Page 106 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼特攻の是非について エメリッヒ 02/10/24(木) 22:33 ┣Re:特攻の是非について タカ二飛曹 02/10/25(金) 0:07 ┣Re:是非を語る物ではない TAKA 02/10/25(金) 0:30 ┃ ┣Re:是非を語る物ではない エメリッヒ 02/10/25(金) 0:59 ┃ ┃ ┣Re:是非を語る物ではない sinn 02/10/25(金) 1:43 ┃ ┃ ┣Re:是非を語る物ではない ささき 02/10/25(金) 6:41 ┃ ┃ ┗Re:「是非」を語る前提 TAKA 02/10/25(金) 9:00 ┃ ┗普通の戦死よりも悲惨で厭戦気分を煽る りとるにも 02/10/25(金) 3:03 ┃ ┗Re:普通の戦死よりも悲惨で厭戦気分を煽る 勝井 02/10/25(金) 4:19 ┃ ┗「戦果」 ささき 02/10/25(金) 15:00 ┣Re:特攻の是非について 通りすがり 02/10/25(金) 2:26 ┣Re:特攻の是非について 怪人37型 02/10/25(金) 2:59 ┣Re:特攻の是非について ケイオス 02/10/25(金) 3:01 ┣体当り攻撃の起源 BUN 02/10/25(金) 10:41 ┣Re:是非語るべし 金鳥 02/10/25(金) 17:17 ┃ ┣Re:是非語るべしと言うなら私見を披露します。 TAKA 02/10/25(金) 19:19 ┃ ┣Re:是非語るべし タカ二飛曹 02/10/25(金) 19:29 ┃ ┃ ┣Re:是非語るべし BUN 02/10/25(金) 23:20 ┃ ┃ ┗それってどうでしょ? 伊号 02/10/26(土) 21:56 ┃ ┃ ┣Re:それってどうでしょ? BUN 02/10/27(日) 0:02 ┃ ┃ ┣Re:それってどうでしょ? タカ二飛曹 02/10/27(日) 22:27 ┃ ┃ ┃ ┗新しい視点を目指すには 伊号 02/10/29(火) 3:08 ┃ ┃ ┃ ┗Re:新しい視点を目指すには 印度総督 02/10/29(火) 20:27 ┃ ┃ ┗ホンネの話 ささき 02/10/30(水) 3:44 ┃ ┃ ┗エメリッヒさん。 無頼庵 02/10/30(水) 23:09 ┃ ┣Re:是非語るべし 匿名 02/10/27(日) 5:17 ┃ ┗Re:分かりました 金鳥 02/10/27(日) 17:02 ┃ ┗そうですね。 カンタニャック 02/10/27(日) 22:00 ┗Re:特攻の是非について ベンゼン中尉 02/10/27(日) 23:28 ┗少し落ち着いたらいかがです。 昔不沈艦 02/10/28(月) 9:22 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 特攻の是非について ■名前 : エメリッヒ ■日付 : 02/10/24(木) 22:33 -------------------------------------------------------------------------
特攻の是非について皆様の忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。 ここまでするくらいなら降伏するほうが良かったのでしょうか? それとも、必要なことだったのでしょうか。 |
特攻だろうが原爆だろうが戦争に是などありません。 そもそも戦争なんぞしないがいいに決まってます。 でも実際はああなってしまったそういう現実があるだけです。 いったい何を議論しようというのですか? |
