Page 247 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼山本五十六愚将論ふたたび じゃま 07/12/19(水) 20:31 ┣Re:山本五十六愚将論ふたたび 高村 駿明 07/12/19(水) 22:17 ┃ ┗とりあえず「連合国」成立から じゃま 07/12/20(木) 20:17 ┃ ┣Re:とりあえず「連合国」成立から アリエフ 07/12/20(木) 22:42 ┃ ┗Re:とりあえず「連合国」成立から 高村 駿明 07/12/21(金) 10:15 ┃ ┗マンシュタイン・プラン じゃま 07/12/23(日) 22:06 ┃ ┣横から アリエフ 07/12/23(日) 22:18 ┃ ┗Re:マンシュタイン・プラン 高村 駿明 07/12/24(月) 13:43 ┃ ┣Re:マンシュタイン・プラン コマゴマ 07/12/25(火) 1:43 ┃ ┗いわゆる「責任阻却の論理」「無責任体系」 じゃま 07/12/25(火) 17:08 ┃ ┗Re:いわゆる「責任阻却の論理」「無責任体系」 高村 駿明 07/12/26(水) 12:01 ┃ ┣Re:いわゆる「責任阻却の論理」「無責任体系」 高村 駿明 07/12/26(水) 14:17 ┃ ┗「油が無いのなら買ってくれば好い」by井上成美 じゃま 07/12/31(月) 18:38 ┃ ┗Re:「油が無いのなら買ってくれば好い」by井上成美 nahki 08/1/6(日) 1:18 ┃ ┗そろそろ、無条件で降参します じゃま 08/1/6(日) 20:20 ┣山本五十六愚将論? どぶろく 07/12/19(水) 22:28 ┣Re:山本五十六愚将論ふたたび 73式 07/12/20(木) 11:56 ┃ ┗アメリカの視点 じゃま 07/12/22(土) 18:14 ┃ ┗Re:アメリカの視点 73式 07/12/23(日) 23:01 ┃ ┗太平洋日米大艦隊決戦 じゃま 08/1/4(金) 8:08 ┗Re:山本五十六愚将論ふたたび 青江 07/12/23(日) 23:30 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 山本五十六愚将論ふたたび ■名前 : じゃま ■日付 : 07/12/19(水) 20:31 -------------------------------------------------------------------------
1.もう、その話、聞き飽きたよ 2.昔、さんざんやったじぇねぇかよ、本もいっぱいあるじゃねぇかよ 3.なんか新ネタあるのかよ、あるのなら持って来いよ、叩きのめしてやるからよ! … などのご意見があるのは重々承知の上で、新スレ立てさせていただきます。 豊富な知識と緻密な論理、精力的な問題提起で著名な高村 駿明さんにご参加いただいたので、これは義理と人情に弱い(ぎゃはは)新参者の誤ちです。 > 年末進行により、まったく身動きか取れず、レスが遅れました。ご容赦を。 いえ、こちらこそ。 > 過去の議論ボードで「日本は軍艦より商船、特にタンカーが死ぬほど足りないので、資源は運べず、戦争できる状態じゃない」という結論が出ていたと思いますが。 1941年開戦時の船腹数、約600万トンは、確かに対米戦を行うには足りません。 だから、アメリカとは開戦せず、すでに亡命政権となっていたオランダ、戦いに倦んだ蒋介石、ドイツ軍上陸の危機にさらされるイギリス、と、順次くずしていけば良いと思ったのです。 >ですから「持久体勢」なるものは絶対作れませんし、トラック以東に出ずに、どのように講和する戦略的状況を作れるのかも理解できません。 1930年代の日本は、軽工業から重化学工業への転換期を迎えていました。 これら重化学工業の設立には、当然、大量の資本集積が必要でしたが、貧しい日本はアメリカ、イギリスのように株式を発行して民間から資本を調達するほどの経済力はありません。ドイツに倣った国家主導で三井、三菱、住友、安田といった財閥を合従連衡させていく必要がありました。第一次大戦のルーデンドルフ流「総力戦」体制が整えられたのは、この時期です。国家機構、生産機構、情報統制、思想動員まで含めた、「国家総動員体制」ですね。兵士の動員だけでなく、戦争遂行のために国民全てが動員されるという。 General mobilizationではなく、ユンガーの言うTotal mobilizationが指向されたわけです。 これは見事なまでに成功し−ヒトラーも羨望したという−戦後の高度経済成長の基礎となります。'55年体制がそう呼ばれますが、その端緒は戦前にあったのだと私は考えています。 実際に、第二次大戦中に、日本の戦略基礎物資の生産量は飛躍的に伸びています。 粗鋼生産量や発電電力量は、実に1943年前後にピークを迎え、戦前の1.6〜1.8倍に達しています。 「持久体勢」は可能ではなかったかと思うのです。 真珠湾奇襲などの愚を冒さなければ。 と、とりあえずここまで。 残りはまた、やります。 >ご説のように、大陸の陸軍兵力を南方防衛にばらまけば、補給のために大量の船舶が必要になります(今年の夏にこの議論は延々としたのですが、常連のじゃま様は読まれておられないのでしょうか)。 私は常連の皆様にはとてもおよびつきませぬ新参者です。 怠惰でもありますので、今夏の議論は読んでないかも知れませぬ。 過去ログの消えた今となっては取り返しのつかぬあやまちです。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@softbank220006023102.bbtec.net> |
> 豊富な知識と緻密な論理、精力的な問題提起で著名な高村 駿明さんにご参加いただいたので、これは義理と人情に弱い(ぎゃはは)新参者の誤ちです。 先ほども片さまのご見識に恐縮してきたばかりの、ビキナーなので勘弁してください。 私は市販書籍にあるようなことしか知りませんし、解釈も多々間違えていることを、ans.Qをご覧になっているなら、よくご存じかと思います。 基本的に「間違っているかもしれないが、呼び水となれば、他に見ている方々へのデータベースとなる」という考えにより、記載しているだけです。 > 1941年開戦時の船腹数、約600万トンは、確かに対米戦を行うには足りません。 > だから、アメリカとは開戦せず、すでに亡命政権となっていたオランダ、戦いに倦んだ蒋介石、ドイツ軍上陸の危機にさらされるイギリス、と、順次くずしていけば良いと思ったのです。 他の方も指摘されていると思いますが、米国がじゃま様の想定通りに動かなかったなら、どうなるのでしょうか。連合国は、日本に各個撃破されていくまで待っているほど間抜けであるとは、私には考えられません。 米国内の世論など、煽り方次第でしかないものと思いますが。「自由と民主主義の敵、ファシスト」なんですが、敵は。 > 「持久体勢」は可能ではなかったかと思うのです。 > 真珠湾奇襲などの愚を冒さなければ。 ご教授ありがとうございます。 国内生産がどうあれ、当時の日本には「資源を運び込むために充分な量のタンカーも輸送船もなく、占領したはいいが、資源を運ぶことができない」状況だったのですが。 