Page 14 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼飛行場建設 涼月 01/12/17(月) 1:30 ┣Re:飛行場建設 井中かえる 01/12/17(月) 9:26 ┃ ┣Re:飛行場建設 涼月 01/12/18(火) 1:39 ┃ ┃ ┗Re:飛行場建設 井中かえる 01/12/19(水) 10:30 ┃ ┃ ┣Re:飛行場建設 涼月 01/12/19(水) 18:01 ┃ ┃ ┃ ┗私なりのまとめ 井中かえる 01/12/24(月) 13:04 ┃ ┃ ┗水上戦闘機隊について 井中かえる 01/12/24(月) 13:12 ┃ ┗ツラギ飛行艇隊について 井中かえる 01/12/20(木) 8:57 ┣アメリカ軍はどう? 井中かえる 01/12/18(火) 13:58 ┃ ┗Re:アメリカ軍はどう? 涼月 01/12/18(火) 20:13 ┃ ┗Re:アメリカ軍はどう? 井中かえる 01/12/19(水) 9:40 ┃ ┗Re:アメリカ軍はどう? 涼月 01/12/19(水) 17:04 ┗ガダルカナル航空基地は・・・ BUN 01/12/20(木) 16:19 ┗ガダルカナルとツラギの関係 BUN 01/12/20(木) 16:32 ┗Re:ガダルカナルとツラギの関係 涼月 01/12/20(木) 22:19 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 飛行場建設 ■名前 : 涼月 ■日付 : 01/12/17(月) 1:30 -------------------------------------------------------------------------
ラバウルとガダルカナルの距離は約1000kmですが、 何故日本軍はいきなり1000kmも離れた島に飛行場を作ろうとしたのですか? それまでは割合小刻みに基地を前進させていたのにここに来ていきなり1000kmも突出させるのは妙です。 確かに、ガダルカナルに飛行場を作れば南太平洋の連合軍に脅威を与える事は出来るとは思います。 しかし、連合軍の反撃があった場合、支援するのは容易ではないと参謀達は予測できなかったのでしょうか? この頃の海軍航空隊には支援する能力はあるでしょう。(確かにあった) ただし、行動範囲の限界近くにあるために効率は最悪です。 ブーゲンビル辺りに中継基地を作ってから(或いは並行して)ガダルカナルに飛行場を建設する方が健全な発想ではないでしょうか? 蛇足 別に某参謀の意見に合わせるつもりはありません。 ただ、気になるのは確かです。 |
私も気になります。 ただ、いきなり作ったというのはどうか。対岸のツラギ島にMO作戦のため飛行艇基地を作ったのが先です。これが呼び水になったのではないでしょうか。 |
井中かえるさん、始めまして。 確かに、ツラギには飛行艇(横空でしたっけ?)の基地がありましたね。 「いきなり」と言う表現は間違いでした。 ただ、あそこはあくまで哨戒の為の基地で自力でツラギとその周辺を守る能力はありません。 そんなところに新しく飛行場を作るのは無謀とは言いませんが危険ではないでしょうか? 昭和17年7・8月の時点でソロモン諸島にはまともな日本軍の飛行場は無かった筈です。 万が一の時にはガダルカナル・ツラギの戦力は周辺との連帯が無い為に孤立してしまう可能性があると参謀達は気付かなかったのでしょうか? せめて当初からラバウルよりも近い場所から支援すべきではなかったのでしょうか? 珊瑚海とミッドウェーで勢いを失いつつある日本軍はもう失点を重ねるわけにはいきません。 上は後知恵かも知れません。 しかし、参謀達はそこまで考える義務があります。 |
ラバウルとガダルカナルの中間に基地を建設することについては4艦隊や11航空艦隊の面々も気づいてはいたようです。 ここで問題となるのは可能な対案がどれだけあったかです。実行不可能な対案を挙げてなぜそうしなかったのかと非難するのは無茶というものです。 疑問となるのはまず、設営隊です。当時存在した設営隊は42年5月時点で18隊。そのうち2つもガダルカナルに送り込んでいるのです。この時期ラバウル自体もたいした基地でなく、現に脅威の少ないソロモン方面にこれ以上設営隊を送ることができたでしょうか。 では次善の策として水上戦闘機隊を送り込む、というのはどうでしょう。R方面航空隊(となるもの)がこの時期何をしていたのか、私はまだ調べていません。 では、ソロモン方面で建設可能な航空基地が一つだけとしてどこに造るのが適当でしょうか? 