1.陸軍の潜航輸送艇 戻る 次ページ
陸軍の潜航輸送艇の話を8号艇艇長の宇野寛さんに伺った。宇野氏の艇は最初は海田市1号艇と呼ばれ、ついで8号艇、最後はゆ1001と呼ばれた。
宇野艇長の8号艇は広島県広島市の海田市町にあった日本製鋼所で建造された。このため当初海田市1号艇と呼ばれていたのである。後に完成したまるゆを全て一貫番号で呼ぶようになり、海田市1号艇は通算8番目に完成したので、8号艇と呼ばれる様になった。
更に艇の番号からまるゆの建造数が判定出来るのが不都合と考えたのか?まるゆを建造していた4工場それぞれに一貫番号が付けられた。しかも始まりの番号をそれぞれ日立笠戸工場(1〜)、日本製鋼所(1001〜)、安藤鉄工所(2001〜)、朝鮮機械(3001〜)にして敵を混乱させようとしていた。太平洋戦争中米軍はまるゆの生産規模はつかめず混乱する以前の問題だった。
しかし宇野艇長は戦後も私が取材するまで、9号艇は日立製作所製だと思っていたりで(実際は海田市2号艇であった。)かえって日本人を混乱させたのであった。取材はこんな事を頭に置いてビールを飲みながら和やかに進められた。
2.宇野艇長の取材
1)艇の色
2002.6.19、一の弟子とともに宇野艇長を取材する。弟子の第一声は
「船の色は何色でしたか?」であった。
「8号艇は伊豆で、セメントのような電波吸収材を塗った。その色はまさにセメントの様で、明るい色だったが、関係者に話しを伺った所、まだ完全には電波を吸収しない。との事だったので、ペンキで暗いネズミ色に塗り変えた少し青っぽかった。」とおっしゃった。
2)逆探?
おまけの話であるが、8号艇には逆探を積んで試験をしていたとの事、「敵が電波を発信するとピン、ピン音がした。方向は判定できなかったが、探知されつつ有るという事が敵に探知される前に判るので便利だった。」と語っておられた。陸軍の逆探には興味が無く、陸軍の逆探の事は、私は全然知らなかったので、これからじっくり調べて見たいと思っている。弟子が知っているかな?そういえば弟子が「テレビの画面のようなものがあったんですか?」と聞くと、「いいえ音だけでしたね。」と答えていた。
3)フィリピンに逆上陸
1から3号艇がフィリピンに行った後、陸士53期の将校がフィリピンに逆上陸しようと言ってきた。そのために30センチのロケット砲を船体に付けようという話があったが、そんな物より行く途中で飛行機にやられる方が怖いので、機関銃のような物がいいと言ったら、連装の13粍機銃を付けてくれた。この機銃は陸上用で海上で使えるように出来ていなかったので、グリスをたっぷり塗っていた。
4)逆取材
そうこうしている内に読売新聞から逆取材を受け、記事になってしまった。
2002.8.13−15の読売新聞中国版の終戦特集記事であった。