1.概要
7.7ミリ機銃全盛時代に、敵の装甲の強化を見越して開発されたもの。参考となった兵器には満州事変で使用されたイタリアの「フィアット式重爆撃機」に搭載された「ブレダ式12.7ミリ機銃」とソ連からの捕獲品「コマルツキー式13ミリ機銃」があったが、結局アメリカよりサンプル購入された「ブローニング12.7ミリ機銃」を模倣し、発射速度を上げるため、弾薬包の重量を軽くしていた。
1)中央工業株式会社研究所にて試作開始、量産は名古屋造兵廠千種工場及び中央工業株国分寺工場にて分担
2)昭和16年一式戦闘機に搭載、実戦参加、以降全戦闘機に搭載20mm機関砲ホ5出現までの陸軍戦闘機の主力武装となった。爆撃機においては20mm機関砲では重量が重すぎて、敵機の高速運動に対応出来ず、7.7,7.9ミリ機銃では威力が不足であったため、大戦開始後急速に普及した。
3)戦争初期、普及当初故障続発し、立川審査部武器部長野田大佐チームを率いて進駐地に急行し、片っ端から修理すると共に、弱点の強化を内地の各造兵廠に要請、急速に実用性が向上した。
4)大戦末期には無故障の機銃となったが、B29に対する威力の不足等から戦闘機の武装はホ5に譲りつつあった。
戦争開始以前、12.7ミリ機関銃は明野学校を中心とする運用者サイドからは開発の要求がなく、運動性重視の観点から軽量の7.7ミリ機銃の搭載が望まれており、運用サイドは機関砲無用論が主流であった。このため技術サイドが機関砲の開発予算を取得する際や、試験の実施には大変な苦労があったと伝えられる。
2.使用状況
3.その他 弾 薬
一式十二.七粍固定機関砲の弾薬は基本的にイタリア式である。満州事変でイタリアの「フィアット式重爆撃機」に搭載された「ブレダ式12.7ミリ機銃」のために弾薬の国産化が図られ、機銃としてはブローニング機銃を採用したものの、弾薬はすでに国産化していたイタリアの弾をそのまま流用したのが真相では無いか?と思うのだがいかがなものであろうか?
本家のブローニングの弾は12.7ミリ用としてはかなり重たい弾であったので、イタリア式の軽量な弾を用いた関係で発射速度がかなり向上している。つまり発射速度を向上させたのでは無く、上がってしまったのではないだろうか?
太平洋戦争に突入した際ホ103用に生産中の弾の供給が間に合わなくなり、満州事変時にイタリアから購入した弾をかなり使用したらしい。これがアメリカに捕獲されてアメリカのガイドブックにホ103はイタリア製の弾が使われていると解説されている。
アメリカのガイドブックによれば、イタリアの弾で使用されたのは焼夷りゅう弾と徹甲弾である。日本の一式12.7ミリ機関砲の取説には輸入品の話しは出てこないが、現地の航空部隊からの弾薬の催促に対して、伊式弾薬を供給するむね回答されている等の痕跡がある。
ちなみにイタリアの12.7ミリ機銃の曳光徹甲弾=弾薬筒総重量83.5グラム、弾薬全長107mm、弾丸全長50.6mm、弾丸重量36.7g、薬莢長81mm、発射薬量7.8gである。
一式十二.七粍固定機関砲の曳光弾は=弾薬筒総重量86.5グラム、弾丸重量36.5g、装薬薬量7.8gである
む
- 1)一二粍七機関砲弾薬一式曳光徹甲弾弾薬筒
- 装甲部の侵徹、破壊と弾道表示を目的とした弾種である。射距離300メートルで12ミリの防弾鋼板を、射距離700メートルで10ミリの防弾鋼板を貫徹する。侵徹効果を高めるため弾丸内部の鋼身に銃身鋼第三種という強力な鋼を用いている。 曳光距離は約1000メートルで、曳光時間は約2.2秒であった。曳光は弾底に嵌入された内管内部に充填された曳光剤が発する光によって飛行中表示される。曳光剤の底部には点火剤が充填されていて、発射の際の装薬の発火によって点火剤が発火し曳光剤に点火する仕組みであった。
- 2)マ102(特殊焼夷弾弾薬筒)
- 主として燃料タンクに対する焼夷効果を狙った弾薬で、炸薬と発火剤が充填された弾頭部を特に薄肉にして、命中の際の衝撃によって炸裂し、同時に発火剤に点火し焼夷威力を発揮するもの。
- 3)マ103(榴弾弾薬筒)頭部に瞬発信管を装着した榴弾
使用割合は曳光徹甲−1、マ102−1、マ103−1の割合が標準である。伊式りゅう弾が使われた場合は、曳光徹甲−1、マ102−1、伊式りゅう弾−1が標準となる。
- 4.参考文献