Page 105 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼日、独連合でソ連を倒せなかったでしょうか! ベンゼン中尉 02/10/16(水) 23:14 ┣何を得ることができるだろうか? Alphabette 02/10/17(木) 3:09 ┃ ┣Re:何を得ることができるだろうか? まなかじ 02/10/17(木) 10:39 ┃ ┃ ┗Re:何を得ることができるだろうか? ベンゼン中尉 02/10/18(金) 8:25 ┃ ┗Re:何を得ることができるだろうか? ベンゼン中尉 02/10/18(金) 8:21 ┃ ┣Re:何を得ることができるだろうか? 昔不沈艦 02/10/18(金) 10:06 ┃ ┃ ┗Re:何を得ることができるだろうか? ベンゼン中尉 02/10/18(金) 22:04 ┃ ┃ ┗Re:何を得ることができるだろうか? 昔不沈艦 02/10/18(金) 23:13 ┃ ┗Re:何を得ることができるだろうか? 片 02/10/18(金) 11:31 ┃ ┗Re:何を得ることができるだろうか? ベンゼン中尉 02/10/18(金) 22:10 ┃ ┗何で中国と戦争してるのか まなかじ 02/10/21(月) 1:40 ┃ ┗Re:何で中国と戦争してるのか [名前なし] 02/10/23(水) 0:22 ┃ ┗Re:何で中国と戦争してるのか 道すがら 02/10/23(水) 14:34 ┃ ┗Re:何で中国と戦争してるのか 道すがら 02/10/23(水) 19:35 ┣無理です ニルス曹長 02/10/17(木) 14:09 ┃ ┗Re:無理です ベンゼン中尉 02/10/18(金) 8:28 ┃ ┗Re:無理です BUN 02/10/18(金) 9:31 ┃ ┗Re:無理です ベンゼン中尉 02/10/18(金) 22:17 ┃ ┣航続力に興味無し BUN 02/10/18(金) 22:59 ┃ ┃ ┣そうなんですね。 ベンゼン中尉 02/10/19(土) 0:20 ┃ ┃ ┃ ┗Re:そうなんですね。 勝井 02/10/19(土) 0:47 ┃ ┃ ┃ ┗Re:そうなんですね。 ベンゼン中尉 02/10/19(土) 2:11 ┃ ┃ ┗Re:航続力に興味無し まなかじ 02/10/21(月) 1:56 ┃ ┗戦闘機の航続距離 まなかじ 02/10/20(日) 23:37 ┃ ┣ありがとうございます。 航報館 02/10/21(月) 19:56 ┃ ┗航続時間に関する素人的見解 りんちゅー 02/10/21(月) 22:24 ┗日本の対ソ戦はドイツに不利では? カンタニャック 02/10/19(土) 23:59 ┗日独ともに,かけもちでは無理がある dg 02/10/21(月) 12:44 ┗日独でのソ連分割 ベンゼン中尉 02/10/22(火) 19:32 ┣Re:日独でのソ連分割 山家 02/10/22(火) 20:59 ┃ ┗Re:日独でのソ連分割 ベンゼン中尉 02/10/27(日) 23:38 ┃ ┗Re:日独でのソ連分割 アリエフ 02/10/28(月) 0:00 ┣Re:日独でのソ連分割 昔不沈艦 02/10/22(火) 22:20 ┣Re:日独でのソ連分割 TAKA 02/10/23(水) 18:06 ┃ ┗Re:日独でのソ連分割 ベンゼン中尉 02/10/27(日) 23:58 ┃ ┗Re:日独でのソ連分割 まなかじ 02/10/29(火) 0:18 ┗この案では、日米和解は極めて困難 dg 02/10/27(日) 16:16 ┗Re:この案では、日米和解は極めて困難 ベンゼン中尉 02/10/28(月) 0:10 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 日、独連合でソ連を倒せなかったでしょうか! ■名前 : ベンゼン中尉 ■日付 : 02/10/16(水) 23:14 ■Web : http://home.att.ne.jp/sun/fujisin/ -------------------------------------------------------------------------
2ちゃんねるではまともな議論ができませんので、こちらにレスしました。 どうでしょうか、1941年にドイツが西、日本が東からソ連領になだれ込んでいれば、1941年クリスマスには勝敗が決まっていたように思えてなりません。 ソ連軍の4分の1を日本軍が引き受けていれば、ドイツの計画は成就したと思えませんか? |
東西から挟撃したのならばソ連を屈服させられたかもしれませんがそれよりも前に 問題はドイツが日本政府に食指を動かせるだけの材料をちらつかせることができるだろうか?ということです。 最大の問題は既に日本政府は日華事変を抱えているということです このためシベリアに駒を進めるだけの余力はありませんでしょうし仮にその余力があったとしてもシベリアに攻め込むよりもまず国民政府に満足に足る停戦条件を飲ませるためのさらなる攻勢に使いたいでしょうし・・・ もし日華事変がなくても満州や朝鮮半島といった莫大な投資を必要としている植民地を抱えている日本がシベリアなんて不毛そうな土地を欲しがるとは思えませんし・・・ それにどうみてもドイツが戦争の代償になるぐらいの「いいもの」を日本にプレゼントできると思えませんし(できるぐらいドイツが「豊か」だったらナチスの台頭といった事態はおきないでしょうし) あの当時日本ができるとしたらせいぜい満州に大部隊集めて「攻めてしまおうかな♪」といった空気を出してソ連の兵力を極東に釘付けにすることぐらいじゃないでしょうか? |
> あの当時日本ができるとしたらせいぜい満州に大部隊集めて「攻めてしまおうかな♪」といった空気を出してソ連の兵力を極東に釘付けにすることぐらいじゃないでしょうか? 関特演って、やってますけどねえ やってみただけ、という感が大いにありますが 関特演が、全くの動員演習に終わってしまった理由というのを考えてみるべきでは? |
> 関特演が、全くの動員演習に終わってしまった理由というのを考えてみるべきでは? あれは、陸軍の大演習だったようですね。陸軍としてはドイツに呼応して作戦を起こしたかったのかと思いますが。 |
そうですね、日本の得る物がなければ、それはある意味、無意味なことになってしましますね。 ただし、大陸で戦いながら、なお第二戦線をあえて構築した日本軍はいずれにせよ、アメリカに屈服するか、或いは自殺行為を最初から行なったのでしょうか。 ただし、陸軍、海軍とでは初めから目指していた行動が異なっておりましたし、アメリカの真珠湾攻撃で勝利した日本軍は日露戦争の代理人としてソ連に何かを期待していた節があるようです。 |
> アメリカの真珠湾攻撃で勝利した日本軍は日露戦争の代理人としてソ連に何かを期待していた節があるようです。 申し訳ありませんが、私にはまったく意味がわかりません。 事例をあげて説明していただけませんか? 特に”日本軍は日露戦争の代理人としてソ連に何かを期待していた”の一節は 私の悪い頭ではまったく理解不能です。何の事を言っているんですか? |
