Page 167 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼原爆投下は善か非か 低みの見物者 03/6/11(水) 19:33 ┣Re:原爆投下は善か非か おうる 03/6/11(水) 20:23 ┃ ┗原爆は空軍の本質 BUN 03/6/13(金) 7:07 ┣Re:原爆投下は善か非か 峯雲 03/6/11(水) 20:47 ┣まったく関係ないですが・・・。 無頼庵 03/6/11(水) 23:41 ┣論点 ささき 03/6/12(木) 2:46 ┃ ┗無差別殺戮は当時から違反とみる 峯雲 03/6/12(木) 20:57 ┃ ┗グレイ・ゾーン ささき 03/6/13(金) 1:15 ┃ ┗降伏しない方に責任がある? 峯雲 03/6/13(金) 6:59 ┃ ┗何か食い違ってるなぁ ささき 03/6/13(金) 11:51 ┃ ┗確かに特別ではありません 峯雲 03/6/13(金) 21:41 ┗投下の正当化は所詮、結果論 峯雲 03/6/13(金) 22:24 ┣正しいかどうかではないが・・ アリエフ 03/6/14(土) 0:48 ┃ ┗早期和平の機会を握りつぶしていたのは米国です 峯雲 03/6/14(土) 6:50 ┃ ┗Re:早期和平の機会を握りつぶしていたのは米国です アリエフ 03/6/14(土) 9:43 ┃ ┗8月6日の投下日設定も正当性はない 峯雲 03/6/14(土) 16:50 ┗で・・ アリエフ 03/6/14(土) 10:20 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 原爆投下は善か非か ■名前 : 低みの見物者 ■日付 : 03/6/11(水) 19:33 -------------------------------------------------------------------------
1945年8月6日と9日、広島と長崎に原爆が投下されました。この時の死者は20万人以上にもなりました。これにより日本政府は8月15日に連合国にたいし無条件降伏し、第二次世界大戦は終結しました。もしこの時原爆が投下されていなかったとしたら・・戦争は今後も続き、北海道にはソ連軍が、九州、関東にはアメリカ軍が上陸し、おそらく両軍あわせて200万人以上死んでいたかも知れません。そして朝鮮半島のように南北に分かれ、東西冷戦の最前線になり、北に住む人々は強制連行されさらに数十万人もの人々が餓死、凍死などで死んでいたかもしれません。しかし投下したことによって広島と長崎に住む人々に深い傷が残りました。はたして、原爆投下は善か非か。ここではそのことについて議論していきたいと思います。 |
揚げ足とるようでなんですが、「善か非か」ではなく「是か非か」だと思う・・・意味的には全く同じなんだけど・・・。 まぁ、そんな下らないことはおいといて… 日本の無条件降伏はソ連の参戦によって、和平への道が閉ざされたのが直接の動機となっているのであって、原爆投下がどの程度戦争終結に貢献したかは甚だ疑問を感じます。 原爆は当時は未だ通常兵器の延長線上にある「威力のある爆弾」としか認識されておらず、放射能というモノが発揮する威力については全く把握されていませんでした。つまり、当時の日本人(おそらくはアメリカ人も)にとって原爆投下は、他の都市でも行われた絨毯爆撃と同質のものとしか思えなかった筈です(特に中央の人間にとって)。 アメリカ戦略爆撃調査団は戦略爆撃が敵国の戦争継続能力に対して決定的な威力は発揮しなかった(場合によっては敵国民の発奮を促し、かえって生産力増加をもたらした事すらあった)と報告していたように記憶しています。 原爆が「特別な兵器」に位置づけられたのは戦後の被爆地調査によって、です。 私は、原爆は戦争の早期終結には何の貢献もしなかったと思います。 しかし、日本の戦後統治が米軍のみで行われ、日本が朝鮮やドイツのように分裂しなかったのは、原爆投下の影響だったであろうとも考えます。 |
