になり、中国撤退 > により国際関係の好転による通商関係の一時・一部回復も期待できます。 > それも又経済環境に生産力獲得・外貨獲得・需要の増大でメリットがあります。 > これで20倍の差が埋まるとも思いませんが、よりベターな戦略として述べています。 極東ソ連軍と、満州に浸透しつつある紅軍を無視できる根拠はなんですか? また、当時の二大強国米英との対立は不可避的に貿易を沈滞化させて不景気を招くように思えます 米英蘭と対立すれば工業原料も入ってきません 船は作れないし飛行機も作れない > 国力差でどうあがいても無理というなら、私も私の個人的考察」の(2)で > 述べていますが、「ハルノートを受託」して万歳するしかないのではないですか? > 私はそれを踏まえた上で、一連の「私の個人的考察」を述べさせて頂いていますが・・ ええ、そうするしかないと思います その上でアリエフさん提示の宣伝戦に持ち込むしかないのではないかと思います 武力戦になれば負けます 長期不敗態勢、裏を返せば「勝てない」状態を作ることも難しいのではないでしょうか > それと「漸減作戦」と「真珠湾」ですが、あなたの好きな森本氏は「真珠湾攻撃」 > に関して、「連続攻撃主義・前方決戦主義・拡張主義・速戦主義」と評しています。 > 又「山本五十六の軍事戦略こそその後の太平洋戦争を巡って日本を敗北に導いた > ”敗亡の戦略”に他ならまかった」と言っています。 > これに関しては私も同意見です。 別に森本氏のファンではありませんが > ちなみにあなたは「漸減作戦」を真珠湾攻撃以上の速戦主義と言っていますが、 > 「漸減作戦」は必ずしも速戦主義と同一ではありません。「漸減作戦」はあくまでも > 中部太平洋で「対米7割海軍」にて如何にして米太平洋艦隊と戦うかという、 > 決戦戦術にすぎません。「漸減作戦」はその後の作戦を規定していません。 > 只主戦場を真珠湾より内線の中部太平洋に置いている分、持久作戦とも言えます。 これはわたしの主張と一致しています だから、南方占領作戦を抱き合わせにするには向いていないと言っています > 確かに居座られて建艦競争を仕掛けられるのは日本に取り悪夢に近いですが、 > 米太平洋艦隊は一度は出撃せざる得ないでしょう。 > 何故なら太平洋艦隊はフィリピンを見捨てるのですか?確かに真珠湾攻撃で艦隊を > 失った太平洋艦隊なら見捨てて日本の南方作戦の側面にゲリラ戦という戦術も > 取れるでしょう。只真珠湾攻撃をしないのですから、低速戦艦を主体の米太平洋艦隊 > 主力は健在です。その状況でフィリピンを見捨てることは米世論が許さないでしょう。 > 正しい戦略は艦隊を真珠湾に置き「フリートインビーイング」を決め込むことと同時に > 高速機動部隊でゲリラ戦を挑むことでしょう。只米国内での世論に逆らってまで > 正しい戦略を実行できるほど勇気のある司令官は世論に敏感なアメリカには > さすがにいないと思います。そうすると太平洋艦隊はフィリピン救援に動きざるえず、 > そうすると補給の関係上、中部太平洋に進出せざる得ません。すなわちアメリカも > おきまりの「オレンジ作戦」を実施せざる得ないのです。 それが後知恵だといっているのです 当時の我が軍首脳部はそれを知っていましたか? 米軍は本当に確実にそう動くのですか? それこそ真珠湾など問題にならないほど投機的な大博打です それに、オレンジではグアム・フィリピンの放棄は既定方針でしたよ 確かにルーズベルトはそうすることはできませんでしたが、そうなるという保証はどこにあるというのですか? > 又中部太平洋は日本本土への最短距離です。そう考えたらアメリカにとっても > 中部太平洋への進出は必然となります。そうすれば日本も「漸減作戦」実施と > 言うことになります。 必然とは? もっとも蓋然性が高い、という以上のことは言えないのではありませんか? 日本海海戦の直前の連合艦隊司令部の焦慮っぷりを見てください 対馬か津軽か宗谷か 今回、敵が動き回れる範囲はいったい何倍になっていることやら > 又「漸減作戦」と「南方攻略作戦」の両立は可能です。何せ日本は南方攻略作戦時 > 主力戦艦部隊は瀬戸内海に、空母機動部隊は真珠湾にいて、重巡基幹の部隊で > 南方を攻略したのですから・・確かに「漸減作戦」では重巡も重要な役割を > 果たしますが、それは当初「漸減作戦」検討時より協力になった機動部隊と > 基地航空部隊を投入できる環境を作ってあげれば「漸減作戦」アレンジ版にて > 十分対応可能でしょう。 敵が中部太平洋に「絶対に」来るという想定のもとに、ですね わたしが軍令部総長、あるいは参謀総長だとしたら認可できません、そんな作戦 > それに山本五十六が真珠湾攻撃を考えた基本は、南方資源ルートの側面防御より > 森本氏の言うとおり「速戦主義・前方決戦主義・拡張主義」の第一歩という > 考え方が頭の中にあったのではないですか。 それに何か問題でも? 自給体制を整えるとしても、いまここでの作戦にはまるっきり間に合わないのですから手持ち兵力を考えれば速戦で行くしかないように思えます 資源地帯を戦場にしてはいけないのですから、戦線は前に出すのが当然ではないでしょうか 資源地帯を「後方」にするためには広大な地域を守る必要があり、それを守るにはまったく兵力が足らない 「守れば足らず、攻むれば餘りあり」 連続攻撃主義をとって相手の出てくるところを叩くしかないでしょう 日本が持久態勢をとって対峙状態になれば、戦争は軍備競争になります 戦争が長引くだけで結果は同じです 例えば、ミッドウェー作戦は、米海軍の残存空母戦力を撃滅する作戦として適切なものだったと思えます 戦務不行き届きで結果として失敗しましたが、あそこで米空母を返り討ちにできた可能性は多分にあり、そうしたらガダルカナルへの反攻どころの話ではなくなるでしょう > 確かに軍令部は側面防御の為の艦隊撃滅の側面を見てOKを出したでしょう。 > 只山本五十六の考え方の基本は森本氏の考え方が正しいと思いますよ。 > そう考えるとあなたか私に「読みなさい」と言った森本氏の意見とあなたの意見では > 違う所が出てくるのではないですか? 森本氏の意見を鵜呑みにせよなんて言っていません 必要と思われる叩き台となるべき知識が要領よくまとまっている本だと思ったので指定したまでのことです |
> > 又「漸減作戦」と「南方攻略作戦」の両立は可能です。何せ日本は南方攻略作戦時 > > 主力戦艦部隊は瀬戸内海に、空母機動部隊は真珠湾にいて、重巡基幹の部隊で > > 南方を攻略したのですから・・確かに「漸減作戦」では重巡も重要な役割を > > 果たしますが、それは当初「漸減作戦」検討時より協力になった機動部隊と > > 基地航空部隊を投入できる環境を作ってあげれば「漸減作戦」アレンジ版にて > > 十分対応可能でしょう。 > > 敵が中部太平洋に「絶対に」来るという想定のもとに、ですね > わたしが軍令部総長、あるいは参謀総長だとしたら認可できません、そんな作戦 ああ、それとね 重巡というより、水雷部隊がいないってことなんだよね、これは 駆逐艦が必要数いないの 船団の護衛に第一線の水雷戦隊をいくつか割いちゃってるでしょう 駆逐艦の魚雷なしで漸減作戦は成り立たないですよ 機動部隊と基地航空隊? 戦場に雨が降ってたらどうすんの? |
