Page 15 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼ロンメルについて モーグリ 01/12/11(火) 17:35 ┣Re:ロンメルについて 通りすがり 01/12/11(火) 22:52 ┣Re:ロンメルについて しろくま 01/12/11(火) 23:22 ┃ ┗しかし… EVITA 01/12/12(水) 0:53 ┣Re:ロンメルについて tac 01/12/12(水) 16:21 ┣Re:ロンメルについて 山家 01/12/12(水) 20:01 ┣Re:ロンメルについて マイソフ 01/12/12(水) 20:17 ┣Re:ロンメルについて Kuma 01/12/13(木) 10:00 ┃ ┣Re:部下から見たロンメルについて マイソフ 01/12/15(土) 10:12 ┃ ┣Re:ロンメルについて カーフ 01/12/17(月) 7:56 ┃ ┗Re:ロンメルについて モーグリ 01/12/21(金) 16:38 ┣Re:ロンメルについて gogatee 01/12/17(月) 3:43 ┃ ┗成り上がり マイソフ 01/12/18(火) 15:51 ┗Re:ロンメルについて 影十字 01/12/24(月) 22:29 ┗大戦略 マイソフ 01/12/25(火) 14:30 ┗Re:大戦略 影十字 01/12/27(木) 16:09 ┗Re:大戦略 マイソフ 01/12/28(金) 14:22 ─────────────────────────────────────── ■題名 : ロンメルについて ■名前 : モーグリ ■日付 : 01/12/11(火) 17:35 -------------------------------------------------------------------------
下の投稿に便乗しての質問なんですが・・・ 第二次大戦で活躍したドイツのロンメル将軍は、架空戦記や ノンフィクションの中では、「天才的な司令官」という評価と 「補給を考えない愚将」という評価に二極分化しています。 どちらが正しいのでしょうか? |
> 下の投稿に便乗しての質問なんですが・・・ > > 第二次大戦で活躍したドイツのロンメル将軍は、架空戦記や > ノンフィクションの中では、「天才的な司令官」という評価と > 「補給を考えない愚将」という評価に二極分化しています。 > > どちらが正しいのでしょうか? 有能な戦術家に1票。 なぜなら彼は中下級指揮官としての適正しかないから。 けして有能な戦略家や上級指揮官ではないでしょう。 あと火葬戦記は信用せんほうがいいと思いますよ。所詮火葬戦記だから。 |
かきこ半年ぶり。 >「天才的な司令官」という評価と 1)部下にやる気を起こさせる。 2)今ある資源、状況を鑑み最善の手を尽くす。 以上、2点から優れた指揮官です。 > 「補給を考えない愚将」という評価に二極分化しています。 彼に十分な補給を補給を与えなかった(与える事ができなかった)上層部に問題があります。 よく「せいぜい大佐が関の山」と言われていますが私は賛同できません。 |
> 彼に十分な補給を補給を与えなかった(与える事ができなかった)上層部に問題があります。 どうしてもアフリカ戦線の位置付けはSideShowでしたし、 与えられた補給は制限されたものでした。 それはロンメルも(将帥クラスであるのならば)知っておくべき事柄ではあると思うのです。 つまり、自分がこの戦争の中で、どのような位置付けに置かれているかを。 それを踏まえた上で、その制限された補給の枠内で、 ロンメルの採った戦略は最善の方法であったか? これは疑問の残るところです。 > よく「せいぜい大佐が関の山」と言われていますが私は賛同できません。 やはりトータルウォーを戦う戦略眼が欠如していたので 「大佐クラスが適職である」という考えもあるのではないかと思うのですが。 |