戦略爆撃調査団報告は、各爆撃作戦の結果についてかなり積極的な自己評価をしています。そしてその結果は日本の生産力低下に直結していますから、日本本土の爆撃は失敗ではありません。基本的には爆撃した方もされた方もその効果をよく認識していたと考えて良いと思います。 原爆についてですが、これは戦略爆撃本来の目的によく合致した新兵器という意味で特別な爆弾だったことでしょう。開戦劈頭に敵国主要都市を市民もろとも壊滅させて野戦軍を撃破する以前に国家そのものを混乱に陥れて瓦解させるという発想に最も近い兵器が原爆だったと思います。そして戦争途中に使われたにも関わらず、その効果が顕著に見られたのですから、米国はその後の戦争で「戦略爆撃」が必要と考えられる局面に出会えば躊躇無く使用に踏み切ったことでしょう。 原爆がそうした性格の兵器である以上、道義的な問題で原爆を批評しても何にもならないのではないでしょうか。 もちろん国際法違反として罪を負うことはありませんし、今後もそうでしょう。 空軍というものは元々がそうしたものだからです。 |
細かいことですが、気になるので少し突っ込み入れさせていただきます。 > これにより日本政府は8月15日に連合国にたいし無条件降伏 ポツダム宣言受諾決定及び連合国への受諾回答発電は8月14日、玉音放送が 8月15日、自衛戦闘を除く即時戦闘停止命令が8月16日、9月2日が降伏 文書調印です。 また、無条件降伏したのは「日本国軍隊」であって、ポツダム宣言自体は連合国 が降伏条件を提示した宣言であり、その意味では条件降伏であって「日本国が 無条件降伏した」とする表現には問題があるとする強い主張があります。 原爆投下と広島・長崎の20万人以上の死者というのは、また必然のようですが、 必ずそうとも言えません。 例えば広島は、当時臨海地帯に軍事施設や工場などの重要施設が位置していまし たが、原爆が投下されたのは臨海部ではなくてもっと市の中心部であったため、 人的被害が増したという考え方があります。投下が「一般市民殺傷」ではなく 「軍事拠点の破壊」を主目的とした臨海地帯へのものであれば、人的犠牲はもっと 少なくて済んだはずです。 また、確証は得られていませんが、より人的被害を増加させるため、最初の広島 上空進入時に原爆投下せずに通過し、空襲警報が解除された頃を見計らって反転 進入し、警報解除により安心して防空壕から出てきた人を殺傷させたとする 「反転爆撃説」もあります。事実、放射能被爆は避けられないにしても、防空壕 に入っていれば、爆風や熱線の被害はだいぶ軽減されたはずなのです。 だから広島への原爆投下による膨大な犠牲者は投下による必然ではありません。 はじめから「一般市民殺傷」を目的とした投下だったから、犠牲が極めて多く なったのです。 また、原爆の理論は当時既に日本も知っていたのであって、大都市の真ん中に落 として大多数の市民を殺傷しなくても、都市周辺部で比較的人口の密集していない 軍事施設などに投下してその絶大な破壊力を示すだけで、日本側も事態の深刻さを 認識できたという意見もあります。 少なくとも、2発の原爆を投下するなら、最初の1発は大都市ではないところに 落として、日本への警告にしてもよかったと考えます。 また、日本の降伏時期について、戦後の米国戦略爆撃調査団の結論としては、 機雷封鎖等の餓死作戦により「たとえ原爆が投下されなかったとしても、ソ連が 参戦しなかったとしても、さらにまた上陸作戦が企図されなかったとしても、 日本は1945年末以前に必ず降伏したであろう」です。もちろん、戦略爆撃 調査団の結論が絶対とはいいきれませんけど、その結論があたっているなら、 1945年の夏から秋の短い期間にソ連軍がどれだけ日本領土を切り取れるかは、 ちょっと疑問であり、日本が分断国家になった可能性は低いと思います。 |
> 1945年8月6日と9日、広島と長崎に原爆が投下されました。この時の死者は20万人以上にもなりました。(中略)はたして、原爆投下は善か非か。ここではそのことについて議論していきたいと思います。 投下された原爆を、日本が、キチンと原爆だ、と認識出来て、和平交渉への 参考材料になったのは、日本が、ママゴトレベルながら、原爆開発を行っていた お陰です。 日本にその辺の理性が無ければ、今日びの、どこぞの国のように イ-400型搭載の晴嵐にBC兵器積んで、窮鼠猫を噛んでたかもしれません。 当時の日本にも大量破壊兵器はありました。 単に人殺しの数で議論すべき問題ではないかもしれない、かも。と思います。 |