> だから、なぜ中国から撤退してまでアメリカと戦うのか? > アリエフさんへのレスからも読み取れません > だいいち、これはハルノート受諾と大差ないのでは? ハルノートの受諾だけで米国が済ませてくれればいいですけどね。 私の考えは、その後も米国は太平洋地域で目の上のたんこぶの戦力と勢力を持つ 日本に対し有りとあらゆる外交的攻撃を仕掛けてくるでしょう。 その時も「臥薪嘗胆」にて耐え抜くのですか? 私は、戦略の再構築の時間稼ぎの為の「一歩後退二歩前進」のために 「中国撤退」を含む外交上の妥協と戦略の再構築を考えています。 > それもいいとしましょう > 中国から陸兵を100万返しても、アメリカと戦うには船がなければどうにもなりません > 金が余っても原料を運び込まなければなんにもならないし、海を渡って兵隊を送らなければこれまた何にもできません > 護衛艦艇の強化と船舶建造、そして再決戦用艦艇の建造はトレードオフになり、これはマンパワーの増大ではクリアできません。 確かに日本には600万トンの船舶しか有りません。 護衛艦艇の強化と船舶建造、そして再決戦用艦艇の建造はトレードオフ になるのも事実です。これをクリアするのは容易ではありません。 戦前の企画院の試算では、日本の国力維持には最低450万トンの船舶が 必要との結果が出ています。又日本が太平洋戦争の緒戦にて徴用した船舶は 450万トン都合300万トン足りなくなります。 単純に考えて1万トン級の優秀船舶300隻が不足します。 300隻を生産するのは確かに容易ではありません。 その為に、対米戦争で前方への積極的攻撃ではなく、中部太平洋での 持久作戦を考え(ソロモン当たりの遠方への作戦に対し必要な船舶数は かなり減少するはずです)対米妥協を計り稼いだ時間と、其処で入手した資源を 使用し、国内の経済体制を前述の様に変換し生産力を増大しこのトレードオフ を緩和させ様と考えました。 > 極東ソ連軍と、満州に浸透しつつある紅軍を無視できる根拠はなんですか? > また、当時の二大強国米英との対立は不可避的に貿易を沈滞化させて不景気を招くように思えます > 米英蘭と対立すれば工業原料も入ってきません > 船は作れないし飛行機も作れない 極東ソ連軍に対しては当然考慮に入れています。 「満州国の完全独立」によりかなりの規模の「満州国軍」を作ることは、 関東軍の大兵の駐留より、経済的にローコストですし、極東ソ連軍に対する 牽制になります。又ソ連は1941年6月にドイツの侵略を受けますが、 その時ソ連もドイツ領への侵略計画を持ち、独ソ国境に両軍とも大兵を 置いていたことは、日本も知る事実です。ですからソ連の戦略的重点は 欧州正面に置かれており、極端な極東ソ連軍脅威を言うのも、 ナンセンスだと思います。ソ連とて二正面作戦は困難ですから・・ 又中国共産党の満州への影響力拡大はそんなに考慮しなくても良いと考えます。 なぜなら、日中間の講和成立は西安事件による国共合作の終演を意味します。 そうすれば、国共間の対立は必然であり、共産党にしたら満州どころでは 無くなります。又この当時の中国共産党の力をご存じですか? 鉄砲しか持たず、スターリンは毛沢東より蒋介石を買っていてソ連の支援も少ない ゲリラ集団にすぎません。共産党が力を付けるのは1944年以降です。 又毛沢東のゲリラ作戦の基本である「農村より都市を包囲する」手法は 広大な満州では不適当な作戦です。満州内で馬賊だの共産党だのは、 討伐部隊を送れば良いぐらいの対処療法で良いでしょう。 > ええ、そうするしかないと思います > その上でアリエフさん提示の宣伝戦に持ち込むしかないのではないかと思います > 武力戦になれば負けます > 長期不敗態勢、裏を返せば「勝てない」状態を作ることも難しいのではないでしょうか > 確かに武力戦で「必勝」とは言ってませんよ。 只宣伝戦で米国の上手を行くことの方がよほど困難(≦不可能)だと思いますよ。 他でも述べましたが「十死零生」を「九死一生」に替える、すなわち勝算をあげる 方策として私の考え方を述べています。 ハルノートの受諾をしてその後宣伝戦で切り抜ける考えよりはまだ勝算有りと 考えます。もしその後米国が出してくる無理難題をクリアできず より不利な条件で戦争になったらどうするのですか? > > > > それが後知恵だといっているのです > 当時の我が軍首脳部はそれを知っていましたか? > 米軍は本当に確実にそう動くのですか? > それこそ真珠湾など問題にならないほど投機的な大博打です 歴代帝国海軍首脳部(山本五十六を除く)は米軍が中部太平洋に侵攻すると 確信していたからこそ「漸減作戦」を対米作戦の基本に据えていたのではないですか。 世の中にに100%とはありませんから絶対とは言いませんが 「米軍は本当に確実にそう動くのですか?」という考えこそ後知恵ではないですか? それとも歴代帝国海軍首脳部はおろかで、敵の来そうにない所での決戦計画を 作っていたのでしょうか?常識的に考えれば米軍の侵攻ルートは史実でミミッツの 太平洋艦隊が行った作戦通り中部太平洋ルートだと思いますが? まあ最終的には確率論ですから絶対はありませんが、必然はあると思います。 > 敵が中部太平洋に「絶対に」来るという想定のもとに、ですね > わたしが軍令部総長、あるいは参謀総長だとしたら認可できません、そんな作戦 でも歴代軍令部総長は敵が中部太平洋に「絶対に」来るという想定の 「漸減作戦」をずっと認可してきましたけど。 日本の歴代軍令部総長はあなた以下の愚か者なんですか? > それに何か問題でも? > 自給体制を整えるとしても、いまここでの作戦にはまるっきり間に合わないのですから手持ち兵力を考えれば速戦で行くしかないように思えます > 資源地帯を戦場にしてはいけないのですから、戦線は前に出すのが当然ではないでしょうか > 資源地帯を「後方」にするためには広大な地域を守る必要があり、それを守るにはまったく兵力が足らない > 「守れば足らず、攻むれば餘りあり」 > 連続攻撃主義をとって相手の出てくるところを叩くしかないでしょう > 日本が持久態勢をとって対峙状態になれば、戦争は軍備競争になります > 戦争が長引くだけで結果は同じです > > 例えば、ミッドウェー作戦は、米海軍の残存空母戦力を撃滅する作戦として適切なものだったと思えます > 戦務不行き届きで結果として失敗しましたが、あそこで米空母を返り討ちにできた可能性は多分にあり、そうしたらガダルカナルへの反攻どころの話ではなくなるでしょう 確かに兵力が足らず、その為には主導権を握れる攻勢作戦が望ましいのも 分からないでもありません。でも600万トンしかない商船の取り合いを している様な日本の国力でどうやって遠方での長期間の大作戦を支えるのですか? 作戦範囲が延びれば必然的に後方の船舶は必要になります。 確かに未熟な国力を隠蔽しつじつまを合わせる方法として連続攻撃主義というのも 分かりますが、どんどん攻撃していって攻勢限界点を越えた所を叩かれたら どうするのですか?余力のない国力ですから当然攻勢限界点は遠くない所に 出来てしまいます。実際ガタルカナル戦はその象徴ではないでしょうか? 遠くない所に攻勢限界点が出来るのなら、「漸減作戦」とフリートインビーイングを 併用した中部太平洋での持久作戦でも大差はないのですか? 確かにジリ貧になりかねない作戦ですが、投機的作戦よりマシではないですか? |