> 第二次大戦で活躍したドイツのロンメル将軍は、架空戦記や > ノンフィクションの中では、「天才的な司令官」という評価と > 「補給を考えない愚将」という評価に二極分化しています。 > > どちらが正しいのでしょうか? 天才肌の指揮官ではあるでしょう。誰も考えたことのない、機甲部隊の砂漠での戦闘にすぐに適応してますし、オーバーロード作戦の上陸地点を正しく予想できてもいます。決して戦術眼のみではないと思いますよ。 ただ、彼を活かせるだけの戦略的環境を構築できなかったし、彼にもそれを覆すことができるだけの働きができなかったのは確かですが……アフリカ戦線における彼我の戦力を考えれば、どうしようもなかったのでは。他のどの将軍でもいいですから、同じ状況に送り込まれたとして、果たして史実以上の戦果を挙げることが可能だったのか? |
人の評価は、中々難しく、それぞれ説明を聞いていくと、ごもっとも、とそれぞれ思 わざるをえないことがあるのですが。 私としては、ロンメルについて、天才的な戦術家ではあった、と思います。ただ、そ のうえに、天才的な作戦、戦略家でもあったか、と言われると、首を傾げざるをえませ ん。例えば、彼の戦歴の中心ともいえる北アフリカ戦線において、枢軸軍の補給を妨害 した存在の一つとして、マルタ島の英海空軍が、戦史書において、よく取り上げられて います。そして、枢軸軍は、この脅威を取り除くために、私の知る限りですが、6回、 マルタ島攻略作戦を立案しました。この作戦に対して、ロンメルが積極的に賛成したと いう話を、私は目にしたことがありません。もし、ロンメルに、作戦、戦略面でも才能 があるならば、マルタ島攻略作戦に、積極的に賛成していたように、私には思えてなら ないのです。これに対しては、クレタ島攻略作戦等で、枢軸軍は、空挺作戦のリスクが 余りにも高いことを承知していた、実際、米英連合軍も、マーケット・ガーデン作戦を 後に失敗している、枢軸海空軍の実力では、マルタ島の制空権、制海権は確保できない、 といった反論を目にしたことがあります。従って、ロンメルは、無難な判断をした、と 言えるのかもしれませんが、私は、そんなことを言ったら、北アフリカ戦線自体のリス クが大きすぎるように思え、どうも納得しかねるのです。 |
近代的な軍には標準的な出世コースがあって、平時にはこれ以外のコースで 出世することはきわめて困難です。ドイツ軍の場合、陸軍大学校を出て参謀本部 スタッフとなることがこれにあたります。 ロンメルの場合、ちょうどこの年恰好になったとき第一次大戦が勃発したこと は不幸でした。しかし速成過程はあって、グデーリアンやモーデルはこれにより いちおう出世コースに乗っています。これにやってもらえなかったというのは、 やはり周囲が彼を「実戦向き、下級指揮官向き」と考えていたということでは ないかと思います。 ロンメルは現場を好みましたが、現場にいるべきでないタイミングでも現場 にいることを好み、司令部を留守にしたどころか、時には留守を守るべき参謀長 を一緒に連れて行こうとさえしました。大組織を動かすには、権限を下ろして 大づかみに手綱を絞るスキルを身につけねばなりませんが、これはロンメルに 欠けていたように思います。 1944年の装甲部隊前進策など、個々には当を得た局面の最善手があったと思 いますが、やはり大きな指揮権を振るうには向かない人という印象があります。 |
便乗させていただきます。 ロンメル元帥の下で働いた参謀達がロンメル元帥のことを嫌っていたという 話を聞いたことがありますが本当なんでしょうか??? 補給やら問題を無視して突っ走るとか・・・ 作戦が成功しても全て自分に手柄にしてしまうとか・・・ こんなことが続いてバイエルライン中将なんかはロンメル元帥のことを毛嫌 いしていたとか? |