広島・長崎への原爆投下に対する批判を分類し、それに対する論点をまとめてみました。 (1) 感情的批判 米国はトリニティ実験により原爆の実証性およびその威力は把握していた筈であり、それを民間人の居住地域に照準して投下した行為は非人道的である。 論点:第二次大戦中、民間人居住区に対する爆撃は規模こそ違え枢軸側・連合側とも行っている。その行為自体を批判する余地があるとは言え、殊更に原爆だけを取り上げて批判するには当たらない。また原爆を「非人道的兵器」とする理由の一つである放射線障害による遺伝性疾患について、当時は認識されていなかった。 (2) 戦争行為的批判 既に勝敗が明らかであった 1945 年 8 月において、過剰なほどの殺傷力を持つ新兵器を日本に投下する必要があったのか。 論点:米国側は沖縄における激戦と特攻戦術を例に挙げ、本土上陸作戦が決行されれば日米ともに甚大な被害を出していたであろうと主張している。一方、日本側は既に降伏準備段階に入っていたと主張し、それを決定的に早めたのはソ連参戦だったと主張している。だが、8 月 6 日の原爆投下がソ連参戦を招いたとする意見もあり、「原爆が落とされなかった場合の歴史はどうなっていたか」は推論の域を出ない。 (3) 方法論的批判 仮に原爆投下が必要であったとしても、大都市の市街地を目標に選ぶ必然性があったのか。それが戦争行為であるなら寧ろ軍事施設を狙うべきであるし、日本政府に対する警告ならば無人の地に投下しても原爆の威力を示すことはできなかったか。 論点:「軍事施設」については、当時日本は兵器生産施設を分散秘匿していたため撃破が困難となり、労働者を殺傷することにより軍事施設破壊と同じ効果を狙ったとする主張、または日本国民の継戦意思を打ち砕くことが早期終戦に必要だったとする主張が存在する。また警告については、現実的な被害を伴わなければ有効ではなかったとの主張が存在する。 前者についてはドイツのドレスデン爆撃などにも同様の論理が適用されているが、結果から言えば「労働者殺傷による兵器生産低下」「日常生活破壊による継戦意思の粉砕」は、その破壊と殺戮の規模に対し効果は極めて小さかったと考えられる。但しそれがあくまで結果論である事にも注意。また後者の主張は検証不可能であり肯定も否定もできない。 (4) 道義的批判 (1), (2) の観点から批判すると、原爆投下はそれは戦争行為の名を借りた政治的アピール、あるいは新兵器の人体実験では無かったか。 論点:戦争は極めて強力な政治的アピールでもあり、戦闘行為は常に新兵器の実証実験…すなわち人体実験を兼ねているのが現実である。 原爆が政治的アピールを兼ねた新兵器の実証実験であったという点において、それは96陸攻による南京渡洋爆撃と何が違うであろうか。また、日本にとって渡洋爆撃に戦争遂行上の意味があったことと、米国にとって原爆投下に戦争遂行上の意味があったことは決定的に違うのであろうか? 私としては、原爆は第二次世界大戦という大殺戮における一事例に過ぎないと感じます。1945 年当時、原爆は生まれたばかりの新兵器であり、その使用を制限する条約も国際的合意も存在しませんでした。そして米国は日本と戦争状態にあり、その新兵器を使用することが自国の国益につながると判断して投下に踏み切りました。ドライに言い切ってしまえばそれだけの事ではないでしょうか。1940 年代という時代が核エネルギー時代の始まりであった以上、原子爆弾がどこかの国で開発され、それがどこかの国で使われる事は歴史上の必然であったと思います(避け得ることは可能だったでしょうが、それは第二次大戦そのものを避け得なかったように、歴史上の不幸なのでしょう)。 一発で10万余の生命を奪った兵器に対し感情的な恐怖と、それを使用した当事者に対する怒りを感じることは理解できます。しかし、それは戦争という行為の本質なのです。原爆が非人道的なら、ナパーム焼夷弾は非人道的ではないのでしょうか。火炎放射器や散弾地雷はどうでしょうか。銃で撃ち殺すのは人道的なのでしょうか。