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 ▼真珠湾攻撃を行わなかったら  対馬 拓海 02/10/12(土) 15:11
   ┣詳しいことはよく知りませんが・・・  紅葉饅頭 02/10/12(土) 19:11
   ┃  ┗Re:詳しいことはよく知りませんが・・・  対馬 拓海 02/10/15(火) 20:40
   ┣Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  SH 02/10/12(土) 22:05
   ┃  ┣Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  はつせ 02/10/13(日) 0:02
   ┃  ┃  ┣Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  k-mine 02/10/13(日) 20:24
   ┃  ┃  ┃  ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  dg 02/10/15(火) 16:40
   ┃  ┃  ┃     ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  対馬 拓海 02/10/15(火) 20:57
   ┃  ┃  ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  対馬 拓海 02/10/15(火) 20:52
   ┃  ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  対馬 拓海 02/10/15(火) 20:47
   ┣Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  和泉八雲 02/10/13(日) 20:11
   ┃  ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  対馬 拓海 02/10/15(火) 21:02
   ┣Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  山家 02/10/14(月) 21:41
   ┃  ┣Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  対馬 拓海 02/10/15(火) 21:09
   ┃  ┃  ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  山家 02/10/17(木) 20:31
   ┃  ┃     ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  対馬 拓海 02/10/21(月) 21:46
   ┃  ┃        ┗ジュットランドの戦訓  まなかじ 02/10/21(月) 23:36
   ┃  ┃           ┗Re:ジュットランドの戦訓  タカ二飛曹 02/10/22(火) 16:17
   ┃  ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  和泉八雲 02/10/15(火) 22:27
   ┃     ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  山家 02/10/16(水) 21:38
   ┃        ┣Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  対馬 拓海 02/10/21(月) 21:55
   ┃        ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  和泉八雲 02/10/23(水) 0:15
   ┃           ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  山家 02/10/24(木) 22:17
   ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  錦単子 02/10/15(火) 10:53
      ┗Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  対馬 拓海 02/10/15(火) 21:12

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : 真珠湾攻撃を行わなかったら
 ■名前 : 対馬 拓海
 ■日付 : 02/10/12(土) 15:11
 -------------------------------------------------------------------------
    すでに過去に語られた題材かもしれませんが、新参者ですのでご勘弁を。
 真珠湾攻撃を行う必要性は、よく言われている「開戦当初の大戦果により、
米国の士気を低下される」の他に、「南方資源地帯制圧の間に、米海軍に邪魔
してほしくない」という理由だったと記憶しています。
 特に後者の条件があるため、「真珠湾攻撃を行わない初期作戦」という仮定
は極めて困難かもしれませんが、「真珠湾攻撃」以外の日本海軍の初期作戦は
あり得たのでしょうか? また、行わなかったとしたら、米国はどう出てきた
でしょうか。「日本を圧倒できる戦力が整うまで、通商破壊や牽制以外何も
しなかった」「フィリピンや豪州救援のために出撃し、日本海軍と艦隊決戦と
なった」などが考えられると思いますが、皆さまはどう考えられますか?
 ・真珠湾攻撃以外の日本の選択肢
 ・真珠湾攻撃がない状況で、米国がとるであろう戦争計画
 について考えてみませんか? 

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 詳しいことはよく知りませんが・・・  ■名前 : 紅葉饅頭  ■日付 : 02/10/12(土) 19:11  -------------------------------------------------------------------------
   本当に大まかな事しか知らないのですが。

>「南方資源地帯制圧の間に、米海軍に邪魔してほしくない」という理由だったと記憶しています。

南方資源地帯を抑えることすなわち米の植民地であったフィリピンを抑えることになります、フィリピンをほっといたらそれはそれで対英、蘭、仏植民地攻略戦、その後の経営での輸送作業で妨害されるのは目に見えていますし。てことは攻撃しなければアメリカさんに戦争参加の大義と反撃の準備期間を与えることになり、準備万端元気な第七艦隊と戦うことは必定となります。それならば、対日方面出先機関であるハワイをたたくのは合理的な判断ですし(こんな点の合理的判断なんてとっくに意味のない状態ではありますが)やらなくても日本海軍が後々苦戦するだけではないかと思います。どうでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:詳しいことはよく知りませんが・・・  ■名前 : 対馬 拓海  ■日付 : 02/10/15(火) 20:40  -------------------------------------------------------------------------
   > 本当に大まかな事しか知らないのですが。
>
> >「南方資源地帯制圧の間に、米海軍に邪魔してほしくない」という理由だったと記憶しています。
>
> 南方資源地帯を抑えることすなわち米の植民地であったフィリピンを抑えることになります、フィリピンをほっといたらそれはそれで対英、蘭、仏植民地攻略戦、その後の経営での輸送作業で妨害されるのは目に見えていますし。てことは攻撃しなければアメリカさんに戦争参加の大義と反撃の準備期間を与えることになり、準備万端元気な第七艦隊と戦うことは必定となります。それならば、対日方面出先機関であるハワイをたたくのは合理的な判断ですし(こんな点の合理的判断なんてとっくに意味のない状態ではありますが)

 おっしゃる通りだと思います。ただ、

> やらなくても日本海軍が後々苦戦するだけではないかと思います。どうでしょうか。

 については、検討の余地があるかな、と。モリソン教授(だったと思う)も、「真珠湾攻撃がなく、オレンジ計画通りに米艦隊がマーシャル攻略戦を行ったとしたら、米艦隊は、優勢な航空戦力、水雷戦力、戦艦部隊を有する日本艦隊の前に、真珠湾を上回る壊滅的打撃を受けていただろう」と言われていますし。
・真珠湾攻撃がなかったなら、マーシャル沖での決戦が起こったのか?
・起こったなら、勝敗はどうなったのか
 については、興味のある所です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : SH  ■日付 : 02/10/12(土) 22:05  -------------------------------------------------------------------------
    軍令部や機動部隊の南雲長官、草鹿参謀長らは、南方資源地帯の攻略概成まで米主力艦隊の来寇を阻止するのが目的と考え、第一次攻撃(第一次と第二次発進部隊を併せたもの)により目的は達成したと判断していました。そして、山口二航戦司令官や三川三戦隊司令官の第二次攻撃に関する進言を退け、引き揚げたことについて、山本大将の「南雲はやらんだろう」のひと言で、南雲中将の決断について公式に批判されることはありませんでした。

