二式一三粍旋回機銃一型
直線上に配置
2002.04.21 Renewal
2.採用後の状況
兵器採用後日が浅く、完全に無故障の銃を量産する域に達しなかった。また部品の互換性はほとんど無い状態であった。二式一三粍機銃の出現が遅れたため、終戦時も一式七粍九旋回機銃が小型機の防御機銃の主力を務めていた。晴嵐の後方機銃として予定されていたのも、この二式十三粍旋回機銃です。
戦時中米軍に1挺捕獲され、最近までスミソニアンに保管されていて、復元された晴嵐に装備されている。
 
3.その他
結果から見て、この銃は微妙な点が多く、日本の工業能力では採用は無理であったと海軍側は判断している。終戦頃には用兵者側から本銃の無用論まで出る始末であった。 しかし、本銃を民間側で量産に当たった日本製鋼所の意見によれば、海軍の計画サイドは、本銃の製造に微妙な点が多いことを、量産開始前に図面から見抜けず、いたずらに代用材料を使用して部品の破損を招いたり、量産性を向上させようと、形状の簡素化を図ったのが、本銃の製造に致命的な混乱を招いたと海軍側を酷評している。 海軍は工業能力を嘆き、民間側は行政の不備を酷評する。何れが主原因であったろうか?今となっては永遠の謎である。
4.参考文献
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1 .目的
試作中の一式七粍九機銃でも威力不足が予想され、小型軽量な手動旋回銃の急速な実現が要望された。同時期に試作中だった三式旋回機銃を旋回銃として使用しようとする意見もあったが、小型機上で人力操作は困難との意見が多く、当時ドイツより入手したラインメタル13粍機銃が要求を全て満足していた事から、そのまま採用する事になった。

試作の際、形状については輸入品をそのまま採用したが、材料は輸入に頼っていたニッケルの逼迫により、代用材料を使用したため、部品の破損が相次いだ。組立不良による故障も相次いだが、約半年の間の研究と努力によって、おおむね良銃を量産することが出来るようになった時、終戦を迎えた。
フレーム
スミソニアン博物館で復元ロールアウトした晴嵐に搭載された、日本製鋼所製の二式十三ミリ旋回機銃