> ハルノートの受諾だけで米国が済ませてくれればいいですけどね。 > 私の考えは、その後も米国は太平洋地域で目の上のたんこぶの戦力と勢力を持つ > 日本に対し有りとあらゆる外交的攻撃を仕掛けてくるでしょう。 > その時も「臥薪嘗胆」にて耐え抜くのですか? > 私は、戦略の再構築の時間稼ぎの為の「一歩後退二歩前進」のために > 「中国撤退」を含む外交上の妥協と戦略の再構築を考えています。 中国から撤退した日本は、どこでアメリカの国益と衝突するのですか? あの当時でも日本はアメリカのお得意先なんです アメリカにとって日本を意味もなく潰すのは損害です また、外交的攻撃を仕掛けられているのは、現在も同様です しかし、それが刀を抜き合わせるような対立になるのでしょうか > 確かに日本には600万トンの船舶しか有りません。 > 護衛艦艇の強化と船舶建造、そして再決戦用艦艇の建造はトレードオフ > になるのも事実です。これをクリアするのは容易ではありません。 > 戦前の企画院の試算では、日本の国力維持には最低450万トンの船舶が > 必要との結果が出ています。又日本が太平洋戦争の緒戦にて徴用した船舶は > 450万トン都合300万トン足りなくなります。 > 単純に考えて1万トン級の優秀船舶300隻が不足します。 > 300隻を生産するのは確かに容易ではありません。 > その為に、対米戦争で前方への積極的攻撃ではなく、中部太平洋での > 持久作戦を考え(ソロモン当たりの遠方への作戦に対し必要な船舶数は > かなり減少するはずです)対米妥協を計り稼いだ時間と、其処で入手した資源を > 使用し、国内の経済体制を前述の様に変換し生産力を増大しこのトレードオフ > を緩和させ様と考えました。 造船所自体が足りないし、製鉄所も足りないです 熟練工も足りません なにより、南方には鉄も石炭もありません 中国の鉄鉱石と石炭は高品質の鋼鉄を作るには、当時の技術では使いものになりません > 極東ソ連軍に対しては当然考慮に入れています。 > 「満州国の完全独立」によりかなりの規模の「満州国軍」を作ることは、 > 関東軍の大兵の駐留より、経済的にローコストですし、 そうでしょうか? 満州国軍をどのような軍隊にするかによると思いますが ソ連軍に対抗可能な軍隊を作るとすれば、日本は二カ国の陸軍を近代化するだけの兵器を用意できると? > 欧州正面に置かれており、極端な極東ソ連軍脅威を言うのも、 > ナンセンスだと思います。ソ連とて二正面作戦は困難ですから・・ では、なぜ陸軍の主敵はソ連なのでしょうか > 又中国共産党の満州への影響力拡大はそんなに考慮しなくても良いと考えます。 > なぜなら、日中間の講和成立は西安事件による国共合作の終演を意味します。 > そうすれば、国共間の対立は必然であり、共産党にしたら満州どころでは > 無くなります。又この当時の中国共産党の力をご存じですか? > 鉄砲しか持たず、スターリンは毛沢東より蒋介石を買っていてソ連の支援も少ない > ゲリラ集団にすぎません。共産党が力を付けるのは1944年以降です。 日本を牽制する力量において国民党の方が上だと踏んでいるからですね 国民党が日本と講和すればソ連も方針を変えると思いますが 本来、国民党とはイデオロギー的に相容れないでしょう 「敵の敵は味方」に沿っての国民党支援だったはずです > 又毛沢東のゲリラ作戦の基本である「農村より都市を包囲する」手法は > 広大な満州では不適当な作戦です。満州内で馬賊だの共産党だのは、 > 討伐部隊を送れば良いぐらいの対処療法で良いでしょう。 それをしながら満州国軍を育成ですか。 何年かかるでしょうね > 確かに武力戦で「必勝」とは言ってませんよ。 > 只宣伝戦で米国の上手を行くことの方がよほど困難(≦不可能)だと思いますよ。 > 他でも述べましたが「十死零生」を「九死一生」に替える、すなわち勝算をあげる > 方策として私の考え方を述べています。 > ハルノートの受諾をしてその後宣伝戦で切り抜ける考えよりはまだ勝算有りと > 考えます。もしその後米国が出してくる無理難題をクリアできず > より不利な条件で戦争になったらどうするのですか? だから、なぜ無理難題が来るのですか? > 世の中にに100%とはありませんから絶対とは言いませんが > 「米軍は本当に確実にそう動くのですか?」という考えこそ後知恵ではないですか? 後知恵って言葉の意味知ってますか?? 軍令部員だったとして、作戦に確実を期するなら当然でしょう? とにかく、南方資源地帯の占領は絶対に失敗できないのです > それとも歴代帝国海軍首脳部はおろかで、敵の来そうにない所での決戦計画を > 作っていたのでしょうか?常識的に考えれば米軍の侵攻ルートは史実でミミッツの > 太平洋艦隊が行った作戦通り中部太平洋ルートだと思いますが? > まあ最終的には確率論ですから絶対はありませんが、必然はあると思います。 アメリカ海軍だってバカじゃないです 日本が南方資源地帯の占領を狙っていると知れば、当然それに応じた作戦を取ってくると考えて然るべきかと思うのですが 作戦初動でそれを阻止できる可能性があるとするならなおさらでしょう ニミッツの作戦は真珠湾で先手を取られて「やりなおし」でやっている作戦であり、かつ南からの陸軍の作戦にも呼応していることをお忘れなきよう > でも歴代軍令部総長は敵が中部太平洋に「絶対に」来るという想定の > 「漸減作戦」をずっと認可してきましたけど。 ええ、戦争の「質」が違いますから アメリカのほかにイギリスとオランダと同時に開戦して、南方資源地帯を占領するなんて想定はしてませんもの > 確かに兵力が足らず、その為には主導権を握れる攻勢作戦が望ましいのも > 分からないでもありません。でも600万トンしかない商船の取り合いを > している様な日本の国力でどうやって遠方での長期間の大作戦を支えるのですか? > 作戦範囲が延びれば必然的に後方の船舶は必要になります。 > 確かに未熟な国力を隠蔽しつじつまを合わせる方法として連続攻撃主義というのも > 分かりますが、どんどん攻撃していって攻勢限界点を越えた所を叩かれたら > どうするのですか?余力のない国力ですから当然攻勢限界点は遠くない所に > 出来てしまいます。実際ガタルカナル戦はその象徴ではないでしょうか? > 遠くない所に攻勢限界点が出来るのなら、「漸減作戦」とフリートインビーイングを > 併用した中部太平洋での持久作戦でも大差はないのですか? > 確かにジリ貧になりかねない作戦ですが、投機的作戦よりマシではないですか? どこがどうマシなのか伺いたい わたしはこれで勝てるとは一言も言っていないし、戦争遂行上有利だとも言っていない ただ、実施部隊の長である連合艦隊司令長官としてできるだけのことをやるとしたら、この方策は合理性のあるものだ、と言っているのです とりあえず 敵がどう動くかの想像力がまったくなく、あまりに自己に都合よすぎる 戦略を云々するなら、相手も物を考えているのだということぐらい頭に入れとくといいですね それに、IFを同時にいくつも置いて想定した状況を検討したところで、役に立つ「教訓」とやらが生まれるとも思えない 要するに、あの戦争に武力戦で勝たせてみたいだけなんでしょ 条件の現実味なんかどうでもよくてさ それにどんな意味があるんだか知らないけど だったら余計なこと言わずにそう言えばいいのに 以上をもちまして わたしは決戦を避けて艦隊保全に回ります ああ、なんとでも言ってください 決戦強要がどんなに難しいかよくわかると思います |
私は別にダメで結構です。 あなたを説得しようとも思っていません。 あなたの疑問事項にお答えしていただけです。 私はあなたみたいに一冊の本を読んでそれを読めなどと言う 話の仕方はするつもりは一切ございません。 只私は自分の意見を納得しないで曲げる気もありません。 「艦隊保全」でも何でもお好きにどうぞ。 只最初に高圧的に出てきたのはあなたですから 私は「見敵必殺」「売られた喧嘩は死んでも買う」 が信念ですから、ここまで御相手してきましたが 最後に「なんとでも言ってください」なんて議論にあるまじ 言葉でしめられるのなら議論にもならないですから ここら辺で終わりに致しましょう。 只皆さんが見る事の出来る掲示板なんですから 暴言でなくもう少し綺麗な言葉を使って欲しいですね。 |
