Page 214 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼海軍が雷電の代わりに鍾馗を採用していたら 七兵 06/12/31(日) 8:12 ┣Re:海軍が雷電の代わりに鍾馗を採用していたら SUDO 06/12/31(日) 12:49 ┃ ┗鍾馗がダメ戦闘機だったなら じゃま 07/1/6(土) 19:28 ┃ ┗Re:鍾馗がダメ戦闘機だったなら SUDO 07/1/6(土) 19:56 ┃ ┗陸軍は、なぜ「軽戦闘機」をつくってしまったか じゃま 07/1/6(土) 23:28 ┃ ┣それは「無い」。 BUN 07/1/7(日) 0:01 ┃ ┃ ┗ノモンハンの戦訓はどのように反映されたか じゃま 07/1/9(火) 19:22 ┃ ┃ ┣時空の歪み SUDO 07/1/9(火) 19:32 ┃ ┃ ┃ ┗ごめんなさい。 じゃま 07/1/12(金) 22:22 ┃ ┃ ┃ ┗Re:ごめんなさい。 片 07/1/13(土) 19:03 ┃ ┃ ┣Re:ノモンハンの戦訓はどのように反映されたか 大艦巨砲 07/1/10(水) 0:30 ┃ ┃ ┗エンジン ささき 07/1/11(木) 1:14 ┃ ┃ ┗せめて武装だけでも じゃま 07/1/12(金) 22:19 ┃ ┃ ┣Re:せめて武装だけでも SUDO 07/1/12(金) 23:15 ┃ ┃ ┣Re:せめて武装だけでも ささき 07/1/13(土) 4:16 ┃ ┃ ┃ ┗Re:せめて武装だけでも じゃま 07/1/13(土) 19:08 ┃ ┃ ┣Re:せめて武装だけでも(続き) ささき 07/1/13(土) 9:54 ┃ ┃ ┃ ┗恨ミ節つらつら じゃま 07/1/13(土) 21:24 ┃ ┃ ┃ ┣Re:恨ミ節つらつら 通りすがり. 07/1/13(土) 21:59 ┃ ┃ ┃ ┣Re:恨ミ節つらつら SUDO 07/1/14(日) 1:11 ┃ ┃ ┃ ┣Re:恨ミ節つらつら ささき 07/1/14(日) 3:13 ┃ ┃ ┃ ┣グロテスク BUN 07/1/14(日) 4:55 ┃ ┃ ┃ ┗ハリケーンだろうと何だろうと BUN 07/1/14(日) 6:01 ┃ ┃ ┗ふと思う、なら、Fw190のライセンス・・無理ですね 青江 07/1/15(月) 21:27 ┃ ┃ ┗Re:ふと思う、なら、Fw190のライセンス・・無理ですね ヴェトミン 07/1/15(月) 21:56 ┃ ┃ ┗Re:ふと思う、なら、Fw190のライセンス・・無理ですね 青江 07/1/15(月) 22:35 ┃ ┃ ┗Re:ふと思う、なら、Fw190のライセンス・・無理ですね ヴェトミン 07/1/16(火) 1:08 ┃ ┃ ┗Re:ふと思う、なら、Fw190のライセンス・・無理ですね 青江 07/1/16(火) 23:42 ┃ ┗Re:陸軍は、なぜ「軽戦闘機」をつくってしまったか SUDO 07/1/7(日) 0:12 ┣Re:海軍が雷電の代わりに鍾馗を採用していたら 73式 07/1/1(月) 10:09 ┣零戦だけをつくっていればよかった? ゲーマー 07/1/1(月) 12:11 ┗Re:海軍が雷電の代わりに鍾馗を採用していたら 片 07/1/1(月) 20:03 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 海軍が雷電の代わりに鍾馗を採用していたら ■名前 : 七兵 ■日付 : 06/12/31(日) 8:12 -------------------------------------------------------------------------
鍾馗と雷電は、どちらも迎撃戦闘機として開発されました。 鍾馗は昭和13年、雷電は昭和14年に開発が始まりましたが、雷電が振動問題や視界不良などで、昭和19年までもたついて、ようやく制式化されました。 しかし、鍾馗は開戦に間に合っていますし、エンジンは雷電の火星1800馬力に対し1450馬力と非力ながら、最高速度は605km/hで雷電とほぼ同等、上昇力は5000mまで4分15秒と、6000mまで6分14秒かかる雷電に遜色ありません。 機体設計は鍾馗の方が優れていたのではないでしょうか。 惜しむらくは武装が貧弱なことですが、海軍が鍾馗を採用していれば九九式20mm砲は装備できたのではないかと思います。 陸上戦闘機に事欠いていた海軍が鍾馗を採用していれば、堀越チームは烈風の開発に専念できたでしょうし、比島航空決戦、本土防空戦も、うまくいったのではないでしょうか。 (過去に議論ボードで日本空軍独立論が話題となっていますが) |
