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 ▼対米宣戦布告  じょーぢ 02/10/15(火) 14:26
   ┗Re:対米宣戦布告  月読 02/10/16(水) 1:05
      ┣Re:対米宣戦布告  じょーぢ 02/10/16(水) 2:06
      ┃  ┗Re:対米宣戦布告  まなかじ 02/10/16(水) 23:33
      ┃     ┗Re:対米宣戦布告  じょーぢ 02/10/17(木) 0:18
      ┗宣戦は日本を対米戦争から降りられなくするため  カンタニャック 02/10/17(木) 0:02
         ┣Re:宣戦は日本を対米戦争から降りられなくするため  じょーぢ 02/10/17(木) 0:45
         ┃  ┗ゴミレス  カンタニャック 02/10/17(木) 19:29
         ┗Re:つけたし  じょーぢ 02/10/25(金) 23:21
            ┗日本の勝ち逃げ戦略と単独不講和協定  カンタニャック 02/10/26(土) 15:02
               ┣訂正  カンタニャック 02/10/26(土) 20:53
               ┃  ┗夢の短期決戦  BUN 02/10/27(日) 0:07
               ┃     ┗Re:夢の短期決戦  じょーぢ 02/10/27(日) 1:13
               ┃        ┗長期戦への予感  BUN 02/10/27(日) 11:47
               ┗Re:日本の勝ち逃げ戦略と単独不講和協定  じょーぢ 02/10/27(日) 1:23

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 ■題名 : 対米宣戦布告
 ■名前 : じょーぢ
 ■日付 : 02/10/15(火) 14:26
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    はじめまして。いきなり長文投稿で申し訳ないのですが、いろんな本を読んでみてもなかなか納得できる解説に出会えなかったもので、ここの存在を思い出し投稿させていただきました。
 
 本題。独伊がなぜ対米参戦に踏み切ったのか、恥ずかしながら私自身未だに納得のできる説に触れていません。宜しければどなたか理由を説明していただけないでしょうか。
 下記に私の考えを述べさせていただきます。こちらに対しても誤認や補足、反論などありましたら是非お願いします。

 1、三国同盟は防衛同盟であり、日本からの攻撃で開戦した経緯から独伊が対米参戦する義務は無い。実際、日本の対ソ戦回避の法的根拠は三国同盟の防衛的性格と日ソ中立条約の為です。

 2、独ソ戦においてはタイフーン作戦の失敗が明白になった直後であり、この苦境下でわざわざ米の参戦を誘う必要は無い。
 むしろ日本の「卑劣な」真珠湾奇襲を道義的に非難して三国同盟からの日本排除など徹底的な日本切捨てを行い、欧州戦と日米戦の分離を画策してはどうか?(史実ではチャーチルがこれを警戒していた)

 3.当時のドイツはナチス党を除けば親日勢力は案外少ない。ヒトラーは差別な人種観で日本人を二流民族と断じていたが、当時のドイツではむしろ基本的には親日に位置づけられるくらいである。それくらいドイツでの日本の存在感は希薄で、特に陸軍と外務省、経済人にはアジアにおいては中国とのパイプを持つものが多く、日本にさほど好意は持っていない。従って友誼に基づく参戦というのも考えにくい。

 4.ヒトラーの戦争観、とくにタイフーン作戦失敗が明白になった時点で戦争目的をソ連打倒から劣等民族殲滅に摩り替えたためとする説もあるが、民族殲滅を行うなら戦争は長引けば長引くほど良いため、この意味からしてもやはり対米戦は躊躇すると思われる。(ドイツが米本土を攻撃できるなら別だが)
 またヒトラーが戦争を本当に人種的に捕らえていたのなら、日本によって欧米の植民帝国が覆滅されていくことを助けるような対米参戦など論外ではないか?

