Page 195 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼大艦巨砲主義 なぜか「山城」が好き。 06/11/4(土) 22:16 ┣Re:大艦巨砲主義 RNR 06/11/5(日) 0:23 ┃ ┗Re:大艦巨砲主義 Ranchan 06/11/5(日) 12:15 ┃ ┗Re:大艦巨砲主義 RNR 06/11/5(日) 19:45 ┃ ┗Re:大艦巨砲主義 Ranchan 06/11/7(火) 19:00 ┣Re:大艦巨砲主義 通りすがり 06/11/5(日) 0:38 ┣Re:大艦巨砲主義 Ranchan 06/11/5(日) 0:39 ┗Re:大艦巨砲主義 もりつち 06/11/5(日) 9:36 ┣Re:大艦巨砲主義 薩摩 06/11/5(日) 13:06 ┃ ┗Re:大艦巨砲主義 もりつち 06/11/5(日) 13:53 ┗Re:大艦巨砲主義 SUDO 06/11/5(日) 18:05 ┗Re:大艦巨砲主義 もりつち 06/11/5(日) 18:40 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 大艦巨砲主義 ■名前 : なぜか「山城」が好き。 ■日付 : 06/11/4(土) 22:16 -------------------------------------------------------------------------
「日本海軍は太平洋戦争中は大艦巨砲主義から抜け出せなかった」というイメージが強いですが、大和が作られたのは1941年、武蔵は1942年に対し、アメリカはノースカロライナ1941年、サウス・ダコタ1942年、アイオワ1943年とアメリカの方が戦艦作り続けているという事実。皆さんどう思いますか? |
> 「日本海軍は太平洋戦争中は大艦巨砲主義から抜け出せなかった」というイメージが強いですが、大和が作られたのは1941年、武蔵は1942年に対し、アメリカはノースカロライナ1941年、サウス・ダコタ1942年、アイオワ1943年とアメリカの方が戦艦作り続けているという事実。皆さんどう思いますか? 本国のHMS Vanguardは1946年、フランスのFS Jean Bartに至っては1949年竣工ですが?戦艦を造り続けた両海軍は日米海軍以下の存在なんですか?それに「大和」級のスペックを米海軍が正確に知りえたならUSS Montanaの建造強行すらあり得たのですが。 そもそも「大艦巨砲主義」ではなく、「艦隊決戦主義」の間違いじゃありませんか? |
> 本国のHMS Vanguardは1946年、フランスのFS Jean Bartに至っては1949年竣工ですが? 皆様便乗質問をお許し下さい。もし宜しければご教授頂ければ幸いです。 ・今回たまたま私物の資料を調べておりましたところ、仏戦艦「ジャン・バール」は資料によって竣工年が「1949」「1950」「1955」とさまざまなのですが、何故なのでしょうか? 注:たまたまRNR様の文中に「『ジャン・バール』の竣工年」が示されたのでこちらに書き込ませて頂いたもので、当文はRNR様へのレスのつもりではございませんし、ましてや「『ジャン・バール』の竣工年が誤りである」と指摘したい訳ではございません。 紛らわしい記述となってしまいましたことお詫び致します。 |
Ranchan様、こんにちは。 > > ・今回たまたま私物の資料を調べておりましたところ、仏戦艦「ジャン・バール」は資料によって竣工年が「1949」「1950」「1955」とさまざまなのですが、何故なのでしょうか? 「1949」は昨年のIFOSで同艦(現代)が来航した際に艦内にあった歴代記録(艦橋にあった銘板)とShip Brochureによります。これが間違いであればそれはMarine Nationaleの責に帰します。 「1950」「1955」については推測ですが、同艦退役時の「1961」(現役引退)「1969」(スクラップ売却)「1970」(艦籍抹消)と同様の理由によるものではないでしょうか? |
レスが遅くなりまして申し訳ございません。 > 「1949」は昨年のIFOSで同艦(現代)が来航した際に艦内にあった歴代記録(艦橋にあった銘板)とShip Brochureによります。これが間違いであればそれはMarine Nationaleの責に帰します。 > > 「1950」「1955」については推測ですが、同艦退役時の「1961」(現役引退)「1969」(スクラップ売却)「1970」(艦籍抹消)と同様の理由によるものではないでしょうか? なるほど、現在現役の「ジャン・バール」(4代目)艦橋内に「戦艦『ジャン・バール』(3代目)は1949年竣工である」と明記してある訳ですか・・・。 とすると、 ・フランス海軍の正式な見解としては「1949年竣工」である。 ・他の「竣工年」(1950、1955)は各資料著者による「竣工」の基準の相違(「公試終了をもって『竣工』」「引渡し時をもって『竣工』」「艦籍編入時をもって『竣工』」)など?) というところでしょうか。ご教授有難うございました。 |
調べたらイリノイ・ケンタッキーは42年起工の45年中止だそうで しかもケンタッキーは戦後建造が再開されてます。 流石に堂々の艦隊砲撃戦がまだあると思っていたわけではないでしょうけど 空母量産しながら、戦艦建造にもリソースが振れるほど米国が豊かだったと いうことでしょうね。 |
