この「綱領」は、作戦要務令、及び他の各兵種の操典にも共通するもので、違いは第11条のみ(作戦要務令にはなく、全11条になっている)。
これを以って陸軍の精神主義の象徴のように扱ってあげつらう例が後を絶たないが、まずこれは師団レベル以下の教科書にのみ附されていることに注意せねばならない。
つまり、これは「戦闘」に関して述べており、「戦争」に関して述べているわけではない。あくまで戦場において敵味方の部隊が衝突する場面について述べているのであり、これを以って陸軍全体の戦争指導にまで直結させるのは牽強付会と思われる。
第1条、戦場において速戦即決は当然である。
第2条、戦力の集中の原則について述べる。「訓練精到云々」に関して言えば、これは敵には物質的戦力しかない場合について述べている。こうした状況は実際の戦史にもよく見られることで、要するに見掛けの戦力だけを見て呑まれるなということが言いたいのである。
第3条、気合が抜けていては勝てるものも勝てない。これは戦争に限ったことではない。
第4条、軍隊の命令系統がてんでんばらばらでは勝ちようがない。
第5条、通信連絡が現代ほど整っていなかったことにも考慮する必要がある。また、これは本来戦場限りの原則であり、その限りにおいては全く正しいものである。満州事変やノモンハンでの関東軍、北部仏印進駐時の第五師団の如きは戦略的な状況に対してこれを適用したが、本来許されるべきことではない。この綱領第12条にもあるように、典範令を運用するのは人であるということを思うと、実に情けない。
第6条、攻撃精神は日本軍の性格から見て称揚されるのは当然であろう。要するにやる気満々にしておけということである。但し、寡を以って衆を制することを前面に打ち出したのは、ソ連と対峙していることを考えれば確かにどうしても止むを得ないことではあるが、いただけないこと夥しい。
第7条、諸兵種協同の原則について述べる。歩兵が軍の主兵であるとすることを時代遅れと見る向きもあるが、それは全くの勉強不足と言うしかない。米英独ソといえども陸軍の主兵は歩兵であると定義しているのである。問題は、日本軍には砲と戦車が圧倒的に「不足していた」ことにあるのであり、歩兵中心主義であったことにあるのではない。
第8条、これを見て補給軽視とする向きもあるようだが、作戦要務令第三部、及び実際の戦闘序列を見る限り、日本陸軍は補給を軽視してはいない。補給は頑張るけれども、間に合わないこともしょっちゅうあるだろう、そういうときでもそれを理由に戦闘を止めたり休んだりしてはならぬ、という程度の文ととるのが正答と思われる。
第9条、奇襲の原則について述べる。これはごくあたりまえのことしか言っておらず、多言を要すまい。
第10条、指揮官の心得について述べる。「為さざると遅疑するとは云々」に関しては、これがあまりに強調されすぎたために、第11条と相俟って、第7条の定めを軽視し、ないし無頓着な傾向が見られたのは非常に残念と言わねばならない。尤も、歩砲戦の協同とは言っても実際に砲兵と戦車が得られる場面は少なく、これを生かし活用することに歩兵将校が不慣れにならざるを得なかったことは付言しておく。
第11条、歩兵の心得について述べる。第10条でも触れたように、歩兵は自力のみで戦闘することが可能な兵種であるということが、砲兵と戦車の不足と相俟って日本軍の自滅的な戦術運用のひとつの原因となっていたことは否めない。また「弾薬、資材を節用し」のくだりは悲しいものがある。
第12条、典範令の運用方法について述べる。実際には、このような柔軟性はあまり見られることがなかった。暗記してそのとおりにやる方が陸士の採点が良かったからである。陸大においてはそういうことはなかったとされるが、これはこれで戦略単位と作戦戦術単位の区別がつかない参謀や将帥を生むことになる。実際のところ、日本軍においては軍司令官クラスの将帥の養成についてほぼ完全に失敗したと言えるだろう。そして、作戦規模の小さい陸軍であるがゆえに師団長クラスでも軍司令官レベルの決心を迫られることも多々あったことがこの弱点に拍車をかけることになる。