 5.枢軸陣営の盟主として連合国との対抗上やむを得ず参戦。
 ドイツがこれまで神経質なほど米国世論を刺激しないように、行動していたことから、当然対米宣戦布告を回避するべく努力する組織があってしかるべきだと思われるが、実際のところはほとんど抵抗なしに宣戦が決定されている。
 米国を過小評価していたり、日本を過大評価していたというのも考えられるが、史料を見る限り、陸海軍の日米への評価は今日見ても妥当な線であり、論としては弱い。

 6.対ソ戦の観点。
 ドイツが率先して対米宣戦布告を行うことにより、日本の対ソ戦参加を狙い、悪化しつつある東部戦線の好転を図る。
 しかしながら日本がこれまでのらりくらりとドイツの大戦参戦要請を断り続けた経緯を考えれば、いきなり対米宣戦布告に踏み切らず、これを外交カードとして対日交渉に当たるほうが、それまでの相互不信に彩られた日独外交の文脈からは妥当のように思える。
 また日本の軍事リソースは太平洋に投入されてしまっている為、ソ連の継戦能力への大きな打撃は期待できない。米のシベリア経由レンドリースも1941年冬の段階では問題にならない為、海上封鎖もその時点では対象外ではないか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:対米宣戦布告  ■名前 : 月読  ■日付 : 02/10/16(水) 1:05  -------------------------------------------------------------------------
   ドイツがアメリカに対して宣戦布告をしたのは、日独伊三国同盟にあるこの条項の為でした。
「三国の中の一国が、現在の欧州戦争又は日支紛争に参入し居らざる一国によりて攻撃せられたる場合には、あらゆる政治的、経済的及び軍事的方法により相互に援助すべきことを約す」
この条項は、1940年に、三国同盟を締結させる為に、ドイツから派遣されたシュタ−マ−公使が提案し、それがそのまま条項として記されたのですが、ここに書いてある、「現在の欧州戦争又は日支紛争に参入し居らざる一国」がどこを指して居るかといえば、アメリカ合衆国でした。(ソ連は、当時独ソ不可侵条約を結んでいた関係上除外され、独ソ戦が始まった時には、日ソ中立条約が結ばれていたから、日本がこの条項を適用する事はなかった)
ドイツ側にして見れば、自分達の方から先に提案していた以上、それを簡単に無視する事は流石に難しいですし、日本の行動が、アメリカ、イギリスへの牽制になる事も期待していました。(ドイツ側にとって、三国同盟とは日本による対米牽制の意味合いが強い)

もっとも、アメリカに宣戦布告する事は、流石のヒトラ−総統にとっても深刻な決断だったらしく、宣戦布告を決めるまで3日考え込んでいたそうです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:対米宣戦布告  ■名前 : じょーぢ  ■日付 : 02/10/16(水) 2:06  -------------------------------------------------------------------------
    レスありがとうございます。

> ドイツがアメリカに対して宣戦布告をしたのは、日独伊三国同盟にあるこの条項の為でした。
> 「三国の中の一国が、現在の欧州戦争又は日支紛争に参入し居らざる一国によりて攻撃せられたる場合には、あらゆる政治的、経済的及び軍事的方法により相互に援助すべきことを約す」

 確かに三国同盟はキーであるわけですが、「攻撃せられたる」とあるように防衛的性格で、交戦状態=参戦ではありません。参戦義務は法的には無いのです。
 
>日本の行動が、アメリカ、イギリスへの牽制になる事も期待していました。(ドイツ側にとって、三国同盟とは日本による対米牽制の意味合いが強い)

 ドイツにとっては欧州大戦、日本にとっては日華事変への米国の介入を抑止するのが狙いだったみたいです。米国から介入をしてきた場合、二正面を強制されることになることで、米国の参戦を牽制しようというものですね。日独共に米を恐れていました。
 ですが、日本が行った真珠湾攻撃はこれをぶち壊します。で、ドイツにとって重大なのは欧州大戦への米の参戦を回避することですから、いまや利用価値の無くなった日本を見捨ててしまい、米を太平洋にかかりきりにしてしまったほうが得じゃないかな? と。
 まぁ米から宣戦布告してくる可能性はありますが、機先を制して口を極めて日本を罵り、米への同情と連帯でも表明していれば、米議会が宣戦の大権を持つ以上多少の時間稼ぎは出来たかもしれません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:対米宣戦布告  ■名前 : まなかじ <ZUN01214@nifty.ne.jp>  ■日付 : 02/10/16(水) 23:33  -------------------------------------------------------------------------
   少なくとも、大西洋上では1941年12月の段階で米独両軍はいつ戦争になってもおかしくない状態にはなっています
アメリカが自国船に対する自国海軍による護衛を行なっており、また航空機による洋上哨戒の情報は英国に流れています

