Page 166 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼旧日本軍における対戦車戦 再び 伊号 03/6/5(木) 5:49 ┣ただ漫然と博物学的な分類をするならば・・・ 土井津武夫 03/6/5(木) 7:52 ┃ ┗慢心とはこのことか・・・ いちのへ 03/6/5(木) 10:01 ┃ ┣区分の方法 まなかじ 03/6/5(木) 13:01 ┃ ┃ ┗誤解があるようなので・・・ いちのへ 03/6/5(木) 14:52 ┃ ┃ ┗とちゅげきほー まなかじ 03/6/5(木) 16:52 ┃ ┣突っ込み申し訳ありませんが・・・ P-kun 03/6/5(木) 13:29 ┃ ┃ ┗突っ込み、ありがたく思っています いちのへ 03/6/5(木) 14:54 ┃ ┣Re:慢心とはこのことか・・・ 通りがかり 03/6/5(木) 14:37 ┃ ┃ ┣わたしもそう思います。 いちのへ 03/6/5(木) 14:57 ┃ ┃ ┗確かにそうなんですが まなかじ 03/6/5(木) 15:58 ┃ ┃ ┗Re:確かにそうなんですが 通りがかり 03/6/5(木) 23:01 ┃ ┣いちのへさん・・・ マニア 03/6/5(木) 15:31 ┃ ┃ ┗いえいえ いちのへ 03/6/5(木) 16:45 ┃ ┗困りましたね 土井津武夫 03/6/5(木) 17:28 ┃ ┣うわーん許してよぅ SUDO 03/6/5(木) 18:21 ┃ ┣失礼しました いちのへ 03/6/5(木) 22:25 ┃ ┗つまり…・・・? 居眠り将軍 03/6/9(月) 16:16 ┣Re:旧日本軍における対戦車戦 再び 伊号 03/6/5(木) 10:17 ┣はて? まなかじ 03/6/5(木) 11:56 ┃ ┣Re:はて? 通りすがり 03/6/5(木) 17:57 ┃ ┃ ┣それは多分・・ 土井津武夫 03/6/5(木) 18:17 ┃ ┃ ┗戦車の敵は戦車ですか? まなかじ 03/6/5(木) 19:09 ┃ ┃ ┣Re:戦車の敵は戦車ですか? 伊号 03/6/6(金) 11:58 ┃ ┃ ┃ ┣考えるのも良いけれど まなかじ 03/6/6(金) 14:36 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗安く見られたものです 伊号 03/6/7(土) 0:51 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣で、本題は? SUDO 03/6/7(土) 0:57 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗おや まなかじ 03/6/7(土) 2:33 ┃ ┃ ┃ ┣Re:戦車の敵は戦車ですか? T216 03/6/7(土) 1:14 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:戦車の敵は戦車ですか? 伊号 03/6/8(日) 19:44 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣間違ってないけど合ってない まなかじ 03/6/8(日) 20:52 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗? 伊号 03/6/12(木) 0:15 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:? まなかじ 03/6/12(木) 0:37 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣おっしゃりたい事はよくわかるのですが ヒロじー 03/6/8(日) 21:26 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re:戦車の敵は戦車ですか? SUDO 03/6/8(日) 21:30 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗もしかして誤解が大きいのかな? SUDO 03/6/12(木) 4:55 ┃ ┃ ┃ ┗Re:戦車の敵は戦車ですか? SUDO 03/6/7(土) 19:46 ┃ ┃ ┃ ┗Re:戦車の敵は戦車ですか? ヨナ 03/6/8(日) 0:21 ┃ ┃ ┃ ┣Re:戦車の敵は戦車ですか? SUDO 03/6/8(日) 1:17 ┃ ┃ ┃ ┗どいつとそれん まなかじ 03/6/8(日) 1:33 ┃ ┃ ┃ ┗Re:戦車の対戦車能力 ヨナ 03/6/8(日) 14:51 ┃ ┃ ┃ ┗総論賛成 まなかじ 03/6/8(日) 16:57 ┃ ┃ ┣Re:追加 伊号 03/6/6(金) 12:26 ┃ ┃ ┗Re:追加 伊号 03/6/6(金) 12:26 ┃ ┃ ┣わけわからん まなかじ 03/6/6(金) 15:02 ┃ ┃ ┗それは考えられません 土井津武夫 03/6/7(土) 0:37 ┃ ┗手数とアウトレンジ mikey 03/6/7(土) 13:22 ┃ ┣Re:手数とアウトレンジ T216 03/6/7(土) 14:18 ┃ ┃ ┗Re:手数とアウトレンジ 腹乙未生 03/6/7(土) 16:46 ┃ ┣えーと? まなかじ 03/6/7(土) 14:24 ┃ ┣Re:手数とアウトレンジ SUDO 03/6/7(土) 18:03 ┃ ┗有難うございます mikey 03/6/7(土) 22:16 ┣対戦車なんて考えてないけど SUDO 03/6/5(木) 18:15 ┣ホニの背景 土井津武夫 03/6/5(木) 18:43 ┃ ┗野砲ヲ肉薄セシム まなかじ 03/6/5(木) 19:32 ┗Re:旧日本軍における対戦車戦 再び プリンス 03/6/7(土) 0:16 ┗影響って言えば、影響かも。 sorya 03/6/8(日) 22:20 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 旧日本軍における対戦車戦 再び ■名前 : 伊号 ■日付 : 03/6/5(木) 5:49 -------------------------------------------------------------------------
さて、A&Qコーナーでやりましょう、一式砲戦車はシャーマン、四号戦車、三号突撃砲(私としてはこの時点で一寸変だと思いますが)に当たる物なのでしょうか? 又、折角なので旧日本軍における対戦車戦全般も議論できたらと思います。 |
既にまなかじさんの説明で史実は説明し尽くされたと思います。 南方侵攻作戦で「突撃砲的」に運用する予定だったと砲兵関係者から回想されているようにホニIは突撃砲でもあったということでしょう。 同時にホニIは機甲科も試験を行っており、低初速の九九式戦車砲を装備するホイよりもホニIに対して「砲戦車」としての可能性を見て、密閉型の戦闘室を設けるなどの要望を出しています。これがホニIIIの原型です。 日本で言う砲戦車とは戦車連隊の最前列で戦う火力に優れた対戦車戦闘戦車という意味があり、そのように定義されてもいます。こうした点では「砲戦車」は紛れも無く「戦車」なのです。ホニIは密閉式の戦闘室も無ければ旋回砲塔もありませんが「戦車」としての可能性を見出された車両で、砲兵に運用されたとはいえ対戦車戦の実績もあるのですから、ドイツ「戦車」から突撃砲を除けないように日本の75mm砲搭載戦車を語る時はホニIを外せないでしょう。 しかし、一方、歴史的背景を読まずにただ博物学的な視点だけで漫然とホニIを解釈するのであれば誰が見ても何故か前面装甲の一部が増厚された「自走砲」にしか見えないでしょう。日本戦車をほとんど知らない人にはそれも当然だと思います。 |
ホニは当初の構想では、戦車師団の砲兵連隊に機動力を付与するべく 開発されたものと思っております。 戦車師団の機動砲兵連隊は、野砲(7.5cm砲)と10榴(105mm榴弾砲)を装備 していました。 ホニIは野砲を、ホニIIは10榴を搭載することで、機動砲兵連隊の機動力を 戦車旅団に追随可能なように向上させたのです。 野砲は、いわゆるcannonの末裔ですから、榴弾砲よりは直射を重視した砲です。 口径も7.5cmと速射性もあり、初速も高いことから、汎用性の高い砲なのです。 そして、ホニIは、野砲を搭載したことから、直射時に敵の反撃も考慮して、 前面装甲は比較的厚くされています。 一方、野砲の機動力向上タイプとしてみれば、オープントップで充分なわけです。 次に、ドイツの3号突撃砲ですが、当初は、軍団隷下の独立突撃砲中隊や大隊に 配備されていました。歩兵部隊が抵抗の強い拠点にぶつかった際に、その拠点を 潰すために使われました。そしてその役割に必要なように、全身を装甲化されています。 このように、当初から、突撃砲は突撃砲の役割で開発されており、そのように 造られているのです。 なお、3号突撃砲は、当初は装甲が薄かったですが、その当時はその厚さで 十分だと考えられていたのです。これを考えずに、ホニより装甲が薄いとか いわないでくださいね。 ちなみに、ドイツの装甲師団には、突撃砲とは別に砲兵連隊をもっています。 この砲兵連隊は、牽引式の105mm榴弾砲と150mm榴弾砲を装備していました。 後に、砲兵連隊の機動化が図られ、105mm榴弾砲は自走榴弾砲ヴェスペに、 150mm榴弾砲は、自走榴弾砲フンメルにとって変わられます。ちょうど、 野砲とホニI、10榴とホニIIのようにです。 このように、3号突撃砲とホニIは、出自からして違うのです。 ホニIは、その汎用性の高さなどから、突撃砲、火力支援戦車、駆逐戦車としても 使えるためにそのように運用されました。 一方、3号突撃砲は、最初は突撃砲として開発され、駆逐戦車としては有効で あったことから駆逐戦車として運用されるようになりました。 その後、突撃砲の本来の役割は、42式10.5cm突撃榴弾砲、4号突撃戦車ブルム ベア、38cm突撃臼砲シュトゥルムティーガーなど、より装甲が強化され、市街戦 にも対応可能なものに発展したのです。 以上から、ホニIは、突撃砲的に運用されたとしても突撃砲ではけっしてないという ことが判ると思います。私見ですが、ホニIは、突撃砲というより、開発当初の構想 通り「自走野砲」と呼ぶのがふさわしいのかと思います。 土井津武夫さん> >しかし、一方、歴史的背景を読まずにただ博物学的な視点だけで漫然とホニIを >解釈するのであれば誰が見ても何故か前面装甲の一部が増厚された「自走砲」に >しか見えないでしょう。日本戦車をほとんど知らない人にはそれも当然だと思います。 おさっしのとおり日本の戦車はもちろん、ドイツの戦車についても、ほとんど知りません。 一次資料などみたこともないです。 一方、あなたは、日本の戦車を知り尽くしているのですか?ドイツ戦車は? むかしは、もすこしまともな戦史○○家だったろうに・・・慢心とはこのことか・・・。 |