銃を使うにしても、ソフトポイント(ダムダム)弾は非人道的でジャケット弾なら良いという判断はいかなる根拠に基づいているのでしょうか。 人間社会がいまだ戦争を避け得ない以上、何らかの国際的合意に基づいて「人道的戦争」の範疇を定め、願わくば戦争当事者がそれを尊守することを願うしかありません。既に化学・生物兵器、炸裂性弾頭などについてはその合意が存在しますし、対人地雷やクラスター爆弾もそのリストに加えられようとしています。また核兵器についても、その安易な使用を戒める国際的合意が存在すると思います(核報復というダモクレスの剣を背負った合意ではありますが)。 広島・長崎の惨劇が歴史的教訓となり、国家指導者たちが核兵器の使用を躊躇する理由の一つになることを願ってやみません。 |
> 第二次大戦中、民間人居住区に対する爆撃は規模こそ違え枢軸側・連合側とも 行っている。その行為自体を批判する余地があるとは言え、殊更に原爆だけを取り 上げて批判するには当たらない。 「民間人居住区に対する爆撃」というのは兵器の使用方法(使用対象)の話ですが、 同じ無差別爆撃であればすべて同じ概念でくくるというのは同意できません。 無差別爆撃と一言で言っても、広島長崎への原爆投下・東京大空襲・ドレスデンなど の「非戦闘員の無差別大量殺戮」を目的とした無差別爆撃と、それ以外の相手国の 戦意喪失等を狙った政治的心理的プレッシャーのための無差別爆撃とでは、その意図も 規模もあまりに違いすぎます。そこを区別して考えていかないと、陸軍の錦州爆撃程度 のものもヒロシマと同列になってしまいます。 事実、旧日本軍を批判したいあまり、意図的にそう主張する論者もいるようですが。 > 1945 年当時、原爆は生まれたばかりの新兵器であり、その使用を制限する条約も 国際的合意も存在しませんでした。 本当は「原爆」という兵器自体が問題なのではありません。都市の一般市民という 「非戦闘員の無差別大量殺戮」に使用したということが問題なのです。原爆を民間人の いない島嶼の軍事施設とか、砂漠や平原などに集結している軍隊に使用したとすれば 人道上の問題はここまで大きくなりません。 そして原爆のような大量破壊兵器を都市部に無差別に使用することは、当時から戦時 国際法の「軍事目標主義」という大原則に違反すると考えます。 実際、単なる無差別爆撃でさえ当時から戦時国際法違反として扱われていました。 例えば、ドゥーリットル爆撃隊で捕虜となった米軍パイロットは日本軍が銃殺刑にし ましたが、これはもともとハーグ国際協定違反を論拠として軍律裁判を行った結果です。 >原爆が非人道的なら、ナパーム焼夷弾は非人道的ではないのでしょうか。火炎放射器 や散弾地雷はどうでしょうか。銃で撃ち殺すのは人道的なのでしょうか。銃を使うに しても、ソフトポイント(ダムダム)弾は非人道的でジャケット弾なら良いという判断は いかなる根拠に基づいているのでしょうか。 もちろん兵器自体が非人道的な場合もあります。しかし、繰り返しますが、ここでの 議論としては広島長崎の原爆投下が「民間の非戦闘員に対する大量殺戮」に使用された ということを、非人道的であるとして批判しているのです。そしてそれは当時から 戦時国際法違反と考えます。 |
> 同じ無差別爆撃であればすべて同じ概念でくくるというのは同意できません。 > 無差別爆撃と一言で言っても、広島長崎への原爆投下・東京大空襲・ドレスデンなど > の「非戦闘員の無差別大量殺戮」を目的とした無差別爆撃と、それ以外の相手国の > 戦意喪失等を狙った政治的心理的プレッシャーのための無差別爆撃とでは、その意図も > 規模もあまりに違いすぎます。そこを区別して考えていかないと、陸軍の錦州爆撃程度 > のものもヒロシマと同列になってしまいます。 > 事実、旧日本軍を批判したいあまり、意図的にそう主張する論者もいるようですが。 感情的には「南京・ゲルニカと広島・ドレスデンは違う」という主張には同意したいところなのですが、そうすると「では何人以上が死ねば「大量」虐殺なのか」という線引きを迫られることになってしまいませんか? 確かに、東京空襲や広島のようなオーバーキルは、戦争という異常事態のなかであってさえも「一線を越えた」行為であったとは感じます。