リノ・エアレース観戦記 2007年 アンリミテッド・ゴールド決勝


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リノレースのクライマックスは日曜最後のアンリミテッド・ゴールド決勝である。出場機はメインスタンド前に引き出され、パイロットと機体について一機づつの紹介が行われる。「Gentlemen, start your engine!」のアナウンスで三々五々にエンジンが始動。一機づつ観客席前をランアップエリアへとタキシーしてゆく。滑走路端のランナップエリアに整列して試運転。回転するプロペラが傾き出した午後の陽射しを反射し、合計3万馬力を超えるプロペラ後流が砂塵を巻き上げる。やがてスティーブ・ヒントンの駆る T-33 がスモークを曳きながら離陸、レーサーが一機づつ後を追う。リノの青空に吸い込まれてゆくスモークの軌跡に向け、カラフルなレーサーが翼を煌かせながら編隊を組む…。観客席左手、ほとんど砂粒くらいの大きさになった編隊はゆっくりと山の背後へ姿を消してゆく。

静寂の時間。リノレースファンにとっては神聖な時間なのかも知れない。持ち込まれた航空無線機がときおり交わされる交信を伝える以外、アナウンスもなければ爆音もない。静けさのなかで、少しづつ緊張感が高まってゆく。やがて観客席から見えない背後で編隊は最後の左旋回を終え「ダウンヒル」に入る。そわそわと立ち上がり背後を気にしだすレースファンたち。「No 8, slight left」「Lookin good, lookin good」無線機は編隊が最終隊形を取りつつあることを伝えてくる。レーサーが視界に入るより早く、右手後方から轟く重厚な爆音。横一列に連なり、素晴らしい速度で滑り込んでくるレーサー達。

「Gentlemen, you have a race」

T-33 がスモークを曳きながら機首を翻して上昇すると、レーサーは一斉にブーストを入れてパイロンを目指す。セプテンバーフューリーが、ドレッドノートが、レアベアが、ブードゥーが鮮やかな塗装を光らせて見えない坂を駆け下りてくる。観客席右手前方、白いドラム缶を掲げたガイドパイロンを切った瞬間、編隊は一斉に翼を翻して左旋回に入る。「Fly low, Fly Fast and Turn Left」…10分に満たないエクスタシーの始まりだ。

先頭に飛び出したのはマイク・ブラウンの駆る昨年の優勝機 No.232 セプテンバーフュリーだった。トラブル知らずの強者、No.8 ドレッドノートが後に続く。一番人気の No.77 レアベアは3番手…だがバックストレッチのコーナーを回りながら、レアベアは素晴らしい勢いで追い上げてゆく。半周もしないうちにドレッドノートを抜き去り、先行するセプテンバーに肉薄してゆく。

レーサーが8、9番パイロンに差し掛かると、プロペラ音よりも爆音よりも、ヒューンという独特の甲高い音が聞こえてくる。その音は段々甲高くなりながら強まり、最大ピッチ・オーバーレブ回転のギューンというプロペラ音を奏でながら観客席前を横切り、余韻のようなガルルル…という音を残して一番パイロンを回ってゆく。アンリミテッド・ゴールドの、それもトップコンテンダーでしか聞けない爆音。この音を聞きたいがために、ファンは遠路はるばるこのリノに毎年集うのだ。

セプテンバーに続いて、レアベアが会場左手に入ってきた。それがどす黒い排気煙を曳いていることに、観客席は一瞬ざわめきに包まれる。またエンジンブロウか?!いや、オーバーブースト特有の排気煙らしい。レアベアは 4,000hp に達する R-3350 の雄叫びを上げてホームストレッチを回り、セプテンバーを追い上げてゆく。「Go! Bare, go!!」「Let's get him!」観客は拳を振り上げて声援を送る。

マット・ジャクソンの駆るドレッドノートは安定した3番手の位置を確保していた。いつもどおり、後方集団を引き離せるだけのブーストを残して上位入賞する作戦らしい。だが、4番手は3機がダンゴになって争っていた。フート・ギブソンの駆る No.99 リフ・ラフがセオリー通りの低い経路でパイロンをかすめて飛び、その後方にスチュアート・ドーソンの No.105 スピリット・オブ・テキサスがぴたりと食いついている。そして二機のシーフュリーのやや後上方では「大物殺し」のチェック・メイトが隙を伺っている。

今年のリノは事故に祟られていた。特に木曜日のジェットクラスで起こった墜落死亡事故は、レースパイロットにも衝撃を与えたらしい。事故機は8番パイロンで片翼を先行機の乱流に突っ込み、一瞬のうちに裏返しとなって地面に突っ込んだという。生々しい事故の記憶がそうさせるのか、今年は8番パイロン付近で挙動の乱れる機体が多かった。土曜日のレースでは、乱流の兆候を感じた No.33 ステッドファーストが突然コースを離れて観客席後方を飛ぶハプニングがあったばかりだ。