 しかし、山本や宇垣が望んでいた本当の真珠湾奇襲の目的は、戦艦、空母を含む米艦隊を完膚無きまでに叩きのめし、ハワイの基地としての機能を完全に喪失せしめることにありました。この意味では、南雲が挙げた戦果に対する評価は50点から60点の間くらいと考えられますが、GF首脳部のホンネは機動部隊上層部とのコミュニケーションにおいては伝達されていませんから、やはり真珠湾奇襲は大本営の戦争指導上の観点から見て、大成功だったことになるわけです。この点は、捷号作戦前のマニラにおける神大佐と小柳2F参謀長、大谷作戦参謀との打ち合わせにおいて、GFの作戦目的が徹底されないままに終わったことと似ていると思います(小柳・大谷の突入拒否のための策略だったとの見解もありますが)。

 とにかく、米艦隊の主力が真珠湾にいる以上(空母が出払っているかどうかは別の問題)、真珠湾を開戦劈頭にたたくのは理にかなった最善の作戦であり、これ以上の作戦はあり得なかったと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : はつせ  ■日付 : 02/10/13(日) 0:02  -------------------------------------------------------------------------
    はじめて投稿します。なにぶん浅学者なので至らぬ点はご容赦を…

>  とにかく、米艦隊の主力が真珠湾にいる以上
> (空母が出払っているかどうかは別の問題)、真珠湾を開戦劈頭にたたくのは
> 理にかなった最善の作戦であり、これ以上の作戦はあり得なかったと思います。

 確かに、山本長官が日本の国力の限界を痛感していた以上、たとえ大博打であっても作戦を強行したのは、理解できます。

 ただ、軍備が「敵の来寇を迎撃し、一大決戦(艦隊戦)によって敵を撃滅する」という作戦方針に則って進められていたことを考えると、「大和・武蔵(可能であれば大和型4隻)の戦力化までの時間を稼ぎ、一大決戦に持ち込む」ほうが良かったのでは?と考えますがいかがでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : k-mine  ■日付 : 02/10/13(日) 20:24  -------------------------------------------------------------------------
   >  ただ、軍備が「敵の来寇を迎撃し、一大決戦(艦隊戦)によって敵を撃滅する」という作戦方針に則って進められていたことを考えると、「大和・武蔵(可能であれば大和型4隻)の戦力化までの時間を稼ぎ、一大決戦に持ち込む」ほうが良かったのでは?と考えますがいかがでしょうか?

 そもそも真珠湾作戦が立案されたのは、「一大決戦では負けてしまう」からだったそうです。仮想敵国がアメリカになって以来、兵棋演習では何度やっても「アメリカの勝ち」(実際は大勢が決したところで「中止」となり「引き分け」で終了となったそうです)になってしまうので乾坤一擲一発逆転の志で真珠湾作戦になったのです。
 つまり、上記にある日本の対米戦略自体が現実的ではなくなっていたのです。さりとて、名案があるわけでもなくだらだらと国力を超えた軍備にいそしんでいた、というわけです。なんだか財政的に破綻に向かってるのにだらだらと高速道路作りにいそしんでいるどこかの国と同じですね。
 ちなみに、仮に大和型が完成し戦力化するまで時を稼いでも、彼我の戦力差は時がたてばたつほど大きくなってしまうことをお忘れなきよう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : dg  ■日付 : 02/10/15(火) 16:40  -------------------------------------------------------------------------
   真珠湾攻撃の構想が生まれた時点では,いまだ日米交渉が行われていました.
また,日本の正貨は底をついていましたね(1940年度末・日銀による)
石油の備蓄については,陸海軍ともに極秘扱いで,少なめにしか報告しない.
で,米英が,日独切り離しのために,三国同盟からの離脱を要求しているが,
日本は,頑として承諾しない.

南方資源取得問題では,仏・オランダともに亡命政府となっていたわけで,
経済封鎖に対して,代金を第三国金融機関に供託し,なかば強引に買いつける
方法もあっただろうに,仏印進出・という,あまりよくない選択をした.

では,戦争をやる気満々だったのかといえば,そうでもなさそうで,
例えばハルノートなどは極秘扱いされた.
「なんだ,この程度の譲歩で無茶な戦争が回避できるのか」という判断
を恐れた気配が濃厚なわけですね.
そして,対英米戦ともなれば,陸軍に出来る仕事は限られるから,
陸軍としては,海軍が「対米戦に勝てる見こみはありません」と答えるのを
期待していたらしい.

中国への進攻作戦を指導した軍部官僚が,己の無謬性にこだわり,
海軍予算削減を恐れた海軍首脳が,対米戦をきっぱり否定できずに
だらだらと戦争に向かい,あげくの果ては,
「シナを1ヶ月で片付けるはずが何年も解決せず.太平洋はシナよりも
何倍も広い」と理解していたはずのTOPが,最後には承諾してしまう.

なんか,こう,めちゃくちゃな心理状態が渦巻いていたんじゃないか・
と思うことがあります.

であるなら,真珠湾作戦は,打ち上げ花火としては,良く出来た芸
だとも思いますね.
真面目に国益を考えた末の行動というよりも,軍の権威・を優先したような.

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 対馬 拓海  ■日付 : 02/10/15(火) 20:57  -------------------------------------------------------------------------
   > 真珠湾攻撃の構想が生まれた時点では,いまだ日米交渉が行われていました.
> また,日本の正貨は底をついていましたね(1940年度末・日銀による)
> 石油の備蓄については,陸海軍ともに極秘扱いで,少なめにしか報告しない.
> で,米英が,日独切り離しのために,三国同盟からの離脱を要求しているが,
> 日本は,頑として承諾しない.>
> 南方資源取得問題では,仏・オランダともに亡命政府となっていたわけで,
> 経済封鎖に対して,代金を第三国金融機関に供託し,なかば強引に買いつける
> 方法もあっただろうに,仏印進出・という,あまりよくない選択をした.
> では,戦争をやる気満々だったのかといえば,そうでもなさそうで,
> 例えばハルノートなどは極秘扱いされた.
> 「なんだ,この程度の譲歩で無茶な戦争が回避できるのか」という判断
> を恐れた気配が濃厚なわけですね.
> そして,対英米戦ともなれば,陸軍に出来る仕事は限られるから,
> 陸軍としては,海軍が「対米戦に勝てる見こみはありません」と答えるのを
> 期待していたらしい.