しかしその事について批判するならば、「線」が何処にあるかを示さねばならないのではないでしょうか。しかしそれは明確に示せる種類のものではなくグレイゾーンであり、そこを基点に議論を展開しようとすれば感情論の泥沼に陥ると思います。それこそ、「アメリカを批判したいあまり、意図的にそう主張する」と反論されかねません。 > そして原爆のような大量破壊兵器を都市部に無差別に使用することは、当時から戦時 > 国際法の「軍事目標主義」という大原則に違反すると考えます。 > 実際、単なる無差別爆撃でさえ当時から戦時国際法違反として扱われていました。 もしドイツや日本があれほどの都市爆撃を行っていたとしたら、終戦後は責任者に対し戦争犯罪が宣告されたでしょうね。あれだけの大量虐殺を行った米国・英国が「正義」の名のもとに日独の戦争犯罪を糾弾した事実は、まさに「勝てば官軍」の感があります。…しかし、これも戦争の性なのだとも思います。 私としては、ドレスデンや広島における米英の行為は第二次大戦という大虐殺の象徴として記憶されるべき出来事だと思います。しかし、それを持って米英を批判することには躊躇します。もし立場が逆であったなら、日独も同じことを行っていたであろうと考えるからです(もちろん根拠はありません、ここは感情論です)。 ここは非常に微妙なところなのですが…感情的には、私も「何万人もの民間人を一夜で焼き殺すのはやりすぎだ」とは言いたいのです。それ自身は批判に値する、批判されるべき行為であるとは感じるのです。ですが、やはり私は躊躇します。私は宗教を信じませんが、「自ら罪なき者のみ石もてこの女を打て」というキリストの言葉を考えます。私がもし同じ立場に立たされたとき…既に勝敗の決した戦争でしぶとく継戦を続ける相手国に対し、10万余の生命を奪い得る新兵器を投下することで終戦を一日でも早めることができ、それによって自軍兵士の命が一人でも助かる可能性があるならば、それを「使わない」と言い切ることはできません。 勿論、これは感情的レトリックです(この解釈を他人に押し付けるつもりもありませんし、この点について反論を受け入れる気もありません :-)。ですが考えていただきたいのは、何故ドレスデンや広島のような惨劇が起こってしまったのかという事です。それはアメリカ・イギリスという国家が、あるいはその軍の指導者が非人道的だったからでしょうか?私は違うと思います。20世紀末の科学技術力と、国家規模の重工業を結集した「総力戦争」という形態を取る以上、当事者が誰であってもああいう結末に至るのは必然だったと思うのです。 私はそういう意味においてのみ、原爆による大量虐殺を批判する論拠を見出すことができると思っています。前発言にも書いたように、第二次大戦という大殺戮を象徴する出来事として。 > もちろん兵器自体が非人道的な場合もあります。しかし、繰り返しますが、ここでの > 議論としては広島長崎の原爆投下が「民間の非戦闘員に対する大量殺戮」に使用された > ということを、非人道的であるとして批判しているのです。そしてそれは当時から > 戦時国際法違反と考えます。 前発言の題名を「論点」としていますが、出題者である「低みの見物者」さんによる原爆批判の理由が明確ではなかったので、あえて「非人道的兵器であった事ゆえの批判」という視点も取り上げてみました。 |
> …既に勝敗の決した戦争でしぶとく継戦を続ける相手国に対し、10万余の生命を奪い得る新兵器を投下することで終戦を一日でも早めることができ、それによって自軍兵士の命が一人でも助かる可能性があるならば、それを「使わない」と言い切ることはできません。 「自軍兵士が敵軍との戦闘で失う命」を救うためなら、相手国の無抵抗の婦女子等の 非戦闘員を大量殺戮してよい、という発想は十分に非難されるべきと思います。 「自軍兵士が敵軍との戦闘で失う命」と「非戦闘員が無抵抗で無差別爆撃により失う命」は、等価ではありません。 戦争指導者が「自軍兵士が敵軍との戦闘で失う命」の多さに耐えられないのなら、相手 国と講和交渉をするべきなのです。当時、米国の圧倒的勝利は既に動かなかったのだから、日本がそれでも降伏しないなら日本が受け入れられる条件を認めてやり、米国の 勝利で戦争を集結させればよかったのです。