> 以上から、ホニIは、突撃砲的に運用されたとしても突撃砲ではけっしてないという > ことが判ると思います。私見ですが、ホニIは、突撃砲というより、開発当初の構想 > 通り「自走野砲」と呼ぶのがふさわしいのかと思います。 自走野砲というのはいちのへさんがとりあげられているヴェスペや、ソ連でいえばSU-76、アメリカでいえばM7プリースト、イギリスでいえばビショップといった車輌になるかと思います。 これらに共通するのは、攻撃時に最前線での直接照準支援射撃をするということが任務にないことです。 さて、最前線での直接照準支援射撃をやる車輌とはどんなものでしょうか。 ドイツの一般師団では突撃砲がその任務にあたり、装甲擲弾兵師団や機甲師団では4号戦車がその任務につきます。 ソ連でいえばSU-122、SU-85、KV-2、JSU-152といった自走砲、KV-1、JSといった重戦車、T-34、T-26といった直協戦車ですね。 米軍ならM3・M4の中戦車であり、M26重戦車もそうです。 英軍では各種歩兵戦車がその任につきます。 では、日本軍ではどうでしょうか。 57ミリチハまではとりあえず主力戦車と歩兵支援戦車は一緒です。米軍の戦車体系に近いですね。歩兵支援の中戦車と、機動戦車たる軽戦車という組み合わせです。 ここで、47ミリチハ改を主力戦車とするにあたり、敵の対戦車砲や掩蔽壕を吹っ飛ばすべき大火力戦車、すなわち砲戦車を組み合わせる方向にシフトします。3号と4号を組み合わせるドイツの戦車体系に近いですね。 ここで砲戦車として開発されたのが二式砲戦車ことホイです。開発順がイロハのイであることからもわかるように、もっとも先行して計画されたのは二式砲戦車です。 つまり、砲戦車というのは中戦車級の車台により大きい火砲を搭載したものと言えるでしょう。 しかし、ホイの主砲は山砲クラスの低初速(短砲身)低発射速度(砲身肉厚薄)であり、要求される任務に対して不満があります。 4号の初期型がソ連の45ミリ対戦車砲や英国の6ポンド対戦車砲に対してアウトレンジできなかったのと同様の理由ですね。 結局、こうした任務には75ミリ野砲クラスが必要だというごく当たり前な結論に落ち着きます。 さて、砲戦車というのは中戦車級の車台を使用し、中戦車に追随できる機動性があり、中戦車と同様の整備運搬手段で運用できなければなりません。 チハ改あるいはチヘに大改造なしに75ミリ野砲を搭載するとなれば、野砲兵が開発中のホニIがちょうどよいだろうということになりました。 単なる機動野砲として、軽装甲で戦闘室防楯も小さく、測遠機もパッケージとして備えていた、つまり直接照準射撃よりも間接照準を重視していたホニIの試作車は、一転して当時の主力戦車よりも厚い前面装甲と大きな戦闘室防楯を備え、車体から測遠機を降ろした直射優先の設計に変化します。 この時点でいわゆる『自走野砲』とは離れる方向に進化を始めているのです。 野砲兵の方でも、運用様式の研究に変化を見せます。 つまり、ドイツの突撃砲の有効性を見て、野砲兵もまたホニIを突撃砲として運用する方向へのシフトです。牽引砲に対する機動性優位を最大限に発揮させる方向として順当なものでしょう。ソ連のSU-122の開発経緯とほぼ軌を一にする(但しソ連は師団砲のうち軽い方でなく重い方を持ってきたところがいかにもですが)ものですね。 さて、戦車連隊に配備される一式砲戦車としてのホニIは、こうしてみてくると4号戦車と同じ地位にあり、機動野砲兵の持つ一式七糎半自走砲としてのホニIは突撃砲と同じ地位にあるとは言えないでしょうか? ホニIが『突撃砲』でないのは当たり前です。 日本陸軍には突撃砲という砲種はありません。 しかし、それを言えばソ連のキエフ級は空母ではありませんし、オスカー級SSGNは巡洋艦です。 帝政ドイツのデアフリンガー級は大型巡洋艦ですし、我が中攻はあくまでも爆撃機ではありません。 用途目的別の便宜的な区分けをするならば、ホニIはオープントップという特徴をもった突撃砲というべきで、前面装甲が厚い自走野砲ではない、なぜならば大多数の自走野砲とは違った運用をされるから、非常に突撃砲に近い運用をされるから、というのがわたしの主張です。 |
まなかじさん> なるほど、勉強になります。ご教示ありがとうございます(感謝)。 すこし誤解があるようなので書きますと。 私が自走「野砲」と書いたのは、自走「榴弾砲」と区別するためなのです。 野砲は、もちろん間接射撃を重視して造られていますが、直接射撃や、 必要な場合は対戦車戦闘も行なえる汎用性の高い砲です。 一方、榴弾砲は、その口径がデカイこと、初速が低いことから、もっぱら 間接射撃に使われます。直射もできないことはありませんけど。 この野砲の汎用性を生かしたまま、自走化させたのがホニIだと私は 思っています。そういった意味で、カテゴリ的に「自走野砲」がふさわしい のではないか、と書いたわけです。ただ、貴殿の書き込みを読んで思ったの ですが、ホニIは、「砲戦車」という日本独特なカテゴリがふさわしいので はないかと思いました。 あと、蛇足になるかもしれませんが。 突撃砲は、呼称はちょっと変わっていますが、現代のNATO軍でもカテゴリ的 には残されています。 その呼称は、Assault Tank「突撃戦車」です。 解説としては、次のようなものになります。 「突撃戦車は、突撃砲[Assault gun]または、近接支援戦車 [Close Support Tank]とも呼ばれ、主武装は主として低初速の曲射弾道の 火砲(榴弾砲)を、砲塔または車体に搭載する全装軌式の装甲戦闘車両で、 主として掩体内やその後方の目標を攻撃する任務を持つ、歩兵支援用の 車両である。ふつうは独立した形で、機甲部隊または機械化歩兵部隊に 随伴して直協支援を行なうものであり、直射弾道の火器(対戦車砲または カノン砲)を搭載する駆逐戦車[Tank Destroyer]と区別される。」 これは、NATO統合軍を創設後に、西側各国のAFVの分類呼称を統一することが 決まった際につくられたものです。参考まで。 以上です。今後ともよろしくお願いいたします。 |
> 私が自走「野砲」と書いたのは、自走「榴弾砲」と区別するためなのです。 > 野砲は、もちろん間接射撃を重視して造られていますが、直接射撃や、 > 必要な場合は対戦車戦闘も行なえる汎用性の高い砲です。 > 一方、榴弾砲は、その口径がデカイこと、初速が低いことから、もっぱら > 間接射撃に使われます。直射もできないことはありませんけど。 これは、発射速度が遅いこと、(加農ほどではなくても)大口径は重くて取り回しに不便なこと、直射の射程が短いことが理由ですが、つまり、これを補えるならば直射で使いたいのです。 その方が命中率は断然良いんですから。 それを具現化したのがソ連のKV-2であり、JSU-152であり、ドイツの42式でありブルムベアであると思います。 大重量を自走化で補い、短射程と低発射速度を重装甲で補い、最前線での大口径榴弾砲の直射を実現させることがこれら車輌の目的です。 つまり、火砲を最前線で使えるようにしたものが突撃砲ではないのかと。 逆に言えば、最前線で使うようになっていないものが自走野砲であり自走榴弾砲ではないかと思うのですが? > 突撃砲は、呼称はちょっと変わっていますが、現代のNATO軍でもカテゴリ的 > には残されています。 > その呼称は、Assault Tank「突撃戦車」です。 > 解説としては、次のようなものになります。 > 「突撃戦車は、突撃砲[Assault gun]または、近接支援戦車 > [Close Support Tank]とも呼ばれ、主武装は主として低初速の曲射弾道の > 火砲(榴弾砲)を、砲塔または車体に搭載する全装軌式の装甲戦闘車両で、 > 主として掩体内やその後方の目標を攻撃する任務を持つ、歩兵支援用の > 車両である。ふつうは独立した形で、機甲部隊または機械化歩兵部隊に > 随伴して直協支援を行なうものであり、直射弾道の火器(対戦車砲または > カノン砲)を搭載する駆逐戦車[Tank Destroyer]と区別される。」 突撃砲はそれ単独で発展したものではなく、対戦車自走砲や駆逐戦車、あるいは中戦車や重戦車との兼ね合いを見ながら見ていかないと。 結局のところ、42式とかブルムベアというのはマルダーなり長砲身4号なり75ミリPAKなりが充実してきたので実用化できた、つまり突撃砲に求められた対戦車戦闘任務への比重が相対的に低下してきたことで、本来のかたちに復帰できたものと見ることもできるでしょう。 また、装甲を厚くして敵対戦車砲を封じて、大威力弾頭を接近して叩き込むというのが42式やブルムベアやシュトルムティーガーの主な用法であり、これには「曲射弾道」であるかどうかは問題ではないでしょう。 もちろん万能自走砲であるべき突撃砲ですから成形炸薬弾を持って対戦車戦闘もやりますし、仰角かけて曲射弾道射撃もやるでしょうが、「主として掩体内やその後方の目標を攻撃する任務」とあるように、これを直射で狙って一発で吹っ飛ばすのが独ソに見られる通常の用法です。 原文は見ていませんが「主として榴弾砲」としか書いていないんじゃないでしょうか? また、駆逐戦車と区別されるのは『ふつうは独立した形で、機甲部隊または機械化歩兵部隊に随伴して直協支援を行なう』というところにあり、装備火砲の違いによってではないでしょう。 駆逐戦車は自走対戦車砲であり、それに正面切って撃ち合えるだけの装甲を付加したものです。駆逐戦車には加農が必須ですが、突撃砲には榴弾砲が必須なわけではありません。 ただ、装甲防御を強くした突撃砲ならばより大威力な榴弾砲を搭載することができる、それならば大威力榴弾砲を装備するのが当然であるという結果を追認した定義ではないかと思います。 |
私も1次資料なんぞは持ち合わせていませんが・・・ > ホニは当初の構想では、戦車師団の砲兵連隊に機動力を付与するべく > 開発されたものと思っております。 手持ちの資料を読んだだけですがホニ1は初期では戦車師団の砲兵連隊向けに開発されていたわけではないようです。 「ドイツ式」に「突撃砲」として南方の戦場にて急襲的に使用することが書かれています。 「次いで」、いちのへさんが書かれている戦車師団の編成に伴い、随伴砲兵の装備として採用されたとあります。 このことはBUNさんが書かれた「戦車と砲戦車」を読まなくても書いてあることです。 あくまで開発目的は日本版突撃砲であって、戦車師団への装備の方が後であり副次的であったということではないでしょうか? 以上より、 > このように、3号突撃砲とホニIは、出自からして違うのです。 とは言えないと考えますがいかがでしょうか? ついで言いますなら、 > 一方、野砲の機動力向上タイプとしてみれば、オープントップで充分なわけです。 三突も開発当初はオープントップです。 1939年に戦闘室に天蓋がつくよう変更されたようです。 おまけに天蓋はほとんどおまけのようなもので小銃弾が軽くはじければいい程度のものです。 陣地攻撃中に火炎瓶でもぶっかけられれば即炎上なことはホニも3突もかわりがありません。 > 土井津武夫さん> > >しかし、一方、歴史的背景を読まずにただ博物学的な視点だけで漫然とホニIを > >解釈するのであれば誰が見ても何故か前面装甲の一部が増厚された「自走砲」に > >しか見えないでしょう。日本戦車をほとんど知らない人にはそれも当然だと思います。 > > おさっしのとおり日本の戦車はもちろん、ドイツの戦車についても、ほとんど知りません。 > 一次資料などみたこともないです。 > 一方、あなたは、日本の戦車を知り尽くしているのですか?ドイツ戦車は? > > むかしは、もすこしまともな戦史○○家だったろうに・・・慢心とはこのことか・・・。 インターネットの書き込みってえのは相手の顔が見えないもんで相手の真意がつかみかねる部分があります。 いやみに読めてもいやみで書いたわけではないかもしれません。 そんな相手の真意を読めないような媒体でまともに受け答えするのはどうかと思います。 BUNさんも蛇足だとは思いますが。 若輩ながら生意気言って申し訳ありません。 |
P-kunさん> >「ドイツ式」に「突撃砲」として南方の戦場にて急襲的に使用することが書かれています。 >「次いで」、いちのへさんが書かれている戦車師団の編成に伴い、随伴砲兵の装備として >採用されたとあります。 なるほど、突撃砲的な運用目的が先なわけですね。知りませんでした。 ご教示ありがとうございます(感謝)。 >このことはBUNさんが書かれた「戦車と砲戦車」を読まなくても書いてあることです。 その本もってます。先に読んでおけばよかったです(苦笑)。 >> このように、3号突撃砲とホニIは、出自からして違うのです。 >とは言えないと考えますがいかがでしょうか? BUNさんが自信を持って書いてあることなのですから、そうなのでしょうね。 異存はありません。 >三突も開発当初はオープントップです。 これは知っていました。 >おまけに天蓋はほとんどおまけのようなもので小銃弾が軽くはじければ >いい程度のものです。 >陣地攻撃中に火炎瓶でもぶっかけられれば即炎上なことはホニも3突もかわりがありません。 これは違うと思います。戦場で恐ろしいのは榴弾の破片です。特に、第一線直後にいる のであればなおさらです。小銃弾防げるのであれば、おおかたの破片も防げます。 この点が、ホニIと3突の大きな違いなのです。 >インターネットの書き込みってえのは相手の顔が見えないもんで相手の真意がつかみかね >る部分があります。 >いやみに読めてもいやみで書いたわけではないかもしれません。 >そんな相手の真意を読めないような媒体でまともに受け答えするのはどうかと思います。 そうですね。いやみじゃないかもしれませんね。すこし過剰な反応だったかも。 >BUNさんも蛇足だとは思いますが。 やっぱりBUNさんでしょう(笑)。 いつも思うのですが、BUNさんの議論ボードへの書き込みって、他人に対する配慮が足りない というか、不遜だなと思える表現が多いと思います。顔の見えない掲示板ですから、その辺り の配慮が必要だと思います。 そう思ったので、今回はあえて反応しました。 どうしようもない人と思えば、はなから無視しますけど(苦笑)。 >若輩ながら生意気言って申し訳ありません。 いいえ、逆に、ありがたく思っております。感謝です。 以上です。今後ともよろしくお願いいたします。 |