 教えて頂いてありがとうございます。そういう手もありますね(代金〜)。
 昔から「陸軍は、米国と開戦を主張しているが、『開戦したあと何をする
つもりだったのか』」という点が大変疑問だったので、大変勉強になりました。

> 中国への進攻作戦を指導した軍部官僚が,己の無謬性にこだわり,
> 海軍予算削減を恐れた海軍首脳が,対米戦をきっぱり否定できずに
> だらだらと戦争に向かい,あげくの果ては,
> 「シナを1ヶ月で片付けるはずが何年も解決せず.太平洋はシナよりも
> 何倍も広い」と理解していたはずのTOPが,最後には承諾してしまう.
> なんか,こう,めちゃくちゃな心理状態が渦巻いていたんじゃないか・
> と思うことがあります.
> であるなら,真珠湾作戦は,打ち上げ花火としては,良く出来た芸
> だとも思いますね.
> 真面目に国益を考えた末の行動というよりも,軍の権威・を優先したような.

 そうですね。その辺りのメンツにこだわらない政治ができたなら、
そもそも対米開戦は避けられたのでしょうね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 対馬 拓海  ■日付 : 02/10/15(火) 20:52  -------------------------------------------------------------------------
   >  はじめて投稿します。なにぶん浅学者なので至らぬ点はご容赦を…
>
> >  とにかく、米艦隊の主力が真珠湾にいる以上
> > (空母が出払っているかどうかは別の問題)、真珠湾を開戦劈頭にたたくのは
> > 理にかなった最善の作戦であり、これ以上の作戦はあり得なかったと思います。
>
>  確かに、山本長官が日本の国力の限界を痛感していた以上、たとえ大博打であっても作戦を強行したのは、理解できます。
>
>  ただ、軍備が「敵の来寇を迎撃し、一大決戦(艦隊戦)によって敵を撃滅する」という作戦方針に則って進められていたことを考えると、「大和・武蔵(可能であれば大和型4隻)の戦力化までの時間を稼ぎ、一大決戦に持ち込む」ほうが良かったのでは?と考えますがいかがでしょうか?

 軍備については、僕も同感です。真珠湾奇襲の成功は、よく言われているように「戦争を航空機だけのものとした」という意味では、「既存の軍備の無力化(戦艦や水雷戦隊の使い道が限定された)」というデメリットを生んだという側面もあるかと。
 艦隊決戦を行っていたなら、「敵艦隊がマーシャルに出てきてくれるなら」大きな打撃を与えられる可能性はあったと思います。出てくれば、なのですが……。
 なお、大和型4隻が完成するのは、多分昭和23年ぐらいだと思います。その頃には、日本海軍の戦力は米軍の3割ぐらいになっていたと思うので、難しいと思いますよ。
 艦隊決戦でも、モンタナ級が2隻でかかれば、大和を沈め得ると思うので。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 対馬 拓海  ■日付 : 02/10/15(火) 20:47  -------------------------------------------------------------------------
   >  しかし、山本や宇垣が望んでいた本当の真珠湾奇襲の目的は、戦艦、空母を含む米艦隊を完膚無きまでに叩きのめし、ハワイの基地としての機能を完全に喪失せしめることにありました。この意味では、南雲が挙げた戦果に対する評価は50点から60点の間くらいと考えられますが、GF首脳部のホンネは機動部隊上層部とのコミュニケーションにおいては伝達されていませんから、やはり真珠湾奇襲は大本営の戦争指導上の観点から見て、大成功だったことになるわけです。この点は、捷号作戦前のマニラにおける神大佐と小柳2F参謀長、大谷作戦参謀との打ち合わせにおいて、GFの作戦目的が徹底されないままに終わったことと似ていると思います(小柳・大谷の突入拒否のための策略だったとの見解もありますが)。

 なるほど。空母がいたなら、80点ぐらいにはなったのでしょうね。なお、第2次攻撃で「基地施設や重油タンクを攻撃していれば」という意見をたまに耳にしますが、基地施設を叩いても、米本国からの物資で修理されてしまった気がします。
 また、重油タンクは「爆撃で簡単に火は付かない」とか、「地上にあるタンクはダミーであり、重油は地下タンクに貯蔵されていた」という意見を見たことがあります。真偽のほどはわからないのですが……。

>  とにかく、米艦隊の主力が真珠湾にいる以上(空母が出払っているかどうかは別の問題)、真珠湾を開戦劈頭にたたくのは理にかなった最善の作戦であり、これ以上の作戦はあり得なかったと思います。

 一理も二里も(変な日本語で申し訳ないです)あるご意見だと思います。出撃した艦隊を補足するより、基地にいる所を叩いたほうが、足止めとしては確実でしょう。
 奇襲が成功すれば、という点では疑問がなくもないのですが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 和泉八雲  ■日付 : 02/10/13(日) 20:11  -------------------------------------------------------------------------
   初めて投稿します和泉と申します。

真珠湾攻撃を南雲機動部隊がしていなかったと仮定します。
南方作戦は史実道理行われます。
これは資源地帯の確保という点からみても確実に行われなければなりません。

結果史実道理フィリピンの米軍の孤立になります。
そうするとアメリカ太平洋艦隊は、戦前からの策定した計画に基づき
救援のため出動 
戦前の策定どおりの連合艦隊の迎撃
マーシャル沖海戦の生起
この結果考えられるのは
1日本側大勝
2日米ともに損害を与えた上の引き分け(米側が撤退を選択するほどの損害ありを条件)
3米側大勝

3の場合はその時点で戦争の行方が決まります。
2の場合米側は大西洋艦隊の回航および巨大な修理能力により残存艦艇の修理
翻って日本は彼の国に対して貧弱な修理能力により残存艦艇の修理等が間に合わない
内に米側の再度侵攻が行われる戦力差は米側有利、日本敗北の可能性が高くフィリピン開放その後は史実のレイテ以後と変わらない結果。(しかも、日本側は損傷艦艇多数のためソロモン海域までいけない可能性が高いです)
1の場合は真珠湾の戦果とそう変わらないため(一方的な多数の米空母の撃沈が出来れば少しは違うかも)以後の戦史も史実に近い推移になる。