しかし、米国は「日本の完全屈服」を目指 していたため、日本と交渉するつもりが無かった。単なる「勝利」では満足せず、 「完全勝利」を得ようとした。もう勝ちはきまっているというのにそのために大量虐殺 を行っただけの話です。 もちろん、「新兵器」の「実験」と「世界への誇示」という動機も強いですが。 > それはアメリカ・イギリスという国家が、あるいはその軍の指導者が非人道的だったからでしょうか?私は違うと思います。20世紀末の科学技術力と、国家規模の重工業を結集した「総力戦争」という形態を取る以上、当事者が誰であってもああいう結末に至るのは必然だったと思うのです。 > 日本は「総力戦争」という概念で戦争突入していません。欧州戦線の帰趨を睨み、 決戦で米国兵力に打撃を与えて、有利な局面で休戦するつもりだった。相手国の 非戦闘員を大量虐殺してまで完全勝利をめざす、などという発想はありません。 また、毒ガス等の大量破壊兵器の投入も中国に対しては使用しても、米国との戦闘には 投入していません。それは米国の大量破壊兵器の報復攻撃を恐れてのことです。 日本がもし原爆を所有したとしても、米国の報復を恐れて使用など出来ません。 日本が米本土を攻撃するのは至難ですが、その逆は容易な状況は当時からよく認識 されています。 自分は別に反米主義者ではないので、あまり米国は非難したくないですが、少なくとも 原爆の犠牲について「日本が早く降伏しなかったからそこに責任がある」という意見に は全く同調できません。 |
私の文章が拙かったゆえ誤解されたのだと思いますが、広島・長崎の惨劇が日本が早期降伏しなかった事に責任があるとは主張しておりません。日本が早期降伏していれば原爆は避け得たでしょうが、現実がそうならなかったことは「歴史上の不幸」と表現しています。日本政府が早期に全面降伏を受け入れなかった事も、連合国が条件付き降伏を受け入れなかったことも、複雑に絡み合った理由があります。単純にその事を槍玉に上げるつもりはありません。 何度も申し上げているように、私も原爆投下による民間人大量殺戮という行為はそれ自身が批判に値する残虐行為であることには同意しています。あの時アメリカが原爆を落としたことは必ずしも戦争遂行上の必要に迫られたものではなく、既に反撃力を持たない相手だからこそ使用したのであり、それが多分に新兵器の人体実験と世界に対する政治的アピールであった事には同意します。 ただ、それが第二次世界大戦のなかで殊更に強調し批判されるべき特別な事例だとは思えないのです。その理由は前発言・前々発言にありますので繰り返しません。そして、それが多分に内的な感情論に基づいていることも前発言で認めています。おそらく、私は戦争を通して人間の原罪を問おうとしているのでしょう。恐らく私は「原爆は是か非か」というスレッドの趣旨を踏み外そうとしているのでしょうね。 「是か非か」という二者択一なら、迷うことなく「非」を選びます。それをもってこのスレッドに対する私の結論とさせて頂きます。 |
>ただ、それが第二次世界大戦のなかで殊更に強調し批判されるべき特別な事例だとは思えないのです。 確かにハンブルグ、ドレスデン、東京などの大規模無差別爆撃も、それぞれ10万人以上が死亡するという常軌を逸した非人道的なものでした。ある意味その組織性計画性は原爆投下に劣りません。原爆投下だけが市民に対する空爆による無差別大量殺戮の象徴的存在になっている観はあります。 |
原爆投下を正しいとする代表的な意見の内容は、よく知られているように「原爆投下により日本が降伏し、本土決戦にならなかったため、結果として米国将兵も日本人もより大きな犠牲を払わなくて済んだ」というものです。 しかし、それは日本が原爆投下直後に降伏したという結果を観て組み立てられた主張にすぎないと考えます。 米国内でも「原爆投下が無くても日本は早期に降伏していた」という分析もあるし、 また、逆に、日本のポツダム宣言受諾決断にしたって、すんなり決まったものではない。陸軍は原爆投下後も依然として本土決戦を主張していたし、もし阿南陸相が辞任して内閣が瓦解したり、近衛師団のクーデターが成功していたらどうなっていたか判らない。 