>大和が作られたのは1941年、武蔵は1942年に対し、アメリカはノースカロライナ1941年、サウス・ダコタ1942年、アイオワ1943年とアメリカの方が戦艦作り続けているという事実。皆さんどう思いますか? 「太平洋戦争当時のアメリカは(やろうと思えば)空母も戦艦も大量建造出来る力があった」というだけのお話で、別に戦艦主力主義云々とのお話ではないと思います。 例えば、エセックス型空母は戦前の段階で11隻建造予定されています。 本当に戦艦主力主義ならエセックス型や護衛空母などをもっと減らして、その分で史実では建造中止となった「イリノイ」(BB-65)「ケンタッキー」(BB-66)やモンタナ型を建造するのではないでしょうか。 |
> 「日本海軍は太平洋戦争中は大艦巨砲主義から抜け出せなかった」というイメージが強いですが、大和が作られたのは1941年、武蔵は1942年に対し、アメリカはノースカロライナ1941年、サウス・ダコタ1942年、アイオワ1943年とアメリカの方が戦艦作り続けているという事実。皆さんどう思いますか? 米海軍がこれら新鋭戦艦群を空母機動部隊の重要な構成要素として有効活用できたこと。 対する我が海軍が新鋭戦艦群を必ずしも有効活用できなかったことは着目すべきことだと思います。 我が海軍が「大艦巨砲主義から抜け出せなかったか」という命題については、客観的な事実はとにかくとして、ある立場の人がある角度から見れば「そういった見方も可能である」ということなのではないでしょうか。 |
> 米海軍がこれら新鋭戦艦群を空母機動部隊の重要な構成要素として有効活用できたこと。 > 対する我が海軍が新鋭戦艦群を必ずしも有効活用できなかったことは着目すべきことだと思います。 米海軍が戦艦を空母の護衛につけた例として南太平洋海戦があると思います。 しかし、これは戦艦を重要な構成要素として考えたというより本来周りを固めるべき軽快艦艇がソロモン海域における一連の戦闘により消耗していた事が大きいのではないでしょうか。 軽巡洋艦、駆逐艦が充実してきた1944年以降は戦艦群と空母群で別個の部隊構成となっていますし(マリアナ沖海戦とか)、やはり米海軍の場合は「金持ちは何でも出来る」という事ではないかと…。 |
薩摩様、はじめまして。 > 米海軍が戦艦を空母の護衛につけた例として南太平洋海戦があると思います。 > しかし、これは戦艦を重要な構成要素として考えたというより本来周りを固めるべき軽快艦艇がソロモン海域における一連の戦闘により消耗していた事が大きいのではないでしょうか。 薩摩様の仰ることが正しいか否かは私には判断できません。 「そういう事情があったのかもしれないなあ」 としかお答えできません。 ただ、仮に薩摩様の仰る通りだとしても、私が指摘した内容(我に比して彼は新鋭戦艦を空母機動部隊の構成要素としてより有効に利用した)は否定されていないと思います。 > 軽巡洋艦、駆逐艦が充実してきた1944年以降は戦艦群と空母群で別個の部隊構成となっていますし(マリアナ沖海戦とか)、 マリアナ沖海戦でも米新鋭戦艦は空母機動部隊の構成要素ですよ。同海戦に参加した米新鋭戦艦7隻は、いずれもTask Force 58(第58機動部隊)に所属しています。このTask Force 58は高速空母を中核とする空母機動部隊です。 参考 http://pacific.valka.cz/forces/tf58.htm >「金持ちは何でも出来る」 全くその通りですね。 |
> 米海軍がこれら新鋭戦艦群を空母機動部隊の重要な構成要素として有効活用できたこと。 > 対する我が海軍が新鋭戦艦群を必ずしも有効活用できなかったことは着目すべきことだと思います。 南太平洋海戦で空母機動部隊の空襲と同時に勇躍南下した我が高速戦艦群の圧力が、空母ホーネットを放棄自沈に追い込んだわけで、あれが金剛であったか大和であったかは些細なことですね。そして、マリアナ沖海戦では更にこれを強化した形で日本軍は布陣しており、大和以下の主力戦艦群の前進が行われています。仮に機動部隊の殴り合いが首尾よく行けば戦艦群の敵艦隊との接触も期待できたでしょう。これを機動部隊の重要構成要素としていないと考えるのは少し視野狭窄が過ぎるでしょう(また、同様な運用は米海軍も行っております) 空母の護衛運用を新型戦艦に行わせていないという部分は、敵戦艦の脅威が我が空母に至る可能性が低い時期に行う必要性が無いというだけのことでしょう(何しろ大和の実質的戦力化は1942年いっぱいまでは怪しいわけですから) また空母への護衛として張り付いた南太平洋海戦のサウスダコタは結局南下してきた日本軍水上部隊との交戦を行わずに退却して、ガダルカナル近海で空母の直掩についていたノースカロライナも無駄に潜水艦に傷つけられているわけですから、多少武装の良い巡洋艦代わりに出した結果、役に立った例が無いというのも注目すべきでしょう(これは南雲機動部隊についた金剛型でも同様ですな) 確かに戦艦をも含む敵水上艦部隊に捕捉されて始末された空母は複数存在しており、空母部隊に対水上戦への備えも必要であるというのは全くの事実ですが、戦艦という駒を、起きるかどうか定かではない空母の水上戦巻き込まれへの保険として用いるのは、戦艦を打撃戦力として運用する場合と比べて「有効活用」としては劣位になります。 別途有力な戦艦部隊を打撃戦力として準備できるならば、一部の余裕を保険に回すのは手立てとしてアリですし、また打撃戦力として用いるには寒い戦力しかないならば、港で腐れさせておくよりは保険として出したほうがまだマシかもしれないというだけのことです。 アメリカ海軍の戦艦はこうした常識的思考に基づいて運用されているだけであり、またそれは日本側も同様で、双方とも彼我戦艦戦力比や空母戦力及び基地航空兵力との連係に則った使われ方をしているだけのことです。 |
SUDOさま、詳しい説明ありがとうございました。 大変勉強になりました。 |