また真珠湾攻撃は事前の偵察やスパイ情報、また宣戦布告と同時の攻撃(まあ宣戦布告は遅れたが)によりなんの戦果も得れないままの損害を受ける可能性は低い。

結論としては、真珠湾攻撃をしなかったときの決戦敗北戦争終了の危険性に比べれば、したほうがよく、よって史実でもしたということだと僕は思っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 対馬 拓海  ■日付 : 02/10/15(火) 21:02  -------------------------------------------------------------------------
   > 真珠湾攻撃を南雲機動部隊がしていなかったと仮定します。
> 南方作戦は史実道理行われます。
> これは資源地帯の確保という点からみても確実に行われなければなりません。
>
> 結果史実道理フィリピンの米軍の孤立になります。
> そうするとアメリカ太平洋艦隊は、戦前からの策定した計画に基づき
> 救援のため出動 
> 戦前の策定どおりの連合艦隊の迎撃
> マーシャル沖海戦の生起
> この結果考えられるのは
> 1日本側大勝
> 2日米ともに損害を与えた上の引き分け(米側が撤退を選択するほどの損害ありを条件)
> 3米側大勝
>
> 3の場合はその時点で戦争の行方が決まります。
> 2の場合米側は大西洋艦隊の回航および巨大な修理能力により残存艦艇の修理
> 翻って日本は彼の国に対して貧弱な修理能力により残存艦艇の修理等が間に合わない
> 内に米側の再度侵攻が行われる戦力差は米側有利、日本敗北の可能性が高くフィリピン開放その後は史実のレイテ以後と変わらない結果。(しかも、日本側は損傷艦艇多数のためソロモン海域までいけない可能性が高いです)
> 1の場合は真珠湾の戦果とそう変わらないため(一方的な多数の米空母の撃沈が出来れば少しは違うかも)以後の戦史も史実に近い推移になる。
> また真珠湾攻撃は事前の偵察やスパイ情報、また宣戦布告と同時の攻撃(まあ宣戦布告は遅れたが)によりなんの戦果も得れないままの損害を受ける可能性は低い。
> 結論としては、真珠湾攻撃をしなかったときの決戦敗北戦争終了の危険性に比べれば、したほうがよく、よって史実でもしたということだと僕は思っています。

 どうも、カキコありがとうございます。「決戦の敗北を考え、一か八か」の奇襲を行ったのでしょうね。決戦の結果については、考察してみたいところです(今日は時間がないので、後日考えてみます)。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 山家  ■日付 : 02/10/14(月) 21:41  -------------------------------------------------------------------------
    ややずれた話しで申し訳ありません。またAns.Qにも、過去に書き込んだことがあり、気が大変引ける話題ですが。

 そもそも真珠湾空襲に軍令部等が大反対したのは、在布哇の航空部隊により、第一航空艦隊が真珠湾空襲以前に発見される可能性が極めて高く、先制攻撃を受けないまでも奇襲は極めて困難で、戦果の見込みが極めて乏しい強襲を行わざるを得なくなる可能性が大であり、またそうなった場合、味方の基地から遠く離れた第一航空艦隊が、在布哇の航空部隊により大損害を受けると考えられていたことがあったと思います。実際、米国では、ヤーネル提督やキング提督が真珠湾が日本空母部隊による空襲に如何に脆弱かを演習で1930年代初頭から実証しており、またキンメル提督の前任者のリチャードソン提督が米国太平洋艦隊の主力をサンディエゴから真珠湾に移動させるのに反対した理由が、日本海軍が真珠湾に在泊する米国太平洋艦隊に空母部隊による奇襲攻撃を行う危険性が高いことが一因だったと思います。実際に、英海軍は真珠湾空襲以前に伊のタラント港に空母部隊による空襲を行い、伊海軍に大打撃を与えています。

 それらを考え合わせるとき、キンメル提督等の在布哇の米国軍人の1941年末の判断に重大な疑問を覚えてしょうがないのです。1941年11月の時点で、米国は日本が対米開戦に踏み切る可能性が極めて大であるとして警報を発しています。もし、私がキンメル提督なら、その警報を受け取ったら、すぐに在布哇の航空部隊による哨戒活動をすぐに実施します。1930年代初頭から日本海軍が空母部隊による真珠湾空襲を行う危険性があることは警告されていたいたのです。それなのに哨戒活動は実施されていません。練度等はともかくとして、1941年12月に布哇に展開していた航空戦力は、後のミッドウェー海戦時にミッドウェーに展開していた航空戦力よりも量的には明らかに多かったと思います。もし、哨戒活動を行えば、第一航空艦隊は真珠湾空襲以前に発見されていたでしょう。

 そして、上記のことを考えると、真珠湾攻撃を日本が行わなかった可能性は極めて大であると私には思えてなりません。1941年当時、日本海軍は空母部隊の威力を既に認識していました。それなのに、何故、在布哇の航空戦力により、貴重な空母部隊の戦力が磨り潰されかねない真珠湾空襲を行わねばならないのでしょうか。史実では成功している、と反論されるでしょうが、私には在布哇の米国軍人の敢えて言えば怠慢が背景にあると思えてならないのです。

 その場合、幻となった開戦初頭の連合艦隊対米国太平洋艦隊の艦隊決戦が、事前の想定よりかなりずれたものかもしれませんが行われた可能性がかなりあると思いますが、如何でしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 対馬 拓海  ■日付 : 02/10/15(火) 21:09  -------------------------------------------------------------------------
   >  そして、上記のことを考えると、真珠湾攻撃を日本が行わなかった可能性は極めて大であると私には思えてなりません。1941年当時、日本海軍は空母部隊の威力を既に認識していました。それなのに、何故、在布哇の航空戦力により、貴重な空母部隊の戦力が磨り潰されかねない真珠湾空襲を行わねばならないのでしょうか。史実では成功している、と反論されるでしょうが、私には在布哇の米国軍人の敢えて言えば怠慢が背景にあると思えてならないのです。
>
>  その場合、幻となった開戦初頭の連合艦隊対米国太平洋艦隊の艦隊決戦が、事前の想定よりかなりずれたものかもしれませんが行われた可能性がかなりあると思いますが、如何でしょうか。