すいません、一言だけ言わせてください。 もしこれが気に障ったら抗議文を送って頂いても結構です、 甘んじて受けますので。 > 私は別にダメで結構です。 > あなたを説得しようとも思っていません。 我を押しつけているとしか見えません。 > あなたの疑問事項にお答えしていただけです。 > 私はあなたみたいに一冊の本を読んでそれを読めなどと言う > 話の仕方はするつもりは一切ございません。 端から見ているとなんだか「モハメド・アリVSアントニオ猪木」になってる 感じです。 「K−1」にしようと思い、共通の物を作ろうとして「これを読んでみて」 と、言ったのでは? 私にはそう見えます。 > 只私は自分の意見を納得しないで曲げる気もありません。 考え方を曲げないのは立派です。 > 「艦隊保全」でも何でもお好きにどうぞ。 でも、人の考え方を否定するのはどうかと思います。 この一文からはまなかじさんの人格を含めて全否定しようと している様にしか見えません。 > 只最初に高圧的に出てきたのはあなたですから 貴方も十分高圧的です。 > 私は「見敵必殺」「売られた喧嘩は死んでも買う」 > が信念ですから 信念を持っているのも立派です。 けど、それじゃあ世の中行けない事も多いんです。 例え話として、 貴方は会社員です。 一番の得意先の担当者から理不尽なクレームが来ました。 相手は高圧的で且つ喧嘩腰で文句を言っています。 さて、貴方は信念を貫き通しますか? たとえ、それが原因でそことの取引が無くなっても? それが元でリストラが始まって貴方が首になって 更に同僚達が首になっても? 私は明日の為と割り切ってそれを受け入れます。 今日の100円より明日の1000円が大事ですから。 > 最後に「なんとでも言ってください」なんて議論にあるまじ > 言葉でしめられるのなら議論にもならないですから > ここら辺で終わりに致しましょう。 同感です。喧嘩は早期終了に限ります。 > 只皆さんが見る事の出来る掲示板なんですから ええ、お気に入りに入れているような人は見ているでしょうね。 前回、私の「馬鹿」論に対して貴方が行った返答に対して答えず、 メールアドレスを書いたのは、 みんなが見る所で不快感を示した人がいたからです。 更にそれが、ここのサイト有数の穏健派であるささきさんですからね。 おとなしい人が怒った時ほど恐ろしい物はありません。 だから、論議をする為に自分のアドレスを書いた訳です。 貴方から逃げた訳ではありません。 それと前回の事で一つ。 プレジデントに戦争と歴史の特集が組まれているのは当たり前です。 両方とも経済の一側面です。 関西以外の出身ですか?それなら「アホ」を親しみで使っている関西人の 気持ちはわからないでしょうね。 だから「阿呆でも可」と書いたんですよ。 「アホの坂田」師匠の「アホ」を本当に侮辱で使っている 関西人はいますか? それと「人間はある面では馬鹿である」と言う話の返事を 聞かせて貰っていません。 納得したならしたでその旨を書いてください。 > 暴言でなくもう少し綺麗な言葉を使って欲しいですね。 これも立派な暴言です。 あなた、「頭のいい子供」みたいです。 「汚い大人」になる必要はありませんが冷めた見方の出来る 「大人」になってください。 TAKAさんの知識量は価値のある物ですから Ans.Q等で生かしてください。 私の言いたい事は以上です。 TAKAさんの意見を待っています。 |
「あず吉」様のご指摘通りこの議論の中で一部の方と私の間で 感情的議論があり不快な思いをさせた事に対し「あず吉」様を始め このボードにて議論をしている皆様に謝罪させて頂きます。 只私はこの場では自由な討論がされるべきであると考え 自分の信念について、正当である事については認め妥協してきたつもりですが 違う事について信念を貫き通すべきであると考え、書き込みさせて頂いております。 商売で有れば利益を度外視して信念を貫く事は、私もよっぽどする事は有りませんが ここはその様な場所でないと考えあえて自分に素直に信念を貫きました。 この議論の場がその様に自由な議論の場でないと言う事で有れば、 ご指摘いただければ、今後私も考えますので宜しくお願い申し上げます。 (PS:「あず吉」様 私は残念ながら生まれながらにして東京出身で 関西に行ったことなく、関西にも知り合いは殆どいません。 又無知で申し訳有りませんが「坂田」さんという芸人も知りませんでしたし 坂田氏がその様に親しみを持って「アホ」という名前を使われているとは 残念ながら知りませんでした。当然私は親しみを持って「アホ」「馬鹿」 と言う言葉を使いませんですので、あの様な議論になったと思います そういう訳ですので関西の事を知らず「無知な私」の発言をお許し下さい。) |
大正時代からか、それとも41年初めからか、どれ位のタイムスパンで政策論展開するのかよくわからんけど、いくら「大東亜共栄圏」のスローガンを日本政府が宣伝した所で、中国人民や国民党の蒋介石等が簡単に信じ込むわけがない。中華思想の下では日本なんて東方の野蛮国に過ぎないからね。 さて、そもそも外交・軍事の基本はできるだけ闘わずに最大限の利益を得ることですよ。開戦なったとしても局地戦ないし軍同士のにらみ合いで終止させ、できるだけ早期に外交交渉でけりをつける。この発想から来ているのが海軍の決戦思想なんじゃない? 艦砲外交やりつつ、宣伝工作によって米国内の対日感情の悪化を防ぐ、英国に対して対ソ政策としての同盟結ぶこと考える(英植民地はそのまま認め、植民地内の共産シンパ排除に協力する)、という手もあるでしょ。 ま、ここに掲げたのも結果論に過ぎんかもね。当時の日本は独伊それにソ連との枢軸で米英に対抗可能だとする考え方がかなり強かったわけだから。 |
> 大正時代からか、それとも41年初めからか、どれ位のタイムスパンで政策論展開するのかよくわからんけど、いくら「大東亜共栄圏」のスローガンを日本政府が宣伝した所で、中国人民や国民党の蒋介石等が簡単に信じ込むわけがない。中華思想の下では日本なんて東方の野蛮国に過ぎないからね。 私は個人的には1939年〜40年位をスタートに考えています。 本来なら議論の発起人として前提にタイムスパンを入れるべきでしょうが 申し訳有りませんがあえて入れませんでした。何故なら前提にとらわれない 自由な議論をしたかったからです。 なぜ私がこの時期をスタートと考えたかと言えば、41年では時間がなさ過ぎて 何も出来ないし、私は個人的には「太平洋戦争は帝国主義国家間の最後の覇権 戦争」であると考えていますし、その前提を崩すには日本が帝国主義を捨てるしか 無いと考えます。そうすると日清戦争前に戻らないと帝国主義は捨てられません。 その為「帝国主義国家日本に取り太平洋戦争は歴史の必然」であると考え、 只帝国主義自身は問題のある捨てるべき主義思想ですから、それに変わる 物として「大東亜共栄圏の構築」を謳ったのです。只私の「大東亜共栄圏の構築」 に関する考え方は、理想的「大東亜共栄圏」と帝国主義的「大東亜共栄圏」の 中間です。すなわちアジア諸国は独立してもふらふら状態、と言って 史実の通りでは帝国主義とは変わらないので、私は日本の指導の下独立させ 外交・軍事的には連合体、内政的には完全独立、経済的には日本の協力と指導の下 「ロストウの経済発展段階説」のように雁行的に植民地経済より離脱させ、 日本の指導の下ブロック経済を作る。と言うことです。 20〜30年たてばこのような保護的な体制は要らなくなるでしょう。 その時は別に考えればよいのです。 只このような体制を考えれば、やはり米帝国主義との対立は避けられないでしょう。 帝国主義を捨てても(捨てきれてないかもしれませんが・・)「日本に取り 太平洋戦争は歴史の必然」と言う命題から避けることは出来なくなります。 その為に「対米開戦」を前提に考えているのです。 私は平和主義者ではありませんが、戦争大好きと言う訳でもありません。 今回はこの必然性から戦争が前提となっています。 中国に関して言えば、あの国は中立で有ればOK位に考えています。 上記スキームに中国を入れるのは不可能と考えます。 それに日本と私の考える「大東亜共栄圏」体制に中国を背負い込むと負担が 大きすぎます。あくまでも中立、出来れば閣外協力ぐらいが理想です。 それに中国人民は「メンツが強い」ですから、自主独立を歩むでしょう。 協力でき双方が利益になることに対しケースバイケースで対応すれば良いのでは? >さて、そもそも外交・軍事の基本はできるだけ闘わずに最大限の利益を得ることですよ。開戦なったとしても局地戦ないし軍同士のにらみ合いで終止させ、できるだけ早期に外交交渉でけりをつける。この発想から来ているのが海軍の決戦思想なんじゃない? > 艦砲外交やりつつ、宣伝工作によって米国内の対日感情の悪化を防ぐ、英国に対して対ソ政策としての同盟結ぶこと考える(英植民地はそのまま認め、植民地内の共産シンパ排除に協力する)、という手もあるでしょ。 > ま、ここに掲げたのも結果論に過ぎんかもね。当時の日本は独伊それにソ連との枢軸で米英に対抗可能だとする考え方がかなり強かったわけだから。 「戦わずして最大限の利益を得」これは仰る通りです。 孫子が言うとおり戦争は下策であることは百も承知していますが 只私は戦争の歴史的必然から抜け出す策を「ハルノートの受託」による全面撤退 以外に見いだせず、あのような意見になりました。私の私見としてご理解下さい。 後最終的な終結手段も理想的な皆さんの前で言える様な物は見いだせませんでした。 本来終結を考えない戦争は下の下策ですが、これだけは最終的に皆さんとの 議論の中で、考えようと思いあえて書き込みませんでした。 あなたの言っていることも、一策ではあると思います。 |