2度3度と読んで見たのですが、 何処にも土井津武夫さんがホニIを 『突撃砲だ』と言明した箇所が見当たりません。 そもそも何故に日本軍の車両を、 突撃砲・自走砲といったドイツ型の分類に当て嵌めて考える必要が? 直接支援に間接支援、果ては対戦車戦闘までこなす、 日本独自の『砲戦車』って ことで良いのではないですか? |
> 直接支援に間接支援、果ては対戦車戦闘までこなす、 > 日本独自の『砲戦車』って > ことで良いのではないですか? わたしもそう思いました。 くわしくは、まなかじさんへの返信「誤解があるようなので・・・」 を参照ください。 では。 |
> そもそも何故に日本軍の車両を、 > 突撃砲・自走砲といったドイツ型の分類に当て嵌めて考える必要が? > 直接支援に間接支援、果ては対戦車戦闘までこなす、 > 日本独自の『砲戦車』って > ことで良いのではないですか? 突撃砲というのは自走野砲に他ならないんです。 ドイツ軍は師団砲兵を10榴と15榴で編成していて、連隊砲の15歩兵砲は射程と機動性が十分でなく、大隊砲の7.5歩兵砲または81ミリ迫は平射弾道射撃での制圧能力に不安がありました。 また、第一次大戦の経験から7.5野砲は前線に張り付いていてこそ価値があるとし、歩兵の前進に全く遅れず、むしろ先導し得るだけの野砲火力を求めて突撃砲という砲種の開発が始まっています。 つまり、第一次大戦で出てきた野砲の用法全てを完璧にこなすことのできる、理想の野砲が突撃砲なのです。ドイツにとっては7.5牽引野砲を代替更新する存在が突撃砲なのです。 直接支援だけをやるわけではなく、観測班を挟んで仰角かけて撃つことも、対戦車戦闘も突撃砲の想定任務のうちにはあるんです。 その任務の重要度の割り振りに多少の差があるだけで、機能的には砲戦車に期待されることは突撃砲は一通りできるしやらなくてはならないし、突撃砲に期待されることは砲戦車にも同じくできるしやるんですよ。 この点でSU-76は車台の軽さもありますが、より任務を限定したものと言えます。 ソ連にとっての理想の支援火砲はそもそも76ミリではなかったこともあり、SU-76は良くも悪くも単に展開撤収が著しく速いだけの76ミリ野砲でしかありません。 英軍のビショップやセクストンも同様で、これは砲兵運用において保守的な英軍の思想を反映したものです。 米軍は厳密には野砲にカテゴリできる種類の軽加農を持ちませんから、自走砲の運用にもそれが反映されます。 従ってこれらは砲戦車とも突撃砲とも比較すべき対象ではないと考えます。 やるべきことが違うから。 ひるがえって、もっとも思想的に近い存在として砲戦車と突撃砲は直接比較の対象たりえます。 そして、75ミリ砲を備え、37ミリクラスの対戦車砲に耐える装甲を有する直接支援車輌として分類するとき、M4も4号戦車も、そしてT-34さえも比較対象たりえると。 |
> 突撃砲というのは自走野砲に他ならないんです。 > そして、75ミリ砲を備え、37ミリクラスの対戦車砲に耐える装甲を有する直接支援車輌として分類するとき、M4も4号戦車も、そしてT-34さえも比較対象たりえると。 M4のくだりで漸く判ってきました。 なるほど直・間接支援車輌としての自走野砲の登場、 そこから(or平行で)特化していく駆逐戦車・自走榴弾砲という所でしょうか。 詳細な解説、有難くあります。 |
こういう論争が起きるのは極めて残念なことです。 いちのへさんは現代兵器体系の眼差しでホニ車を見たために、誤解を招いてしまったのではないでしょうか。 ここで野砲と機甲部隊の関係を考えて見ましょう。 まず、砲兵としては自走式の野砲が必要です。 戦車部隊は「機動性の高い野砲」を随伴させる必要があります。 しかし、戦車部隊に必要な機動性の高い野砲が、必ずしも自走式とは限りません。 いや、むしろ自走式野砲では戦術的自由度を狭めてしまう危険性もあります。 第二次対戦当時の戦車部隊随伴砲兵に必要な戦術的機動性は自動車牽引式野砲でも確保可能なものです。 一方、砲兵全体としては自走式火砲がどうしても必要です。 しかし、それは戦車部隊に随伴させる為ではなく、陸軍で最もハードな任務を受け持つ兵科である「歩兵」を支援する為です。 この議論を続けていく上で私が指摘したいことは、戦車部隊の随伴火砲は自走式であるべきだという固定観念を捨てることと、ならば、歩兵に自走式火砲の支援が必要な場面はどこなのかです。 最後に、いちのへさん。 あなたの書き込み自体の内容そのものが、あなたの主張を否定するようなものですよ。 戦車研究室でのいちのへさんの書き込みはいつも論理的だったのに、こういう矛盾だらけの文章を書くとは、いちのへさんらしくありません。(苦笑) > ホニは当初の構想では、戦車師団の砲兵連隊に機動力を付与するべく > 開発されたものと思っております。 > 戦車師団の機動砲兵連隊は、野砲(7.5cm砲)と10榴(105mm榴弾砲)を装備 > していました。 > ホニIは野砲を、ホニIIは10榴を搭載することで、機動砲兵連隊の機動力を > 戦車旅団に追随可能なように向上させたのです。 > 野砲は、いわゆるcannonの末裔ですから、榴弾砲よりは直射を重視した砲です。 > 口径も7.5cmと速射性もあり、初速も高いことから、汎用性の高い砲なのです。 > そして、ホニIは、野砲を搭載したことから、直射時に敵の反撃も考慮して、 > 前面装甲は比較的厚くされています。 > 一方、野砲の機動力向上タイプとしてみれば、オープントップで充分なわけです。 |
マニアさん> いろいろご指摘ありがとうございます(感謝)。 私は、AnsQにてこの件で書き込みする際に、運用についてなど、 素人の自分が反論してよいものかと思って躊躇していました。 一方、AnsQで書き込まれている内容は、その時点で、あまりに 不確かな(どちらかというと説明不足かな?)状態でして、 これでは、そのスレッドを読む人に誤解を生むのではないかと 思い、私の書き込みが踏み台になって、より正確な情報が 来ることを望んだのです。 そのおかげか、この辺りのことにお詳しい諸氏の詳細な意見が 聞けましたので、当初の目的は果たせたと思っております。 議論ボードまで来てしまったのは、予想外だったのですが(苦笑) AnsQだけで、手を引きたかったというのが本音です(笑)。 以上です。 不確かなこと含めた書き込みをして、まことに申し訳ありません(深謝) |
この話題は比島戦で実戦に参加したホニIを以って諸外国の戦車と比較するのは如何なものだろうか?という問い掛けから始まっていると思います。 私は日本戦車の歴史的な背景や運用構想を抜きにしてただその形態と機能を見るならばホニIは「自走砲」にしか見えないだろうと言っているのです。 ホニIの成立過程はまさに早くから砲兵が望んでいた自走式野砲なのですが、現実に車両が整備される時点での運用は突撃砲的用法を主眼にして限定的に生産されたのです。ホニIの装甲が量産されたホニIIよりも厚いのはその為でしょう。(いちのへさんが書かれた内容からはそう読めてしまうのですが、両者の装甲は同じではありません。) そして長砲身の75mm砲を装備したホニIは対戦車戦闘にも適性を認められて機甲科からは「砲戦車」と呼ばれ、その改良型を望まれています。 そこで、この「砲戦車」という車種の定義ですが、これは支援戦車、対戦車戦闘戦車といった任務を持つもので形態としては基本的に旋回砲塔を持つ「戦車」です。 初期構想の「砲戦車」はホイのような旋回砲塔を持っている対戦車砲制圧目的の支援戦車であることからもわかるでしょう。 しかし後期には対戦車戦闘能力が求められた為に主砲が大型化し「砲戦車」はあたかもドイツの駆逐戦車のような趣きとなります。しかしこれもまた技術面、運用面で許されるならば旋回砲塔にしたいと考えられた車両なのです。 と言うわけで、いちのへさんが結論付けられようとしているホニIは「日本独特の砲戦車」という見方はあまり適当ではありません。ホニIは「砲戦車」の典型ではないのです。 自走野砲として開発されたホニIは「砲戦車」への要望の変化に伴って「砲戦車」としての可能性も見出されたものであって、本来の「砲戦車」ではありませんが、しかし、諸外国の戦車と日本の戦車を比較する場合、限定生産ではありながら75mm砲搭載の「砲戦車」としてホニIを欠くのもまた十分な考察とは言えないだろう、ということなのです。 こんな車両について回りくどい説明をしなければならないのですから私はSUDOさんに例えが悪い」と注文したのです。 「慢心云々」も有難く戒めとして頂戴いたしますが、いちのへさんは専門誌にも寄稿される方なのですから「一次資料など見た事もない」などと読者が不安にかられるような御発言は謹んでもう少し冷静になられては如何でしょうか? |
> こんな車両について回りくどい説明をしなければならないのですから私はSUDOさんに例えが悪い」と注文したのです。 はい、ごめんなさい(;_;) |
ご教示ありがとうございます(感謝)。 また、失礼な言お許しください(深謝)。 貴殿の書き込みと、いまさらながら、下記の本を読み直しました。 戦車と砲戦車 学習研究社 機甲入門 佐山次郎著 PANZER誌2002年2月号 「AFV比較論 マルダー対一式砲戦車」 斉木伸生著 おかげで、いろいろ判りました。 >こんな車両について回りくどい説明をしなければならないのですから私はSUDOさんに >例えが悪い」と注文したのです。 私もそう思いました。SUDOさんが悪い(笑)。 >「慢心云々」も有難く戒めとして頂戴いたしますが、いちのへさんは専門誌にも寄稿される >方なのですから「一次資料など見た事もない」などと読者が不安にかられるような御発言は >謹んでもう少し冷静になられては如何でしょうか? まことにその通りだと思います。反省したいと思います。 ただ、私は戦史研究家ではないのです。あえていうなら、軍事技術勉強家でしょうか(苦笑)。 それで、専門は弾道学(終末弾道学)です。弾道学の一次資料ならば、それなりの数が手元に ありますし、もちろん読んでいます。 一方、お題の日本陸軍の一次資料なんて、ほとんど見たことがありません(旧軍の弾道学の本など 数冊ぐらいは靖国で読んだことあります。けど、コピーまではしなかった、苦笑)。 あの言は、「どうせBUNさんと比べればなんにもしらないよ!ふーんだ!」って、すねたわけ です(笑)。すなわち、そういう意味なんです。 >ホニのこと 貴殿をはじめ、まなかじさん、P-kunさんなど、お詳しい方々が詳細に解説くださって いますので、私ごときが意見を差し挟む余地(意義か?)は、もうありませんね。 ということで、撤退いたします。 以上です。楽しい議論をありがとうございました(感謝)。 |
えっと、要するに 中戦車=III号的車両 砲戦車=IV号的車両 であるわけですね。で、火力を求めて大柄な砲を搭載した結果、旋回砲塔を失った、と。 |
> さて、A&Qコーナーでやりましょう、一式砲戦車はシャーマン、四号戦車、三号突撃砲(私としてはこの時点で一寸変だと思いますが)に当たる物なのでしょうか? > 又、折角なので旧日本軍における対戦車戦全般も議論できたらと思います。 すみません、操作ミスで一部文書を消したまま投稿しまいました。 正しくは「A&Qコーナーでは何なので議論ボードでやりましょう」です。 |
