PART1 さて新しいシリーズは、予定を変更して内外の軍用機の保存に関する話題です。 前半は「忘れられた老兵達」として、日本の枯れた実状を 後半は「大空の名優達」と銘うって、諸外国の活きた実状を それぞれ述べてみたいと思います。 尚 このシリーズは雑誌「丸」96年1月号の、特集記事を参照しています。 日本においては過去の飛行機(特に大戦機)の保存となると、残念ながらお寒い としかいいようの無いのが現状ですね。 なんたって まず本格的な航空博物館がありません。 それと飛行可能な機体が一機も無い。(過去には存在した 後述参照) そもそも実機そのものが、数も種類も少ないうえに散在している。 ほんとうにひこうき(その中でも軍用機)フアンとしては、寂しいというか 肩身が狭い想いを強いられています。 まずはわが国の そのお寒い実状を、PART2にて2、3紹介いたします。 PART2 保存に関する本当に考えさせられる事例は、マダたくさんあるのでしょうが いくつか紹介します。 1.成田の航空博物館の件 かって日本テレビが中心となって、南洋諸島ヤップ島に残置されていた海軍の「彗星」 を数機日本に運び、復元した事があった。この機体を前出の博物館に寄贈する事 となったのですが、その結果は「ここには軍用機は展示しません」 との返答。 結局 靖国神社に奉納され、大切に保管展示されているそうです。 たとえ軍用機といえども、航空発展史上における科学的、文化的な遺産なのに。 軍用機=戦争に用いる兵器=反省の意味から展示しない という図式でしょうカ? 2.知覧平和会館の疾風の件 元来この機体は、戦後アメリカの私立博物館が入手し修理、復元して再飛行を実現 したもので、昭和48年に日本のオーナーパイロットが買い取り、日本に返って来ました。 ところが所有者の死去により、京都の嵐山美術館に買い取られたのですが、その 運搬のさいに ナント機体を切断してしまい!飛行不能になってしまいました。 それの美術館も閉鎖され 和歌山の会社に移り、その後の話は次回に続きます。 何故に飛行可能の機体をワザワザ切断するのでしょうか? コスト重視で後のことも考えないで・・・ そういう団体に買い取られたのが不運なのか? 3.博多湾で引き揚げられた九七式戦闘機の件 大刀洗平和記念館に保管、展示されることが決まったのはいいのですが、 その運搬方法は 主翼から前の部分と尾翼部分にナント ガスバーナーで二分割した! この機体の胴体は生産、運搬、補修に便利なように ボルト結合の二分割できる 構造になっているにもかかわらず・・・ おまけに機体展示のための場所さえ決まっておらず、プールで真水に浸したまま とか・・・ いくつかの候補地を押し退けて、譲ってもらいながら この有り様です。 まぁ ビニールシートに包まれたままで、放置されるよりもマシだけれど・・・ それにしても 日本人って「ひこうき」に関しては冷たい民族なのねエ・・・ 次回PART3は、先の「疾風」に関する話題です。 PART3 新聞報道(西日本新聞1月15日付け)によりますと 鹿児島県知覧町にある 知覧特攻平和会館が、和歌山県の観光開発会社から 旧陸軍四式戦闘機「疾風」を、購入しました。 昭和19年から終戦までに約3400機が生産され、戦時中の知覧基地には特攻機の 援護や誘導を主任務に40機が配備され、その中の4機が特攻に出撃したそうです。 米軍が戦時中に破損した疾風をフィリピンで接収し、戦後個人がに完全修復した この機体は、世界に一機しか残っていない貴重なもの という記事でした。 で、問題はこの機体の購入価格です。 ズバリ 一億三百万円(一億円プラス消費税カナ)也! さてさて この金額! 高いのカナ?安いのカナ? もしも飛べる状態だったら と思うと・・・ 次回は 国内現存機MAPの巻です。 PART4 今回は国内における軍用機の保存リストです。 名古屋 航空宇宙館 零戦32型 名古屋 三菱重工業航空機工場 零戦52甲型(非公開) 東京 科学博物館 輸送機室 零戦21型(複座改造型) 岐阜航空自衛隊 零式水上偵察機+秋水(共に老朽化) 浜松 〃 零戦52型 鹿屋 〃 (基地資料館) 零戦52型21型+52型丙(合体修復機) 岩国米軍基地(個人所有) 米海兵隊岩国航空基地 零戦52型(レプリカ) 和歌山 会社所有 零戦63型 愛媛 〃 紫電改 東京 靖国神社 遊就館 彗星12型 東京 船の科学館 二式大艇12型 鹿児島 知覧平和会館 飛燕2型改 〃 疾風 千葉 日本航空協会 剣 福岡 太刀洗平和記念館 97式戦闘機 河口湖自動車博物館館長の原田さんという方が所有している 零戦A6M2が2機、同52型が2機、93式中間練習機(レプリカ) なお最新のデーターでは無いので、訂正や追加があれば御協力願います。