> 申し訳ありませんが、私にはまったく意味がわかりません。 > 事例をあげて説明していただけませんか? > 特に”日本軍は日露戦争の代理人としてソ連に何かを期待していた”の一節は > 私の悪い頭ではまったく理解不能です。何の事を言っているんですか? 戦争末期に対米戦を講和に持ち込もうとソ連に日本が打診したことです。 |
> > 特に”日本軍は日露戦争の代理人としてソ連に何かを期待していた”の一節は > 戦争末期に対米戦を講和に持ち込もうとソ連に日本が打診したことです。 この二文に何か繋がりが見いだせます? 私には無理だな。 北進論が出た時に、どうして対米講和の仲介をソ連に期待していたのか、なにか確証でもあるのでしょうか。ぜひ伺いたいです。今は日本の対ソ参戦の可能性を論じているんですよね。 |
> ただし、大陸で戦いながら、なお第二戦線をあえて構築した日本軍はいずれにせよ、アメリカに屈服するか、或いは自殺行為を最初から行なったのでしょうか。 インドネシアのボーキサイト、原油、ゴムなどの入手が得られない場合の戦線拡大はより以上に自滅的なのではないのでしょうか。 戦争は決して「力比べ」のようなものではないわけですから、経済とか資源とか様々に絡まりあった社会的な状況と関連して考える必要があるのではないでしょうか。 |
> > ただし、大陸で戦いながら、なお第二戦線をあえて構築した日本軍はいずれにせよ、アメリカに屈服するか、或いは自殺行為を最初から行なったのでしょうか。 > > インドネシアのボーキサイト、原油、ゴムなどの入手が得られない場合の戦線拡大はより以上に自滅的なのではないのでしょうか。 > 戦争は決して「力比べ」のようなものではないわけですから、経済とか資源とか様々に絡まりあった社会的な状況と関連して考える必要があるのではないでしょうか。 そうですね、日本の南進は戦争物資の確保でもあったわけですよね。 ところが日本は長期戦を望んでいたかというとそうではなかったはずです。 日本の勝ちパターンは短期決戦であるはずです。矢張り中国戦線は手を早めに引くべきであったと思いますね。 |
> そうですね、日本の南進は戦争物資の確保でもあったわけですよね。 > ところが日本は長期戦を望んでいたかというとそうではなかったはずです。 > 日本の勝ちパターンは短期決戦であるはずです。矢張り中国戦線は手を早めに引くべきであったと思いますね。 本末を転倒した議論です。 日本は満州での既得権益を守ることが国益につながると信じ込んでいました。 しかし、それを国民政府が認めようとせず、共産党も張学良も認めません。 故に、中国にこちらの言うことを力づくで聞かせるために、山海関を越えて華北に進攻しているわけですし、上海から南京を攻撃したりしているわけですよね。 満州に影響力を行使するために、中国での戦争を止められないので、アメリカと対立し、それによって資源が入らなくなったので、南に向かわざるを得なくなったのです。 つまり、満州事変によって強引に東三省を日本の勢力下に置き、それをごまかすために満州国を樹立させた時点で(より細かくつっこむならばトラウトマン工作を蹴った時点と言うべきでしょうが蹴るべくして蹴った感が大きいので)、もう中国からは足を抜けないのです。 中国から足を抜くとすれば、原因である満州への影響力行使を諦めることになります。 当然満州からの関東軍の撤退も含まれますから、ソ連との(少なくとも地上における)国境線は張鼓峰事件の起きたあの猫の額ほどの区域を残して消滅します。 対ソ全面戦争どころの話ではなくなるのではありませんか。 また、中国から撤退できるものならば、三国同盟など結ぶ必要性も生じません。 |
> 故に、中国にこちらの言うことを力づくで聞かせるために、山海関を越えて華北に進攻しているわけですし、上海から南京を攻撃したりしているわけですよね。 はじめまして。 う〜ん、そうでしょうか? まなかじさんの御意見では、満州の権益を守るために中国本土を攻めたというふうにとれるのですが、私にはそうは思えません。 満州事変は計画された戦争で、戦略的な意義はあったと思います。 が、日中戦争は偶発的に生じたもので、馬鹿が計画なしにずるずる拡大させていってしまったものだと思っています。 満州と中国の戦争は分離して考えるべきなのです。 最近、戦後の日本が復興の目標としたのは、満州事変後の好景気であったということが書かれた記事を読みました。 >また、中国から撤退できるものならば、三国同盟など結ぶ必要性も生じません。 すみませんが、このところも良く理解できません。 三国同盟は、アメリカとの交渉のために結んだということです。 M外相は、アメリカは力を背景にしていなければ全然相手にしないということを身にしみて知っていたので、ドイツと結び、ソ連と条約を結び、さあ交渉だ!というところで足を引っ張られたということです。M外相の縁者から直接聞いた話です。 私の考えが絶対だ、なんて思いませんがこういう意見です。 |
> まなかじさんの御意見では、満州の権益を守るために中国本土を攻めたという >ふうにとれるのですが、私にはそうは思えません。 満州事変が引き起こされたのは1931年9月、満州国が成立したのは約一年後の1932年 9月ですが、このあと関東軍は1932年2月に熱河省(ここはいわゆる「満州」には属 さない地域です)に侵攻して省都承徳を占領し、4月には長城線を越えて北京占領を 企図します。5月の塘沽停戦協定で非武装地帯が華北に設定され、国民党政府は、満 州国の存在を黙認することになります。 ということで、1931年に始まり1933年に終わる日本の軍事行動は、一貫して満州一 帯を日本の支配下に置くためのものです。 当時の日本(というより陸軍)がなぜここまで満州国の存在とそこでの日本権益の 維持に力を傾注したかといえば、それは、彼らの目指す高度国防国家の建設にとっ て満州国の存在が不可欠であったからということになるでしょう。 さて、これを踏まえた上で、 > 満州事変は計画された戦争で、戦略的な意義はあったと思います。 > が、日中戦争は偶発的に生じたもので、馬鹿が計画なしにずるずる拡大させてい >ってしまったものだと思っています。 > 満州と中国の戦争は分離して考えるべきなのです。 1935年に日本は河北省に冀東防共自治政府を成立させ、さらに広田内閣のもとで華 北分離工作を行います。この一連の動きの目的は、満州国内の抗日武装勢力の資金 や武器の供給源を絶つこと、および、国際的孤立を深めていた日本が、自活を行う ための資源を確保することでした。 この動きは、当然のことながら中国の抗日運動を活発化させることになります。国 民党政府はイギリスの援助を得て行った幣制改革が成功したこともあり、また西安 事件の影響もあって抗日姿勢を明確に打ち出すことになります。当然ながら、日本 は国民党政府のこの動きに対して警戒感を強めていました。 