> さて、A&Qコーナーでやりましょう、一式砲戦車はシャーマン、四号戦車、三号突撃砲(私としてはこの時点で一寸変だと思いますが)に当たる物なのでしょうか? > 又、折角なので旧日本軍における対戦車戦全般も議論できたらと思います。 M4も4号戦車も3号突撃砲もホニも、どれも主任務は対戦車戦闘でないと思いますが、なんでまた対戦車戦闘を主題のひとつとしてとりあげるのか、その意味がよく判りません。 4号F2や3突Fが長砲身の砲を備えたのは、ソ連の45ミリ対戦車砲をアウトレンジするのが主目的ですし、M4やホニが野砲級の主砲を備えたのは掩体付きの機関銃陣地を破壊するのに十分な火力として求められたものだと思います。 その結果として出くわす敵戦車を破壊し得る徹甲弾をも発射できるようになったのです。 どっちが主目的なのかは搭載弾薬の構成比率を見ればすぐにわかることです。 その意味合いにおいて、敵陣地の火点を直接照準で破壊する目的を持った車輌として4号も3突もM4もホニも同じ目的用途用法の車輌です。 米軍で対戦車戦闘をやるための車輌はM10でありM18でありM36であって、M4でもM26でもありません。 ドイツ軍で対戦車戦闘をやるための車輌はマルダーでありナスホルンであり4駆でありヤクトパンターです。 第二次大戦参戦各国のいずれをとっても、戦車における対戦車戦闘は副次目的であって主目的ではありません。 その意味で、大戦末期に対戦車自走砲に任務をシフトした経緯は確かにありますが、ホニは基本的には敵戦車を撃破することを目的とした車輌ではなく、参戦各国の戦車(あるいは突撃砲)と同じ用法で扱われるべく開発発展してきた車輌です。 車体レイアウトの形態がオープントップの固定戦闘室であろうと、そういう風に使う車輌なのですからそのように分類しています。 |
三突や四号に関する市販の本を数冊覗いてみましたがソ連の45mm対戦車砲をアウトレンジする為とか書いておらず、三突Fや四号F2は戦車の装甲と火力のいたちごっこの上での流れとして紹介されています。 何故「対」戦車砲なのでしょう?戦車にも同様の砲は搭載されます、だからこそ上記のようないたちごっこも起きるのにどうして殊更に対戦車戦の部分を避けるのですか? シャーマンも四号も戦車、ホニは自走砲であると考えています、所詮戦車は戦車、自走砲は自走砲なのです。 |
まなかじさんは主に最近日本語版が発売されたオスプレイの「M26」の内容を挙げているのでしょう。この本はとても興味深い内容を持っています。 日米の戦車運用構想にかなり類似点があることをわかりやすく教えてくれる良い本だと思います。 各国戦車をただ形態学的に分類してもあんまり意味が無いと私は思いますよ。 |
> 三突や四号に関する市販の本を数冊覗いてみましたがソ連の45mm対戦車砲をアウトレンジする為とか書いておらず、三突Fや四号F2は戦車の装甲と火力のいたちごっこの上での流れとして紹介されています。 そういう「常識」がまかり通っているからいつまでたっても日本の戦車ファンというか陸上兵器ファンのレベルが低いままなんじゃねえかなと思ったりするわけです。 > 何故「対」戦車砲なのでしょう?戦車にも同様の砲は搭載されます、だからこそ上記のようないたちごっこも起きるのにどうして殊更に対戦車戦の部分を避けるのですか? 戦車における対戦車戦闘は重要な任務ですが第一義の任務ではありません。 第一、それであれば各国機甲師団に対戦車大隊があること自体が謎です。 対戦車戦闘は戦車にとっては止むを得ず行う任務でしかないのに、なぜ戦車対戦車の戦闘にそんなにこだわるのか疑問です。 戦車や突撃砲の主任務はなんですか? 陣地突破支援です。もちろん後方に展開して食い破ることは大切ですが、まず弱点を探るとはいえ、この突破がなければ敵の後方に入り込むことはできません。 あらゆる機動作戦は突破から始まるわけですね。 では、T-34はこちらが陣地を突破しようとしているときに現れるものなのですか? 違います、突撃砲が対戦車火器に射すくめられて動きが取れなくなり、歩兵の前進が食い止められたところで、いざ逆襲という場面で出てくるのです。 何よりも大切なのは敵の突破衝力をまず食い止めることにあり、それは対戦車砲や対戦車自走砲、そして陣地の歩兵と後方の砲兵の頑張りでまず達成されます。 戦車の出番はそれからです。 クルスクにおいてもドイツ軍のパンツァーカイルに猛砲撃を浴びせて歩兵と分断し、PAKフロントにぶちあたって前進に難渋しているところへソ連戦車隊が横合いから突きかかるという展開でしたね。 ドイツ軍の勢いを止めたのは対戦車砲です。 これに対して反撃するのが戦車の任務なのです。 そして、この敵戦車隊への反撃はこれを牽制することが目的であり、反撃の本隊は更にその後方へ向かいます。 さて、ここで問題。 ドイツ軍にとって重要であったのは、既に突破に失敗したところからT-34を食い破って後退し味方戦線の崩壊を防ぐことだったのでしょうか、それとも対戦車砲を制圧して突破を成功させることだったのでしょうか? 戦車の主砲というのは敵戦車を撃つものではなく、敵陣地の火点を撃つものです。 徹甲弾は敵戦車を積極的に狩るためではなく、敵戦車に出会ってしまった場合にこれを排除する目的で搭載されるのが本筋です。 大戦中期以後のドイツ戦車の火力はこの点で多少歪んだものになっていますが、これは戦車の圧倒的数量差に求められるものであり、またこの状態にあっても弾薬の推奨定数は重戦車であっても徹甲と榴弾は半々、四号やパンターでは6:4の割合で榴弾の方が多いですよね。実際にどうであったかは置くとしてもドイツ陸軍の機甲科が戦車の目標というものをどう捉えていたかはわかりませんか? 更に、M4やT-34ではこの割合はほぼ7:3に達するものです。(これに対する徹甲弾の過積載は両者とも日常茶飯に行われてはいましたが) > シャーマンも四号も戦車、ホニは自走砲であると考えています、所詮戦車は戦車、自走砲は自走砲なのです。 他レスで概ね答えていると思います。参照されたし。 |
> > 三突や四号に関する市販の本を数冊覗いてみましたがソ連の45mm対戦車砲をアウトレンジする為とか書いておらず、三突Fや四号F2は戦車の装甲と火力のいたちごっこの上での流れとして紹介されています。 > > そういう「常識」がまかり通っているからいつまでたっても日本の戦車ファンというか陸上兵器ファンのレベルが低いままなんじゃねえかなと思ったりするわけです。 本HPにも同様の記述が見受けられますので以下本HPからのコピペします。 (IV号戦車F2型は、バルバロッサ作戦で出会ったT-34中戦車やKV-1重戦車といった強力なソ連戦車に対抗するため、F型に急ぎ、当時ドイツ軍の対戦車砲として生産が開始されていたPak40系列の、43口径7.5cm戦車砲KwK40を搭載したものである。 この決定は、1941年11月18日に出されたもので、当初は、次のG型から採用される予定であったが、1942年4月4日、ヒトラーは、できるだけ早くIV号戦車に長砲身砲を搭載することを命じた。) 因みに伺いたいのですがどうゆう了見で(どんなファンでも)ファンのレベルの高い低いを論じるのですか?ファンのレベルが低いのであばそれを善導して一緒に楽しめば良いのであり、高みに上って講釈垂れるってのはどうも同じファンとしてどうもいけ好かないのですが。 > > 何故「対」戦車砲なのでしょう?戦車にも同様の砲は搭載されます、だからこそ上記のようないたちごっこも起きるのにどうして殊更に対戦車戦の部分を避けるのですか? > > 戦車における対戦車戦闘は重要な任務ですが第一義の任務ではありません。 > 第一、それであれば各国機甲師団に対戦車大隊があること自体が謎です。 > 対戦車戦闘は戦車にとっては止むを得ず行う任務でしかないのに、なぜ戦車対戦車の戦闘にそんなにこだわるのか疑問です。 > > 戦車や突撃砲の主任務はなんですか? > 陣地突破支援です。もちろん後方に展開して食い破ることは大切ですが、まず弱点を探るとはいえ、この突破がなければ敵の後方に入り込むことはできません。 > あらゆる機動作戦は突破から始まるわけですね。 通りすがりさんではありませんが私としては第二次世界大戦期の場合、戦車ともなれば陣地突破が主、対戦車攻撃が副と言う事ではなくどちらも等分に求められた能力ではないかと考えておりますが如何でしょう? > > では、T-34はこちらが陣地を突破しようとしているときに現れるものなのですか? > 違います、突撃砲が対戦車火器に射すくめられて動きが取れなくなり、歩兵の前進が食い止められたところで、いざ逆襲という場面で出てくるのです。 > 何よりも大切なのは敵の突破衝力をまず食い止めることにあり、それは対戦車砲や対戦車自走砲、そして陣地の歩兵と後方の砲兵の頑張りでまず達成されます。 > 戦車の出番はそれからです。 > クルスクにおいてもドイツ軍のパンツァーカイルに猛砲撃を浴びせて歩兵と分断し、PAKフロントにぶちあたって前進に難渋しているところへソ連戦車隊が横合いから突きかかるという展開でしたね。 > ドイツ軍の勢いを止めたのは対戦車砲です。 > これに対して反撃するのが戦車の任務なのです。 > そして、この敵戦車隊への反撃はこれを牽制することが目的であり、反撃の本隊は更にその後方へ向かいます。 > > さて、ここで問題。 > ドイツ軍にとって重要であったのは、既に突破に失敗したところからT-34を食い破って後退し味方戦線の崩壊を防ぐことだったのでしょうか、それとも対戦車砲を制圧して突破を成功させることだったのでしょうか? > > 戦車の主砲というのは敵戦車を撃つものではなく、敵陣地の火点を撃つものです。 > 徹甲弾は敵戦車を積極的に狩るためではなく、敵戦車に出会ってしまった場合にこれを排除する目的で搭載されるのが本筋です。 > 大戦中期以後のドイツ戦車の火力はこの点で多少歪んだものになっていますが、これは戦車の圧倒的数量差に求められるものであり、またこの状態にあっても弾薬の推奨定数は重戦車であっても徹甲と榴弾は半々、四号やパンターでは6:4の割合で榴弾の方が多いですよね。実際にどうであったかは置くとしてもドイツ陸軍の機甲科が戦車の目標というものをどう捉えていたかはわかりませんか? > 更に、M4やT-34ではこの割合はほぼ7:3に達するものです。(これに対する徹甲弾の過積載は両者とも日常茶飯に行われてはいましたが) 前文の繰り返しになりますが私としてはどちらも等分に求められた能力であると考えます。 チャンバラに例えるとPAKフロントや陣地は盾、T34は槍だとすると盾で受け止めたドイツの槍を断つ為にはやはりソ連の槍も太く、鋭い物でなくては出来ません、だからこそクルクスではドイツの槍をへし折れたと思うのですが如何でしょう? ファン論に関して失礼な文面ではありますが傲慢な文章に感じましたのでこの様な書き方になりました、失礼致しました。 |
> 本HPにも同様の記述が見受けられますので以下本HPからのコピペします。 > (IV号戦車F2型は、バルバロッサ作戦で出会ったT-34中戦車やKV-1重戦車といった強力なソ連戦車に対抗するため、F型に急ぎ、当時ドイツ軍の対戦車砲として生産が開始されていたPak40系列の、43口径7.5cm戦車砲KwK40を搭載したものである。 > この決定は、1941年11月18日に出されたもので、当初は、次のG型から採用される予定であったが、1942年4月4日、ヒトラーは、できるだけ早くIV号戦車に長砲身砲を搭載することを命じた。) それ、厳密にはWarbirdsのコンテンツじゃないです。 データベースの相互リンクで別のページに飛んでるものですし、もちろんわたしはそれに関しては何も関わってませんし。 まあ、KwK40/43はPAK40とは砲身、閉鎖機、駐退復座機、弾薬の全てが違う砲で、共通なのは砲身の「生産工程」と徹甲弾の弾頭部分だけでしょうと。 誤解を助長する、あまり良いとは言えない紹介文ですし。 また、開発開始が1941年11月18日ではありません。この砲の開発内示はT-34ショックとは無関係に1940年秋に出ています。母体となるPAK40が39年末に開発開始されていたので、それにわずかに遅れて並行するようなかたちでの開発です。 それにしても1年余りで試験モデルの開発を終えたラインメタルの技術力には脱帽の他ありませんが、何にしてもT-34ショックは開発配備を加速する理由であってもその原因ではない、では、なぜ75ミリ43口径という戦車砲は開発されたのでしょうか。 バレンタインやマチルダを破壊するためですか? > 因みに伺いたいのですがどうゆう了見で(どんなファンでも)ファンのレベルの高い低いを論じるのですか?ファンのレベルが低いのであばそれを善導して一緒に楽しめば良いのであり、高みに上って講釈垂れるってのはどうも同じファンとしてどうもいけ好かないのですが。 