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:対米宣戦布告  ■名前 : じょーぢ  ■日付 : 02/10/17(木) 0:18  -------------------------------------------------------------------------
    レスありがとうございます。

> 少なくとも、大西洋上では1941年12月の段階で米独両軍はいつ戦争になってもおかしくない状態にはなっています
> アメリカが自国船に対する自国海軍による護衛を行なっており、また航空機による洋上哨戒の情報は英国に流れています

 たしかに当時北大西洋に展開していた米独海軍は緊迫しておりましたが、逆説的に言えばあそこまで米が挑発していたにも関わらず独はそれまで自制しています。
 またある意味では日米開戦と真珠湾攻撃による太平洋艦隊の大損害は、米大西洋艦隊の太平洋への転用が行われることを意味し、太平洋が落ち着くまで大西洋での米海軍の活動は鈍化するとドイツが判断してもおかしくないと思います。
 なお、ご存知かとは思いますが、独海軍が自衛戦闘の必要性を訴えていたときですら、ヒトラーは徹底的に米との交戦を避けるように指示を出していますし。
 いずれ米が参戦してくるとしても、わざわざドイツ側から水を向けてやることは無いのではないか? というのが私の疑問点です。
 確かに米独開戦後、米沿岸で独潜水艦隊は未曾有の大戦果を挙げることになるわけですが、どちらかといえばこの作戦はデーニッツの強力な指導力が為したところろと言えそうな感じですし。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 宣戦は日本を対米戦争から降りられなくするため  ■名前 : カンタニャック  ■日付 : 02/10/17(木) 0:02  -------------------------------------------------------------------------
    ヒトラーはアメリカの戦力および戦意について在米陸軍武官ベティヒャー中将のレポートを重視していた。ベティヒャーは米陸軍上層部に太いパイプを持っていたがそのレポートはアメリカの参戦意志の乏しさと軍備の不足を基調とするものだった。他方アメリカの参戦意図や戦力について警告を発する報告もあったが、「ヒトラーとリッペントロップは(ベティヒャーの)報告を読みたがった」(外務次官ワイツゼッカー)。

 またドイツ海軍はアメリカの中立によるUボート作戦の制限を嫌い、常に無制限潜水艦作戦、すなわち対米戦争を望んでいた。

 41年以降アメリカの反独意志は明白になり、41年夏以降アメリカとドイツは大西洋上で事実上宣戦布告なき戦争状態に突入した。ヒトラーは偶発的な対米戦争は避けようとしていた(対ソ戦開始前日の封鎖海域以外でのアメリカ船攻撃厳禁命令など)が、他方アメリカとの戦争は最終的には避けられないと考えるようになり、その結果、ヒトラーにとって対米戦はいつ開戦するのが有利かという問題になっていた。
 ヒトラーは対英戦を重視し対ソ戦はイギリスを屈服させるための手段として考えており、日本もより重要な敵であるイギリスとそれを助けるアメリカに対抗する手段として利用しようとしていた。(独ソ戦開始時、リッペントロップは日本に対ソ宣戦を求めようとしたが、この方針はヒトラーに拒絶された。)
 したがって、ヒトラーおよびドイツ首脳にとって、日米交渉の成立による日本の三国同盟からの離脱、米英のフリーハンドの獲得は一つの悪夢となる。リッペントロップはアメリカの挑発による独米戦争勃発時に日本が参戦することの確認を得よと駐日大使に指令している。
 このような状況の下で41年11月、日本から対米戦争時の単独講和禁止協定締結の申し入れがあり、12月4日にはドイツ・イタリアの協議の協議による単独講和禁止協定案が日本に送られたている。
 単独講和禁止協定は、日米開戦時にドイツの参戦を義務づけるものではないが、ドイツが対米宣戦すれば、日米の単独講和を不可能にする。つまりドイツが米国と戦い続ける限り、日本にも米国と戦いつづける義務を負わせることになる。つまり、この協定とドイツの対米宣戦布告によって、ドイツから見れば独米戦争に日本をからみとった事になる。