そのような情勢下で1937年7月に盧溝橋事件が起こります。事件の4日後には現地軍 同士の停戦協定が結ばれますが、政府が華北への派兵を決定します。当時の近衛政 権は、この事件を奇貨として、中国での抗日運動の一掃をもくろんでいました。 中国には長い国権回収運動の流れがあるのですが、近衛政権は抗日運動の高まりに よって日本が中国に有する利権(当然満州もこれに含まれます)が回収されること を恐れていたのです。 このように、日中戦争は少なくとも始まった当初は明確な目的を備えていました。 満州における利権の保護が日本の重要な関心事であったことは、トラウトマン工作 や宇垣外相の工作などで出された日本側和平条件を見ればわかると思います。 > 三国同盟は、アメリカとの交渉のために結んだということです。 なぜ、アメリカと交渉する必要が生じたのかを考える必要があります。重要なの は、1939年7月にアメリカが日本に対し日米通商航海条約の破棄を通告しているこ とです。これによって、アメリカ側は、半年後には日本への輸出禁止措置を含む 強力な日本への経済制裁の手段を手に入れたことになります。日中戦争が、当時 支那事変と呼称されていたことはご存知だと思いますが、これが宣戦布告を伴う 戦争になると、米国からの資源輸入が途絶え、戦闘の継続が不可能になるために 取られた措置であることを考えれば、このアメリカ側の通告が日本に与えた影響 の大きさを推し量ることができると思われます。 日米関係は日中戦争の開始以降悪化の一途をたどりました。このあたり、事情は 複雑ですが、基本的には、アメリカ側は中国での機会均等を定めたワシントン体 制への回帰を志向しており、日本が中国で行った軍事行動はその原則に悖ると考 えていたと考えてよいのではないでしょうか。 日米通商航海条約の破棄をうけて1940年ごろから始まる日米交渉は、最終的にハ ル・ノートによって破綻して、対米戦へ至るわけですが、中国での日本の行動を 掣肘したいアメリカと、それをなんとか交わしながら中国での戦争を継続するた めの資源を確保したい日本との交渉と見ることができると思います。その視点か らみれば、日中戦争がなければ、三国同盟など結ぶ必要がないというまなかじさ んのご意見は、当を得たものであるものと思われます。 > M外相は、アメリカは力を背景にしていなければ全然相手にしないということを >身にしみて知っていたので、ドイツと結び、ソ連と条約を結び、さあ交渉だ!とい >うところで足を引っ張られたということです。 結果的に日独伊三国同盟はアメリカの対日姿勢を決定的に硬化させるきっかけの 一つになりました。どのような力を背景にするかをきちんと判断できないといけ ない、ということでしょうね。 |
>このあと関東軍は1932年2月に熱河省 この部分、1933年2月です。失礼しました。 |
> ソ連軍の4分の1を日本軍が引き受けていれば、ドイツの計画は成就したと思えませんか? 無理です。 関特演の時点でさえ関東軍の兵力は極東ソ連軍(ザバイカル方面軍)より劣勢です。 当時のインフラやシベリアのツンドラ地帯での戦闘ということを考慮すれば、シベリア戦線の日ソ戦は大規模な野戦ではなく兵站線のシベリア鉄道を中心に両軍が往復運動を繰り返す北アフリカ戦線に近い戦闘になったものと思われます。 これでは到底大規模な戦力吸引はできません。 |
> > ソ連軍の4分の1を日本軍が引き受けていれば、ドイツの計画は成就したと思えませんか? > > 無理です。 > 関特演の時点でさえ関東軍の兵力は極東ソ連軍(ザバイカル方面軍)より劣勢です。 > 当時のインフラやシベリアのツンドラ地帯での戦闘ということを考慮すれば、シベリア戦線の日ソ戦は大規模な野戦ではなく兵站線のシベリア鉄道を中心に両軍が往復運動を繰り返す北アフリカ戦線に近い戦闘になったものと思われます。 > これでは到底大規模な戦力吸引はできません。 私は機甲戦では当然勝ち目がないと思っていますが、航空機主体の攻撃ならばある程度進出できると思っています。 季節もまだ6月ですし、その辺はヒトラーと同じ考えになってしまうかもしれません。 |
> 私は機甲戦では当然勝ち目がないと思っていますが、航空機主体の攻撃ならばある程度進出できると思っています。 > 季節もまだ6月ですし、その辺はヒトラーと同じ考えになってしまうかもしれません。 航空機はなお状況が悪いですね。 陸軍航空隊はノモンハン以降の再編成がまだ終っていませんし、海軍はマル四軍備の最中ですから進攻用の航空兵力は捻出不可能でしょう。機材的には隼も零戦も一式陸攻も無い状態ですから1941年初夏でソ連空軍を圧倒する航空攻勢は兵力的にも機材的にも困難でしょう。1941末の対米開戦にさえ機材的、兵力的にようやく間に合わせた、というのが日本空軍の実態です。 |
> 航空機はなお状況が悪いですね。 > 陸軍航空隊はノモンハン以降の再編成がまだ終っていませんし、海軍はマル四軍備の最中ですから進攻用の航空兵力は捻出不可能でしょう。機材的には隼も零戦も一式陸攻も無い状態ですから1941年初夏でソ連空軍を圧倒する航空攻勢は兵力的にも機材的にも困難でしょう。1941末の対米開戦にさえ機材的、兵力的にようやく間に合わせた、というのが日本空軍の実態です。 実際はそうかもしれませんね。あくまで私の言っている事は荒唐無稽でもあるかもしれません。 もしドイツが強く日本にソ連侵攻での強力要請をしたならば、もしかしたら日独共同戦線が構築された可能性もあるわけです。 まあ、私の主張はドイツを主に述べた物でして、日本とドイツの連携がもっと頻繁であれば、日本はもっと優れた火器を装備できたかもしれませんし、ドイツは日本の航空機の航続力に注目したはずです。 ですから、事実を踏まえてではなく、どうすればドイツが独ソ戦に勝利を収められたかを思うと、日本の東からの攻撃が欠かせないと思う次第であります。 |
>ドイツは日本の航空機の航続力に注目したはずです。 それはあり得ません。 何故なら日独協同設計の戦闘機計画が実際に存在しますが、そこでは日本側の航続距離要求について独側が意義を見出さず、不合理との判断を下しています。独側は自国空軍機の航続距離が致命的に短いとは思っていないのです。 |
> それはあり得ません。 > 何故なら日独協同設計の戦闘機計画が実際に存在しますが、そこでは日本側の航続距離要求について独側が意義を見出さず、不合理との判断を下しています。独側は自国空軍機の航続距離が致命的に短いとは思っていないのです。 ご教示ありがとうございます。 よく、引き合いに出されるのが、バトル・オブ・ブリテンに零戦が参加していたらということですが。 まあ、BF109がロンドンでの戦闘時間が10分程度しかなく、それを察知した英国が戦闘機の退避後に爆撃機を叩いたということを聞いたことがあります。 同じように零戦のその航空性能を日本側はドイツに隠していたのでしょうか。 日本にはBF109のEタイプがドイツから運ばれて日本で日本機との模擬空中戦を行なった記録がありますが。 日本の技術をドイツは必要としなかったのでしょうか。 |
