プレーンズ・オブ・フェーム(98/09/14)写真集 その5





はじめに


 プレーンズ・オブ・フェームでは大戦機の保存に対する理解と資金を集めるため、体験飛行のサービスを行っています。今回、私はノースアメリカン P-51D 戦闘機による飛行を体験してきました。
 なお、体験飛行の申し込み方法や注意事項などはこちらにまとめておきましたので、渡米ついでにチノを訪問しようと思われている方は参考にしてみてください。


P−51体験搭乗記

 時計を見ると3時過ぎ。体験飛行の予約は4時からだった。その時刻が近づくにつれ段々と落ち着かなくなる。タイムリミットに弱いのは悪い癖だ。なるべく飛行のことを気にしすぎまいとハンガーを出たり入ったりしているうち、駐車場横の B-50 の写真を撮っていなかったことに気がついた。
 駐車場で写真を撮っていると「飛行機の準備ができたよ!」とセルマさんの呼ぶ声が聞こえた。予定より20分ほど早い。慌ててカメラ以外の荷物を車のトランクに放り込み、渡された書類をひっ掴んであたふたとハンガーの前に行く。ほどなく、パイロットのジョン氏がTシャツにGパン姿で現われた。
「ナイス・トゥー・ミーチュー!」
 駆け寄って握手。飛行機(註1)は既にエプロンまで引き出されていた(写真)。書類は飛行と直接関係ないらしい。ジョン氏のトラックに書類を放り込み、トレーナーを着ようとすると「今日は暑いくらいだからそれは必要ないよ」と忠告された。ジョン氏を見るとフライトスーツを腰のところで巻き付けている。また慌ててトレーナーを脱いで腰に巻き付ける。どうも要領がよくない。
 機体右側から主脚のタイヤに足をかけ主翼の上に登る。P-51D はもともと単座だが、風防後部の無線機室が改造されて後席になっている。風防と前席の隙間から身をかがめるようにして後席に潜り込む。こんな時は小柄な身体がありがたい。後席は簡単なシートに布製の座席ベルトがつき、周囲は合板の上にフェルトをかぶせたような素材で囲まれている。何だか自動車のトランクのようだ。
 座席ベルトの絞め方を教わり、ヘッドセットを渡される。座席右側に小さなスイッチとボリュームがあり、これで前席と会話ができるようになっている。使い方を教わったあと、飛行中に気分が悪くなったときの対処(要するにゲロ袋の場所)、緊急着陸時の風防の開け方なども教わる。操縦席右手のクランクを回すほか、赤いレバーを引けば風防が飛ぶ構造になっているとのこと。
 ジョン氏が赤いヘルメットを片手に前席に収まり、フライトチェックを始めた(写真)。彼が身体を前後にゆするたび、ベルト基部のスプリングが上下に伸びるのが見える。これである程度身体の自由が確保されているらしい。こちらも真似して身体をゆすってみる。こちらのベルトは固定されていてあまり自由が効かない。身体をねじって「チェック・シックス」してみるが、垂直尾翼は眼鏡の外、視界の端にちらりと見える程度だ。ヘッドセットからは管制塔の交信が聞こえる。右手のエプロンでは T-33 ジェット練習機がエンジン試運転を始めていた。発電車の爆音のうなりに合わせ、ガリガリ・プチプチという雑音がヘッドセットに飛び込んでくる。
 待つことしばし、やがてエンジン始動。機首左右の排気管から白く渦を巻いてマーリン・エンジンの排気が流れ込む。身体に悪いとわかっていながら思い切り吸い込み排気の匂いを味わってしまう。だがそれも最初の数秒だけで、エンジンが完全燃焼しだすと排気の匂いは感じられなくなった。
 試運転のち、地上滑走開始(写真)。以外に大きく上下にバウンスする。誘導路上でマイクテスト、通話スイッチを下げて「キャン・ユー・ヒア・ミー?」テスト完了。先行する自家用機が何機かあるようだ。滑走路端でくるりとUターン、順番を待つ。ヘッドセットの交信から、この機体のコールサインが「マスタング7155」であることを知る(註2)。「チャーリー」「タンゴ」など他機のコールサインも断片的に聞こえる。