 なお事実関係の多くは友人のゲーマー大木毅さんが本業の方で『国際政治91号』にお書きになった論文「ドイツの対米宣戦(1941年)」からの孫引きです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:宣戦は日本を対米戦争から降りられなくするため  ■名前 : じょーぢ  ■日付 : 02/10/17(木) 0:45  -------------------------------------------------------------------------
    レスありがとうございます。

>  41年以降アメリカの反独意志は明白になり、41年夏以降アメリカとドイツは大西洋上で事実上宣戦布告なき戦争状態に突入した。ヒトラーは偶発的な対米戦争は避けようとしていた(対ソ戦開始前日の封鎖海域以外でのアメリカ船攻撃厳禁命令など)が、他方アメリカとの戦争は最終的には避けられないと考えるようになり、その結果、ヒトラーにとって対米戦はいつ開戦するのが有利かという問題になっていた。

 ですが、モスクワ攻略にしくじり、東部戦線の独軍が危機にあったこの時機はけして対米戦に有利であるとは私には思えないのです。

>  ヒトラーは対英戦を重視し対ソ戦はイギリスを屈服させるための手段として考えており、日本もより重要な敵であるイギリスとそれを助けるアメリカに対抗する手段として利用しようとしていた。(独ソ戦開始時、リッペントロップは日本に対ソ宣戦を求めようとしたが、この方針はヒトラーに拒絶された。)

 ここが私も判断に苦しんでいます。ヒトラーにとって対ソ戦と対英戦、どちらがより重大な意味を持っていたのか?
 ヒトラーが一貫した政治哲学、思想を持った政治家と主張している論者の方は当然ソ連打倒こそがナチスドイツの主敵であると考えているでしょうし、ヒトラーが基本的には機会主義の大衆扇動政治家であると考えている論者にとっては、対英戦遂行の便宜上(ナポレオンと同様の理屈で)ロシア遠征に乗り出したに過ぎないと捉えているでしょう。
 現時点では、私自身はやや前者の考えに傾いています。

>  したがって、ヒトラーおよびドイツ首脳にとって、日米交渉の成立による日本の三国同盟からの離脱、米英のフリーハンドの獲得は一つの悪夢となる。リッペントロップはアメリカの挑発による独米戦争勃発時に日本が参戦することの確認を得よと駐日大使に指令している。
>  このような状況の下で41年11月、日本から対米戦争時の単独講和禁止協定締結の申し入れがあり、12月4日にはドイツ・イタリアの協議の協議による単独講和禁止協定案が日本に送られたている。
>  単独講和禁止協定は、日米開戦時にドイツの参戦を義務づけるものではないが、ドイツが対米宣戦すれば、日米の単独講和を不可能にする。つまりドイツが米国と戦い続ける限り、日本にも米国と戦いつづける義務を負わせることになる。つまり、この協定とドイツの対米宣戦布告によって、ドイツから見れば独米戦争に日本をからみとった事になる。

 ここ、非常に納得がいきます。私が今まで触れてきたこの問題を扱ったいろんな文章の中でもかなり納得できる論理です。
 なるほど。日本の単独講和を不可能にするためということならドイツにとっても意味のある行動だと思います。ただ、やはり時期が気になってしまいますが。
 が、ドイツは対英、対ソ戦すら片付いていない状況で対米戦に何か目算があったのでしょうか? 日本以上に米本土を叩く手段などドイツには無く、期待できるのは米の本格介入以前に欧州を制圧して米の戦意を挫くことぐらいでしょうが、それであればやはり米との全面対決をあえて行うべきではないような気がします。
 米独戦で基本的にドイツは主導権を握ることが出来ない以上、やはり対米宣戦布告は回避したほうが賢明ではないか? と私は考えてしまいますが。