意味不明ですね。 善導するってのは導く側が高みにあることが前提ではないのかと。 自分の勉強不足を棚に上げといて、講釈垂れられていけ好かないなどと言われるのは心外ですね。 そもそも自分の思っていることと違うことを言われているからいけ好かないのであって、それが高みからのものだと感じられるのは自らの劣等感によるものでしょうと。 なんで劣等感を抱かれるのかわたしにはよくわかりませんけども。 ていうか、戦車の使い方についてろくな勉強もせずに出鱈目なことを吐き散らす人の方がわたしはいけ好かないですね。ましてやWarbirdsのAns.Qで。 > 通りすがりさんではありませんが私としては第二次世界大戦期の場合、戦車ともなれば陣地突破が主、対戦車攻撃が副と言う事ではなくどちらも等分に求められた能力ではないかと考えておりますが如何でしょう? とりあえず、「1936年度労農赤軍臨時野外教令」(1943年いっぱいまでこれに準拠です)、日本陸軍の「作戦要務令」、大日本絵画から出てる「パンツァータクティク」くらいは読んでみて下さいな。 全部ネット上で手に入るものですし、全部揃えても1万かからないでしょう。 ていうか、よく読めば小林源文さんの漫画でもわかるはずなんですけどね。 考えるのは良いですけども、考えるための材料自体が圧倒的決定的に不足しているように思えます。 また、視点が先入観念、或いは狭く偏った興味に囚われていて、拾えるはずの情報も見落としているようでもあります。 それと、大戦中期以降のドイツの「戦車だけ」を見ていると絶対に判りません。 > 前文の繰り返しになりますが私としてはどちらも等分に求められた能力であると考えます。 > チャンバラに例えるとPAKフロントや陣地は盾、T34は槍だとすると盾で受け止めたドイツの槍を断つ為にはやはりソ連の槍も太く、鋭い物でなくては出来ません、だからこそクルクスではドイツの槍をへし折れたと思うのですが如何でしょう? 違います。 ドイツの槍を断つには槍を構えている腕を斬り、胴を突き通すのです。 槍自体を折る必要はありません。 ロトミストロフの戦車軍団は主反攻正面ではありませんし、プロホロフカは激戦ではあっても、少なくともソ連軍にとっては主戦場ではありませんよ。 クルスクで最終的にドイツが倒れた原因は米英軍のシチリア上陸ですしね。 ところで、クルクスって何処ですか。 伊号さんに限らずけっこうネット上で見かけるんですけども、そういう戦例があったのでしょうか。不勉強なものですみません。 |
>意味不明ですね。 善導するってのは導く側が高みにあることが前提ではないのかと。 自分の勉強不足を棚に上げといて、講釈垂れられていけ好かないなどと言われるのは心外ですね。 そもそも自分の思っていることと違うことを言われているからいけ好かないのであって、それが高みからのものだと感じられるのは自らの劣等感によるものでしょうと。 なんで劣等感を抱かれるのかわたしにはよくわかりませんけども。 ていうか、戦車の使い方についてろくな勉強もせずに出鱈目なことを吐き散らす人の方がわたしはいけ好かないですね。ましてやWarbirdsのAns.Qで。 通りすがり様の火力と装甲のシーソーゲームの件で「そういう「常識」がまかり通っているからいつまでたっても日本の戦車ファンというか陸上兵器ファンのレベルが低いままなんじゃねえかなと思ったりするわけです。」てな事を言ってのけてしまいかつ、上記のような某巨大掲示板みたいな罵詈雑言浴びせるその姿勢がいけ好かないのです、此処はもっと紳士的な所ではないのですか?私が書き込みを始めてかれこれ1年半から2年経ちますが私がいけ好かないと思ったのはその書き込む姿勢に対してです、何時私が「自分の思っている事と違う事を言われているからいけ好かない」と言う姿勢で書き込んだんでしょう?振り返って茶化す様な書き方に対しては憤った事もありますが・・。 私はまなかじ様の「そういう〜」の発言に対し憤ったのです、それと一式砲戦車の話は別です、そういう常識をまかり通って日本の陸上兵器ファンのレベルが低いままであればその常識がまかり通ったのかその経緯はどういった物だったのかを提示しようとは考えないのでしょうか?皮肉抜きで本当にその「常識」が成立する経緯を伺いたいです、確かに他の諸氏と比すれば勉強不足かもしれませんが「そういう〜」の様な書き方はして来なかったつもりです。 |
(T/O) |
それで、KwK40の開発経緯に関しては示しました。 補強するとすれば、突撃砲の主砲に関しては戦前の1938年から40口径砲の試作が開始されています。 これの開発はまるっきりの新規だったことから時間がかかり、結局後に追いついてきたKwK40/42の方が性能が良いことから、これを突撃砲搭載用に改めたものがStuK40として採用されています。 戦車砲については1940年、突撃砲については戦争も始まっていない1938年から長砲身75ミリ砲の計画はありました。 この事実を無視し、またその意味を考えようともしないで積み上げられた「常識」だと言っています。 そしてそれは戦車の使い方というものが全く理解できていないからだと。 「常識」について要点を抜書きしてみましたが、いちいち繰り返してこんなことまで書かないといけないのでしょうか。 既に書いてあると思うのですが? 沸騰する前にちゃんと読んで、要点に噛み付いてくださいよ。 目的に応じて適切な箇所(目標)に重点形成するのは機甲戦術の基本ですよ。 |
陸戦に関する知識はないためロムのみだったのですが、少し書かせていただきます。 戦車や突撃砲の主任務としてまなかじさんは > 戦車の主砲というのは敵戦車を撃つものではなく、敵陣地の火点を撃つものです。 と主張され、その論拠として > 弾薬の推奨定数は重戦車であっても徹甲と榴弾は半々、四号やパンターでは6:4の > 割合で榴弾の方が多い と言う点を挙げられています。 それに対して伊号さんは > 通りすがりさんではありませんが私としては第二次世界大戦期の場合、戦車ともなれば陣地突破が主、対戦車攻撃が副と言う事ではなくどちらも等分に求められた能力ではないかと考えておりますが如何でしょう? と主張されていますが、その論拠を述べられていません。 客観的に見て、現在の状況では伊号さんの主張の方が弱いと見られても仕方ないと思います。 議論をよりよいものとするために、ぜひ伊号さんの主張を裏付けする論拠を拝聴できれけばと思います。 |
> > 通りすがりさんではありませんが私としては第二次世界大戦期の場合、戦車ともなれば陣地突破が主、対戦車攻撃が副と言う事ではなくどちらも等分に求められた能力ではないかと考えておりますが如何でしょう? > > と主張されていますが、その論拠を述べられていません。 > 客観的に見て、現在の状況では伊号さんの主張の方が弱いと見られても仕方ないと思います。 > 議論をよりよいものとするために、ぜひ伊号さんの主張を裏付けする論拠を拝聴できれけばと思います。 他の方々のやり取りで語られている感がありますが陣地突破のみが主な任務であれば対戦車砲を撃破出来る程度の火力にノックアウトされない装甲を付与するだけでよいのです、チャーチル等の歩兵戦車がこれに当たります、相手戦車を撃破するのに重砲や航空機等のお膳立てがあれば楽出来ますが、それらのお膳立てが充分整った戦闘はそうはありません、だからこそ陣地突破が主、対戦車戦闘が副では無くどちらも等分に必要な能力で、戦闘となれば陣地突破も対戦車戦闘もこなせなければ主力戦車たりえないと思うのです。 榴弾砲と徹甲弾の搭載比率ですがドイツ軍で半々から6:4、M4やT−34だと更に低下しますが、なまかじ様の指摘に有るようにどこの国の乗員達も対戦車戦闘を意識して徹甲弾の積み増しを行っていますし、なるほどM4やT−34は徹甲弾の搭載比率は低めですが膨大な生産数、ドイツ軍に比して重砲や航空機による支援が見込める状況を加味して考える必要があると思います。 三号戦車が装甲と火力のシーソーゲームに主力戦車として追随出来ず、自走砲や突撃砲に供されている事は他の方々の解説にある通りですが同じく対戦車能力の低さで主力戦車の主砲として使い道の無くなった24口径75mm砲を三号戦車に搭載した三号N型が有ります、本車は戦車大隊に火力支援戦車として配属され、主力戦車の火力支援に供されています。 以上から第二次世界大戦期に発生した様々な戦車の戦闘を通じて対戦車能力も陣地突破能力と並んで主力戦車に必須の能力として確立し、今日に至っていると考えております。 別記 SUDO様、丁寧な解説有難うございました、ソースがすぐ出せ無いので自信が有りませんが戦車の防御戦闘に関してソ連軍が戦車を砲塔から下を埋めて防御戦闘に供し、効果を得た事例は実際どんな物だったのでしょうか? |
> 他の方々のやり取りで語られている感がありますが陣地突破のみが主な任務であれば対戦車砲を撃破出来る程度の火力にノックアウトされない装甲を付与するだけでよいのです、チャーチル等の歩兵戦車がこれに当たります、相手戦車を撃破するのに重砲や航空機等のお膳立てがあれば楽出来ますが、それらのお膳立てが充分整った戦闘はそうはありません、だからこそ陣地突破が主、対戦車戦闘が副では無くどちらも等分に必要な能力で、戦闘となれば陣地突破も対戦車戦闘もこなせなければ主力戦車たりえないと思うのです。 陣地突破に付随して対戦車戦闘が生起するのですから、任務における重要度、優先度は明らかです。 しかし、能力として敵戦車を排除する能力が無くて良いとは初めから誰も言っていません。戦車の役割や任務を狭く解釈して混乱しているのは伊号さんの方でしょう。 陣地突破が主任務であるということと、対戦車戦闘が副任務であることは両立します。 また、他レスでも触れていますが戦車は万能度において他の装甲戦闘車両を圧倒します。 ただ、その万能度における最も重視すべき項目であり、やりたい任務は陣地突破であること、対戦車戦闘はやりたくない任務であることを指摘しているのです。 イギリス歩兵戦車の場合、突破貫入口からなだれ込むべき巡航戦車が存在しますが、ドイツ軍はそういう割り振り分担をあまりしていません。 ドイツの戦車はより柔軟性を高くすることで効率を良くしようとし、イギリス戦車はある任務への適合性を高めることで効率を良くしようとした、そのアプローチの差が出ているだけでしょう。 更に言えば、戦車という兵器はつまるところ戦争のあらゆるレベルで陣地戦を打破し、且つ機動戦に持ち込むことを最大目的とするものです。 敵戦車に応対して運動を停止ないし鈍化させることは、攻撃側としては絶対に避けたいものであり、防御側としても攻撃側から主導権を奪回する一過程として欲しているに過ぎないのであり、戦車とはより速くより深くより広く戦面を展開し得る兵器としてこそ存在意義があるものなのです。 この点で、伊号さんの主張するところは戦車という兵器の本質をつかんでいない、もしくは戦車の為すべきことのうち、ごくごく狭い範囲の一面のみを以って戦車を説明しようとしているようにしか見えないのです。 > 以上から第二次世界大戦期に発生した様々な戦車の戦闘を通じて対戦車能力も陣地突破能力と並んで主力戦車に必須の能力として確立し、今日に至っていると考えております。 はい、そのとおりです。 しかし、それと任務の重要性が等分であることとは両立しません。 > 別記 > SUDO様、丁寧な解説有難うございました、ソースがすぐ出せ無いので自信が有りませんが戦車の防御戦闘に関してソ連軍が戦車を砲塔から下を埋めて防御戦闘に供し、効果を得た事例は実際どんな物だったのでしょうか? 予想されるドイツ軍の突破衝力が絶大なので、対戦車砲火力を増強する手段としてそうしたのでしょう。 何度も言いますが、防御側としては突破衝力を食い止めること、攻撃側主導権下の機動戦に持ち込まれないことが最重要課題です。 食い止められないのならば機動反撃兵力を控置しておいても遊兵になるだけです。 まずそれを前提とした上で、何処に来るかが判っているならば、もはや戦車の機動力は必要ありません。 対戦車砲火力としてだけ見るならば、砲の位置を低くすることは戦術的に有効ですから壕を掘って埋めるのは理に適っています。 さて、そこで完全に埋めてしまったことに関してですが、これは持ち場死守ということなのではないでしょうか。 この戦車は既にPAKフロントの火網構成を為す要素のひとつとなっているわけで、そうなると下手に動かれたりすると困る、或いは動けるようだと逃げ出すかもしれない。 なにしろドイツ軍の主攻撃正面に予測されているからそうまでして守っているわけですから、ドイツ軍の圧力もでかい、しかしなにがなんでもここで食い止める、そのためには戦車を埋めさせてここで死ねと。 戦車は機動戦力であるという原則から見れば愚策としか言えませんが、突破衝力をまず食い止めろという原則から見れば一定の意味は見出せますよね。 |