> まあ、BF109がロンドンでの戦闘時間が10分程度しかなく 後に落下増槽を装備することでこの問題は解決されています。 |
> > まあ、BF109がロンドンでの戦闘時間が10分程度しかなく > > 後に落下増槽を装備することでこの問題は解決されています。 ご教授ありがとうございます。それはよく知りませんでした。 |
> 何故なら日独協同設計の戦闘機計画が実際に存在しますが、そこでは日本側の航続距離要求について独側が意義を見出さず、不合理との判断を下しています。独側は自国空軍機の航続距離が致命的に短いとは思っていないのです。 ドイツ空軍の立場に立ってみれば、そんなに長く飛んでどうするのかというところでしょうね。 目標は近くてたくさんあるのだから、ガーっと出撃してダダーっと戦闘して、ピューっと帰って燃弾を再補給して、すぐに次の目標へガーっと出撃する方がいいでしょう。 というか、そうしないと間に合わない。 実際、ドイツの単発戦闘機はポーランドでもノルウェーでもフランスでも北アフリカでも東部戦線でも西部戦線でもイタリア戦線でもバルカン戦線でも、ずーっとそうやって戦っています。本土防空戦でさえその応用です。 それが通用しなかったのは、英本土航空戦のただ一戦のみ、しかもそれも成功寸前ですよね。 一日数回出撃はあたりまえ、Bf109やFw190はそういう使い方に向いている戦闘機で、またそういう使い方をするようにできているのです。 零戦やP-51が一日一回の長距離進攻をやれるようにできているのとは性格が違う戦闘機であり、それがヨーロッパでの密度の高い航空戦にはよりマッチしていると言えるでしょう。 |
> もしドイツが強く日本にソ連侵攻での強力要請をしたならば、もしかしたら日独共同戦線が構築された可能性もあるわけです。 > まあ、私の主張はドイツを主に述べた物でして、日本とドイツの連携がもっと頻繁であれば、日本はもっと優れた火器を装備できたかもしれませんし、ドイツは日本の航空機の航続力に注目したはずです。 とりあえず、世界地図を引っ張り出して、おおざっぱでいいですから、ドイツの東西国境の間の距離、西部国境からフランスの主要都市までの距離、東部国境(Achtung! 旧東プロイセンも計算に入れてください)からポーランド主要都市、南部国境からチェコの主要都市までの距離を測ってみてください。 Bf109が、というよりドイツ空軍の単発戦闘機は前線飛行場から作戦する機種であることを考えれば、全く航続距離は不足していないことがお分かりいただけるかと思います。 長距離作戦、といっても太平洋で日米両軍がやっていたのとは比較になりませんが、例えばフランスやポーランドの「奥地」へ進攻する爆撃機の護衛にはBf110で十分である、というか、そのためにこそ開発されたのがBf110なわけですよね。 ドイツ空軍は単発戦闘機の運用思想として戦場上空の制空戦闘を目的とし、進攻するとしても敵の前線飛行場への攻撃程度をやらせることに満足していたわけです。 もちろん、バルバロッサ作戦でも戦闘航空団はそうした任務に就いていたわけです。 それはまた、欧州各国空軍の常識でもあります。 英仏波ソの単発戦闘機の航続距離を見てください。 とくに、島国英国の主力戦闘機であるグラディエーター、ハリケーン、スピットファイアの航続距離でさえこの通りなのです。 英国空軍は戦前早くから爆撃機主体の非常に攻撃的な空軍でしたし、ドイツもまた爆撃機を主力とする攻撃的な空軍ですが、その爆撃機を単発戦闘機で護衛するという思想は持ち合わせていないのです。 というより、爆撃機隊は単独で進攻できるというのが基本的なスタンスであり、強く防衛されているであろう目標には双発戦闘機をつけようという程度でした。 これは日本海軍も同様で、そのために中国で九六中攻が損害を重ねることになり、本来艦隊上空に長時間留まるための「大航続時間」を求められた零戦が、その航続時間を距離に転換することによって、長距離護衛を可能とした、といういきさつがあります。 また、もともとこうした任務には零戦ではなくて十三試双戦(後の二式陸偵=月光の原型)が充てられるべきであると考えられていたのですが、時期的にも技術的にも間に合いません。零戦の中攻支援というのはピンチヒッターとして泥縄的に出てきたものです。 英国が爆撃機の昼間進攻なんて無茶だと気づくのは1940年初めにウェリントン主体の爆撃隊を盛んに出撃させてドイツの迎撃を受け、強烈な損害を出した末にようやくのことですし、ドイツが気づくのはその、当の英本土航空戦の最中のことでしかありません。 そして、両国とも夜間進攻に逃げて、戦闘機でどうにかしようという考えは持ちませんでした。 そもそも、英本土航空戦で単発戦闘機隊が爆撃機の護衛につくという事態は、戦況上止むを得ない避難措置として行なわれており、それも実施部隊では爆撃隊の前路掃討というファイタースィープに近いかたちで行なわれたものです。 直接護衛に就くのは、例のゲーリングの特命があってからのことで、これはもう愚かなことだと戦闘機隊では猛反対が出ているくらいですから、要するにドイツ空軍の単発戦闘機隊は指揮官も搭乗員も爆撃機の護衛なんて本来の仕事ではないし、そんなことをすれば不利になるという考えでいたことがわかります。 ドイツが単発戦闘機の長距離進攻を本格的に学ばされるのは、米陸軍航空軍の名誉と威信を賭けて、どうあっても昼間爆撃にこだわる米第8空軍所属のP-51が登場して、自らが「奥地」であると信じていたエルベ川以東への進攻にも随伴してくるという事実を目の当たりにしてのことです。 実際、これはひどいカルチャーショックとしてドイツ空軍では受け止められたようです。 まして、日米開戦前で目に見える実績のない(重慶や成都進攻は欧州では無視されているに等しい)この時期に、東洋の航空後進国(と信じられる)日本の機体をして、ドイツの単発戦闘機運用思想そのものをひっくり返す新型長距離単発戦闘機を開発させるだけのインパクトはないでしょう。 ドイツが限定的ながらも単発戦闘機に1500kmの航続距離を求めるのは、大駄作に終わったMe309の要求仕様を待たねばならず、またこの開発自体、真剣ではありましたが緊急性はあまり感じられないものです。 > ですから、事実を踏まえてではなく、どうすればドイツが独ソ戦に勝利を収められたかを思うと、日本の東からの攻撃が欠かせないと思う次第であります。 |
わたしが、お礼を言うのも変ですが、いや、まさに便乗質問を させてもらおうかと、思っていたので、ここを見ていて なぜ、ヨーロッパ各国は、航続距離に関して、あんなに無関心だったんだろうと 疑問に感じてました。 なるほどなと、思いました。 今の視点で見ると、「なんで?」と思えることも 当時とすれば、全く理にかなったことなんですね。 日本が特別、先見の明があったわけではなく、結果として そうせざるを得なかった、というのはとても興味深い話でした。 |