 米軍がそこまで先見性があるという仮定であれば「艦隊決戦を行うか」という辺りで、疑問があります。というのは、「時間を稼げば稼ぐほど」米国有利なのは、誰の目にも明らかであり、米国の立場から考えれば、日本艦隊の二倍程度の戦力が整ってから決戦すれば、間違いなく勝てるでしょうから。フィリピンの陥落に対しての世論の紛糾度にもよりますが……。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 山家  ■日付 : 02/10/17(木) 20:31  -------------------------------------------------------------------------
   >  米軍がそこまで先見性があるという仮定であれば「艦隊決戦を行うか」という辺りで、疑問があります。というのは、「時間を稼げば稼ぐほど」米国有利なのは、誰の目にも明らかであり、米国の立場から考えれば、日本艦隊の二倍程度の戦力が整ってから決戦すれば、間違いなく勝てるでしょうから。フィリピンの陥落に対しての世論の紛糾度にもよりますが……。

 そこまで先見性があるという仮定が、「艦隊決戦を行うか」という点であると考えて以下述べます。

 史実では太平洋艦隊は、フィリピン救援作戦を実施しませんでしたが、それは真珠湾空襲により太平洋艦隊が大打撃を受けたために行われなかったのでは、と私は考えています。真珠湾空襲が行われなかった場合、太平洋艦隊は健在です。そして、独伊の海軍は英海軍だけで戦艦、空母といったいわゆる主力艦は手一杯です。独のUボートの脅威があるではないか、と言われるでしょうが、Uボートの脅威に必要なのは駆逐艦等の対潜艦艇です。史実でも、太平洋艦隊が大打撃を受けたためだとも思いますが、大西洋艦隊から、戦艦等の回航が太平洋艦隊に対して行われています。それを思うと、真珠湾空襲が行われなかった場合、太平洋艦隊が一切フィリピン救援の作戦を行わなかったとは、到底思えません。米国領であるフィリピンが危険にさらされているのに、何故、米太平洋艦隊が健在なのに座視しているのでしょうか。真珠湾空襲の危険性を、キンメル提督等の太平洋艦隊司令部が無視したのは、日本海軍に対する軽侮があったと聞いています。場合によっては、大西洋艦隊からの増援が無くても、米太平洋艦隊はフィリピン救援作戦を行うのではないでしょうか。

 最も、ジュットランド海戦の経緯等から考えても、日本海軍が期待していたような、一回の海戦で戦争の帰趨を決めるような艦隊決戦が行われたか、ということについては、私も疑問があります。ある程度の損害(1,2隻の戦艦が沈没するか、大破した段階)を、どちらかが受けた時点で、損害を受けた側が退却してしまい、艦隊決戦にはならなかったのでは、と私は考えます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 対馬 拓海  ■日付 : 02/10/21(月) 21:46  -------------------------------------------------------------------------
   >それを思うと、真珠湾空襲が行われなかった場合、太平洋艦隊が一切フィリピン救援の作戦を行わなかったとは、到底思えません。米国領であるフィリピンが危険にさらされているのに、何故、米太平洋艦隊が健在なのに座視しているのでしょうか。真珠湾空襲の危険性を、キンメル提督等の太平洋艦隊司令部が無視したのは、日本海軍に対する軽侮があったと聞いています。場合によっては、大西洋艦隊からの増援が無くても、米太平洋艦隊はフィリピン救援作戦を行うのではないでしょうか。

 なるほど。仮に兵力不足だと思っていたとしても、「やらなくちゃいけない」作戦に
なったのでしょうね。

> 最も、ジュットランド海戦の経緯等から考えても、日本海軍が期待していたような、一回の海戦で戦争の帰趨を決めるような艦隊決戦が行われたか、ということについては、私も疑問があります。ある程度の損害(1,2隻の戦艦が沈没するか、大破した段階)を、どちらかが受けた時点で、損害を受けた側が退却してしまい、艦隊決戦にはならなかったのでは、と私は考えます。

 これについては、フィリピン救援であれば、米海軍は兵力の小出しをしないで
しょうから、全力での艦隊決戦になったのではないでしょうか。
 で、決戦が昭和16〜17年初頭に行われたのだとすれば、優勢な母艦航空兵力
(マーシャルで決戦したなら、日本側はマーシャル・トラックの基地航空兵力も戦力に
できるでしょうし)を持つ日本機動部隊が、何の活躍もしないとは考えられません。
 決戦の前哨戦となる空母戦で、米空母はおそらく壊滅的打撃を受け、その段階でも
日本空母は何隻か健在でしょうから、米主力戦艦部隊を索敵し、航空兵力で足止め
すれば、艦隊決戦に持ち込めたのではないでしょうか。
 演習では引き分けか日本敗北とのことですが、航空・水雷とも日本側が優勢であり、
練度においても互角かそれ以上でしょうから、最初の決戦では圧勝できたのではない
かと思っているのですが。もちろん、ミッドウェーのようなイレギュラーなミスが、
日本側に多発すれば、日本敗北もあったでしょうが、最初の作戦で、しかも迎撃艦隊
決戦であれば、何十年も研究してきたことですから、そうそう迂闊な作戦は立てない
のではないかと思っております(真珠湾に近い機密保持をするでしょうし)。 