戦闘機基地にしかなりそうにない中間基地か、爆撃機もおけるガダルカナルか? 周辺にアメリカ軍基地がなく戦闘機を含んだ強い圧力が予想されないのですから、ここはガダルカナルです。中間基地は前線基地が大被害を受けうる時に必要なのですから。敵地に侵攻していった南方攻略戦と、いわば勢力の空白地へと進んだソロモン戦は異なるのです。ついでにツラギの防空が良くなります。 問題は、基地が利用可能になる前に奪われてしまったことです。奪われたのは陸上兵力が欠けていたからです。つまり、足らなかったのは設営隊ではなく陸上兵力だったのです。 と、言ってしまいましたが、前線に大軍を置くのもかなり問題がありますね。 もう一つの選択肢としては、ラバウル自体がトラックの前衛基地なのだから、前衛の前衛など過剰である、ゆえに防御に徹してソロモン方向に進出しない、というのもありますが、当時そこまで防御的な考えができたかどうか? |
なるほど、あの条件下ではガダルカナルに飛行場を建設するのが妥当と言う事ですね。 設営隊の少なさから見るとそのようです。 しかし、敵側の反撃が無いという前提で動くのはどうかと思います。 味方のいるところに敵はやってくる、と考えた方が妥当ではないでしょうか? ツラギの防空ですが、当たり前ですが飛行艇に滑走路は要りません。そして物資は秘匿する事が可能です。しかし、飛行場を隠す事は出来ません。 前にも書きましたがソロモン諸島北部に飛行場を建設すればソロモン諸島全域をカバーできます。本命の(?)ガダルカナルへの飛行場建設はその方が有利ではないでしょうか? 欲を言えば参謀は本当にソロモン方面に同時に建設できる飛行場が一つだけなのか検討して欲しいんですけどそれは酷ですか・・・。 だから「急いでいるのなら〜」と書いたんです。 言い訳みたいに思われるかもしれませんが・・・。 ソロモンに進出しない、と言う選択肢はありだと思いますよ(苦笑)。 参謀は例え本位ではないとしても一応は考えておくべき事柄です。 |
当時の基本方針であった米豪分断作戦が前提ならば、ガダルカナルに基地を建設したことは間違っていない。 確かに既存の基地からの距離が遠すぎるように見える。しかし日本の南方作戦での航空基地推進やアメリカの飛び石作戦での跳躍の限界は、敵制空権外でしか基地を推進できない点にある。敵制空権外というのは普通味方制空権内をさすが、ガダルカナルの場合周囲に連合国軍基地がなく味方基地に頼らなくともよかったのである。 ただし、脅威は敵の基地からの航空攻撃だけではない。上陸作戦というものがあるのである。これに対する備えが欠けていたのは否めない。 しかし対処方法は近くに援護してくれる基地をおくばかりではない。陸兵でも、機雷でも、沿岸砲台でも、魚雷艇・潜水艇でもよかったのである。 ガダルカナルとラバウルの中間基地は、ガダルカナルが奪われてしまったからこそ必要になったものなのである。ガダルカナルが味方のものならば必要性は薄い。 |
ガダルカナル失陥後三週間でR方面航空隊は設立されています。おそらく事前に送り込んでおくことは可能だったでしょう。 しかし、ガダルカナルとツラギは占領される直前までろくに攻撃を受けていません。しかも既に二式水上戦闘機十二機がツラギに送り込まれていました。脅威のないところに戦力を送り込むのは多分無理だったでしょう。 |
始めはツラギの飛行艇哨戒基地の防空が、ガダルカナルに飛行場を築かせた一因かな、と考えていたのですが、調べてみて考えを改めました。ほんの少しの調査で考えをコロコロと変えるのは、私がいかに底が浅いのに感覚に任せて適当なことを書いているのかがばれてしまい恥ずかしいのですが。ちなみに参考資料は秦郁彦氏の「太平洋戦争航空史話・下」です。 これによると、珊瑚海海戦のあといったん下げられた浜空飛行艇隊の主力は、ガダルカナルに基地を建設することになったとき警戒にあたるため再び進出したそうです。つまり42年7月ごろは明らかにガダルカナルが主でツラギが従だというわけです。 ただ、一度遠く離れたソロモン諸島南部に飛行艇隊とはいえ部隊を進出させたことが、のちにガダルカナルに飛行場を設けるにいたって、司令部の戦略戦術的判断に影響はなくとも心理的抵抗を下げさしめる効果があったのでは、とは思います。 |
> ラバウルとガダルカナルの距離は約1000kmですが、 > 何故日本軍はいきなり1000kmも離れた島に飛行場を作ろうとしたのですか? ふと気づいたのだが、それを言ったらアメリカ軍のガダルカナル攻略も相当なものだ。周囲に全然基地がない。 これは陸軍の例だけれど、飛び石作戦も最初のころは三百km間隔で基地を推進していたのだ。 問題にならなかったのかな? |