戦争に「是」は存在しないと言う意見もありますが、基本的には 私も賛成です。それ以上に是非を語るべき物ではなく、結論付いている物で 有るのは明白であると思います。 貴方は戦争に動員され「十死零生」の作戦、つまり「死んでこい」と命令され 粛々と実行する事が出来ますが?そう考えれば結論は明白でしょう。 「国を護る」という純粋な心情の下特攻作戦に従事され散華された英霊の 方々の自己犠牲の精神は時代背景・教育された内容等から考えても 非難すべき物ではありません。 しかし戦争という殺戮行為が「是」であるか?軍の司令官に兵の死を命令する事が 「是」なのか?と言う問題もまた結論が明白でしょう? その様な物に是非を語る必要はないでしょう。 それでも是非を語るのなら「非」であると考えた場合、命令の責任を問わなければ ならないです。その場合大日本帝国憲法上の軍の統帥権者の問われていない戦争責任 (誰の責任かはご想像下さい)を問う所まで話が進みますよ。 それぐらいの覚悟を持って是非を語るべき物でしょう。ですから逆に今頃になって 是非は語るべき物では無いでしょう。歴史解釈は非常に政治的な物なのですから、 簡単に忌憚無く是非を問うような安易な物は存在しないのですよ。 |
> それぐらいの覚悟を持って是非を語るべき物でしょう。ですから逆に今頃になって > 是非は語るべき物では無いでしょう。歴史解釈は非常に政治的な物なのですから、 > 簡単に忌憚無く是非を問うような安易な物は存在しないのですよ。 ここの掲示板をみて、正しいと思っていてもいろいろ思い違いをしているところがある。 いろいろご指摘頂けると歴史を見る上で勉強になると思ったからです。 是非という言葉尻をつかんで、いきなり非難されるとは思いませんでしたが、まあ、そういういつでも喧嘩腰の人もいるので気をつけようということが解っただけでも勉強になりました。有難うございます。 |
> 是非という言葉尻をつかんで、いきなり非難されるとは思いませんでしたが、 ・・・・正直な、感想かもしれません。 >まあ、そういういつでも喧嘩腰の人もいるので!?気をつけようということが解っただけでも勉強になりました。有難うございます。!!?? ・・・ある意味、真摯な指摘を、こんな風に受け取ってはいけません。 >いろいろご指摘頂けると歴史を見る上で勉強になると思ったからです。 もし、これが本気ならば、「特攻」の「重さ」を学んだ。と思っていただきたい。 そう願っております。 |
> 是非という言葉尻をつかんで、いきなり非難されるとは思いませんでしたが、 エメリッヒさん、貴方の元発言をご自分でもう一度読みなおしてみてください。 >ここまでするくらいなら降伏するほうが良かったのでしょうか? >それとも、必要なことだったのでしょうか。 降伏するほうが良かったなら、さっさと降伏するべきだったのでしょうか? 特攻が必要なことであったなら、それは仕方ないと認められるのでしょうか? 数千の若い命を奪った歴史を、そう簡単に割り切って良いものでしょうか? エメリッヒさんの言わんとするところは理解するつもりです。 後世の立場から冷静に歴史を評価批判することも必要だということでしょう。 しかし、特攻はまだ生々しく活きている歴史なのです。 織田信長やユリウス・シーザーを語るのと同じ調子で語れる歴史ではありません。 元特攻隊員だった方や、御親族を特攻隊員で失われた方もご存命なのです。 私自身、大学の恩師の一人が特攻隊の生き残りでした。 そういう「活きた歴史」にあえてメスを入れるのならば、それ相応の覚悟と 慎重な態度が必要だと思うのです。 |
> > それぐらいの覚悟を持って是非を語るべき物でしょう。ですから逆に今頃になって > > 是非は語るべき物では無いでしょう。歴史解釈は非常に政治的な物なのですから、 > > 簡単に忌憚無く是非を問うような安易な物は存在しないのですよ。 > > ここの掲示板をみて、正しいと思っていてもいろいろ思い違いをしているところがある。 > いろいろご指摘頂けると歴史を見る上で勉強になると思ったからです。 > > 是非という言葉尻をつかんで、いきなり非難されるとは思いませんでしたが、まあ、そういういつでも喧嘩腰の人もいるので気をつけようということが解っただけでも勉強になりました。有難うございます。 喧嘩腰と見えるのでしたら、私の不徳の致す限りです。「是非」という言葉尻などと 言う安易な問題ではない事を私の私見としてご理解頂きたく思って強く言いました。 「神風特別攻撃隊」という問題は、「兵器の存在意義がどうの」とか「兵器の改善が どうの」とか「あの時ああすれば良かった」とかの議論以上の「歴史解釈」なのですよ。 其処の奥に潜む問題の深さを十分理解の上議論しないと、泥仕合になります。 事実として「神風特別攻撃隊」に何で有ったかは、絶対知らなければなりません。 それを考えていらっしゃるのでしたら、非常によろしい事ですから是非議論を 深めるべきであると思いますが、「是非」という事になると歴史の過去の事実に 審判を下す事になります。その様な事を全否定はしませんが、それには 「神風特別攻撃隊」というテーマは余りにも重すぎるという事です。 歴史を見る上でまだ触るべきではないテーマも存在するという事は、 それこそ歴史の勉強では必要ですよ。それでも正面突破という事でしたら、 「泥仕合」になる覚悟が必要と言う事です。 その様に捉えて頂ければ喧嘩腰ではないかと分かって頂けると思いますが・・・ それでも「是非」を付けたいという事でしたら、私の見解も述べますが、 如何でしょうか? |