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ジュットランドの戦訓  ■名前 : まなかじ <ZUN01214@nifty.ne.jp>  ■日付 : 02/10/21(月) 23:36  -------------------------------------------------------------------------
   この海戦のキモは、大落角砲弾の威力とか、射撃精度の重要性とかいうよりも、
「決戦意図のない(なくした)敵艦隊に決戦強要することの困難」
でしょう。
少々誤解があるように見受けられますが、ジュットランド海戦は英独両軍とも、そのグランドフリートとホッホゼーフロッテの出撃可能なほぼ全ての超ド級戦艦・ド級戦艦・前ド級戦艦・巡洋戦艦・装甲巡洋艦・軽巡洋艦・防護巡洋艦・駆逐艦・潜水艦を投入した一大決戦になるはずの戦いでした。
まさに両軍総力を挙げての出撃です。
しかし、前衛の巡洋戦艦部隊は激しく戦いましたが、主力部隊はドイツ側が劣勢兵力での決戦を嫌って退却に移り、夜通しの追撃戦で巡洋艦や前ド級戦艦が何隻か沈みましたが、結局竜頭蛇尾に終わっています。
いったん退却を決意したドイツ艦隊を追撃捕捉することが、世界最大最強のグランドフリートの全力を投入してもできなかった、というのがたいへん重要なポイントです。
かといって無理な追撃をすれば、相手は十分な反撃能力を持っているのですからたちまち逆襲を食ってしまいます(英軍の装甲巡洋艦はこれで沈んでます)

これを避けるには、相手がやる気のあるうちに「瞬時に」これを撃滅する必要がありますが、それは漸減作戦ではどうも成立しそうにないですね。
日本艦隊に勝目が見える状態にまで米艦隊を打ち減らしてしまうと、決戦にならなくなってしまうかもしれない。
米艦隊司令部のフィリピン救援への気合と根性が、艦艇損害に対する理性を上回らなければ、決戦にはならないというわけです。
また、米軍有利に戦況が進めば、日本はその優速を利して戦場離脱を図るでしょう。

日本海海戦が決戦になり得たのは、ロシア艦隊に進退の自由がなかったからだともいえます。
彼らに選べたのはウラジオストックへのルートくらいのもので、後戻りもやりなおしもできない状況でとにかくウラジオストックに入らねばならないという制約が、日本艦隊に完全勝利の機会を与えたのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:ジュットランドの戦訓  ■名前 : タカ二飛曹  ■日付 : 02/10/22(火) 16:17  -------------------------------------------------------------------------
   > 日本艦隊に勝目が見える状態にまで米艦隊を打ち減らしてしまうと、決戦にならなくなってしまうかもしれない。
> 米艦隊司令部のフィリピン救援への気合と根性が、艦艇損害に対する理性を上回らなければ、決戦にはならないというわけです。
> また、米軍有利に戦況が進めば、日本はその優速を利して戦場離脱を図るでしょう。

同感です。
真珠湾攻撃が無ければ、米太平洋艦隊が出撃してくる可能性は高いと思います。
しかし、緒戦の航空戦で米空母戦力が打撃を受けた段階で退却してしまい、決戦は成立しないと思います。
まず、その段階で水上部隊が追撃できる距離ではないでしょう。
それを追撃できるのは空母機動部隊だけだと思いますが、それにしても壊滅的な被害は与えられないと思います。
シブヤン海海戦での米航空戦力と栗田艦隊の被害を見ても明らかでしょう。
戦艦5、巡12、駆15の栗田艦隊は「気合と根性」で進撃を続けていたにもかかわらず、延べ200機以上の波状攻撃を受けて航空攻撃による沈没は武蔵と藤波だけです。(高雄、妙高は大破。愛宕、摩耶は潜水艦により撃沈。)

緒戦の航空戦で基地航空戦力も空母航空戦力もある程度消耗するでしょうし、損害を与ええたとしても決して真珠湾と同等のものにはならないと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 和泉八雲  ■日付 : 02/10/15(火) 22:27  -------------------------------------------------------------------------
   >  ややずれた話しで申し訳ありません。またAns.Qにも、過去に書き込んだことがあり、気が大変引ける話題ですが。
>
>  そもそも真珠湾空襲に軍令部等が大反対したのは、在布哇の航空部隊により、第一航空艦隊が真珠湾空襲以前に発見される可能性が極めて高く、先制攻撃を受けないまでも奇襲は極めて困難で、戦果の見込みが極めて乏しい強襲を行わざるを得なくなる可能性が大であり、またそうなった場合、味方の基地から遠く離れた第一航空艦隊が、在布哇の航空部隊により大損害を受けると考えられていたことがあったと思います。実際、米国では、ヤーネル提督やキング提督が真珠湾が日本空母部隊による空襲に如何に脆弱かを演習で1930年代初頭から実証しており、またキンメル提督の前任者のリチャードソン提督が米国太平洋艦隊の主力をサンディエゴから真珠湾に移動させるのに反対した理由が、日本海軍が真珠湾に在泊する米国太平洋艦隊に空母部隊による奇襲攻撃を行う危険性が高いことが一因だったと思います。実際に、英海軍は真珠湾空襲以前に伊のタラント港に空母部隊による空襲を行い、伊海軍に大打撃を与えています。
>
>  それらを考え合わせるとき、キンメル提督等の在布哇の米国軍人の1941年末の判断に重大な疑問を覚えてしょうがないのです。1941年11月の時点で、米国は日本が対米開戦に踏み切る可能性が極めて大であるとして警報を発しています。もし、私がキンメル提督なら、その警報を受け取ったら、すぐに在布哇の航空部隊による哨戒活動をすぐに実施します。1930年代初頭から日本海軍が空母部隊による真珠湾空襲を行う危険性があることは警告されていたいたのです。それなのに哨戒活動は実施されていません。練度等はともかくとして、1941年12月に布哇に展開していた航空戦力は、後のミッドウェー海戦時にミッドウェーに展開していた航空戦力よりも量的には明らかに多かったと思います。もし、哨戒活動を行えば、第一航空艦隊は真珠湾空襲以前に発見されていたでしょう。

航空機の威力についての認識は航空機部隊運用者側と戦艦部隊運用側との温度差があるように思われます。
タラントの場合は停泊艦艇であり、戦闘航海中ではないというのが戦艦運用者の念頭に
あるように思われます。航空優勢の実証はマレー沖海戦であるからこの時点まで両国とも必要以上の脅威を感じていなかったのではないでしょうか。
よって確実な戦果を航空機で得るなら、戦闘実証のある在泊時を狙うべきです。