> ふと気づいたのだが、それを言ったらアメリカ軍のガダルカナル攻略も相当なものだ。周囲に全然基地がない。 ええ、確かにありませんね、日本軍にもありませんけど・・・。 複数の基地が連帯することによって一つの基地がやられても他でその分をカバーしたりそれを防ぎやすいのですが、この時米軍は機動部隊を使っていたように思います。 現に8月24日には第2次ソロモン海戦があったので確かだとは思うんですけど・・・。 それと、ヘンダーソン飛行場が機能し始める8月20日までに日本軍の攻撃が上陸初日の8月7日と8・9日だけだったのにも助けられたのかもしれません。 ガダルカナルへの補給も敵の制空権下に突入する日本軍よりも楽です。 ソロモン諸島を巡る戦いで日米双合計約1000機の航空機を投入しましたが、日本軍は700機以上を失いました。対するアメリカ軍は600機弱です。 アメリカ軍にはガダルカナル島しかありませんでしたが、「ガダルカナルに飛行機を送りこむ」と言う行為を続けるのにはアメリカ軍が有利です。アメリカ軍は近海に進出した護衛空母から飛び立つ事でパイロットはより少ない負担でガダルカナルに到達する事が出来ます。しかし、日本軍はガダルカナルに到達するのには1000kmも飛行して且つ戦闘を行わなければなりません。 > これは陸軍の例だけれど、飛び石作戦も最初のころは三百km間隔で基地を推進していたのだ。 > 問題にならなかったのかな? 300kmならなんとかなる範囲じゃないでしょうか? しかも飛び石作戦を実行する時期の日本軍の航空戦力はかなり磨り減っているのでガダルカナルの時のように苦戦する公算は低いと判断されていたと思います。 私は別にガダルカナルで血で血を洗う戦いが発生することを想像しろと参謀達に要求する気はありません。しかし、1000kmも基地を突出させることの危険性は想像して欲しかったです。ソロモン諸島北部に飛行場を築けばソロモン諸島全域を飛行機でカバーできます。 ガダルカナルの飛行場建設はそれからの話でしょう。急いでいるのなら両方同時に行うと言うのも一つの手です。設営隊が3隊あればなんとかなるのではないでしょうか? まあ、そうするとまた別の局面が現れるんでしょうけど・・・。 |
涼月さんは私の文章を二つにわけていますが、これはひとかたまりの文章のつもりで書いたものです。後段はアメリカ軍のガダルカナル基地の突出ぶりがいかにすごかったか、を強調するために付け加えたのです。 私はこの文章で、ガダルカナル基地はアメリカ軍にとっても日本軍にとっても孤立した基地で戦略的条件はそっくりだということが言いたかったのです。そしてこの条件下でアメリカ軍の判断を可とする理由があるのなら、その相当部分は日本の参謀たちの判断を可とするものでもあるのではないか、と指摘したかったのです。拙い文ですみません。 さて、今回の私の返答です。 > ええ、確かにありませんね、日本軍にもありませんけど・・・。 学研の太平洋戦史シリーズの基地の巻で調べたところ、ガダルカナルに一番近い陸上機基地はエスピリツサントで、やはり一千kmほど離れているようです。 > 複数の基地が連帯することによって一つの基地がやられても他でその分をカバーしたりそれを防ぎやすいのですが、この時米軍は機動部隊を使っていたように思います。 > 現に8月24日には第2次ソロモン海戦があったので確かだとは思うんですけど・・・。 この戦いでエンタープライズが損傷したはずですね。他にもこの時期次々と空母が活動不能になっていき、正直言ってあんまりあてにならなかったのでは。 > それと、ヘンダーソン飛行場が機能し始める8月20日までに日本軍の攻撃が上陸初日の8月7日と8・9日だけだったのにも助けられたのかもしれません。 これも予想できた事態だったのでしょうか? ニューギニアのアメリカ軍航空隊が牽制したのでしょうか? > ガダルカナルへの補給も敵の制空権下に突入する日本軍よりも楽です。 > ソロモン諸島を巡る戦いで日米双合計約1000機の航空機を投入しましたが、日本軍は700機以上を失いました。対するアメリカ軍は600機弱です。 > アメリカ軍にはガダルカナル島しかありませんでしたが、「ガダルカナルに飛行機を送りこむ」と言う行為を続けるのにはアメリカ軍が有利です。アメリカ軍は近海に進出した護衛空母から飛び立つ事でパイロットはより少ない負担でガダルカナルに到達する事が出来ます。しかし、日本軍はガダルカナルに到達するのには1000kmも飛行して且つ戦闘を行わなければなりません。 日本にも商船改造空母がありましたし、繰り返しますが突出ぶりはどちらから見ても同じですから、結局先にとったもの勝ちということなのでは。 |