8番パイロン付近で、何かが急上昇した。チェックメイトが乱流にやられたか?いや、メイデイコールがかかっている。ボブ・バットンの No.5 ブードゥーが紫の機体を空に向けていた。ダゴレッド、ストレガに匹敵する潜在能力を持ちながら、一度もリノ優勝経験のない機体。年々減ってくムスタングのなか、毎年のようにアンリミテッドゴールドに出場し、しかしエンジントラブルで脱落することがあまりにも多い不運の機体…今年も、ムスタングはゴールドに残れなかった。

先頭集団では、レアベアが猛烈な勢いでセプテンバーを追い上げていた。バックストレッチでセプテンバーを捕捉し、ぴたりと後方に付ける。追われるセプテンバーは高度を下げて逃げ切りを図る。ホームストレッチでレアベアが勝負に出た。一瞬のうちにセプテンバーを抜き去り、先行位置に入って1番パイロンを回ってゆく。「Yeah!」「He made it!」熱狂に包まれる観客席。だが、まだ2周目にすぎない。あと6周…果たしてエンジンが持つだろうか。レアベアもエンジンブローと緊急着陸については派手な歴史を誇るレーサーなのだから…。

だが、これでレース順位はほぼ確定したようだ。セプテンバーも積極的な追い上げは見せない。先行するベアとの差はじりじり広がってゆく。4位争いの集団でも大きな動きはない。ホームパイロンに最終1ラップを知らせる白旗が上がり、マイク・ブラウンは All or nothing を決意したようだ。半周ほど先行するレアベアに向けて最後の突撃を開始する。4位集団でも動きがあった。ホームストレッチでスピリット・オブ・テキサスがリフ・ラフに追い越しを仕掛け、その隙にチェックメイトが二機をまとめて追い抜いたのだ。

だが、殆どの観客の目は先頭集団に向いている。ベアのエンジンがあと一周持つのか、セプテンバーの追い上げがどこまで通用するのか…バックストレッチから、一機の機体が急上昇した。レアベアか?セプテンバーか?夕陽に煌いた翼は真紅…セプテンバーフューリーだ。最後の最後で仕掛けた追い上げで墓穴を掘ってしまった…。だが、そのあくまで果敢なレーシングスタイルに敬意を表して、観客席からまばらな拍手が行われる。

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チェッカーフラッグを切ったのは No.77 レア・ベア。続いて No.8 ドレッドノート、No.86 チェックメイト、No.105 スピリット・オブ・テキサスと No.99 リフ・ラフは鼻先ひとつの差でホームパイロンを過ぎる。No.13 フューリー、No.114 アルゴノートが続いてパイロンを切り、2007 年アンリミテッド・ゴールドレースは終わった。

…いや、終わっていなかった。上空を飛ぶ機体の挙動が何かがおかしい。レース機の着陸パターンが何かおかしい。スティーブ・ヒントンの T-33 が妙な方向へ飛んでゆく。「Folks, we have little problem」レース会場にアナウンスが流れる。「John Penny pushed Rare Bare so hard, she seems not like to slow down...her throttle is jammed at full forward」。レアベアのスロットルが全開位置で引っかかってしまったらしい。

いつもならゴールドレースが終われば観客はぞろぞろと帰路に着くのだが、今年は違った。レースを終えた機体が次々に着陸するなか、レアベアは 3000ft くらいの高度を取り、T-33 と並んで上空を旋回している。双眼鏡でその姿を追うもの、無線機にかじりつくもの…観客は思いもかけぬドラマに、手に汗を握りながら成り行きを見守っている。「燃料カットして降りるしかないが、低空フルスロットルの全力運転で過熱したエンジンをいきなりカットすれば何が起きるかわからない。しばらく空気の冷たい高空を飛んでエンジンを冷やし、充分に高度を取って滑空で滑り込む」と会場アナウンスが状況を告げる。

やがてレアベアは脚を出し、プロペラを空転させながら観客席右手後方から滑走路 32 に向けて滑り込んできた。着陸視界の悪さ、翼面荷重の高さ、沈みの激しさではアンリミレーサー中でも1、2を争うあの機体を、この状況下で滑空着陸させるとは…改めてアンリミテッド・レーサー達の技量に脱帽する。無事に接地したレアベアを消防車と救急車が追ってゆき、観客席からは安堵の溜息と拍手が上がる。

さぁ、僕も荷物をまとめて、この会場を後にしなければならない時間だ。


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