また、日本が降伏を決断した理由そのものにしても、大きな要因の一つがソ連の対日参戦だったことが知られています。原爆被害だけが降伏決断要因ではない。 従って、原爆投下当時、「この原爆投下が主たる原因となって必ず日本は早期降伏する」などと米国に断言できたはずがありません。だから結局この主張は結果から理論を組み立てて投下を正当化しているにすぎない。 ただ、そうでも考えないと、米国人が自己の行った無差別大量殺害という罪悪感から逃れられないのなら、そのように想像したいことも理解できなくはありません。 しかし、そうした主張が理屈として本当に妥当性を持つものなら、現在でも核兵器の先制使用を正当化できる余地が生まれますね。もっともそんなことは国際法的にも道義的にも全く肯定できませんが。 |
・・しかし、それは日本が原爆投下直後に降伏したという結果を観て組み立てられた主張にすぎないと考えます。 米国内でも「原爆投下が無くても日本は早期に降伏していた」という分析もあるし、・・・ 当時の米政府及び軍当局者は戦争末期でも日本の継戦能力を過大に見積もっていたらしい。「陸軍燃料廠」(光人社NF文庫)によると、戦後、米軍の調査団が日本の当局者から燃料の残存量を聞いたところ、予想よりも余りに少なく彼らは中々信じなかったそうです。 もちろん、米軍内部にも日本軍の実力について様々な見方があったでしょうが、それまで九州南部への上陸作戦を本気で考えていたことをも考えると、米国側の過大評価と日本軍の抵抗に対する恐怖感がようやくできたばかりの原爆を日本に投下することに踏み切らせた原因ではないかと思います。 最も、開発に携わった科学者の中に、都市に投下するのではなく洋上で爆発させて日本側に威嚇すればいいのではないかという考え方もありました。しかし、そうした意見も米軍の中では少数派で、動き出した組織にブレーキをかけるまでには至らなかったということではないかと。 要するに、その時点における彼らの見方だと、彼らにとって原爆投下は一つの「合理的な選択」だったということになるわけです。だからと言って、その見方が正しかったというわけではないが。 また、ソ連への対日参戦要請について、ルーズベルトが死亡しトルーマンに変わった頃から米政府はやや消極的になっているようです。トルーマンが前任者に比べソ連を信用していなかったということもあるだろうけど、米国としてはソ連をあまり当てにせずとも自力で決着をつけるという考え方があったからではないか。 是非論というよりも、戦争というのが非常に不完全な情報下での政策決定を迫られるのが当たり前な状況であることを如実に示しているのではないかと思います。 |
日本政府は昭和20年7月13日、佐藤尚武駐ソ大使からソ連政府に対して和平交渉の斡旋を依頼し、近衛特使をモスクワに派遣するとまで提案を行いました。これは外務省だけの工作ではなく、陸軍の承諾も得ていました。 そしてその直後の7月18日のポツダム会談において、スターリンはトルーマンにわざわざこの佐藤大使の覚書写しを提示し、それの回答について意見を求めています。 それに対するトルーマンの意見は「一時的で漠然とした返事か、無視、あるいははっきり拒否してもよい」でした。結局、ソ連は日本の近衛特使派遣を拒否しました(もっともそれでも日本は諦めず、ソ連に対して特使派遣再交渉を申し入れている)。 米国が「日本本土決戦での日米の大きな犠牲を避ける」ことを第一と考えていたなら、日本が和平交渉に動き出ししたのになぜそれを握りつぶしたか。その時点で近衛特使受け入れ、和平交渉開始、休戦となっていたら、原爆投下も当然なく、20万人以上の一般市民が死ぬこともなく、もちろん米国将兵が以後戦闘で命を失うこともなかったはずです。 結局、米国は日本と和平交渉などするつもりがなく、連合軍側の一方的な和平条件を日本に受け入れさせると言う「完全勝利」を狙った。そしてそのためには日本人の一般市民が原爆で20万人死のうが気にしない、ということです。 自己の完全勝利のため、日本側の和平交渉を握りつぶしておいて「原爆のお陰で日本は降伏し犠牲が少なくて済みました」というお話は本当はありえませんね。 |