>  なお事実関係の多くは友人のゲーマー大木毅さんが本業の方で『国際政治91号』にお書きになった論文「ドイツの対米宣戦(1941年)」からの孫引きです。

 この記事、非常に興味が惹かれましたので、機会を見つけて読んでみたいと思います。ご紹介ありがとうございました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ゴミレス  ■名前 : カンタニャック  ■日付 : 02/10/17(木) 19:29  -------------------------------------------------------------------------
    ヒトラーが日本の参戦に大喜びしたという説にしたがうと、日本の参戦を聞いて、ルーズベルト、チャーチル、ヒトラー、蒋介石(西半球から経度順)が全員大喜びしたということになりますね。なんかとてもイヤです。

 じょーじさんはご存じかも知れませんが、私の愛読書L・チェーヴァの「枢軸万歳」(河出書房新社・1975年刊)はヒトラーとムッソリーニが対米宣戦布告をしないことで、枢軸(日本を除く)が勝利するという小説です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:つけたし  ■名前 : じょーぢ <george@big.or.jp>  ■日付 : 02/10/25(金) 23:21  -------------------------------------------------------------------------
    ほぼ収束しているスレですが、つけたし。
 軍事史学会の「第二次大戦(2)真珠湾前夜」に面白い論文がありました。
 カンタニャックさんの投稿の主旨と重なる点が多かったですが、私なりに要約いたしますと

 1.ヒトラーは対米開戦を避けていた。少なくとも対ソ戦が終了するまでは行うべきではないと考えており、大西洋で苦しい戦いを続けるドイツ海軍の要請している米商船攻撃許可と日本への対米牽制要請を拒絶している。(1941年 7/25)

 2.日本の南部仏印進駐に端を発した経済封鎖により日米に危機が高まる。
  孤立して米英との戦争に臨むことを恐れた日本は日米戦勃発に際して独伊の対米戦参戦、及び対英単独不講和の確約を取り付けるべきではないかと検討を開始。
 一方、ドイツは大西洋で発生した独米の軍艦衝突事件によって独米戦の危機に瀕したことから、日本に対して米独戦が勃発した際には三国同盟の友誼に基いての参戦を要求していた。しかし対米戦を恐れる日本は言質を与えず、交渉は進展しない。

 3.10月、日米交渉は進展しない。東條大将はこの時期「ドイツの力はあてにしない。自分の力だけを信じる」と語っている。しかし海軍は米英戦でのドイツ参戦を重要視しており、独への働きかけを開始する。
 10/27、大本営政府連絡会議は対米宣戦布告時に独伊に対して対米参戦要請、単独不講和、軍事協力を主張することが決定。
 一方、ドイツは米の版図への攻撃を控えるように日本に警告。

 4.ハルノートにより日本は対米戦を決意。独に対して枢軸国が対米戦を開始した場合の参戦確約を要請する。ドイツは未だ(日米戦より)独米戦の可能性を恐れていた為、ドイツの負担が軽くなる日本の要請を基本的に受け入れる。
 日独は12月中に三国同盟を元に新たな協定締結を図るが、日米戦はこの新協定締結より早く勃発する。日本はドイツが対米戦を行わないかもしれないと不安を感じ、ドイツに対し対米参戦要請を行う。だがこれは杞憂だった。
 いまやドイツ単独で対米戦を行う恐怖から解放されたドイツは、12/8にまず海軍に対し米商船攻撃許可を下し、対米宣戦布告を決意する。
 12/11、「戦争の協同遂行」に関する日独伊協定が結ばれる。独伊はこれに基づき対米宣戦布告した。