割り込んですいません。 > 史実の通りでは帝国主義とは変わらないので、私は日本の指導の下独立させ > 外交・軍事的には連合体、内政的には完全独立、経済的には日本の協力と指導の下 「ロストウの経済発展段階説」のように雁行的に植民地経済より離脱させ、 > 日本の指導の下ブロック経済を作る。と言うことです。 > 20〜30年たてばこのような保護的な体制は要らなくなるでしょう。 (米英蘭仏の)植民地を日本の指導の下独立させる、とのことですが、これは日本が 武力解放する(すなわち戦争)ということではないのですか?だとすればその時点 で太平洋戦争ですが…。 それとも、もしかして、日本が中国・朝鮮から手を引いて「我が国はこのとおり 帝国主義と決別しました。各国の皆さんも植民地を独立させましょう」と運動すれば、 各国もその志に感動共鳴して、自主的に植民地の独立を認める、という虫のいい話 なのでしょうか? > 只このような体制を考えれば、やはり米帝国主義との対立は避けられないでしょう。 > 帝国主義を捨てても(捨てきれてないかもしれませんが・・)「日本に取り > 太平洋戦争は歴史の必然」と言う命題から避けることは出来なくなります。 > その為に「対米開戦」を前提に考えているのです。 これは、たとえ日本が中国と中立善隣協力し、アジアの(旧)植民地諸国と協調的な ブロック経済体勢を築いたとしても、ゆくゆくは米帝国主義とは歴史的必然で対立状態 となる。そのために対米開戦を考えるということなのですね…。一応確認させてもら います。今時なかなか興味深い意見なので。 |
> > (米英蘭仏の)植民地を日本の指導の下独立させる、とのことですが、これは日本が > 武力解放する(すなわち戦争)ということではないのですか?だとすればその時点 > で太平洋戦争ですが…。 > それとも、もしかして、日本が中国・朝鮮から手を引いて「我が国はこのとおり > 帝国主義と決別しました。各国の皆さんも植民地を独立させましょう」と運動すれば、 > 各国もその志に感動共鳴して、自主的に植民地の独立を認める、という虫のいい話 > なのでしょうか? 理想論を言えば後者ですが、私だっていくら何でもこのような理想論が通るとは 思っていません。一度は訴えかけとして後者を言うことは必要でしょう。 只それで独立が達成できるとは思っていません。 ですから日本が自分で模範を示しつつ(朝鮮に関しては一定期間の「自治領」 として保護国化を図り、期間を定めブロック内で自助に独立させるしか有りません) 東南アジアを日本の指導下で独立させ日本の指導下の経済ブロックを作るのが 現実的でしょう。 只これでも帝国主義的要素は入っていますから、当然この段階で「太平洋戦争」 突入は避けられないでしょう。 只この戦争には「大義名分」があります。 確かに史実の中では日本の「自存自衛」という概念は、欧米でも理解を得ているのも 事実ですし、日本に「共同謀議による侵略」無かったのも事実です。 この点に関しては完全に同意致します。 只「共同謀議による侵略」が無くても、なし崩し的であり侵略があったのも 事実です。朝鮮に関しては仰るとおり国際法上合法な併合です。 只満州国に関しては現地軍が暴走したといえどもなし崩し的侵略です。 塘沽停戦協定により不承不承認めていると言え、張学良の1928年の「易幟」により (青天白日旗を掲げることで国民政府への帰属を明白にすること)国際法上の 承認は別にして、東三省(満州)が国民政府に帰属していたことは事実であり 特別な権益がありそれは保護されるべきにしろ国民政府との外交交渉にて保護 されるべき物であり、31年に起きた「満州事変」は侵略であるといえます。 支那事変に関しては直接的には偶発的事件が引き金になった「事変」(戦争ではない) で有り、宣戦布告をしていないから侵略戦争でない、偶発的事故であり計画的 侵略ではないと考えられますが、華北での事変前の一連の侵略的活動が 反日感情を引き起こし、それに中国共産党が自党利益の為に反日感情を爆発 させる引き金として「廬溝橋事件」を起こし、日中間を戦争状態に引きずり込んだ と言うのが正しいでしょう。 又満州事変が国際感情を悪化させ、支那事変が中国の情報操作もあり世界に 日本の計画的侵略行とアピールされてしまい、日本は侵略国家として経済封鎖を 受けることとなってしまいます。 ですから一度このような帝国主義的「非計画的侵略活動」を「中国撤退」「満州国の 完全独立」にて精算し改めて「大東亜共栄圏の構築」というスローガン・大義名分 を掲げて行動を起こすべきでないかと考えるのです。 > > これは、たとえ日本が中国と中立善隣協力し、アジアの(旧)植民地諸国と協調的な > ブロック経済体勢を築いたとしても、ゆくゆくは米帝国主義とは歴史的必然で対立状態 > となる。そのために対米開戦を考えるということなのですね…。一応確認させてもら > います。今時なかなか興味深い意見なので。 ちょっと時代遅れの考えかもしれません。基本的には米帝国主義は「パックスアメリカーナ」 と言う考え方があります。それにアメリカの行動として有名なマハンの「海上 権力史論」に乗っている様に西部開拓の延長としてフロンティアを求めて 太平洋をハワイ→グアム→フィリピン→中国大陸というように西進していくのが アメリカの歴史的行動であるといえます。日米はアメリカのフロンティアの終点 の中国を巡って対立をしたのですが、同時に日本の仏印進駐がアメリカの フロンティアのライン上のフィリピンを挟撃する形になりより脅威を感じる様になり 日本に強硬に出てきたとも言えます。ですからアジアの(旧)植民地諸国と 協調的なブロック経済体勢を築くと言うことは、アメリカのフロンティア上の フィリピンに対しより脅威となります。 ですから日本がバジー海峡以南に進出すると言うことは、米帝国主義との 直接的対立を必然的に引き起こすこととなります。 ですから南方への行動を考えれ限り「日本に取り太平洋戦争は歴史の必然」 と言う考えが出てくることになります。 (日本が「ハルノートの受諾」をして、満州事変以前の状態に戻れば、 そして完全に中国へ野心を捨てれば、太平洋戦争は歴史の必然とは 成り得ないでしょうが・・・) |