キ44-2型の見かけ性能は雷電にそうそん色ないようにも見えるんですが、この機体の配備は18年初め頃なんです。開戦時に投入されてるのはキ44-1型の試作機でしかありません(当然試作ですから、まだ不具合は色々あります)性能不足等に苦しみ、発動機等を改修し、やっとなんとか実用できなくも無いかなという性能にこぎつけたのがキ44-2であり、それも発動機の不調から十分な実用性を発揮できず、更なる改善型へと進む段階でキ84疾風へと計画が発展解消していった失敗機だったんです。 つまりは雷電と同様に失敗機なんですよ。 後知恵でいうなら、キ44-2型を出すときに三菱の火星系1500馬力を積んでいたならば、恐らく史実の2型と同程度の性能で、相応の実用性をもった飛行機となったでしょうが、それは果たせなかったわけです。 また短い航続力や短い飛行時間や劣る運動性を補おうとしたら翼面積の拡大は必至であり、そうなると空気抵抗が増加するので、なんとか空力を改善しないといけないということで胴体を絞ったり等の工夫が必要になり、そうなると14試局地戦闘機そのものになります。性能もまあ同じぐらいでぱっとしないでしょうね。で、それでは性能不足ですからエンジンを更に強化するとエンジン不調だとか振動だとかに苦しめられ、つまりは史実の雷電そのものになります。 つまりは、どっちが優れた設計というほどの差は無いのです。 要求される機能に合わせて仕様が定まり、その時得られる技術の都合から設計が定まり、結果として史実の飛行機になるわけで、キ44の見かけ高性能は、単純に燃料と武器弾薬を積まないで小さい翼の小さい飛行機に収めることで稼いでたに過ぎず、あの重量と馬力の割りに上昇性能や速度は低いのですから空気抵抗係数等は恐らく日本が第二次大戦に投入した戦闘機の中で最低ぶっちぎりです(こんなの簡単に計算できますからどうぞご確認を)つまりかなり悪い設計の駄目飛行機なんです。 またそれを陸軍自体も理解しているので、キ44をやりながらキ65の計画を立てており、これは海軍の雷電が早期に成功しそうなら、それを陸軍でも使うツモリという計画ですし、またキ44の発展計画が途中でキ84になってしまったように、手を入れようにも全部作り直しになるほどの、つまりは陸軍からですら見捨てられた飛行機だったのです。 このような事情がありますので海軍が14試の計画を途中放棄してまで乗り変えるという事はありえず、また最初から14試をやらなくて陸軍のキ44が飛んだらそれを採用する予定としたならば、それを得られるのは昭和17年末にも間に合わず、更には環境の苛酷な南方での運用には至難極まりなく、結局は無いのと同じということで、史実以上に困ったことになったでしょう。 |
> つまりは雷電と同様に失敗機なんですよ。 鍾馗が失敗機であったとすると、陸軍の戦闘機開発は、四式戦の完成まで失敗の連続、ということではないでしょうか。 九七戦は、まあ成功としても(いや、武装は最低かも)、一式戦は、出現当時から、世界最弱火力の戦闘機ですし、とても1940年代を生き抜けられないでしょう。 そして二式単戦、三式戦、と失敗作が続き、四式戦でようやくカタログスペックは世界水準に追いついたということでは… 陸軍は零戦を拝借してずーっと使っていた方が、無駄に開発陣と資材を消費するよりマシだった、て話になりますね。 |
> > つまりは雷電と同様に失敗機なんですよ。 > 鍾馗が失敗機であったとすると、陸軍の戦闘機開発は、四式戦の完成まで失敗の連続、ということではないでしょうか。 一式戦闘機は「軽戦闘機」ですから、最初から世界の一線級と対等の性能を狙った戦闘機では無いのです。この点で他国の戦闘機と比べてどうなのかというのは見当違いでしょう。 また陸軍で「軽戦闘機」がずっと主力であり続けなければいけなかったのは、主力になるはずだった「重戦闘機」二式戦闘機の失敗のせいで、まさに四式戦闘機が登場するまでは、まともな重戦闘機(世界水準レベルの戦闘機)は出てこなかったということですね。また軽戦闘機の中で、ずっと一式戦闘機が使われたのは、三式戦闘機の失敗ということです。 こうして眺めれば、別に一式戦闘機は失敗作では無いでしょう。九七式戦闘機から四式戦闘機までの時代をずっと埋め続けることが出来たという部分に於いては大成功で、技術的にも困難だった重戦闘機開発の保険として軽戦闘機を開発取得するという方針は凄く現実的で正しかったといえるでしょう。 仮に一式戦闘機が無かったら、二式戦闘機の失敗はもっと致命的な結果を齎したでしょう(想像してください、1944年まで九七戦使ってるとしたら、それこそ悪夢ですよね) もちろん隼の代わりに零戦を取得しても良いでしょうが、20mm機銃の生産が出来なければ、それこそ隼以下の戦闘機になっちゃいますし、実際のところ大して違うものでも無いでしょう。それに陸軍が本当に欲しいのは重戦闘機で、鍾馗の代わりになる飛行機が欲しいわけで、それは零戦ではちょっと不十分かもしれません(だから陸軍は雷電に注目したわけですな) 結局のところ、陸軍にとっての本命は鍾馗・疾風であって、隼はその完成の目処がつくまでの繋ぎという面が強いのです。雷電の完成までの繋ぎとして扱われた(陸戦としての)零戦とそういう意味では同じことで、何時の時期に隼をやらないで零戦ゲットとするかで話は変わるという面はあるでしょうけど、結局は何の解決にもならないというのは変わらないでしょう。 |