陸海軍の作戦に必要なタンカーもないので、ガ島戦の時に大和や武蔵はタンカーの代わりをしていたほど、不足しているのです。ガ島を巡る攻防戦程度の兵力移動で、資源確保に必要な300万トンを割ってしまうほど、輸送船は足りません。 南方作戦を行うと、その時点で300万トンを割ってします。作戦終了後に、資源輸送に転用するとしても、そろそろ米国様の怒りは爆発なのではないでしょうか。 そして米国は開戦せずとも、あらゆる手段で資源輸送を妨害し、日本に手を出させようとするでしょう(どこまでマヌケでも、英国が降伏すれば自衛のため開戦するでしょうが)。 日本が「持久体勢」なるものが整うまで、米国が開戦しないとは思えませんし、仮に米国が待ってくれたとしても、襲来するのはエセックス空母の大群か、B-29です。生産力で上回らない相手に「持久」するのは、滅亡のみですね。 どれだけの兵力を日本が持てば、米国と戦えるのでしょうか。私などにはわかりません。 さて、前にもお伺いしましたが、日本が太平洋艦隊を一度でも全滅させれば、講和に応じてくれるのでしょうか。私は怒り狂った米国が、原子爆弾を躊躇いなく使用する地獄図になるだけだと思いますが。 <Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.0; ja; rv:1.8.1.11) Gecko/20071127 Firef...@p59-157-176-1.sub.ne.jp> |
> 他の方も指摘されていると思いますが、米国がじゃま様の想定通りに動かなかったなら、どうなるのでしょうか。連合国は、日本に各個撃破されていくまで待っているほど間抜けであるとは、私には考えられません。 1930年代の西欧国家間では厭戦気分が強く、チェンバレン、ダラディエのミュンヘン会談の発言に象徴されるように対ヒトラー・ドイツ宥和策が続いていました。 いわゆるドイツ軍のポーランド侵入で「第二次大戦」が勃発したのは1939年9月ですが、この時点でドイツに対して宣戦布告をしたのはイギリス、フランスのみです。 しかもポーランドの独ソ分割はあっさり黙認されてしまいました。 Phony War がおよそ半年も続き、当初は西欧国家間の局地紛争で済むのではないかという観測があったくらいです。 そしてアングロ・サクソンがゲルマン民族であるという理由で、ヒトラーはイギリス国民に対し、共に手を組んで邪悪なユダヤ人を絶滅させようと呼びかけていました。 むろん、親ナチス・シンパはイギリスにもアメリカにも誕生します。 パリ陥落後、1941年8月の大西洋憲章でさえ、 ・合衆国と英国の領土拡大意図の否定 ・領土変更における関係国の人民の意思の尊重 ・政府形態を選択する人民の権利 ・自由貿易の拡大 ・経済協力の発展 ・恐怖と欠乏からの自由の必要性 ・航海の自由の必要性 ・一般的安全保障のための仕組みの必要性 を謳っているだけで、対ドイツ強硬策の色合いはほとんど見られません。 少なくとも、はじめのうち、政治家は、戦争をしたくなかったのです。 これはベルサイユ条約の内容を、ミュンヘン会談の結果を取り入れて見直したようなもので、対ドイツ宥和策を、なお引きずっていると見てよいでしょう。 では、誰が争いを慾していたのか? それは、第一次大戦の軍需景気で膨れ上がった生産設備の稼働率低下に悩む、企業家たちでした。 余剰生産品は、何らかの形で消費されねばなりません。 それが戦争です。 New dealの実態は軍需産業であったというのがM.アグリエッタを中心としたRegulation学派によって提唱されています。 事実、1941年以降、米国経済は回復を始めます。 米英仏ソ中という現在の国際連合理事国を中心に「連合国」が成立し、「連合国」vs.「枢軸国」という構図が、ようやくできあがったのは、それから、さらにのち、1942年元旦まで持ち越されています。 そのきっかけをつくったのが真珠湾奇襲でした。 「連合国」の結束は、甚だインスタントなもので、糸を引けばさらさら崩れる城のようなものです。 黄色い猿のような日本人が、地図の端に過ぎぬ極東で少々あばれているからといって、いったい誰が興味を持つというのでしょうか? <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@softbank220006023102.bbtec.net> |
> 事実、1941年以降、米国経済は回復を始めます。 1935年に大恐慌前の1928年を上回る水準にまで米国経済は回復しているんですけど。その後、また少し不景気になってますが、第二次大戦勃発による戦争特需により景気が回復しております。 ハイ、参考にして下さい。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@acfkok001184.adsl.ppp.infoweb.ne.jp> |
> 「連合国」の結束は、甚だインスタントなもので、糸を引けばさらさら崩れる城のようなものです。 当時でさえ、米英は切り離せないという見方は強いものでしたし、中国を舞台に米国の傭兵航空部隊はすでに日本陸海軍との戦闘を始めている状態なのですが。 で、日本にとって問題なのは、連合国ではなく米英だけです。中国とはすでに戦争状態ですし、ソ連とは中立条約があります。フランスの情勢など、直接関係ありません。 連合国の結束がもし仮に弱かったとしても、米英の結束が揺るぎないなら、日本にとってはもう充分手詰まりです。彼らが中国への支援を打ち切る理由もありませんし。 > 黄色い猿のような日本人が、地図の端に過ぎぬ極東で少々あばれているからといって、いったい誰が興味を持つというのでしょうか? 真珠湾攻撃をやってから、ハルノートが出てくるような情勢なら、仰る通りではないでしょうか。「ハルノートを出せば(というか、対日石油・屑鉄輸出禁止をやれば)、開戦になる危険性も高い」こんなことは当時の人々にもわかっていたわけです。 日本の軍事力を「まるで問題にならない東洋の猿」と思っていたかは諸説あるので、なんとも言えませんが、もし猿扱いしていたなら、仮に日本がしかけてきても、野蛮人はすぐに潰せるという認識なわけですから、米国世論が「たかが日本」に対し、開戦をためらう理由にならないでしょう(開戦するかは両国の力関係で決まるわけですから。米国はイラクと戦っても、ソ連とは戦わなかったというようなものです)。 仮に、米国の対日即時参戦が避けられたとします。じゃま様の案であれば日本は対英蘭開戦は行うわけですから、英国は史実以上の苦境に立たされることでしょう。 インドやスエズ運河、オーストラリア、ニュージーランドも脅かされます。当然英国は米国に対して参戦要請を行うことでしょう。これを米国は断ると言われるのでしょうか。 また、日本が支援したことにより独軍が英国を脅かした場合(インド洋や地中海の英艦艇多数を沈めるような事態となれば、イタリア艦隊の行動が自由になりますから、英仏海峡の制海権を巡る状況が変わることもありえるでしょう)「英国を救うため、日本をあやしておいて対独参戦のみ行う」という選択肢すらもありえます(まあ、こんなおかしな選択を取るくらいなら、とっとと対日参戦を行うでしょうが)。 すると、日本視点から見て「同盟国ドイツは、米英の挟み撃ちを受けている。