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ボーイング P-26 ピーシューター(Peashooter:豆鉄砲) 全金属低翼単葉戦闘機の先駆け

 P-26 は 1932 年にボーイング社内呼称 Model248 として開発された、当時としては画期的な全金属低翼単葉戦闘機です。ただし支柱類を完全に省略したいわゆる片持支持構造とすることができず、主翼には何本ものピアノ線を張って強度を確保していました。機首のプラット&ホィットニー R-1340「ワスプ(雀蜂)」エンジンは空気抵抗を減らすタウネンドカウリングを装備しています。Model248 試作機3機は 1932 年 4 月に受領され、一時的に XP-936 の名称が与えられました。テスト飛行では持ち前の高速(234mph, 377Km/h)を発揮しましたが、複葉機に比べ高い着陸速度(82.5mph, 133Km/h)が問題となったため、フラップが追加され着陸速度を 73mph(117Km/h) にまで低下させました。P-26 の操縦席はエンジン直後方の高い位置に設置され、上翼がないこともあって素晴らしい全周視界を誇りましたが、地上転覆によるテストパイロット死亡事故が起きたため操縦席後方に背の高いヘッドレスト(ロールバー兼用)が追加されました。
 これらの改良を施した量産型には P-26A の型番が与えられ 1933 年に発注が行われましたが、111 機という数は当時の基準では大量発注でした。初期量産型 P-26A に続きエンジンを燃料噴射式 R-1340-33 に換装した P-26B(2機)、P-26B の機体に P-26A と同じエンジンを積んだ P-26C(23機)が生産されましたが、燃料噴射エンジンが好評だったため P-26C はのちに P-26B に準じてエンジンを換装しています。
 第二次大戦時には時代遅れとなっていた P-26 は米本土で練習機として使われましたが、フィリピン空軍に供与された P-26A 12機の一部は日本軍との実戦も経験しています。戦後は開発途上国に供与され、グアテマラでは 1957 年まで在籍していました。
(文・ささき)


緒元(P-26A)
製作1930年
生産数139機(全タイプ合計)
乗員1
全幅27ft 11in(8.51m)
全長23ft 10in(7.26m)
全高10ft 5in (3.18m)
主翼面積156ft2(14.6m2)
乾燥重量2196LBs(996Kg)
全備重量2955LBs(1340Kg)
武装7.62mm 機銃×2(機首)
(一部の機体は 7.62mm 機銃×1+12.7mm機銃×1に強化)
爆弾 100LBs(45Kg)×2または 30LBs(13Kg)×5
発動機プラット&ホィットニー R-1340-27 空冷9気筒 550hp
最高速度234mph(377Km/h) 高度 7500ft(2286m)
実用上昇限度27400ft(8352m)
航続距離745ml(1199Km)

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