また、空襲以前(攻撃隊発艦後、明け方発艦なので発見されているとは考えにくい)に発見されたとしても、すぐさま攻撃を受けるわけではないと思います。
爆弾の装着、魚雷の装着などがあり、まとまった攻撃隊を出すためには時間がかかります。
たとえ迎撃をうけたとしても、湾港施設や艦艇等に対してすぐさまフィリピン開放のための艦隊を出動できない程度の戦果をあげられると思います。
でその戦果は、艦隊決戦時より上であると判断して実行したのだと僕は思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 山家  ■日付 : 02/10/16(水) 21:38  -------------------------------------------------------------------------
    ミッドウェー海戦のとき、南雲艦隊は、ミッドウェー島から約700海里の地点で、ミッドウェーからの哨戒機に発見されていたと思います。もし、在ハワイの航空部隊を哨戒に積極的に使用していたら、ミッドウェー海戦時とほぼ同様の距離で、第一航空艦隊は発見されたと思います。

 もし、このときに発見されていたら、米太平洋艦隊は速やかに真珠湾から出港するのではないでしょうか。真珠湾に在泊したままでは危険なのは、和泉さまのいわれるとおりです。そして、宣戦布告以前である以上、日本は米国の哨戒機は攻撃できませんし、哨戒機の打電を止められません。百歩譲って哨戒機を攻撃しても、日本艦隊見ゆ、と打電された後では無意味ですし、打電以前での攻撃、撃墜に成功しても、在ハワイの米軍部隊は哨戒機が帰還しないことで、救難活動等を行おうとし、それは第一航空艦隊の発見に繋がります。それは、まだ第一航空艦隊がハワイに空襲を掛けられる距離よりも離れた地点なのです。

 従って、そうなった場合、真珠湾から米太平洋艦隊は出港していることになり、更に在ハワイの戦闘機による上空支援も期待できます。とても史実のような大戦果を挙げられるとは思われません。それに、在ハワイの爆撃機による空襲も、第一航空艦隊に加えられることになります。これにハワイ近海にいた2隻の米空母の航空隊も加わります。やはりリスクの方が大きすぎる作戦ではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 対馬 拓海  ■日付 : 02/10/21(月) 21:55  -------------------------------------------------------------------------
   >  従って、そうなった場合、真珠湾から米太平洋艦隊は出港していることになり、更に在ハワイの戦闘機による上空支援も期待できます。とても史実のような大戦果を挙げられるとは思われません。それに、在ハワイの爆撃機による空襲も、第一航空艦隊に加えられることになります。これにハワイ近海にいた2隻の米空母の航空隊も加わります。やはりリスクの方が大きすぎる作戦ではないでしょうか。

 同感です。結果として成功していますが、失敗する確率は高い作戦だったと思います。
開戦当初の米海軍の実状(艦隊航空兵力と、水雷戦力で日本優勢。戦艦部隊も、日本側は
全艦近代化改装済みの上、大和の存在もある)をよく知っていたなら、艦隊決戦に持ち
込んでいたのではないでしょうか。
 やはり南方資源地帯を押さえる間に、敵主力が出撃してくる確証がないことで、
「寝込みを襲う」作戦をとった気もします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 和泉八雲  ■日付 : 02/10/23(水) 0:15  -------------------------------------------------------------------------
   山家さま、僕の拙文への丁寧なご返答ありがとうありがとうございます。

ばくらの基本認識の共有のためすこしばかり駄文を書かさせてもらいます。

1つめぼくらは戦史を見るとき神の視点である。ようはなにが最善かを知ることができるが
当時の人はそれをしらないために戦闘実証でもって対処する。(いまでもそうですね)

2つめメリット、デメリットへの重視する点の各人の違い
真珠湾奇襲へのメリット、デメリット
真珠湾奇襲をせず艦隊決戦をしたときのメリット、デメリット
上記以外の状況へのメリット、デメリット

こんなところですね。それ以外があるときはいってきてくださいね。

ではぼくが真珠湾奇襲作戦はしないときにくらべておこなった際、勝る点は
イニチアシブを取れる、拠点をたたくことで南方作戦の時間が稼げる。
デメリットは
空母群の全滅による作戦の齟齬。

真珠湾奇襲をしない際のメリットは
空母群を無用の危険にさらさない、侵攻艦隊を撃滅すれば人的損失をあたるため早期の回復が難しい。
デメリットは
太平洋艦隊が健在のため、相手に作戦の幅をあたえる。(ようは侵攻する時期をいつでもできる)

上記以外の状況の場合は不確定要素が多いですが、中部太平洋等の侵攻作戦がとられたら
消耗戦になってあまりメリットない気がします。

おおまかですが、こんなところだと思います。

でぼくは真珠湾奇襲の場合のデメリットは、開戦をいつにできるかのイニチアシブがあるために相手の迎撃を受けがたくしていることで防げると思うのです。

よく迎撃されたミッドウェー作戦が例になるのでこれを例にしてみます
ミッドウェー作戦は敵にいつ侵攻しているかの時期が察知されています。しかし、南雲艦隊は240海里で攻撃隊発進後に発見されます。(それ以前に600海里で上陸部隊第二水雷戦隊が上陸艦隊ごと発見されてますが、むしろ危険性はセイロン島攻撃時のほうが高いですね、360海里で南雲機動艦隊が発見される近辺には英機動艦隊あり)
これから得られるぼくの判断は拠点に対して攻撃側はいつ、どこから、どのように攻撃をかけられるかを選択できることによって常に迎撃側にたいして優位にたてるということです。
ミッドウェー(セイロン島もですが)これによる危険性の発生は、米軍が(英軍が)いつ頃攻撃されるかを正確に読んでいたということで発生したことに起因します。

それに対して真珠湾奇襲は南方作戦の諸作戦による影響や情報機密がたもられたことにより、いつ、どこから、どのようにということがわかりません。よっていつ来るかわからない以上周到な迎撃をおこなうことは難しいでしょう。(例開戦が11月下旬〜翌年4月のどの時期に行われるかわからない)
また、開戦時期などという重要な情報がもれるなら米艦隊迎撃もおよびつかないとおもわれます。

