Page 154 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼太平洋戦争の頃の航空用発動機メーカー 未熟者です 03/4/25(金) 2:54 ┗転換生産は基本方針だった BUN 03/4/25(金) 5:58 ┗Re:転換生産は基本方針だった 初心者です 03/4/26(土) 0:34 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 太平洋戦争の頃の航空用発動機メーカー ■名前 : 未熟者です ■日付 : 03/4/25(金) 2:54 -------------------------------------------------------------------------
4時間ググッたのですが、答えがでなかったので助けてください。 太平洋戦争のころの日本の航空用発動機のメーカーで、 外国の一部のメーカーのように(軍部の命令などにより)、 他の企業のエンジンを量産した例はあるのでしょうか。 日本の発動機メーカーは各社で技術の基礎になっているエンジンが 違っていて、自分の会社のエンジン以外はまともに扱えないとか 言っているヤツがいるんですが。 |
> 他の企業のエンジンを量産した例はあるのでしょうか。 数多く例を挙げられます。 例えば零戦や隼が装備した栄/ハ25、115系であれば、中島飛行機の他に川崎航空機(陸軍向け)、石川島航空工業(三菱製零戦向け)等で生産されています。誉/ハ45系も中島飛行機の他、第十一航空廠、川崎航空機(予定)、金星・ハ112系ならば三菱重工の他に日立航空機、満州飛行機といったように、主要エンジンの生産は官、民を問わず複数の工場で行われるのが普通です。 このような場合、航空廠など官の工場での転換生産を除き、転換生産を実施する製造業者は開発した業者に対してライセンス料を支払うという取り決めがあります。 ということはそのような取り決めをした頃から開発元と製造現場を分ける構想があったのではないか、と思う方もいるでしょうが、まさしくその通りです。海軍では設計/試作と製造をそれぞれ適切な業者に振り分けるという考えが航空隊の大拡張を計画し始めた昭和十年代初めに現れて、様々な準備が行われています。転換生産が最も盛んに実施、計画された戦争後期のエンジン生産は陸海軍飛行機の製造を統轄する軍需省が主導しています。 また、日本の工業界の中で航空エンジン生産部門は飛び抜けて先進的な技術導入が行われた分野で、欧米で行われていたような生産技術や生産管理の手法はその質と量を問わなければ概ね手をつけています。日本最大の量産メーカーだった三菱重工業の航空機部門等は生産技術史の面からの学術的な研究も行われてますので、論文もあれば出版物もありますから、誰にでも手の届く範囲にある情報で当時の大体の様子をつかむことができます。 |
ありがとうございました。 |