リノ・エアレース観戦記 2006年 グッドイヤー F2G


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グッドイヤー F2G は F4U コルセアの発展型としてグッドイヤー社(当時は F4U のライセンス生産を行っていた)で企画された機体である。7x4列 28 気筒で出力 3500hp を発揮するプラット&ホィットニー R-4360 エンジンを搭載し、高度 9150m まで 4 分という無茶苦茶な上昇性能を誇ったが、終戦によって注文キャンセルされ生産されたのは試作型4機、先行量産型5機、量産型10機の合計19機にとどまった。戦後払い下げられた機体のうち少なくとも約5機がエアレースに参加し、1947〜1949 のトンプソン杯では上位2〜3位を独占している(但し 1948 年は新開発トリプタン燃料のトラブルでリタイヤ)。 しかし 1949 年のレースでは P-51 レーサー「ビギン」が民家に墜落して母子を巻き添えにする惨事を起こし、また朝鮮戦争の勃発もあって戦後エアレースの歴史は一旦幕を閉じる。まだしも高速自家用機として需要のあった P-51 や P-38 はともかく、レース以外に使い道のない P-63 や F2G は省みられることなく、ある機は事故で失われ、ある機はスクラップや射撃演習の標的として失われ、残る機体も野晒しで放置され朽ちるに任されていた。1970 年代にクラッシックとしての価値が再認識されるまで、ピストンエンジンのプロペラ戦闘機など時代遅れの金属粗大ゴミでしかなかったのだ。

1964 年にリノでエアレースが再開されたあと、かつてトンプソン杯を彩った F2G のカムバックを望む声は多かったが、既に現存機は底をついていた。80 年代に入ってリノ・アンリミテッドが過熱しだすと、シーフューリーに R-4360 を積んだドレッドノート(1983〜現在)や F4U に R-4360 を積んだスーパーコルセア(1982〜1994)が登場したが、F2G の残存機は3機にまで減少しており、とてもエアレースに出せるようなものではなくなっていた。

現存する3機のうち唯一飛行可能な機体がシリアルナンバー 88458、トンプソン時代のレースナンバー 57、真紅に白のストライプを入れた機体である。この機体もスクラップの危機を辛うじて免れながら所有者を転々としていたのだが、96 年にロバート・オグリガードが購入したあと 3 年をかけて飛行状態を修復した。99 年僕がはじめてリノを訪れたとき、「ロールスロイス・トロフィー」の復元機コーナーに堂々と飾ってあった F2G を見てびっくりしたことを覚えている(確かその年のゴールド・トロフィー・ウィナーだった筈だ)。その後の何度かのエアショウでこの機体には遭遇し、2005 年トゥニカ・エアレースでは R-4360 の野太い爆音を響かせながら華麗なエアロバティックも披露してくれた。しかしエンジンを消耗品のごとく使い捨てるエアレースにこの機体が復活することは無理だろうと思っていた。

2006 年のリノにはしかし、オグリガードの F2G がエントリーしていた。一体どういう風の吹き回しかと思ったら「復活 57 周年記念」なのだそうな。No.57 が最後にパイロンを回ったのはトンプソン最後の年、1949 年である。奇しくもレースナンバーと同じ 57 年が経過した今年、もう一度 No.57 にパイロンを回らせ、できればブロンズ・クラスでも優勝の栄冠を掴んでその復活を祝いたいというオーナーの粋な計らいである。

土曜日のブロンズ予選で No.57は離陸滑走中にプラグが割れてエンジン不調を起こし、緊急に離陸を中止してピットに戻った。R-4360 は CornComb - トウモロコシの穂と渾名される独特のシリンダー配置を持ち、シリンダ間には排気管、シリンダヘッドのバルブ間には吸気管が配管されていて殆ど手が入らない整備屋泣かせのエンジンで、プラグの数は 28 気筒 x 2 で 56 本もある。しかしオグリガードのチームは何とか不良プラグを突き止めて交換し、日曜のブロンズ決勝では最下位からの出場となった。

アンリミテッドのブロンズクラスは「その他大勢」の集まりである。出場機の殆どはレーシングチューンを施していないストック機で、なかにはトム・キャンパウのごとく「連続最下位記録を作ってやるんだ」とわざと低速な FM-2 ワイルドキャットを持ち込む輩までいる。今年はシルバーでリタイヤが相次ぎ、3機が繰り上がりでブロンズを離れて合計5機の少し寂しいレースとなった。トップに立ったのは珍しいアリソン・エンジンの P-51A「ポーラーベア」、操縦桿を握るのはエアレース歴の長いベテランのデイブ・モース。片やオグリガードは今年が最初で最後のリノ参加となるルーキーである。しかし周回が始まると F2G はエンジンパワーの余裕を活かして一機また一機と抜いてゆき、4周目には2位にまで追い上げていた。あと2周、No.57 は突然ペースを上げてムスタングを追い上げる。観客席前でポーラーベアを射程に捉え、そのまま抜き去る…かと思いきや、1番パイロンを回って突然プルアウトしてしまった。レーシングチューンを施していないエンジンには、1周8マイルのオーバーブーストでも過酷だったようである。

F2G は無事に 14-32 滑走路に着陸、57 年目のエアレースは最終ラップでのリタイヤという残念な結果に終わったが、一瞬とはいえ 57 年前の雄姿をリノの空に再現してくれたことに心からの拍手を送りたいと思う。


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