直線上に配置
2002.03.31訂正
2.使用状況
太平洋戦争中期までの日本の主力機銃であり、20ミリ機銃よりも信頼性が高く、搭乗員の評判も良く、零戦はもちろんの事、96艦戦、2式水戦、強風、雷電、99艦爆、彗星、零式水上観測機などあらゆる機種の固定機銃として搭載されました。生産規模は3万丁を越えると推定されます。 毘式機銃は1型、2型、特2型、2型改2、3型改1呼ばれる5っのバリエーションが確認されています。1型と2型の違いは、1型は機関部上面の後扉が前に開く(前後方向に開く)のに対して、2型は横に開く点です。(防衛庁戦史室所蔵 海軍制度沿革史第9巻より)
特2型は舶着銃(輸入した銃)の後蓋の縦開きを、2型と同じく横開きに改造した銃、2型改2は舶着銃の給弾機、増速バネを改良したもの。3型改1は発火装置の他、各部を補強、発射速度が若干増加した型でした。
3.その他
ビッカース社は第一次大戦から7.7ミリ機銃を量産し、様々なタイプを開発していますが、日本に技術導入された型はタイプE(英国空軍はMk2と呼称していた。)と推定されます。
4.参考文献
飛行長主管兵器説明資料 海軍航空本部補給部 昭和19年3月 防衛庁戦史室所蔵
毘式7粍7固定機銃
(1型、2型、特2型、2型改2、3型改1)
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1.概 要
昭和初期までは機銃は全部輸入であった。機銃の国産化は大正の末期から
昭和初期にかけて英国ビッカース社にて技術を習得して帰朝した技術官の指導で始まりました。最初に呉海軍工廠に於いて毘式の7.7ミリ機銃と40粍機銃の生産を開始し、次いで昭和9年頃、横須賀海軍工廠に機銃工場が完成し、保式機銃の生産が開始され、同時に呉工廠の7.7ミリ機銃の生産は全面的に横須賀に移管されました。続いて日本製鋼所広島製作所が機銃専門工場として建設され、昭和11年に毘式七粍七機銃の生産が開始されます。昭和12年頃毘式機銃の最終型となった毘式七粍七固定機銃3型改1が九七式七粍七固定機銃として制式化され大戦中期まで主力機銃となりました。なお毘式七粍七機銃は艦載用としても使用されています。
昭和13年横須賀海軍工廠製の毘式七粍七機銃