> ですから一度このような帝国主義的「非計画的侵略活動」を「中国撤退」「満州国の > 完全独立」にて精算し改めて「大東亜共栄圏の構築」というスローガン・大義名分 > を掲げて行動を起こすべきでないかと考えるのです。 日本が中国から撤退し、日米交渉がまとまれば、日本に対する経済封鎖も解除はされる でしょう。そして中共や国民党もどうした訳かやけに物わかりがよく、「もう排日活動 もいたしません、旧満州国領域での日本の経済活動も認めます」ということであれば、 日本も経済圏は確保できるし、大陸につぎ込んでいた軍の維持費を浮かせた分、経済力 をつけることができるかもしれません。 …で、仮にそうなったとして、米英蘭仏にたいしては、「アジアの植民地を解放しな さい」と訴えるわけですね。 そして、どうせ受け入れられないだろうから、「大東亜共栄圏の構築」を旗印に行動 を起こす。この「行動」ですが、日本軍の直接の武力解放(すなわち戦争)であっても 大義名分はある。なぜならそれは帝国主義の植民地争奪戦ではないから…。 でも、帝国主義かどうかなんて、だれがそう判断するのでしょうか。日本は帝国主義 ではないと主張したとしても、米英蘭仏がそう思わなければなんの意味もありません。「日本は一旦妥協して兵を引いたが、やはりアジア支配のために侵略を開始した」と 考えますな。 そしてさらにこれでは「自存自衛」なんて要素はひとかけらもなく、完全な共同謀議 のアジア侵略となってしまいますね。マッカーサーも米議会で「彼らは安全保障の必要 に迫られて…」なんて証言をすることもありますまい。 もっとも、日本がその戦争に勝利する又は引き分けに持ち込めれば、「共同謀議による アジア侵略」とは後の教科書には書かされないとおもいますが(笑)。 まー、仮に負けても、戦っていた日本人は「大東亜共栄圏」という崇高なスローガン で戦ったんだと思うことができる、と主張されるかもしれませんが、甘いです。 勝利した連合国は極東軍事裁判を開いて、「日本は完全な共同謀議の下にアジア侵略 を開始した」と弁護の余地もなく決めつけられ、「ウォー・ギルトインフォーメー ション・プログラム」のようなものに従って、「真相はこうだッ」とかいう感じで いかに日本が意味のない悪逆非道な戦争を行ったか宣伝しますね。 僕は史実の満州事変以後の日本の行動が侵略ではない、と主張するつもりはないの ですが、少なくとも共同謀議による一貫したアジア侵略の端緒ではないということは 強く主張します。だから、「自存自衛のためであった」とか、「安全保障の必要に迫ら れて」という現在の識者の意見も成り立ちます。いまだに一貫したアジア侵略と主張し、 いわゆる「歴史カード」を切ってくるのは、中共と韓国北朝鮮程度のものでしょう。 ただ、日本がその戦争に勝利し、純粋にアジア諸国を植民地から解放できたとしたら それはいいことなんでしょうが、そこまで想定する、戦争に訴えないで、平和的 交渉で植民地の解放を支援したほうが、ずっといいですね。…で、ここでTAKA さんに同意されると、日本の戦争遂行はなし、ということで丸く収まってしまい、 もともとこの議論を起こした理由がなりたちませんね(笑)。 |
どうもTAKAさんの持論には「たられば」が多すぎるような気がします。前提条件が最初からIFである以上、実際問題としてあまり有効な教訓にはなり得ないような気がするのですが・・・・ また、当時の指導者達もそれぞれの分野に於いては「プロ」の筈です。当然、彼らはその当時持ち得る最高の能力と情報を駆使して問題の解決に尽力していたのです。結果としての益不益は別として、彼らの判断にはそれなりの「必然性」が有ったと思うのです。 それを現在の我々が言葉は悪いですが所詮は書生論を玩んで「あの時こうすればよかった」などと言うのはある意味とても不遜なことだと思うのですが・・・・・ 歴史に学ぶというのは「何故こうなったのか」と検証する事であって、「こうすればよかった」と想像する事ではない、と個人的には思う次第です。 突然の乱文、失礼致しました。 |
真摯な議論が交わされているのに水を指すような投稿になるかもしれないけど、当時の日本で「国家全体で考えてみればベストではないけどベターなプラン」を選択し、どのようなプランでも当然出てくる不利益や不確実性を根拠にした反対を押し切って実行し、途中で起こりうる予想外の事態にもたじろぐことなく当初の方針を堅持する、あるいはがらりと方針転換して、それまでの方針とは180度違ったことでもためらうことなく徹底的に実行することが出来る指導者なり、集団なりがあったのでしょうか?満州事変後といい、日華事変の最初の段階といい、その後の日米交渉の中でも日本側に相当な譲歩と配慮が示されたにも関わらず、ことごとく何がしかの感情的、強迫的なこだわりや組織的利害を持つ人達によって反対されたり、ぶち壊され、その反対論に負ける形でより無理のある、しかし、もしかしたら全員が納得出来るかもしれないハイリスクハイリターンな選択がなされてきたのではなかったかと私は思います(除、終戦時)。そしてこの種の「ぶち壊し」に対抗できる実力(物理的なもの含む)と論理、法的権限、そして「彼らをつぶしてもいいという覚悟、割り切り」を当時のあるいは現在でも日本においては指導者としての立場の人が持っていないように思います。さらに極論チックにいえば「指導者」なる存在がいないといってもいいでしょう。他国にはいた、あるいは明治の日本にはいた、というわけではないけれど、程度の問題として明らかに当時の日本はひどいもんだったと思います。 あの戦争と現在に通じる教訓をなにがしか見出そうというのなら、この点についてこそ 考える必要があると思います。いかに合理的なプランといえども実行されなければ何にもならないのですから。私にとっては戦前の日本の辿った道は必然のコースを必然的に辿った、あるいは欧米に強制された、というよりは本来決定すべき権能を持たない、持つべきでない人達が入れ替わり立ち代わり好き放題をやった結果の積み重ねに思えます。 そういう意味であたかもシミュレーションゲームのプレイヤーのように一人で一元的かつ大局的な次元からあれもこれも決定できるという前提で「あの時何をどうすればよかったのか?」と考えることは歴史から教訓を学ぶという目的に対する手段にはそぐわないと思います。歴史を学習するツールとしては有用とは思いますが。 抽象的かつ長文なレスですいません。 |
「明確なビジョン」を持った「強力な指導者」の居たドイツが どんな末路を辿ったかも『教訓』にする必要がありますね ;-) |
> 「明確なビジョン」を持った「強力な指導者」の居たドイツが > どんな末路を辿ったかも『教訓』にする必要がありますね ;-) そのとおりですね。ただし「」の前に「一見」をつける必要があると私は思います。 「強力な指導者がいなかったからだめ。」というつもりだけで書いたんではなかったのですが。やはり、そう受け取られてしまうんですね。文章力がないと。 ナチスの施策はすくなくとも前半以降は「わかりやすいレトリック」ではあっても確実な利益見通しのもとに運営されたものではなかったような気はしますが。またヒトラーにしても本当の意味で強力な指導者かどうか私には疑問です。党も軍も中はバラバラで、群雄割拠の中、ヒトラーが独自のカンとキャラクターで引っ掻き回していた、という印象が私にはあるのですが。独裁者は独裁を維持するために群雄割拠的な、相互チェックの働かない状況を維持しないといけないし。しっかりとした民主主義の元でこそ、必要な時に必要な指導力を指導者に与えることができると私は考えています。 ここでいいたかったのは国力に見合わない冒険、持てる手段を上回る目的を達成するためにあれこれ画策する輩は絶対に許さない、国民を巻き込んだ博打は何があっても打たせない、という気概と、与えられた環境下でいかに国民を満足させられるか現実的に考え、出来うればそれをわかりやすい言葉で説得していける指導者なり機関なりがいて欲しかったという願望というか愚痴のようなものだし、どうして、そういう人達がいなかったのか、いたとしたらどうしてそういう人達の声が消されてしまったのか?という疑問は私には強くあるという、それだけのことです。 |