> 一式戦闘機は「軽戦闘機」ですから、最初から世界の一線級と対等の性能を狙った戦闘機では無いのです。この点で他国の戦闘機と比べてどうなのかというのは見当違いでしょう。 見当違いと言われるかもしれませんが、大戦前夜、1938年頃の各国主力戦闘機の武装を比べてみます。 イギリス:ハリケーン7.7mm×8 ソ連:ポリカルポフI-16 20mm×2 7.7mm×2 ドイツ:Bf109B 7.92mm×3 フランス:ドボワチーヌD510 20mm×1 7.5mm×2 アメリカ:P36 12.7mm×1 7.62mm×3 オランダ:フォッカーD 21 7.92mm×4 ルーマニア:IAR81 7.92mm×4 ポーランド:PZL P11 7.7mm×4 イタリア:CR.42 12.7mm×2 7.7mm×2 であって、一式戦I型甲の7.7mm×2という武装は際立って貧弱に見えます。 日本陸軍は、せっかくノモンハン航空戦で、低翼単葉機同士の空戦を経験したにもかかわらず、なぜ「軽戦闘機」「重戦闘機」なるジャンル分けを行ったのでしょうか。 スペイン内戦を経てドイツ空軍が得た結論は、「重戦闘機」による、ロッテ戦法だったのに。 事実「軽戦闘機」たる一式戦は、開戦後一年余りで、ほぼ戦闘機たる機能を失ってしまいます。 陸軍は、「軽戦闘機」「重戦闘機」の区別に拘泥したあまり、四式戦開発に至るまで、余計な回り道をしたのではないでしょうか。 |
まず、7.7mm2挺の一型甲という型式は存在しません。 一型は全て機関砲装備です。 となると比較対象としては13mm級2挺のMC202、や15mmと7.92mm2挺のBf109F-4あたりということになります。時間あたりの弾丸の投射量はあんまり変りません。FW190A-1も7.92mmのみで機関砲がありません。 MC202はさておき先進的なはずのドイツ空軍はなぜこんな具合なのでしょう。 英国戦闘機の武装もハリケーン、スピットファイアの計画時は全て7.7mm4挺です。 多銃装備になるのは後からの追加要求で、機関砲搭載要求はさらに遅れます。しかもそれら重武装要求は当初、双発戦闘機でのみ実現可能との見通しがあり、次期重武装戦闘機は双発案がいくつも浮かんでは消えています。 何処の国も近道を探しながら右往左往しているのが1940年頃までの状況です。 隼という一つの戦闘機計画の責任に帰するのは無理がありますし、軍事行政の誤りとして論評するのであればもう少し深く調べる必要があるでしょう。 |
> まず、7.7mm2挺の一型甲という型式は存在しません。 > 一型は全て機関砲装備です。 > > 何処の国も近道を探しながら右往左往しているのが1940年頃までの状況です。 > 隼という一つの戦闘機計画の責任に帰するのは無理がありますし、軍事行政の誤りとして論評するのであればもう少し深く調べる必要があるでしょう。 私のタネ本は「世界の傑作機」なんですが、これは間違っているんでしょうか。 油断できません。(笑) 「軽戦」「重戦」の区別を始めたのは1938年の「陸軍航空本部兵器研究方針」からだそうなので、これはノモンハン事件の後ですね。 事件後半に投入されたのがソ連第22戦闘機連隊のI-16で、防弾鋼板と20mm砲を備えて急降下性能に優れ、九七式戦闘機を圧倒したために、「特ニ速度性能ニ卓越セシメ」た「重戦」の開発を決めたと。 ここで、もう「軽戦」に見切りをつけても良かったのではないでしょうか。 「軽単座戦闘機に在リテハ格闘戦ニ…卓越セシメ」と格闘戦に未練を残して、二兎を追ってしまったのが災禍のもと、ではないでしょうか。 |
> 「軽戦」「重戦」の区別を始めたのは1938年の「陸軍航空本部兵器研究方針」からだそうなので、これはノモンハン事件の後ですね。 ノモンハンって1939年ですよ? |
> > 「軽戦」「重戦」の区別を始めたのは1938年の「陸軍航空本部兵器研究方針」からだそうなので、これはノモンハン事件の後ですね。 > > ノモンハンって1939年ですよ? まったくその通りですね。 お恥ずかしい限りであります。 |
ノモンハン事件が昭和14年のことであることを理解されたのなら、その先は早いと思ったのですが。 その直後、昭和15年の航空兵器研究方針に基づいて計画された単座戦闘機はキ60〜65です。このほとんどが重戦です。 中でキ61とキ62だけは軽戦という扱いですが、キ61はハ140装備の重戦型キ61IIを本命としており、中間段階にあるキ61Iは「中戦」と呼ばれていました。 キ62にもハ45装備案がありこれも「中戦」と呼ばれていました。 また、それ以前に計画されていたキ43は武装を13ミリ装備に変更し、ハ105またはハ115を装備して翼端を切断したキ43IIを本命とするように変わっています。 つまり、ノモンハン以降にはもう軽戦闘機は作られなくなっているのです。あまり議論の余地のあるところではないと思うのですが。 |
自分の恥をさらすようでもありますが、 Ans,Q、航空5770を一読ください。 |
> ここで、もう「軽戦」に見切りをつけても良かったのではないでしょうか。 で、エンジンはどうするんです? 97戦の次期戦闘機に間に合いそうなのは950hp のハ25と1200hpのハ41しかありませんよ。 隼の翼をぶった切って20mmを積んだ重戦もどきを作ればよかったんですか? それでハリケーンやP-40と対等以上に戦えたんでしょうか? |