・・そしてその直後の7月18日のポツダム会談において、スターリンはトルーマンにわざわざこの佐藤大使の覚書写しを提示し、それの回答について意見を求めています。それに対するトルーマンの意見は「一時的で漠然とした返事か、無視、あるいははっきり拒否してもよい」でした。結局、ソ連は日本の近衛特使派遣を拒否しました・・ この時点でソ連は対日参戦準備をほぼ完了し、米ソが共同して対日「完全勝利」のための行動を展開していたことを考える必要があると思います。 スターリンは、日本からこんなもの送られてきたけどアメリカさんどうする?放り投げちゃってもいい?とトルーマンに確認し、トルーマンが「ああ、殆ど無視しちゃっていいよ」と回答、スターリンも「そんなものだな」と対応したというようなもの。 これ以前にも日本はスイス経由やらソ連の仲介を求めるやり方など幾つかのルートで早期和平交渉の糸口を掴もうとしていたのですが、いずれも失敗に終わっています。 ともかく、この当時の米国政府・軍当局も対日戦の目的は対独政策と同様、日本の戦争能力を完全に除去し戦後も軍隊や軍需工業が再興しないようにするという考え方であり、そのため日本の工業生産基盤を最小限にし農業国化するというモーゲンソー・プランなるものまで考えられていたわけです。 彼らがそういう頭で凝り固まってたことが原爆投下の悲劇をもたらした原因であると考えてますけど。 |
原爆投下の正当性を認める意見では、7月26日発表した「ポツダム宣言」を日本が拒否したため、8月6日に原爆を投下したとも説明されています。 しかし「日本側が拒否した」といっても、それは鈴木首相が新聞記者団との談話の中で「黙殺」との表現をし、それが報道されたにすぎず、天皇陛下の公式詔書を発表したわけでもなく、外交ルートを通じて連合国側に対し正式にポツダム宣言拒絶をしたわけでも全くない。 日本政府としては、「ポツダム宣言は一般的なステートメントであり、具体的なことはソ連を通じて折衝したい」との意向であり、水面下では佐藤駐ソ大使に公電を発し、再度の特使派遣交渉を命じていた。 こうした水面下の動きは米国も察知していたはずであるのに、首相の単なる記者団との会見の言葉じりを掴まえて勝手に「拒否した」と決めつけ、原爆投下をしたのというのは日本が正式にポツダム宣言を受諾するして降伏する前に、駆け込みで原爆を使用したかったと想像してしまう。 米軍の九州上陸オリンピック作戦は45年11月1日に予定されていたのであり、本土決戦まではまだ余裕がある。本当に「本土決戦での米国将兵や日本人の犠牲」を避けるためなら、別に慌てて8月はじめに原爆を投下する必要はない。日本にもう少し時間を与えてもなんら不都合は無かったはずである。原爆を投下せずとも11月のオリンピック作戦までに日本が降伏した可能性も想像できる。人道的には本土決戦の前まで待ってもよかったはずである。 結局は、 1.ソ連が8月に参戦して、占領地域を広げて分け前に十分にありつく前に、原爆使用で日本の完全屈服を目指したい、2.かといってあまり日本に時間的余裕を与えていると、もしかして日本が一方的に降伏してしまうこともあり、その場合はせっかくの膨大な費用をかけた原爆の威力を世界に見せつける機会を失ってしまう …から、急いで原爆投下したものでしょう。 これらの理由にはなんらの投下の正当性を裏付ける人道的理由はありません。むしろその否定です。 |
仮に米国人が原爆投下が日本の早期降伏と犠牲の減少に繋がったという論を持ち出すのであれば、「そうか、それなら北朝鮮に対しても核使用すれば、あの体制下における悲劇を最小限にできるではないか。アメリカがそれやらないのなら、我々が核武装する権利があるはずだ」と冗談半分、嫌味をこめて言い返せば良い。 核兵器の先制使用を放棄しないというのは、先制使用しないと言っている国が本気で公約を守るのかどうか不安があるから。対テロリストやテロ支援国家のような、北朝鮮のような国には核を含む強力な攻撃手段の先制使用を公言し、変な素振り見せたら叩き潰すような脅しを行うのが効果的だと思いますよ。 テロの報復が懸念されるという意見もあるけど、そうした体制やテロ組織に対し徹底的なダメージを受け周囲の応援も来ない、そして彼らがテロ報復の考え方まで放棄してしまうような強烈な恐怖を抱かせないとね。孤立化政策のための各種の外交手段も駆使してさ。 |