あまり部下の書いたものは注意して見ていないので、あやふやなことを言いますが。 仕事はできるが周囲への配慮はちょっと、という人物には、上司であれ部下であれ、理解者が少数いるのが普通です。つまり、ロンメルが許せる上司であったか、という視点だけではなくて、ロンメルを許せるだけの度量がある部下であったか、という視点も考えられるわけです。 バイエルラインは特にひどい目にあったひとりですが、結果的に見るとその実績のおかげで出世しているようにも見えますし、むしろロンメルを崇拝している節もあったと感じています。 一般兵士から見ると、無理な要求はするが常に自分も最前線に出て来るロンメルは、将軍の軍服を着た同族のように見えたのではないか、と私は想像しています。ロンメルには兵士からのあだ名がつかず、単に「エルヴィン」と呼び捨てられていたという話もあります。 |
> ロンメル元帥の下で働いた参謀達がロンメル元帥のことを嫌っていたという > 話を聞いたことがありますが本当なんでしょうか??? > 補給やら問題を無視して突っ走るとか・・・ > 作戦が成功しても全て自分に手柄にしてしまうとか・・・ 少なくとも、イタリア側からは「独断専行すぎる」と見られていたようです。 しかもロンメル自身がイタリア人をバカにしていましたから。 |
> 便乗させていただきます。 > ロンメル元帥の下で働いた参謀達がロンメル元帥のことを嫌っていたという > 話を聞いたことがありますが本当なんでしょうか??? アーヴィングの『狐の足跡』によると、ロンメルは目立ちたがり屋でいつも専属の カメラマンを常駐させ、部下の功績をすぐ自分の功績にしたそうです。 ロンメル自身ヒトラーが好きで、ヒトラーの贔屓で出世できたこともあって 周りの将軍や参謀から疎まれていたそうです。 彼の死も、ヒトラー暗殺にかこつけて将軍たちがロンメルの排除を狙った物だとか。 ただ、リップシュタット『ホロコーストの真実』によると、アーヴィングは ホロコースト否定論者で彼の歴史研究も間違いが多いそうなので、『狐の足跡』の 内容も信用出来ない可能性があります。 > しかもロンメル自身がイタリア人をバカにしていましたから。 第一次大戦でイタリアと戦ったロンメルいわく「ドイツ兵1人はイタリア兵20人に 匹敵する」そうです。誇張かもしれませんが、イタリアが弱かったのは事実です。 |
ロンメルの評価が同時代のドイツ軍人から低くされるのは 1、非プロイセン(=ユンカー)閥だった 2、同じく平民出身のヒトラーに気に入られて抜擢された と何かで読んだ記憶があるのですが。 |
たしかに、ロンメル、モーデル、ツァイスラーなどヒトラー政権下で 重用された非ユンカーの将軍たちは大勢いますが、ユンカーの将軍たち もやっぱり大勢いますので、「ヒトラーが非ユンカーを重用した」とい う命題にマルペケをつけることは容易ではありません。 上の3人は揃いも揃って自己顕示や人間関係にちょっと問題があった とされる人たちです。なんでそういうことになるかですが。 例えばマンシュタインの家は裕福ですが、何代も前から軍人が本業に なっていて地主ではなく、主に金融資産が財産です。ルントシュテット の家も軍人一家で、個人装具の負担が大変なので騎兵科に行かなかった と言われています。ユンカーといっても第二次大戦の頃になると分化が 進んでいて、最初は大地主の次男坊や三男坊であったのが、すっかり分 家の軍人一家になってしまっているものも多くありました。単に豊かだ からとか、小作人にかしずかれているからとか、そういうところで差が 出るわけではないようです。となるとあとは文化ですね。 小さいうちから軍人の気風を自然に身に染み込ませ、接する大人は軍 人ばかり、という環境に育ったユンカー軍人に比べると、平民の家庭に 育った軍人たちはどうしても横紙破りに見えるのであろうし、無理に背 伸びをしてますますトラブルの傷を作る、と言うこともあったろうと思 います。 Infantry Attackの復刻版にマンフレート・ロンメル氏が父の思い出 をちょっと書いているのですが、ロンメルはあるとき、家族の写真を壁 からはずして自分の軍隊での記念物を飾ろうとして、家族の反対にあっ て断念したそうです。ロンメルがユンカーであればそこまで自己顕示は しなかったようにも思いますし、ユンカー家族であれば反対しなかった ようにも思います。 |