> で、エンジンはどうするんです? > 97戦の次期戦闘機に間に合いそうなのは950hp のハ25と1200hpのハ41しかありませんよ。 > 隼の翼をぶった切って20mmを積んだ重戦もどきを作ればよかったんですか? 確かに、エンジンは無かったかもしれませんね。 でも、武装はもっと強力にしておくべきではなかったでしょうか。 一式戦の編隊総がかりで、単機のB-17を攻撃して撃墜できなかったとか、その種の話には事欠きません。 > それでハリケーンやP-40と対等以上に戦えたんでしょうか? みなさんにボコボコにされそうですが、一式戦って、ハリケーンやP-40にほんとに対抗できてたんでしょうか? スペックを見れば、到底かなう相手ではなかったと思います。 それでは緒戦の急進撃をどう説明するのか?という質問が来るでしょうが、それは錬度の差ぐらいしかないです。 二線級の乗員が相手だったから、一式戦でもなんとかなったのではないでしょうか。 連合国から見れば、地図の端にある極東の植民地など、優先度はごく低かったはずです。 そんな田舎で、黄色い猿が少々暴れているからといって、何ほどのことがあるでしょうか? |
> でも、武装はもっと強力にしておくべきではなかったでしょうか。 > 一式戦の編隊総がかりで、単機のB-17を攻撃して撃墜できなかったとか、その種の話には事欠きません。 そんな用途を想定していない飛行機ですよ。 まるで隼に、航空雷撃できないのがいけないとか、人が乗らないのがいけないとか言ってるのと同じですよ。 武器は機能の一部に過ぎないわけで、目的じゃないのです。 爆撃機を落としたいという要求があって重武装が手段の一つとして採択されるのです。同時に速度や上昇力も求めないと爆撃機とくにB-17には対抗しがたいわけですから、武装の一要素に過ぎません。飛行機は航空力学に縛られるのですから、最終的にはエンジンの馬力にかかってくるのです。馬力が限られる段階で出来ること狙うこと目的を絞るのは当たり前の事で、隼がB-17を落とせないのは問題ではないのです。それには鍾馗が当たることになってたのですから鍾馗が完成しなかったことが問題なんですよ(B-17を落とそうと思っていたのに十分に出来なかった零戦とは意味が違うんです) |
> > それでハリケーンやP-40と対等以上に戦えたんでしょうか? > > みなさんにボコボコにされそうですが、一式戦って、ハリケーンやP-40にほんとに対抗できてたんでしょうか? > スペックを見れば、到底かなう相手ではなかったと思います。 > それでは緒戦の急進撃をどう説明するのか?という質問が来るでしょうが、それは錬度の差ぐらいしかないです。 学研の「陸軍機パーフェクトガイド」に大塚好古氏の翻訳による連合軍側から見た日本戦闘機の評価が載っていますが、一式戦は「運動性と上昇力に優れた侮れない相手」と評価されています。 一方、三式戦は「見た目ほど高速ではなく、運動性も鈍い」「P-40 で対抗可能」と言われています。エンジン出力が額面どおり出ていなかったかもしれないというハンディはありますが、敵機より同等以下のエンジン出力で中途半端な重戦モドキを作ればどういう結果になるかを示しているように私には思えます。 > 連合国から見れば、地図の端にある極東の植民地など、優先度はごく低かったはずです。 > そんな田舎で、黄色い猿が少々暴れているからといって、何ほどのことがあるでしょうか? 関係ない方向に話を持ってゆかないでください。 |
> > 関係ない方向に話を持ってゆかないでください。 おっしゃるとおりです。 お詫びします。 申し訳ありませんでした。 |
> 確かに、エンジンは無かったかもしれませんね。 > でも、武装はもっと強力にしておくべきではなかったでしょうか。 搭乗員の回想でも火力不足を嘆く声はよく目にしますし、キ43の翼にホ103があと2挺積めていれば良かったであろうことは否定しません。重量増加のハンディはあるでしょうが、火力倍増のメリットと比べれば許容し得る範囲だったのではないかと思います。 12.7mm x 2 という武装は「軽戦」構想段階においては欧米規準と比べても妥当だったのでしょうが、後知恵で考えれば軽量化を優先して翼銃を積めない設計にしてしまったことは勇み足だったと言えるかもしれません。 しかし仮にそうだったとしても、しょせん 12.7mm 4挺です。重爆相手にはやはり力不足を感じたでしょうし、そもそも「軽戦」たるキ43はそういう任務を想定して作った飛行機でないことには私もSUDO氏と同意見です。 もし本当に必要なら3型乙で試したように機首銃を 20mm に換装するなり、あるいは主翼を再設計して翼銃を増設することも可能だったでしょう。なぜそれをしなかったのかと言えば、おそらくそんな小細工で最初からエンジン出力に限界のある「軽戦」の延命を図るよりは、より潜在能力の高い「重戦」キ84の実用化を急いだほうがメリットが大きいと判断されたからではないでしょうか。 この点、私には雷電実用化を優先し零戦の根本改良(金星換装)が後手に回った海軍/三菱の状況と重なって見えます。雷電の場合は次世代機への期待が裏目に出て、キ84の場合は三千余機の量産という成果につながったと見ることができないでしょうか。 > 連合国から見れば、地図の端にある極東の植民地など、優先度はごく低かったはずです。 > そんな田舎で、黄色い猿が少々暴れているからといって、何ほどのことがあるでしょうか? 既存機改良か新鋭機開発かを選択しなければならないほど薄い設計試作能力、試作機完成から量産に至るまで「死に物狂い」の突貫工事をやっても米国に及ばない量産立ち上げ能力、いざ量産となれば全く勝ち目がないほどの生産能力、こんな国力で米国相手に全面戦争なんかふっかけたのが間違い、勝てる道理なんて最初から全然無いと言われればそれはその通りです。 しかしそれは実際に起こってしまった歴史であり、我々の先達は無理難題と知りつつ必死に方策を探し工夫と努力を重ねているのです。その全てが無駄であり徒労であったと切り捨てることがじゃま氏の見解であるならば、それも一つの歴史史観ではあるでしょう。 しかし私は、彼等がどんな状況に直面し、どういう前提条件で何を考え、どういう方策を持って無理難題に挑もうとしたのかを知りたいと思います。 |