20年くらい前かな?航空自衛隊に空中給油機を導入することが 公に検討され始めた頃、航空雑誌に載っていた空中給油に関する記事を 思い出します。 F15は無給油だと10分の戦闘時間を含めて滞空時間は2時間半ほど だが、空中給油することでそれを4時間に延ばすことが出来るので、 空中給油機の導入は、奇襲予防のための戦闘空中哨戒を大幅に効率化する、 というものでした。ただし、給油すればいくらでも滞空時間を延ばせるに もかかわらず、なぜ4時間に限定するかといえば、それ以上の飛んでいる ことはパイロットが戦闘に集中できる精神的・肉体的限界を超えるからだ そうです。おそらく、ある限界を超えて飛びつづけることは、敵機の発見が 困難になるなど、戦果があがりにくいだけでなく、いたずらに危険を増やす だけなのであろうと理解いたしました。 ソロモン諸島での航空消耗戦で、零戦はしばしば10時間を越える進攻作戦を 行っていましたが、パイロットが大小便を垂れ流さざるを得ず、座布団代わりの パラシュートも腐るがままに放置していた、などの戦記の記述を目にすると その忍耐力と敢闘精神に畏敬の念を覚えると同時に、人間の生理を超える作戦行動 は、いかにも無理があると思ったものです。 長い時間飛んでいればそれだけ航法上のミスをしたり、機体が故障したりする 可能性も増えるでありましょう。もちろん、零戦や隼の大航続時間がもたらした 戦略的優位はいかに高く評価してもしたりないことは言うまでもありませんが これは同時に諸刃の刃だったのかもしれないと愚考いたしております。 ひるがえって、ドイツだけでなく多くの空軍が単座戦闘機にさして大きな航続距離 を要求しなかったことは、パイロットの負担という点においても合理性があつたのかも しれないと素人なりに考えております。短時間であればその分集中力を持続し易かった のではないかと。 |
対ソ戦で、日本は対仏戦のイタリア軍程度の働きしかできないでしょう。 この点は他の方々に同意。 さて、関特演からそのまま対ソ戦争に雪崩れ込んだとすると、まずまちがいなく南部仏印進駐がなくなります。するとアメリカの日本資産全面凍結と全面禁輸はおくれ、そのうち日ソ開戦となると、日米交渉成立の可能性が高まりますね。日ソ戦の開始によって日本のフィリピンや東南アジアへの脅威は低下し、アメリカでは対日政策より対独政策を重視すべきだという声が大きくなり、日本では(おそらく苦戦しているはずの)日ソ戦を有利に進展させるため仏印や中国の利権について一定の妥協をすることもやむを得ないという声が大きくなりそうです。 そうなると、イギリスは東南アジア・インド・オーストラリアの心配をする必要がなくなり、アメリカもまた全勢力をドイツに向ける事が可能になります。 これは、ドイツにとって極めて厳しい状況です。ヒトラーが日ソ開戦を望まなかったのもよくわかるような気がします。独ソ戦に参加するソ連師団が数個から十数個減るくらいでは、到底そろばんに合わないでしょう。 |
1938年のGNPを,イリノイ大学の推計によるならば, ソ連:190億ドル ドイツ:170億ドル 日本:40億ドル と,ソ連対日独組は拮抗しています. 仮に,金力=戦闘力とするならば, ドイツは米英との和解が必要になるし, 日本は中国や仏印,つまり,これまた米英仏との和解が必要になります. 次に,当時の人口を比べると, ソ連:1億6000万人 ドイツ・日本:各8000万人づつと拮抗しておりますので, 単なるソ連国土の破壊を目的とするならいざ知らず,経済的に意味のある カタチでスターリン政府を崩壊させ,あとに資本主義政権を樹立しようと するならば,共産党支配からのロシア人民の開放・という機能を併せもたないと 占領政策がうまく実現できないと思います. この点,ナチスはロシアを劣等民族と規定していましたから論外であり, 日本もシベリア出兵・尼港事件などをみれば,必ずしも多民族政権運営に 長けていたとは考えにくい. したがって,米英仏などの理解を得たとしても,日独・ソ戦は,大量破壊を 伴う消耗戦になる可能性が極めて高い. そして,米英は,おそらく世界平和の名の下に,独日陣営に援軍を送って くるでしょう. その後,スターリン政権は崩壊し,平和がくるのですが,日本が占領するであろう 極東方面では,資源開発が進んでいませんから,日本は得るところなく, 莫大な戦費(国債)の重圧によって,経済崩壊を起こすと思われます. ドイツの場合は,得るものも大きいのですが,戦費は日本の比ではなく, 米英によるドイツ国防軍分断作戦(つまり,反ヒトラー勢力を涵養し,ドイツの 政権交代を狙ってくる)をやらないはずはありません. つまり,独日ソ戦は,勝者も敗者も経済が破綻し,政権交代が起きるのでは ありませんか? |
ドイツはソ連を東方におけるドイツの生存権と称する、植民地化を推薦していました。 事実、ドイツからソ連地方に向けて移住する人々もおりました。 それは当然に、ソ連国民即ちスラブ民族を奴隷とした恐慌政策が実施され、彼等の待遇は特に悲惨なものとなったことは認めることが出来ます。 しかし、日本の場合、ソ連という仮想敵国が存在せず、中国戦線のみが存在しているとしたら、日本に対するアメリカの政策も変更を余儀なくされていたことは事実でしょう。 それは日独におけるソ連の分割という局面を想像すると容易に判断がつくこととなります。 ソ連の対中国における諸権利は全て日本に委任されます。また、日本の亜細亜大陸制覇という秀吉以来の悲願も達成できた訳です。 さて、日本の対ソ戦における戦費の確保ですが、それは1942年以降の問題となります。ですから、ソ連分割において、別の言い方をすれば亜細亜の覇権は日本が握り、ヨーロッパにおける覇権はドイツが握ったあとの戦後処理ですが、それにはアメリカ、イギリスの対日政策も当然緩和されることとなったでしょう。 枢軸国と連合国との力関係が逆転するのですから。 |
中国戦線が存在する状態で、日本が対ソ戦を発動したとして、とても史実より有利に独ソ戦自体、推移したとは思えません。極東方面からソ連が軍を欧州正面に輸送しだしたのは、9月に入ってからでした。 また、史実で計画された関東軍特種演習にしても、8月26日を最終期限にしていました。以前、「もし、関特演が発動されていたら」というスレッドで述べましたが、その場合、ソ連の方がどう考えてみても日本に対して有利に立ちそうに思われてなりません。中国戦線が存在する状況で、史実よりも関東軍が充実しているとは、私にはとても思えません。1941年初めの段階で、日本陸軍は満州・朝鮮をソ連から防衛するには16個師団が必要と判断していましたが、中国戦線のため、14個師団しか配備されていませんでした。 日独でソ連を分割すると言われますが、ウラルのあたりまで、貧弱な北樺太の油田しか手に入らない状況で、日本は進撃できるでしょうか。日ソ開戦となれば、英米はすぐに対ソ支援を行い、米海軍によるウラジオストックへの対ソ支援輸送船団の護衛が行われるのではないでしょうか。その船団を、日本は攻撃できるでしょうか。攻撃すれば、即対米開戦です。その場合、史実より悲惨な状況に陥るのは必至のように、私には思われてなりません。攻撃しない場合、シベリア鉄道を切断しても、ウラジオストックからの補給が通じる限り、極東ソ連軍は継戦できます。どう考えてみても、ソ連を分割できるとは私には思えません。 |
