誰が買うんだ こんなモン

憧れの米国学生生活で27万おまけ


 「世は非常時のはずだけど」で紹介した、「FRONT」の昭和12年3月号を入手したのである。この冊子が米国服飾雑貨を紹介・通信販売していたことは、もはや云うまでもないのだが、今回入手した号の裏表紙は、以下のような全面広告となっている。

 THE MOST POPULAR
 College Songs
 in AMERICA

 好評の”米国大学校歌集” 再輸着!

 米国一流大学の歴史と伝統に名高いカレッヂ・ソングを楽譜に原文を附して網羅したのがこの校歌集です。
 光輝ある一校を表徴する勇壮なる校歌−愛校心はスポーツに芽ぐみ、校歌によって育まれる。繙くこの全集の一ページことごとくが若人の血潮の高鳴りです。



 「アメリカの大学の校歌集」の広告である…。「輸着」とあるから、当時の米国では、こう云うモノが売られていたのだろう。学校関係者(教職員・学生・父兄)以外の誰が買うのだ? と余所の校歌を歌おうなどと考えたことも無い筆者には、不思議に思えてならないのだが、これが商売になる以上は需要があるわけで、それは何かと突き詰めれば、関係者以外の人間が、大学対抗の各種競技会を、ファンとして観戦する時に(もしかすると)必要になるのではないか、と云う結論に至ったのである。
 例えば、「あぁじぃあぁのぉたぁあまぁあしいぃ ふうたぁたぁあびぃ こぉこぉおにぃ」と朗々と歌い上げることは、東洋大学関係者であれば誰でもなしうる事であるが、今年受験する人にそれを要求するのは無茶と云うもの。そんな時「日本有名大学校歌集」が手元にあれば、なるほど重宝である。不徳のいたすところで応援歌を忘却してしまった卒業生であっても、応援歌集があれば競技会のスタンドで恥をかかずに済むのである。

 しかし、「米国の大学の校歌」を日本人が歌わなければならない時が、一生のうち何回あると云うのだ? と現代人なら誰でも疑問に思う。にもかかわらず、こんなモノが輸入され、「残部少数!」とされている。つまり、アメリカの大学校歌を歌えることがカッコイイとされた世界が、昭和12年の日本のどこかに存在していたのだ。

 (追記)
 古本屋にいったら、「日本寮歌集」(日本寮歌集編集委員会編)と云う本を見つけた。旧制高校の寮歌を集めた歌集である(昭和41:1966年初版、購入したのは昭和55年の改版)。巻頭言にいわく

 (略)旧制高校卒業者の間に寮歌祭を催す計画が進められ(略)年々その意気が盛り上がりつつあるのは快心の至りである。
 従って各旧制高校の寮歌を一本にまとめた全校寮歌集が必要となってくるのは自然の趨勢で、愈々その実現を見るに至ったこと亦快哉を叫ばざるを得ぬ処である。(略)

 たしかに一校一校の歌集では、学校の購買部あたりでしか頒布のしようが無いが、ひとまとめにしてやれば、旧制高校出身者みんなが買ってくれる(かもしれない)わけで、なるほど経済的である。

 と云うわけで、大学校歌集の必要性については理解するに至ったのだが、それを日本に輸入するだけの必然性は、いまだ謎である。米国の学校に留学した人、する人、商売として大学出身者と接する人にとっては、重宝なのだろうが…。