> もし本当に必要なら3型乙で試したように機首銃を 20mm に換装するなり、あるいは主翼を再設計して翼銃を増設することも可能だったでしょう。なぜそれをしなかったのかと言えば、おそらくそんな小細工で最初からエンジン出力に限界のある「軽戦」の延命を図るよりは、より潜在能力の高い「重戦」キ84の実用化を急いだほうがメリットが大きいと判断されたからではないでしょうか。 はあ、Ans.QでBUN様が以前から「一式戦の武装強化は、そのつもりならできていた」とおっしゃっていますね。 > この点、私には雷電実用化を優先し零戦の根本改良(金星換装)が後手に回った海軍/三菱の状況と重なって見えます。雷電の場合は次世代機への期待が裏目に出て、キ84の場合は三千余機の量産という成果につながったと見ることができないでしょうか。 叱られるかもしれませんが、要するに零戦しか無い海軍よりも、一式戦から五式戦までバラエティに富んだ陸軍機の開発史の方が面白いですね。 > > > 連合国から見れば、地図の端にある極東の植民地など、優先度はごく低かったはずです。 > > そんな田舎で、黄色い猿が少々暴れているからといって、何ほどのことがあるでしょうか? ↑この書き込みの不穏当さについては上の枝でお詫び申し上げました。 > 既存機改良か新鋭機開発かを選択しなければならないほど薄い設計試作能力、試作機完成から量産に至るまで「死に物狂い」の突貫工事をやっても米国に及ばない量産立ち上げ能力、いざ量産となれば全く勝ち目がないほどの生産能力、こんな国力で米国相手に全面戦争なんかふっかけたのが間違い、勝てる道理なんて最初から全然無いと言われればそれはその通りです。 コドモの時、ビルマ戦線の一式戦部隊の搭乗員の方の回想録を読んだことがあります。 九七戦に替わって新型の一式戦を受領し、機首機銃のうち一門が12.7mmになって多いに意気が上がったものの、弾丸の腔内爆発が頻発して(炸裂実包がスグ採用されていたものでしょうか)、「危なくて乗っておれん」ということになり、現地で7.7mmに載せかえて出撃していたということでした。 「これでハリケーンやP-40とよく戦っていたものだ」と暗澹たる気持ちになりました。 「もう少し、どうにかならなかったのか」と思いました。 > しかしそれは実際に起こってしまった歴史であり、我々の先達は無理難題と知りつつ必死に方策を探し工夫と努力を重ねているのです。その全てが無駄であり徒労であったと切り捨てることがじゃま氏の見解であるならば、それも一つの歴史史観ではあるでしょう。 > > しかし私は、彼等がどんな状況に直面し、どういう前提条件で何を考え、どういう方策を持って無理難題に挑もうとしたのかを知りたいと思います。 「議論ボード」を眺めていると、しょせん我々は負けてしまった戦争なので、どうにもくやしくて、「ああすれば勝てた」「こうすればもっと良かった」という意見がよく出てきます。 それに対する常連さんの答えは、「当時の状況を調べてみると、日本は、限られた厳しい条件で、それなりに合理的な判断を下し、可能なかぎりの努力を行っていた、一般に言われているほど愚劣でも精神主義でも無かった、あの戦歴はやむを得ない結果だったのだ」というものです。 航空機でも、戦車でも、艦艇でもそんな感じです。 私も、つらい立場に置かれた当事者の苦労をないがしろにするつもりはないです。 でも、その結果、悲惨な戦いを戦って死んでいった人々がいて、それを悲しむ遺族がたくさんいます。やるせないです。 この恨み節、尽きませんねぇ… |
> でも、その結果、悲惨な戦いを戦って死んでいった人々がいて、それを悲しむ遺族がたくさんいます。やるせないです。 > この恨み節、尽きませんねぇ… 60年前の出来事に義憤をぶちまけても、どうにもなりません。 60年前に肉親を亡くされた遺族の方も、ほとんどは鬼籍に入られました。 今現在でも、世界の各地では戦災で親を失う子供は後を絶たず、 日本国内でも引きこもりや、産業構造の激変がもたらしたワーキングプアの 問題は非常に深刻です。 今、そこにある問題に、ぜひとも立ち上がられてはいかがでしょうか。 (活動しているボランティアやNGOはたくさんあります。) |
> この恨み節、尽きませんねぇ… 12.7mmの装備で意気が上がったのですから、隼の12.7mm化は正しい方向だったわけですし、デキが悪くて7.7mmに交換したなら、もっといっぱい積んでいても全然意味は無かったわけですから「隼がもっと重武装だったら」もっと情けなくも悲しい結果になっただけですよ。 つまりじゃまんちおさんの主張に沿って頑張ったら、後世の恨みもつらみも拡大するだけです。 なにやら自己矛盾してませんかね? 道具のデキが悪いことと、その道具をどういう意図で開発したかは「全く異なる話」であり、それをきっちり切り分けた上で、何が悪かったのかを考えてみたらいかがでしょう。 既に散々ヒントは上げているはずなんですけどね。 |