一般の見識では前線指揮官止まりとされますが、私は戦略思想も充分あったものと思います。 ロンメルは対ソ戦に戦力・資源の分散という見地から反対しており、イギリス屈服後にトルコを味方に出来れば参戦、というのが基本方針のようです。史実で米英の対ソ援助物資は主にペルシャ経由ですから、この判断は概ね妥当しているように見えます。 また推測ですがロンメルは北アフリカ戦線自体を大規模な消耗戦の戦場と見なしまた自身の戦術の妙で多少劣勢でも逐次撃破できる、と踏んでいた節があります。無論これは推測に過ぎませんがチャーチルのエジプト死守の方針を見ると、スエズ運河が磁石のようにイギリス地上軍を引き付けた可能性は充分あると思います。 無論、北アフリカでいくら損害を出してもチャーチルが根を挙げたかどうかは怪しいですが、スターリンの継戦意欲と比較するとこちらのほうがまだ確実でしょう。 |
ソビエトは例えばレンド・リース物資に対する利用状況報告を拒否するなど、アメリカに対してたびたび非協力的な態度を示しました。もし辛抱強く老練なイギリスが援助の枠組みから外れ、米ソが向き合った場合、協力関係を維持することはきわめて困難であったでしょう。 また、イギリスがヴィシー・フランスと同様の中立国となった場合、中東のイギリス軍が中立化してペルシアへの軍事的圧力を掛けることもできず、ケープタウンなども補給港として使えないので、ペルシアルートはどのみち使えなくなるでしょう。世界各地のフランス植民地も自由フランスにつくものが減り、ヴィシー・フランスにつくものが増えるでしょう。イギリス屈服は、それ自体あらゆる面で世界のパワーバランスを崩します。もし閉塞感を覚えたソビエトがドイツに侵攻するような事態になれば、三国同盟の規定によって否応なく日本とソビエトも戦争状態となり、食料など民生援助物資が大量に(重量で量ると、対ソ援助の47.1%)送られた北太平洋ルートまで閉じてしまいます。 逆にいうと、「総統が二正面作戦などやるわけがない」というのは当時の市民や一般兵士によく見られた見解で、特にロンメルが優れていたことにはならないと思います。 むしろトルコがドイツ側に立って参戦することは、中東の民族派を一気に反独に走らせる材料となります。トルコは第一次大戦で失った中東一帯の領土回復を当然求めてくるからです。こうした多面的な影響をロンメルが考慮していたかどうかは疑問です。戦略眼というのは要するにバランス感覚であって、数え上げるだけでなく、相対的な大きさを評価できねばなりません。 イギリスにとって民間輸送ルートとしての地中海は、イタリア参戦の瞬間に閉ざされており、スエズ運河の重要性は経済的というより政治的なものでした。この地域にオーストラリアやニュージーランドの精鋭部隊が張り付いたままになっていることは、太平洋戦争が始まってから連邦内で鋭い対立を生みましたが、チャーチルは頑としてこの地域を死守しました。 チャーチルにとってスエズ運河が政治的に重要であったように、ルーズベルトにとって1942年のうちに何らかの目に見える戦果をヨーロッパで上げることは政治的に重要でした。アメリカは膨大な資源を、合衆国領土が危機にさらされている太平洋でなく、その反対側にまず投入していたからです。そしてチャーチルもルーズベルトも、選挙を通じた国民の支持によって支えられていることに変わりはありませんでした。 北アフリカの戦況がどうであれ、アメリカは自らの都合により、トーチ作戦のようなものをどこかで始めていたでしょう。