> 日独でソ連を分割すると言われますが、ウラルのあたりまで、貧弱な北樺太の油田しか手に入らない状況で、日本は進撃できるでしょうか。日ソ開戦となれば、英米はすぐに対ソ支援を行い、米海軍によるウラジオストックへの対ソ支援輸送船団の護衛が行われるのではないでしょうか。その船団を、日本は攻撃できるでしょうか。攻撃すれば、即対米開戦です。その場合、史実より悲惨な状況に陥るのは必至のように、私には思われてなりません。攻撃しない場合、シベリア鉄道を切断しても、ウラジオストックからの補給が通じる限り、極東ソ連軍は継戦できます。どう考えてみても、ソ連を分割できるとは私には思えません。 日本が当時の中国にそれしか軍を置かなかったのは来るべき対米戦を視野に入れていたことが充分に考えられます。 つまり、日本は対米戦を後回しにする。即ち、日本のお家芸である奇襲、短期決戦にかければどうなっていたかと言うことです。 ドイツには不可侵条約を破られ、日本との中立条約も破棄されればソ連の混乱は相当な物と成り得たでしょう。 日本軍の奇襲速度がどれだけであったかで、私は後のマレーやフィリピンの戦場のように相手を撃破することは必ずしも不可能ではなかったと思うのです。 |
> つまり、日本は対米戦を後回しにする。 対米戦の可能性、それに対する対応・準備はしてたけど、ハル・ノート以前、日本が対米戦を積極的に仕掛けたいと考えてたんでしょうかね?できれば、回避したかったんじゃない? 対米戦後回しにするとして、海軍はどのように対ソ攻撃に振り向けるの? 日本でじっとしてるだけ? 米国からウラジオへの輸送船団攻撃したら、米国が黙ってないよね。 当時、外交戦略で米ソの仲を離反させることができたのなら別だけど。もっとも、こんなことができたら、第二次大戦全体の成り行きが大きく変わってしまうが。 > 日本軍の奇襲速度がどれだけであったかで、私は後のマレーやフィリピンの戦場のように相手を撃破することは必ずしも不可能ではなかったと思うのです。 例えば、フィリピンに配備されていた米軍戦力がどの程度だったか御存知ですか? アメリカの対日戦争計画であるオレンジ計画において、米軍部の中でもフィリピンを見捨てて撤退するのもやむを得ないという意見があり、ハワイからの艦隊の急速派遣によるフィリピン防衛論と常に大きな議論の種になってきた。それだけ、アメリカが本国から遠く離れ支援が困難なフィリピンの防衛に自身が無かったことの証明であるわけです。 関東軍の対峙していた極東のソ連軍が、フィリピン駐留米軍程度の戦力だったらね・・ |
史実では、何故そうならなかったのか、お調べになってはいかがでしょうか? ここで、根拠も挙げずに主張を繰り返すより、建設的だとおもいますよ。 |
「日独でのソ連分割」ですか・・・まあ夢の話で、奇蹟でも起きなければ 到底実現不可能でしょう。まだ史実の経過の方が現実性があります。 理由は下記の通りです。 (1)2年前の「ノモンハン」を忘れたのか? 帝国陸軍(旧軍を区別する為に敢えて使います)は昭和14年にノモンハンで ソ連軍に惨敗しているのは史実の通りです。さてその後2年間で帝国陸軍は 強化されたのでしょうか? 相変わらず対戦車能力ゼロの97式中戦車・赤軍に質、量で劣る砲兵戦力等々 ノモンハンの戦訓も生かされず、改善の元手の予算は支那戦線への臨時軍事費に 取られ赤軍より優秀なのは歩兵戦力の質のみという状況で、帝国陸軍は 赤軍に勝てるのでしょうか?私は大いに疑問があります。 (2)一体何処をせめるの? 地理的には関東軍の駐留する満州はソ連極東地方に三方を囲まれている地勢です。 その中で何処をせめればいいのですか?沿海州を攻め、ハバロフスク〜ウラジオ ストック間を占領するのが現実的ですが、数個師団の機甲戦力でチタ〜満州里方面 の西部正面から攻められたら、関東軍の戦力ではあっという間にハルビン占領です。 その逆ソ連分割への近道、西部正面に主攻撃を据えて、チタを落として極東の 動脈シベリア鉄道を分断するにしても、東部に集中しているソ連極東軍に背後を 突かれるのが落ちです。いくら東部国境の防御線が固いといえども、 少ない残存戦力で守りきるのは難しいでしょう。 一体どういう戦略で戦うのですか?ましてや機動力の弱い帝国陸軍で・・・ (3)それだけの戦力を何処から捻出するの? 関特演前の関東軍は14個師団です。当時満州を防衛するのに16個師団、 攻勢をするのには25個師団必要と言われる状況で、どうやってそれだけの戦力を 捻出するのですか?支那事変泥沼化という状況の帝国陸軍で、それだけの戦力を 何処から捻出するのですか?関特演の戦力でも攻勢作戦を取るのには不足でしょう。 私自身の考えでは、25個師団でも攻勢作戦をするのには不足でしょう。 東部・西部どちらの正面で攻勢を取るにしても、守勢正面にかなりの兵力が 必要ですし、戦略予備が必要です。最低でも30個師団以上が必要と考えます。 急場の動員師団では使い物にならないですから、建制師団クラスの精鋭の部隊で 装備も充実していないと問題外です。それだけの師団を30個も何処から捻出 するのか?魔法でも使わないと不可能でしょう。 (4)ウラルまで日独両軍は進めると御思いか? ソ連はモスクワを落としたぐらいでは降伏しないでしょう。主要兵器産業の ウラル地域への疎開を進めているソ連に取り、モスクワは象徴的意味しか有りません。 モスクワが落ちても継戦するのは間違い有りません。その様な状況でソ連を 屈服させるには、ウラルまで少なくとも独軍が進行して本当に息の根を止める 必要があります。ウラルの工業地域にダメージを与える為には、日本軍でも良い ですから、日独どちらの軍がウラルまで侵略しなければなりません。 そんな事可能とお考えですか? (5)対ソ攻撃作戦を支える資源・経済力は何処にあるの? 此処の過去レスでも議論しましたが、昭和14年が日本経済の戦前のピークで その後は徐々に弱体化しているのが事実です。それは各種経済統計を良く読めば 分かります。(セメントの生産量・発電量・自動車生産量等々) その様に落ち込んでいる日本経済で、しかもアメリカの締め付けで石油等の重要 資源も不足しつつある日本経済で、どの様に対ソ戦を戦うのですか? それならば資源を求めて南進戦略で対米開戦の方が、万に一つの戦勝の可能性が 有ります。シベリアはツンドラで将来有望でも、現状では不毛の土地ですから・・・ (6)何を大義名分に戦うの? 独開戦後の日本の対ソ開戦は明確な「日ソ中立条約違反」です。 何せいくら条約といえども、松岡外相が独の対ソ開戦意志を隠され踊らされて 結んでしまった条約ですから・・・と言えども国際条約であり条約違反の開戦は それこそ日本は「極悪非道の国家」としてアメリカから見られる事となり、それこそ アメリカの対ソ援助の強化という選択をさせる事になります。其処から先は・・・ 宗谷海峡を通る米海軍護衛の対ソ援助船団・・・これを攻撃できますか? いくらアメリカの中立性が問われるといえども、それは対米・対ソ両面戦争という 超簡単な亡国の戦略です。 謀略を使って開戦というのも良いのですが、ばれたらどうするのですか? 関東軍の謀略は子供だましの側面が強いですから・・・どうせすぐばれます。 どちらにしてもどういう大義名分で戦うのか示してみてください・・・ (三国同盟を使う手もありますが・・・独に対ソ開戦を隠されピエロのように 踊らされた日本が、又独の為に踊るのですか?) 思いつくままに「日独のソ連分割」について非現実であろう点を書いてみました。 この元記事をよんで、1時間でこれだけの長文が書き上がるぐらい簡単な問題点が 多いと思います。それに答えて頂ければ幸いです。そうでなければ妄想論で お終いではないですか? |