事で、指導部に早期講和を迫る意図が、大西中将には、有ったと謂うのは。 |
> 事で、指導部に早期講和を迫る意図が、大西中将には、有ったと謂うのは。 大西提督はあくまで 「激減した航空兵力で栗田艦隊突入を援護するために、敵空母を使用不能にする」手段を模索し、 特攻という「外道」にたどり着いたにすぎません。 本来比島戦だけで終わるべきものでした。 しかし徒に消耗するのみだった艦隊に比べ、特攻は有無を言わせないほど明確な形で 戦果を残してしまいました。 これで終了、というわけにはいかなくなってしまったのでしょう。 |
> しかし徒に消耗するのみだった艦隊に比べ、特攻は有無を言わせないほど明確な形で > 戦果を残してしまいました。 勝井さんの仰しゃる「戦果」とは、敷島隊の5機が空母2、軽巡1の撃沈破(日本側発表)を記録したことでしょうか。しかし、この時の相手は重防御の正規空母ではなく護衛空母であり、通常攻撃で仕留められない程の相手でもなかった事もまた事実でしょう。 しかし、日本側はこの戦果を正規空母だと信じていました。混戦に誤認は付き物ですが、この場合は特に心理的影響が強かったとは言えないでしょうか?あえて「外道」の作戦を命じた以上、その重責に応えるだけの大戦果があって然るべきだという思い込みが先行していたように思えてなりません。 また、この直前の台湾沖航空戦で米機動部隊に正攻法を挑み、300機余りの損失を出しつつ護衛艦艇数隻に損傷を与えたにとどまり、空母にはかすり傷ひとつ与えることができなかった事とも無関係ではないでしょう。 「もはや通常攻撃の勝算はない」 ↓ 「特攻ならば大型艦を屠れる」 ↓ 「通常攻撃で徒に消耗を重ねるよりは、特攻で確実な戦果を」 という思い込みの連鎖がやがて「全軍特攻」のスローガンとなり、「志願」を建前にした特攻要因の強制指名などの悲劇を招いたように思えてなりません。 |
敗戦直後に自殺された大西中将の 「統帥の外道」 との発言が「特攻」の本質を非常に良く現しているような気がします… 「軍事作戦」としての是非については語るまでもないのでは無いでしょうか。 以上、極個人的な見解ですが。 |
欧米の植民地政策や市街地への大規模な爆撃(原爆も)のことを考えると、 素直に降伏できないと思う。 自ら特攻が選択できる立場であればするのも考えられる。 ただ軍と言う組織の立場であるなら命じるべきではないとも思う。 どちらにしてもおそらく自滅攻撃はこれからも起きる可能性はあるだろう。 |
> 特攻の是非について皆様の忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。 > ここまでするくらいなら降伏するほうが良かったのでしょうか? > それとも、必要なことだったのでしょうか。 「日本の戦局を有利したか?利益になったか?」と言う観点のみでみた場合の僕の個人的意見です。 やってもやらなくても日本の敗戦は変ることなく、敗戦後の処理(条約等)にも大きな変化は なかったと思いますので、無駄だったと思います。 以下は最近ネットで読んで共感した文章の一部です。 >かつて、絶望的な敗勢の中、日本とドイツでは体当たり攻撃が行われた。 >死を賭した攻撃ではなく、自殺攻撃である。 >そして、それは、尊い多数の犠牲を産みながら、勝利にはまったく繋がるはずも無かった。 >理由は突き詰めれば簡単である。 >負けが見えてからやったからである。 >やるならば、勝ち目がある時にやるべきであり、負けが見えてから足掻いても、それは・・・無駄なのだ。 >一瞬でよいから敗勢を打破して、それで得られた時間を活用して、 >戦勢の建て直しなり、より良い講和条件を求めるなり、新兵器の登場を待つなり・・・。 >犠牲とは、何らかの展望なり希望なりに繋げるためにあるべきだった。 もちろん日本軍は「戦勢の建て直し、より良い講和条件」を求めて努力をし、 特攻はその中でも大きな例でしょう。 しかし結果がなかったので、無駄と言えると思います。 (どんなに努力しても結果が出なければ、時間と労力の浪費・・・つまり無駄) 以上が「あの情勢で行われた特攻戦術」の戦術としての個人的な考えてです。 |