勉強不足ではありますが前の書き込みでまなかじ様が提示された件の書籍はよく読みますよ、「パンツァータクティク」の第一章・「攻撃」の冒頭に提示されている三つの柱の一つに挙げている「正確な装甲破壊火力の運用」は戦車に対しては二義的と? 攻撃側が敵戦車に応対して運動を停止ないし鈍化させる事を嫌がるからこそ防御側は戦車戦力をぶつけ、主導権を奪回しようと試みるのであり、「一過程」として求めてるのでは無く主導権を奪回する際の重要な兵力として求めているのではないでしょうか。 だからこそ攻撃側は攻撃の際に「正確な装甲破壊火力の運用」が求められるのではないですか? 攻撃側にとって戦車はより速くより深くより広く戦面を展開し得るからこそ、防御側はこれに速やかに対応できる地上兵力として戦車を当てて来るのだと思うのですが。 因みに対戦車戦闘が第一義であるとはこれまでの書き込みで一言も言ってませんよ、「等分」に求められた能力だと言ってるのであり、要はバランスだという事なのですが。 |
> 勉強不足ではありますが前の書き込みでまなかじ様が提示された件の書籍はよく読みますよ、「パンツァータクティク」の第一章・「攻撃」の冒頭に提示されている三つの柱の一つに挙げている「正確な装甲破壊火力の運用」は戦車に対しては二義的と? とんでもない誤読です。 装甲破壊火力は「装甲を破壊する火力」ではなく「装甲された破壊火力」ですよ? ほんとに内容を読んでますか? 第1章のどこに対戦車戦闘を述べた項目がありますか? 正直、寒心無きを得ません。 > 因みに対戦車戦闘が第一義であるとはこれまでの書き込みで一言も言ってませんよ、「等分」に求められた能力だと言ってるのであり、要はバランスだという事なのですが。 ですから、等分ということは双方が「第一義」であって優劣をつけられないという主張ではないのですか? それは違うでしょうと申し上げているのですが? |
SUDOさんとまなかじさんが指摘されているのは、第二次大戦における戦車の性能が直接的にどういうものであったかではなく、どのような軍事行政上の方針で戦車戦力が整備されてきたかという点です。 戦車戦力の整備と対戦車戦力の整備は重なる部分もあるけれども基本的に別のもので、兵器行政はその方針の下位に位置するものです。実際の兵器そのものはさらにその結果に過ぎないものである、と。ではその方針がどんなものであったかといえば、戦車の使用目的は基本的に突破戦闘であって、歩兵支援もやるけれども、戦車を打つことは主要な目的ではなく、戦車の敵は対戦車砲であって戦車ではなかった、と。 戦前の各国での基本的な戦車戦力整備はそういう方針であって、そういう方針で整備された戦力をもって、たまたま第二次大戦が戦われた、と言うことだろうと思います。 もちろん実際の戦争になってみれば、たとえば対戦車砲がいつでも戦車に対応できる場所にあるとは限らないとか、戦車が敵戦車を撃破出来ないと不便だとか、そういういろいろな不具合がわかっては来ても、第二次大戦時点での現在進行形での戦車戦力整備には、あまり影響がなかったということではないでしょうか。 戦争後半のドイツ戦車は対戦車戦闘の比重が高いように見えますが、それはたまたま他の対戦車戦力(航空機なり自走対戦車砲なり)の数量が足りず、やむを得ない措置として戦車単体の対戦車戦闘能力を引き上げざるを得なかった、と考えることも出来ます。それは確かにいまでいう“主力戦車”の概念に近くはありますが、戦前型の戦車戦力整備方針から見ても説明がつくものではないかと。 戦後になって歩兵戦車、巡航戦車、対戦車自走砲なんかの昨日が一本化されて主力戦車という概念が生まれますが、それはあくまで“戦後”つまり第二次大戦の結果として生まれたもので、結果が出るまでは存在していなかった、ということではないかと思います。 > 以上から第二次世界大戦期に発生した様々な戦車の戦闘を通じて対戦車能力も陣地突破能力と並んで主力戦車に必須の能力として確立し、今日に至っていると考えております。 > こう書かれていらっしゃるように、あくまで主力戦車という概念は第二次大戦の“結果”として生まれたものです。その概念を第二次大戦の戦車に当てはめると、主力戦車と見えなくもないものもあったことについては否定する気はありませんが、既述したとおり第二次大戦中の戦車戦力整備というのは主力戦車なる概念に基づいていない、ということだと思います。 |
> 別記 > SUDO様、丁寧な解説有難うございました、ソースがすぐ出せ無いので自信が有りませんが戦車の防御戦闘に関してソ連軍が戦車を砲塔から下を埋めて防御戦闘に供し、効果を得た事例は実際どんな物だったのでしょうか? 頑丈な隠蔽陣地に野砲を入れたのと実体としては変わらないと思います。 どっちが作るのが安いのかは言わずもがな。 ですが、現地の部隊としては、戦力差等で、反撃する余裕も無い場合、今ある戦車を防戦に最も適した形で有効活用するとしたら、斯様な手段もありでしょう。非常に悲しい事ですが。 もう少し時間があれば、代替隠蔽陣地を複数用意したいでしょうが、敵部隊の速度が速いので、そういう準備をする時間が無いんでしょうね。 つまりT34の持つ可能性を、敵の速度が奪ってしまい、非常に貧弱な戦術能力に低下させたのだと言ってよいです。 準備時間や戦況が許すなら、戦車を集成して反撃用に温存したい(これは例えば41年冬季戦でソ連軍がしばしば行った行動であると、日本陸軍が赤い星の記事として紹介してますし、赤軍の教本にも記されてます) また、代替陣地を用意するのは防戦の基本であり、ドイツ軍が赤軍の戦車による防戦事例としても紹介してますし、自軍教本にも記していますね。 また敵を食い止めた後に反撃ないし後退(次の防衛線)するのは一般的な戦術ですが、埋めてしまった戦車は動けませんので放棄することになります(撃退したら勝ちじゃないです、敵は前に倍する戦力で再攻撃してくるか、他の場所を突破口にして該陣地の意義を喪失させるでしょう) 埋めた戦車とは、死守しか許されない状況で選択される、悲しい事例ではないでしょうか。 |
> 他の方々のやり取りで語られている感がありますが陣地突破のみが主な任務であれば対戦車砲を撃破出来る程度の火力にノックアウトされない装甲を付与するだけでよいのです、チャーチル等の歩兵戦車がこれに当たります、相手戦車を撃破するのに重砲や航空機等のお膳立てがあれば楽出来ますが、それらのお膳立てが充分整った戦闘はそうはありません、だからこそ陣地突破が主、対戦車戦闘が副では無くどちらも等分に必要な能力で、戦闘となれば陣地突破も対戦車戦闘もこなせなければ主力戦車たりえないと思うのです。 えーと・・・。 同時期英軍戦車で比較すると、チャーチルとクロムウェルかな? 先にも書きましたが、戦車というか機械化部隊の任務は前進です。 突破してからの前進が主任務になります。 で、チャーチルとクロムウェルは、概ね武装が同じレベルですから、敵戦車と殴り合ったら、チャーチルのほうが強いです。 言い換えると、英軍巡航戦車はチャーチルほどには敵戦車との交戦を重視して無い訳です。代わりにより薄い装甲とより強力なエンジンで、より高い機動力を持っています。 その高い機動力は、敵戦線後方へと突進するためにある訳です。 まあ、英軍の場合、歩兵戦車とは攻撃時には第一波破砕用、防御においては歩兵のための自走対戦車砲・駆逐戦車であるのが基本ですので、敵戦車撃破は陣地攻撃と同じぐらいに重視された車種です。 まあ、英軍歩兵戦車が「主力戦車」だと思うなら、それはそれで良いと思います。 > 三号戦車が装甲と火力のシーソーゲームに主力戦車として追随出来ず、自走砲や突撃砲に供されている事は他の方々の解説にある通りですが同じく対戦車能力の低さで主力戦車の主砲として使い道の無くなった24口径75mm砲を三号戦車に搭載した三号N型が有ります、本車は戦車大隊に火力支援戦車として配属され、主力戦車の火力支援に供されています。 三号戦車の製造が事実上とまったのは、42年の末です。 ここで思い起こしていただきたいのですが、三号戦車で勝てそうも無い敵戦車、つまりT34/85の戦線登場は44年の春で、まだ1年半先です。またT34/76との遭遇はつまり開戦でですから41年夏、三号戦車は開戦後も1年半生産されています。半年やそこらじゃないですよ。1年半です。 三号戦車は敵戦車に勝てないから消滅したのでしょうか? T34/76とのスコアは負けてますか? 50mm60口径砲の搭載要求は38年からあり、40年中に42口径からの更新を要望されており、最終的に41年末からとなりましたが、これらはT34の登場に対抗してとは思えません(勿論、加速させたとは言えるでしょうが) 三号戦車の主要工場であるMAN社が何をしようとしていたか見たことはありますか? 三号戦車の生産が終わった理由は、パンターにラインを取られたからです。 パンターは三号戦車よりも優れた戦車ですから、乗り換えは当然ですが、ここで重要になるのは、では三号戦車では不足だったのかと、実際にはパンターへの切り替えの混乱から前線で戦車不足が起こり大問題になってますね。この時点で、三号戦車は生存を許されないような戦車ではなかったのです。必要なだけの能力はギリギリでしょうが保っていた戦車だったのです。 三号戦車が消えたのは、三号戦車の問題ではなく、変わりになる戦車が登場したからなんです。 そして代わりになる戦車であるパンターの計画は、東部戦線が始まる前からあったのです。勿論東部戦線の状況はパンターの計画に色々な影響を与えたでしょうが、敵戦車T34に主力戦車三号戦車が勝てないからパンターが開発製造されたわけでは全然無いと思いますが如何でしょうか? |
> 通りすがりさんではありませんが私としては第二次世界大戦期の場合、戦車ともなれば陣地突破が主、対戦車攻撃が副と言う事ではなくどちらも等分に求められた能力ではないかと考えておりますが如何でしょう? 第二次大戦の陸戦を見れば、戦車部隊は攻撃先鋒・逆襲先鋒であるといえます。 防衛側が逆襲に戦車を用いますが、逆襲とは、突っ込んできた敵部隊ではなく、その敵部隊の後方、脆弱な連絡戦を寸断するという行動になります。 態々敵先鋒を叩くより、その後ろの補給段列を叩き、道路を押さえてしまえば、逆包囲が成立します。あとはゆっくり料理すればよい。 勿論料理の段階で戦車と戦車の交戦はあるかもしれませんが、別に重砲や飛行機呼んでも良いし、そのまま放置して音を上げるまで待ってもよく、それほど重要視する必要のある行為では有りません。どうせ数日で動けなくなるんですし(その数日が得られない場合は困りますが) となると、逆包囲を回避しようと攻撃側戦車が大慌てで後退するかも知れません。その場合逆襲部隊の戦車との交戦もあるでしょうが、逆襲部隊は敵が下がってくれれば良いのですから、無理をする必要は有りません。負けるよりは勝てたほうが良いですが、絶対的に駄目というわけではない。 場合によっては攻撃する陣地に敵戦車がこもってるかも知れません。 この場合は歓迎です。パンツァータクティクにあるように、場所を特定された戦車は虚弱なんです。 飛行機か重砲を呼ぶか、大戦末期なら重駆逐戦車を呼べばよい(その為に各国の戦車部隊は支援戦車・対戦車自走砲・駆逐戦車を随伴してます) 勿論攻撃側は、敵に数倍する戦力で攻撃します。それは基本原則ですから。 ですから少数の敵戦車の英雄的抵抗は短時間に撃退される事になります。勿論、そういった抵抗は、単なる対戦車砲が篭っていた場合よりも厄介な場合も有り、少しずつ攻撃部隊の前進衝力を奪うでしょうが、なんというか勿体無い使い方の一つで、推奨されない行動です(パンツァータクティクには、可能な限り防衛線に戦車を入れないで逆襲用に温存しろとされてます。そっちの方が防衛としては正しい方策です) まあ、以上のような陸戦の基本原則から、戦車が戦車と交戦するということは、攻撃側も防衛側もやむをえない場合に取る手段であり、他に手段が選択できるならば、しないですませたい行動なのです。 攻撃時、重戦車のように他部隊の支援をする戦車は、敵戦車が出たとなれば、優先的に応戦にかかりますが、主力戦車部隊は、駆逐戦車や重戦車が居てくれればそれに任せればよいというのが基本原則なんです。 実際には中々上手くいかず、戦車隊が自力で何とかする方が早かったりしたのは、まなかじさんが述べられたとおりです。 また防衛に戦車が使われるのは、敵の数があまりにも絶望的で対戦車砲等だけでは食い止められない、逆襲に持ち込めない、とにかく抵抗して時間を稼ごうという悲惨な負け戦的状況が、それを強要しちゃってるわけです。 まあ、戦争の場合、どっちかにシーソーが傾く事が多いので、大戦末期のドイツ戦車なんかは駆逐戦車的に陣地に篭って頑張るという情景が良くあったりしますが、米ソでは状況が許すならそれに駆逐戦車・重砲・飛行機を呼んで対処し、それが出来なかったりミスったりすると、戦車が苦労するという事になっちゃうわけです。よって戦車の対戦車能力は、有って困る事は無いし高いに越した事は無いけど、それが必要になるという事自体が歓迎されないものだったのです。戦車はソフトスキンを虐めるものだったのです。 |