> 「日独でのソ連分割」ですか・・・まあ夢の話で、奇蹟でも起きなければ > 到底実現不可能でしょう。まだ史実の経過の方が現実性があります。 > 理由は下記の通りです。 > > (1)2年前の「ノモンハン」を忘れたのか? > 帝国陸軍(旧軍を区別する為に敢えて使います)は昭和14年にノモンハンで > ソ連軍に惨敗しているのは史実の通りです。さてその後2年間で帝国陸軍は > 強化されたのでしょうか? > 相変わらず対戦車能力ゼロの97式中戦車・赤軍に質、量で劣る砲兵戦力等々 > ノモンハンの戦訓も生かされず、改善の元手の予算は支那戦線への臨時軍事費に > 取られ赤軍より優秀なのは歩兵戦力の質のみという状況で、帝国陸軍は > 赤軍に勝てるのでしょうか?私は大いに疑問があります。 帝国陸海軍のしかも航空機先導の戦いならばどうでしょうか。 > > (2)一体何処をせめるの? > 地理的には関東軍の駐留する満州はソ連極東地方に三方を囲まれている地勢です。 > その中で何処をせめればいいのですか?沿海州を攻め、ハバロフスク〜ウラジオ > ストック間を占領するのが現実的ですが、数個師団の機甲戦力でチタ〜満州里方面 > の西部正面から攻められたら、関東軍の戦力ではあっという間にハルビン占領です。 > その逆ソ連分割への近道、西部正面に主攻撃を据えて、チタを落として極東の > 動脈シベリア鉄道を分断するにしても、東部に集中しているソ連極東軍に背後を > 突かれるのが落ちです。いくら東部国境の防御線が固いといえども、 > 少ない残存戦力で守りきるのは難しいでしょう。 > 一体どういう戦略で戦うのですか?ましてや機動力の弱い帝国陸軍で・・・ ソ連を牽制し、且つ勝利を収められる場所を想定するのです。ですからこれには陸軍のほぼ半数以上が作戦に参加するべきです。戦力を2分しなければならないソ連にとって対日戦は当然二次線的な戦場だと思うのです。陸海軍航空機主体の攻撃で、私ならば西部正面でシベリア鉄道分断。ソ連の補給路を絶つようにするでしょう。 > (3)それだけの戦力を何処から捻出するの? > 関特演前の関東軍は14個師団です。当時満州を防衛するのに16個師団、 > 攻勢をするのには25個師団必要と言われる状況で、どうやってそれだけの戦力を > 捻出するのですか?支那事変泥沼化という状況の帝国陸軍で、それだけの戦力を > 何処から捻出するのですか?関特演の戦力でも攻勢作戦を取るのには不足でしょう。 > 私自身の考えでは、25個師団でも攻勢作戦をするのには不足でしょう。 > 東部・西部どちらの正面で攻勢を取るにしても、守勢正面にかなりの兵力が > 必要ですし、戦略予備が必要です。最低でも30個師団以上が必要と考えます。 > 急場の動員師団では使い物にならないですから、建制師団クラスの精鋭の部隊で > 装備も充実していないと問題外です。それだけの師団を30個も何処から捻出 > するのか?魔法でも使わないと不可能でしょう。 ですから、対米戦に想定される戦力を全て撤収させて、対ソ戦に当てるのです。 > (4)ウラルまで日独両軍は進めると御思いか? > ソ連はモスクワを落としたぐらいでは降伏しないでしょう。主要兵器産業の > ウラル地域への疎開を進めているソ連に取り、モスクワは象徴的意味しか有りません。 > モスクワが落ちても継戦するのは間違い有りません。その様な状況でソ連を > 屈服させるには、ウラルまで少なくとも独軍が進行して本当に息の根を止める > 必要があります。ウラルの工業地域にダメージを与える為には、日本軍でも良い > ですから、日独どちらの軍がウラルまで侵略しなければなりません。 > そんな事可能とお考えですか? 私は可能だと思います。即ち、日本、ドイツ、イタリアの他に、トルコなどの反ソ国を枢軸国に巻き込むのです。人海戦術であれば消耗する戦力は二線級でいいのです。主力は敵を叩くことです。 ソ連という国が占領されても、仮に降伏しない場合など、その時は内戦をソ連軍内で起こさせれば容易なはずです。 > (5)対ソ攻撃作戦を支える資源・経済力は何処にあるの? > 此処の過去レスでも議論しましたが、昭和14年が日本経済の戦前のピークで > その後は徐々に弱体化しているのが事実です。それは各種経済統計を良く読めば > 分かります。(セメントの生産量・発電量・自動車生産量等々) > その様に落ち込んでいる日本経済で、しかもアメリカの締め付けで石油等の重要 > 資源も不足しつつある日本経済で、どの様に対ソ戦を戦うのですか? > それならば資源を求めて南進戦略で対米開戦の方が、万に一つの戦勝の可能性が > 有ります。シベリアはツンドラで将来有望でも、現状では不毛の土地ですから・・・ ですから、これは短期決戦なのです。独ソ戦で12月になってもソ連が落ちないと分かった時、時のドイツの或る大臣はヒトラーにもう経済は破綻しました。戦争には負けたと言ったのです。ですが、ドイツはその後4年も戦うことが出来たのです。 > (6)何を大義名分に戦うの? > 独開戦後の日本の対ソ開戦は明確な「日ソ中立条約違反」です。 > 何せいくら条約といえども、松岡外相が独の対ソ開戦意志を隠され踊らされて > 結んでしまった条約ですから・・・と言えども国際条約であり条約違反の開戦は > それこそ日本は「極悪非道の国家」としてアメリカから見られる事となり、それこそ > アメリカの対ソ援助の強化という選択をさせる事になります。其処から先は・・・ > 宗谷海峡を通る米海軍護衛の対ソ援助船団・・・これを攻撃できますか? > いくらアメリカの中立性が問われるといえども、それは対米・対ソ両面戦争という > 超簡単な亡国の戦略です。 > 謀略を使って開戦というのも良いのですが、ばれたらどうするのですか? > 関東軍の謀略は子供だましの側面が強いですから・・・どうせすぐばれます。 > どちらにしてもどういう大義名分で戦うのか示してみてください・・・ > (三国同盟を使う手もありますが・・・独に対ソ開戦を隠されピエロのように > 踊らされた日本が、又独の為に踊るのですか?) 当然大義名分はあります。ボルシェビキの世界征服の野望を打ち砕く為の戦争である。 と・・・。 或いは、満州国の安全が脅かされている現在、このままでは満州はソ連に飲み込まれる。 まあ、当時の日本は幾らでもあったはずです。 念頭に置いていただきたいのが、まず、短期決戦であること。1941年中にソ連を落とすこと。それが無理ならば勝利の可能性は低くなることは当然であります。 |