体当り必死戦術の登場は19年10月のフィリピンですが、その実施以前に各種体当り専用兵器の開発が始まっていることはみなさんご存知だと思います。 フィリピンの戦況は体当り攻撃の引き金とはなりましたが、それ自体は体当り攻撃の起源ではないと言うことで、絶望的な戦局が体当り攻撃を生み出したという解釈は実態とは少し異なり、その発想はかなり早期に存在していたのではないかと思っています。 ひとつの例としては千代田艦長、城英一郎大佐が侍従武官だった昭和十八年に、当時航空本部総務部長の職にあった大西中将に対して再三の体当り攻撃提案を行っている事が日記の中に書き残されています。なおこの日記中には城大佐が体当り攻撃について戦死前の山本五十六長官にも相談し、心情的に賛同を得ていたような記述があります。 その他、防空戦闘部隊は体当り部隊で編成すべきだとの軍令部内の研究文書も実際の体当り攻撃以前に残されていますから、体当り攻撃という戦術の起源は攻撃実施の時点からかなり遡れるのではないかと思います。現代の常識からは想像し難い考え方ですが、来るべき対米戦の決戦局面には体当り攻撃をも辞さないという発想は海軍中枢にかなり早い時期からあり、その精神的土壌が存在していたのではないでしょうか。 |
こんにちは、おじゃまします。 特攻に考えを及ばせる事がタブーであったり敷居が高かったりする必要は 皆無だと思います。個人なりに過去を考察したり分析したりする事が 許されないというのはどういう理由にせよ正しくないです。 そもそも犠牲をいとわず、あらゆる手段を尽くして交戦対象を攻撃する事自体、 戦争に於いて何か疑問が持たれる事柄でしょうか? 自爆攻撃は誰だって嫌だったはずですが、それを克服して究極の献身を成し遂げた事 自体を、まず肯定的に考えるべきではないかと思います。 |
> こんにちは、おじゃまします。 > > 特攻に考えを及ばせる事がタブーであったり敷居が高かったりする必要は > 皆無だと思います。個人なりに過去を考察したり分析したりする事が > 許されないというのはどういう理由にせよ正しくないです。 > 基本的には過去の歴史を考察したり分析する事は、否定される物ではありません。 しかし此処は不特定多数の人が見るインターネット上の掲示板ですから内容次第で 大きなハレーションを引き起こす事を考慮して「是非を語るべきでない」と 述べたのです。議論自体を否定した訳ではありません。 ただ此処まで述べられているという事では、それだけのハレーションが発生 する事を可とするという事でしょうから、私も見解を述べましょう。 但しこの様な議論は、個人の心情・信念等が絡んでそれこそ「泥仕合」に なる可能性があります。それに関しては上記のように述べられている以上 致し方ないでしょう。(なるべく紳士的に振る舞いたいですが・・・) > そもそも犠牲をいとわず、あらゆる手段を尽くして交戦対象を攻撃する事自体、 > 戦争に於いて何か疑問が持たれる事柄でしょうか? 国家の存亡を掛けた戦争に於いて、基本的には万策を使い尽くして国家の為に 最善を尽くす事は否定される事ではありません。 しかしその為に、武装してない一般民間人を無差別に殺戮する事等、国際法上 違法な事を行う事は問題ですし、又あらゆる手段と言っても「十死零生」の 死を命令する攻撃作戦が正しいというのは問題です。国家の為でも個人に 死を命令する権利は誰に存在するのでしょうか? それならば貴方は、今の日本で外国の侵略を受けたら何も疑問を持たずに、 徴兵に応じ銃を持ち戦場に立ち命令で「爆雷を持ち敵戦車に肉弾攻撃をかけ 死を持って敵戦車を爆破せよ」と言われたら、何も疑いを持たずに特別攻撃を 行うのですか?それぐらいの覚悟が明確にあるのなら特別攻撃が「戦争に於いて 何か疑問が持たれる事項でしょうか?」と言える資格があると思いますが、 如何ですか? 私には其処まで出来ません。私は国家を護る事は国民として必要と考えます。 (いくら腐ったと言える今の日本でも・・・)しかし個人の全てを死という犠牲を 払い失なう事が確実な命令に私は無条件で従う事は出来ません。 特別攻撃についてこう書かれている以上この様な発言は其処までの覚悟が 自分にある前提で語られているか伺いたいと思います。 > 自爆攻撃は誰だって嫌だったはずですが、それを克服して究極の献身を成し遂げた事 > 自体を、まず肯定的に考えるべきではないかと思います。 特別攻撃において、死を持って国家に究極の献身をした英霊の方々に関して、 それを否定するつもりはありません。その自己犠牲の精神の100分の1でも 今の日本人は持つべきであると位考えます。 しかし「自爆攻撃は誰だって嫌だったはず」という様な物を強要して、 死を強要する(名目は志願制でも実質は強制であるのは明白である)命令を 下した帝国陸海軍の統帥自体に問題があり責任があると考えます。 此処のレスにも出ていますが特攻の最初の命令者大西中将は「統帥の外道」と 言い、大西中将は終戦後「特攻隊の英霊に申す」と言う有名な遺書を書き正しいか どうかは別にして自決する事で責任を果たしたと言えますが、その「統帥の外道」 (これは私はその通りであると考えます)の統帥の大元、即ち大日本帝国憲法で 「天皇は陸海軍を統帥す」と明記されている、帝国陸海軍の統帥権者の昭和天皇の 責任を如何に考えますか? 特攻が「是」であると考える方には、昭和帝の統帥に対する責任は「問題外」と 言う事になりますが、貴君は「自爆攻撃は誰だって嫌だったはず」と言っている以上 その様な命令を下した最高責任者の責任について如何に考えますか? 其処までコメントを頂きたいと考えます。 基本的に「十死零生」を強要する特攻攻撃は「統帥の外道」であると考えます。 ですから私の考えは特別攻撃は明確に「非」であると考えます。 特別攻撃隊隊員の方々の崇高な自己犠牲の精神自体は否定すべき物ではありません。 しかしいくら大日本帝国の国民は天皇の臣民であれども奴隷ではありません。 その様な人々に本来保護すべき責務を放棄するような死を強要する命令を強要する 特別攻撃を肯定する事は出来ません。其処まで議論する以上統帥の責任問題まで 明確にして考えるべきでしょう。 |
> 個人なりに過去を考察したり分析したりする事が > 許されないというのはどういう理由にせよ正しくないです。 考えるなとは誰も言っていません。特攻に関する記録や書籍はたくさん出ているので、まず自分で「考察したり分析」してみることをお勧めします。それはよいことだと思いますよ。少なくとも思いつきや底の浅い知識で語り合ってもしかたがないでしょう。 > そもそも犠牲をいとわず、あらゆる手段を尽くして交戦対象を攻撃する事自体、 > 戦争に於いて何か疑問が持たれる事柄でしょうか? > 自爆攻撃は誰だって嫌だったはずですが、それを克服して究極の献身を成し遂げた事 > 自体を、まず肯定的に考えるべきではないかと思います。 特攻隊に限らず兵士として従軍するということ自体が命がけです。特攻隊員だけが「献身」をしたはけでありませんし、軍人に限らず内地の人々も命がけで毎日を過ごしていたことはご存知でしょう。航空機開発のために命を落とした人さえ沢山いるのです。 特攻隊というのはひとつの象徴的な事例かもしれませんが、それだけを取り上げてみても何も見えてはこないとおもいますよ。 そもそもここはお勉強するための場ではないと思います。(諸先輩方ごめんさい) いわば趣味の遊び場でしょう。遊び場で話題にすべきものとそうじゃないものがあるんじゃないかと言いたい訳ですよ。 お勉強は図書館や学校でもできますし、真剣に考えたいのならここに書込みするより本でも読んだほうがよっぽかために成りますぜ。 あたしゃここに楽しみに来てるもんであしからず。 |
>遊び場で話題にすべきものとそうじゃないものがあるんじゃないかと言いたい訳ですよ。 立派。その通りです。 その抑制があって初めて他人と会話でき、 そして何かを語れるのだと思います。 |