我が国も米国と開戦し、これを支援すべきだ」となるのではないですか? どちらにせよ欧州の史実が変わらないなら、モスクワで独軍の攻勢はストップします。ドイツが落ち目で、英国の危機であれば、国内世論を開戦にもっていくことは、そう困難ではないことでしょう(世論は作るものですし)。 結局、なんのかんの言っても米国はWW1には参戦しているわけですしね。 ところで、じゃま様には色々なことを質問しているのですが、なぜお答え頂けないのでしょうか。話が分散しないよう、要約して、もう一度質問させて頂きますので、お答え頂ければ幸いです。 1)真珠湾攻撃をしなければ「それ以降もずっと」米国は絶対に対日参戦をしないのか 百歩譲って、持久体勢なるものができたとします。では、米国は日本海軍がインドやらアラビア海やらに進出して、ドイツの手助けをし、英国植民地を奪うやんちゃをしようと、絶対に参戦しないということなのでしょうか。 開戦がどのタイミングになろうと、米国参戦=日本無条件降伏のフラグが立ちますから、開戦時期などは一切問題ではないと思います。 もし米国が参戦せず、南方を取れたなら、日本には史実より多少石油はあるわけですが、米国は「空母の量産と、原子爆弾の実験結果と、B-29、B-36の性能を突きつけた上で」日本にハルノート以上の大譲歩を迫ってくるような状況になることでしょう。 そこで日本から開戦しようと、史実以上の惨敗ですぐに終わるような気もしますが。 米国からは絶対に参戦しないのでしょうか。お答えください。 2)太平洋艦隊を壊滅させれば、米国は譲歩するのか 不幸にも開戦が避けられないとしたら、講和状況を創り出す必要があります。真珠湾を攻撃しないのですから、米国は日本海軍の数倍の戦力になってから、押し寄せてくることでしょう。石油があってもまったく勝ち目はないと思いますが、いかがでしょうか。 また仮に、開戦直後にマーシャルに押し寄せてくるという僥倖があったとして、運良くこれを壊滅させたなら、米国は講和に応じるのでしょうか。 時間を稼げば、数倍の艦隊が完成するのは、わかりきっているわけですから、交渉に応じても、だらだらと引き延ばし、ある日突然交渉打ち切り→戦争再開ではないかと。 開戦した場合、米国と講和交渉を行うためには、その持久体勢でどのような戦勝をあげれば成り立つのでしょうか。お答えください。 あと、もう一点、思ったのですが……。 スレタイが山本五十六愚将論とのことですが、山本提督には、日本が米国に開戦するかを決める権限があったのでしょうか。 彼がいなかったとしても、日本海軍が開戦した場所が真珠湾になるか、マーシャルかフィリピンかグアムになったかの違いだけです。真珠湾を攻撃したから愚将というのは、さっぱりわかりません。 それとも、山本提督が「半年や一年は暴れてみせますが、その先は何とも」発言をしたことをもって、愚将と言われるのでしょうか(実際、その程度しか暴れられなかったわけで、この見通しは正しいですよね? 政府は「じゃあ戦争は無理だな」という判断もできたわけですから、これも山本提督の能力とは関係ないことでしょう)。 何をもって故人を愚将呼ばわりされるのか、できればお答えください。 <Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.0; ja; rv:1.8.1.11) Gecko/20071127 Firef...@p59-157-176-1.sub.ne.jp> |
> それとも、山本提督が「半年や一年は暴れてみせますが、その先は何とも」発言をしたことをもって、愚将と言われるのでしょうか(実際、その程度しか暴れられなかったわけで、この見通しは正しいですよね? 政府は「じゃあ戦争は無理だな」という判断もできたわけですから、これも山本提督の能力とは関係ないことでしょう)。 > > 何をもって故人を愚将呼ばわりされるのか、できればお答えください。 航空主兵を見抜く力量を持ちながら、「戦艦床の間論」まで持ちだして、艦隊決戦派と妥協しなければならなかった不運、軍令部と連合艦隊のはざまで苦しんだ悲運、一年半の貯油量しかない状態で対米開戦を強いられたとき、冒険的な真珠湾奇襲を立案せねばならなかった… という状況を考えよ、ということかと拝察致します。 対米開戦という判断は、その適否は措くとして 「個人に帰せられるべきではなく、その個人の属する集団全体に帰せられねばならぬ」 というご見解でしょうか。 山本長官において、この場合の集団とは軍令部、帝国陸海軍、大本営、さらには天皇まで含むものであったかと思います。 これは、L.フェーヴルに代表される、フランスEcole des Annalesの主張するところですね。1970年代半ばの構造主義のバック・グラウンドともなったぐらい、強力な思想ですから、ご主張の確然たることはわかります。 しかし、最近の意見は少々ちがうものもあります。 ささきさんがButterfly Effectとして挙げられたものです。 海軍の用兵綱領は、1910年以来「開戦初頭マズ東洋ニ在ル敵海上兵力を掃蕩シ西太平洋ヲ制圧シ交通戦ヲ確保シ守勢作戦ニ依ツテ敵ノ渡洋来航ヲ我ガ近海ニ迎ヘテ撃破シ不敗持久戦略体制ヲ確保シ敵国ノ戦意ヲ挫折サセム」というもので、これが漸減作戦と称せらるもの、と見なされていました。 しかし、良く読めば、「…守勢作戦ニ依ツテ」以前の文章は、実は広範囲に解釈できるので、真珠湾奇襲も、あながち奇策ではなく、用兵綱領とさほどかけ離れていないという見方もできます。 山本長官個人の寄与度は、どれほどのものであったのでしょうか? 1940年ドイツ軍のパリ攻略では、ドイツ参謀本部は当初からマジノ線は突破不可能と考えて作戦を立てていました。メケレン事件の突発などで右往左往したあげく、アルデンヌ森林地帯を装甲軍A集団をもって通過するというマンシュタイン・プランが採用され、ご存知のような大成功を収めたわけですが、これも、マジノ線迂回という基本は忠実に踏襲しているという見方が可能でしょう。 では、この作戦におけるマンシュタイン個人の寄与度はどれほどのものであったでしょうか? <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@softbank220006023102.bbtec.net> |
> 海軍の用兵綱領は、1910年以来「開戦初頭マズ東洋ニ在ル敵海上兵力を掃蕩シ西太平洋ヲ制圧シ交通戦ヲ確保シ守勢作戦ニ依ツテ敵ノ渡洋来航ヲ我ガ近海ニ迎ヘテ撃破シ不敗持久戦略体制ヲ確保シ敵国ノ戦意ヲ挫折サセム」というもので、これが漸減作戦と称せらるもの、と見なされていました。 > しかし、良く読めば、「…守勢作戦ニ依ツテ」以前の文章は、実は広範囲に解釈できるので、真珠湾奇襲も、あながち奇策ではなく、用兵綱領とさほどかけ離れていないという見方もできます。 > 山本長官個人の寄与度は、どれほどのものであったのでしょうか? 対米開戦の意思決定に対する山本長官個人の寄与度が低い、大したものではない、ということを自認されているように見えますけど。 一体、何を言いたいんですかねえ? <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@acfkok001184.adsl.ppp.infoweb.ne.jp> |
