艦隊が出港して乗船した陸兵達が落ち着くひまも無く、突然インペリアルがコースから外れ、僚艦キンバリーやダイドー、オライオンとすんでのところでぶつかりそうになった。インペリアルはやがて停止し、他の艦艇は暗闇の先の中に姿を消してしまっていた。オライオン艦上のローリングスは直ちにホットスパーを派遣してインペリアルの救援と故障の原因を探りに行かせたが、そのホットスパーから返ってきたのは、インペリアルの操舵装置が作動不能となり、制御できないという思いもがけないものであった。
そう、昨夜にこうむった至近弾の影響により、ひそかにインペリアルの舵機構には異常が生じていたのである。
もし昨夜の段階ですぐにその異変が明らかになっていれば、あるいは自らもアレクサンドリアに帰るエイジャックスに曳かれて、暗闇に紛れて海域を脱出できていたかも知れない。しかし今や何もかもが遅すぎたし、なにより時間が無かった。この思わぬハプニングで既に時間を1時間も消費しており、そのことは艦隊が空襲圏内を離脱するまでの時間がその分かそれ以上に遅れることを意味した。
曳航など論外、航空攻撃の可能性が臨界にあるこの状況を鑑み、ローリングスはインペリアルの乗組員と乗船している陸兵にはホットスパーへの移乗と、そしてホットスパーにはインペリアルの船体の処分を命じたのである。
インペリアル艦長C・A・De・W・キットカット少佐にとっても、また捕獲を避けるためのインペリアルに止めをさす役となったホットスパーの艦長C・P・F・ブラウン少佐にとっても、これは断腸の思いだったに違いない。
インペリアルには舵の異常を除けば何も問題はなかったのであるから当然である。しかし「敗者は何も拾うことは出来ない」というのが撤退戦の厳しい宿命であった。6時50分、涙を呑んでホットスパーは介錯の魚雷を撃ち込み、インペリアルの船体は波間に消えていったのである。※1
悲しい役務を終えたホットスパーは速度を上げて先行した本隊のあとを追った。しかし、むしろホットスパーの真の試練はここから始まったのだ。何故ならホットスパーにはインペリアルの乗組員・乗船陸兵を収容したことで今や大量の人員を抱えており、それを無事にアレクサンドリアまで連れ帰ることこそが本来の任務であったからだ。
驚くなかれ、この時ホットスパーには900名近い陸兵が詰め込まれており、これにホットスパー自身の乗組員とインペリアルの乗組員を合計するなら、実に1000名をはるかに大きく上回る数(約1200名前後か)もの人間が、駆逐艦の狭い艦内にひしめき合っていたと思われている。
甲板上の兵士たちには、夜が明けたら、ホットスパーがカソス海峡に向けて単独で航行しているところを発見されるのは確実のように思えた。そうなったら最後、もし今このホットスパーまで撃沈されたなら、ぞっとするような大量の人命の損失が出ることは確実である。そして、日中単独でカソス海峡を通過できる、ドイツの急降下爆撃機やイタリアの魚雷艇が出現する水道を無事に突破できるチャンスは、ホットスパーの士官達にも最早ほとんど無い様に思われた。
ブラウン少佐も覚悟を決め、カソス海峡を突破した後は、沿岸に接近してクレタの南海岸沿いを「西に」進むことを決めた。こうして通常考えられる進路を離れるように行動すれば敵のウラをかくことができるかも知れないし、最悪の事態が起ころうとも船体を海岸に擱坐させることで、陸地までたどり着けて命が助かる者も多くすることができそうだったからだ。最も、そうなった後の運命は、ドイツ軍の捕虜になる方がはるかに大きかったけれど。