 つまり、ドイツは最悪の対米戦(ドイツ単独)を恐れるあまり、まだマシな対米戦(日独同盟)を選んでしまったということみたいです。またヒトラーが軍やリッペントロップに比較してかなり対米戦に慎重であったことも面白いですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 日本の勝ち逃げ戦略と単独不講和協定  ■名前 : カンタニャック  ■日付 : 02/10/26(土) 15:02  -------------------------------------------------------------------------
    ドイツの立場で考えると、日本におけるドイツの敵は対米交渉派と短期決戦派ですね。日本の対米交渉成立はドイツの利益とまっこうから対立しますし、「短期決戦講和型の日米戦争」も、その現実性はともかく、万一にも日米戦争が数ヶ月で終わってしまえば、困るのはドイツです。
 この点でのドイツの対応はよく分かるのですが、分からないのが日本の対応です。日本が本当に日米短期戦の夢を開戦時まで抱いていたなら、短期講和を難しくする日独伊三国の単独不講和協定は外交上不利な筈です。(外交当局は短期戦など土台無理で、途中でドイツに降りられる方がもっとこわく、いざとなれば協定違反してでも対米講和すればいいと思っていたのかも知れませんが。)
 結局のところアメリカは日米双方にとって単独で戦争するのは避けたい強力な敵だったということなのでしょうが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 訂正  ■名前 : カンタニャック  ■日付 : 02/10/26(土) 20:53  -------------------------------------------------------------------------
   >  結局のところアメリカは日米双方にとって…(誤) 
>  結局のところアメリカは日独双方にとって…(正) 
申し訳ない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 夢の短期決戦  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/10/27(日) 0:07  -------------------------------------------------------------------------
   対米戦に対する短期決戦志向とはどちらかと言えば、戦術的なものであって、
日本陸海軍ともに対米戦が短期決戦に終わるという見通しを必ずしも持っていなかったのではないでしょうか。
軍備計画などはほぼ全て対米長期戦を考慮していますし、対米「短期決戦」という発想は戦術的に最良の方向として採り上げられていたに過ぎないのではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:夢の短期決戦  ■名前 : じょーぢ <george@big.or.jp>  ■日付 : 02/10/27(日) 1:13  -------------------------------------------------------------------------
    レスありがとうございます。

> 対米戦に対する短期決戦志向とはどちらかと言えば、戦術的なものであって、
> 日本陸海軍ともに対米戦が短期決戦に終わるという見通しを必ずしも持っていなかったのではないでしょうか。

一方、長期戦になるという見通しも確たるものは持っていなかったみたいですね。
 陸軍は戦争の主役は独ソにあるという見方で、ドイツが勝てば日華事変も日米戦もなんとかなると考えていた節があります。ドイツの勝利に貢献するであろうインド方面への攻勢を主張したのも陸軍でした。
 海軍はもっと刹那的でとりあえず破局の先延ばし程度しか考えていなかったみたいに思われます。長期自給体制を築き上げ、東アジアにいわば篭城して国際情勢の好転を待とう、程度のもので自ら積極的に働きかけて戦争終結を図るという考えは無かったみたいですね。(軍令部の立案した米豪遮断作戦も、おそらく日本の主観的には攻撃的な意図ではなく現状維持の為の予防攻勢だとしか思えません)