仮にロンメルがナイル川に迫っていたとしても、チュニジアが脅かされた場合、ロンメルは結局撤退を余儀なくされたでしょう。 イギリスを先に屈服させることが重要である、というのはまったくその通りだと思いますが、北アフリカで頑張ることがそれにつながるか、と言われると、これはなかなか難しいと思います。北アフリカでのドイツ軍は戦死・行方不明だけで2万余り、チュニジアでの捕虜は13万(イタリア軍を除く)。これだけの人数をつぎ込むことになったのは、ロンメルが頑張りすぎてドイツにとっても政治的な重要性が増してしまったせいもあるでしょう。 |
マイソフ様 貴論拝見させて頂きました。拙論を超越した深い見解には感心させられました。北アフリカではなく正直に英本土を攻略すべきという見解には大いに賛成です。ただいくつか気になる事がありました。 まず中東イギリス軍ですがヴィシーフランス軍がしたようには中立化しないものと思います。ヴィシーフランスは対独講和の結果であって、決してドイツに敗北したからではありません。そして、チャーチルが対独講和などしたでしょうか?1940年の西方戦役終了後にこの島が征服されても帝国は艦隊に守られ抵抗を続けると演説しています。 確かにこれは戦意高揚に過ぎないかもしれませんが、一国を代表する人物の発言です。そんな国が本土の親独政権樹立程度で各地の植民地での抵抗を止めるとは思えません。きっとチャーチルはカナダ辺りで闘い続けるでしょうし、ペルシャルートも続くでしょう。ヴィルヘルム2世の言うようにイギリスはしぶとい国です。 次にソ連が閉塞感からドイツに宣戦する可能性を論じられていますが、それも疑問です。独ソ不可侵条約と当時の相互貿易から考えて独ソ関係は蜜月ではないでしょうか。独ソ開戦直後のスターリンの絶望はおそらく本音でしょう。ソ連にも攻撃計画があったとする意見もありますが、私は映画スターリングラードの記述のように、ヨシフとアドルフは手を繋いでいたと考えます。 そして最も気にかかった点ですが、トルコが枢軸側参戦したとして一次大戦の失地回復を要求したとは思えません。もともと中東領有はオスマン時代のスルタン・カリフ制からでケマル以降は興味がありません。それに一次大戦前から中東領土はトルコの持ち出しでした。要するにいかにも魅力がありません。 また当時の指導者イスメトはケマルの影響からか強いて言えば嫌独でしたから姿勢は消極的だったと想像します。せいぜい領内通過への無抵抗(不承認)程度でしょう。 繋ぎ合わせると矛盾だらけですが、ヒトラーの蹉跌は英本土攻略を断念した事なのでしょう。その点は繰り返しますが大賛成です。多分対ソ戦は必要無かったのでしょう。ドイツ人にとってウクライナが益になったようには見えません。 ってロンメルと関係ありませんね・・・(^^;) |
チャーチルは戦い続けたでしょうね。ドゴールが戦い続けたような 意味で。チャーチルが終戦直後の選挙で負け、ポツダム宣言を出す会 議の途中で首相をアトリーに譲り、首相として署名できなかったのは 有名な話です。宥和政策の責任者とも言うべきハリファックス外務大 臣が1940年に外務大臣を辞任し、アメリカ駐在大使として政局を離れ ているように、イギリスと言う国は戦前の宥和政策のことなどだんだ ん忘れていきますが、これはドイツの態度と戦局を見ての話で、民主 主義の国はその必要に応じて指導者を選びます。 まあそれは余談として、私の前発言のポイントは、「もしイギリス が仮に屈服したら、いろいろなことが一度に起こって、ソビエトにとっ て状況は決定的に不利になり、それをアメリカはうまくカバーできな いだろう」という点にあります。そうなったとき北アフリカがどうい う状況にあっても、大勢への影響はわずかでしょうし、「イギリスが 屈服したら対ソ戦が有利になる」という当然のことを指摘したくらい では戦略眼があるとは言えないと。 |