> 考えるなとは誰も言っていません。特攻に関する記録や書籍はたくさん出ているので、まず自分で「考察したり分析」してみることをお勧めします。それはよいことだと思いますよ。少なくとも思いつきや底の浅い知識で語り合ってもしかたがないでしょう。 思い付きでは語るべきではないと思いますが底の浅い知識でという件はいただけないと思います。 特攻自体重いテーマであることは疑う余地はありませんがだからといってことさらに特攻というテーマを避けて通るのは如何な物かと思うのです。 ましてや議論ボードを振り返ってみればタイトルそのままの「特攻は是か非か」や南京大虐殺、祖父母の戦争体験等重いテーマで議論をたたかわせていた事も「しかたない」事なんでしょうか? > 特攻隊というのはひとつの象徴的な事例かもしれませんが、それだけを取り上げてみても何も見えてはこないとおもいますよ。 何故そう思うのでしょうか?特攻隊という事例から何故そうしたのかの本質的な問題を探り結論をつける事で何かを得ることも出来ると思いますが? > そもそもここはお勉強するための場ではないと思います。(諸先輩方ごめんさい) > いわば趣味の遊び場でしょう。遊び場で話題にすべきものとそうじゃないものがあるんじゃないかと言いたい訳ですよ。 それならば趣味の遊び場で前述の諸テーマも「遊び」で語り合っていたのでしょうか? 遊びで語っていたとしたら失礼極まる不埒な行為と思いますがこれらのテーマを語り合っていた諸氏は彼等なりの真剣さを持って語り合っていたと思います。 軍事や戦争を語り合うのにこのテーマはダメ、このテーマは良いという選別を行っていくという姿勢は如何な物でしょう? > お勉強は図書館や学校でもできますし、真剣に考えたいのならここに書込みするより本でも読んだほうがよっぽかために成りますぜ。 議論することで考えを深める事も出来ると思いますしそうする事でしか得られない物も有るように思いますが如何でしょう? > あたしゃここに楽しみに来てるもんであしからず。 ならば何故貴方は此処に書き込みをしているのでしょう?無視する事で楽しむ事も出来ると思いますが、わざわざこのテーマに対して疑問を呈し、しょうもない事だと言っている所に何かしらの作為を感じます。 |
自分の感情を超えて、新しい客観的な視点に立てるなら、大言壮語の価値もあるでしょう。 気持ちはわかるけどね・・・。 |
私にはスレを止める権利はありませんので、これを最後に致します。 ここには年齢や経験、思想などが異なる不特定多数が集まります。 他の方も異口同音におっしゃっていますが、ここで話しても結論など得られないと思いますよ。 いい機会ですから、なぜこういう風にいう人間がいるのかご自分なりに考えていただければ幸いです。 |
議論ボードの過去ログにある同一タイトルをもう一度読み返し、後半にあった或る方の言葉に接して皆様が仰りたい事が解ってきた気がします。 このスレを通して考えた事がありまして皆様に伺いたいのですが、兵器や戦術等、軍事に関して生み出された物のルーツやバックボーンを突き詰めれば思想や信念等、各々の根源的な物に突き当たると思うのですがそういった際にどう向き合い、どうすれば思考の発展に向かう事が出来るとお考えでしょうか? |
>各々の根源的な物に突き当たると思うのですがそういった際にどう向き合い、どうすれば思考の発展に向かう事が出来るとお考えでしょうか? 「根元的な物」とは何を指しているのかを分類して、それぞれに関する本を読むなり、人と話すなりして、ご自分で納得できるモノだけを取り入れれば、よろしいのではないでしょうか。 兵器・軍事を考えることで、それを生み出した技術・社会に至り、それを求める人間まで視野に入れることが出来れば、一生退屈しないで暮らすことが出来ます。 |
> 思い付きでは語るべきではないと思いますが底の浅い知識でという件はいただけないと思います。 かつて「議論ボード」では、本題から離れて水掛け論になった事が何度かあるんですよ。戦艦大和の話がVT信管の命中率になったり、電探射撃の話が60年前のコンピュータの話になったり。それが有意義な議論であれば良かったのですが、残念ながら到底有意義とは言えない状態でした。 「貴方の主張の根拠となる前提は間違っている」あるいは「貴方の主張はこの資料に記された事実と矛盾する」といった反論に対し、「間違っていると言うならその根拠を示せ」とか「資料に記されたことだけが事実だと思うのか」など「反論に対する反論」が始まってしまい、あとはとても議論と言える状態ではなくなりました。 > 特攻自体重いテーマであることは疑う余地はありませんがだからといってことさらに特攻というテーマを避けて通るのは如何な物かと思うのです。 