>国力に見合わない冒険、持てる手段を上回る目的を達成するためにあれこれ画策する輩は絶対に許さない、国民を巻き込んだ博打は何があっても打たせない、という気概と、与えられた環境下でいかに国民を満足させられるか現実的に考え、出来うればそれをわかりやすい言葉で説得していける指導者なり機関なりがいて欲しかったという願望・・ 良いか悪いかは別にして、密告制度の下、国民を徹底的に監視し、権力に立てつく輩や敵方につく恐れのある民族は強制収容所に叩きこみ、老若男女根こそぎ動員して将に国民巻き込んだ、将棋の駒としてこき使うという方法でも勝利できた国あるわけなんだよね。 勝てば官軍、戦争で自国がどんなに疲弊しようと、足りない資源、労働力は占領地から思う存分奪ってくれば良い、何で日本はそこまで徹底できなかったんだろ〜な〜? わかりやすい言葉って、例えば「ファシストや資本家どもを根こそぎ壊滅し社会主義を建設せよ」ってスローガンかい? 愚劣な大衆はこの手にすぐ引っかかるもんだぜ! |
> > 「明確なビジョン」を持った「強力な指導者」の居たドイツが > > どんな末路を辿ったかも『教訓』にする必要がありますね ;-) > そのとおりですね。ただし「」の前に「一見」をつける必要があると私は思います。 いえ、CATさんの揚げ足を取ったわけでもないし、この件について 議論するつもりでもないんです(^^;)。 ただこのスレッド全体に対して、「史実で日本が行った間違い」を 「if」で是正するならば、「史実で日本が行なわなかった間違い」も 起きる「if」もあり得ますよね(それを考えないのを我田引水と 呼ぶ)、という事を言ってみただけで。CATさんの揚げ足取りに なってしまった事は謝罪します。 「史実で日本が行なわなかった間違い」が何か述べる気はないし、 だいいちそんな事は不可能です。「歴史にifは禁物」ですから、 このスレッドはここで行き止まりです。だから「ゴミレス」なわけでして(^^;) > ここでいいたかったのは国力に見合わない冒険、持てる手段を上回る目的を達成するためにあれこれ画策する輩は絶対に許さない、国民を巻き込んだ博打は何があっても打たせない、という気概と、与えられた環境下でいかに国民を満足させられるか現実的に考え、出来うればそれをわかりやすい言葉で説得していける指導者なり機関なりがいて欲しかったという願望というか愚痴のようなものだし、どうして、そういう人達がいなかったのか、いたとしたらどうしてそういう人達の声が消されてしまったのか?という疑問は私には強くあるという、それだけのことです。 1930〜40 年代の主要な新聞・雑誌の類を調べると良いかも知れませんね。 マスコミは世界の情勢をどの様に伝えていたのか。 オピニオンリーダーはそれをどう分析していたのか。 国民はそれをどう理解していたのか。 私には「起きてしまった歴史」について知らなければならないこと、 理解しなければならないことがまだ沢山あります。 「起きなかった歴史」の考察をする能力も余裕もありません。 だから、このスレッドでの私の発言は終わりです。 |
どのように日米戦は戦われるべきだったかという設問ですが… >Re:そんなに全面戦争やりたいんですか? 02/2/11(月) 14:32 >Re:平和が継続する保証はない? 02/2/11(月) 23:35 の両スレッドで >「日本に取り太平洋戦争は歴史の必然」 >1941の近い内に開戦 と書かれており 一方 >Re:漸減作戦とは…02/2/11(月) 13:55 で >引き分けでも、次の戦いを考えると次にはより戦力差が開いている >決戦になるでしょうから、やはり其処で同じ事の繰り返しになります。 >ですからご都合主義と言われるのを承知で当然大勝利することを前提にしています。 >私のここでの基本的考え方の一つは「日本にとって十死零生とも言える対米戦争 >を九死一生にするためにはどうすればいいか?」でありでありその為に経済政策から >始まって、外交政策まで繰り出し、最後に勝率を1%でもあげる作戦として と書かれています。 (経済政策から外交政策まで手を広げていると書いてますが それだけ頑張って、勝率10%程度にしかあがらないのであれば、 敗北の計(負けた場合の賠償などの損失を最小にする計画) でも立てていた方がよほどマシだと思いますが…) これを要約すると 「対米戦は回避する事は出来ず どんなに知恵を絞っても、大勝利を続けないと敗北する。」 と言うことになり、 極論すれば 「日本はどう頑張ってもアメリカとの戦争が避けられず必ず負ける」 となって、 すでに 「太平洋戦争日本はどの様なビジョンを持ちどの様に戦うべきだったのでしょうか?」 という設問についての結論をご本人がおっしゃっていると思うのですが…。 |
今回最終的結論を述べる必要はないと考え、私の考えによる結論を述べる気は 有りませんでしたが、「匿名」さんが「ご本人が結論を出していると思いますが・・」 と言う書き込みをされたので、ケジメとして本人が結論を書くべきであると思い ここに書き込みさせて頂きました。 ちなみにこの結論はあくまでも「私見による結論」であり、今までの皆さんの 議論を拘束する気も、皆さんの考えを否定する気も有りません。只私も自分の考えを 皆さんの考えに迎合させ信念を曲げる考えもありませんので、皆さんの考えに 否定的な見解を述べさせて頂く可能性もあり事も有りますが、あくまでも 私の考えと皆さんの考えの見解の相違と言う事であり否定と言う事では 有りませんので、予めご承知置き下さい。 (戦争に対する考え方の前提) (1)「大東亜戦争の歴史的必然性」 私の考え方の基本は「帝国主義国家日本及び帝国主義国家アメリカにとって 「大東亜戦争」は歴史の必然である」つまり日米両国にどちらかもしくは両国が 太平洋・アジア地域に於いて植民地主義・帝国主義的侵略的活動を辞めないかぎり 太平洋・アジア地域を舞台に新興帝国主義国家である日米両国の全面衝突は 「歴史の必然」であった、中国への進出を望む米国と「満蒙は日本の生命線」と言い 満州事変以来中国に対し侵略的活動と言える行動(計画的であるかは別にして)を 行ってきた日本の衝突は避けがたい物であり、その気運が強まってきた所に 三国同盟・欧州情勢・中国情勢が絡み合い、又日本も片方で交渉しながら、 片方で仏印進駐や南方攻略作戦の準備等を進めたり、 野村駐米大使が片方で和平交渉を進めながら、松岡外相は片方で対独・対ソ交渉を進め 対米強硬姿勢を取る(5月12日日本案)(松岡外相の本心は三国同盟+ソ連の連合の 力で支那事変を解決し対米交渉を連合の力を背景に妥結させる力の外交にあったと 思います)というような二元外交が引き金があり41年12月8日に大東亜戦争が 開戦されたのであり、「大東亜戦争の歴史的必然性」というのは残念ながら 動かしがたい歴史の事実であったと考えます。 (2)「大東亜戦争」を遂行する日本の国力 私の考えは「大東亜戦争は歴史の必然」でありながら、残念ながら日本には 大東亜戦争を遂行する国力は基本的には存在しなかったと考えます。 日本では1940年の国家総動員法施行以降いわゆる「革新官僚」と言われる 経済官僚が中心となり、ソ連の計画経済の手法を取り入れた「計画への生産の誘導・ 傾斜生産方式・準統制的手法による重点部門への生産力、経済力の誘導」 と言う統制的な経済手法を行い経済改造を実施し出しましたが、支那事変の動員に より労働力の低下と、経済・財政・生産力のオーバーヒート、経済封鎖の影響 により上記動員的経済改革は100%成功しませんでした。 (30〜40%位の成功でしょう)ただこの経済政策は、戦後の焦土と化した 日本の経済復興・高度経済成長の原動力になった事は事実であり、 完全に戦争を遂行するだけの国力を短期間に育成できるとは絶対に言いませんが もう少しマシな戦争遂行能力は2年位の平和な時期が有れば出来たのではないか? とは考えます。すなわち史実の日本には限定的でも「大東亜戦争」を遂行する国力 すら存在しなかったと考えます。(私の考えでは史実で3年8ヶ月も対米戦争を 遂行した事自体経済的には奇蹟だと考えます) (3)「大東亜戦争」に対する計画性 歴史の判断は「自存自衛戦争」ではなく「計画的侵略戦争」として大東亜戦争を 考えていますが、(いわゆる東京裁判史観)本日10チャンネルで瀬島龍三氏が 語っていたように「計画的侵略戦争」ではなく「窮鼠猫をかむ」的な泥縄的戦争で あったと考えます。