> 航空主兵を見抜く力量を持ちながら、「戦艦床の間論」まで持ちだして、艦隊決戦派と妥協しなければならなかった不運、軍令部と連合艦隊のはざまで苦しんだ悲運、一年半の貯油量しかない状態で対米開戦を強いられたとき、冒険的な真珠湾奇襲を立案せねばならなかった… > という状況を考えよ、ということかと拝察致します。 そこまでご存じなのに、なお愚将と呼ばれるのであれば、日本軍には愚将以下の人材しかいないように思えますね。私はその見解には賛同しかねます。 で、具体的にどの部分に責任があるのか、と問うていることに対して、またお答えになっておられないようですね。 > 対米開戦という判断は、その適否は措くとして > 「個人に帰せられるべきではなく、その個人の属する集団全体に帰せられねばならぬ」 > というご見解でしょうか。 組織の中の個人に、どの程度の責任があると言われるのでしょうか。 例えばドイツの戦争責任は、ヒトラーに帰結してもよいかと思います。これは彼に決定権があるからです。開戦を決定するさいに、昭和天皇に対しての御前会議に席にもいない人物が、どのように責任を有するのか、理解に苦しみます。 また、捕虜虐殺など、個人として戦争犯罪に寄与したということも、まったくないわけで、開戦時の連合艦隊司令長官だから、責任があるなどという論法は余りに乱暴でしょう。 > 山本長官において、この場合の集団とは軍令部、帝国陸海軍、大本営、さらには天皇まで含むものであったかと思います。 > これは、L.フェーヴルに代表される、フランスEcole des Annalesの主張するところですね。1970年代半ばの構造主義のバック・グラウンドともなったぐらい、強力な思想ですから、ご主張の確然たることはわかります。 > > しかし、最近の意見は少々ちがうものもあります。 > ささきさんがButterfly Effectとして挙げられたものです。 高卒で無学なもので、言わんとすることがよくわかりません。 質問は「山本長官は何をもって愚将なのか」ですから、返答は「このような根拠により、山本長官の判断・能力に問題がある。従って愚将である」以外にないのではないかと。 じゃま様はとても博識ですが、質問をはぐらかし、聞いたことに答えて頂けないので、議論する上で困ります。 自説に都合のよい根拠は、調べれば沢山出てくるでしょうが、それに対する反証に対し、説得力のある意見を出せなければ、有為な議論とは言えないかと。 で、イフのケースは想像力を働かせるしかありませんよね。 対英のみ開戦を行って、日本機動部隊や水上艦隊が次々に英艦隊を撃沈、アジア植民地の解放を行うということが、実際に起こった場合「東洋の片隅の小さな出来事」になるのかどうか。同胞とも言える英国人が、黄色人種の日本軍に殺傷されていくことの報道が、米国内の世論に全く影響を与えないのかどうか。日露戦争の勝利が黄禍論に火を付けたように、世界規模の出来事ではないかと思うのですが。 じゃま様が引用された多くのケースは、当時の情勢に基づく意見です。日本の対英のみ開戦が、情勢を変えないというお考えには、全然賛同できません。 <Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.0; ja; rv:1.8.1.11) Gecko/20071127 Firef...@p59-157-176-1.sub.ne.jp> |
アリエフ様、高村 駿明様の後に書き込むのは恐れ多いのですが。 じゃま様へ 私が思いますに、じゃま様の“山本五十六愚将論”とは以下のもののように思われるのですが・・・ 史実における対米戦争に関して、その意思決定、戦争指導等において『山本五十六提督以外の人物にはなしえない程の働き』を示したとは思えない ↓ であるから、山本五十六提督以外の人物でも勤まったはず ↓ 代わりの利く人材であるならば特別な人材では無い ↓ ならば、山本五十六提督は愚将である。 なんとなく『賢者以外は全部愚者』とでも言った発想をお持ちのような印象を受けます。 “歴史上かつて無いほどの英雄的将帥”でないとしても、それがすなわち“愚将”である事の証明にはならないと思うのですが・・・ 過去であれ現在であれ特定の人物をどの様に評されてもその方のお考えのご自由でしょうが、仮にもどなたかを“愚者”とするなら、その論拠をはっきりと誤解のないように示すべきでは無いかと愚考します。 また、過去の人物を評する場合は過去の評価と現代の評価が変わることはあっても不思議では無いでしょうが、その場合は、新たな“判断材料”が加わった(知られていなかった資料等の発見など)場合に行われるべきであって、新たな“判断基準”(たとえば、“1970年代半ばの構造主義のバック・グラウンドともなったぐらい、強力な思想”)の適用はみだりに行うべきでは無いと愚考します。 新たな“判断基準”のみだらな適用は、“今日出来た法律で、過去の事象を裁く”ような事となり、ちょっとフェアで無い気がしますがいかがでしょうか? ※“1970年代半ばの構造主義のバック・グラウンドともなったぐらい、強力な思想”云々について私は浅学の為存じません、例としの書き込みは失礼かも知れませんがお許しください。 お願いです。 山本五十六提督が“賢者”でなかったとしてもかまわないので、ぜひ“愚者(愚将)”であった点とその理由を、じゃま様ご自身の言葉で、なるべく解りやすくお示しください。 そうしていただく事で私の盲が開かれ、少しだけ“賢者”に近づけるかも知れません。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NE...@tsechttp136.sec.nifty.com> |
> そこまでご存じなのに、なお愚将と呼ばれるのであれば、日本軍には愚将以下の人材しかいないように思えますね。私はその見解には賛同しかねます。 > で、具体的にどの部分に責任があるのか、と問うていることに対して、またお答えになっておられないようですね。 対米開戦が破滅的な結果を齎す、ということを承知の上で(日米若シ開戦セバ日本ハ二度三度ト焦土トナルヲ得ン)なお、真珠湾奇襲を立案した、という点ですね。 日本陸海軍では、一兵卒たる下級者Zの負うた責任は、その上級者Yに帰せられるべきで、上級者Yの責任は、さらにその上級者Xに帰せられるべき、でさらに上級者Xの責任はさらに上級者Wの…というピラミッド構造をなしています。大西巨人は同様な事情を自らの軍隊経験に照らして「責任阻却の論理」と呼んでいます。 その頂点には大元帥たる天皇が見出されるのでしょうが、しかし彼は同時に「不可侵」というsublimeのヴェールをまとっていて、責任を問うことはできないことになっている。 極東軍事裁判に天皇が現れることはありませんでした。 誰が無謀な決断を下したのか、わからないことになっているのです。 丸山真男の有名な「無責任体系」ですね。 当時の山本長官を取巻く軍令部、海軍大臣、さらには大本営幹部の力関係がどうであったのか、詳しい方がいらっしゃるでしょうが、彼もこのメカニズムを利用していたはずです。敗戦が決定的であることを知っていながら、対米開戦を推してしまった。 これは市民革命を経験することなく、近代化を達成してしまった日本の悲劇だと思います。戦前の日本は、個人が組織から脱却する段階に達していなかったのです。 山本長官もその犠牲者のひとりであった、と結論づけるのは容易ですが、それが「死中ニ活ヲ見出サントス」「悲劇の名将」というような浪花節的解釈に、ともすれば流れるのを私は懼れます。 > じゃま様はとても博識ですが、質問をはぐらかし、聞いたことに答えて頂けないので、議論する上で困ります。 > 自説に都合のよい根拠は、調べれば沢山出てくるでしょうが、それに対する反証に対し、説得力のある意見を出せなければ、有為な議論とは言えないかと。 極東軍事裁判は、裁いた方も裁かれた方も、いまひとつ釈然たるものがなく、旧連合国ではエンペラー・ヒロヒトがなぜ生きながらえたのか、疑問の声が未だ絶えません。ニュルンベルク裁判のような決着はついていないのです。 そして日本の保守派論客も「東京軍事裁判史観批判」をえんえん続ける必要を感じているようです。 それは日本史の近代化批判が未だ達成されていないことが理由だと思います。 であればこそ、愚直にモダニズムによる批判を続け、個人の責任をあえて問う必要があるのではないかと思います。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@softbank220006023102.bbtec.net> |
> 対米開戦が破滅的な結果を齎す、ということを承知の上で(日米若シ開戦セバ日本ハ二度三度ト焦土トナルヲ得ン)なお、真珠湾奇襲を立案した、という点ですね。 それこそ公私混同で「職責」という概念のない意見というものです。 山本長官が個人として米国に勝ち目があると思っていたかどうか、など連合艦隊司令長官の職責と何の関わりがあるのでしょうか。 山本長官は評論家ではありません。海軍軍人として国家に奉仕し、給金をもらっている立場です。開戦に対して、それこそ命を賭して反対してきた(あれで不足なのでしょうか)ものの、なお避けられないというのであれば、職責上、せめて一番勝ち目があるであろう、戦術を考案するのは当然のことです。 国力差で絶望的なのは、日清・日露戦争でも同じであり、「勝ち目がないなら考えても無駄じゃん」とサボタージュするほうがよほど「愚将」なのではないでしょうか。 > 日本陸海軍では、一兵卒たる下級者Zの負うた責任は、その上級者Yに帰せられるべきで、上級者Yの責任は、さらにその上級者Xに帰せられるべき、でさらに上級者Xの責任はさらに上級者Wの…というピラミッド構造をなしています。大西巨人は同様な事情を自らの軍隊経験に照らして「責任阻却の論理」と呼んでいます。 > その頂点には大元帥たる天皇が見出されるのでしょうが、しかし彼は同時に「不可侵」というsublimeのヴェールをまとっていて、責任を問うことはできないことになっている。 > 極東軍事裁判に天皇が現れることはありませんでした。 > 誰が無謀な決断を下したのか、わからないことになっているのです。 > 丸山真男の有名な「無責任体系」ですね。 繰り返しますが、日米開戦の決定は御前会議で日本国の方針として行われたものであり、山本連合艦隊司令長官が、勝手に連合艦隊を動かして真珠湾を攻撃したわけではありません。権限がない人間に責任などあろうはずもありません。 また、半年や一年は〜発言は史実と照らしても事実ですから、山本長官の予見力は正しかったとしかいいようがありません(ちなみに戦況を政略に活かすのも、GF長官の職務ではありませんから、その部分を問うのも間違いです)。 ミッドウェー以前に連戦連勝だった時期に、全くと言っていいほど講和を模索しなかった日本政府の無力さは感じますが、それもGF長官に何の落ち度があるのでしょうか。 > 当時の山本長官を取巻く軍令部、海軍大臣、さらには大本営幹部の力関係がどうであったのか、詳しい方がいらっしゃるでしょうが、彼もこのメカニズムを利用していたはずです。敗戦が決定的であることを知っていながら、対米開戦を推してしまった。 根本的に間違っています。 山本長官は「日米開戦を推していた」わけではありません。 戦った場合、どうなるかとの問いに対し「半年一年は戦えますが、その先は何とも言えません」という「正確な事実」を答えただけです。ここで「対米開戦はすべきではありません」などというのは「質問内容に答えていない」主観の表明でしかありません。 つまり、海軍高官としての職務を果たしていないことになります。 そして半年一年は戦えたのは、事実です。「絶対に戦えません」という井上成美提督のような意見を述べたのなら、政府としての状況判断材料を求めていることに対し「嘘を言っている」ことになります。 私のような人間には、半年一年の戦勝が、どのように講和に結びつくのかはわかり兼ねますが、それを考えるのは政府の仕事であり、責任です。質問内容に答えないという、井上提督流の発言をしたのでは、それこそ職務怠慢というものでしょう。 > これは市民革命を経験することなく、近代化を達成してしまった日本の悲劇だと思います。戦前の日本は、個人が組織から脱却する段階に達していなかったのです。 近代化も市民革命も全然関係ありません。「戦ったらどうなる」という問いに対して、軍人が「恐らくこうなります」と答えるのは、全世界の殆どの国で共通しているのではないかと(専制君主が望む返答をしなけければ、殺される、などでない限りは)。 > 山本長官もその犠牲者のひとりであった、と結論づけるのは容易ですが、それが「死中ニ活ヲ見出サントス」「悲劇の名将」というような浪花節的解釈に、ともすれば流れるのを私は懼れます。 だから「仕様」として、「開戦」が前提の場合、というのは条件から外せない状況で、真珠湾攻撃という答えは間違っているとは言い切れないわけです(じゃま様は「英国とだけ開戦など無理」「米国が即時開戦したらどうするの」という質問にも答えていませんし、代案もなく故人を貶められているようにしか思えません)。 > 極東軍事裁判は、裁いた方も裁かれた方も、いまひとつ釈然たるものがなく、旧連合国ではエンペラー・ヒロヒトがなぜ生きながらえたのか、疑問の声が未だ絶えません。ニュルンベルク裁判のような決着はついていないのです。 > そして日本の保守派論客も「東京軍事裁判史観批判」をえんえん続ける必要を感じているようです。 > それは日本史の近代化批判が未だ達成されていないことが理由だと思います。 > であればこそ、愚直にモダニズムによる批判を続け、個人の責任をあえて問う必要があるのではないかと思います。 繰り返しますが、権限がない人間の責任を問うという時点でどうかしています。 仮にじゃま様案を実行に移せる人物がいたとしても、それが山本五十六でなかったことだけは、間違いないでしょう。つまり、対英のみ開戦案と山本長官が愚将かどうかについては、もう全然何の関連性もありません。同一スレッドで話す自体が全然間違っています(東京軍事裁判など、なおさら関係ありません。また、もし仮に誰かに責任があったとしても、全て故人となられていますから、これ以上、責任を取ることもできませんが。日本人の精神構造の話は、戦前の日本や山本長官のみに帰結する話題でもありません)。 御前会議で「対米開戦」が決定している時点で、山本長官は「米国の」どこかを攻撃する必要があるのです。 その場所が真珠湾であったことが妥当か、についてすら、既に多くのレスが付いており、それに対して、これまでじゃま様が具体的に反論できているようには見えないのですが(強いて言えば、米国の国内情勢が中立的だから、米国からの開戦はしないに違いない、としか言われていませんね)。 とりあえず、議論されたいなら、関係ない話をされず、聞いたことに答えて頂ければと思います。 <Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.0; ja; rv:1.8.1.11) Gecko/20071127 Firef...@p59-157-176-1.sub.ne.jp> |