> はあ、Ans.QでBUN様が以前から「一式戦の武装強化は、そのつもりならできていた」とおっしゃっていますね。 日本機も含め、主翼構造を大変更した機体は少なくありません。桁本数を変える変更も一式陸攻で実際に行われています。一式戦だけ「原理的にできなかった」と断じる理由はないでしょう。 > コドモの時、ビルマ戦線の一式戦部隊の搭乗員の方の回想録を読んだことがあります。 > 九七戦に替わって新型の一式戦を受領し、機首機銃のうち一門が12.7mmになって多いに意気が上がったものの、弾丸の腔内爆発が頻発して(炸裂実包がスグ採用されていたものでしょうか)、「危なくて乗っておれん」ということになり、現地で7.7mmに載せかえて出撃していたということでした。 > 「これでハリケーンやP-40とよく戦っていたものだ」と暗澹たる気持ちになりました。 > 「もう少し、どうにかならなかったのか」と思いました。 なぜ「安全性疑惑のある炸裂弾の使用を止め、徹甲弾と焼夷曳光弾のみを装填して運用する」という選択肢が無かったのか、試したけどダメだったのか、腔発以外の故障も頻発してホ103そのものに対する不信があったのか、という風に考えてしまいますが…。 「もう少しマシにはならなかったのか」は、この趣味に手を染めていれば、誰も一度は考えることだろうと思います。 私個人の現時点での解釈では、兵器の性能仕様が多少変わったところで戦争の結末がどうにかなるものでもないし、戦争の結末を変えられるほどの国力があれば最初から戦争なんかやっていなかっただろう、と考えています。 > 「議論ボード」を眺めていると、しょせん我々は負けてしまった戦争なので、どうにもくやしくて、「ああすれば勝てた」「こうすればもっと良かった」という意見がよく出てきます。 > それに対する常連さんの答えは、「当時の状況を調べてみると、日本は、限られた厳しい条件で、それなりに合理的な判断を下し、可能なかぎりの努力を行っていた、一般に言われているほど愚劣でも精神主義でも無かった、あの戦歴はやむを得ない結果だったのだ」というものです。 > 航空機でも、戦車でも、艦艇でもそんな感じです。 > > 私も、つらい立場に置かれた当事者の苦労をないがしろにするつもりはないです。 > でも、その結果、悲惨な戦いを戦って死んでいった人々がいて、それを悲しむ遺族がたくさんいます。やるせないです。 日本が「大東亜戦争」に負けた理由と、個々の戦闘で負けた理由は必ずも同じではないでしょう。「負けた戦闘」の内実が欧州の戦闘に比べて悲惨(玉砕、特攻、集団自決、飢餓疫病死など)である理由も同一に扱うことはできないでしょう。兵器の性能仕様はその原因であることもあれば結果であることもあり、単純に「こんなダメな兵器で戦闘に臨んだからこんな悲惨な戦闘を重ねて戦争に負けたんだ」という話にはならないのではないでしょうか・ それら一連の出来事が起こってしまった理由には何か一本繋がるものがあるのかもしれませんが、そこにすべての原因を求めて諸悪の根源としてしまうことは、「鹿を追うもの山を見ず」に入ってしまうのではないかと思います。「要するに日本語の言語構造が野蛮であるからいけないのであって、フランス語を新国語にすればよろしい」などという頓珍漢な結論を招きかねないのではないでしょうか?「日本語」を「愚劣な軍部」や「人命軽視の精神性」「時代遅れの欠陥兵器」だとかに置き換えても同じことでしょう。 > この恨み節、尽きませんねぇ… じゃまさんがどのような歴史観を持たれようとも御自身の自由ですが、その「恨み」をぶちまける相手を探しに議論ボードへ持ち込まれるのは御勘弁願いたいと思います。 「常連さん」と一括りにされても困りますが、少なくとも私個人は、兵器の性能仕様にせよ作戦上の判断にせよ、日本が他に検討の余地もない100点満点の正解を取り続けたとは考えていません。また、たとえ当時の状況でベストの手段と考えられたにせよ、玉砕前提の島嶼防衛戦や大規模特攻作戦のような戦術を是として良いものかという批判はむしろなされて然るべきだとも考えます。 ただ、それを「無念の死を強いられた声なき兵士の英霊にかわって」糾弾されることには戸惑いを覚えます。 |
> 私も、つらい立場に置かれた当事者の苦労をないがしろにするつもりはないです。 > でも、その結果、悲惨な戦いを戦って死んでいった人々がいて、それを悲しむ遺族がたくさんいます。やるせないです。 > この恨み節、尽きませんねぇ… 犠牲者や遺族を持ち出して来る神経を疑います。 今までの口調、態度はそのような姿勢とは全く異なるものです。 ただ世傑一冊を広げて何かを言おうとしたり、極端な言葉遣いをしては不真面目に訂正したり、挙句の果てには遺族ですか。 私は必ずしも戦死者や遺族の立場に立って物事を考える必要はないと思っています。 たかだか兵器の愛好家にそんな立場はとれないからです。 こんなグロテスクな真似はどうか止めて戴きたく思います。 |