> 軍備計画などはほぼ全て対米長期戦を考慮していますし、対米「短期決戦」という発想は戦術的に最良の方向として採り上げられていたに過ぎないのではないでしょうか。

 後学のため教えて頂ければうれしいのですが、○五計画(改ではない方)って仰るような長期戦の為の軍備とは私には思えないのです。
 確かにある程度長期戦も考慮した計画になっていますが、一度の航空決戦で日本の海洋航空戦力をすり減らし、再建は容易ではないと思われます。後方支援の為の軍備が弱すぎる気がしてなりません。本気で(両洋艦隊級の大部隊と何度もやりあう)海洋航空戦を続けていくつもりであれば、たとえば搭乗員の養成が全然追いつかない気がします。(事前の見積もりが甘かっただけかもしれないですが)
 結局艦隊決戦思想が航空決戦思想に移行しただけで、一度の決戦で戦争の帰趨を左右しようという基本構想は変わってないのではないでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 長期戦への予感  ■名前 : BUN  ■日付 : 02/10/27(日) 11:47  -------------------------------------------------------------------------
   >○五計画(改ではない方)って仰るような長期戦の為の軍備とは私には思えないのです。
>  確かにある程度長期戦も考慮した計画になっていますが、一度の航空決戦で日本の海洋航空戦力をすり減らし、再建は容易ではないと思われます。後方支援の為の軍備が弱すぎる気がしてなりません。>  結局艦隊決戦思想が航空決戦思想に移行しただけで、一度の決戦で戦争の帰趨を左右しようという基本構想は変わってないのではないでしょうか?

陸軍参謀本部も海軍軍令部にも対米戦は長期持久戦として戦われるという見通しは共通してあり、参謀本部で作成された対米戦奉答資料等も長期持久戦という言葉をはっきりと使って作成されています。
陸軍が対米戦を意識し始めたのは支那事変への米英軍事介入という事態を作戦計画の中に見込み始めてからですが、戦争は長期化するとの予測はあっても短期で勝利するという見通しは明確にされていません。短期で解決するのが最善の策ではあるものの、主体的にそれを見込める確固とした見通しは無いとの見方が参謀本部内にあったと私は思います。

海軍はアメリカの軍備拡張計画に打ちのめされる形で第四次軍備充実計画以降を立案しています。特に第五次軍備充実計画は海上航空兵力を補助的な存在と位置付けて、陸上基地航空兵力に重点を置いたもので、対日進攻作戦に投入できる米航空兵力が太平洋の基地環境によってある程度制約されることを期待して兵力見積りが立てられています。
海軍の主力を主力艦隊/空母機動部隊から、陸上基地航空兵力へシフトする明確な意図を持っていることが第五次軍備充実計画の特徴で、海軍の空軍化とも言えるこの計画の実施にあたり、最大の問題と考えられていたのが搭乗員養成問題です。これは当時から問題視されていたのですが、人の問題は軍備の本質に関わる為か、搭乗員急速大量養成計画の策定が一番遅れています。
第五次軍備充実計画は海上航空兵力=空母機動部隊で決戦するつもりの計画ではなく、やはり長期戦を戦わざるを得ない方向性を持つ軍備計画で、この計画に対する批判も「航空軍備主体の軍備計画では長期消耗戦になる」といったものでした。軍艦同士の大規模な戦闘で片が付けば良いが、それが「決戦」になるという保証も無く、発生するという確信も無い、まして艦隊決戦では兵力の圧倒的な劣勢の為、絶対に勝てないとの考えあってこその第五次軍備充実計画ではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:日本の勝ち逃げ戦略と単独不講和協定  ■名前 : じょーぢ <george@big.or.jp>  ■日付 : 02/10/27(日) 1:23  -------------------------------------------------------------------------
   >  この点でのドイツの対応はよく分かるのですが、分からないのが日本の対応です。日本が本当に日米短期戦の夢を開戦時まで抱いていたなら、短期講和を難しくする日独伊三国の単独不講和協定は外交上不利な筈です。(外交当局は短期戦など土台無理で、途中でドイツに降りられる方がもっとこわく、いざとなれば協定違反してでも対米講和すればいいと思っていたのかも知れませんが。)

 これですが、海軍は短期決戦、長期戦、いずれもアウトラインすら持っていなかったのではないかという感想を持っております。
 緊急避難で対米戦に踏み切り、とにかくドイツの参戦で少しでも米海軍に粉砕される日を先送りにしようという刹那的なものです。
 短期戦を考えていた山本長官がドイツとの協力に二の足を踏んでいたのは多分仰るとおりの事情だと思います。ドイツとの仲が深くなり泥沼の総力戦に巻き込まれることを恐れていたのでしょう。

>  結局のところアメリカは日独双方にとって単独で戦争するのは避けたい強力な敵だったということなのでしょうが。

 当たり前のようですが、やはりそういうことだと思います。

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