輜重兵操典

第二篇 輓(駄)馬教練

通則
  1. 第二百十四
    輓(駄)馬教練の目的は指揮官以下を訓練して諸般の状況に応じ輸送、補給を完うし得しむるに在り
  2. 第二百十五
    兵は乗馬に在りては常歩、速足及駈足にて概ね正規の速度を以てする野外の机上及簡単なる障碍飛越に慣熟するを要す
  3. 第二百十六
    行進の速度は一分間常歩約八十六米、速足約百四十五米(単独乗馬に在りては約二百米)とす
    時宜により前項の速度を伸縮す
    徒歩にて車輌又は駄馬と共に運動するものは行進に方り正規の歩法に依ることなく且歩を揃ふるを要せず
第一章 各個教練
要則
  1. 第二百十七
    各個教練の目的は兵を訓練して輓(駄)馬の馭法其の他の動作に習熟せしめ部隊教練の確乎たる基礎を作るに在り
第一節 基本

第一款 不動の姿勢
  1. 第二百十八
    不動の姿勢を取らしむるには左の号令を下す
    • 「気を着け」
    兵は馬をして駐立姿勢を取らしめ且馬と車輌との方向を略々一致せしめ馬の頭の左側後に位置し右上膊を軽く体に接し右手を稍々右前にし牽韁を馬の口角より約十五糎の所にて食指を両韁の間に入れて握り左手は牽韁を輪形にして握り自然に垂る其の他は徒歩の場合に準じ不動の姿勢を取る
  2. 第二百十九
    休憩せしむるには「休め」の号令を下す兵は右手に執りたる牽韁を少しく伸ばし馬に自由を与え徒歩の場合に準じ休憩す

第二款 繋駕、脱駕
  1. 第二百二十
    繋駕せしむるには左の号令を下す
    • 「馬を繋け(つけ)」
    兵は馬を車輌の前に導き静かに繋駕す
  2. 第二百二十一
    脱駕せしむるには左の号令を下す
    • 「馬を解け(とけ)」
    兵は脱駕し不動の姿勢を取る

第三款 運動、各種地形の通過
  1. 第二百二十二
    常歩行進を為さしむるには左の号令を下す
    • 前へ進め」
    兵は前進の操作を為し直進す
  2. 第二百二十三
    停止せしむるには左の号令を下す
    • 分隊止れ」
    兵は停止の操作を為し徐ろに停止し不動の姿勢を取る
  3. 第二百二十四
    常歩行進間速歩に移らしむるには左の号令を下す
    • 速歩進め」
    兵は速歩に移る操作を為し速歩に移る
  4. 第二百二十五
    速歩行進間常歩に移らしむるには左の号令を下す
    • 常歩(なみあし)進め」
    兵は常歩に移る操作を為し常歩に移る
  5. 第二百二十六
    右(左)向行進を為さしむるには左の号令を下す
    • 右(左)へ進め」
    兵は回転の操作を為し約九十度右(左)に回転し続いて行進す
  6. 第二百二十七
    停止間旋回を為さしむるには左の号令を下す
    • 其の場に右(左)へ進め」 又は 「其の場に半輪(はんわ)に右(左)へ進め」
    兵は旋回の操作を為し約九十度又は約百八十度右(左)に旋回し不動の姿勢を取る
  7. 第二百二十八
    後退を為さしむるには左の号令を下す
    • 後(あと)へ進め」
    兵は後退の操作を為し後退す
  8. 第二百二十九
    兵は各種地形の通過に習熟するを要す
第二節 夜間の動作
  1. 第二百三十
    兵は夜暗に慣れ特に耳目を活動して静粛且確実に動作し得る如く慣熟するを要す
  2. 第二百三十一
    夜間の行進に在りては兵をして良く地形の状態を認識し安全なる部を選び馬を誘導するに慣れしめ又車馬及積載品の点検に習熟せしむ
  3. 第二百三十二
    夜間の行動を秘匿する為武装、馬装及積載を堅確にし且音響の発生を防止し記号に応ずる動作等に習熟せしめ妄りに音響を発せざる習慣を養成すること必要なり
第三節 戦闘
  1. 第二百三十三
    戦闘各個教練は兵をして迅速に車馬を処置し戦闘することに習熟せしむるを目的とす
  2. 第二百三十四
    兵をして戦闘準備(対空射撃準備)を整へしむるには左の号令を下す
    • 「戦闘準備集れ(対空射撃開け)」
    兵は直ちに附近の地形地物を利用して停止し馬の脚を縛り又は馬を地物等に繋ぎ銃を執る(以上の処置を為し約四十歩車馬より離れ所要の射撃姿勢を取る)
第四節 兵一般の心得
  1. 第二百三十五
    兵は軍人の本分を自覚して身命を君国に献げ戦勝獲得の一途に邁進すべし
  2. 第二百三十六
    兵は疲労の極に在りても黙々として困苦欠乏に堪へ烈々たる熱意を以て飽く迄其の責務を遂行すべし
  3. 第二百三十七
    戦闘激烈にして死傷続出し或は粉戦を惹起して命令徹底せざるか又は指揮官を失ふも兵は戦友相励まし益々勇奮率先其の任務に邁進すべし若し敵の重囲に陥り又は弾薬を射尽くしたるときは自己の銃剣に信頼し自若として事に当り縦ひ最後の一人となるも尚毅然として奮戦すべし凡て疑惧後退は敗滅に陥り勇猛果敢なる行動は常に勝利を得べきものなるを銘肝するを要す
  4. 第二百三十八
    兵は戦闘中負傷するも自ら応急の処置を施し百方手段を尽くして戦闘を続行すべし縦い戦闘に堪へざるに至るも後退すべからず然れども若し小隊長以上の指揮官より後退を命ぜられたるときは部隊装備の兵器、弾薬及資材を戦友に交付し小銃、銃剣、防毒面等は之を携帯して徐に退くものとす
  5. 第二百三十九
    兵は常に自ら進んで指揮官の掌握下に入ることに勉むべし所属部隊を離るるは特に命ぜられたる場合に限るものとす戦闘中命令を受けずして負傷者を介護、後送し或は任務遂行後の復帰遅緩するが如きは軍人の本分を傷つくるものなり
    兵若し所属部隊の所在を失ひたるときは直ちに最寄の部隊に合し速かに将校に届出て其の命令に従ふべし
  6. 第二百四十
    兵は剛胆にして耐忍に富み勇猛にして志気旺盛ならざるべからず戦場の惨状を誇張し或は自己の苦痛を訴へ又は状況を悲観セルが如き言動は厳に之を慎むべし
  7. 第二百四十一
    敵の飛行機、戦車、瓦斯等の急襲に対しても兵は命令又は規定に基き沈着冷静事に当るべし
  8. 第二百四十二
    敵は絶えず巧妙なる思想戦を以って我が軍の崩壊を企図すべし而も之が感知は通常困難なり故に兵は一意上官に信頼し只管其の責務に奮励すべし