文章を曲解してしまいました。すみません。 やはり日米双方、根拠地から離れ過ぎたガダルカナルで戦った為に酷い事になったと言う事ですね。 仰る通り、早い者勝ちなんでしょう。 米機動部隊ですが、損害も大きい代わりに日本機動部隊にも行動の制限を強いる事が出来たのであてなならないと言いきるのはどうでしょう? ガダルカナルへの攻撃の不活発さですが、ラバウルは7日の攻撃以降17日のモレスビー攻撃まで殆ど目立った活動をしていないようです。 ただ、18日には南海支隊がニューギニアのバサブアに上陸しているので船団の護衛をしていたのかもしれません。 7日の攻撃の後再びガダルカナルへの攻撃を始めたのは22日です。しかし、この日は天候不良の為に中止されています。で、実際に攻撃が行われたのはなんと26日です。 また、この頃のラバウルは何度か空襲を受けたりもしているので井中かえるさんの仰る通りかもしれません。 しかし、米軍が攻撃の不活発さを予想していたと言いきるのは微妙です。 第1時ソロモン海戦では輸送船こそ無事でしたが護衛の艦隊は完敗でした。 これ以上攻撃が無い事を祈っていた、と言うのが実情に近いのかもしれません。 |
ガダルカナル航空基地についての認識が混乱しているようなので一言横から入ります。 ガダルカナル航空基地建設に至る経緯は、 1.豪州直接進攻作戦の代案としてのフィジーサモア攻略構想。16年12月 2.第二段作戦でFS作戦発令 空母部隊でのFS攻略作戦 17年5月 3.ミッドウェーでの空母壊滅後、基地航空隊によるFS攻略作戦発案 17年6月 (この時点で設営隊には余裕が生まれていた) 4.基地航空隊の為の航空基地獲得作戦 SN作戦 17年6月 5.その一環としてのガダルカナル航空基地設営 17年7月 4.同時にラバウルーガダルカナル間の中間基地設営 17年7月 (現地艦隊ではなくGF司令部が要求しています) 5.ガダルカナル一期工事概成 17年8月5日 という流れの中でガダルカナル基地は8月5日に完成し、戦闘機進出可能を報告しています。中間基地設営はキエタとブカにあった既存小飛行場の拡張という形でSN作戦当初から検討されています。 また、零戦の航続距離とラバウル、ガダルカナル間の距離はあまり関連がありません。 FS進攻作戦は中攻と大艇の兵力を結集して実施する予定でしたので、 進攻作戦上、順次攻略すべき基地としては ガダルカナルからエファテ(中心となる基地)が700浬、 エファテ、ニューカレドニアからフィジーまでが500から600浬、 フィジーからサモアまでが650〜700浬、 と、非常に間隔を開けた飛び石作戦なのです。 この長距離作戦を時間をかけて準備することにより、 集積した陸攻と大艇の大兵力で押し切ろうとしたのがFS作戦の最終形態です。 ガダルカナルは前後の流れを見ないと何であそこに基地があるのかよく理解できませんね。 |
前の書き込みは番号が前後していますね、失礼しました。 ツラギとガダルカナルの関係は、 MO作戦時にツラギに進出した横浜空が ガダルカナル東部平地に飛行場適地ありと報告し、 ツラギの防空と次期進攻作戦用の中間基地として 25航戦よりガダルカナル基地設営が意見具申されています。 |
FS作戦を実行する際の出撃基地としてガダルカナルに飛行場を建設したと言う事ですね。 なんでガダルカナルに飛行場が建設されたのか分かりました。 陸攻と大艇を中心に使うFS作戦を考慮するならラバウル・ガダルカナル間の中継基地の重要性は私が想像していたより低いようです。 GFの参謀達はガダルカナルの飛行場が一応完成すれば進出してきた戦闘機で連合軍の反撃を凌ぎ、陸攻と大艇の集積が完了するまでの時間を稼ぐ積もりだったんでしょうね。 それに、ラバウル・ガダルカナル間には中継基地もあるのでなんとかなるだろう、と言ったところですか。 問題は井中かえるさんの仰ったように基地が利用可能になる前(正確には利用する前)に奪われた事、要は連合軍の反撃が予想以上に強力で且つ素早い、ということですね。 予想を上回るわけですから予想の範囲内で整備された中継基地の能力では無理があったのでしょう。 で、その“予想の範囲内”の反撃は開戦直後の米機動部隊が行ったようなゲリラ的なものので、本格的反撃は参謀達の埒外だったんですね。 そこまで考えるようなら機動部隊が駄目になった時点でFS作戦を放棄しますか・・・。 最後は拡大解釈で論点がずれたような気もしますが・・・。 |