質問させてください。 お話の筋はわかるのですが、 ではなぜ、大戦中の独ソの主力戦車は長砲身化していくのですか? 対戦車戦闘が2義的な目的であれば、わざわざ高価な長砲身の砲を 主力戦車に与える必要はないと思うのですが。 これは対戦車戦闘を重視したからではないのでしょうか? |
> ではなぜ、大戦中の独ソの主力戦車は長砲身化していくのですか? > 対戦車戦闘が2義的な目的であれば、わざわざ高価な長砲身の砲を > 主力戦車に与える必要はないと思うのですが。 > これは対戦車戦闘を重視したからではないのでしょうか? 軽視はしてないという事です。 JS2戦車は、より対戦車威力に勝る100mm砲ではなく122を最終的に選択しました。 意外と忘れがちですが、殆どの戦車の出現時、より高威力の砲を備えた駆逐戦車・対戦車自走砲が存在していたのです。 戦車にも二義的に対戦車戦闘能力が要求される以上、その性能は漸進します。 「要求していない」「任務に無い」のではなく、最優先任務でも性能でもないというだけの事です。 四号戦車と四号駆逐戦車、パンターとヤークトパンター、T34/85とSU100。対戦車戦闘を第一義にしたら同じ車台でも、こうなる訳です。 第二義であるから、それぞれの戦車は、あの程度の武装になってるわけです。 |
> お話の筋はわかるのですが、 > ではなぜ、大戦中の独ソの主力戦車は長砲身化していくのですか? > 対戦車戦闘が2義的な目的であれば、わざわざ高価な長砲身の砲を > 主力戦車に与える必要はないと思うのですが。 > > これは対戦車戦闘を重視したからではないのでしょうか? ドイツは広い戦線に薄く展開していますから、防御戦時には移動対戦車砲として戦車或いは駆逐戦車を投入してきます。 ドイツとしては本当は戦車を移動対戦車砲として使いたくはないのですが、そうしないと間に合わないのです。 突破衝力を止めることが最重要課題であることは既に述べていますが、ソ連軍の突破衝力を止めるには歩兵の陣地と砲兵だけでは足りない場合が多いので、逆襲部隊としてとっておきたい戦車部隊をも投入せざるを得なくなる。 とにかくまず突破を食い止めなければならないのです。 パンターやティーガーIIはこうした用法にも対応できる戦車として、対戦車砲や対戦車自走砲、駆逐戦車に匹敵する対戦車攻撃能力を持たされているのです。 そういう意味ではドイツは他国よりも対戦車戦闘を重視している、重視せざるを得ない、重視させられていたと言うこともできるでしょう。 しかし、これは東部戦線という戦場にドイツ戦車が恐竜的に適応していった結果であり、これを以って戦車は対戦車戦闘を第一にしているという一般論に敷衍することは甚だしく危険だと思います。 また、これとて戦車隊の任務に於けるウェイトが他国に比べて大きいということであり、ドイツ戦車隊は対戦車部隊ではありません。戦車には他にもやるべきことがたくさんあり、できれば敵戦車なんかにかまっていたくはないのです。 さて、そうすると、ソ連側としては突破作戦時に出くわすのは牽引対戦車砲や軽装甲の対戦車自走砲ばかりでなく、戦車や駆逐戦車を排除する必要性も生じます。 このため、徹甲弾の貫徹力も欲しい。つまり、ドイツ戦車が対戦車砲として使われる以上、対戦車砲を排除して突破衝力を維持するという戦車砲の持つ大原則から、そうせざるを得ないわけです。 ただ、ここで注目したいのは、ソ連は榴弾威力の方が重要だということを忘れていないことです。 76ミリを長砲身化するのでなく85ミリの中程度の砲身長で、貫徹力は砲弾重量で稼ぐようにし、榴弾威力を格段に増していますね。 JS重戦車が100ミリではなく122ミリを採用したのはまさに榴弾威力を重視したためです。 ソ連戦車は対戦車戦闘は二義的目的であるという姿勢を崩していません。 |
ご返事ありがとうございます。 > 突破衝力を止めることが最重要課題であることは既に述べていますが、ソ連軍の突破衝力を止めるには歩兵の陣地と砲兵だけでは足りない場合が多いので、逆襲部隊としてとっておきたい戦車部隊をも投入せざるを得なくなる。 > とにかくまず突破を食い止めなければならないのです。 > パンターやティーガーIIはこうした用法にも対応できる戦車として、対戦車砲や対戦車自走砲、駆逐戦車に匹敵する対戦車攻撃能力を持たされているのです。 > そういう意味ではドイツは他国よりも対戦車戦闘を重視している、重視せざるを得ない、重視させられていたと言うこともできるでしょう。 ということは、大戦後期の独戦車には対戦車能力の付与は不可欠の要素になっていたという言い方もできるわけですよね。 > しかし、これは東部戦線という戦場にドイツ戦車が恐竜的に適応していった結果であり、これを以って戦車は対戦車戦闘を第一にしているという一般論に敷衍することは甚だしく危険だと思います。 ごく素直に考えると、東部戦線の戦訓から、双方で「主力」戦車にも敵「主力」戦車を排除する能力が不可欠になっていったということではないのでしょうか? 4号やパンテルが、同じ車台の駆逐戦車群に比べてある意味限定的な対戦車能力しか有していないのは、当面T-34系列に対応できればよかったからで、決して対戦車能力を軽視してああなっているのではないと思います。 繰り返しになりますが、話の筋はよくわかっているつもりなんですよ。 火点突破能力こそが戦車の第1の目的であることに異論ははさむつもりはないんです。 ただし、ある時期から、敵の主力戦車に対する対戦車能力に欠ける主力戦車は存在を許されなくなっていると思うのです。だから3号は主力戦車たり得なくなったし、4号、T-34は終戦まで主力戦車で居られたのではと考えます。 |
> ということは、大戦後期の独戦車には対戦車能力の付与は不可欠の要素になっていたという言い方もできるわけですよね。 そうですね、結果から見て評価するならそういう言い方もできるでしょう。 ただ、因果関係を無視して「ドイツの戦車は対戦車能力が高いのだから対戦車戦闘が主任務なのだ」と単純に主張されるのは困るよというだけです。 > ごく素直に考えると、東部戦線の戦訓から、双方で「主力」戦車にも敵「主力」戦車を排除する能力が不可欠になっていったということではないのでしょうか? > 4号やパンテルが、同じ車台の駆逐戦車群に比べてある意味限定的な対戦車能力しか有していないのは、当面T-34系列に対応できればよかったからで、決して対戦車能力を軽視してああなっているのではないと思います。 SUDOさんも書かれていますが、二義的任務であるということと、それを軽視しているということとは全く別です。 どちらもやらなくてはならない任務です。 その中での優先順位、つまりその戦車というパッケージにおいてある任務の占める割合がどうなっているのかという問題なのであって、言葉のニュアンスとして重視と軽視という二分論を連想させる用法はどうかと思います。 戦車は、他の装甲車輌に対して最も万能性が高いことを特徴とする車輌であると考えます。逆に言えばひとつふたつの任務にだけ特化することは許されないものであると。 ですから、多種多様の任務をこなすことを求められるものであり、言ってみれば任務に対する重視の度合いを多段階にグラデーションさせて持っている、そのグラデーションのバランスをどう取るのかという問題であって、どれも「軽視」したり「無視」したりはできないものでしょう。 まあ、これはわたしの語感に対するこだわりみたいなものです。 たぶん、言いたいことはそう違ってないんじゃないかと思います(苦笑 > 繰り返しになりますが、話の筋はよくわかっているつもりなんですよ。 > 火点突破能力こそが戦車の第1の目的であることに異論ははさむつもりはないんです。 > > ただし、ある時期から、敵の主力戦車に対する対戦車能力に欠ける主力戦車は存在を許されなくなっていると思うのです。だから3号は主力戦車たり得なくなったし、4号、T-34は終戦まで主力戦車で居られたのではと考えます。 ですから、3号が存在を許されなくなったのは対戦車戦闘力に欠けるからだというくくりで理解するのは、確かに一面の真実ではあるのですが、それだけで説明ができるものではありません。 50ミリ砲の威力不足は徹甲弾だけではないし、装甲防御力の不足はT-34の主砲に対してだけではないでしょう。 総合的に見て、要求される任務に対してバランスを取ることができなくなったからではないのでしょうか。 ただ、この見方は戦後のNATO各国の戦車の発達と、それに対抗するソ連戦車の発達を理解する視点としてはそれなりに有効であるとも思います。 |
> > シャーマンも四号も戦車、ホニは自走砲であると考えています、所詮戦車は戦車、自走砲は自走砲なのです。 > > 他レスで概ね答えていると思います。参照されたし。 通りすがり様を差し置いて恐縮ではありますがやはり本HPの一式砲戦車の一行目に(一式砲戦車は、戦車部隊と協力して火力支援を行う自走砲不足に苦しんだ日本陸軍が、九七式中戦車の車体を流用して開発した自走砲である。)とありますがSUDO様も含めて如何でしょう? |
> > シャーマンも四号も戦車、ホニは自走砲であると考えています、所詮戦車は戦車、自走砲は自走砲なのです。 > > 他レスで概ね答えていると思います。参照されたし。 通りすがり様を差し置いて恐縮ではありますがやはり本HPにある戦車データベースにある一式砲戦車の一行目に(一式砲戦車は、戦車部隊と協力して火力支援を行う自走砲不足に苦しんだ日本陸軍が、九七式中戦車の車体を流用して開発した自走砲である。)とありますがSUDO様も含めて如何でしょう? |
そりゃ、自走砲は自走砲ですよ。 その記事も大元の開発開始の経緯の紹介としては間違っていませんし。 しかし、形態学的な分類の話をしてるんじゃないんですよ。 まだわかんないんですか? 土井津武夫さんのも含めて他のレス全部読んでから書きましたか? それとも、75ミリ野砲クラス主砲で装甲50ミリ以上、歩兵直接支援という任務を持つというカテゴリで分類するとき、オープントップであるか旋回砲塔であるかってことが物凄く重要な要素になるという確固としたご意見をお持ちなのでしょうか。 |
>一式砲戦車は、戦車部隊と協力して火力支援を行う自走砲不足に苦しんだ日本陸軍が、九七式中戦車の車体を流用して開発した自走砲である。)とありますがSUDO様も含めて如何でしょう? まだ戦争も始まっていないのに「苦しむ」ことはありません。 一式自走砲構想の淵源は砲兵側の研究論文などの中で昭和10年前後に既に見られます。 |
> 4号F2や3突Fが長砲身の砲を備えたのは、ソ連の45ミリ対戦車砲をアウトレンジするのが主目的ですし 本題からは逸れてしまいますが、この箇所を読み疑問が生じたので一つ質問します。 旧日本軍の戦車砲は、対戦車砲との戦闘のため速射性とか手数の優先順位が高く、そしてその優先順位の高さが、高初速な75mm級の火砲の搭載を遅らせる要因にもなったと認識しています。 一方独逸は、対戦車砲との戦闘を有利にするため、アウトレンジする方向に舵を切ったと言う事ですが、この両者の違いは何なのでしょうか? 体格の差かなと漠然と思ったのですが、その考えは誤りで何か別の要因があるのでしょうか? |