重いテーマだから避けているのではないのです。重いテーマだから安易な気持ちで取り掛かりたくないのです。そもそも特攻については「何が事実であったか」すら定かではありません。それが志願だったのか強制だったのか、効果的だったのか無駄だったのか、複数の資料が矛盾する記述を示しています。同じ資料ですら読み方によって違った解釈が可能です。よほど腹を据えてかからないと、たちまち水掛け論になって罵り合いになる事が見えています。 > ましてや議論ボードを振り返ってみればタイトルそのままの「特攻は是か非か」や南京大虐殺、祖父母の戦争体験等重いテーマで議論をたたかわせていた事も「しかたない」事なんでしょうか? かつては人数も限られていて、お互いにある程度「腹のわかった」仲間同士で議論していましたから。しかし人数が増えるに従って荒れることも多くなり、何度かにわたる気まずい経験を通して、荒れそうなテーマは早々にその芽を摘み取るか、さもなくば無視に徹するような空気が醸されてしまいました。 特攻は自分の知る事実を語り、他人の語る事実を聞くだけでも気が滅入るテーマです。しかし、事実から乖離した次元で「特攻」が議論されるのを見るのはそれ以上に苦痛ですし、その話題で議論が荒れるのは見るに耐えません。だから「思いつきや底の浅い知識で語り合ってもしかたがないでしょう。」という意見に同意します。 というのが私の偽らざる本音です。 |
こういう話題は、OFF会で話しましょう! どうしても際どい話が多くなります。 |
> そもそも犠牲をいとわず、あらゆる手段を尽くして交戦対象を攻撃する事自体、 > 戦争に於いて何か疑問が持たれる事柄でしょうか? > 自爆攻撃は誰だって嫌だったはずですが、それを克服して究極の献身を成し遂げた事 > 自体を、まず肯定的に考えるべきではないかと思います。 失礼します 特攻で散華された方の純粋な精神は素晴らしいと思います。 しかし、その様な事態に追い込まれる様な状態にしてしまった国という存在とその責任は 未だ明確にされておりません。 通常攻撃では戦果が挙がらないから、熟練搭乗員が居ないから特攻を行った。なんたる「無能」でしょう!なんたる「無責任」でしょう!特攻に散華された英霊の方々には申すことは有りませんが特攻戦術という「自爆テロ」を実行せざるを得ない背景を作り上げた指導者(多すぎて明確に誰とは言えないでしょうが)もっと批判されても良いと思うのですが。 又、美化されるべき事でも無いと考えます。「敵が強ければ逃げる、弱ければ戦う」そんな選択肢すら与えられず「戦死」することが目的の作戦を遂行し続けた司令官・参謀の正気を疑いたくなります。 |
タカ二飛曹さんのご意見に学んで沈黙します。 ここが、個人が持つ信念のお話を真剣にする場所ではない というのは実に頷けます。 それでは。 |
> ここが、個人が持つ信念のお話を真剣にする場所ではない > というのは実に頷けます。 そうですね。金鳥さんの判断は正しいと思います。 自爆攻撃を肯定的にとらえるべきだという信念と、否定的にとらえるべきだという信念とで語り合っても、互いに自分の価値観を語るだけで、それ以上の思考の発展は難しいでしょうから。 ここは個々の論者の信念ではなく、客観的な事実について語る事に向いた場所だと思います。 |
> 特攻の是非について皆様の忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。 > ここまでするくらいなら降伏するほうが良かったのでしょうか? > それとも、必要なことだったのでしょうか。 特別攻撃隊の編成は最期の試みとして、日本のみならず、ドイツでも検討されていました。 V1号の有人化計画もそうですが。 ただし、ドイツではキリスト教的思想からでしょうか、禁止されましたね。 外国人にとって、確かにカミカゼという単語ができてしまうぐらいに日本の特攻隊が恐怖であったでしょうね。 私個人は人道的には認めたくはないですが、当時の戦局を考えると、これも仕方のないことであったと思います。 何故にそこまで戦うのか日本よ。連合国はそう見ていたでしょうね。それが日本流の武士道であったわけでしょうか。 |
前レス読んでみましたか? どうしても語りたいのならば、ご自分のホームページで御存分になされば良いのでは。 |