> 帝国陸海軍のしかも航空機先導の戦いならばどうでしょうか。 帝国陸軍の航空部隊が準備成っていないことは既にBUNさんご指摘のとおりです。 また、陸軍航空隊の戦術ドクトリンは、ノモンハンで、ある程度の有効性があることを示しはしましたが、本質的に開戦初日の爆撃機戦隊の第一撃に全てを賭ける一発屋なドクトリンに過ぎず、それ以降の空地協力にはたいへんな欠陥があることが露呈されています。 この空地協力というのは日本が大戦末期まで克服できなかった問題として残ります。 帝国陸軍航空隊は、陸軍に所属しながら独立空軍以下の地上戦協力能力しか持たない航空戦力なのです。 重爆戦隊が第一撃で所在の知れている飛行場を叩いて一時的に制空権を奪取したところで、それに乗じて地上部隊が「独力で」急速に戦果を拡大できなければ容易に消耗戦に引きずり込まれてしまう危うさがあります。 制空権を手に入れても、この場合日本陸軍が手にできる有利さというのは航空偵察の自由さと、爆撃機の行なう「後方要地」への爆撃の累積効果でしかなく、第一線のソ連軍部隊に対しては地上の各部隊は正面から激突せねばなりません。 地上の戦線が膠着すれば、貧弱な地上攻撃戦力しか持たず、しかも空地間の共同が全く確立されていない陸軍航空隊にそれを打破し得る力はなく、空中でも消耗戦に持ち込まれてしまいます。 この弱点を海軍航空隊の艦爆の急降下爆撃と艦攻・陸攻の精密爆撃で補うことが可能かといえば、純技術的には可能でしょうが実際には困難でしょう。 アメリカが手を出してこないという確約がない限り、まとまった戦力を満州および沿海州に展開させることはできません。 そして、この戦争に関する限り、そんな確約が得られる見込みはどこにもありません。 > ソ連を牽制し、且つ勝利を収められる場所を想定するのです。ですからこれには陸軍のほぼ半数以上が作戦に参加するべきです。戦力を2分しなければならないソ連にとって対日戦は当然二次線的な戦場だと思うのです。陸海軍航空機主体の攻撃で、私ならば西部正面でシベリア鉄道分断。ソ連の補給路を絶つようにするでしょう。 短期決戦で補給路を断ってどうしようというのですか? また、西部に主攻撃正面をとるということは、我が補給線は海拉爾から先は馬と人ととで保たねばなりませんが、そこへそれだけの大兵団を集中運用できますか? シベリア鉄道を断っておいてソ連軍が干上がってから攻撃するというのでしたら、日本軍とソ連軍のどちらが干上がるのが早いかというジリ貧競争になるのでは。 敵の主力野戦軍の撃滅を以って短期決戦の勝利の最大要因とするのがふつうでは? 補給路を断ったところへ出て来るソ連軍を叩こうというのでしょうか? それでは奇襲の利を捨てて、正面決戦をとることになりますが? また、TAKAさんご指摘の如く、東部正面のソ連軍が囲魏救趙でもって朝鮮あるいは牡丹江方面に逆侵入してきた場合の対応策は? 一点突破では配備が広く陣容の厚いソ連極東軍の逆包囲を受けるのみでしょう。 かといって数点突破を許すだけの戦力も軍需品も日本にはありません。 > ですから、対米戦に想定される戦力を全て撤収させて、対ソ戦に当てるのです。 陸軍が太平洋正面に用意していたのは二十五軍、十四軍、十六軍、十五軍の4個軍11個師団+独立2個旅団に戦車7個連隊というところで、これを全て関東軍につぎこんでも、最低限度に必要な25個師にやっと届くというところですね。 作戦展開上ひとつの失敗も蹉跌も許されないギリギリの線であり、ソ連軍が旺盛な企図心を以って反撃に出ればたちまち崩れる程度に余裕のない戦力です。 > 私は可能だと思います。即ち、日本、ドイツ、イタリアの他に、トルコなどの反ソ国を枢軸国に巻き込むのです。人海戦術であれば消耗する戦力は二線級でいいのです。主力は敵を叩くことです。 > ソ連という国が占領されても、仮に降伏しない場合など、その時は内戦をソ連軍内で起こさせれば容易なはずです。 それのどこが短期決戦なのでしょうか? 戦力弱小な中立国をこちら側に立って参戦させるだけの有利な材料が見当たらない以上、まず参戦は望めません。 下手に参戦して負け側についてしまったら、まさに史実のイタリアのように「ノリで戦争して国が滅ぼす」ことになりかねません。 トルコなどはそんなに甘くはないですよ。 実際の史実でも英独間に熾烈な外交合戦が繰り広げられましたが、第一次大戦で「ノリで参戦して国を滅ぼす」というのを既にやっている国ですから実にしたたかです。 > ですから、これは短期決戦なのです。独ソ戦で12月になってもソ連が落ちないと分かった時、時のドイツの或る大臣はヒトラーにもう経済は破綻しました。戦争には負けたと言ったのです。ですが、ドイツはその後4年も戦うことが出来たのです。 では、ソ連を12月までに落として、それから後はどうするんですか? > 当然大義名分はあります。ボルシェビキの世界征服の野望を打ち砕く為の戦争である。 > と・・・。 > 或いは、満州国の安全が脅かされている現在、このままでは満州はソ連に飲み込まれる。 > まあ、当時の日本は幾らでもあったはずです。 それが中立条約を破棄して参戦する口実になると本気でお考えなのですか? 日本の国際信用は既に満州事変以来の無茶で地に落ちていますが、それを更に悪化させようと? これで対ソ戦にもし勝ったとして、その後の国際政治や外交をどうやってやっていこうというのでしょうか? |
> ソ連の対中国における諸権利は全て日本に委任されます。また、日本の亜細亜大陸制覇という秀吉以来の悲願も達成できた訳です。 dg:19世紀末(20世紀を通じて・ともいえる)の、米国の戦略とは、 1.英帝国すりつぶしと、その資産の強奪 2.中国市場の獲得 です. これがある限り・言い換えれば、米国が存在する限り、日本によるアジア制覇という 政治目的が認知される可能性はゼロに等しいと思います. 先に、対ソ戦争を可能にする条件として、米英仏との和解・を挙げましたが、 あなたの案では、その前提条件が崩れてしまうのではないでしょうか? |
> > ソ連の対中国における諸権利は全て日本に委任されます。また、日本の亜細亜大陸制覇という秀吉以来の悲願も達成できた訳です。 > > dg:19世紀末(20世紀を通じて・ともいえる)の、米国の戦略とは、 > 1.英帝国すりつぶしと、その資産の強奪 > 2.中国市場の獲得 > です. > これがある限り・言い換えれば、米国が存在する限り、日本によるアジア制覇という > 政治目的が認知される可能性はゼロに等しいと思います. > 先に、対ソ戦争を可能にする条件として、米英仏との和解・を挙げましたが、 > あなたの案では、その前提条件が崩れてしまうのではないでしょうか? アメリカの参戦をどれだけ遅らせることが出来たかで、この戦いは決まってしまうでしょう。当時のアメリカを見る限りは、すぐに対日戦が起きると予想していたのは事実ですがアメリカをいかに参戦させないかによる部分も大きいですね。 |