> 旧日本軍の戦車砲は、対戦車砲との戦闘のため速射性とか手数の優先順位が高く、そしてその優先順位の高さが、高初速な75mm級の火砲の搭載を遅らせる要因にもなった 私も陸戦には詳しくないのですが、40口径75mm砲クラスの戦車砲を搭載する各国の戦車の制式採用時期についてちょっと調べてみました。 ○日本戦車 一式砲戦車(九○式75mm戦車砲)…… 1941年1月制式化 三式中戦車(三式75mm戦車砲)…… 1944年2月制式化 四式中戦車(五式75mm戦車砲)…… 1945年1月制式化 ○ドイツ戦車 三号突撃砲F2(STUK40 75mm/L48戦車砲)…… 1942年3月制式化 四号戦車F2(KWK40 75mm/L43戦車砲)…… 1942年3月制式化 四号突撃砲(STUK40 75mm/L48戦車砲)…… 1943年12月制式化 五号戦車D(KWK42 75mm戦車砲)…… 1943年1月制式化 ○ソ連戦車 KV-1(M1940 76.2mm戦車砲)…… 1940年1月制式化 T-34/76(M1940 76.2mm戦車砲)…… 1941年2月制式化 ○アメリカ戦車 M4A1・75(M3 75mm戦車砲)…… 1942年2月制式化 まだ他にもあるかもしれませんが、一式砲戦車の採用はソ連の1940年型KV-1よりは遅いものの1941年型T-34/76とほぼ同時で、ドイツの三突F2や四号F2、アメリカのM4A1・75より一年以上早く制式化されています。 よって、これを見る限り日本戦車への高初速75mm砲の搭載は世界的に見ても早いほうなのではないかと思います。 |
制式化と言いますが、ここに書かれた時期は滅茶苦茶ではないでしょうか。 特に日本戦車の制式制定は・・・。 野砲クラスの大砲を戦車に搭載する要求自体は各国とも独軍のT34ショック等を待たずともあったのでしょう。それを実現するに当り何が障害となったかは各国それぞれの事情によるのだと思います。開発方針の公式な決定という意味では日本陸軍は世界で最も早く主力戦車の主砲を105mm化したと言うことさえできますね。 |
> 旧日本軍の戦車砲は、対戦車砲との戦闘のため速射性とか手数の優先順位が高く、そしてその優先順位の高さが、高初速な75mm級の火砲の搭載を遅らせる要因にもなったと認識しています。 > 一方独逸は、対戦車砲との戦闘を有利にするため、アウトレンジする方向に舵を切ったと言う事ですが、この両者の違いは何なのでしょうか? > > 体格の差かなと漠然と思ったのですが、その考えは誤りで何か別の要因があるのでしょうか? 日本のチハ改、チヘにあたるドイツ戦車は3号です。 ドイツの4号或いは3突にあたる日本戦車はホイ、ホニI、ホニIII(及びチト原案)ですね。 別に違いはないんじゃないでしょうか。 中戦車と砲戦車(支援戦車)という枠組みがまずあったのだということを見落としていませんか? これが戦車数量で決定的劣勢下にあるということを前提とする方向でパンターやチリに収斂していくわけですが、パンターとチリの武装方式の差はその防御力の差、つまりは戦車自体の重量差に求めることができるのではないかと思います。 |
> 一方独逸は、対戦車砲との戦闘を有利にするため、アウトレンジする方向に舵を切ったと言う事ですが、この両者の違いは何なのでしょうか? 対戦車砲というのは、基本的に先手を取りやすい火器です。 隠蔽陣地から外部視察能力に劣る戦車を狙撃できる火力を持ってます。 主力戦車(例えば日本のチハ)は撃たれちゃってから残存車両が応戦するという形になります。 ですから主力戦車には、防御力と反応速度が要求されます。チハなんかは、近距離の37mm砲に耐えられる防御と、対戦車砲発見から素早く制圧射撃を送り込める事を狙った武装になって居るわけです。 これに対して、四号戦車や砲戦車は、これら主力戦車の背後に居ます。 先頭の味方主力戦車が撃たれたところで、それに対して応戦するという形になります。凡その敵状を理解した状況で出張ってくるといっても良いでしょう。 よって有効射程の長さは、発見した敵対戦車砲への応射能力と密接にかかわりあいますし、場所が判ってるならアウトレンジできたほうが望ましいわけです。 よって、火力支援型戦車と、主力戦車では変わってくるということが言えるわけです。 |
To:T216さん、まなかじさん 申し訳ありません、質問が不適切でした。 話は旧日本軍中戦車に限定したもので、「高初速な75mm級の火砲の搭載を遅らせる」も別に他国との比較ではありません。 正直に言うと、「戦車と砲戦車」のp109にある「七五ミリ加農を拒んだものは?」の項目を意識したものです。 対戦車砲への他処方として手数ではなくアウトレンジという解がアリなら、高初速な75mm級の火砲を拒む要因が少なくとも一つ無くなると考え、 でも何故その方向に旧日本軍は進まなかったのだろう?、と疑問に思った訳です。 To:SUDOさん > これに対して、四号戦車や砲戦車は、これら主力戦車の背後に居ます。 > 先頭の味方主力戦車が撃たれたところで、それに対して応戦するという形になります。凡その敵状を理解した状況で出張ってくるといっても良いでしょう。 > よって有効射程の長さは、発見した敵対戦車砲への応射能力と密接にかかわりあいますし、場所が判ってるならアウトレンジできたほうが望ましいわけです。 > よって、火力支援型戦車と、主力戦車では変わってくるということが言えるわけです。 主力戦車の背後に居る....、そんな単純なことを私は見落としていたのですか(^^; 実は、チリと異なり何故ホニには自動装填装置が無いのだろう、と言う点も疑問に思っていたのですが、それを含めて解消した気がします。 To:まなかじさん > 中戦車と砲戦車(支援戦車)という枠組みがまずあったのだということを見落としていませんか? そうですね。 長砲身のIV号 = 主力戦車、との刷り込みが強かったので、恐らくその点を見落としていたのだと思います。 |
分類に関してはまなかじさんが述べられてるとおりなので割愛。 第二次大戦前〜序盤に於ける最新モードの機甲戦闘は、比較的防御の弱い敵陣を選択し、集結して攻撃するところから始まります。 間違えないで欲しいのは、機甲部隊は、強力な敵陣地を迂回する存在ではないという事です。 攻撃できるだけの戦力を、機動力の優位でかき集める事ができるのです。 こうして戦力の優位を機動力で確保した機甲部隊は敵陣攻撃を開始します。 ドイツ軍で顕著ですが、戦車に付随した歩兵部隊の存在から、戦車はその機動力を最大発揮して、敵陣を攻撃突破した後、その後方に侵入し、敵陣の戦力根幹である砲兵陣地や後方連絡線を遮断します。 この用法に於いては、戦車部隊は止まることなく進む事とされていますね。これは停止して射撃するなと言う意味ではなく、突破撃破した周辺地域の掃討制圧占領を後回しにするということです。 機甲部隊とは、各種装備技術の進歩等で突破前進距離が得られなくなった事から生み出された、より深く突破する為の槍だったのです。 この観点で見た場合。 集中運用されて、機械化歩兵がそれに付随するという部隊編成で、更にその機械化部隊とは別に突破地域の掃討制圧占領等を行いうる歩兵部隊を用意した師団・軍団編成の意味が見えると思います。 つまり、英軍巡航戦車、ソ連軍中戦車(T34/BT)ドイツ軍戦車は、基本的に同じことを考えて開発配備されてます。 これとは別に、従来の歩兵部隊(徒歩行軍)の戦術支援用としても戦車は用いられます。こちらの戦車は、陣地を抜いた後に更なる前進をするわけではなく、敵陣そのものを火力で粉砕しつつ、共同行動する歩兵が陣地占領をするのを助ける存在です。 そういう方向性と言えるのは、英軍歩兵戦車、独突撃砲、ソ連重戦車等になります。比較的小規模の部隊で、他歩兵部隊等に貸し出されて用いられる事が多いというのが、見かけ上の特徴でしょうか。 一般的には火力と装甲を重視し、機動突破前進は物理的には可能であっても、随伴部隊等が期待できないので、重視されていないという使われ方ですね。 日本軍の戦車は集中運用されて、突破前進を行う部隊という性格が強く、特にチハ以降では明白に前者、つまり機動運用を狙った戦車です。 ドイツ軍やソ連軍でそうだったように、戦車を集中運用する事は、多数ある歩兵部隊に支援火器としての戦車的な存在が無くなる事を意味します。 これはこれで困るわけです。 突撃砲やソ連重戦車が、主力戦車とは別種のものとして存在した背景はそこらにある訳です。 日本軍の砲戦車は、砲兵連隊に配備された場合は、この後者的役割をする、歩兵支援戦車になります。 そして突撃砲がそうであったように、戦車部隊に配備されれば、大火力戦車として用いられるわけです。 この独突撃砲と見事にシンクロするのが、M4シャーマン戦車です。 シャーマンは歩兵師団の歩兵戦車としても機甲師団の打撃突破機動戦車としても用いられました。突撃砲よりも豪華で完成度が高いのは、米国の国力といえますが、その前モデルのM3中戦車を見れば、米国が欲した戦車は、一定レベルの装甲と75mm砲を備えた存在であったと言えます。 という訳で AnsQで問われた、火力と装甲を重視した戦車の可能性・方向性は、第二次大戦序盤からの流れから、突撃砲という一つの模範解答があり、それに類似した答え、もしくは同種の方向性や位置付けをそれなりに担った存在が数モデル各国に存在した事。 そして、日本の場合は砲戦車が、それに位置付けられるものであったと。 狙った戦術運用、要求され付与された性能、そしてそこからの発展的した役割、突撃砲やM4や四号戦車と非常に類似したものだったのです。 それが、ああいう形で、ああいうデザインで、ああいう性能なのは、つまりは国力や技術や経験の問題になるでしょう。 ホニ1は、ホニ3や三式中戦車へと改良されていく事で、より他国の同レベル車両に近い完成度へと進みますが、根源的なレベルではホニ1は一応最低限の要望はクリアしていたとも言えるでしょう。 |
ホニ開発の背景のひとつには日本陸軍に特徴的に見られる野砲兵の肉迫主義があるように思えます。九〇式野砲への批判と九五式野砲の開発などに見られる、軽い大砲を前線へ推進して戦うという傾向は現在の視点から否定されていますが、当時としては有力な考え方です。 本質的には射程が異なるだけの野砲と榴弾砲をあれこれ区別する必要はありませんが、日本の野砲兵は単に攻撃の先頭に立つような肉迫主義だけではなく対戦車戦闘さえも自分達の領分だと主張しています。ホニに対して突撃砲的な運用構想が砲兵側から付与されたのもこの流れの中にあることではないかと私は思います。 |
> ホニ開発の背景のひとつには日本陸軍に特徴的に見られる野砲兵の肉迫主義があるように思えます。九〇式野砲への批判と九五式野砲の開発などに見られる、軽い大砲を前線へ推進して戦うという傾向は現在の視点から否定されていますが、当時としては有力な考え方です。 これは、他レスでも少し書きましたが、第一次大戦中のドイツとフランスに倣ったものなのではないでしょうか。 両軍とも75ミリ野砲を徹底的に前進させて使いましたし、特にフランスのシュナイダー戦車やサンシャモン戦車、更にはシャールB.1はこの野砲運用法の直接延長線上の流れにある存在ではないかと思います。同じようにドイツでそれを発展させたものが突撃砲になったのだと。 > 本質的には射程が異なるだけの野砲と榴弾砲をあれこれ区別する必要はありませんが、日本の野砲兵は単に攻撃の先頭に立つような肉迫主義だけではなく対戦車戦闘さえも自分達の領分だと主張しています。ホニに対して突撃砲的な運用構想が砲兵側から付与されたのもこの流れの中にあることではないかと私は思います。 ソ連軍の野砲兵も防御戦時には対戦車戦闘に積極的に加入しますね。 76ミリ野砲が対戦車砲部隊に配備され始めるのは1943年春遅くです。 つまり、戦争2年目までにドイツ戦車が出くわしたラッチュ・ブムは、全て野砲兵のものだったわけですね。 |
> さて、A&Qコーナーでやりましょう、一式砲戦車はシャーマン、四号戦車、三号突撃砲(私としてはこの時点で一寸変だと思いますが)に当たる物なのでしょうか? > 又、折角なので旧日本軍における対戦車戦全般も議論できたらと思います。 アジア歴史資料センターで読んだ「ノモンハン」における現地軍の戦訓の中で、予算の 制約があるなら、戦車などより対戦車砲をまず優先して欲しい、気分的に読めば日本の 戦車など糞の役にも立たなかったという話があります。1939年において対ソ戦を考 えた場合、日本戦車に対する抜きがたい不信感が生じているようなのですが、これはそ の後の戦備に何か影響をあたえたのでしょうか? |
例えば戦後開発された61式戦車とか(笑) |