議論の下準備として色々調べていたのですが、以後使う機会があるかもわからないので、資料として張っておきます。 昭和16年11月4日の「陸海軍合同軍事参議官会議」議事録によれば、日本の国家基本戦略についてこうあります。原文は読みにくいので、現代語に直します。 1)南西太平洋方面において戦略要点を確保し、長期作戦に対応する態勢を確立する 2)独伊の「コーカサス」近東作戦と呼応する 3)援蒋ルートを遮断し、支那事変を有利に帰結させる 4)米英連合軍の弱点である英国を餓死させて屈服に追い込むことが、講和への近道 これに基づき、昭和16年11月15日に、大本営政府連絡会議が決定したのが「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」です。すなわち、南方要域攻略後は蒋政権の屈服を図り、独伊と協力して英国の屈服を企図し、これによって米国の戦意を喪失させるという趣旨です。 もうほとんど、じゃま様の主張通りだな、と。 上記を見てのことですが、既に米国艦隊は真珠湾に集まっているんですよね。 南方であれ、(コーカサス作戦への協力や援蒋ルートの交通遮断ですから)インド洋であれ、主力艦隊と輸送船を膨大に投入すれば、日本本土は長期間がら空きです。 一週間ちょっとで本土を直撃できる位置に、米国の大艦隊がいるというのに、上記の戦略は本当に卓見なのかと(交通を遮断するなら、日本艦隊主力はインド洋に釘付けなわけです。外交交渉上、米国有利ですよね。また、仮に対英蘭のみ開戦で、米国が参戦しなかったとしても、ハルノートに相当する交渉が史実通りの内容になるわけがありません。より挑発的な内容となるでしょう)。 また、日本と開戦しても、国内世論以外は困ることが何もない米国は、対日挑発や謀略(日本補給船舶の臨検・拿捕もそうですが、英国要地に対日抑止力と称して、米国兵や艦艇を置くなど。誤爆でもすれば開戦です)に出ないのか、外交上手な英国が、パフォーマンスに出ることはないのか、と。 もうかなり、日本側にとって都合のいい「基本戦略」と思えます。 <Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.0; ja; rv:1.8.1.11) Gecko/20071127 Firef...@p59-157-176-1.sub.ne.jp> |
高村駿明さん、だいぶ遅くなってすみません。 > それこそ公私混同で「職責」という概念のない意見というものです。 > 山本長官が個人として米国に勝ち目があると思っていたかどうか、など連合艦隊司令長官の職責と何の関わりがあるのでしょうか。 ご主張の趣旨を私なりに解釈したところをまとめてみます。 A.対米開戦は御前会議に於いて決定された事項である。 ↓ B.連合艦隊司令長官として、山本大将は御前会議の決定事項に従わねばならぬ。 ↓ C.従って真珠湾攻撃について山本長官を非難するのは誤りである。 つまり、対米開戦を非難したいなら、1941年九月六日の第六回御前会議「帝国国策遂行要領」に出席した15名のメンバーを非難すべきである、山本長官は軍人として承詔必謹を護ったまでである、ということかと思います。 山本長官の有名な発言を引用されておられますが、これは「近衛手記」によれば 「それは是非やれと言われれば初め半歳か一年の間は随分と暴れて御覧にいれる。しかし二年三年となれば全く確信は持てぬ。三国同盟ができたのは致し方ないが、 かくなりし上は日米戦争を回避するよう極力願いたい」 とのことです。 「かくなりし…」以後の発言に注意すれば、山本長官は対米開戦反対であったことがわかります。 対米開戦反対の立場なら、彼は自分の意見より、高村駿明さんおっしゃるところの「職責」を優先していたわけです。 これは彼の保身の為に過ぎないのではないでしょうか。 現場最高責任者としての職を賭してでも、対米開戦は回避すべき、という自身の意見に忠実であるべきではないでしょうか。 青江さんは、それなら、対米開戦を肯定する他の人間がとって代わるだけであろう、と述べていらっしゃいますが、これこそ、日本型意思決定のいやらしさなので、誰にも責任は無いことになってしまうのです。 本来、最高責任者であるべき天皇は、名目的統帥を担っているだけなのですから。 「一億総懺悔」論がその典型で、みんなが悪いのだから、みんな無罪である、なかよくやっていこうや、という論理が成立してしまう。 私は、共産党のシンパでも何でもありませんけど、戦時中に日本共産党員の一部が転向を肯んぜず、獄中に入っても己の意見に忠実であった態度は尊敬すべきだと思っています。 > とりあえず、議論されたいなら、関係ない話をされず、聞いたことに答えて頂ければと思います。 私は関係ない話はしていないつもりですが、これは高村駿明さんとの意見の違いなので、たぶん、どうしようもないのでしょうね… <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@softbank220006023102.bbtec.net> |
横からですが、じゃまさんの意見を別の状況に当てはめて考えて見ます。 例えば、国民の代表で組織される国会で増税の法案が通りました。 でも、「僕は増税に反対だから税金は払いません」という人がいたら、 「僕は増税に反対だから税金は徴収しません」という役人がいたら、 その国はどうなるんでしょうか? 普通は増税に反対していた人、法案に反対票を投じた議員も渋々従うんじゃないでしょうか? 高村さんの仰る通り、山本長官は決定された事項に従う義務があります。 これは日本型意思決定とは関係なく、組織が大きくなれば自分の知らないところで決まったことにも従わなければならないことはどこにでもあると思います。 じゃまさんの考え方であれば戦争責任を負う人はいくらでも出てきます。 他の開戦反対派の軍上層部、政府要職にいた人は? 市井の人でも、軍や政府の上層部に直接意見できなくとも開戦反対という私人としての主張があれば日米関係が緊迫してきた中で田中正造のように自分の命を賭してでも天皇に直訴する等、方法はあったはずです。極端ですが... > これは彼の保身の為に過ぎないのではないでしょうか。 自分の身がかわいければ、自分の言いたいことだけ言って舞台から下りてしまって、敗戦を予想してたんだから敗戦後に「だから俺は止めろって言ったのに」って言うほうが楽じゃないですか?負けると分かってる戦争でも自分の職責に応じて任務を遂行しようとした現実の山本長官のほうが責任感があるように思うのですが... > 私は、共産党のシンパでも何でもありませんけど、戦時中に日本共産党員の一部が転向を肯んぜず、獄中に入っても己の意見に忠実であった態度は尊敬すべきだと思っています。 これは当然、個人の主張でもあったでしょうが、共産党という組織の構成員として組織内での立場から転向出来ない、という部分もあるのではないでしょうか? > > とりあえず、議論されたいなら、関係ない話をされず、聞いたことに答えて頂ければと思います。 > > 私は関係ない話はしていないつもりですが、これは高村駿明さんとの意見の違いなので、たぶん、どうしようもないのでしょうね… 関係ない話云々は意見の違いということでもいいでしょうが、問われたことには答えるべきです。 いずれにしろ、日米開戦を防げなかったことを取り上げて山本長官を愚将と非難するのはどうかと思います。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@PPP278.air-1x.dti.ne.jp> |