では真珠湾奇襲をおこなわなかったさいのデメリットの詳細な検討にはいらさせてもらいます。
南方作戦時に米艦隊がいつ来るかわからない以上本土に主力艦と空母群の半数程度は常に迎撃体制をとらなければなりません、また南方作戦への航空機の展開数にもある程度配慮しなければなりません。のちのインド洋作戦や珊瑚海海戦が行わないか、作戦艦艇の数に影響が出ていたとおもわれます。(ぎゃくにメリットかもしれませんが)ちょっと勝利(講和が)がおぼつかないようにぼくには思われます。
さらに、フィリピンの早期降伏を米軍が選んだときにはフィリピンという足枷がなくなるため、艦艇がそろうまでじっくりと待つなんて選択をとることもできると思われます。(まあ可能性ですが、その可能性のおかげで日本軍の行動選択支が少なくなると思われます)そうなったさいは18年以降の史実どおりでしょう。

艦隊決戦に敗れるリスクと真珠湾時の空母全滅のリスク自体はそう変わらないとおもわれます。
また艦隊ではなく湾港施設を破壊することでも敵迎撃時期をおそくできる(ようは3ヶ月なり4ヶ月あいては侵攻できないと確信できる)のでいる、いないはそう重要ではないとおもいます。

これは蛇足ですが、キンメル提督が濃密な哨戒をおこなわなかった理由をすこしばかり推察させてもらいます。
1開戦時期がわからないため長期間の平時における軍事費内での哨戒はかなりきびしくなる。
2レーダーがあるため大規模編隊の早期発見が可能(事実240キロで発見)で迎撃ができる。
3真珠湾自体が浅深度のため魚雷の使用が難しい。
4冬の北太平洋は荒れるため艦隊の航海は難しい。
5南方作戦に日本軍は空母を運用するであろうから(台湾、フィリピン間はこの時期の通常単発戦闘機の戦闘航続距離圏内ではない)、攻撃してきても実質開戦以降でないのか。

この時期、キンメル提督以外であっても真珠湾奇襲を完全に迎撃するのはかなり難しかったとおもわれます。(能力に応じた評価がされない点でかなり不運な提督のようにおもわれます。戦争では運不運がかなり重要かもしれませんが)

駄文におつきあいいたただきありがとうございます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 山家  ■日付 : 02/10/24(木) 22:17  -------------------------------------------------------------------------
    和泉八雲さま、大変詳細かつ丁寧なレスをありがとうございます。基本的に、和泉八雲さまのおしゃられることに、私も同意します。ただ、キンメル提督等の当時のハワイに駐留していた米軍の行動については、私はどうしても疑念を覚えてしょうがないのです。

 山本五十六連合艦隊司令長官やヤーネル提督が、日本空母部隊による真珠湾空襲構想を考え、リチャードソン提督が米太平洋艦隊主力を真珠湾に移動させることに反対したのは、1904年2月8日に行われた日本駆逐隊による旅順港襲撃が一因と聞いています。なお、日本が露に宣戦布告したのは2月10日です。つまり、日本海軍は、開戦へき頭の奇襲攻撃を、日露戦争で行い、それによって、戦争を優位に進めた経験が既にあるのです。従って、対米戦争においても、同様のことを行うのではないか、と警戒する方が、むしろ普通なのでは、と私には思えてならないのです。

 もう少し詳しく言いますと。日露戦争開戦時、旅順艦隊はほぼ日本の連合艦隊に匹敵する戦力を持っていました。これに対して、先制奇襲攻撃を加え、制海権を確保しようとする意図で、旅順艦隊に対する駆逐隊による夜襲が行われました。実際の戦果に対する評価はともかくとして、もし、同様のことを日本海軍が考えるとしたら、それはどこでしょうか、露太平洋艦隊の主力が集結していた旅順に匹敵するところは、どこでしょうか。もし、サン・ディエゴに米太平洋艦隊が集結したままでしたら、さすがに艦艇の航続距離や商船の航路等の関係から、日本海軍が襲撃を行うことは出来なかったでしょうが、それが、真珠湾でしたら、どうでしょうか。空母部隊による奇襲攻撃や大型潜水艦から発進した特殊潜水艇による襲撃は充分可能ではないでしょうか。実際に、史実ではそういったことが行われました。つまり、日露戦争時の旅順に匹敵する場所こそ、太平洋戦争時の真珠湾なのです。

 そして、当時、ハワイには飛行艇だけで80機余り、陸海軍全ての航空機をかき集めれば、300機余りが展開していたと聞いています。日露戦争時の日本海軍の行動を考えるならば、11月に警報が発せられた時点で、幾ら予算面等の制約があるとはいえ、何らかの哨戒活動等を活発に行うことは可能でしたし、そうすべきではないでしょうか。リチャードソン前司令官は、辞めさせられる前に、真珠湾は日本海軍の攻撃の前に脆弱である、と警告を発しているのです。その警告を聞いていながら、私の知る限り、特にハワイの米陸海軍は何らの対策を採ったようには思われません。

 以上のことを考える限り、私としては、どうしても当時の在ハワイの米陸海軍の判断・行動に疑念を覚えてしょうがないのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 錦単子  ■日付 : 02/10/15(火) 10:53  -------------------------------------------------------------------------
   いろいろな見方がありますが。
真珠湾攻撃が1941年12月8日に実行されない場合(フィリピン攻撃等含む)
米国の参戦は遅れる
又ドイツ軍のソ連戦線は撤退(失敗)が明確になり日本としても手が出し難い状況が色濃くなるが政治的緊張は継続しているのが日ソ戦開戦の方向もある。
この場合、米国はなんの手出しをしないとは考えられないが・・・新日本海海戦で大和、武蔵が大活躍てな処でどう?
まぁ仮想戦記ですがネ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:真珠湾攻撃を行わなかったら  ■名前 : 対馬 拓海  ■日付 : 02/10/15(火) 21:12  -------------------------------------------------------------------------
   > いろいろな見方がありますが。
> 真珠湾攻撃が1941年12月8日に実行されない場合(フィリピン攻撃等含む)
> 米国の参戦は遅れる
> 又ドイツ軍のソ連戦線は撤退(失敗)が明確になり日本としても手が出し難い状況が色濃くなるが政治的緊張は継続しているのが日ソ戦開戦の方向もある。

 そうですね。ハルノートに「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ」なら、あり得たかもしれないですね。ただ、日ソ戦で日本が勝利する可能性が絶無なところが、悲しいところですが。
 ヘタをすれば満州を奪われ、危機的状況に陥り、対米戦どころじゃなくなるのではないかと。

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