「計画的侵略戦争」ならばあの上記のような経済的状況や 四正面での戦争状態・戦争状態配備下での戦争はあまりにもお粗末と言えます。 確かに歴代の陸海軍の「年次戦争計画」では陸軍は対ソ戦・海軍は対米戦の 実質的二正面戦争を想定していましたが(これは計画的国家戦略の摺り合わせ自体を していなかった事の証明ですが・・)史実のような戦争状態は想定していなかった と言えます。その意味で「大東亜戦争」に対する計画性は無かったと考えます。 (戦争に対する基本的考え方(前提打開の戦策)) (1)「4つの戦策(長期持久戦体制の確立・戦線縮小・戦争目的の 明確化・国内体制の確立)」提示の理由 基本的に上記で(2)の認識を持っているので有れば確かに一部に人が言われる様に 平和的妥結を計るのがベストでしょう。それには41年の現状では「ハルノートの 全面受諾」しか有りません。それに私も一度は対米交渉を妥結させるとの考え方で あり又前に述べた内容で有れば、確かに「ハルノートが調整すべきと言った 6月21日提案米国案」も受諾できたでしょう。ただこの平和は永久に続く 保証があるのでしょうか?続けば戦争をする必要はないと私も考えます。 只この対米交渉の中身では、「大東亜戦争の歴史的必然性」である日本の帝国主義性は 中国で一部改善されるものの、根本的部分では何も解消されません。 それでは対米戦争危機は根っこの部分で残るので、その為の戦策として 「4つの戦策」をあげました。 (2)「4つの戦策の考え方の修正」 確かに私は「大東亜戦争の歴史的必然性」を強調していますし、残念ながら戦争は 避けられないと考えています。その為に限定的な戦略条件の改善と、計画性の付与 の為に「4つの戦策」を提示しました。但し日本より戦争を仕掛けるというのは 撤回します。「4つの戦策」と平和は両立できると考えるようになりました。 例えばハルノートに基づく暫定協定を締結後に逆に日本より「民族独立」の原則を掲げ 「仏印・蘭印・フイリピン・英領ビルマ日本領朝鮮半島に自治政府の設立」 「満州国の完全独立を日・米・英で保証する」 「南満州鉄道の日本の特別な立場及び今までの満州での日本の投資分の保証及び それ以外の経済的活動の自由を日・米・英・満州国で保証する(10年間)」 「植民地自治政府に対し内政自治権を日米及び宗主国で保証する(10年間)」 「宗主国以外の国も植民地との自由な貿易活動(普通の関税を除く)を保証する」 「日本は一切の領土拡大を行わない」「新日米通商航海条約を締結する」 「日・米・英で太平洋地域の軍縮交渉を開始する」と言う10年間の 包括的「アジア・太平洋安定協定」と言える協定を逆提案する。 と言うような外交攻勢を掛けアメリカをもう一度日本の主導権下で 交渉を行い、平和的解決を図る。全部の交渉成立が理想だが多少の妥協派やもう得ない と行けば、交渉がまとまる可能性もあります。 この交渉の内容が成立すれば、日米とも帝国主義的要素を薄める事になり 「大東亜戦争の歴史的必然性」も必然性が薄くなります。 もし交渉が成立しなければ、その上で米・英が挑発的行動に出てくれば、 その時には「4つの戦策」を含めた戦争準備が必要となるでしょう。 ちなみにここで一言言えば、「侵略に対する共同謀議」とか「計画性」というような 戦争責任に関して言えば、戦勝国が後から付けたものであり、戦争に負ければ 「その様な物は無かった」といくら言っても無駄です。(その例が東京裁判です) 侵略戦争の概念を考えるのは戦勝国ですから負けたときより戦争責任の少ない 戦争理由を考えるのは無駄でしょう。それならば、「自分から侵略戦争を起こした 国の自衛戦争」より「国際舞台の中で自ら襟を正し外交交渉で平和的解決を目指したが 挫折しその為に大義名分をたて計画的に戦争した」の方が、歴史的評価は よっぽど良いでしょう。まあ平和的に大義名分を実行できるのがベストですが・・・ (3)「4つの戦策」の位置付け 残念ながら、「4つの戦策」は必勝戦策ではありません。限定的な歴史のIFの中で 如何にして勝率を上げる事が出来るか?と言う考えの中でベターと思える考えの 集合体としての戦策です。 又こそ戦策に欠点が多々あるのも皆さんのご意見を拝聴しその通りであると認めます。 歴史にIFを加えていながら限定的にしか加えていないので中途半端なのも事実です。 それこそ日清・日露の時代より歴史の前提を変えれば、もっと勝率の上げられる 戦策を考える事も可能でしょう。又限定的であれIFを加えている以上議論の対象に すべきでないと言う皆さんの大批判に対しても、甘んじてお受け致します。 只私としては「太平洋戦争をどの様に戦うべきだったのか」という自分の掲げた 議論の中で「大東亜戦争は歴史の必然」と「史実の日本には限定的でも「大東亜戦争」 を遂行する国力すら存在しなかった」という私の考えの中で矛盾にも近い考えの前提の 中で「太平洋戦争をどの様に戦うべきだったのか」を自分有りの考えを提示する為に 歴史に限定的IFを加え「4つの戦策」を加えました。 只これも何度も述べているように「十死零生」を「九死一生」にするに過ぎないと 言う事は分かっています。 ただ歴史にIFを加えなければ、「ハルノートの受諾」からずるずると対米妥協を 強いられ、新日米通商航海条約が無いまま不安定な経済環境が続き、最終的に 外交圧力の内容が対米妥協できない状況になった時には、不安定な経済環境下で 資源備蓄を使い尽くした後になり、戦争どころか軍を動かす事も不可能になり 最終的には戦わずして敗北になる。と私は考えました。 その為に歴史にIFを加え「4つの戦策」と定義し、交渉により少しでも 資源を手に入れれる様にし、民力を休養し、限定的であれ対米戦争を遂行できる国力 を手に入れ、国力に矛盾を何とか減少させよりまともな対米戦争をする環境を 作り出す事は出来ないか?と言う考えで「4つの戦策」を位置付けました。 (最終的な結論と教訓) 結論を自分の表現で述べれば「大東亜戦争を回避するのは非常に困難であり、 開戦してもよっぽどの対外的要因がないかぎり、勝利もしくは引き分けの内に 講和する事は非常に困難である」と言う事になります。 又「大東亜戦争は歴史の流れの中の必然であり、これを改めるには日清・日露戦争の 時代より歴史にIFを加えて帝国主義国家路線を変更しない限り不可能である」 「日本の41年段階での国力では、対米戦遂行は不可能である」 「対米戦勝利の為には、歴史のIFと奇蹟が必要でありそれでも残念ながら 勝率は高くない」 「平和裏に対米交渉を妥結させる事は、一時的には日本の譲歩で可能だが、それを 恒久的にするのは困難である。只上記のような状況では戦争の戦策を考えながら (戦策=挑発的・具体的戦争準備 ではありません)和戦両方で状況の恒久的 打開策を考えれば良かったのではないか?」 と言う事になります。 又この一連の議論により私は「日本には国家百年の大計がなかったのではないか?」 と言う事に対し、本当にそうでないかと今まで以上に強く考えるようになりました。 それは最初に「個人的考察」の中で「明確なビジョンが必要では?」と言った事が より必要ではないか?と考え、又「明確なビジョン」がなく突入した大東亜戦争の 過去が今の日本に生かされているのか?教訓になっているのか? と言う事に関し強く考えるようになりました。 私自身の個人的考えとしてあえて述べさせて貰えば、「明確なビジョン」がないから この議論で大乱戦になったとも言えるのではないかと思います。 ですから教訓が拾えるのか?でなく私の上記の事について皆さんで個人的にでも 考えていただければ、「教訓になり少しでも参考になった。」と言う事が 出てくるかもしれません。それだけでこの議論で教訓がある事になり、 この議論を発議した意義があると個人的には考えますが・・・ 大変な長文になり申し訳有りませんが、最終的結論なので言いたい事すべて 書き込みさせて貰いました。 |