> 「これでハリケーンやP-40とよく戦っていたものだ」と暗澹たる気持ちになりました。 > 「もう少し、どうにかならなかったのか」と思いました。 負けてしまった戦争に使われた兵器の評価を今さらどう言っても仕方がありませんが、結果が既に出ているものについて、ある結論に結びつけるためだけに特定の事実を大きく扱う例が日本の戦記には多く見られます。 例えばニューギニアでハリケーンよりも遥かに高性能な米軍新鋭機と激戦を戦う第五十九戦隊の南郷大尉が「もはや一戦の時代にあらず」と日記に書き残していますが、これを読んで「確かにそうだなぁ」と思うのも当然ではあります。けれども当の南郷大尉の日記を全て通して読めばその後の日付けで「まだまだやれるぞ」という内容も読めるのです。 これは個人の日記とは、その人がどのような状況でどんな感情で書き残しているのかを読み取るべきものだということです。 隼に関しては「果たしてこれで英米の第一線戦闘機と戦えるのか」という危惧が開戦までつきまといますが、実際に英軍戦闘機との空戦が開始されるとその成績の良さに航空本部と航空技術研究所が驚いている様子が窺えます。空戦が極めて有利に行われている。敵戦闘機は機関砲を装備していない。防弾装備は有効である。との開戦前の危惧に対する報告が次々に戻っているのです。 何と何が心配されていたか。そしてその問題はどう結論されたか。そういった追いかけ方をしなければ「あれでよくハリケーンと・・」と言ったところで、ただの雑談の域を出ることもなく敵味方双方の認識から遠ざかるばかりでしょう。 話は変りますが、南方航空戦開始より一年半前に戦われたフランス空軍との戦闘でハリケーンどころではない旧式機であるはずの7.5mm機銃4挺装備の仏軍戦闘機に「重戦闘機」Bf109Eが大量に撃墜されています。重戦闘機とやらの戦績があまり良くないのです。 これは仏軍搭乗員の技量が独空軍に対して格段に優れるためでしょうか。あるいはBf109Eの飛行性能が劣るためでしょうか。さもなくば7.5mm機銃で簡単に撃墜されてしまうBf109Eの貧弱な防弾装備を放置した独空軍中枢の人命軽視、攻撃偏重主義が受けた手痛いしっぺ返しなのでしょうか。 それとも空中戦闘とは東でも西でも、元来そうしたものなのでしょうか。 また機関砲弾の不良は補助的に使われていたブレダの十三粍弾である「イ式榴弾」に発生した問題です。その事例を引っ張って来て日本の機関砲そのものが無効な兵器だったと結論づけたいのでしょうか。 |
某架空戦記のようにFw190A(D以降は完全無理)くらいのライセンスと考えても、戦闘機を戦闘機足らしめる、機銃が生産できませんね。 翼に搭載してあっても、プロペラの圏内ですから。 翼の設計しなおしなど、意味なくなりますしね。 三式戦、5式戦の調締機が、完成して居ても、今度はエンジンから遠過ぎる。 航続も小さいし、只、大きさと馬力からすると火星でエンジンが代用できそうなことくらいが、可能性ですね。 |
> 某架空戦記のようにFw190A(D以降は完全無理)くらいのライセンスと考えても、戦闘機を戦闘機足らしめる、機銃が生産できませんね。 > 翼に搭載してあっても、プロペラの圏内ですから。 > > 翼の設計しなおしなど、意味なくなりますしね。 日本が輸入したA-5までのサブタイプでも、外翼に20mm機銃/機関砲を搭載できるのですから、別段主翼の再設計など必要ないでしょう。 本国でも20mm×2門の追加は一長一短有りだった訳ですし。米英軍の戦闘機が無理にプロペラ圏内への機銃搭載にこだわらなかったように、制約の多い圏内同調にこだわる必要はないと思いますが? |
> > 某架空戦記のようにFw190A(D以降は完全無理)くらいのライセンスと考えても、戦闘機を戦闘機足らしめる、機銃が生産できませんね。 > > 翼に搭載してあっても、プロペラの圏内ですから。 > > > > 翼の設計しなおしなど、意味なくなりますしね。 > > 日本が輸入したA-5までのサブタイプでも、外翼に20mm機銃/機関砲を搭載できるのですから、別段主翼の再設計など必要ないでしょう。 > 本国でも20mm×2門の追加は一長一短有りだった訳ですし。米英軍の戦闘機が無理にプロペラ圏内への機銃搭載にこだわらなかったように、制約の多い圏内同調にこだわる必要はないと思いますが? 局地戦ですから、最低20mmx4は、欲しい訳で、外翼に4門乗せたい訳ですよ。 其の場合、設計変更が必要でしょう。 そして、戦争初期の20mmで使えるのは、海軍の1号と2号銃だけで、発射速度が低い から、4門にしたい。 飛燕の様に輸入を使えば・・・、としても、限界があるでしょう? 届くかも判らんのですから。 加えて、この時期では、防弾ガラスさえ作れないこともある。 |
> 局地戦ですから、最低20mmx4は、欲しい訳で、外翼に4門乗せたい訳ですよ。 > 其の場合、設計変更が必要でしょう。 > そして、戦争初期の20mmで使えるのは、海軍の1号と2号銃だけで、発射速度が低い > から、4門にしたい。 ここ時期、局地戦だから最低20mm4門が必要なんて後知恵もいいところでしょう。それに陸軍の重戦はあくまで主力戦闘機であって単なるインターセプターではありませんけど・・・。 |