> 高村さんの仰る通り、山本長官は決定された事項に従う義務があります。 > これは日本型意思決定とは関係なく、組織が大きくなれば自分の知らないところで決まったことにも従わなければならないことはどこにでもあると思います。 これは、軍隊という組織の負う宿命的矛盾かもしれません。 ニュルンベルク裁判の被告の多くは「私は命令に従っただけだ」と弁明しています。 しかし、こと日本に於いては、違う。 ヒトラーやムソリーニに対応する人物を、我々は日本国内に見出すことができないでいるのです。 これはなぜでしょうか? 戦時を生き抜いた我々の曽祖父母が、あの戦争をまるで地震か台風のような、天災のように受け取っていて「陛下は国民と苦労をともにされた」という感慨を述べるのを、そして進駐軍にねだったレーションのコンビーフやチョコレートに対し「こんな美味いものを食っていた国に勝てるわけがないと思った」と無邪気に述べるのを、どうにも割り切れないでいるのです。 例外も見出されるように思うのです。 ガダルカナル戦に反対して更迭された十七軍参謀二見少将、インパール作戦に反対して、やはり更迭された、十五軍参謀小畑少将、抗命を承知で後退した佐藤師団長、罷免された柳田師団長、山内師団長。 > 自分の身がかわいければ、自分の言いたいことだけ言って舞台から下りてしまって、敗戦を予想してたんだから敗戦後に「だから俺は止めろって言ったのに」って言うほうが楽じゃないですか?負けると分かってる戦争でも自分の職責に応じて任務を遂行しようとした現実の山本長官のほうが責任感があるように思うのですが... でも、その結果が260万人の犠牲者と無条件降伏だったのですから、山本長官が職責に忠実であった意味はどこに見出されるでしょうか? 彼が現場最高責任者であっただけ、その所為は重いのです。 > これは当然、個人の主張でもあったでしょうが、共産党という組織の構成員として組織内での立場から転向出来ない、という部分もあるのではないでしょうか? > いえ、かなりの幹部も転向しています。 陸軍参謀本部の宣伝紙「フロント」編集に加わった林達夫はその典型ですね。 むしろ転向を偽装して仲間を救おうという動きが多かったようです。 > 関係ない話云々は意見の違いということでもいいでしょうが、問われたことには答えるべきです。 そろそろ、感情論になりつつあるので、降参します。 議論に加わっていただいた方々、ありがとうございました。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@softbank220006023102.bbtec.net> |
どこが山本五十六愚将論なの? <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@p042.net220148078.tnc.ne.jp> |
議論に参加させていただきたく思います。出先のネカフェからの書き込みになりますが、ご容赦を。 これまでの議論を読みますと、じゃまさんは「真珠湾さえやらなければ、アメリカの戦争参入は当分ない。いずれ参戦してくるだろうが、それまでに長期持久体制を確立できる。」という御主張のようですが、それはあまりにも「甘い」見通しではないでしょうか? 「戦史叢書大本営海軍部・連合艦隊(1)開戦まで」を読みますと、ルーズベルト大統領は就任直後からアジア情勢に関心を持ち、蘭印、英国と米国の相互防衛協定を結ぶ働きかけをしています。結局、日本との軍事衝突を当時望まなかった蘭印、英の反対により協定は結べませんでした。 このように、アメリカは「蘭印方面に日本が進出する」ことを昭和14年頃から警戒しています。そのアメリカが、対日石油禁輸後に日本が蘭印への進出をしようとした場合、その進出が例え武力によらない進駐であったとしても容認するとは思えません。進駐直後、即開戦になると思います。その場合、在比米軍に海上輸送路を封鎖され、真珠湾の太平洋艦隊がマーシャル方面に来襲される、のような二正面作戦を余儀なくされます。長期持久体制確立どころの話ではありません。 対米一国戦争の計画においてさえ、比島攻略中に太平洋艦隊の来寇対策に窮していた日本海軍が「比島の米軍をほったらかしにして蘭印に進出する。」ことに賛成するとは思えません。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@203-179-93-104.cust.bit-drive.ne.jp> |
> 議論に参加させていただきたく思います。出先のネカフェからの書き込みになりますが、ご容赦を。 はじめまして73式さん、これまでお名前はAns.Qや議論ボードで拝見しております。 常連さんの神々のおひとりですね。 > 「戦史叢書大本営海軍部・連合艦隊(1)開戦まで」を読みますと、ルーズベルト大統領は就任直後からアジア情勢に関心を持ち、蘭印、英国と米国の相互防衛協定を結ぶ働きかけをしています。結局、日本との軍事衝突を当時望まなかった蘭印、英の反対により協定は結べませんでした。 戦史叢書大本営海軍部・連合艦隊(1)開戦まで」は未読ですが、73式さんの言うF.ルーズヴェルト大統領就任は1932年、世界恐慌からアメリカを救うと宣言しての登場でしたね。 しかし、彼の政策は孤立主義の流れを汲むもので、1935年のイタリアによるエチオピア侵略に際して中立法を制定し、不干渉の態度をとっています。これは翌1936年のスペイン内戦に関しても同様でした。 1937年の「防疫演説」で、はじめて日、独、伊の三国を侵略国として非難しましたが、これが孤立主義を望むアメリカ国民の不評を買ったことは有名です。 1939年のドイツ軍ポーランド侵入に際してなお、「Fireside Chats」において「アメリカは中立を護るであろう…私はアメリカがこの戦争に加わらないことを希望する」と述べています。 フィリピンではアギナルド将軍の武力抵抗が終わるのが1908年、1935年にCommonWealthとすることを認めています。 彼はアメリカが極東、西太平洋地域に直接関与することを避けていたと考えます。 > このように、アメリカは「蘭印方面に日本が進出する」ことを昭和14年頃から警戒しています。 ↑この戦史叢書の記述が如何なる根拠によるものか、難しいところだと思うのです。 >そのアメリカが、対日石油禁輸後に日本が蘭印への進出をしようとした場合、その進出が例え武力によらない進駐であったとしても容認するとは思えません。進駐直後、即開戦になると思います。 どうでしょうか。 実際にUSAFFE(米比軍)が増強されることはなく、西太平洋方面に兵力が送られることもなく、日本軍は終始優勢に戦いを進めます。 マニラが無防備都市とされ、無血進駐を許したのはご存知の通りです。 さらに、日本軍はフィリピンを制圧したのち、兵力をインドネシア攻略に転用せねばならず、1942年なかばのフィリピンには僅かな治安部隊しかありませんでした。 反撃には絶好のチャンスだったはずです。 しかしこれは見逃されています。 怪物ナチス・ドイツへの対策が急務だったからだと思います。 > 対米一国戦争の計画においてさえ、比島攻略中に太平洋艦隊の来寇対策に窮していた日本海軍が「比島の米軍をほったらかしにして蘭印に進出する。」ことに賛成するとは思えません。 この辺は南方進出を目論む軍令部と、艦隊決戦を望むGFの間でモメたところですね。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@softbank220006023102.bbtec.net> |