 尾翼を白黒に塗り分けた自家用機に続いて滑走路に出る。風は東風、西向きに離陸するようだ。機首上げ姿勢で後席からはほとんど何も見えない。フル・パワー、マーリンエンジンが咆哮を上げ機体は加速を開始する。シートに背中が押し付けられる感触、加速はジェット旅客機よりもずっとパワフルで、尾輪が地面を離れ水平になったと思ったらもう機体は浮いていた。この間4〜5秒、あっと言う間のスムースな離陸である。パイロットの腕がいいのか、プロペラトルクの影響は全く感じなかった。左旋回しつつ高度を取るが、上昇率はジェット旅客機にくらべると控えめだ(写真)。エンジンの爆音は大馬力モーターボートのそれに似ているがはるかに大きい。試しにヘッドセットを外してみると脳天にキーンと響くほどの爆音が飛び込んでくる。大声で何か叫んでみるが、自分の声は全く聞こえない。
 やがて機体は旋回を終え、どうやら東向きに飛んでいる。計器板を覗くと高度計は 3,000 フィート、速度計は 220 ノット。「ハウ・アー・ユー、バックシート?」とヘッドセットからの声。通話スイッチを下げて「ワンダフル!」と精一杯の声で答える。通話を聞いていると、どうやら先行機とダム上で落ち合うようだ。やがて左前方に湖が見えてきた(写真)。ここで機体は左に急バンク、40度くらいの角度で急旋回に入った。見越し方向にちらりと先行していた自家用機が見える(写真)。自家用機を追い抜いたあと激しく機体を左右に振って減速、彼の右後方にピタリと着いて飛ぶ(写真)。向こうのパイロットに答えて大きく手を振る。彼がカメラを取り出したのが見える。アングルを変えながら何枚か写真を撮る。こちらも負けじと写真を撮る(写真)。やがて無線から「サンキュー・フォー・ジョインニング・アス!」の挨拶が聞こえ、こちらは右に機体を振ってブレイクした。
 何度か機体の方向を換えたあと、無人の荒野の上空に来たらしい。異様な角度でバンクを振ったかと思うと垂直旋回に入った。地平線が垂直に立ち、左下方で大地が回転する。腕を上下に振ってみると重い。まるで太いゴムヒモでも巻き付けられているようだ。垂直旋回のあと高度を取り、今度は急激に機首が上がった。この高度で宙返り?と疑問に思った次の瞬間、前方で世界がぐるりと一周した。バレル・ロール!思わず歓声を上げる。
 機体は何度か方向を変えながら、今度はどんどん高度を下げてゆく。もう着陸?いや、湖面上で超低空飛行をやるらしい。このあたりから、足のむくみと腕のしびれが気になりだした。Gで血液が下がったせいか、指先がゴワゴワにこわばり気分が悪くなりかけている。腹筋に力を入れ、細く深い呼吸を何度も繰り返す。機体は湖面すれすれに向かって降りてゆく(写真)。だが高度計を覗くとまだ 1,500 フィート、どうやら高度ゼロを海面気圧に合わせてあるらしい(註3)

 そのあとどう飛んだのかはよく覚えていない。指先をさすり腹筋呼吸を続けつつ、それでも首を左右に振って外の景色を目に焼き付けようとしていた。気がつくと飛行機は飛行場に向かっているようだ。飛行場を左手に眺めつつダウン・ウィンドアプローチ、左旋回して軸線を合わせる(写真)。再び機首上げ姿勢になり外の様子がわからない。意外に小さなショックでタッチダウン、エンジンが絞られる。風防が開き、心地よい外の空気が流れ込んでくる。
 左手に格納庫を見ながらタキシング。朝方飛行していた B-25 と FR-1 ファイヤボール(註4)が並んでいる。所定位置に戻り、エンジン・カット。ほっと一息ついて時計を見ると4時40分。迎えに出てきた整備員にカメラを渡し、ジョン氏との記念写真を撮ってもらう。(写真)

 さっきの書類は何だったのかと聞いてみたら、「あぁ、あれにサインするんだったな」と飛行証明書にサインしてくれた(写真)。他の書類はプレーンズ・オブ・フェームの会員案内や所有機の紹介だった。かくして、僕の体験飛行は無事に終了したのだった。


注釈(2000/5/15)
  • 註1:この時搭乗した機体は製造番号 44-84961 の P-51D "Wee Willy II" でした。
  • 註2:惜しいけど聞き違い。Wee Willy II の民間登録コードは N7715C、無線の呼び出し符号は "Seven-Seven-One-Five Charlie" です。
  • 註3:高度計を海面基準に合わせるのは飛行機乗りの常識です。当時はこんな事も知らなかった…(^_^;)。ちなみにチノ空港は海抜 650 フィートです。
  • 註4:たぶん F8F ベアキャットの見間違いです。



  •  とにかく無事に済んでほっとしたというのが正直な感想です。体験飛行と言うとお気楽な観光のように聞こえますが、50年前の飛行機に一般客を乗せて飛ぶなどということは、よほど飛行機の整備状態に自信がなければおいそれとできるものではありません。そんな飛行状態を維持し続ける関係者の努力と情熱には深い感銘を受けました。
     P-51 は素晴らしい飛行機でした。50年前の自動車やラジオを見れば当時の機械・電気工学の技術レベルが推し量れますが、とてもそんな時代に作られたものとは思えません。名前の通りまさに空駆ける野生馬です。私はわずか数十分の飛行でアゴを出してしまいましたが、これを自由自在に操れるようになったらどんなに素敵なことでしょう!…しかし忘れてならないのは、これは戦争のために作られた飛行機だということです。
     50年前、多くの若者がこの飛行機に命を賭けて戦場の空を飛び、ある者はこれで人の命を奪い、ある者は自らの命を失いました。日本の飛行機もずいぶん P-51 に墜とされていますし、そればかりか機銃掃射に倒れた民間人も少なくないのです。P-51 が美しく素晴らしい機体であるから尚更のこと、それが悲しくてなりません。

    願わくば、人の手によりて造られし翼が再び返り血に染まらぬ日の来ぬことを祈りつつ…。

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