> > 局地戦ですから、最低20mmx4は、欲しい訳で、外翼に4門乗せたい訳ですよ。 > > 其の場合、設計変更が必要でしょう。 > > そして、戦争初期の20mmで使えるのは、海軍の1号と2号銃だけで、発射速度が低い > > から、4門にしたい。 > ここ時期、局地戦だから最低20mm4門が必要なんて後知恵もいいところでしょう。それに陸軍の重戦はあくまで主力戦闘機であって単なるインターセプターではありませんけど・・・。 後知恵とは、いえないと思いますよ。 17年初期のB17撃墜時点で、既に火力の不足は明確化してます。 只の制空機なら、零戦でも隼でも良い訳で、太平洋で使うには、航続力の不足が、致命的なのも明らかです。 燃料の増加の為の改造は不可欠でしょう。 BMW801は、日本での製造も無理でしょうし、火星は外形が大きく更に視界を悪くします。 出力の近い火星に変えた場合、重さが300Kgほど軽くなる利点も無いではないですが そして、MG13も変えなければ成りませんしね。 誉やハ43が早く使えれば、性能も良くなるでしょうが、是も、時期的に無理なのと、この時期にこれらのエンジンが出来て使えれば、他の飛行機でよいのですから |
> 日本陸軍は、せっかくノモンハン航空戦で、低翼単葉機同士の空戦を経験したにもかかわらず、なぜ「軽戦闘機」「重戦闘機」なるジャンル分けを行ったのでしょうか。 真っ当な重戦闘機を作れないからです。 また重武装で知られる零戦の20mmは対爆撃機の目的をもったもので、対戦闘機の武装は7.7なのですから、戦闘機相手の空戦を前提としているキ43が7.7mmなのは不思議でもなんでもないでしょうし、途中から12.7mmへと変更が進められているのですから、対戦闘機用の武装として致命的に不足しているわけでもありません。 > 陸軍は、「軽戦闘機」「重戦闘機」の区別に拘泥したあまり、四式戦開発に至るまで、余計な回り道をしたのではないでしょうか。 拘泥とは非常に不思議な指摘ではないかと。 二式と一式の関係は、理想戦闘機とそれが作れない場合の保険を用意しただけのことでは? それとも技術的な挑戦をそこそこに押えた微妙なラインを狙ってみろと? 四式戦闘機はそういう戦闘機ですが、残念ながら昭和12年の日本では、その技術的冒険を相応に我慢すると一式戦程度にしかならないほどに世界から遅れていたのです。 単純にどの時代にどの程度のモノがあったのかを考えれば、アレ以上の背伸びは出来ないし、アレ以下でやったら九七戦と変わらない飛行機になるのです(それはキ43の初期試作機を見れば判りますね) |
> 鍾馗と雷電は、どちらも迎撃戦闘機として開発されました。 > 鍾馗は昭和13年、雷電は昭和14年に開発が始まりましたが、雷電が振動問題や視界不良などで、昭和19年までもたついて、ようやく制式化されました。 > しかし、鍾馗は開戦に間に合っていますし、エンジンは雷電の火星1800馬力に対し1450馬力と非力ながら、最高速度は605km/hで雷電とほぼ同等、上昇力は5000mまで4分15秒と、6000mまで6分14秒かかる雷電に遜色ありません。 キ−44IIとJ2M3を比較しているようですが、開戦時という条件ならばキ−44IとJ2M1のほうがよいと思います。 キ−44IはJ2M1に比べて一回り小さい機体です。手元の資料によりますと、J2M1よりも若干優速に思えますが、機体規模をJ2M1並みにした場合は劣速になるのは明らかです。また、キ−44Iに搭載されているハ−41は全開高度が低いので高高度では、J2M1の方が優位です。キ−44Iは5000mでは534km/h、J2M1は6000mで578km/h。零戦二一型でも4200mで533km/hをだしますので、キ−44Iを採用するくらいなら、零戦増産でも間に合います。 > 機体設計は鍾馗の方が優れていたのではないでしょうか。 上のレスでSUDOさんも書いていますが、特段優れているわけではありません。 > 惜しむらくは武装が貧弱なことですが、海軍が鍾馗を採用していれば九九式20mm砲は装備できたのではないかと思います。 上にも書きましたが、速度が零戦と大差は無いので20mmをキ−44Iに搭載しても採用されないでしょう。 > 陸上戦闘機に事欠いていた海軍が鍾馗を採用していれば、堀越チームは烈風の開発に専念できたでしょうし、比島航空決戦、本土防空戦も、うまくいったのではないでしょうか。 キ−44Iを採用しても、海軍にメリットはありません。確かに堀越チームがJ2M1の試作から解放されはしますが、烈風の開発に専念しても誉の出力不足、ハ−43の昭和19年度実用化がなければ、烈風は比島航空決戦、本土防空戦には間に合いません。 |
私、某社の太平洋戦争シミュレーションゲームにハマっています。 で、これはゲームの中の話なんですけど、昭和十八年半ばまで、使い物になる戦闘機って零戦しかないんです。 キ44は航続力不足で展開に時間がかかるし、キ43は火力が貧弱で、航続力以外にとりえがない、キ61は故障ばかりで役に立たない。 まあ、キ84や紫電改が出てきてもトラブル続きですし。 ってわけで、史実でも、乏しい日本の工業力では零戦だけの生産に専念して、質はともかく量だけ揃えていたほうが良かったのかなという気がします。 |
> 惜しむらくは武装が貧弱なことですが、海軍が鍾馗を採用していれば九九式20mm砲は装備できたのではないかと思います。 二式戦の機体設計の根本にあるのは、面積が小さく薄い主翼で高速を狙おうというものです。 この主翼には九九式20ミリを収容する容積はありません。 この一点だけでキ44の海軍での採用は不可能だったと思われます。 |