> はじめまして73式さん、これまでお名前はAns.Qや議論ボードで拝見しております。 > 常連さんの神々のおひとりですね。 私は神ではありません。小さい頃に軍艦や戦闘機に憧れ、そのまま自衛官になった一人の軍事史が好きな人間に過ぎません。 > 戦史叢書大本営海軍部・連合艦隊(1)開戦まで」は未読ですが、73式さんの言うF.ルーズヴェルト大統領就任は1932年、世界恐慌からアメリカを救うと宣言しての登場でしたね。 > しかし、彼の政策は孤立主義の流れを汲むもので、1935年のイタリアによるエチオピア侵略に際して中立法を制定し、不干渉の態度をとっています。これは翌1936年のスペイン内戦に関しても同様でした。 > 1937年の「防疫演説」で、はじめて日、独、伊の三国を侵略国として非難しましたが、これが孤立主義を望むアメリカ国民の不評を買ったことは有名です。 > 1939年のドイツ軍ポーランド侵入に際してなお、「Fireside Chats」において「アメリカは中立を護るであろう…私はアメリカがこの戦争に加わらないことを希望する」と述べています。 > フィリピンではアギナルド将軍の武力抵抗が終わるのが1908年、1935年にCommonWealthとすることを認めています。 > 彼はアメリカが極東、西太平洋地域に直接関与することを避けていたと考えます。 > > > このように、アメリカは「蘭印方面に日本が進出する」ことを昭和14年頃から警戒しています。 > > ↑この戦史叢書の記述が如何なる根拠によるものか、難しいところだと思うのです。 私も、ついこの間読んだばかりなんです。「戦史叢書大本営海軍部・連合艦隊(1)開戦まで」を。その時に先のレスに書いたような件があるのですが、出展をメモするのを忘れたので「如何なる根拠」かは明示できません。また調べておきますが、確かルーズベルト大統領側近の回想だったと記憶しています。 > >そのアメリカが、対日石油禁輸後に日本が蘭印への進出をしようとした場合、その進出が例え武力によらない進駐であったとしても容認するとは思えません。進駐直後、即開戦になると思います。 > > どうでしょうか。 > 実際にUSAFFE(米比軍)が増強されることはなく、西太平洋方面に兵力が送られることもなく、日本軍は終始優勢に戦いを進めます。 本当に増強されていませんか? P−40やB−17がフィリピンに送られたのは何年何月でしょう?真珠湾で燃えたB−17はどこ行きの機体だったですか? 米アジア艦隊の潜水艦が29隻にまで増強され始めたのは何年何月からでしょう? 在比米陸軍は一兵たりとも増えていないのでしょうか? 1939年以降、在比米軍は増強されているはずなんですが。 > マニラが無防備都市とされ、無血進駐を許したのはご存知の通りです。 > さらに、日本軍はフィリピンを制圧したのち、兵力をインドネシア攻略に転用せねばならず、1942年なかばのフィリピンには僅かな治安部隊しかありませんでした。 > 反撃には絶好のチャンスだったはずです。 > しかしこれは見逃されています。 > 怪物ナチス・ドイツへの対策が急務だったからだと思います。 開戦後、フィリピンへの補給路があったんですか?バターン、コレヒドールに押し込められている米軍が治安部隊しかいないからと、攻勢を開始したところで補給が続かずに息切れするのは目に見えています。物資を運ぼうにも海上は封鎖され、制空権も無い。オーストラリア方面と連絡できる蘭印も日本軍に占領され、後方のポートダーウィンも機動部隊の空襲に遭い、一時的ながら機能を喪失しています。 日本軍が、急速に蘭印方面に進出できたのも、艦船部隊が海上封鎖を続けられたのも、南雲機動部隊がポートダーウィンを空襲できたのも「真珠湾で米太平洋艦隊を半身不随にさせたから」なんじゃありませんか? <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@u01127107.ictv.ne.jp> |
> 在比米陸軍は一兵たりとも増えていないのでしょうか? > 1939年以降、在比米軍は増強されているはずなんですが。 わたしのネタ本は、山岡荘八「小説太平洋戦争」なので、これは、ご承知のとおり、怪しげな代物です(笑)。 在比米地上軍が増強されていたという資料はみたことがないですが、73式さんのおっしゃる通りかもしれません。 > 開戦後、フィリピンへの補給路があったんですか?バターン、コレヒドールに押し込められている米軍が治安部隊しかいないからと、攻勢を開始したところで補給が続かずに息切れするのは目に見えています。物資を運ぼうにも海上は封鎖され、制空権も無い。オーストラリア方面と連絡できる蘭印も日本軍に占領され、後方のポートダーウィンも機動部隊の空襲に遭い、一時的ながら機能を喪失しています。 ええ、ですからフィリピンに手を出す必要が無かったというのが、わたしの持論でして、サイパン、パラオ、トラックが日本側の手中にある以上、フィリピンへの補給路は日本に押さえられています。 フィリピンは「人質」にできたはずなのです。 日本と開戦するつもりなら、アメリカは太平洋艦隊を動かして一大決戦を行う必要があったはずなのです。 で、これが日本海軍の戦略にぴったり合っていたのは、アメリカ側も承知していますから、対日戦線を開くなら、相応の覚悟が必要でしょう。 たかだかオランダの植民地に過ぎぬインドネシアを救うために、アメリカ国民はそんな出血を許しただろうか、と思っているのです。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@softbank220006023102.bbtec.net> |
山本提督の責任は、一つだけです。 sと組むに忠実に、1年以上戦ったら確実に負ける。 戦争は、出来ないとハッキリ言わなかったことです。 尤も、海軍で山本提督ほど、公式の場で責任持てないといった人間はいなかったと記憶してますので、 それを言うのは、酷と思うのは日本人だからでしょうかね。 言ったら言ったで、辞めさせられて、別の人間が対米戦をやるだけでしょうね。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@p6167-ipad301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp> |